記事No | : 1678 |
タイトル | : Re^6: 某M教的気になる思考、その一 |
投稿日 | : 2012/10/01(Mon) 11:23:20 |
投稿者 | : 桃青 |
> また、当時の時代の流れスピードからいって、1857にユタ戦争が終結したばかりで、明治初期に日本に伝える力があったか?確かに鑑三は米国に留学しているが、ちゃんとした神学校に学んでいます。
> ジョセフスミスを礼賛することは絶対無いと思いますけどね。
某M教が日本へ最初に伝道を試みたのは、明治34年(1901)です。
新聞等で有害宗教と批判がされるなか、大正14年(1924)には撤退しています。
内村鑑三は、1884年〜1888年アメリカへ留学したものの、当時のアメリカのキリスト教会や神学校の状況に、どこへいっても次々に失望した。
と年譜にありますから、そのキリスト教会からこぞって批判される某M教に同情的であったとしても不思議はないと思うのですが・・・。
無教会派を提唱した内村鑑三氏からみれば、既成教会の権威を否定し、「会員のみ」という某M教会の主張にも共感できるものもあったのではないでしょうか。
また『代表的日本人』では、日蓮について
「彼のことを山師だ、詐欺師だと世間のひとは言うが、」その宗教的情熱は尊敬に値する。というような記載もありますので、
ジョセフスミスに対しても、そのような評価をもっていたとしても不思議はないでしょう?
「アメリカで、ジョセフスミスがアメリカのキリスト教を創造したように、日本で日蓮が日本の仏教を創造したように、日本には日本のキリスト教を創造しなくてはいけない。」
と、いうような内村鑑三の文章を確かにどこかで見た記憶があるのですが・・・。