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夜襲・熊本駅(1984冬・九州)
まだJRの誕生前だった学生時代の正月休み、ワタクシは国鉄の『北九州ワイド周遊券』を手に旅に出ました。
これは、熊本駅と大分駅を結ぶ豊肥本線よりも北側の九州内の国鉄が乗り放題というキップです。
九州までの往復の分の運賃も含まれていて、とにかく乗れば乗るほど得なのです。
また、自由席であれば急行にもタダで乗る事ができました。
ボンビー学生であるワタクシには、とにかく嬉しいキップだったのです。
ただし、東京から九州までイッキに走る自由席つきの急行列車は存在せず、その間は鈍行列車が頼りです。
深夜の東京発の大垣行き夜行鈍行を皮切りに、東海道本線・山陽本線の鈍行をコマギレに乗り継ぎ、九州に辿り着いたのは再び夜でした。
さらにそこから長崎行きの夜行鈍行に乗り継ぎ・・・・
そんな乗り方がラクチンな訳がありません。
くどいですがボンビーなワタクシ、極限までにゼニを節約したかったのです。
夜行列車に乗っている限り、宿泊費はタダな訳ですから。
この頃はすでに、最終列車から始発列車までの間は、駅の施設から客を締め出すのがフツーになっておりました。
防犯上の理由と言う事ですが、実際にはホームレス対策でしょうか。
しかし嬉しい事に、深夜に夜行列車が停車する熊本駅とか大分駅とかは24時間開放されておりました。
コレを利用しない手はありません。
九州と言えども真冬ですから公園などで野宿と言う訳にはいかず、駅の待合室は快適な仮眠スペースなのです。
実際にワタクシは、まずは大分駅で一夜を明かしました。
夜行急行「日南」にて深夜の大分駅で下車し、乗り換えの始発列車を待つフリをして待合室で過ごしたのです。
大分駅の待合室では、ときおりガードマンが現れ、ホームレスを見つけると退去させていました。
誰がどう見てもホームレスのオッサンが、鹿児島観光ミヤゲの紙袋を抱え、ミエミエながらも観光客を装っていました。
そしてガードマンが現れるとオモムロに観光ガイドブックを取り出し、懸命に読んでるフリをして上目遣いにガードマンの様子を窺っているのです。
その努力が認められたのか、そのオッサンが退去させられる事はありませんでした。
何日か後、今度は熊本駅で夜を明かす事にしました。
夜に熊本駅の待合室に入り、未明に停車する門司港行きの夜行急行「かいもん」を待つ客のフリをする作戦です。
どうせなら夜行急行に乗り通したほうが楽なのでしょうけれど、持ってるキップでは大分や熊本より南には行けないのです。
そんな熊本駅で、ヒジョーに後味の悪い出来事に遭遇するハメになったのでした。
終夜営業のキヨスクもある広い待合室には、20人ほどの乗り換え客が転々と座っていました。
一列が5人掛けのイスは都会の通勤駅にもよくあるタイプ、一つ一つが丸く独立した樹脂製のイスで、横に寝転ぶ事は困難です。
マタの間に挟んだ荷物にもたれ掛かって仮眠する人、雑誌を読みふける人、思い思いに無言で列車を待ってます。
なんだか寝付けないワタクシは背もたれに深く寄りかかり、ウォークマンで音楽を聴いていました。
そんな静寂に包まれた待合室に、ふいにアイツらが入り込んで来たのです。
ひとりは恰幅のいいパンチパーマのコブトリの男、そしてチンチクリンな痩せ男、ともに40〜50台に見えました。
ヤツラはイスに座るでもなく、待合室の入口あたりに突っ立ったまま、なんだかイヤな目つきであたりを覗っているのです。
程なくして、ヤセ男が動きを見せました。
荷物も持たず、マンガ雑誌を読みふけっていたアンチャンの隣に座り、なにやら話しかけたのです。
アンチャンは飛び跳ねるように立ち上がると、隣の席に置いていた雑誌や新聞を放置したまま、脱兎の如く待合室から走り去りました。
ヤセ男とはどんな会話がなされたのか、そして何が起ったのか、サッパリ判りません。
その雑誌を少しばかりパラパラと眺めた後、ヤセ男は徘徊を始めました。
