記事No | : 2252 |
タイトル | : Re^2: 内観療法 |
投稿日 | : 2013/09/11(Wed) 19:00:52 |
投稿者 | : 桃青 |
HIROMIさん こんにちわ
> 内観療法ってそうなんだ。知りませんでした。
内観療法もひとによってはネガティブな思い出しか浮かんでこないことも当然あるでしょう。
なのでまともな心理療法の現場では、内観療法も様々なアプローチの選択肢の一つという扱いですが、宗教指導者はえてして、対人関係の苦しみを抱えて相談に来るものに対しては、「とにかく感謝ができるようになれば、すべて上手く行く。感謝できるように指導しなくては。」としか思っていないのではないか、と疑いたくなるようなことが多々あります。
> 私は、ココだけの話、舅姑が嫌いで嫌いでしかたなく、
> でも、そういう心は醜い心だ、間違ってるんだ、と自分を戒め、
> なんとか両名を好きになろうと、感謝できるところを探し、
> いいところばかりを意識して、
> なんとか好きになろうと努力したこともありました。
>
> でも、無理でした。
そうでしょう。無理だと思いますよ。
嫌いになるにはなるだけのエビデンスがあるんです。
そういったものをいっさい無視して「嫌いになるほうが悪い。」と押し付ける。
押し付けるほうがにもエビデンスはありますが、それは主に道徳と美しい神話です。
美しい道徳と美しい神話で頭がいっぱいになっているので、相手の苦しみの様相(通塞)が眼に入らないのでしょう。
まずね、「誰かが嫌い」ということ自体とっても苦しいものなのですよね。
誰かが嫌いで嫌いで、心が苦しいのに、そこへ「感謝できないのは私が悪い」という苦しみが加わる。
感謝のおしつけなどやめればいいのに、と思いますね。
> 姑は病であまり長くかからずに鬼籍に入りましたので、
> 我々は介護の苦労をせずに終わりました。
> ですから、「介護をさせないでくれてありがとう。」とは
> 素直に言えますが。
ね。本当に有り難いと思った時て、どうせんでも「ありがとう」と自然に手を合わせたくなるでしょう?
なので、私は、無理に感謝を押し付けることはないって思うのですよね。