記事No | : 2261 |
タイトル | : Re^6: 内観療法 |
投稿日 | : 2013/09/13(Fri) 12:32:45 |
投稿者 | : 桃青 |
> >感謝できない人間は人格的に欠陥がある。
>
> そういう発想しかできないほうが問題(塞)があると思うんですが、そういう心理療法家、宗教者は多いですね(~_~;)
>
人間関係にトラブルがあるという状態を成り立たせているものはそればっかりではないのにね。
自分の頭の中に出来あがっているストーリーでしか相手を見ないから、そこに生じている塞を正確に見ることができないのでしょう。
頭の中にストーリーは脇に置いといて、もっと眼の前にある現象をよく見てくださいて。
> 感謝じたいは好いことだと思いますし、人間関係もスムーズに行くことも少なくはないでしょう。
京の舞妓さんの「へー、おおきにー」ですね。
嫌な誘いも嫌な客もはんなり笑顔で「おおきに」とやりすごす。
洗練を極めた最高のマナーだと評価が高い。
余談ですが、認知症の母は自分からは殆ど言葉を発しなくなって久しいのですが、「ありがとう。」「あなたに会えて良かったわー。」という二つの言葉だけは忘れず、この二つの言葉を駆使してデイでもショートでも良好な人間関係を得ています。
でも、私は一度も言ってもらったことがない。
一番世話している私に対しては、いつも思い切り不機嫌そうな様子なのに、他所ばかりで良い顔して、どういうこと?!
と腹が立ったこともありましたが、母にとって私は自分が生んで育てた子供ということで、何の気兼ねも遠慮も要らない、不安も怒りも不機嫌さも安心してぶつけることができる存在なのだろうな。
と、今は腹も立たなくなりました。かと言って楽しくはないですけど。(笑)
> 内観では次のように省みるようです。
>
> 1、お世話になった事
> 2、して返した事
> 3、迷惑を掛けた事
>
> なぜ、まずお世話になった事から始めるのでしょうね^_^;
> それと「4、迷惑を受けた事」を付け加えてほしいですね(笑)
> そうでないと偏ると思いますわ。
>
感謝を引きだすのが目的ですから、そのような構成になっているのでしょう。
> 不登校の若者に養育費の計算までさせる事もあるそうです(-_-;)
> 「そこまでして育ててくれたのか!」と感謝する子もおられるでしょうが、
「親に感謝させようとしているな。」と見破って
「イヤミったらしい」「自分の為にカネを使ってくれと頼んだわけではない。」「教育費をつぎ込んだのには親のミエもあるでしょ。」とますます反発する子もおられるでしょう。
>感謝したから病気が治るとは限らない(というか私見では治らないほうが多い)のに、状況は変わらず自責の念だけを募らせるとしたら大変な事になります。
> 内向的な人は内観は受けない方がよいと思います。
まともな心理療法士や精神科医はそのあたりの弊害も熟知しているので、無闇に内観療法を勧めたりしないでしょうが・・・。
「私は(orあのひとは)これで感謝できるようになって、ぐっと変わった。」と思い込んでいるひとが怖い。
> むしろ、政治家とかワンマン社長といった軽躁成分の強そうな人に適してるような(笑)
>
そういうかたの中には大きな病気を患って、「病気になったお陰で初めて周囲に感謝できるようになった。」と、言われるかたも珍しく無いですが、病気という気弱な時期だからこそ、内観療法めいたこともしてみる気になったということで、元気溌剌で某M教風の自己責任で事業を見ているころには、内観療法などしてみる必要などまったく感じないでしょう。(笑)
またそういうかたが周囲への感謝の目覚めたとおっしゃるので、周囲への感謝に目覚めるとどう変わるのかと見ていると、奥さんへのプレゼントが増えたり、夜出歩くのを控える。くらいに留まることが殆どです。
>
> >キリスト教圏では、心理療法や精神医学の現場で「神の愛に気付かせる」という手法がよく使われると、某精神科医から聞きました。
>
> うわ・・・なんか恐いですね。
> 効く時は効くのでしょうが、一時的な方便であってほしいように思います。
「こんな私でも神は愛していてくださる。」
ということに一旦気付いたら、それを手放しては生きていけないような気持ちになるのではないでしょうか?
「神の愛」を利用する側は一時的な方便にするつもりではなく、一生ものの杖柱を与えるつもりで、クリスチャンの精神科医は患者に神の愛を説くのだと思いますよ。
> 日本の精神科医でも摂食障害に、ダイアモンドの心が埋まってると説いて自信を付けさせる医師がいましたが、如来蔵系の経典と似た所があるなあって思ったものです。
> 私はその手の経典はあまり好ましく思っていないのですが、そういうのが向いている人・・・というか、そういうのが必要な場面もあるのかもしれませんね。
説く側が方便だと解っていれば良いのですけれど・・・。