「週末の放浪者」TOP夜明け前>青春の能登半島

青春の能登半島(1985年頃・舳倉島)


舳倉島

夜行急行の、気を抜けばバタバタと勝手に戻ってしまうインチキリクライニングシートに悩まされ、寝不足でヘロヘロになりながら降り立った金沢駅。
そこからローカル線に乗り換えて北上すれば、いよいよ能登半島に突入なのだ。

羽咋駅で下車し、そこからバスに乗り継いで能登金剛なる観光地らしき所に。
「来ちゃったんだから仕方ない・・・」
なんて言いながら遊覧船にのり、なんとなく観光は終了。
次に目指す関の鼻(松本清張作:ゼロの焦点に出て来る断崖絶壁)まではバス路線が無く、ヒッチハイクを試みる。
それは、生まれて初めてのヒッチだったのだ。
しかし、そう簡単にクルマが止まってくれる訳も無く、オロオロと時ばかりが過ぎてゆく。
挙句の果てに、通りがかりの地元ゾッキーに
「ゴクローさん!」
などとヤジられる始末。
ゴクローと思うならば乗せて欲しいキモチと、あまり関わり合いになりたくないキモチが交錯する中、それでもクルマは停まってくれない。

ニンゲン、生きている限りはアタマを使わなければならない。
停まってくれないのなら、停まっているクルマを狙うに限る。
信号待ちのクルマににじり寄り、
「おっちゃぁん!!乗せとくれよぉ!!!」
などと言いながら、まるでアジアのストリートチルドレンのように上目遣いで哀願するのだ。
これが意外と大成功し、アッサリと地元ナンバーの小型トラックに拾われた。
しかしシゴト中のクルマが観光地まで行く訳も無く、関の鼻への分岐点で降ろされる。
ここから関の鼻までは残り2Km位。
「まずまず上出来!」
自己満足に浸りながら歩き出すと・・・
名古屋ナンバーのワンボックスがイキナリ止まり、
「キミ、ヒッチやってんだろ? トラックに降ろされるの見えたから。こっから先はオレが乗せてってやるよ!」
などと拾われる。
やったぁ!!
喜んで乗り込むと、ニイチャン・ネーチャンの二人連れだった。
必要以上にアツアツムードが漂う、妙な内装のクルマで、あまり乗り心地が良い状況とは言いがたい。
まあ、わずか2Kmだ、オトナシク黙って乗っているのが良さそうだ。
「おれも昔はやってたんだよ。キミ、どっから来たの?」
「東京ですぅ」
「え〜っ!!東京からヒッチでぇ??? スゲー!!」
いきなり誉められた為、バスのない区間だけのヒッチとは言い出せず、ヘラヘラとあいまいにバカ笑んで過ごすうちに・・・・
僅か2Kmしかないものだから、ボロが出る前に関の鼻へ到着した。
「ありがとうございいました」
「それじゃ気をつけてね。良い旅を!」

断崖絶壁を見終わり、輪島を目指す。
ここから門前まではバスが出ている。
バスに乗り込み発車を待っていると、あの二人連れワンボックスが並びかけてきた。
先ほどのお礼を兼ねて手を振ろうとして・・・
「あっ!! ツワモノのヒッチハイカー(ニセモノだけど)がバスに乗っててはマズイ!」
などと思い直し、座席に伏して隠れる。

門前から、さらに輪島行きのバスへ。
ところが、思い切り行き先を間違えて皆月という所へついてしまう。
バスの行先表示が間違っていた訳ではない。
バスのオデコの行き先表示がクルクル変っていくのを見ていて、それが輪島駅となったのを確認の上で乗車したのだけれど・・・・
ワタクシが乗車後も、まだ回っていたのだ。
早とちり、自爆としか言い様が無い。
しかも、乗車後にバカヅラで眠ってしまい、終点まで気がつかない始末。
それなりの街であるハズの輪島とは似ても似つかない、谷あいの漁村のような皆月。
僅かな他の客が全員降りてしまった後も、ボーゼンと車内に立ち尽くす。
バスの車掌に事情を話すと、
「うひゃぁ、まいったね。」
なんだかホントにまいってしまった表情を浮かべ、折り返しの便で、輪島行きとの分岐まで乗ってけという。
なんと、行きの分も含めて運賃はいらないというのだからアリガタい。


