今日は 宮沢賢治のお話を・・・・

彼の作品、生涯についてはもう、腐るほどの評論、解説、がされています。
私は彼を愛する一読者ですが、研究者でも熱狂的支持者でもありません。
ですから、私の解釈は賢治の作品を読んだあなたが感じるのと同じです。
私の感想文だと思ってください。
あなたはどんな風に思うでしょう?

沢山の賢治の作品の中から、あまりにも有名な「雨ニモ負ケズ」です。

あなたは「人生には価値が無い」「あらゆる存在には価値がない」
と、思うことは怖いですか?

「雨ニモ負ケズ」は清貧な道徳的な生き方を賛美したものではなく
この「人間の存在」について詠っている。と、私は思うのですよ。
価値がある、無い、を超えたところで生きる人間の存在を詠っている。
と、、

では、まず、全文を読んでみましょう。

「雨にも負けず」 賢治の手帖より


雨にも負けず 風にも負けず

雪にも、夏の暑さにも負けぬ

丈夫な体を持ち

欲はなく 決していからず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合とみそと少しの野菜を食べ

あらゆることを自分をかんじょうに入れず

よく見聞きし わかり そして忘れず

野原の松の林の陰の小さなかやぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば 行って看病してやり

西に疲れた母あれば 行ってその稲の束をおい

南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくてもいいと言い

北に喧嘩や訴訟があれば 行ってつまらないからやめろと言い

日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにデクノボーと呼ばれ

ほめられもせず 苦にもされず

そうゆう者に わたしはなりたい


これは 生前に彼が作品として発表されたものではなく、賢治の死後に彼が身に付けていた手帖に書き付けられていたものが発表されたのですね。
原文はカタカナ。
そして最後には、南無妙法蓮華経の題目と曼荼羅というべき諸仏の名が書かれていたのですが、発表された時にはその部分が省かれた形で発表されました。

よく、学校の朗読会では勢いよく元気に読まれることが多いのですが、
賢治は東北の人です。
どうかこれをゆっくりとつぶやくように、東北弁で読んでみてください。
賢治のこころがよりわかるような気がしませんか?

ミンナニデクノボート呼バレ

ホメラレモセズ 苦ニモサレズ

ソウユフ者ニ ワタシハナリタイ


人生は無価値である。生きることは無意味である。
が、そこを突き抜けると見えてくるものがあるのです。
自然は無垢に存在として存在するのに、人は苦しむ。
人は自らが苦しみを生み出す存在であることを知らずに苦しむ。

そんな賢治のこころが伝わってくるような気が私はするのです。
でも、それは、もしかしたら、私のこころを私が自分で聞いているのかもしれません。
賢治の作品はもしかしたら、あなたのこころを映して見せてくれる鏡のような作品なのかもしれません。
優れた芸術作品というのは結構そういうことがあるようですね。

というわけで、
この作品にはいろいろな解説があります。
面白いので、ちょっと見てみませんか?    解説を読む



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