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うどんとネコと無人島(2005秋・うの島)
うどん
一般的に『日本三大うどん』と言えば、
「稲庭(秋田)」「水沢(群馬)」「讃岐(香川)」
だそうですが、ここ近年は讃岐の一人勝ちのような情勢に思われます。
厳密に言えば、讃岐うどんそのものが他を圧倒している訳ではありません。
日本中が讃岐ブームに浸りきり、いわゆるフツーのうどんが、軒並み「讃岐うどん風」になっちゃったのです。
そういった讃岐モドキうどんを含めて、讃岐の圧勝と言う意味なのです。
個人的には稲庭を支持したいところなのですが、
「コシが無ければウドンじゃない」
などといった風潮が定着しつつある今、手延べ系である稲庭には不利な状況です。
ところが・・・・
『日本三大○×』などと言っても、かつて「チャンバラトリオ」のメンバーが4人も居たように、実際には3つで納まらないケースが多々あるようです。
もちろん、『三大うどん』にも、第四のうどんが名乗りをあげてます。
それは、『五島うどん(長崎)』です。
このうどん、自らが『三大うどん』メンバーである事を声高々と主張してるのですが、恐れ多くも
「三大うどん」 = 「稲庭」「水沢」「五島」
などと、「讃岐」を排除してのランク入りの主張なのです。
コレは大胆です。
その意図も測りかねます。
ぜひとも喰ってみなければなりません。
そんな「三大うどん」論争とは無関係に、独自の道を歩み続ける地域密着型うどんが存在します。
その名は『吉田うどん』。
山梨県の富士吉田市に密かに生息し、流行の讃岐系などとは全く別の食べ物と言って良いほどの違いがあるそうなのです。
いや、「密かに」というのはマチガイかもしれません。
人口6万人に満たない富士吉田市なのに、60件以上のうどん屋があるそうなのです。
地元出身者でさえ
「決して美味いわけではない」
と言いながらも、キッチリと文化として定着しているようです。
富士吉田市周辺の結婚披露宴では最後にうどんが出て、ステーキを残してもうどんは食べるそうです。
地元出身者によると、吉田うどんの典型的な店は、以下のとおりです。
営業時間:11:30〜14:00
メニュー:冷たいの/暖かいの
注文単位:一つ/一つ半
トッピング:ゆでキャベツ。
(時期により漬物がテーブルに置いてある。)
席:当然相席。
出汁:しいたけ系濃い口醤油系
麺の歯応え:モチ
ううむ、最大の特徴は、どうやら麺にありそうです。
とても気になります。
どうせなら富士吉田で、しかも「いかにも」な店で食べたいではありませんか。
しかし、食べる機会に恵まれなかったのは、いわゆる「お昼時」にしかやっていないというのがネックでした。
何かのついでに寄るには時間を合わせるのがムツカシく、つまり
「気にはなるけど、その為だけにわざわざ出向くほどの事は・・・・・・」
という状態で、放置されていた訳なのです。
ところが、チャンスは唐突に現れたのでした。
諸般の事情で、河口湖の近くのペンションに泊まる予定が出来たのです。
そうと決れば、コレに吉田うどんを絡めない手はありません。
朝も早くから中央道を走り抜け、さっそく吉田うどんの店に突入してみました。
前出の地元出身者に紹介してもらった、「上級者編」とも言われる店にです。
店の構えは、けっしてコギレイではなく、さりとてバッチくもなく、まあフツーのうどんやさんです。
店内は常連地元民でゴッタガエし、「あついの」「つめたいの」2つしかないメニューを口々に叫んでおりました。
具はオヤクソクのキャベツで、別皿でテンコモリにしてる人もチラホラ。
さらに驚くべき事に、ウロタエる唯一のイチゲン客である我が家を尻目に、ほとんどの客がうどんをオカワリしてるのです。
実際に食べてみて、やはり麺が圧巻でした。
妙に粉っぽく、太く、そして「コシが強い」というのとは一味違った麺の固さ。
ワタクシ的にはモチとは少し違う、そして何か懐かしい食感なのです。
人それぞれで評価が分かれそうなうどんでした。
しかしワタクシは、なんだかキモチ良かったのです。具合イイのです。
その理由には、一夜明けてから気が付きました。
ワタクシの大好物のアレに、ソックリな歯応えだったのです。
ソリは・・・・
チクワブ!!
