故郷の味。忘れがたい子供のころの味の記憶ってあるよね。
給食だったり、親の得意料理だったり、人によっては近所の肉屋のメンチだったりコンビニの定番お惣菜だったりもするだろう。それは自分の核をなすもので、優劣のつくものじゃあない。

「コレ!多分、俺の思い出の味!!」
だから、ブルースがネットで見つけた店を紹介してきたときもそれは暖かい気持ちで聞こうと思ったさ。

元々、ブルースには故郷の味が多い。子供のころ親父さんの転勤が多かったこともあるだろう。
ブルースと長く付き合っていると経験するのは、彼の虫への思い入れトークだ。
長野では、おにぎりの具で蜂の子が一番のご馳走!遠足や運動会でしか入れてもらえないから、子供たちも蜂の子に大喜びだ…などという話を彼はよくしている。
虫食ランキングは、蜂の子>>>ざざむし>イナゴ、だという。ばあさんが茨城出身で、虫食といえばイナゴくらいしか馴染みの無かった俺には新鮮な話だった。

そんなブルースが興奮気味に「なつかしの味」を主張する店とは?その、料理とは?
「トルコ料理グリーングラス」

……トルコ?トルコには住んでいないだろ、ブルース。
しかし、その店の紹介には但し書きが着いている。
「パレスチナ人シェフによるパレスチナ料理店。しかし、日本人にも受けがいいように看板には『トルコ料理』を掲げている」

ははあ、パレスチナね。確かにマイナー過ぎて、日本人客へのアピールは弱いかも。そこへトルコですか。世界三大料理の一つですもんね。
パレスチナ…パレスチナ…でもお前、パレスチナにも住んだこと無いじゃん!!とは、もはや突っ込まず。
間違いなく、ブルースはパレスチナ地方の隣国ヨルダンに住んでいたことがあるのだ…



「グリーングラス」は西川口駅から歩いて5,6分のところにある。待ち合わせよりも少し早めに現着した俺、肉弾頭は場所確認のため、一人歩いた。店はあった。大通りからは離れているが、判りやすい角地の店だ。店は閉まっている。開店時間まであと30分ほど。ブルースが来るころには開いているだろうか。
無人の店の中に、真っ赤なポスターが見えた。ガラス越しに暗い店内にを覗き込んでもハッキリと判別できる大きさ。
チェ・ゲバラのポスターだ。

ゲバラはトルコともパレスチナとも関係が無い。キューバでカストロとともに共産革命を成功させ、その後南米で反政府、反米ゲリラを指揮して転戦。最後にはニカラグアで米軍に捕まり裁判を経ずに殺害された一介の革命戦士である。
宗教、思想、民族、主義…どれも接点は無い。
しかし、解るのだ。ゲバラとはもはや個人名ではない。思想にも縛られない。弱いもの、虐げられた者の救いのヒーロー。その、理想なのだ、と。

てなことを考えながらブルースと合流。開店時間17:30を回っていたので意気揚々と確認した店の場所へ。そして…



「なんてこった!」
店は…店自体はもちろん、さっきと同じところに、同じように建っていた。
「また、やっちまったのか、俺たち…」
しかし、電気が消え、堅く扉が閉ざされているところまで同じとは!!
過去、幾多もの閉店したお気に入り店が脳裏を巡る。
また、タイミングを逸し、チェックしていながらも初来店時点ですでに潰れていた、縁の無かった店の数々。
また、俺たちはやってしまったのか!?
…また!?

泣くのは最期でいい。死ぬのは明日でも十分間に合う。
せっかく川口へ来たのだ。せめて何か旨いもの喰って帰ろう。
あちこち歩けば、そこは繁華街だ。それなりに旨そうな店はある。
テーマも目的も見失った彷徨だ。今更冒険心を発揮する必要はあるまい。そうすると、食欲を引きずる一番の力は「旨そうな匂い」が持っているわけだが。
「お、インド料理。あなた、インド料理好きですか?」
「いいですね、インド料理。私は大好きですよ。そういうあなたは?」
「ははは、決まっているじゃないですか。もちろん大好きですよ。旨いですよね、カレー。今日はコレ喰ってさくっと帰りますか」
「いいですよ。望むところだ。でも…未練がましいやつだと笑われるかもしれない。だけど、この店でカレーを喰らう前に、私にもう一度だけチャンスをくれませんか?」
「……解っている。みなまで言うな。俺だってもとよりそのつもりよ」

解っている。開店時間に開いていない店が今から開けているわけが無いことは。
俺たちは、この胸にもやもやと残る未練を断ち切るためだけにグリーングラスが閉まっていることをこの目に確かめさせたいだけなのだ。引導を渡してもらって、すっきりとしてこの旨そうな匂いのカレーを堪能したいだけなのだ。
果たして…店は開いていた。光は溢れていた。

開店時間を遥かに過ぎてから開店する店。その是非は問うまい。希望と絶望の落差がカタルシスなのだ。今、こころに満ちている。





「いやあ、なつかしいなあ、この味」
ブルースは絶好調だ。これ、これ、これがヨルダンの味だよォ!と満面の笑みで喰いまくる。普段から旨いだけで満面過ぎる俺たちだから、この日のブルースは200パーセント面の笑顔という計算になる。
お豆やトマトのディップ、それからピタパンなんかはトルコ料理でも食べているから、パレスチナ料理独特ってのが俺には解らないが、ブルースは言う。
「ピタパンに何かをはさんでナントカ料理ってんじゃないの。これでね、パンをおかずと一緒にガツガツやってるとヨルダンを思い出すのよ」


