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国境越え(1996春・マレーシア)
お笑い芸人の『猿岩石』、今となっては懐かしい。
1996年の4月から10月にかけて、テレビの企画で香港からイギリスまでヒッチハイクの旅をした二人組の事だ。
後に、3箇所ほど飛行機で移動していた事がバレて物議を呼んだりもしたが、
まあ、キケンがアブナい地域で無茶をして死なれたら困るだろうし、所詮はバラエティーの演出の一部だろうと思う。
いずれにしても、ワタクシのようなシロートから見れば、リッパな大冒険だった事は事実だろう。
そんな彼らがまだアジアをさまよっていた頃、ワタクシはシゴトで一週間ほどシンガポールに滞在していた。
カワダ、ヤマダ、そしてワタクシの3名で、すでに納入済みの装置の改造工事に来たのだけれど・・・・
新たに持ち込んだ制御基板が正しく動作せず、ニッチもサッチもいかなくなってしまったのだ。
「このやろう、来る前にチェックしたのかよ」
「オマエこそチェックしたのか」
「とにかく、オマエ達が悪い」
客先の喫煙室の片隅で見苦しく責任を押し付けあっても何の解決にもならず、結局、日本から新たな基板を送ってもらう事になった。
「どうするよ。基板が無きゃシゴトが進まないじゃんよぉ」
「進まないって言ったって、シゴトしてるフリしなきゃヤバいじゃん」
「とにかく、オマエ達が悪い」
相変わらず不毛な会話が続く喫煙室。
「せっかくだからさぁ、遊びに行こうぜ」
「遊びにって、どこへ?」
「マレーシア」
「マレーシア? マジで? 何しに?」
「国境を歩いて越えてみようよ。あの猿岩石みたいにさぁ」
「う〜む、そりはオモシロそうだ」
「とにかく、オマエ達は正しい」
担当者に
「今後の対策を練る為に、今日のところはホテルに戻ります」
などと思いっきりインチキくさい理由を述べ、ソソクサと客先を逃走する。
そして客先の最寄り駅、MRTと呼ばれる地下鉄のアンモキオ駅に到着。
MRTは後に延長されて山手線のような環状運転となり、今では国境の街・ウッドランズにもMRTで行く事が出来る。
しかし、当時はバスで行くしかなかったのだ。
駅のバスターミナルでそれらしい北のハジッコ行きのバスを発見し、運ちゃんに
「マレーシア? マレーシア?」
などと尋ねてみたものの、運ちゃんは何を言っているのかサッパリ判らない。
でもバスへの乗車が許されたところを見ると、全くのマチガエではなさそうだった。
ほどなく、なんだか妙にノドカな街でバスは終点となった。
そこが何という街だったのか、今となっては思い出せないが、たぶんウッドランズだと思う。
現在のウッドランズは高層マンションが立ち並ぶ大都市だけれど、とにかく当時はイナカだったのだ。
バス停からはなんだかずいぶん歩き、やっとイミグレーションに到着。
パスポートを握り締め、キンチョーの一瞬だった。
なにしろ当時の海外経験は、今回のシンガポールを除けば香港とハワイだけで、どちらも添乗員付きの団体様の中の一人。
しかも日本以外の国から国への国境越えは、全くの初めての経験なのだ。
「よっしゃ、いくぜぇ!」
シンガポール人でもマレーシア人でもないヨソモノ用のゲートはガラガラで、気合を入れるほどの事も無く出国終了。
あとは海を突き抜ける道、コーズウェイをひたすら歩いた。
よくよく見ると、このコーズウェイは橋では無く、両側を海に挟まれた土手道であることに気がつく。
ビッチリとテトラポットに覆われ、小船が通り抜ける水路すら無い。
「なんだなんだ、シンガポールは島ぢゃ無いぞ」
「江ノ島だって島なんだから、島って言ってもイイんじゃないの?」
「江ノ島は橋だけど、コレは橋とは言えない」
「どうだっていいじゃん」
意味のない会話を続けるうちに、マレーシア側のイミグレーションが近づいてきた。
またまたキンチョーしなければならない。
イミグレーションのかなり手前で、数人の人だかりが出来ている。
競馬の予想屋のような雰囲気のオッサンが一人で座っていて、マレー系の数名がパスポートを手にソコに並んでいるのだ。
そして予想屋風オッサンは一人一人に、ハガキ大の紙に何かを書き込んで渡している。