相変わらずコブトリ男は入口近くに突っ立ったままです。
今度は老夫婦の隣に座り込み、またまた何やら話しかけるヤセ男。
オバァが激しく首を横に振るのが見え、ヤセ男はキミの悪い笑みを浮かべながらゆっくりと立ち上がり、そして再び徘徊し始めました。
ヤセ男は、何かしらインネンをつけて周ってるに違いありません。
なんだか良くない展開である事を誰もが感じ始め、待合室は緊迫した空気に包まれました。
その時、コブトリ男に負けず劣らずの恰幅の良いヒゲのオッサンが、コドモを連れて待合室に入ってきました。
手ぶらでジャージ姿なところから、列車を待つ客ではなく、キヨスクに何かを買いに来たのでしょうか。
ヤセ男は、そのヒゲのオッサンの所に歩み寄り、やはり何かを囁きました。
ヒゲのオッサンは、ヤセ男と二言三言会話をしています。
なかなかのコワモテのヒゲのオッサンに、期待に満ちた視線が集まりました。
そのカンロクで、怪しげなヤセ男を撃退してはくれないだろうか・・・・
そんな期待は裏切られ、ヒゲのオッサンは何も買わずにソソクサと待合室から出て行ってしまったのです。
待合室は、再び緊張感と、そして新たに失望感にも包まれたのでした。
そしてついに、ヤセ男の足がワタクシの前で止まりました
き・来たぁ!!
なんだか、ロシアンルーレットに当ってしまった気分です。
ヤセ男はワタクシのほうに振り向くと、オモムロにワタクシのヘッドフォーンを払い落としました。
「こんなん聴いてるんじゃねぇよ」
初めて聴いたヤセ男の声は、妙にカン高い、耳障りな叫び声でした。
「なにをしやがる!」
ワタクシが思わず叫び返すと、ヤセ男は何も言わずにコブトリ男のいる定位置に戻りました。
そこでコブトリ男とヒソヒソと話し、再びワタクシの前に戻ってきたヤセ男。
「おい、アニキが話しがある。コッチに来い」
ワタクシに小声でそう告げると、アゴでヤツラの定位置のほうを指し示しました。
その定位置では、アニキと呼ばれたコブトリ男が鋭い目つきでコチラを睨み付けています。
遂に、インネンに応じてくれた相手が出現したと言ったところでしょうか。
黙って耐えていれば良かったのかもしれませんが、いまさら下手に出てもムリでしょう。
しかし、ノコノコとついていくバカがいる訳がありません。
「用事があるなら、ソッチからココに来い!」
ワタクシはそう切り返しました。
ここには20人もの人が居るし、キヨスクのオッサンの目にも入るのです。
そんな手口には乗らないのです。
ヤセ男は、またまた無言で定位置に戻り、再びアニキとヒソヒソ話しです。
今度はコチラには来ず、ヤセ男とアニキ2人して、定位置から叫び声をあげました。
「話しがあるって言ってるんだ。はやくコッチに来い!」
「なんだオマエ! オトコだろう。意気地がねぇのか!」
そんな事を口々にホザいてきやがるのです。
意気地があろうが無かろうが、ご招待に応じる訳にはいきません。
人目の無い所に連れ出され、2人がかりで何かされちゃうのは必至です。
もしかしたら、外にはお連れ様がお待ちかねかも知れないのです。
「だから、ソッチが来い」
「いんや、ソッチが来い」
そんな見苦しい叫びあいの応酬の間も、他の人々は微動だにしません。
キヨスクのオッチャンもです。
なんだか他には誰も居ないような、果てしない孤独感を味わいました。
しかしヤツラも人目を気にしてか、コチラにやってきてムリヤリ連れ出すような事はしませんでした。
どちらからともなく叫びあいも終わり、ヤツラは定位置に立ったままじっとしています。
おそらく狙いをワタクシに絞り、席を立つのを待っているのでしょう。
例えば、トイレに行くとか・・・・・
重苦しい時が流れました。
5分、10分、それとも何分経った頃でしょうか。
「もうガマン出来ない!」
いきなり、60年輩のオヂサンが席を立ちました。
「オマエたち、いったい何をやってるんだ!」
定位置にいるヤツラに向かい、そう叫んだのです。
一瞬はキョトンとしていたヤツラでしたが、ヤセ男が足早にオヂサンの元に向かいました。
ツカツカとオッサンの目に前に仁王立ちしたヤセ男に対し、
