3月13日
千葉テレビでガンバの冒険の再放送をしている。
当初、あれ、この作品、こんな冗長なアニメだったけ?と思ったが、ノロイ島に着いてから急に緊迫感が増した。やはりココからが本番なのだな。
ところで、再放送のスポンサーが極真会館である。CMの造りがチープでいい味を出している。
しかし、極真戦隊は流石にない。5色がそれぞれ試し割をするのだが、ピンクも男である。
試し割りのできる女くらい居るだろうに。極真なら。

3月5日
一ヵ月半ぶりの更新。
ちょっとネット環境が悪かった。それで、中断したらサボり癖がはじまった、とそんなところか。
親分から「生きてるか」コールがあったので、コレをキッカケにまた書く。

それはそれとして、次回のビッグコミックオリジナルからマスターキートンが復活するらしい。作中時間もリアルと同じく20年くらい経っている、と。
知らない人のために説明すると、インディジョーンズと冒険野郎マクガイバーを足したようなマンガである。タイトルはバスターキートンのもじりだが、内容は別にコメディ映画ではない。
何はともあれ、楽しみな事件と言えよう。

1月23日
見えない居合い。
ブルースと杉並が、「「居合 ドイツ」でググレ。抜く手も見えない居合の動画が上がっているぞ!!」という。

嘘でした……。


「居合 パリ」で検索したら、月刊秘伝でお馴染みの黒田鉄山先生が、コマ落としでも抜刀の過程が見えない業を披露してました。
技じゃなくて業だね、コレ。
このワザのね、理屈は知ってる。理屈は。
当の黒田先生が雑誌で説明してるの読んだから。
しかし、見ると、手品か特撮にしか見えない。
こういう達人が、しかしそこらの在野にはいるらしい。
若い人はそういう人に習って、伝統の神技を後世に伝えていって欲しい。
つらい特訓とかしなくても身に着くらしいですよ。毎日何十年も続けるだけでいいって。
根性より根気。
1月22日
よろしく勇気!

と言うわけで、ブルースと親分と杉並と4人でゴーカイジャーVSギャバンを見に行った。
さすがゴーカイ。安心のクオリティ……というか、大葉健二ショーでした。
さすがギャバン隊長、カッコよすぎる。
しかし、今気づいたが、作中で一回も一条寺烈と呼ばれていなかったな。
いろいろと語りだしたら止まらないが、語りたいことは映画後の4人の新年会で語りつくしたので、言えることは一つだな。
ギャバン好きは見に行け。
そのあとの新年会で居合いや幻魔の話も出た。それはまた後日。
1月16日
長岡市のイタリアン。
イタリアンって長岡市限定、喫茶「フレンド」限定だよね、と長岡出身の職場の後輩に聞いたところ、
「違います。新潟市の『みかづき』も出しています。でも……わたしはこっちが本物だと思っています!」
地元愛が強いね。アツい、イタリアン自慢。
調べたところ、みかづき社長の三日月氏が考案し、その友達のフレンド社長がフォロワーになったんだとか。
本家本元はみかづきでした。
まあ、みかづきはトマトソース、フレンドはミートソースだがね。
だれか、ぺペロンチーノで3匹目の泥鰌を狙ってみないかね?


1月12日
節分に向けて、太巻きが続々発売されている。
恵方巻なんて、もともと極々ローカルな風習だったと聞く(未確認。要出典)。
需要創設の戦略としては正しいと思うがそれ以上に、海苔巻きファンの俺としては、いろいろな海苔巻きが喰えるだけでも良しとしたい。
このところ、コンビニなどを見ていると海鮮巻きが多いように見受けられる。
恵方巻には、海鮮はそぐわないんじゃないか?
しかし、俺は海鮮巻は好きなので……

1月11日
コンビニエンスストアのサンクスでタツノコフェアをやっている。
何のフェアかは知らないが、懐かしのタツノコアニメキャラが並んでおる。
ガッチャマン、キャシャーン、ヤッターマンあたりが真ん中で、
ハクション大魔王やゴールドライタンまでいる。
おっと、忘れちゃいけないテッカマン。もちろん、忘れるわけはないけれど、ポスターの端で見つけたときはちょっとホッとした。
よかった、よかった……まてよ
ガッチャマン、キャシャーン、テッカマン……破裏拳ポリマーはどうした!!
また、ポリマーはおミソかい!
みんな、ポリマーを、ポリマーをお忘れなく。
1月6日
刃牙が勇次郎と闘い始めて久しいが、今度こそちゃんと終わるんだろうな?
引き伸ばし方を考えると心配になってきたぞ。
確かに、刃牙が負ければ実は何度でも続けられる。
烈対ボルトも放置だし、そうなっても不思議はないかもしれん。
しかし、そうなってはおしまいだ。チャンピオンの潔さに期待する。
それよりも、ついになんと孫六のない月刊マガジンを読んだ。
これはなんと味気のない……孫六は、続いても構いません。休載扱いなので、復帰もありえると思います。孫六が宇宙野球と闘って、宇宙ヤクザをぶちのめすまで、終わらないで欲しいと思う。