ネコ
今の時代のペンションは、周辺の観光地などの立地条件に頼っているだけでは、なかなか経営が成り立たないそうです。
「脱サラしてペンションでも・・・・」
などと聞けばシヤワセそうですが、多くは早々にツブれてしまうのが現実だとか。
開業1年目は、元同僚やらトモダチやらが泊まってくれたりして、なんとかやっていけるそうです。
しかし、そういうタグイの宿泊客は義理的な要素も強く、いつまでも来てくれるとは限りません。
実力勝負となる2年目以降も生き残る為には、
「何度でも泊まりたくなるような何か」
の有無がカギになるそうです。
そのペンションでしか味わえない特徴がなければ、とても厳しい世界だと聞きました。
念願の吉田うどんを食した我々が向かったペンションは、やはり「何か」を持っていました。
というより、その「何か」を知った上で、それを目的に泊まった訳ですから、ココで「何か」などと抽象的に言うのはマチガイでした。
その正体は、「ネコ」なのです。
きょう日、「ペット可」をウリにしたペンションなら、それほど珍しくはありません。
さすがに「ニシキヘビ可」なんてのを探すのは困難でしょうけれど、
「可愛いネコちゃんと一緒にどうぞ」
なんてのは、行先さえゼイタクを言わなければアッサリと見つかる事でしょう。
しかし、我々が泊まろうとしているネコペンションは、少し事情が違うのです。
そのペンションがネコを何匹も飼っていて、ネコが接客してくれるペンションなのです。
所詮はネコの知能ですから、接客といっても
「いらっしゃいませ」
などと笑みを浮かべて荷物を持ってくれたり、ましてやお酌をしてくれたりする訳がありません。
要は宿泊客から逃げようとせず、ベタベタと纏わりついてくれるのです。
コレは、ネコ好きにとっては十分な接客であると言えるでしょう。
現に朱蘭さまも、宿に入るや否や、お客様用ソファーでフンぞりかえっているネコに向かって突進していきました。
このネコペンションの真価を垣間見たのは、晩飯を食った後の事でした。
いや、「晩飯を食った」なんて言い方は間違えで、おジョーヒンな欧風ディナーを頂いた後の事です。
家族連れは我々だけで、あとは若いカップルばかりが4組ほどだったのですが・・・・・・・
おジョーヒンに食事を終えたカップルどもは、それぞれに愛を語る訳では無く、ましてや部屋に戻って何かを始めちゃう訳でもなく、
思い思いにネコをヒザに乗せ、目を細めて静かに背中などを撫ぜたりして過ごしているのです。
何度もワインのオカワリを所望し、いつまでもダラダラと呑み続けているゲヒンな客はワタクシだけだったのです。
あまりの場違いさに居たたまれなくなったワタクシは、オコチャマを連れて部屋に逃げ戻りました。
すると・・・・
「にゃぁ」
などとナマメカシい声をあげ、まるで出張ナントカ嬢のように、一匹のネコがワタクシの部屋に入り込んでくるではありませんか。
オコチャマが大喜びなので追い出す訳にも行かず、そのネコは結局朝まで我が家の部屋に居続けました。
なかなかおジョーヒンなネコで、荷物をまさぐるなど、何も悪さをする事はありませんでした。
しかし夜中にノドがお乾きあそばしたらしく、部屋のトイレの様式便器の水をお飲みあそばされ・・・・・・
そのピチャピチャというおジョーヒンな音が、冷え切った晩秋の山麓を、さらに寒々とさせてくれたのでした。
無人島
このネコペンションは、河口湖の北側の山麓にありました。
そのまま南下したあたりの湖畔に、ワタクシにとって懐かしい場所があるのです。
そこには世田谷区の宿泊施設があり、世田谷生まれのワタクシは、中学校の林間学校で2回ほど訪れたのです。
すでに新しく建て替えられていて当時の面影はありませんが、その周囲は懐かしい風景そのままでした。
特に懐かしく感じたのは、相変わらず目の前にデーンと構えている「うの島」。
富士五湖と呼ばれる湖の中では、唯一の島なのです。
ワタクシは中学生の当時から、
「あの島に渡ってみたい」
などと、漠然とした希望をもっておりました。
