フロントライン(2003夏・小笠原)その15


出発前に各種HPなどを調べて見ると、様々な説が記載されていた。

・米軍が、そこで食料用のブタを飼った為。
・海豚(イルカ)が語源であり、いつのまにか豚になった。
・正確な命名由来は、判明していない。

などなど。
しかし、実物を目の前にしても、どう見てもブタを名乗る根拠が見当たらないではないか。
なぜブタなのだ?

そんな気持ちが通じてしまったのか・・・・・・・
ナイスタイミングで、キャプテンが語り始めたのだ。
「このブタ海岸って名前は・・・・」
おおっ!
もしかしたら、何らかの手がかりを知っているのかも知れない!
「自分達が命名した」
な・なんですとぉ?
いきなり正解が判明してしまった!!

キャプテンは、その名前が示す通り、欧米系移民の子孫だったのだ。
太平洋戦争中に小笠原から強制退去させられた全島民は、1968年の返還まで島に戻る事は出来なかったのだけれど、このキャプテンらの欧米系島民だけは、終戦直後に帰島を許されたのだそうだ。
島に戻ったキャプテンらは、さっそく島の復興に取り組み、その一環として食料確保の為にブタを飼う事を思いついた。
その養豚の場所として選んだ海岸が、当時は違う名前だった、このブタ海岸だったのだ。
ブタをブタ海岸に運び込む際には、駐留していた米軍が協力してくれ、上陸用舟艇でブタを運んでくれたなどと言いながら、キャプテンは懐かしそうに目を細める。
「ブタ海岸だけじゃなくて、鮫池なんかもそう。勝手に呼んでいたら、いつのまにか地図に記載されるようになっちゃった。」


遂に小笠原に別れを告げる時がやってきた。
まだまだイロイロと楽しみたかったけれど、おがさわら丸が二見港を出てしまった今となっては、次回のお楽しみにするしか無い。
しかし、ひとつオマケの楽しみが待っている。
それは、『おがさわら丸 見送り船団』とでも言うべき、有名な見送りスタイル。
父島を去るおがさわら丸を、大小のクルーザー、ダイビングボート、漁船などなどが、おがさわら丸を取り囲むように並走して見送ってくれる、なかなかカンドー的な光景なのだ。
シーカヤックまでもが参加していたけれど、さすがにアッというまに引き離されちゃって微笑ましい。

「また来いよぉ」などと口々に叫びながら集団で海に飛び込むパフォーマンスを見せてくれたりする船もいて、そりゃもう楽しいの一言。
おがさわら丸の乗船客達も、甲板にズラリと並んで手を振ってそれに答える。
あのキャプテンのピンク色のクルーザーも登場し、デッキに立ったオネェチャンが半ケツ姿で、千切れんばかりに手を振ってくれる。

楽しいひと時には必ず終りが訪れる。
見送り船団も、一隻、また一隻と、Uターンして去っていく。
今度こそ本当に、小笠原の旅の終了なのだ。

その地域独特の古式ゆかしい伝統行事は見応えがあるし、イベント的なモノではなく日常生活の中に垣間見える風習にさえ、理屈を越えた感動を覚える事だってある。
それに対し、例えどんなに盛大でも、PRだけが先走ってるような新興イベントには、お子様ランチや幕の内弁当のような印象しか持てない。
それらが、イイカゲンにやってるとか美味しくないとか言ってる訳ではない。
実物を見る前から、中身が想像できちゃうのだ。
無理に取り入れられた地域性だって、肝心の特産品を入れ替えちゃえば、どれがどれだか区別がつかない。
そして集団カンニングの様に、同じ個所を皆がオソロイで失敗してたりする。
まるで『初めてのイベント開催入門』なんて本を、あちこちで回し読みしているみたいなのだ。

歴史の浅い小笠原においては、ほとんどが『新興イベント』であり、そして『新興生活』のハズである。
にもかかわらず、ヘンな型にハマったワザトラシさの無い、一種独特な、そしてなんだか心地よい世界が形成されている。
一種独特な理由は、日本でも稀な生活環境である小笠原には、『初めてのイベント開催入門』なんて本を参考にする事自体が意味をなさないからだろう。
それでは、心地よさの理由は何だろうか。
それは、観光が重大産業であるにも関わらず、ヘンに観光に媚びていないからではないかと思う。
観光客の足元を見てフンゾリかえってるという意味ではない。
至れり尽せりの設備が整ってるほうが居心地が良さそうな気がするけれど、それは違う。
過剰な観光設備の陰で破壊されている自然のカケラを見るほうが、かえって気が滅入る。
残念ながら世間では、至れり尽せりタイプの要求が多数派なのかも知れない。
しかし、小笠原という小さな世界でそんな要求に答えたら、大切なモノがアッというまに失われてしまう事を、島の人々は十分に知っているのだ。
それが何よりも大切であるのだと思えなければ、誰が好き好んでこの島に定住できるだろうか。
そういう人々の手によって守られている環境だからこそ、肩の力の抜けた心地よさを感じられるのかも知れない。

ピンクのクルーザーのキャプテンにしろ、母島の民宿のオッチャンにしろ、直接的には触れ合わなかった島の人々にしろ、みんな小笠原の歴史の最前線に立って、この島と友好的に共存できる文化を築き上げている真っ最中なのだ。

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