アリガタがりながら分岐地点のバス停で降ろされたまでは良かったのだけれど、輪島行きバスは2時間待ち。
しかも店も何も無い山の中の交差点なのだ。
先ほど味をしめた、ニセツワモノヒッチハイカーは、ここでもヒッチを試みる。
しかし、先ほどの能登金剛あたりと比べても、明らかに交通量が少ない。
やたらと来るダンプカーは殆どが停まってくれるものの
「輪島ぁ? コッチは2キロ先の現場までしか行かないよぉ。ゴメんなぁ」
なんて感じでラチがあかない。
やっとの事で現れた乗用車、信号待ちの老夫婦のセダンに声をかける。
しかし反応は冷たかった。
「乗せろって?バスがあるだろう」
せっかくの獲物を、簡単に逃がす訳にいかず、大ウソをつく。
「来ないんですぅ!! 列車の時間に間に合わないんですぅ!!」
「しょうがない。乗りなされ。」
ムリヤリ乗ったはいいけれど、何か気まずい車内・・・
「キミはヒッチハイクで回っている割には、荷物が少ないねぇ」
「えっ?」
「ウチの息子も、学生時代は野宿しながら全国を旅しておった。」
一気に打ち解ける車内。
旅談義に、ニセモノも頑張って吹きまくる事しばし、クルマは輪島駅へ近づく。
「何時の汽車に乗るの?」
「え〜と・・・・」
時刻表を調べると、ホントに発車間際の電車がある。
「○時○分ですぅ」
「そりゃいかん!急ごう」
車は駅まで横付けされ、手を振る老夫婦に見送られながら・・・
しかし、マジに列車に乗ってしまったら、予定が狂ってしまう。
仕方が無いので待合室のスミッコに潜む。
汽車は出て行き、駅前周辺で輪島塗りなどを物色している老夫婦の姿が消えるのを待ち、ヨタヨタと町に繰り出すニセモノヒッチハイカーだった。




舳倉(へぐら)島。
能登半島・輪島の沖合い数十キロに浮かぶ、日本海の孤島。
以前に「離島の旅」という写真集を見て憧れていた島で、この旅のメインでもあるのだ。
船は一日一往復。
輪島を朝に出航し、昼前に舳倉島に到着、そこで3時間ほど停泊した後に、夕方に輪島に戻ってくるダイヤだった。
日帰りで、たった3時間の滞在ながらも・・・・・
二十歳そこそこのワタクシは、初めての離島を目指して、漁船の親玉のようなチンケな船で大海原に出た。

見渡す限りの青い海。
どこからともなく現れたイルカが、船に並んだり下をくぐって反対側から現れたり。
トビウオだって負けてはいない。
単なるジャンプだけではなく、右に左に、ちゃんと旋回するのだ。
全く無人、岩だけの能登七つ島を通過し、いよいよ舳倉島に上陸。
磯に囲まれた小さな島。
道は狭く、クルマなど無く、何もかもが新鮮なオドロキだった。
島の中央部に小高い丘があり、テッペンには巨大な灯台がそびえ立っていた。
しかし本当に巨大な訳では無く、丘といっても大した標高ではないからそのように見えるだけの、とにかく小さな島なのだ。
海っぺりを散策すれば、アッというまに島を半周してしまう。
島の北側の磯辺に立ち、時を忘れて、この先は大陸まで延々と続いている日本海を眺めているうちに・・・・
いつしか14:40となり、帰りの船の出港時刻である15:00が迫る。
なごり惜しげに港に向かう途中、島唯一のなんでも屋でラムネを買い、店の時計を見ると15:10。
なんと30分も進んでいるではないか。
「なるほどねー。時を超越した島! アバウトだねー」
などと感心しながら港に戻ると・・・
ふ・ふ・ふ・船がいないぃぃぃ!!!

イロイロと考える。
出港時間まで、どっか別の場所に停めてあるのだろうか?
そんな新幹線みたいな事をする訳も無く、船の姿を見ないまま出向予定の15:00を過ぎる。
さすがに不安になり、そこいらにいる漁師のおっちゃんに聞いてみる。
「船が早く出たぁ? いいや、時間どおりでたよ、15:00に。今ぁ? 今は15:30だよぉ」
そ・そ・そんなぁ!!
なんでも屋の時計は正確だったのだ。
上陸時には合っていたワタクシの時計は、何事も無かったように、30分遅れの時を刻み続けている。
この島への滞在中に、30分もタイムスリップしてしまったのだ。

とりあえず先ほどのなんでも屋に戻り、事情を説明する。
「う〜ん、島の民宿に泊まるしか無いわねぇ。ちょっと待って、デンワしてあげる」
なんだか電話での交渉は難航している雰囲気だった。
「泊めてくれるって。あとは自分で行って話して」
教えられたとおりに、一本道なので迷う事も無く、なんだか足取り重く民宿に着いた。
玄関前には、妙に若い、エプロン姿のオカミサンが腕を組んで立っていた。
そしてワタクシの姿を見ると、苦笑いを浮かべながら
「しょうがないわねぇ」
とだけ言った。
満面の笑顔で「いらっしゃいませぇ」ではなかったけれど、アリガタくも宿は確保できたのだ。
案内された部屋は、こじんまりとした個室だった。
家族連れの釣り客が借りていた部屋の一部を、フスマで仕切って開放してくれたらしい。
ムリヤリな飛び込みだったので相部屋も覚悟していたのに、その配慮がアリガタかった。