1月5日
甘くてどーもすみません、で有名な二木の菓子でサルサソースを購入。
ドリトスチーズ2度掛けにつけて食す。
すぐに気づいた。やばい、サルサはデブ製造機である、と。
ハイカロリー食は大概旨い。積極的にカロリーを取らないと死ぬ時代を生きた人間の環境適応で、そう感じるようになったのだ。
一方、取りすぎにも本能で制限がかかる。喰いすぎると気持ち悪くなるのだ。
そこを突き崩すのがサルサですよ。
油多過ぎのスナック食って気持ち悪くなるところを、辛味と酸味がリフレッシュしてくれる。
やばい、サルサやばい。やばい、唐辛子やばい。
食べすぎを食べすぎとして認識できない人間にサルサは適さない。

1月4日
夜、寒いので自販機で缶コーヒーを買ったのですよ。
ショート缶のブラック。
掌の中に重み。何気なく腕を振り下ろしたら、缶は掌を滑りぬけ、アスファルトに叩きつけられた。
スチール缶は爆ぜ、コーヒーを噴きながら路上を転がってゆく。
……軽く振っただけなのに。俺は、自らの行為に、恐怖した。

そして本題。さて、このあと、コーヒー買わざるや否や?
もう買った、とかダメにしちゃった、とかじゃないんだ。
俺はコーヒーを飲みたい。しかし手元にない。手に入れるには120円の代価が要る。
ここまでの状況は、一回目のコーヒーを買う前と全く同一。そして、そのときは事実として買っているのだ。
しかし、すでに一本ダメにしている。買い直すなら、240円で一本の缶コーヒーを飲むと言うことになる。さすがに出せないだろう、そんな大金。
いや、しかし、ダメになったコーヒーは既定の事実として、買った場合と買わない場合の損益を比較してみればいい。
買った場合、結果的に俺は望みどおりコーヒーを飲める。120円はその正当な対価だから損ではない。つまり、買いなおした場合は俺は自らの失策により120円を損なった結果だけが残るのだ。
買わなかった場合、俺はコーヒーを飲めない。120円と言う正式な代価を払って手に入れた、俺の所有する「コーヒーを飲む権利」を失ってしまったのだ。つまり、買わなかった場合は、コーヒーを失った結果だけが残るのだ。
コーヒーの価値は、この場合120円。メーカーが定めた価格が120円だ。
つまり、買った場合と買わなかった場合は等価なのだ。
いや、違った。
コーヒーの価値は120円を超える。まるっきり等価だったらおそらく俺は買おうとしていない。
たまたま飲みたかったから、とか寒いから、とかいろいろな条件が重なっているとは言え、確かに俺はこの商取引に乗ったのだ。120円払ってもなおかつ俺が得だと思ったからコーヒーの代わりに120円を差し出すことに決めたのだ!
だから、ここはコーヒーを失う「買い直さない」選択の方が損失が上だ。
おれは自分を納得させたのでコーヒーを買った。
納得して飲むコーヒーは旨い。
240円くらいの価値はあった。
俺は最後に勝利したのだ。

そういえば、と思う。
商取引は双方が得をした、と思うから成り立つのだ。(労働契約も)
物の価値がその時、その人によって変化する原則を利用する行為だ。
モノはモノ、金額は金額、と固定化して考えると、取引はどちらかが必ず損をする騙しあいの場となる。
価値観を固定化せず、全体が得をする方法を常に考えるべきなのだな。

1月3日
1月2日に真樹日佐夫が死んだ。
ワルとか六本木ソルジャーのあの真樹センセイですよ。
71歳だったとか。俺の親父と同い年かよ。若いな。
サングラス掛けて空手の審判とかしてた、本当の意味での最後の無頼が消えたよ。
まあ、好き勝手生きて死んだのだろうから、冥福は祈らない。

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