◆ ずっとずっと◆


 
昨日見た森は、秋風の冷たさに葉が落ちた木ばかりで寂しかった。
今日見た森は、赤や黄色や少しくすんだ緑が混じりあって、お姫様の着物のように綺麗だった。

今日見た空は青くて透明で、真綿のような雲が浮かぶとても綺麗な空。草の上に寝ころんでいつまでもいつまでも見ていたくなるような空。
昨日見上げた空はどんよりとした黒い雲が重たげで、遠くで雷が光っている。雨が降り出しそうな空の色は、どこかに追い立てられてるような気がする。

綺麗なものはいつまでも見ていたい。
石になってそこから動けなくなってもいい。
ずっとずっと、綺麗なものを見ていられたら嬉しい。

だから、りんは毎日がとても嬉しくて楽しい。
とても綺麗な殺生丸様がいつも近くにいるから。


柔らかい草を踏んで、りんは小川の畔に膝をついた。
手で水を掬って飲むと、冷たくて気持ちがいい。
流れる水に、星空が映る。
空を渡る星の橋が、水の流れにきらきらと本物以上に綺麗に輝いている。
りんは流れる光にじっと見入った。
すごく綺麗だ。
細い川全部が星に変わったように見える。
りんが手を入れるとそこだけが少し歪むけれど、でも光の流れは変わらない。
りんは楽しくなって水を叩いた。
暗闇に吸い込まれて見えなくなった水滴が、川面に落ちるとまた元のようにキラキラ光る。
星空を自分の物にしたみたいだ。
いつまでもそうやって水を叩いて遊んでいると、様子を見に来た邪見が後ろから呆れて言った。

「こんな夜中に水遊びとは何を考えておるのじゃ。身体の具合でも悪くしたらどうする、殺生丸様に置いて行かれるぞ」
「具合なんて悪くならないよ」
りんが言い返すと、邪見はますます呆れたのか、深いため息を付いた。
「お前のような小娘は、そう言ってる側から具合を悪くするものじゃ。少し寝ないだけでもすぐにぐずぐずするのは誰じゃ」
「りんはぐずぐずなんてしてないよ」
りんは水遊びをやめて立ち上がった。邪見は、ふんと鼻を鳴らす。
「お前はそのつもりでも、歩きながら居眠りしてたりするではないか。水を飲んだら、早う戻って寝てしまえ」
「はあい」
少し不満げな顔をしながら、りんは邪見の後を追って草地を歩く。
短い草は柔らかくて、少し濡れている。
朝に見たら、きっと露に濡れて朝日に光っているのだろうと思う。

どうしてこんなにキラキラひかってて綺麗な物が沢山あるのだろう。
りんは時たますごく不思議になる。
村で暮らしていたときは、どこも汚れて見えた。
家は雨風に荒れて、壁板も屋根も色あせて、木の綺麗な色も匂いもなかった。畑の菜は萎れた色ばかりが並んでいた。
朝から晩まで働いていて、毎日水をやって、草をむしって手入れして、それでも綺麗に見えなかったのは、きっとそこにいる大人達がみんな疲れた顔をしていたから。
疲れて疲れきって、みんな今にも畑を踏みつぶしそうに見えた。

りんもあんな顔してたのかな、――と、ふと思った。
あんな風に汚れて疲れた顔をしていたのかな、とそう思った。

殺生丸様を初めて見たとき、すごく綺麗だと思った。
血に汚れていて怖かったけど、綺麗だと思った。
綺麗だったから、近くに行って、側で見たかった。
白くて眩しいくらいに綺麗だった。
今まで見ていた景色が目に入らなくなるくらい、すごく綺麗だった。
最後にこの姿を見て死ねたら、きっと幸せなんだろうなって思うほど。
殺生丸様とずっと一緒にいるようになって、気が付いた。
りんにそう見えなかっただけで、綺麗なものは沢山あったんだって。
いやな物ばかりじゃない、怖いだけじゃない、それ以外の物だってたくさんあるって、それを思い出した。

空に輝く星の河を眺め、りんは歓声を上げる。
「ねえ、邪見様。星がとっても綺麗」
「何をいまさら。昨日も同じだったではないか」
「昨日も綺麗、でも、今日も綺麗。綺麗な空って嬉しくならない?」
そうりんは聞いた。邪見はこんな綺麗な夜空を見ても、ワクワクしないとかと不思議だった。
「綺麗な空を、綺麗だなーって思えるのって、いいことだと思わない?」
「人間と一緒にするな。星は当たり前に空にあるものじゃ。それをいちいち綺麗のなんのと褒めちぎってどうする」
「褒めてどうする、じゃなくて、綺麗だなーって思うのって、気持ちよくない?」
「なんじゃ、それは。お前の言ってることは、さっぱり判らぬわ」
「わかんない?りんの言ってること、変かな」
「お前はいつも変なことばかり感心しておるわ」
そう言い捨てられ、りんは少しガッカリした気分になった。

綺麗な物を見られたら嬉しい、ずっと見ていたい。
ワクワクするようなそんな気持ちを、邪見にも判って欲しかった。
どう言ったら判って貰えるのかと考え込んだりんは、目の前に見えた物にぱっと顔を輝かせた。
邪見の肩をつつき、「なんじゃ、うるさいのう」と振り向く邪見に耳打ちする。

「ねえ、殺生丸様がいらっしゃるよね。殺生丸様見たら、嬉しくならない?凄く凄く綺麗で、毎日見てても綺麗だーってうっとりしない?」

丘の上に殺生丸は無表情にいる。竜の上に座り、無表情にどこか遠くを見ている横顔は、冷たく輝く氷の美しさ。
星明かりに、白い髪も肩にまかれた毛皮も、水面に映る星の河のようにきらきらと輝いている。

邪見はすでに見慣れているはずの主の姿にぼーっと見とれ、りんの言葉に頷いた。

「……うん、確かに。……美しいものを目に出来るのは、まさしく幸福じゃ…」

りんは、にっこりと笑った。自分と同じ気持ちを邪見が持ってくれたのが嬉しかった。

ずっとずっと、殺生丸様を見ていたい。
空に輝く星々が消え去った後も、ずっと見ていたい。
りんが知っている一番美しいもの――殺生丸様がいるから、いろんな物も美しく輝いて見える。


今、この時、りんの周りは輝く綺麗なもので満ちている。
綺麗なものを綺麗だと言って見つめていられるという事が、どれだけ大切で難しいことか、りんはよく知っている。
今まで目にした汚くて怖くて悲しいこと、そんな思い全てを忘れられるくらいに、綺麗なものは綺麗だと思えるのはとても幸せなことだと思う。


りんは笑った。自分は幸せだと、強く思った。





 
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