記事No | : 2257 |
タイトル | : Re^5: 内観療法 |
投稿日 | : 2013/09/12(Thu) 16:09:17 |
投稿者 | : 大悲山 |
>感謝できない人間は人格的に欠陥がある。
そういう発想しかできないほうが問題(塞)があると思うんですが、そういう心理療法家、宗教者は多いですね(~_~;)
>感謝できるようになれば人間関係は上手く行く。」と思いこんでいるかたには、内観療法は「我が意を得たり。これしかない!」という手法になるのでしょう。
感謝じたいは好いことだと思いますし、人間関係もスムーズに行くことも少なくはないでしょう。
それによって和やかな人間関係を招いたのであれば、ストレスも軽減するのでしょうが、それを原因論に持ち込むことは変な話ですね。
内観では次のように省みるようです。
1、お世話になった事
2、して返した事
3、迷惑を掛けた事
なぜ、まずお世話になった事から始めるのでしょうね^_^;
それと「4、迷惑を受けた事」を付け加えてほしいですね(笑)
そうでないと偏ると思いますわ。
不登校の若者に養育費の計算までさせる事もあるそうです(-_-;)
「そこまでして育ててくれたのか!」と感謝する子もおられるでしょうが、感謝したから病気が治るとは限らない(というか私見では治らないほうが多い)のに、状況は変わらず自責の念だけを募らせるとしたら大変な事になります。
内向的な人は内観は受けない方がよいと思います。
むしろ、政治家とかワンマン社長といった軽躁成分の強そうな人に適してるような(笑)
Googleで「内観療法 弊害 」で検索してみました。
これといって弊害もないので受け易いとか書いてるサイトもあって驚きました。
「内観療法のご紹介と注意点について」という記事はきちんと長短が書かれていて好いと思いました。
>キリスト教圏では、心理療法や精神医学の現場で「神の愛に気付かせる」という手法がよく使われると、某精神科医から聞きました。
うわ・・・なんか恐いですね。
効く時は効くのでしょうが、一時的な方便であってほしいように思います。
日本の精神科医でも摂食障害に、ダイアモンドの心が埋まってると説いて自信を付けさせる医師がいましたが、如来蔵系の経典と似た所があるなあって思ったものです。
私はその手の経典はあまり好ましく思っていないのですが、そういうのが向いている人・・・というか、そういうのが必要な場面もあるのかもしれませんね。
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