記事No | : 1642 |
タイトル | : Re: ウソの上に、おためごかしを乗せる。 |
投稿日 | : 2012/09/08(Sat) 12:00:44 |
投稿者 | : 桃青 |
「ボランティアをするために金持ちになるのはよい。」
というおためごかし。
バブルのころには、私の周囲にも、マスコミにも、そんな言葉を吐くひとが結構おられました。
「アメリカ人は、ボランティアしたいために大金持ちになりたいと頑張って、金持ちは大金を社会に寄付することが当たり前なんだ。」と、真顔で言ってる大人もいた。
「自由競争社会では、富の偏在は必至であり、富の偏在を是正するために、キリスト教は富をもっている者に慈善活動をして、富を社会に還元するよう説いた。」
と、いうような解説を読んだこともある。
私は、へーっと思った。
富の偏在が良くないのなら、富の偏在を生みださないような社会をつくるべきだし、金持ちに個人の意思が関与する慈善事業への寄付を呼び掛けるより、金持ちから税金を徴収して、社会福祉を充実させたほうが良いのではないか。
というような私のような考え方が、彼らにいわせれば「大きな政府」
ということになるのであろう。
バブルのころに盛んに言われた、
「ボランティアするために金持ちになりたい。というのはいい。」
と、いう言葉、最近は聞きませんね。
「誰か、カネを回してくれないかなー。いや、カネを回してくれなくてもいい。仕事を呉れー!!」と、いう声ばかりです。
「カネよりは仕事が欲しい。」
これこそが人間本来の健全でまっとうな願いだと思う。
そんなまっとうな願いを持ったものが、社会を支えてきた。
まっとうに仕事して、平凡に生きる。
そういう生き方が保証される社会こそが、健全な社会なのだ。
一人のずば抜けた大金持ちが、「徳の高いひと」と煽てられ、良い気分で、大勢の者達に施しをする社会が良い社会のはずがない。