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分岐点
初めて北海道の地を踏みしめたのは、まだ学生だった頃の2月の函館。
急行津軽と青函連絡船を乗り継いでの、はるばる感に満ちた上陸でした。
五稜郭の近くの、その名もズバリ『五稜』という民宿に泊まり、翌朝、そこのオババに聞いてみました。
「松前と江差、どっちが面白いですか?」
その晩の札幌行き夜行鈍行に乗るツモリだったワタクシは、どちらか一方しか訪れる時間が無かったのです。
しばらくの沈黙の後、オババは静かに語り始めました。
淡々とした口調と言うよりも、詰まった答えを搾り出すような感じでした。
「う〜ん。夏だったら江差だけんど・・・・・桜が咲けば松前が・・・・
江差はゴニョゴニョ・・・・松前はムニャムニャ・・・・」
「も・もういいです」
と、ノドまで出かかった時、オババがフイにキッパリと告げました。
「松前っ!!」
オババはそのままクチをヘの字に結び、あとは何も言いませんでした。
松前駅のすぐ近くの松前城は、五稜郭よりも雪まみれ度が高く、何を見ていいんだかさえも判らない状態です。
後に
「北海道の人は松前を誉める。それは内地的な雰囲気への憧れであって、内地の人には面白くない場所である」
などと聞いたのですが、その時の感想は、まさにその通りでした。
さっさと駅に戻って時刻表を見上げると、今からソッコーで江差に向かえば、3時間くらい滞在しても函館に戻れる事が判りました。
そうと決まれば、もう松前には用はありません。
アタフタと列車に飛び乗るだけです。
夕方の気配に溢れた江差駅を出て、トボトボと街外れまで歩きました。
イイカゲンにクサレ雪歩行が嫌になった頃、ふいに海辺に出たのです。
そこは漁港のような雰囲気のところで、目の前には陸続きの鴎島がデンッと鎮座し、もうそこに行く以外の選択肢しか無く感じます。
鴎島の小高い丘の上に登る道は、膝下くらいまでの雪に覆われ、足跡の縦穴がポコンポコンと残っているだけでした。
その穴をなぞるようにして丘に登れば、疲れ果てたように真っ平らな雪原と、生真面目に沖まで白波を並べ揃えた海とが見えるだけでした。
全てが終わってしまったかのような荒涼とした風景だったのです。
「江差って、こんなトコか」
それが正直な感想でした。
でも、いったい何に魅せられてしまったのでしょうか。
そんなトコに自分も同化してしまったかのごとく立ち尽くし、バカのように雪原と海のコントラストを見続けていたのです。
江差駅に戻る道は、すでに薄暗くなっておりました。
前方から、制服姿の女子高生が歩いてくるのが見えました。
クサレ雪に足を取られているにしても遅すぎるくらいのスピードで、
「歩く理由は無いけど、立ち止まる理由も無い」
といった感じにさえ見える、タラタラとした歩調でした。
ワタクシとの距離が5mくらいになったとき、彼女は立ち止まりました。
その目的はワタクシらしく、こちらに向かって笑みを浮かべるのです。
ハニカミもタクラミも感じられない、妙にホンワカとする微笑みでした。
イナカの半ツッパリ風でスレンダーな彼女は、アイサツもソコソコに、人違いじゃないかと思うほど、親しげな口調で話しかけてきました。
「ねぇ、どっから来たの?」
「か・鴎島から・・・・」
そう答えて、ワタクシは自分のウロタエに気がつきました。
彼女は、そんな事を聞いてきた訳ではないのでしょう。
どこから北海道に来た旅行者かを聞いたに違いありません。
「東京から」と答え直さねば・・・・・
その訂正のセリフは、彼女に先を越されました。
「東京の人なんでしょ?奥尻島にでも行ってきたの?」
かろうじて「東京から」というフレーズのみを用意していたワタクシは、それが不要となった今、
「う・うん、そう。で、違う」
などと、どっちだか判らないセリフを述べるのがやっとでした。
屈託の無い彼女、ぎこちないワタクシ。
立ち話を続けるクサレ雪の中で、ワタクシは妙にドキドキしておりました。
この先の展開をアレコレ想像し、勝手に舞い上がっていたのです。
「エンコー」や「オヤジ狩り」なんていう言葉すら無い時代ですし、ワタクシが「オヤジ」に仲間入りするのはまだまだ先の時代です。
何の疑いも持たない、純粋な「ドキドキ」だったのです。
話がひと段落したところで、ふいに彼女が上目遣いで聞いてきました。
「で、これからどうするの?」
何気ない質問と言うよりも、「ある答え」を誘導している口調でした。
結局、鴎島の近くの安宿で朝を迎えました。
「ゴメンね。明日はガッコーだから見送れなくて・・・」
深夜に安宿から帰って行く時の彼女は、出会った時の自信に満ちた表情は消え失せ、やるせなさを隠しきれない人工的な笑顔を浮かべるのが精一杯といった様子でした。
なぁんてのはウソなのです。モーソーなのです。
ホントのワタクシは、彼女の
「で、これからどうするの?」
という誘いに対し、
「えきえき、駅。駅にはどう行けばいいのかなぁ?」
などと、裏返った声でブザマな質問をしてしまったのです。
そして、それに答える彼女の道案内が終わるや否や、異常に理解力が優れたシトの様に、一度も聞き返す事もなく駅に向かってマッツグに、妙に早足で立ち去ってしまったのでした。
「で、これからどうするの?」
暗闇を走る函館行きヂーゼルカーの中で、先ほどの答えを考えました。
「未知なる北海道の旅は始まったばかりなのだ。入り口あたりの江差なんかで道草食ってるヒマは無い」
なんだかそれは、わざと負けた後出しジャンケンのようなイイワケです。
ホントにそれが答えならば、うろたえる必要は無かったハズですから。
「まもなくぅ、木古内ぃ、きこないぃぃ・・・・」
さっき松前から戻ってきた時に、江差行きに乗り換えた分岐駅です。
その時は何も問題なく江差行きに乗れたのですが、その後に江差の街中で何かを乗り換え間違ってしまった気分でした。
「で、これからどうするの?」
あの時の彼女のセリフが、アタマの中で繰り返されます。
先ほどのモーソーは、明らかに出来過ぎでしょう。
それどころか、「誘い」と受け取った事自体が勝手な思い込みで、単なる社交辞令の質問だったのかも知れません。
まあ、その可能性のほうが高かったりするのでしょう。
そんな事は判ってんのさ!へへへんのへん!!
いずれにしても、もう見えなくなった木古内駅の灯の様に、遥か後方に消えてしまった出来事なのです。
キツキツに4人ずつ詰まった札幌行き夜行鈍行の座席も、森駅を過ぎる頃には殆どの人が眠りについているようでした。
なんだか寝そびれたワタクシは、二重窓にヘバりついた氷などを眺めておりました。
「で、これからどうするの?」
振り向くと、函館駅を出てから二言三言を交わした斜向かいの席のオヤジが、いつのまにか目を覚ましていたのです。
ワタクシは、そのオヤジの問いかけに対する答えよりも、
「オヤジが足元に転がしたワンカップの残骸が邪魔臭いなぁ」
なんて事を、ボンヤリと考えておりました。