私 の 経 歴
十菱 麟
        大正5年7月15日生
     出生地 東京都杉並阿佐谷村
   現住所 大分県大野郡清川村天神
肥後銀行大分支店1096703十菱麟
*以下に記載していない分については「サンケイ紳士録」をご参照ください。

〔生まれ〕 小説家・十菱愛彦の長男として生まれました。彼は文壇の大御所・菊池 寛と喧嘩して、文壇から一時干されたのですが、講談社を建てた野間清治氏の恩顧を受け、私が小学校3年生になる頃までは文筆活動をしていました。昭和30年代より占星学者に転じ、昭和54年に没するまで、トービス星図の名で数冊の占星学・オカルトの本を出しています。

〔学び〕  父が貧しい文士であったため引越しが多く、杉並第3、第5、緑が丘小学校を経て、都立一中(現日比谷高校)、武蔵高校、東大文学部英文科と順調に来て、東大卒業の翌年1952年にガリオア・フルブライト留学生として、オハイオ州立大学大学院に1年学びました。

〔働き〕  戦後横浜の街頭で、GI目当ての扇子を売っていましたが全く売れず、自分に商才がないことを知り、東大を出てからオカネに縁がなさそうな教員の仕事を選びました。都立足立高校、武蔵中学、都立南多摩高校、日本大学理工学部で計10年ほど教えていました。
 三十代になってから、やっと世間の資本主義的営みに関心をもち(要するにカネが欲しくなって)株式会社英瑞カンパニーを建て、そこの社長となりました。哲学、宗教、神秘主義の本を20冊刊行したのもその頃です。翻訳生活は私が45才のとき新日鉄の仕事を辞めるまで続きました。私の著・訳書のうち世に知られているのは、読売新聞社から出した「超越瞑想入門」、たま出版からの「超能力の秘密」、霞が関出版の「奇蹟の人」などです。

〔結婚〕  結婚運が悪いというか、3回結婚し、そのうえの妻が2人いたため、私は21人の子女をもっています。今は中2から2歳までの6人が私とともに住んでいます。

〔アルコール〕第2の結婚が壊れたのがショックで、酒を飲み始めました。17年間毎日飲んで、アルコール依存症になりました。野坂昭如さんと同じように、断酒して立ち直ろうとしています。入院3ヶ月のあと、今は飲んでおりません。

〔希望〕  日本中を転々として、今は豊後の山奥にある人口3000人の清川村に住んでおります。人生再建をめざしている私に、英語の翻訳の仕事をまわして戴けませんか。英和は400字詰め1枚1500円、和英は2000円でお受けいたします。
                                  以上