この島には遊覧船が立ち寄った時代もあったものの、今では渡航する交通機関は無く、人も通わぬ無人島と化しています。
しかし、河口湖がブラックバス釣りのメッカになって以来、ワタクシはチャンスを狙っていたのです。
バス釣り客相手の貸しボート屋のボートを使えば、島に上陸できると考えたのです。
しかし、ソレも吉田うどんと同様に
「気にはなるけど、その為だけにわざわざ出向くほどの事は・・・・・・」
という状態で、放置されていた訳なのです。
ネコに招かれて河口湖まで来たからには、コチラも抱き合わせでヤッツケなければ損なのです。
ネコペンションのオーナーから、
・ 島へは、ちょうどココから反対側の、湖の南岸あたりの貸しボート屋が便利である事
・ ボートが上陸できる桟橋は、島の北岸にある事
といった情報を教えてもらい、準備は万全です。
しかし、オーナーは少し気になる事も言いました。
「島は近くに見えるけれど、実際に漕ぐとなかなか近付かないよぉ。疲れるよぉ」
クルマで湖を半周し、何軒もある貸しボート屋の中からテキトーに選んで、意気揚揚と向かいました。
「すいません。釣りじゃないんですけど、ボート貸してもらえますか?」
ボート屋のオヤジは、オコチャマを連れた我が家の姿をジロリと眺め
「あいよ。ソレでどう?」
いかにもフツーの、そこいらの池にあるような手漕ぎボートを指差しました。
「じゃあ、お願いします。うの島まで渡ってみたいんです」
「えっ、うの島へ? それならエンジン付きだね」
オヤジはエンジン付きのボートが繋がれている桟橋に歩きかけましたが、
「あのぉ、フネの免許、持ってないんですが・・・」
ワタクシがそう言うと、ムッとした顔で立ち止まりました。
その表情は
(チッ。わざわざそんな事言わなければ、スッとぼけて貸したのに)
と言っているようで、ワタクシも「しまった」と思ったのは手遅れでした。
言った以上、そして聞いてしまった以上、貸す訳にいかなくなってしまったのでしょう。
オヤジは少し考え、奥のほうに繋がれている1艘のボートを指差しました
「アレならイイかな。でも、風が出てきたらすぐに戻ってきてね」
いかにも釣り用で、釣りをやらないワタクシは見た事が無い、フシギな形をしたボートでした。
やや大ぶりなボートで、船首のあたりにバーのカウンターのイスのようなモノがニョキっと生えているのです。
そのイスの根元にペダルが付いていて、どうやらソレを漕ぐとスクリューが回る仕組みのようです。
そしてソレとは別に、フツーのボートと同じ位置にオールも付けられていました。
「2人がかりなら大丈夫だから。ホントに風には注意してね。流されちゃうよ」
大した風などは無く、ボートは順調に滑り出しました。
しかし、思わぬ展開となりました。
さすがに富士五湖の中でも最大の河口湖は、そこいらの池と違い、モーターボートやら水上バイクやらがビュンビュンと行き来していたのです。
それらが湖面を掻き分けた時に発生する波が、容赦なく我がボートに押し寄せ・・・・
このボートは、なんだかフシギなくらいに激しく揺れるのです。
臆病者の我がオコチャマは泣きワメき、オカァチャンのダッコ無しには生きていけない状態となりました。
母性愛に勝るモノは無く、オカァチャンの手は無条件でダメ息子を選び・・・・・・・
要するに、オールを漕ぐべき人材を失ってしまったのです。
それでも、ハタから見れば水上1輪車のような体勢のオトォチャンが単独で漕ぎつづけ、うの島は徐々に近付き・・・・
のハズが、なぜだかうの島ではなく、湖の北岸が徐々に近付いてくるのです。
どうやら、ソヨ風程度にしか感じられない風に、キッチリと流されているラシイのでした。
そうなったら、休まずイッキに漕ぎ続けなければヤバい事になるのは明らかです。
本来なら北にあるバズだったうの島を、東に見ながら気合で漕いでいると、
「ブォォォォォ!! ブォォォォォ!!」
大きな汽笛を鳴らして背後から追いかけてくるのは、大きな遊覧船ではありませんか!
