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水郷オババ(2004秋・北浦、潮来、佐原)

オババ船頭さんが操るサッパ船

秋の行楽シーズン。
「今度の週末、オコチャマのスイミングスクールも休みだし、どっか行こうよ」
「うん。温泉につかって、ンマいモノを食って・・・」
毎度の事ながら、安直なスタートだった。
テキトーにネットで旅館の格安パックを調べていると、エンバラギに「つるるんの湯」なる温泉宿を発見。
なんだかミョーチキリンな名前ながら、ツルツルとグアイ良さそうで、貸切の露天風呂もあるらしい。
「ココにしよう。行きがけには、牛久沼でウナギだって食っちゃうのだ!」

牛久沼を眺めながら貪るウナギ、なんとも柔らかく、なんともアブラギッシュで、そしてなんともオジョーヒンなタレ。
思わず目を剥いて食い尽くす美味さなのだけれど、頼りないほどにウナギが小さい。
まあ、一番安いヤツを頼んだのだから仕方ないとは言え、それだって一人前にお札2枚は必要なのだ。
「とぉちゃん、うなぎ、もっと欲しいよう」
注文したのは2人前。 オコチャマにはトォチャン・カァチャンの分からの取り分けなので、アッというまに無くなってしまう。
「おいっ、タレがンマいんだぞ。タレでメシを食え」

シミッタレたオトォチャンを責めるように降り出した雨の中、霞ヶ浦沿いのチンチクリンな水族館を一眺めし、ソソクサと宿へ。
北浦に面した、元々はコギレイだったであろう宿に到着し、ソッコーで温泉に向かう。
ううむ、コザッパリと仕上げられた日本庭園風の造りで、なかなか落ち着く雰囲気なのだけれど・・・・
ソコにデーンと置かれた浴槽は、いかにも家庭用といった感じの樹脂製なのだ。
そしてソレには、醤油というかコーラというか、そんな色のお湯が張られていた。
この湯船について、ネット上に記述された若女将の説明は、
「濁り湯である」「アルカリ性に富んでいる」「古来の植物が沈下し扶養土層から汲み上げた温泉である」為に、
「衛生面・安全性・清潔感を重要視し、風情を措いてでもこのような選択をした」
との事。 なんだか良く判らないけれど、珍しい温泉だからこその理由であると善意的に解釈する。
確かに、絶妙にキモチ良いツルツル感なお湯だったので、ソレで良しとしようではないか。
しかも若女将は、なかなかの美人だったのだ。

一夜明け、北浦の東岸をひたすら南下し、潮来を目指す。
キッチリと雨もあがった秋晴れの空の下、ソコで水郷めぐりを楽しもうという作戦なのだ。
常陸利根川という川に面した潮来は運河の街で、イニシエの
「潮来花嫁さんわぁ、船で行ぃくぅ」
なんて歌にも象徴されるように、運河と結びついた文化が育まれていたらしい。
古風な町並みを貫く運河には「潮来十二橋」と呼ばれる石橋が掛かり、女船頭さんが艪(ろ)で操る「サッパ船」という川舟で、
ノドカにソレを潜り抜けながら遊覧するのがオタノシミだとされている。
美人若女将の宿の次は、美人船頭さんの船にお世話になろうではないか。
ソレが旅の楽しみといふモノだ。

潮来駅のあたりから細い道をクネクネとさまよい、いよいよ船乗り場に到着。
「水郷めぐりするんでしょ? コッチコッチ」
オババに招かれた桟橋に向かうと、川舟がズラリと並んで浮かんでいる。
そしてカスリの着物、モンペ、大きな編み笠といったイデタチの女船頭さんらしき人物がタムロしていた。
まあ、あらかた予想はついていたとは言え、淡い期待は裏切られた。
女船頭さん達は、一人残らずリッパなオババ以外のナニモノでもない。
まあ、ココロの底から美人船頭さんを望んでいた訳でもなく、そうだったとしたって何をどうする訳でもないし、要はどうでもいいのだ。
「あいよ、出発するっぺよぉ」
10人分ほどの座布団が敷かれたサッパ船の船内は、我が家の貸し切り。
大枚ハタいてチャーターした訳ではなく、他に客がいなかったのだ。
さて、どこにも見当たらないけれど、ウワサの運河はどこにあるのだろうか。
などと思ったら、オババの操作でサッパ船はケタタマシいエンジン音を轟かせた。
うわぁ、そんなモノが付いていたのね。純粋な艪舟ぢゃ無かったのね。
そしてサッパ船は、いきなり川幅何百メートルもある常陸利根川を横断はじめたのだ。
オババはクチをヘの字に結び、川波に揉まれながらもソレをもろともせずにズンズンと突き進む勇ましさ。
サッパ船が揺れるたび、臆病者のオコチャマは悲鳴を上げてオカァチャンにしがみつく。
なんだか「女船頭水郷巡り」というよりも、「肝っ玉かぁちゃんマグロ一本釣り」という様相を呈してきた。

