記事No | : 2247 |
タイトル | : 何処に滞りがあるのか |
投稿日 | : 2013/09/07(Sat) 19:18:22 |
投稿者 | : 桃青 |
滞り つまり、仏教でいうところの「通塞」の塞ですね。
仏教では、病気に対応するには、病気の発生の仕組みを見破り(破法)、病態を識別する(通塞)ことも大切であるが、病状が好転するように対処しなければ、せっかくの知見(破法、通塞)も役に立たない。
と、言われていますが、眼の前の苦しみを言いたてているひとに破法も通塞もなく、対処しようとするのはどうなんでしょうね。
と、思います。
苦しみもがくひとに美しいファンタジーを呈示して、「これが真実だと信じ込めば楽になるよ。」と、説くしか手段がないのが宗教というのであれば、宗教とはなんとつまらないものだろう。と思う。
勿論、これは「いやいや、仏教はそれだけではおまへんでー。」という思いの反語である。
仏教は破法を説き、通塞を説き、かつ、病状を好転させなければ意味が無い。(中観)と、明言しているではないか。