泣こうがワメこうが、明日の15:00までは船は出ないのだ。
開き直って北側の海岸を探検するしかない。
東側の海岸に出てみると、なんだか波打ち際が小汚いのだ。
洗剤容器などが散乱し、とにかく一面ゴミだらけ!
「なんてこったい!こんな所までゴミ公害なのか」
ふとみると・・・
ゴミに書かれた文字は、すべてハングル文字だった。
「おお!異国からの漂流者たちよ!!」
いつのまにか、ゴミまでもが旅愁を誘う。
小高い岡の上から眺める夕焼け。
オレンジ以外の色の存在を許さない、燃えるような夕焼け。
空だけでなく灯台、そして海までもがオレンジに染まる。
宿に戻ると、ディナーは「あわびメシ」と「山盛りのサシミ」。
そして釣り客が
「おおっ!キミかぁ。まあまあ、ホレ!」
などと笑顔を浮かべながら、手に持ったビール瓶を差し出してくる。
グラス片手に我が人生の幸せをむせび泣きながら、水平線にわずかに残るオレンジのラインを眺めつつ、離島の夜は更ける。


翌日。
15:00のご赦免船を心待ちにしながら、朝から磯辺で過ごす。
釣り以外の客はワタクシだけらしく、誰も居ない海っぺりで素っ裸で泳いでいると・・・・
いつのまにか、背後に人の気配を感じた。
慌てて股間を隠して振り返ると1人のジィサンが立っていて、
「いいからいいから」
と笑顔を浮かべた。
なにが「いいから」なのか判らないけれど・・・・・
いかにもドリフのコントにでも出てきそうな、探検隊の様な衣装を着た、学者風ジィサンだった。
「君かぁ。昨日、乗り遅れたってのわぁ!」
どうやらワタクシは、島内のウワサになっているらしい。
「果たして今日は船が来るかのぉ。海が荒れてきちょる。」
「えっ!!」
「いったん荒れるとのぉ、一週間欠航なんて事もしょっちゅうじゃ。」
「・・・・・・」
「まあ、そうなるとのぉ、よっぽどの魚好きじゃないとツラいのぉ」
「うふぉふぁふぃふえ・・・(言葉にならない)」
魚が食える食えないの問題ではない。
夏休みが終わるぅぅ!!
試験がぁぁぁ!!
帰りたぁぁぁい!!
おお、神よ!!
アワビなんて、もうゼータクいいません。
お望みなら、昨日食った分もゲロりますぅ!
お助けをぉ!!

大げさジジイの脅しだったのか、それとも神の力なのか・・・・・
船は無事にやってきて、そして出港。
標高10メートル余りの島はアッというまに海面に沈み、やがて最後まで頑張っていた灯台も波間に消えていった。
様々な思いを残して、ワタクシの離島デビューは終わったのだ。
(ワタクシの時計は超安物デジタルであったため、直射日光にさらされて温度上昇し、30分間ほど動かなかったらしい)


【追記】 2005/11/24

夜7時位から頻繁にやってる、テレビ東京のお手軽番組をご存知でしょうか。
「有名温泉」「名物料理屋」「激安旅館」
などなど、その都度のテーマで二流芸能人がアチコチを訪れるタイプの2時間番組です。
他に面白い番組が無い時などに、メシを食いながらボーっと見ているには最適なのですが。

昨年、たまたま見た日のテーマは、離島でした。

竹富島(沖縄県)
飛島(山形県)
宝島(鹿児島県)
礼文島(北海道)
舳倉島(石川県)
青ヶ島(東京都)

この6つの島が次々と登場し、殆どの島に行った事があったので、かなり真剣に見てしまいました。

青ヶ島のシーンでは、『牛まつり』で盛り上がり、牛と共に踊り狂う島民、旧島民、観光客などの姿が映し出されてました。
しかしワタクシは、旧島民や観光客のその後の惨状を垣間見ているのです。
我々が青ヶ島を訪れたのは、その番組の収録の直後でした。
祭りの後、船が着岸できずに2日も足止めを喰らい・・・・・
八丈島からの船が波にもまれながら着岸を試みているのを、岸壁の上にアリのように群がって祈るように見つめる人、人、人・・・・
それが番組収録後の彼らで、波に揉まれている船に乗っていたのが我々です。
ヘロヘロになって一刻も早く上陸したい我らが乗船客、そしてイイカゲンに島から帰りたい彼ら。
お互いに利害が一致し、なんとか着岸した際には、陸海ともに大歓声でした。


さて。
舳倉島のシーンでは、思わず箸が止まってしまいました。
あの時、島から帰れなくなったワタクシを拾ってくれ、ボンビーだと知りながらアワビメシをフンダンに食わせてくれた民宿の若オカミが、思いもよらずに登場したのです。
今でも現役の海女さんだそうで、あいかわらずキップの良いシャキシャキとした人でした。
しかし、そんな懐かしの若オカミも・・・・・
画面の中では、もう49歳になった姿で映し出されておりました。


20年の歳月が変えてしまったのは、彼女の外見だけでは無いハズです。
島での生活の変化も含め、良い事も悪い事もあったでしょう。
しかし映像の中のイキイキとした姿を見る限り、少なくとも『差し引きプラスの人生』を歩んできたのだと信じたいです。

そういうワタクシも、キッチリとオッサンに成長してしまいましたが・・・・
「自分の人生を嘆きとイイワケでしか語れない、ノーガキだけの自虐ヂヂイ」
にはなるまいと、ココロに誓うのでした。


関連情報へ
[夜明け前」に戻る
[離島の旅」に戻る
「週末の放浪者」 トップページへ