ココをくぐればイニシエの運河の町並み

アッというまに川を横切ると、オババは水門のような所でエンジンを停めた。
「ココから運河に入るっぺよ」
この水門には、なかなかカシコい機能があった。
大河である常陸利根川の水位が変動しても、運河の水位に影響を与えないように堰き止めているのだ。
水門は二重構造になっていて、船が運河から出入りする際、片方ずつ開いて進行方向の水位に合わせる仕組みになっている。
言わば、スエズ運河やパナマ運河と同じ方式だ。
この日は常陸利根川のほうが水位が高かったので、我らがサッパ船は外側(利根川側)だけが解放された水門の中に突入。
船が入った所で外側の水門が閉じられ、船は二つの水門に挟まれた水貯めに浮かんでいる。
今度は内側(運河側)の水門が徐々に開き、水貯めの水は運河に流れ、船を浮かべたまま水位が下がっていく。
そして水位が一致したところで、いざサッパ船は運河に漕ぎ出でた。
オババは、まるコレを発明したのが自分であるかのように、我々に誇らしげな視線を送りながら艪を左右に揺さぶった。

石垣に囲まれた細い運河を、坦々と漕ぎ続けるオババ。
オババの衣装がモンペや編み笠じゃなかったら、ベネチアの光景も似たようなモノだったりするのだろうか。
両脇の家々には運河に降りる階段が設えてあり、運河側に玄関が設けられていたりするのが何だか楽しい。
確かに、長大な橋が掛けられるまでは水運が生活の足だったのだろう。
そんな頃を忍ばせるように、まるで住宅地に路駐されたクルマの如く、運河のハジッコには船が横付けに停められていたりする。
運河の幅は2席の船でいっぱいいっぱいといったところだろうか。
停められた船を避けたり、観光サッパ船どおしのすれ違いの際など、オババは下町のタクシー運ちゃんのように巧みに船を操った。
とは言え、タクシー運ちゃんとは違い、平気で船どおしをゴツゴツとブチ当てながら前進していくのだ。
「はい、コレで12個の橋は全部くぐったっぺよ」
運河から小広い幅の川に出たところで、オババは再びエンジンをかけ、豪快にカッとばしながらサッパ船をUターンさせた。
それは、バイクで言ったらアクセルターンのようなキレ技だったりする。
そして再びエンジンを止め、来た運河を戻り始めた。

