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記事No : 2092
タイトル Re^2: 介護について
投稿日: 2013/06/13(Thu) 10:49:51
投稿者桃青

三森さん
おひさしぶり。その後お身体のほうはいかかですか?

> 家庭で認知症になった方の場合、環境的に介護が難しくなってきていても、なかなか施設のの介護に踏み切れない場合が多いのではないかと思います。

結論から言えば、どんな環境にあっても在宅介護が不可能ということはないのです。←ここ大事。
介護にあたる者が在宅介護をやめる決心をしないかぎり、在宅介護は可能です。

>高齢者の場合、住み慣れた家を離れることへの抵抗もあるし、周りの目(あの家では施設に預けたそうよ)もあるし。
>

在宅介護をやめる決心をにぶらせる要因でしょうね。
介護はつくづく嫌だけれど、周りから非難がましい眼でみられるのも嫌だから、在宅介護を続ける。
ますます嫌になる。
嫌になった頂点で、「もう、世間からなんと言われてもいい!私は鬼嫁。鬼娘。」と、開き直って施設へ入居させる。
こんな道筋をたどるかたは少なくないでしょうね。

施設へ入居させたら、終わり。ではなくて、施設によっては1時間はかかる食事の介助に家族に来て欲しいと言われることもあります。
三度の食事の介助に施設へ通われるかたもおられますよ。
もちろん家族がいなければ、職員が介助するのでしょうが、多人数の要介護者のため、忙しいあまりに丁寧に口に運べば食べるのに、切り上げられて食べられないままになっては、いやしないだろうか、などなどの心配で毎食介助に通う。
それも大変じゃないかと思うのですが、そういう方でも、家で同居して世話するよりは、「本当に楽!」なんですね。

同居での介護が辛い。と感じる者に対して
「辛いと感じるほうが間違っているのだ。
 辛いなどと言ってはいけない。思ってもいけない。」
と、辛さを訴えたい、その口を封じるために語られるのが
「親は、あなたに法華経を受持・読・誦・解説・書写する機会を与えるためにわざわざ認知症になってくださった。
 一家の心を一にする機会を与えるために、わざわざ認知症になってくださった。」
じゃないかと、思われてならないのです。

同居、在宅の介護は辛い。という、その辛さの中身を検討して、一緒に対処法を考えよう。という発想ではないところが気になるのですよ。
辛さの中身とは、大小便の垂れ流しであったり、要介護者の妄想や暴言、暴力であったり、徘徊であったり、自らの糞便まで口に運ぶ異食であったり、周囲の要らぬお節介であったり、
生活のために働いていれば「仕事と介護の両立は難しいっていうのなら、仕事止めればいい。職場にあなたの代りはいても、親を介護できるのはあなただけなのだから。」と言われたり。
そりゃもういろーんなことがあるわけです。
それらをひっくるめて「それらは、みなみな、あなたに法華経を受持・読・誦・解説・書写する機会を与えるためにされているのです。南無妙法蓮華経。」
ではね。
なんのためにお釈迦様は「苦を滅する法がある。」と説かれたのか、って。

> わたしの少ない見聞でいいますけど。病院から介護施設に移すのは、割とスムーズに行くようです。

「うちはうまい具合に病気になってくれたので、助かったわ。」
と、いわれるお嫁さんは多いですよ。

仏教の指導者が、それでお終いでは困るのですけれど。。。


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