◆ 日常の風景 6 ◆


 

ある日弥勒は考えた。
たまたまの幸運だと言えばその通りなのだが、たまたまのままにしておく手はないと。
なぜならば、なぜか殺殿が似合わない場所にいる。無心様のボロ寺に、たまたま訪れたあとずっと滞在している。
数日此処にいたのなら、この先ずっとここにいてもいいのじゃないか。
それこそ、まるで当たり前の日常のように、殺殿と一緒に暮らす。

考え、そして想像した光景に、弥勒はうっとりとしたあと握り拳で一人気合いを入れ直した。

「殺殿をこのままここに引き留め、そして夢の新婚生活を!」
子連れ小姑付きもなんの問題にならない、弥勒の大決心だった。


「ほーお……お前、わしの寺で新婚生活を目論むとはいい度胸じゃの」
突然声をかけられ、弥勒は飛び上がった。
場所は厨の隅にある納戸の中。
誰もいないと思っていたがゆえの弟子の独り言を聞きつけた無心は、漬け物樽の間にかくしていた酒入り徳利をひょいと取り出し、一口あおる。
「無心様……ちょっとご相談があるのですが」
その下手に出た声音に、無心は片眉を上げる。
「相談料は高いぞ」
「はい、承知でございます」
弥勒はきっぱりと言って弟子らしく頭を下げた。

「相談といっても、まさかわしにあの別嬪さんの間を取り持てと言うんじゃ無かろうなぁ」
「いやいや、まさかその様なことは申しません。相談と言いますのは、先程無心様が立ち聞きされたように、殺殿をここにお引き留めした場合、この寺での同居を無心様がお許し下さるか、否かです」
「立ち聞き」の言葉に力を込め、弥勒はちくりと嫌みを込めてそう言う。
場所は移って本堂奥の無心の居間。殺生丸はもちろんのこと、りんも邪見もここには近付かないので、内緒話をするには丁度いい。
「別にわしはかまわんがなぁ、相手が男でも妖怪でもな」
無心は酒をちびちびと舐めながら言う。
「これでも坊主じゃ。いまさら、男に惚れた坊主を不思議とはおもわん。それにあれだけの別嬪さんじゃ、目の保養になりこそすれ、無理に遠ざけようともおもわんよ。まあ、愛嬌はないも同然だが、その分、ほれ、あの道化者の小妖とりんが補ってくれるわい」
「そうですよねぇ、そう思いますよねぇ」
思い人を誉められ、弥勒は調子よくなった。それに合わせるかのように、無心もニヤニヤしながら言葉を重ねる。

「まあ、今更言うのもなんだが、妖というても、あれだけの格のある者となると、見た目も天人もかくやというほど整ってしまうのだのう。それこそ菩薩像の代わりに蓮華座に座らせておいても違和感無さそうじゃ」
「そうでしょう、そうでしょうとも」
「うつけ者。頷く者があるか」
無心は調子にのりまくって頷く弥勒に、そう厳しく言い放った。
「いくらわしが生臭坊主でもな、妖を仏に例えて善しなどとは言わぬわい。師が罰当たりな戯れ言を言うたら、それを諫めるのが弟子の務めだろうに」
「はは!」
弥勒は慌てて畏まった。さすがは腐っても師匠、調子にのった弟子が分を超えた悪ふざけに同調することは許さない。
「失礼ながら、無心様は私の性根をお試しになりましたな?」
「当たり前じゃ。仮にもそなたは仏弟子じゃ。人の恋路の邪魔をするほど無粋ではないが、かといって道を外れた弟子を叱らぬほど無情でもないぞ」
無心は表情を引き締めて弥勒を見た。

「実のところ、先程言ったことはまんざら嘘ではない。あの妖が見境無く人を喰らうような下等な者でないことは十分判るし、あの小妖もしかり。りんは間違いなく人の子であるし、親を亡くした子供を引き取るのも坊主の役目だ。ここに置くことを否とはいわん。だが、弥勒よ。それはお前一人が思っている事だろう?向こうさんは承知すると思うか?寺にずっと住まうことなど」
弥勒はそれを聞くと、気弱げに顔を顰めた。
「やはり、殺殿の方が断るとお考えで?」
「ボロ寺とはいえ、本堂には仏様が鎮座され、線香の臭いもすれば、経を読む声も聞こえよう。ご本尊すら失われた無人の荒れ寺ならまだしも、妖怪がくつろげるか否か?あの小妖が日常的に喧嘩腰に喚き散らすのも、そのせいではないのか?」
弥勒は無言で下を向いた。
無心の言い様はもっともだと思ったのだ。
もしもこの場所が妖にとって居心地の悪い場所であるというのなら、殺生丸に無理を強いているという事になる。何も言わないのを良いことに、手前勝手な夢をこれ以上押しつけていいものかどうか。
黙って考え込む弥勒に、無心は困り顔で「よく話し合ってみるがいい。その上で、ここに共に住まうことを決めたのなら、わしは反対などせぬよ」といい、部屋から出ていった。