それが湖の遊覧船にアリガチな巨大ハクチョウ型だったら、もう恐怖映画のようなブキミさではありますが、そうではありませんでした。
アンソレイユ号とかいう、ヨーロピアン型のモダンな船です。
しかし、それがブキミだろうとモダンだろうと、どちらにしてもピンチには違いありません。
まさかブチ当てられて蹴散らされる事はないでしょうけれど、そんなデカい船に近くを通られれば、その波はモーターボートなんかの比ではないハズです。
とにかくヘタにチョロチョロするよりは、ココは相手にまかせてじっとして、せめて波が来る方向にヘサキを向けて耐えるのが得策であると思われました。
なんだかイヂワルのように目と鼻の先を、アンソレイユ号は通り過ぎていきました。
もうぶつかる心配が無いにも関わらず、繰り返し激しい汽笛を鳴らしています。
それは我々に対するエールなのか、ご愛嬌なのか、もしくはオチョクリなのか。
乗船客の殆どがコチラを見ていて、手を振ってきたり、あからさまに指を指して笑っているヤカラまでいます。
余裕をカマしてコチラから手を振り返してやっても良かったのですが、それどころではありません。
直後に我々を襲ってくるアンソレイユ波に備え、必死にハンドルを掴み続けるしかなかったのです。
そして波がやってきました。
ボートは激しく前後に揺れ、ヘサキは水を被り、ワタクシは思わず
「おうっ、おうっ」
なんて声が出ました。
幾重にも襲ってきた波をなんとかしのぎましたが、こんなメに合うのは二度とゴメンです。
とにかく、うの島まで逃げ込まねばなりません。
去っていくアンソレイユ号を追いかける形でスパートを駈けると、オコチャマを硬く抱きかかえた朱蘭さまが叫びました。
「ちょっと! うしろうしろ!」
なんと、湖の北岸に反射して戻ってきたアンソレイユ波が、再び我が家に襲い掛かってきたのです。
思わぬ奇襲に、波にヘサキを向けるヒマもなく、モロに斜め後方から攻撃を喰らいました。
ボートはねじれるように大きく揺れ、今度は
「ひゃうん、ひゃうん」
なんて声が出ました。
アンソレイユとはフランス語で「日当たり良好」という意味だそうですが、ワタクシの希望としては、マルール号とでも改名して欲しいものです。
やっと辿り着いたうの島の、ブチ壊れた北側桟橋に降り立つと、大きな鳥居が待ち構えていました。
うっそうとした繁みの中にキャンプ場があり、言うまでも無くソレは廃墟と化しております。
すでに棒のようになった足を引きずって島の頂上に続く階段を登れば、神社と展望台がありました。
朽ち果てつつある展望台に登ってみると、手入れがされていない為に木の枝に遮られながらも、なかなかの眺望でした。
これから漕いで帰らなければならない貸しボート屋の桟橋などもバッチリと見え、少しグッタリします。
神社の前の広場から、我々が登ってきたのと反対側の島の南岸に下りる階段があり、そちらを指し示す看板には
「遊覧船乗り場」
などと書かれ、もう二度と接岸する事も無いであろうマルール号の乗り場を教えてくれていました。
同じ看板には
「温水プール」
とも記されていて、この島にはそんなモノまで営業していた時代があったのかと感心させられます。
そんな南岸の様子も見てみたいキモチは大いにあったのですが・・・・・
帰りのボート漕ぎを考えると、もう余計な体力を使いたくなく、ヨタヨタと北側桟橋に戻るのが精一杯だったのでした。