「なあ、カネ払えよ」
肉弾頭がいった。
ここは旅行代理店の店内である。台湾行きのチケットを予約したあの日からちょうど1週間が過ぎていた。今日はみんなでチケット代の振り込みにやってきたのだが、代理店の中は非常に混み合っており、我々は椅子に座って順番待ちをしていた。
「なあ、みんなが前金分のカネを払ってくれないと俺、チケット買えないよ〜」
肉弾頭の懇願に一同は知らんぷり。台湾のパンフを読んだり、天井を見上げてボーッとしていたり。
「おいおいおい、頼みますからカネ払ってくださいよ、お願いしますよ〜」
肉弾頭は常に「イイ人」である。あまり人を疑うことをしない。しかし、彼は気づくべきだったのだ。我々が先週、彼に請求書を郵送して5人分の前金を全額彼に払わせたワケを。
「俺が一人で前金振り込んだんだぜ。お前らがカネを返してくれなきゃ、俺、台湾いけなくなっちまうよ〜」
一同は相変わらず知らんぷり。クスクス笑いが漏れている。請求書を郵送したときからこの展開は読めていた。いわばお約束である。
「畜生! テメエら楽しんでやがるな!」
「当たり前じゃん」
「肉、何も疑わなかったお前が悪い」
冷静に考えると、悪いのは肉弾頭以外の人間のような気もするが、多数決で悪いのは肉弾頭ということになってしまった。民主主義万歳。
「お金払ってください、お願いしますよ〜」
「ちっ、しょーがねーなー」
全員、申し合わせたように、もったいぶって肉弾頭にカネを渡す。
「あ、ありがとう! やあ、おまえらほんとはいいヤツなんだな!」
肉弾頭がホッとした顔をしてお礼をいった。何か間違っている気もするが、これも人生の縮図なのだろう。
こうして我々は領収書を片手に旅行代理店を出た。次の目的地は池袋最大のフロア面積を持つCD/DVDの店、HMVである。
お目当てはこのページの別コーナーでも取り上げられたことのあるDVD「ゴーストボクサー」の第2巻である。詳しくは肉がレポートすると思われるので、ここではとりあげない。しかし、個人的に猫侍のCVが小林清志だということに非常に心惹かれるのものがある。ちなみに、小林清志といえばルパン三世の次元大介、サムライスピリッツの柳生十部衛、クラッシャージョウのタロスの声などをあててきた役者さんであり、渋い芝居で有名である。
まあ、そんなこんなで色々と買い込み、遅刻してきた"そろそろ会社やめちゃるぞ宣言"のタキオンとも合流した我々は夕飯を食べるべく夜の池袋へと繰り出した。
我々の食べ歩きの掟は過酷である。美味い味を探すため、常に常に前進し続けなければならないのだ。
一度入った店はどんなに美味しくても常連にならず、常に新しい店を探し続けること。風邪をひこうが、雨だろうが、歩き続けること。食い物屋はガイド本を当てにせず、自らのカンのみで見つけること。そしてそこそこの店で満足してはならないことだ。
この掟に従い、我々はこれまで幾度となく池袋・新宿をはじめとする都内をさまよってきた(たまには海外にも出かけたりする)。
自慢ではないが、池袋ではめぼしい店はほとんど喰覇してきたと思っている。だが、我々がそう思いこむたびに池袋は我々を裏切ってきてくれた。常に新しい美味しい店が見つかり、我々はそのたびに「オイチー!」と叫ぶのである。
そして今日は初手からついていた。
「今までこの時間帯にここを歩いたことはなかったよな」
「ああ、なんとなくいい予感がするぜ」
我々は密林の中のベトコンを狩りたてる特殊コマンド部隊のように、右に左に注意を払いつつ池袋の北西側の商店街を進撃する。
「あ、あれを見ろぉ!」
「おおおおお」
その店は歩き始めてすぐに見つかった。半地下式の中華屋で店内はそこそこ広く、客の数も少ない。だが、何よりも我々の胃袋をそそったのは、その店の目の前で折り畳み式のテーブルを置き、お持ち帰り用の豚マンを売っていることだった。