「おい、なんだありゃ?」
「判らん。なにやら事前に手続きが必要なんだろうか」
「とにかく我々も並んでみよう」
そして我々の順番がきた。
オッサンはウサン臭そうに我々を見つめ、早口で何かを言った。
どうやら
「オマエら、どこの国のニンゲンだ?」
みたいな事を聞いてきたらしい。
「ジャパニーズ、ジャパニーズ」
オッサンはアゴでイミグレーションの方向を指し示し、アッチに行けという素振りを見せる。
「なんだなんだ、オレらを無視するていうのかよぉ」
オロオロと立ち尽くす我々。
オッサンはイラダチ顔で、何も書き込まないままハガキ大の紙を投げつけるように渡してきた。
それは入国カードだった。
我々がシンガポール入国時に提出した入国カードの半券は、先程のシンガポール出国時に回収されていて、
そしてこれからマレーシアに入国する訳だから、新たに入国カードが必要になる。
恥ずかしながら、そのへんの仕組みがイマイチ思い浮かばなかった我々。
後に判ったのは、この予想屋風のオッサンの正体は代書屋だったらしい。
マレーシアにはまだまだ文盲の人がいて、シンガポールまで出稼ぎに行き来する彼らの為に、代わりに入国カードを書く商売をしていたのだ。
とにかく入国カードを書かねばならない」
「おい、滞在先って何て書けばいい?」
「シンガポール入国の時って、なんて書いたっけ・・」
「ホテルって書きゃイイんじゃないの?」
もう内容は忘れてしまったが、とにかくテキトーに書いて、いよいよマレーシア側のイミグレーションに向かう。
シンガポール側に比べてなんだか貧粗で、私鉄ローカル線の駅のようなたたずまい。
そこにバナナの叩き売り台のような造り付けのテーブルがあり、その反対側に制服を着た係員が立っていた。
まず、先頭はワタクシ。
ロクに荷物を調べられる事も無く、そして何一つ聞かれる事もなく通過が許された。
そのまま建物を出て、いよいよマレーシアの街に第一歩を・・・・
ど・どうした? 後続が来ない!
おそるおそる後を振り向くと、なんだかヤバい展開になっていた。
叩き売り台を挟んで、カワダと係員が激しく叫びあっているではないか。
ヤマダはカワダの横に寄り添い、ただただオロオロとしているだけで、そして叩き売り台の上には、あの制御基板が置かれている。
装置改造の為に客先に持ち込んだものの、正しく動いてくれなかった制御基板。
客先から直接ココに来たものだから、そのままカワダの荷物の中に入っていたのだ。
当時のマレーシアは精密電気機器類の持ち込みにイロイロと制約を設けていて、部品レベルにバラされたモノにも目を光らせていたらしい。
それに、カワダの制御基板が見事に引っかかってしまったのだ。
ちなみにカワダという男は日本人離れした顔立ちが災いし、後に韓国のイミグレーションでも引っかかっている。
その時は強制退去させられてしまった位だから、とにかく筋金入りのイミグレーション男らしい。
どうしよう。ヤツラがどこかに連行されたりしたら・・・・・・・
さっそくカワダの加勢に戻ろうとして、思わず足が止まる。
ワタクシの荷物の中には大量のタバコが入っていて、ヘタに戻って調べられたらヤブヘビになりそうな気がしたからだ。
「全員捕まったらシゴトが出来なくなる。ココは一人でも残って踏みとどまらねば」
などと都合のいいイイワケをココロの中でホザき、イミグレーションから離れて様子を伺う事にする。
シンガポールと異なり、道端にはタバコの吸殻やゴミなどが散乱し、なんだか町並みも薄汚い。
ふいに、どこからともなく現れた3人の男に取り囲まれた。
「*******、タクシー?」
どうやら白タクの斡旋らしい。
彼らはとにかく執拗で、「ノーサンキュー」と言っても離れようとしない。
ああ、何という所に来てしまったのだ。
ついさっきまで滞在していたシンガポールが、平和でキレイで妙に懐かしく思えたりした。
マレーシアの南端にあり、マレーシア第2の都市でもあるジョホールバル。
日本が初めてのサッカー・ワールドカップ進出を決めた試合が行われた街でもある。
我々がシンガポールからコーズウェイを渡って辿り着いた街が、そのジョホールバルだった。
ワールドカップの最終予選などは後の話で、当時の我々には全く未知の街。
