久慈ライフセービングクラブとは?

 久慈ライフセービングクラブは、1998年7月、拓殖大学LC出身の松原浩一氏の呼びかけにより、岩手県久慈市の「水泳スポーツ少年団」の指導者やOB,OGによって設立されました。
 98年当時、久慈市内(というより岩手県内)には、ライフセービング?ん・・ダイビングと言われるくらい「水辺の安全を守る活動=ライフセービング」ということは知られておらず、設立当初の市民の人々の関心は冷ややかなものでした。
 それにも増してメンバーは代表以外は全員「素人」・・・。泳ぎすらままならないメンバーもいる中、それでもこの久慈の街に「ライフセービング」を根付かせ、やがて岩手県下にライフセービングの思想を広めていこうという心意気だけでメンバーを募っていきました。
 クラブ発足当初は、プール練習する場所はなんとか確保できたものの、活動する「浜」がなかった(というより岩手県はリアス式海岸が多く、遊泳禁止の場所が多い)のですが、クラブの活動に関心を寄せていたマスコミ関係者の方から「久慈市の北30Kmにある種市町の江戸が浜海水浴場が「たねいち海浜公園」としてリニューアルされるらしい」という情報がもたらされ、さっそく地元である種市町役場の担当者の方に交渉して、「クラブの活動場所として使わせていただく」という承諾を得て、待望の「海」で99年からパトロール活動をすることになったのです。

 99年には「弱小クラブ」ながらJLA(日本ライフセービング協会)の公認地域クラブにも承認され、無謀にも第12回全日本ライフセービング室内選手権大会に東北のクラブとしては初めて出場・・結果は散々たるものでしたが、東北にもクラブありを示し、自己満足!?しながら帰久しました。

 このころになると、久慈LCの活動はマスコミにも登場するようになり、久慈市民はもとより岩手県民のなかにもようやく「ライフセービング活動」という活動の理念が理解されるようになりました。
 そして、2001年、もともとクラブでは赤十字の水上安全法の影響を強く受けていた(というより代表がその指導員)で赤十字と関わりが多かったことから「久慈ライフセービング赤十字奉仕団」として日本赤十字社岩手県支部からも承認登録されました。

 クラブ設立から3年が経過・・・ライフセービングの理念を根付かせるという役割から、2002年、本格的なクラブチームへのステップアップを図ります。

久慈的「ライフセービング論」
 ライフセービングやライフセーバーの定義・・・人によってさまざまだと思いますが、久慈的には次のように定義しています。
        ライフセービングとは、パトロール活動やキャンペーン活動など実践的な活動を通じて
       「水辺の事故防止」を図り、不幸にも事故が発生した場合は迅速かつ適切に事故者や
       傷病者を救助し、医師または救急隊員に引き継ぐまでの応急手当を施して貴重な生命
       を守る活動をいい、ライフセーバーとは、個々人が持つ年齢や能力差があっても「人命を
       守る」ことに誇りを持ち、それぞれに救助に必要な体力を自ら鍛え、知識や技術の習得に
       努力し、日常生活での事故を含む現場で人命を守る活動に従事するともに事故防止の思
       想やライフセービング活動の意義を人々に伝える者をいう


 ライフセービング活動は、熱意さえあれば誰でも活動に参加しうる活動です。しかし、一番大切なことは「人命」を守るために誇りを持って「努力」すること・・・・と久慈LCでは考えています。
 また、ライフセーバーの定義の中で「日常生活での事故を含む現場で・・」となっているとおり、あらゆる事故の現場で救助者としての最善の行動がとれる=バイスタンダーとして人命を守る最善の努力を払うことを求めているのは、
ややもすると泳力や体力の優劣、ライフセービング競技のみに傾倒しがちな部分を自戒するためです。

久慈的「フレンドリィシップ」

 ライフセーバーにとって「相手を認め、フレンドリィシップを高める」ことはとても大切なこと・・・。
久慈LCでも積極的に国内のクラブとの交流を促進したいと考えています。
久慈LCは、岡山LCと非常に友好的な関係を持っています。

岡山ライフセービングクラブのHPにリンク