記事No | : 1644 |
タイトル | : Re^2: 徳の高いひと? |
投稿日 | : 2012/09/08(Sat) 18:49:47 |
投稿者 | : 桃青 |
でもね。
明治政府の「忠臣」のプロパガンダに利用された児島高徳だって、
周囲が忠臣だの、武士の鑑だのと祭りあげたわけで、自ら名乗ったわけではない。
でも、某M教は、自ら「我々は地の塩だ。世の模範だ。」ですからね。
世の模範なんてのは、周囲が「ああ、あのひとを模範にしたいなー。」と自然と思うものじゃないですか?
そもそも、「見て見て!私って、徳が高いひとよ!」
て、これみよがしに振舞うひとが徳が高いわけがないでしょう。(笑)
しかし、某M教のかたに言わせると、
そのような考え方は、日本的価値観で、アメリカでは
「いかに自分が徳が高いかをアピールするのが当たり前なんだ。」
そうだ。
で、「はいはい、あなたは徳の高いひとですよ。」
と、いうまで「私って、こんなに徳が高いのよ。」
て、言い続けるんです。
例えばですね、実際、こんなことがありました。
学校で起きている問題を問題提起したら、
「私は、そういうことはしていません。私はこのように子育てして、子供には全く問題がありません。」
と、言いだす。
一時が万事、どんな場面でも、ちょっとしたとっかかりがあれば、「褒めてもらおう」と、自分のことを語りだす傾向があります。
誰かが苦しんでいる学校の問題を解決するより、自分が褒められることのほうが大切なのでしょうか。
「世に称賛されるひとになりなさい。」「世の模範となりなさい。」
と、しょっちゅう言われているとそうなってしまうのか、
「褒めて育てる。」の弊害部分なのか。
ほめられもせず、苦にもされず。
黙々と菩薩行する宮沢賢治の生き方や、
空中に文字を書くごとく、修業しなさい。
という天台の教えとは真逆ですね。
でも、聖書でも、右手がしていることを左手に教えるな、とかなんとか陰徳を説いているはずなのになー。