このサッパ船には無線機がつけられていて、まるでタクシーのように配船だか何だかの連絡が交わされていた。
やたら「ぺっぺ、ぺっぺ」と飛び交う無線が、どうやらこの船を呼んでいるらしい。
我らがオババは何やら「ペッペ」とソレに答え、そして我々に告げた。
「お客さん、申し訳ないけんど、途中で乗り換えて欲しいっぺよぉ」
なんでもサッパ船のやり繰りの関係で、この船をココに置いて行く事になったとの事。
水門の数十メートル手前で船は横付けされ、運河に面した民家の石段から上陸する。
フツーに船で一周りして戻るよりも、こういうシュチュエーションもなんだか楽しい。
オババに先導されながら民家の脇を抜けて表通りに出ると、民家は道路側にも玄関があり、クルマも停まっていたりする。
アタリマエとは言え、現代社会の実態を見てしまった気分だった。
「コッチコッチ」
水門の外側の常陸利根川の河岸に設けられた桟橋に、別のサッパ船が停められていた。
「アレに乗ってちょうだい。他の皆も乗るけどよろしくおねがいだっぺよ」
他の皆とは、やはりモンペと編み笠のオババども6人衆。
ヒルメシだか何だかの勤務の都合で、いったん潮来駅側の桟橋に戻るらしい。
「お客さん、わるいねぇ、キレイドコロばっかりで」
などと、ベタなギャグを口にしながら、次々と乗船してきた。
「あらぁ、こんなカワイいボクチャンが乗ってたのぉ。ボク、いくつ?」
などとゴキゲン伺いのセリフを言っているうちは良かったのだけれど・・・
やがて
「ボクちゃん、弟や妹が欲しいわよねぇ」
なんて話から始まって、あとは果てしなくゲヒンなツッコミに発展していくオババたち。
花嫁として船に乗ってきた頃のハジライなど、もう銀河の彼方に飛んでいってしまったのだろう。
そんなオババどものハグキ丸出し笑いが、利根の川面に心地よく響いた・・・・・
のかどうかは、判断がビミョーなところだった。

おジョーヒンな、オババ船頭さん御一行様


オババどもと分かれ、潮来を後にして佐原の街へ。
こちらも古風な町並みや運河がウリだったりし、なかなか風情に満ち溢れている。
そしてそろそろ昼飯タイム。
佐原のウリはウナギだそうなのだけれど、ウナギは前日に食べていたので、やはり別の物が食べたい。
ここで佐原出身であり、当HPにも何度か登場する「腹黒おぐらん」にデンワを入れてみると、
「ウナギじゃないなら、やっぱり黒蕎麦」
との返事が返ってきた。
腹の黒い男の薦める黒いソバ、それはなんだか楽しみだ。
教えられたとおりに辿り着いた店は、思わず声が出る程の化石的な旧型木造建築の店。
店に入ってみると内装も化石的で、まるで歴史民族資料館で勝手にメシを食うフトドキモノになった気分。
正式には「黒切蕎麦」というそうで、迷う余地もなくソレを注文してみる。
出てきたソバは確かに真っ黒で、色の正体は昆布との事だった。
肝心の味のほうは・・・・・
店構えやらソバの見た目やらに圧倒されて、なんだか記憶に残らなかったのが正直なところなのだ。

これでも営業中の蕎麦屋さんなのです

食後の散歩を兼ねて、駅の近くの菓子屋に向かう。
なんでもソコは佐原を代表する和菓子屋だそうで、天皇家にも献上された「佐原ばやし」といふのがウリらしい。
普段は菓子など食べないノンベー夫婦の我々が、わざわざそのような店に向かったのは理由がある。
その店、実は腹黒おぐらんの実家だったりするのだ。
せっかくだからおぐらん実家を一眺めし、黒切蕎麦を教えてもらったお礼に菓子の一つも買おうと考えたのだった。
老舗というには近代的な店先にはズラっと菓子類が並べられ、店員たちはテキパキと客をさばいている。
一つ二つ菓子を選んだところで、朱蘭さまが囁いた。
「ねえ、あの人、おぐらんのお姉さんじゃない? 顔が似てるんだもん」
「う〜む、そう言われてみれば・・・」
なんとなく気になり、ついつい聞いてみた。
「あのぉ、もしかしたら、おぐらん(実際には本名)のお姉さんですか?」
「えっ?」
キョトンとするオネェさん。
「ボクたち、おぐらん(実際には本名)のトモダチなんですぅ」
「アラァ、そうなんですかぁ。アタシ、おぐらん(実際には本名)の姉ですぅ」
「やっぱり」
「ちょ・ちょっと待ってください」
店の奥に入ってしまったお姉さん。少しイヤな予感。
ほどなく、お姉さんと共に、新たにおぐらんと同じ顔が出てきた。
「母ですぅ。おぐらん(実際には本名)がお世話になってますぅ」
し・しまったぁ!
そして・・・・
案の定のオミヤゲ攻撃。
店を出る時には、食べきれない程の菓子類を抱える結果となった。
おぐらん、ゴメん。ロクに世話なんかしてないのに。

佐原の町並み
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