南国大尽(2001冬・モルジブ)その1(携帯版)

新婚旅行というものが日本に定着したのは、いったいいつの時代からかだろうか。
ワタクシの両親は箱根1泊であり、当時としてはそれはフツーだったそうだ。
その後、南紀白浜や宮崎の青島などがスタンダードコースであった時代を経て、いつしか海外へ行くのがアタリマエになっていく。

我々夫婦も新婚なのである。
当然の事ながら、海外に新婚旅行に行かねばならない。
しかし、ハワイなどには行くツモリは無い。
余りにも大衆化してしまったハワイごときに魅力など感じられないし、ただ単にアツアツ旅行に行くのであれば、裏磐梯あたりでも十分ではないか。
よぉしっ!!!我が家は行くぞぉ!!めったに行けない場所に!!
などなどの意気込みと共に、選ばれた行き先は・・・・・・
アフリカなのであった。
例の、二十数時間監禁大回りのエジプト航空でカイロに渡ってピラミッド見物。
ナイル川クルージングなどを楽しんだ後に空路ナイロビに。
そしてケニヤやタンザニアでサファリに繰り出す、ゼイタク格安怪しげツアーで2週間!!!
どうだ!!まいったかぁ!!!!
ところが・・・・・・・・
まいったのは、自分達であったのだ。


出発する9月末まで残り1月まで迫った矢先、申し込んだJ旅行社からデンワ・・・
「ごめんなさい。最低催行人数に満たないんです。中止の見通しです」
「な・なんですとぉ??。たった6人からでも出発ってハズなのに!いったい何人集まったの?」
「3人です」
な・何と言う事だ!!
我が家が2人だから、他に1人しか申し込まなかったのかい??
中止は極めて遺憾だけれど、一人で申し込んだ見知らぬシトに、思わず敬意をはらっちゃうのであった。
そんな事で、メゲてしまう我が家ではない。
出来合えツアーがダメなら、手配旅行にしてしまえば良いのだ。
中止になったツアーパンフを握り締め、目指すは目黒の某社!!
アフリカに強く、手配旅行や海外ツーリングなどを得意とする旅行社なのだ。
「こういうコースで手配しておくれ!!」
「任せたまい!!」
と言うわけで即決!!!
ツアーに比べて割高になっているけど、行動に自分の希望も盛り込める事が出来るし、行き帰りも軟禁エジプト航空ではなくシンガポール航空になっている。
輪をかけて良いではないか!
どうだ!!まいったかぁ!!!!
ところが・・・・・・・・
またまた、まいったのは自分達なのであったのだ。


9月も半ばに入ろうとする頃、我が家にとっては重大な出来事が判明してしまったのだ。
そりは・・・
我が妻・朱蘭さまの御懐妊!!!!
オコチャマが出来てしまったのだ。
嗚呼!新婚旅行が終わるまではオコチャマを作らない約束だったのにぃ!!
8月末のある日の、酔っ払ったワタクシの行動が悪かった!!
朱蘭さまは北海道キャンプツーリング、ワタクシはシンガポール出張。
それぞれの行き先から戻ってきた再会を喜ぶカンパイ、それはそれは濃厚な酒宴になってしまい・・・・・
完全なるヨッパライと化したワタクシ、更に濃厚な行事を始めてしまったラシイのであった。
ラシイというのがどういう意味かは言うまでも無い。

黄熱病などの予防接種が必要なサファリ。
これらを妊婦に注射する訳にはいかないのだ。
また、何かが有った場合に医師の対応が可能な地域とはお世辞にも言えない。
当然、医者も大反対。
「アフリカだって?そりゃムリだよ。海外に行くなら、近くて安全な場所にしなさい。」
「は・はぁ・・」
「たとえばハワイとか」
ハ・ハワイですとぉ???
散々ハワイへの新婚旅行をケナしちゃっただけに、そ・そりだけは・・・・

医者や周囲の意見に従い、とりやえず出発時期は1月まで延期。
その頃であれば、朱蘭さまのツワリも収まり安定期に突入し、ちったぁ安心して旅行を楽しめるであろうとの考えである。
しかし、相変わらず行き先は決まらないのであった。
予防接種が必要ではなく、それなりに医療が整っていて、あまり長時間の移動や強硬なスケジュールに強いられる事も無く、行ってそれなりに楽しい所・・・・・・
様々な候補地が浮かび、そして断念されていった。
流れてしまったアフリカツアーの際から既に前金を預かっているJ旅行社、このままウヤムヤ断念されてしまっては惜しいと思ったのか、
「どうなりましたぁ?やっぱりハワイがお勧めですよぉ!!!」
あくまでも、ハワイの怨念が襲い掛かってくるのであった。


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