3月30日
24日の徒然に書いた店に、ランチ食べに行きました。
閉まっていました。看板は出ているのに。
あのあと2回行って、閉まりっぱなしなのでもうやめてしまったのでしょうか。看板は出ているのに。
しょうがないので、件の先輩とジンギスカン屋のランチ喰って帰ってきました。
前は夜だけジンギスカン営業、昼はおにぎりランチの店として開いていたのだけど、地域へのジンギスカン度浸透を見計らっての昼営業もうまく行っている模様。
またそろそろ夜ジンギスも行こうかな。
3月26日
昨日、詐欺と接近遭遇。
御徒町駅近辺の路上で、徐行していた車が俺の横で停車。助手席の窓から営業マンっぽい男が話しかけてきました。
「伝票間違えちゃってサ、会社に持って帰るわけにいかないから、これ、あげるよ」
と、ケースに入った、金色っぽい、高級っぽい腕時計を差し出してきました。
何年か前、神田神保町でも同じ様な人に会いました。
全く同じシチュエイションで、このあと、「気持ち分だけでいいからさ、このあとコイツと飲みに行く飲み代くらいでいいからサ」と続きました。そのときは。
その、神保町で声を掛けられたころは純真だった俺は素直に信じ、500円玉を差し出したものです。
そいつら、憮然とした表情で時計もくれず、金も受け取らずに行ってしまいましたが。
昨日は、急いでいたのでそこまで言わせず「よくある手ですね」と言ったら憮然とした表情で行ってしまいましたが。
ここでやはり、疑問が残ります。
いくらなら、彼らは時計を渡すのでしょうか?
非常に気になります。
向こうからは金額の提示はないわけです。
時計の質についても金額も提示せず、買い主の言い値で売った事実が残れば、何があろうと彼らに責任がかかることはないわけですから。
ただ、逆にね、時計さっと取り上げて、500円玉を渡し「“くれる”って言っただろ。500円ありゃ、ワンカップ2杯買えるだろ」と言うのは、ありか?話の流れではありだと思うんですが。
3月24日
職場のすぐ近くのスナックがランチ始めました、と看板出てたんで食べに行きました。
メニューは、ビビンバ、餃子スープ、キムチ炒飯の3種のみ。いや、ビビンバ頼んだら、石焼か普通のかと聞かれたから都合4種類か。
石焼じゃない方頼んだら、上に目玉焼き乗ってる、アノタイプ。
一緒に行った先輩は「餃子スープ」頼んだら、テールスープに水餃子が入ったやつが出てきた。
ビビンバにも、テールスープ付き。
ウマイ。
おまけに、日本語はなしてるの、店内で俺たちだけ!

3月21日
コイツがついていたら、水戸黄門の旅ももっと楽だったろうに。

しっかり八兵衛
3月20日
戦国末期の剣聖伊東一刀斎について、その姓を伊東と表記するべきか伊藤と表記するべきか、俺とブルースの間で長年の論争を呼んでいた事実である。
実際、文献により、どちらの表記も存在している以上どちらかが絶対的に間違っているということにはならないのだが、しかし、こういうことはハッキリさせておきたいものである。
彼の出身地が伊東地方であることはほぼ間違いのない事実なので、元々の名が“伊東の弥五郎”であったことは承知の事実であり、これをもって論争終了と行きたいところである。ここらへんは、フニャモラーも俺と同意見であったことを最近確認したのだが。
しかして、一刀斎が創始した剣術流派「一刀流」については、これを受け継いだ一刀斎の弟子小野次郎右衛門から相伝されていくわけだが、後に流派が分裂、枝分かれしたときに、これが「小野派一刀流」「伊藤派一刀流」と呼称されたところを見ると、一刀斎の弟子たちは彼を伊藤一刀斎として認識していたことになろう。
と、言ったところで、最近、一刀斎の子孫が実は有名人であることを知りました。

