罪深き絆

 

第三章・炎心・1

 



 聖地、女王や守護聖たちの住む場所、または宇宙一美しい土地として人々の口に上る。聖地に上る人は限られたほんの一握りの人に過ぎなく、殆どの人々は聖地を見ずに一生を終える。だからこそ口癖のように言うのだ、聖地を見ることができたら、真でもいいと。
 聖地の美しさは普遍だ。女王や守護聖が交代しようとも、いつの世も聖地だけは変わらない。実際、聖地は全てのサクリアの発信源として常に若く瑞々しいのだ。
 でも自分には全てが色あせ、何も感じなくなってしまった。
 聖地は以前と同じように美しいのに、虚ろになってしまったこの心には、その美しさはただ鬱陶しいだけだ。
 理由はわかっている。わかっていてもどうしようもない。ただじっと息を潜めて立っているだけだ。
 風が吹いていた。
 心地よいその風に髪をなぶらせて、庭園を歩く。
 聖地の日常も変わらず、過ぎてゆく。
 以前から、変化のない聖地に対して、釈然とした気持ちがなかったわけではない。
 滅びの波動が消えると、聖地は何事もなかったように、その顔を取り戻した。
 そういった時にいつも思うのだ。宇宙で一番美しく残酷な場所だと。
 あの人が去ってから、俺の心は凍りついてしまった。
 まるで、中心から光が取り払われたように……。






 扉が大きく開け放たれ、その中から飛び出してくる姿がある。その人物は悪態をつきながら、出てきたばかりの扉に向かってアカンベーをした。
「…ったく、あいつのしつけぇのにも、参ったぜ」
 ブツブツ言いながら、早々にその場から退却しようとする。……が、行く手を何かにぶつかって阻まれた。
「このタコッ野郎! 前見て歩けよなっボケッ!」
「誰が、タコだって?」
 頭上から響く低音に、ぎょっとなって恐る恐る見上げる。
「ゲッ! オスカーッ!」
 オスカーと呼ばれた赤毛の青年は、余裕を持って目の前の少年の肩を掴んで回れ右をした。彼の意図を悟った少年は暴れ始めた。
「何しやがんだ! あいつの説教なんざ、もう十分聞いたぜ。離せよ、この野郎!」
「ほぉう、言ってくれるな、ゼフェル。ジュリアス様に呼び出されてから、まだ5分と経っていないぜ」
 オスカーはアイスブルーの瞳を細めて言った。
「てめぇは、いつからあいつのタイムキーパーになったんだよぉ!」
「俺はジュリアス様が必要とあれば、何にでもなれるんだぜ」
 暴れるゼフェルを無視して、ジュリアスの執務室の中に彼を押し込んだ。
「ご苦労だった。オスカー」
 部屋の主、光の守護聖ジュリアスはオスカーにねぎらいの言葉をかける。オスカーは軽く一礼すると、ジュリアスの座る机の横に控えた。ジュリアスはそんなオスカーを頼もしげに一瞥したのち、部屋の中央で反抗的に立っているゼフェルに目を向けた。
「ゼフェル、二度の女王試験を経た今、宇宙も聖地も安定しているとは言え、そなたの行動は守護聖として軽率とは思わぬか」
「……けっ」
 ジュリアスの言葉に、ゼフェルは床にツバを吐いた。
「ゼフェル! ジュリアス様の御前でその態度は何だ!!」
 オスカーはゼフェルを捕まえようと、一歩前に出る。ジュリアスは手を出して、オスカーを制した。ゼフェルは反抗的な態度を崩そうとしない。
「関係ないじゃん。オレがどうしようと、あんたがいる限り、この聖地も宇宙も間違いなく正しく動いていくんだ。オレはただ必要なサクリアだけ供給すれば、それ以外なにをしようが自由なはずだ。あとはあんたの決めたことを聞いてりゃいいんじゃねえのかよっ」
 そう言ってあざ笑うように、ゼフェルはジュリアスを睨みつけた。
「もう、そういうわけにはいかぬのだ。そなたもいい加減自覚を持たぬか」
 ジュリアスは静かな声で言った。
「あんたも毎度、同じ事言ってよーく飽きねいなぁ。ああかったるい、部屋に帰って寝るかぁっ」
 ゼフェルはつまらなそうに、部屋から出ようとする。
「待つのだ、ゼフェル」
 呼び止めるジュリアスの声を無視して、ゼフェルはヒラヒラと手を振った。
「待つのだ!」
 断固としたジュリアスの声にゼフェルは足を止めた。いつものジュリアスなら、注意はするが本気で怒っている素振りは見せない。だが、今日の碧い瞳はこれまで見せなかったほどの硬質な光を浮かべて、ゼフェルを射貫いた。
「な、なんだよ…」
 ゼフェルは少し気後れしながらも言い返した。ジュリアスの横に立っているオスカーも、普段と様子の違うジュリアスの次の言葉を息を殺して待っていた。張り詰めた空気の中で、ジュリアスは口を開いた。
「私は近々、聖地を出る」
「ちょっ、ちょっと待てよ、ジュリアス。…それ、ほんとかよ」
 それだけ言うと、ゼフェルは絶句した。
「…………じょ、何かタチの悪いジョーダン、じゃないかよ…」
 気を取り直して、引きつった笑い声を上げながら、目の前のジュリアスを見る。
「嘘ではない。………私は昨日新たな光の守護聖を見てきた」
 ゼフェルは守護聖が生きがいのジュリアスが、冷静にそう言うのを見て驚く。そしてその目の端で硬直しているオスカーを捕らえた。
(………もしかして、こいつも今聞かされたばかりかよ…)
「……わあったよ。とりあえず、仕事だけはまじめにやってらやぁ。…と、言うことで、オレはこれでけぇるぜ」
 部屋に漂い始めた不穏な空気を察し、素早くゼフェルは去っていった。
「…全く、いつまでもあんな反抗的な態度では、思いやられるな」
 ジュリアスは軽くため息をついた。
「…………っ!」
 横から聞こえてきたうめき声とも、歯軋りともつかない音に、ジュリアスは秀麗な眉をしかめた。「オスカー、何だ。下品だぞ」
 ドン! と大きな音を立てて、オスカーは机を叩いた。
「ジュリアス様っ! 聖地を出るって、出るって、本当なのですかっ!!」
 青白い炎を瞳に宿して、大声で怒鳴るように問い詰めた。ジュリアスはその迫力をものともせず、平然と受け流す。
「本当だ。このような冗談を私が言うと思うか」
「でしたらなぜ、もっと早く俺に知らせてくれなかったんですか」
 オスカーはなおも激しく詰め寄った。
「予兆はしばらく前からあった。だが確証のないことでそなたやまわりの者たちに、いらぬ心配はかけられぬではないか。それに正式に陛下に報告したのはつい先程のことだ。遅いということはあるまい」
「…………そうですか、あなたにとって俺はその程度の存在だったんですね。あなたの片腕として苦楽を共にしてきたと思ってきたのは、俺の独りよがりだったんだ」
 投げやりにオスカーは言った。
「オスカー、物事には何事も順序があるのだ」
「ええ、わかってますよ。あなたにとって俺はゼフェルと同じ順番なんですね」
 吐き捨てるようにそう言うとオスカーは、スタスタと部屋を出て行った。
「オスカー……」
 ジュリアスはやれやれと言うように、そう呟いた。

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