我々の経験からいくと、店先でお土産を売っている中華屋は本格的な店であることが多い。安くて濃厚な味でツボをついたメニューの店である証拠なのだ。
我々はふらふら〜とその店に吸い込まれていく。だが、そんな我々を引き留める男がいた。ブルースである。
「……この店は押さえだな」
「なっ、なにぃ〜!?」
我々の間では「押さえ」=「喰わない」を意味する。肉弾頭が驚倒するのももっともだった。
「ほら、いくぜ」
ブルースが歩き出す。後ろ髪をひかれながら歩き出す我々だったが、私はそんなブルースの背中に男を見た。「どうせもうすぐ台湾いくんだ、そしたら中華なんてここより美味いものがたらふく食えんだぜ。男ならさらに美味いものをさがさにゃダメだろーが」彼の背中がそう語っていたのだ。
そう、彼こそ今夜の主役だった。
そうやって歩きまくっているうちに商店街が尽きた。
「ここまではいつものとおりだな」
ブルースはそういって、何もない道を歩く。場所はかなり住宅街より。食い物屋といえば不味そうなラーメン屋しかない。
かなり歩いたところで小さな商店街が見つかった。我々は道を折れてそちらへ進む。
「なんだか、いやな予感がしてきたよ」
タキオンがいった。彼の控えめな言葉はいつも正しい。
「あきらめちゃダメだ。この先にきっと楽しい何かがあると思え」
ブルースは中華屋をあきらめさせた手前、そういわざるをえなかった。
「そうだ、倒れるなら前のめりだぜ」
肉弾頭がいった。彼は状況に酔うタイプである。
「あれ、ここは……見覚えがある通りだぞ」
すの字が楽しそうにいう。彼はどんなときでも楽しそうだ。このメンバーの中でもっともタフなのは彼だろう。ちなみに私はこのとき風邪をひいており、グロッキー気味だった。
「そういえば、あの下手などらえもんもどきの絵の描かれたシャッターには見覚えがある!」
「俺、あの公園のトイレ、いったことあるよ!」
なんということだ、我々は見知らぬ道を歩いているつもりだったが、知らず知らずのうちにいつか歩いた道に迷い込んでしまったのだ。
「やっぱり、ここだったか」
一時間近く歩いた結果、馴染みの台湾料理屋の前に出てしまった。だが、我々の掟は「同じ店では何度も喰わない」である。いくら寒くてお腹がすいていようが、掟は掟だ。
「さあ、こっちだ」
我々はまた新しい店をさがすため、さらなる枝道に迷い込んでいく。
その夜は異常に寒い風の吹いている日だった。ただ歩いているだけなのに体力を消耗する。そのうえ我々は旅行代理店からずっと立ちっぱなしだ。そのうえ時間との戦いもある。早めに店を探し出さなければ店が閉じてしまうのだ。
我々はせっつかれるように歩いて歩いて歩き回った。
そして一軒の店を見つけた。
「ここ、いいんじゃねえか?」
タイ料理の店である。
「メニューも本格的だぞ。店構えもそれなりだ」
「俺もここでいいよ」
辛いのが徹底的に壊滅的に破滅的に弱いタキオンがこの店で食べることを同意した。
「……さあ、次をさがそうぜ」
同じく辛いのに弱いブルースだけがしらじらしい抵抗をする。
「おい、待てよ、お前より辛いのがダメなタキオンが食べるっていってるんだぜ! あ、おい、行くなよ、おい!」
ブルースはスタスタと歩いていってしまった。
彼こそ今夜の主役なのだ。良い意味でも悪い意味でも。
そうやってブルースに引きずられるまま誰もいない商店街を歩いていくと、今度は串焼きの店が見つかった。ブルースがここで食べようといいはるが、今度はほかのみんなが先に歩いていく。裏切り者に対する制裁である。
そんなこんなで三時間ほど夜の池袋をグルグルと歩き回って、結局、空腹には勝てず、「馬車にのったモッツァレッラ」に入店した。
同じ店には二度は入らないという掟を破ってしまったのである。
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