記事No | : 2177 |
タイトル | : Re^4: 高齢者のかたへ |
投稿日 | : 2013/07/24(Wed) 16:11:00 |
投稿者 | : 桃青 |
> 賽の河原で石を積む子供達、無慈悲な鬼が積むたびに壊していく。
> 「一つんでは父のため、二つつんでは母のため・・・」といいながら、つんでいく。
5、6歳くらいのころだったか、伯母がこの話をしてくれて、私は悲しくて、悲しくて・・・あまり悲しかったので、その夜は自分が河原で石を積んでいる夢をみたくらいです。
>親のない子は可愛そうですね。
確かに、現在の社会では、親がいないと様々な面で不利益を蒙りますものね。
親のない子も親の有る子も「生まれて来て良かった!」と、思えるような社会にしたいですね。
某M教のようないわゆる「家族教」が「家族が一番!」と、言い過ぎると、そういう社会の実現の妨げにもなりますし、親のない子を必要以上に悲しませるにことにもなるのではないかと思います。
>桃青さんも孝行するのは親の生きている間ですよ。
いえいえ、親への孝行が出来るのは親が生きている間だけではありません。
「儒家の孝養は今生にかぎる未来の父母を扶けざれば外家の聖賢は有名無実なり、外道は過未をしれども父母を扶くる道なし仏道こそ父母の後世を扶くれば聖賢の名はあるべけれ、しかれども法華経已前等の大小乗の経宗は自身の得道猶かなひがたし何に況や父母をや但文のみあつて義なし、」
(『開目抄』)
です。
名もなき凡人さんが、考えておられる「親孝行」は、此処でいわれている「儒家の孝養」にあたるのではないでしょうか?
>人間、年をとっても仏様にとってはガキ同然。
ほんとにそうですね。
仏は有り難いです。
> おどま凡人凡人。凡人には非凡な偉人(釈迦やキリスト)は理解しがたい。
理解しがたいからこそ、求めてやまない、ということもあるのでしょうね。