そんな異国の地で、たった一人で立ち尽くすワタクシ・・・・
「おまたせっ」
ふいに、カワダがヤマダを従えて現れた。
「ど・どうした! な、何があったのだ!」
カワダによると、やはり制御基板に難クセがついたらしい。
係員は
「コレが何なのか説明しろ!」
「ナメてんのか?ココは税関だぞ!!」
「イイカゲンにしないと連行するぞ!!!」
などと怒鳴り散らしながらカワダを攻めたものの、ノラリクラリと日本語でしか答えないカワダに対し、
「日本語は判りましぇん。お願い、とにかく英語で喋ってぇ!!!!」
遂には哀願調になってきたらしい。
それでも
「アイ、キャン、スピーク、ジャパニーズ、オンリー」
まったく応じないカワダに痺れを切らした係員は、
「判ったよぉ、もうイイよぅ」
そんなような事を呟きながら、イミグレーションの出口の方を指差したというのだ。
制御基板も没収されずに。
「やるじゃん」
「まあね。どうせ動かない基板だから、没収されたらされたでイイやと思って」
ううむ、強気が功を奏したらしい。
ただし、こういう手口がいつでもどこでも通じると思ったら大マチガイだろう。
くどいけれど、カワダは後に韓国から強制退去を食らっているのだから。
やっと3人が揃い、ジョホールバルの街に繰り出す。
「何も買うものなど無いかもしれないから、両替するのは少し待とう」
そんな事を申し合わせ、まずはショッピングモールのような建物に入ってみた。
薄暗くてゴミだらけの階段の踊り場には何人かの男がタムロしていて、我々に視線を投げかけてくる。
「なんか怖いなぁ」
「うん。シンガポールが懐かしい」
カワダもヤマダも同じような感想のようで、なんだか少しホッとする。
「とにかく、メシを食おう」
そうだった。ヘンなトラブルですっかり忘れていたけれど、まだヒルメシも食っていなかったのだ。
とは言え勝手が判らず、アチコチを右往左往した結果、ハンバーガーショップに入った。
いわゆるマクドナルド風で、前払い・勝手に座って食うというカフェテリア式。
支払いはシンガポールドルでもOKという事だったのだけれど、なんだかおかしい。
マレーシアの通貨RM(リンギット・マレーシア)で書かれたメニューの金額を見て、4RMをシンガポールドルで払おうとしたら
「4シンガポールドルよこせ」
と言うのだ。
これでは通常のレートでいうと、倍くらい払う事になる。
「なんだかボッタクリだぜ」
「どうする? 頼んだハンバーガーは出来てきちゃったし・・・」
「仕方が無い、もういいよ。RMなんて持ってないんだし」
結局、言われるままに払うと、オツリはキッチリとRMでよこしてきやがった。
高額を払わされた割にはフツーの味のハンバーガーやらポテトやらを食らいながら、かなり気持ちは萎えてきた。
「なあ、もう帰ろうぜ」
「うん。異議なし」
「でもさぁ、ちょっと気になるんだけど・・・・」
カワダは、再びあのイミグレーションを通るのがイヤだというのだ。
「そんな事言ったって」
「よしっ。じゃあ、マレー鉄道で帰ろうぜ」
マレー鉄道とは、タイとの国境にあるパダンブサールを起点にマレー半島を横断し、シンガポールに至る鉄道だ。
当然ながら、このジョホールバルにも駅がある。
「そりは面白い」
「異議なし」
と言う事で即決し、駅をのぞきに行くと1時間半ほど後にシンガポール行きが出る事が判った。
一日に5〜6本しか運行していないので、これはラッキーと言うしかない。
「やった! シンガポールに帰れる」
「うん。さらばマレーシア! もう2度と来ないぞ!」
「ジョホールバルよ、もう我々には関わり無く勝手にニギわっていなさい」
シンガポール行きのキップを売るのは出発30分前からという事なので、駅の近くのフリーマーケットのようなモノを覗いて過ごす。
ズラっと並んだテントの中には、民族衣装やらフツーの服やら怪しげなオモチャやらがビッチリと並び、なかなか楽しい。
きっと、慣れればココだって魅力的な街に違いない。
居心地の悪さは、我々の自爆なのだ。
フリーマーケットの佇まいを眺めながら、妙にユッタリとしたひと時をココロ穏やかに過ごした。
いざ駅に戻る時は、何だかこの街が名残惜しくなったりするからフシギだ。