「メイワクだろうが」
オヂサンはそう叫ぶと、柔道の足払いのような技を仕掛けたのです。
ヤセ男が尻餅をついて床に這いつくばるのを見届けると、アニキが小走りで駆けつけました。
「オマエら、何者だ!」
「ココじゃ何だから、オモテで話ししようじゃないか」
「おうっ、行こうじゃないか」
アニキを先頭にして、3人は待合室から出て行きました。
待合室に残された人々は、ワタクシも含め、一人残らずその後姿を見送るのみでした。
とてもイヤな展開です。
案の定、外からはドスンバタンという音が聞こえ始めてきたのです。
どうみても正義はオヂサンの側であり、もしかしたらワタクシを助けようとしての行動だったかもしれません。
どうしよう・・・
ココはワタクシも行くべきだろうか・・・・
そうすれば、とりあえず頭数は2対2だし・・・
しかしワタクシは、まるでヘビに睨まれたカエルのように凍結し、イスから立ち上がる事は出来ませんでした。
ヤツラが刃物とかを持っていたら・・・外に仲間が居たら・・・・何かあっても、誰も助けてくれなそうだし・・・
自分も助けようとしない一員でありながら、とにかく恐怖で身動きが出来なかったのです。
なにしろワタクシは、ヤツラに逆らったもう一人のニンゲンなのですから。
「オヂサンの次は、自分がヤラれる」
そう思うと、外から聞こえるドスンバタンという音が、果てしなく恐ろしかったのです。
10分ほど経ったでしょうか、アニキとヤセ男が待合室に戻ってきました。
ヤツラはキヨスクでミカンを買い、イスに座って食べ始めました。
程なくして戻ってきたオヂサンが無言でイスに座わると、
「よぉ、アンタも食べるかい? ひとつゴチソウするよ」
満面の笑みで、オヂサンにミカンを差し出すアニキ。
平和に話しがついて仲直りした訳では無い事は、それに対するオヂサンの答えで明らかです。
「何がゴチソウするだ! ワシのカネじゃないか!」
「そんな事言うなよ。がははははは」
もう、オヂサンが何をされたかは確定的です。
そしてワタクシの恐怖は最高潮となりました。
「次は自分が・・・・・・」
その恐怖感は、ミカンを食べ終わったヤツラが外へ出て行ってしまってからも収まりませんでした。
今から思えば、ヤツラは事を起こした以上、いつまでも現場でトグロを巻いてる訳がありません。
それでもワタクシはただただ怯え、急行「かいもん」が来る時刻をひたすら待ち続けておりました。
ヤツラが去ったのを見届けると、オヂサンはヨロヨロと立ち上がり、キヨスクに向かいました。
「ココにデンワは無いのか? 警察を呼びたいんだが」
「デンワは外!!」
キヨスクのオッサンは冷たい口調で告げ、忙しいフリを装ってオヂサンに背を向けました。
そしてオヂサンが待合室から出ていくと、
「へん。ケンカなんかするから・・・」
そんな事を、待合室の誰にも聞こえるように言い放ったのです。
客ではない立場の唯一のニンゲンである自分が、何もしなかった事へのイイワケなのでしょう。
しかしソレを責める資格があるのは、ワタクシを筆頭に誰も居なかったのも事実でした。
「まもなく、急行かいもんの改札を開始いたします」
天から降りてきた蜘蛛の糸のような放送が流れ、それまで凍結していたワタクシは席を立ちました。
もともとは乗る予定は無かったにも関わらず、まるで先祖代々からのシキタリにでも従うかのごとく、ワタクシは無条件で改札に向かったのです。
後ろを振り返る事無く改札口を抜けると、妙にホッとする気持ちと、後味の悪さが交錯しました。
ギクシャクと降りたったホームでは、最後までオヂサンの姿を見かけることはありませんでした。
急行「かいもん」は思った以上に混んでいて、席に座れなかったワタクシはデッキに立ち、ボンヤリと外を眺めていました。
そして街の灯りが後方に遠ざかるたびに、なんだかホッとした安らぎを感じていたのです。
おぢさん、本当にごめんなさい。
そしてオマエラ、今度会ったらタダじゃおかないぞ!
アンタラも、もうイイカゲンな歳になっているだろうから・・・・・