メンソーレうらがわ(1991夏・沖縄)その2(携帯版)


暗闇の高速道路、我々を乗せたタクシーが恩納村を目指す。
誰も口を利く物は居ない。
窓に流れる高速道の街燈を目で追いながら、それぞれ、心の中でつぶやく。
「くっそぉ。オプショナルなグフフは自腹かよ!!そんなカネ無ぇよ!」
「何の為に、わざわざ那覇まで行ったんだ。」
「オプショナルを拒否したあとの、あの気まずさは何だ!」
断ったとたん、オネェチャン達は引きつった愛想笑いを残し、蜘蛛の子を散らすように消え去ってしまったのだ。
カウンターでママか誰かと親しげにバカ笑む添乗員を睨み付けながら、3人でチビチビとエチルアルコールを摂取するだけの時間・・・・ケッ!!!


翌朝。
気を取り直して走るのだ!!!。
今日はフリータイム。
那覇まで行くのはカッタルイので、恩納村に一軒だけあるレンタルバイク屋に。
チンケだぁ!
スクーターの他は、ビラーゴ250と化石の様なホライゾン。
たった2台しか無いではないか。
当時は限定解除しておらず、選択の余地もなくビラーゴを借りる。
お値段だけは一流で、レンタカーより遥かに高い。
「あのぉ、パンク修理セットのレンタルもありますよぉ!」
「はぁ?」
「沖縄の砂は貝殻まじりなので、舗装路のアスファルトも良くないんです」
「ふむふむ・・・」
「パンクした場合は引き取りに向いますけど、1万円頂きますよぉ」
「・・・・」
「レンタル料は500円ですが・・」
い・いるかっ!!
ビラーゴはチューブタイヤですぜ。
こんな炎天下で自分で修理させられて、500円も払えるか。
パンクしたら捨てて帰るわいっ!!

なにはともあれ、海を左に見ながら時計回りに走る。
やっぱり島を一周するのがオヤクソクというものなのだ。
国道沿いの海でさえ、何とも言えない透明感!!
あちらこちらのビーチには、色とりどりの観光客の姿。
湘南あたりのゴッタガエシと違い、それぞれに思い切りリゾートしている。
そうなのだ!!強い日差しあっての沖縄なのだ!!
これこそ健康的な姿ではないか!!
道も空いていて快適快適!!。

名護の街を通過して北上し、沖縄本島の最北端である辺戸岬に。
道路から岬までは、わずかばかりのダート。
パンクしたらマジに捨てて帰る訳には行かず、ソロリソロリと気を付けながら突端に到着。
おおっ!!
すぐ目の前の黒い巨大なカタマリ!!!
与論島ではないか!!!。
こんなにも近いとは。
日本地図などを見ても、北海道と沖縄県はスミッコに別枠だったりする。
一応本土である鹿児島県に属する与論島との位置関係は、なかなか計りにくいものではあるが、こんなにも目の前だったとは!!。

海沿いに南下を開始。
このあたりは沖縄本島でも最も開発されていない地域で、ごく最近まで存在が知られていなかった鳥、「ヤンバルクイナ」の生息地でもある。
日本離れした南国風ジャングルの中の道を走り抜け、それでも至る所にゲート、そして「米軍基地。立ち入り禁止」の看板。
沖縄は基地だらけと言われるけど、まさにその真っ只中なのだ。
前日バスで走った国道沿いも、金網と広い空間のオンパレードだったではないか。
地下式弾薬倉庫の上に広がる畑、耕作している農民は「万が一の時には何も請求しない」なる一筆を書かされての農作業の毎日なのだ。
そこまでしてキケンな土地を借りている訳ではなく、彼ら自身が地主だというのだ。

コザの街に入る。
古ぼけた商店街、アルファベットの看板が目立つ。
基地に依存して生活が成り立っている部分も多い沖縄。
背に腹を変えられずに、弱みに付け込まれての生活。
そんな反発が爆発した事件「コザ騒動」。
そんな背景を漂わせながら、過去の遺恨を拭う為に沖縄市と改名された街であるコザ。
さしたる名所も無く、観光地・沖縄というイメージからも取り残されてしまった街並みをビラーゴで走り抜ける。
道端で地蔵の様に座り込む老人の目には、そんなバイクがどのように写っているのだろうか。


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