盤珪不生禅
15.奇妙・不可思議

 大洲城下の村人の子供で水遊びをしているうちに溺死した者がいた。死体になって浮かび上がったのに手当てを施したところ、奇跡的に蘇った。ただ、いかなる故か、両眼が盲になっていた。その子はこのときから聡明・英知を表して、ほかの子供たちから抜きん出るようになった。琴を弾けば絶妙の音を出し、歌えば清らかな美声で人々を酔わせた。その芸によって、藩主の宴席に侍べるようにもなった。盤珪が城中に招かれて法座をひらくときは、この盲目の少年はいつも屏風の陰に坐ってさめざめと泣くのを常とした。時には禅師の前に出て疑問を呈することもあった。禅師はつぶさに教え導いたが、この少年の疑いはなかなか晴れなかった。それを見て、禅師は少年に言った。「お前はまだ畜生道を脱していないのだ。」あとで、他の者がこのことを尋ねると、「あの子の本性は龍である。溺れた子供の身体を借りてこの世に出て来て、仏法を聴聞するようになったものだ」とのお答えであった。奇妙な話である。今のオカルトばやりの世の中でも、龍の存在を信ずる者がいるだろうか。
 龍門寺につどう人々は俗人もあり僧侶もありで、ますます殷賑を極めたが、やがて一向宗(浄土真宗)の門徒もつぎつぎ参詣するようになった。ある真宗寺の坊主が自分のところに門徒が集まらなくなったのを嘆き、門徒たちにこう言った。「わしが出かけて、盤珪を屈伏させ、グウの音も出ないようにしてやろう。」
 早速、龍門寺におもむき、高い座に坐っていた盤珪に向かって大音声でこう叫んだ。
 「わが宗の高祖である親鸞上人は、かつて越後を教化されたとき、ある信者が川を隔てて長い紙を張り、阿弥陀仏の聖号を川の向こうから揮毫してくださいと願ったことがありました。親鸞上人はやおら筆に墨汁を含ませて、空中にスラスラと書くと、不思議や、紙の上に南無阿弥陀仏という字が書かれたのであります。これを川越の名号と呼び、今に伝えられておりますが、盤珪和尚にもそういう不可思議なことがおできになりますか。」
 「不届き者めが! そういう狐や狸の妖法を自慢して、この正法の場に持ち出すとは何事か!」と叱られた。恨み骨髄に徹したその坊主は、魚崎まで走って、同じ一向宗の能化という男に忿懣をぶちまけ、「親鸞上人を狐狸呼ばわりされて引っ込むわけにいかない。あなたも出てきて、あの盤珪と対決してくれ」と言ったが、能化は静かに答えた。「私も前に盤珪和尚の説法を聞いたことがありますが、あのかたはご自分で明らかになさったことをお話になるだけで、あれこれお経の話などなさいませんでした。禅は教外別伝と申します。私には何もわかりません。幸い、あの有名な大愚和尚が近くのお寺に来ておられるので、そこに行って見たらいかがでしょうか。」そこで、坊主は仕方なく大愚の所に行った。大愚和尚はその僧を見ると、「これはいいところに来た。ちょうど今は土木の仕事が忙しい。もっこ担ぎをやってくれんか。」そこで、仕方なしに工事を手伝ったが、仕事が苦しくて、もうお暇を頂きたいと申し出た。すると大愚禅師が「盤珪は自分が悟ったと言っておるのか」と尋ねた。「そうです」と答えたところ、大愚はこう述べた。「それならきっと悟りを開いているのだろう。お前には関係ないことだ。彼のことは彼に任せ、お前はお前のことをやっていればよろしい。何も抵抗することはない。」真宗僧は茫然として帰ったということである。盤珪の俗歌に次のものがある。

     きめう不思議は一つもないぞ 知らにゃ世界がみなふしぎ 


16.色餓鬼地獄

 盤珪は経論にわたらなかった。しかし、われわれに取って盤珪語録が一種の経論になってしまったら、これはつまらない。盤珪は言った。
「只、まっ正直に身どもがいふところを信じて、生まれつきのままにて、あとさきを分別せず、鏡に物の映るごとくなれば、一切万法通達せずというふことなし。疑ふことなかれ。」
まことにその通りだが、あいにく今の世には盤珪はいない。己れの心に問うしかない。「生まれつきのままにて」あなたも私も生きて来たのではないか。生まれつきが悪かったので、こんなに苦労をしたというようなことがあろうか。キリストも四十日四十夜、荒野で悪魔と対決し、そのあいだ野蜜などで飢えを忍んだが、民衆に伝道をする段になったら、誰にも苦行を勧めなかった。それは釈迦も同じ。盤珪もそうだ。自分と同じ苦難を衆人に押しつけようとする導師はどこにもいない。それなのに、結果的に見れば、どこの宗教でも苦労や苦行をする者がどうしても出てくる。これはどういうことなのか。