一人になって考えていると、静けさで心が痛くなってきて弥勒は外へ出た。
無心はどこへ行ってしまったのか、普段は賑やかなりんと邪見の声もしない。

(殺殿はどこにいるのだろう……ひょっとして、もう出ていってしまったのだろうか)

落ち込んだ気分で廊下を行くと、縁側に一人座っている殺生丸を見つけた。
寺の裏手に近い静かなこの場所を気に入っているのか、殺生丸は大抵ここにいる。弥勒は何か突き上げるような思いに駆られて一瞬顔を歪ませると、すぐにそれを抑えて普段の笑顔を作った。
「お一人ですか?」
そう言いながら隣に座ると、金の目が僅かに動く。
「りんと邪見の声がしませんなぁ」
僅かな間のあと、低く答える声がする。
「…裏山で何か見つけたといって、採りに行っている」
「…はあ、そうでしたか」
判りづらい説明にそれ以上いう事もなく、弥勒はちらりと裏山に目を向けた。
おそらくりんが山菜かなにかを見つけ、それを摘むのに邪見も引っ張っていったのだろう。とりあえずは、まだ出ていく予定はないらしく、弥勒はほっと胸をなで下ろした。

「…えーと、殺殿?」
躊躇いがちに呼びかけると、ちらりと顔を向けられる。
「…この寺は…殺殿がお住まいとするには不都合がございますか?」
思い切ってそう尋ねてみた。即座に「居心地が悪い」と言われたら、どうしようかと思ったが、意外と殺生丸の返事は悪いものではない。「ない」という、紋切り型のただの一言ではあるが。
ただ、殺生丸はその後に低く付け加えた。
「だが、ただ漫然と一所に止まるのは性に合わぬ」
その言葉を聞き、弥勒は僅かに目を見開くと、物問いたげに唇を振るわせた。
が、結局出てきたのは、(やっぱり…)という思いのこもった長い長いため息だけだった。


(…はあ、やっぱり、手前勝手な夢…だったか…)
苦笑いをして、弥勒は肩を落とした。
いつでも側にいて、すぐ手の届くところにいて、毎日顔を眺めて声を聞いて――そんな夢は儚く消えてしまった。無論、十分に予想できた結果ではあったが、それでもほんの少しだけ期待していた。
自ら訪ねてきてくれたのだ。
この妖が、日常的に自分の近くにいることを望んでくれるんじゃないかと。
姿勢を崩し、あぐらをかいた膝に頬杖を付き、弥勒は顔を手に覆う。
失望を露わにした鬱陶しい顔をしてはいけないと思うが、ため息だけが零れてどうしようもない。
「――きさまは、今後はこの寺に留まっているのか」
不意に殺生丸が言った。
弥勒は顔を半分手で隠したまま、疲れた動作で頷く。

「はい、そのつもりでおります。もう旅をする理由もございませんし、子を産んでもらうおなごを捜す必要もございませんので」
「では――」
と、淡々と殺生丸は言う。

「旅の合間にここへ戻る」

何気ない一言に、弥勒は動きを止めた。
(今なんて言った?旅の合間に戻ると――戻ると言った。立ち寄る、ではなく、戻ると)
顔を上げて殺生丸の顔を見る。まっすぐに前を見ている妖の横顔はいつものように揺るぎなく、けっして言い損じたのではない。

戻るといったのだ。この人の寺へ。弥勒が住まう寺へ、戻ってくると。
「――では――私はここでお待ちしていましょう。あなたが戻られるのを」
僅かに震える声でそういうと、ちらりと弥勒に目を向けた妖が小さく頷く。

外からりんのはしゃぐ声が戻ってくる。
「弥勒様ーーー!!タケノコいっぱい見つけたーー!」
「これ、りん!お前ももっと持たぬかーーー!」
大きなタケノコを掲げたりんの後ろからは、身の丈に合わない大きな籠いっぱいにタケノコをつめ、それを引きずるようにして運んでくる邪見。
「おいおい、引きずったら、籠が壊れるって」
弥勒は庭に降りると、籠を受け取った。
「苦労して持ってきてやったのに、その言いぐさは何事じゃ!」
そう文句を言う邪見に構わず、
「弥勒様、夕餉はこれ食べようね」
とニコニコしたりんが言う。
「そうですね、たらふく頂きましょう」
そう答えながら、弥勒は縁側に座っている殺生丸に笑いかけた。

「殺殿も如何ですか?味見程度くらいは」
そう言うと、殺生丸は僅かに顔を顰めたが、それでも頷いた。

人と相容れないはずの妖が、僅かにでも人の営みに溶け込もうとしてくれている。
(それで十分)と、弥勒は心からの思いで笑う。

それで十分――確かにこの方は、私と共にいることを望んでくれている。

弥勒は晴れ晴れとした気分で、ほがらかに笑った。





 
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