なるほど。これは日本人にとってのどんぶり飯か。そうして、羊肉をガツガツやるってのは、俺らがどんぶり片手に干物をぼりぼり行くのと同じかい?
じゃあ、たしかにコレはナントカ料理じゃないんだな。
これはメシだ。
店は一見ヨーロッパ人ぽい若夫婦がやっている。するとこの二人がパレスチナ人?
隣国という気安さからブルースが聞いたところによると、二人はかなり前からの移住者。そして、国には帰れないという。

パレスチナ地方に住むパレスチナ人がイスラエル建国によって難民化してから半世紀か。隣国ヨルダンが最もパレスチナ人難民を受け入れ、すでにパレスチナ人が一番住んでいるのはヨルダンとなっている。
元々、オスマン帝国が崩壊するまでは帝国内のアラブ人地域。それもひっくるめて「パレスチナ」とか「シリア地域」とか呼ばれていた同士であるので、食もひっくるめてその文化を分けて考えること自体 無理だ、と当のそのヨルダンに住んでいたブルースの説明だ。

だから、トルコ料理との差異が解りにくいことも、あえて看板を「トルコ料理」としている意味も解ろうというものだが、最後のメインディッシュはトルコっぽくない。というか、俺はそれに類する料理を食べたことが無い。



ご飯に羊肉の肉団子乗っけてチーズっぽいソースが掛かっている。
ブルースはこの料理の登場で最高潮に達した「これだよ!これがヨルダン料理だよ!これ、俺、よく喰ってた!!」
店主も自身をもって出してくれた。「これが一番パレスチナっぽい料理ですよ」、と。
これが、旨い。ガツガツ喰う食い物だ、これは。
料理名を聞いてもブルースは応えない。
まあ、解るわ。これはいわゆるぶっかけメシだ。例えば、鍋の残りに飯突っ込んで食べてるところを外国人に料理名聞かれても応えられないものな。
それでいて、そういうのが一番旨いものなんだよ。

(後で調べたところ、ヨルダンの郷土料理に、ピラフに羊肉乗っけてヨーグルトソースかけたものがあるのが解りました。名前は「マンサフ」
チーズじゃなくてヨーグルトだったのな。そんで、一応ちゃんとした郷土料理だったのな)

さて、ブルースの思い出を刺激し、故国を失いながらも自分たちの食文化を失わない、旨いものを作る夫婦に出会ったわけだが、さらにその一ヶ月後ブータン料理を食べる段になって図らずもその共通点に気づいたわけである。
ブータンは唯一チベット仏教を国教とする国家。時、あたかも人民共和国によるチベット弾圧の真っ盛り。こんなときにチベット文化圏の料理を食べたことを云々…と前項にも書いたことだが、まあよく考えてみると政治的にはブータンはチベットとは関わってないのな。
食べ物もだいぶ違うみたい。少なくとも、チベット料理はあんなに辛くないって。
そういえば、一番チベット料理っぽいモモ(水餃子)も、辛子ダレをつけてわざわざブータンっぽくして出してたしな。
じゃあ、あらためて喰うべき「チベット料理」てほかにあるんじゃないの?
ちゃんとしたチベット料理を食べないと、このパレスチナ料理から続く「虐げられた者の食卓」シリーズは完結しないんじゃないの?と、勝手にシリーズ化しながら、そういうことを考えたりもしたわけだ。

さて、じゃあそのチベット料理はどこで喰えるのか?
そんなときにはこのインターネットですよ。品川のネパール料理屋で「チベッタンコース」があると検索した俺とブルースは、いずれこの店に行こう。そしてチベットを食べまくってやろうじゃないかと、そう誓ったのだ。

…いずれ?
「いずれ」はいつまでも来ないものと決まっている。
しかし、急に来ることもあるのだ。

土曜日の昼に、ブルースから電話があった。何の前触れも無く。
「おい、今親分と一緒だ!」
え?
「そして、今築地だ。旨いぞ、築地のマグロは!!」
えええ!?
「ついては、例のチベット料理も今日喰らうことが決定した。カメラと財布だけ持って1時間以内に品川に来い」
げげえ!?

なんだかんだで2時間後、品川に三人揃った。1時間後が2時間後になったのは、マグロ食べまくった2人の腹具合を考慮してのこと。

パレスチナ、ブータンのときよりも、親分を加え、三人の強化メンバー。
目指すはネパール料理店「レッサム・フィリリ」

大まかな地図は出していたが、大した距離ではない。駅から徒歩7分。
最近歩かないなどと言っていた俺たちだが、ブータン料理を喰うために意味も無く代々木から代々木上原まで歩いた俺たちだ。本当に大した距離ではない。
しかし…
「貴様、この道に見覚えは無いか?」
最初に気づいたのはブルースである。
「実は、俺もなにか嫌な予感が…」
方向音痴の肉弾頭も流石に“気配”を感じ取り始めた。
「なんのことだ?」
「いや…あン時は親分いなかったものなあ」
そう、あれは何年前だか忘れたが、たしか正月…それも3が日のうちだったと記憶する。
(後で確認したところ、2005年1月の徒然に記録があった)
「やばい、俺の記憶によると、あの角をまがったところだ」
「くッ…この地図でも…そこを曲がったところが今日の目的地だよ」

ああッ!!  天よ! 花よ!! 海よ! 星よ!!
果たして、レッサムフィリリ…一度入った店であった。


3年前の正月、大崎から八重洲まで歩いたときに、昼にカレーを食った店であった。
ナニを嘆くことがあろうか。旨いことは確かなのだ。そして、前回とは違うものを食べようと言うのに…
しかし、全く新しい店に入ると言う高揚感が、実は旧知(と言うほどのものではないが)のみせについてしまった肩透かし感。食べバカ読者の皆さんなら解ってくれることと思う。

しかし諸君。我々は挫けることを知らぬ戦士。食べまくりの成果を是非見てほしい。

以下次頁

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