その名を、伊藤彦造

子孫が、そう名乗ってちゃあ、否定するわけにはいくめえよ。
3月17日
よく言われるフレーズ、
「世界中に3人は同じ顔がいる」
これには科学的根拠があるのだという。
調べてみると、この言葉が使われだしたのはつい最近で、1950年代アメリカの統計学者リチャード・キンブルの計算によるものだとのこと。
彼は、人間の顔の作りを、目の形を数十種類、鼻の形を数十種類などに分類し、また、両目間の距離、眉の上下の比率など、一つ一つの要素ごとに同様に分類した。
この、全ての数字の累乗が約12億。当時の世界人口の3分の1に相当するため、確率的に自分にそっくりな人間は3人いる、という報告をなしたのだという。
と、いういつものようなウソを職場でまた垂れ流していたら、
「どうしてそういう嘘を吐くんですか?」と突っ込まれてしまった。
どうしてだろう?
うそ臭い嘘はウィットだと思うが、人によっては、この嘘はホントっぽい嘘なのだという。
ホントか?俺こそ、騙されてないか?
3月12日
御徒町のインドカレー屋でカレーを食す。
前を通りかかったら、メニューにサグマトンの写真があって、何故だか無性に喰いたくなってしまったからだ。
サグマトンとは、ほうれん草とマトンのカレー。
インドカレーでほうれん草入りのときは大概、ドロドロになるまで煮溶かしていて、非常にコクがあってうまいのだ。
セットメニューはカレー2種を選べるとの由。もう一つはエビカレーを食すことに。
ところで、“セット”と“スペシャルセット”は200円違う。何の差か聞いたところ、タンドリーチキンの鉄板焼きがスペシャルには付くのだという。
確かに、見回すと、大勢で会食して行ったらしいテーブルの上には、ステーキなどが出る卓上の鉄板の小さめのやつがいくつか並んでいる。これか。
当然、スペシャルセットを注文。
先に、オードブル的にチキンが出てくる。
鉄板に刻みキャベツが敷き詰められ、その上にチキン。
デュウデュウと旨そうな音を立てて、俺を魅了するこの一品。
キャベツには、油と、チキンから滴るスパイスの染みた肉汁が滴り、コレをからめて喰うのが実にウマイ。
空きっ腹にズシンと来る、たんぱく質的な旨さだ。
肉も、実にジューシー、そしてスパイシー。
この後来たカレーも当然うまかったが、この一風変わったタンドリーチキンの印象がなにやら後を引き、もう一度行きたいと思わせる素敵なお店でした。
店名失念。御徒町駅南口から更に南側のガード下、2階の店だったのだが・・・
3月10日
そうそう、3月7日、猪苗代まで5時間30分の旅程で普通列車の旅を強行したついでに宇都宮で途中下車。
うわさに名高い宇都宮餃子を喰ったのを思い出した。今、掲示板で餃子の話題出てたから。
わざわざ降りて、食べるにあたり、 「うまけりゃ最高。まずけりゃ話題にはなる。平凡な味だったら、それこそがっかりだね」

がっかりしました。

先日ふなっに、徒然肉は亀更新なので月に1,2度まとめて見てると言われました。
頻繁に見てもらうために、下らないこと書いてでも週2,3回は更新しようと思いました。
3月9日
“ス”はスサノオのス
日本古代史の研究家の“新説”を読むと、大抵、この様な表記が目立つ。
地名でも人名でも、頭にスの字が付けばスサノオ由来の命名ということになってしまうらしい。
ひどくなると、蘇我でさえもスサ→スカ→ソカ→ソガとなったことになるらしい。
どっこもあってないじゃん!!
また、トがつくと、卑弥呼の跡継ぎのトヨのことになるらしい。
神宮皇后も本名が豊の字から始まるからトヨと同一人物。豊前、豊後の豊の国は「トヨの国」といったカンジで。
駄洒落としても、レヴェルが低い。
古事記の解釈は、ノストラダムスの預言書並に自由な解釈が成り立つ、魔法の書だ。
21世紀に流行るのは古事記・日本書紀の予言的解釈だと思うが、どうだろう?
3月7日
一昨日から2泊で福島県猪苗代のヴィラ・ポルトガルに行って来ました。
ポルトガル料理は素朴で優しい味だし、キッチン付で持ち込み自由だから好きに夜食も作れるし、結構のんびりできていいところです。
予約の時に、駅からの地図も送ってきてくれる気配り。
この地図が宿の主人の手書きという温かみのある一葉。素敵です。
駅から1キロほど歩いた街のスーパーで買い物した時点で、地図上の工程の2/3を消化していたので、そのまま徒歩でポルトガルを目指したものです。

山を舐めてはいけません。
吹雪いてきました。
何十分歩いても、次の曲がり角の目印である釣堀が見えてきません。
左手には、見渡す限り一面の雪原。辺りも徐々に暗くなります。
手がかじかんで、酒瓶なども入ったスーパーの袋が指に食い込みます。
天は我らを見放したかァ!・・・有名な映画の一節が頭に浮かびます。ヘブライ語でいうとエリ、エリ、レマ、サバクタニ。
いよいよ精魂尽き果ててポルトガルに電話するとき、指が震えて中々ボタンが押せなかったときには、さすがにキているなあ、と思いました。
おじさんの車が迎えに来てくれた時には、救いの神に見えましたとも。

つまり、何が言いたかったかというと、
ポルトガルを利用したくなったなら、それはいいことだ。是非、お奨めしたい。
しかし、送ってきた地図の縮尺だけは、信用するなよ!!
3月1日
朝、出勤したら、1ヶ月くらい前から産休取ってた同僚が、昨日女の子を産んだ、とのニュースを聞いた。
へえ、めでたいねと当然まずはそう思ったんだが、まてよ、昨日!?
ニンニクの日ですよ!4年に一度しか来ないニンニクの日に、わざわざ生まれてしまったのですね。
これは、ツキか、不運か。
1/1461の確率だ。人にも覚えてもらい易いし、俺はツキのほうだと思うな。

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