実際にカワダは、次のシンガポール出張時にもジョホールバルに再訪した事を後に聞かされた。
キップを買うと、ギッチリと並ぶと言うよりはダンゴ状に固まって改札の開始を待たされた。
ほどなく銀色のディーゼルカーがホームに入ってきて、いよいよマレー鉄道に乗車となる。
我々の乗った3等車は4人向かい合わせの座席だった。
適度に背もたれにも傾斜がついていて、往年の国鉄急行列車よりもイゴコチがいい。
社内はほぼ満席で、我々3人はバラバラに何とか席を確保できた。
出発して程なく、ワタクシの向かいに座った中華系のオッサンが話しかけてきた。
英語なのであまり意味は通じていないものの・・・・
マレーシアに住む医者である事、日本にも行った経験がある事、またマレーシアに来きやがれという事、
とにかく一方的に話し続けた。
自分の名刺まで渡してきたので、コチラからも何か・・・・
バックに入っていた携帯ティッシュに東京の風景写真が印刷されていたので、ソレをプレゼントしてみる。
「おお、サンキュー」
中華センセーは即座にティッシュの口をあけると、いきなり臭いをかぎ、
「なんだ、何のニオイもしないじゃないか」
そんな素振りで、少し失望した顔をした。
そうか、東南アジアは臭いの文化でもあったのだ。
ティッシュは臭いつきがアタリマエで、米にだって臭いがついているし。
おそらく中華センセーは、先進国・日本製のティッシュの臭いに、大いに期待したのかもしれない。
ツマラぬものを献上してしまった。
やがて、車掌が入国カードを配りに来た。
そうか、またまた書かねばならないんだった。
イイカゲンに慣れてきたので、何の事無くテキトーに書いていると・・・・
「エクスキューズミー」
声の主に目をやると、マレー系の大男が突っ立っている。
自らのパスポートと入国カードを鷲づかみにして突き出し、怪しげな笑みを浮かべているのだ。
「オッケー」
中華センセーは全てを知り尽くしているようにソレを受け取ると、大男に2〜3の質問をしながら、ササッと入国カードを書き上げた。
なるほど、この大男も文字が書けないのだな。
こういう手法のほうが、代書屋にゼニを払わなくて済むのだろう。
ただ、公衆の面前で
「アタシ、字が書けないんですぅ」
などと宣言しているみたいで、なんだか少しコッパズかしい。
しかしシンガポールという都市国家は、こういう人たちに支えられている一面もあるのだろう。
列車はタラタラと進み、いきなり降り出した激しいスコールに迎えられてシンガポール駅に到着した。
シンガポール領内でもマレー鉄道はマレーシアの所有物なので、駅が事実上の国境となる。
改札口と共に、ココのイミグレーションを通過しなければならない。
まさに改札口と代わり映えしない簡素な作りで、違う事と言えば、大きな犬の入ったオリの脇を通らされる事だった。
たぶん麻薬犬か何かだろうが、まさかタバコには反応しないだろうかという一抹の不安も考えすぎで、アッサリと通過。
「ただいま。帰ってきたぞ! シンガポール」
「ああ。一時はどうなる事かと思ったけど」
「ホッとしたらハラが減った。あんなバーガーだけじゃ足りねぇよ」
「よっしゃぁ。んじゃあ帰国祝いをしよう」
スコールの中、タクシーを走らせて和食レストランに向かう。
流れていく街の灯りが、車窓の雨粒に眩く光る。
「平和にカンパァイ」
「そうだ。平和がイチバンだ」
そんな事を口々にホザいて平和を噛み締めあったハズなのに・・・・
それから数日後。
日本への帰国の飛行機の中で、スッチーとの見苦しい対決が待っていようとは。
その話は、スッチーバトルをご覧くださいませ。
この文章は、かなり記憶が曖昧な部分が含まれております。
年月も経過しておりますので現状と異なる部分も多く、旅情報としては不適切です。
マヌケな読み物として捉えて頂ければ幸いです。
このページに掲載された写真は、入江寛さんのご好意でご提供いただきました。(写真の版権は入江さんに帰属します)
ワタクシどもが旅した時期に比べると、かなりハッテンしたイメージがあります。
マレー鉄道の現状につきましては、入江寛さんのサイト世界の車両からを御参照ください。
鉄道写真だけでなく、各国の旅客機の機内食の写真集などなど、とても充実した楽しいサイトです。