天神だより 〔復刊第1号〕
編集・発行人    十菱 麟  879−69大分県大野郡清川村天神
                    電話:0974-35-2140

天神だよりの歴史                          在天神940818・1425

 1988年は多難な年でした。8月8日に別府で八数が四つ重なる「富士びらき」の会を催しました。内弟子として、私に16年間付き添った牧野元三君が巣立って、ニューヨーク市に移り、かの他のサイババ・グループに合流した年でもありました。
 そして間もなく、牧野元三君はプッタパルティでサチャ・サイババのインタービューを初回に受け、「解脱」(この生が輪廻転生の最後)の印可を受けました。彼のような人は日本にもアメリカにも類を見ません。
 8888の会に牧野元三君も参加したかったようですが、多忙のため来日できませんで
した。会には、スブドの田原寛さん(埼玉)、神智学をやっていた高橋直継さん(大分で
私と牧野元三君にサチャ・サイババの写真ダルシャンを受けさせてくれた人)、妙神マツ
シタ、在神マツシマ、王仁イトウなどの大阪勢も参加してくれました。この大阪グループ
は、牧野元三君が托鉢行脚したとき接触した人々であります。
 1988年師走から翌年3月まで、私は大分県日田市のアルコ−ル病院におりました。医者の誤診により、アルコール依存症と判定されたためです。鉄格子付きの入院中に、
昭和天皇が崩御され、平成の時代が始まりました。それから5年経ちました。
 『天神だより』は1989年に創刊され、私の個人誌として100人ほどの読者のために細々と続きました。生活困難のため、そのうち立ち消えになりました。この個人誌は、やはり自由価・志納制を取っておりました。


サイババとの関係

 私の入院中、牧男元三君はNYCから、サチャ・サイババの写真やビブチを送ってくれました。同じ病室にいた或る逞しい猛虎的豪傑は、「こんな男はみたことがない! 恐ろしい人間だ!」と唸っていました。
 退院後、私ほサイババに関する英語文献を次々読み始めました。全く理解できず、しまいには腹を立てて、全部放り出してしまいました。
 1987年6月6日に、愉美子の第6子として日女(ひめ)が誕生して以来、私の3番目の正妻・愉美子は私に「性交の断絶」を宣告しました。「もう子供を生みたくないし、単なる性的快感のために、あなたと夫婦関係を続ける必要を認めない。むしろ、あなたの子供の一人に加えてもらいたい」という、至極尤もな、しかしオトコとしての私には痛烈な宣言でした。
 その当然の帰結として、1992年8月18日には、清川村役場を通じての正式離婚となりました。それはペーパー離婚のような曖昧なものでなく、愉美子との性的関係の完全な断絶の法律的証明でありました。
 1991年の夏休みに、愉美子は単身(団体旅行ではなく)プッタパルティのサチャ・サイババに会いにゆきました。おねしょ盛りの日女は、私の布団に寝かせて、夜中に起こすようにしました。総計6人の子供たちは、健気に共同生活をしておりました。

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 5日間のダルシャンを終わり、愉美子は帰国しました。柔らかい人柄に変わっておりました。しかし、彼女のインド体験談をいくら聞いても、さっぱり分かりません。
 それより前、1990年の夏に、神戸でサイババ全国大会(第一回)が開かれました。私も出席しましたが、サイババを取り巻く印度人に反感を持ち、新神戸駅前のホテルで独りの時間を持つようにしていました。ある夜、ちょうどミッドナイトの時計が鳴ったとき
に、私の「頭頂」(第7のチャクラ)に声が通って、次の言葉が聞こえました。
 「君はサイババ組織に合わない。組織ではつかまらない日本社会の底辺の人間に接触もらいたい。リンよ、3年後にわたしのところにお出でなさい!」
 指を折って、それほ1993年だと合点しましたが、貧乏な私に渡印の費用ができるはずもないし、そのまま放念し、その後もサラ金生活と苦闘していたのです。
 ところが、突然諸事が整い、1993年2月に私はサイババに会いました。ホワイトフィ
ールドとプッタパルティの2カ所でのダルシャンです。そのときの「大凝視」については、帰国後の「サイババ・シリーズ」10冊にいろいろ書きました。
 そして、1994年7月27日に、愉美子(1951年、奥州八戸生)は長女・王玉(大谷短大1年生)を連れて、オンナ二人旅でホワイトフィールドにお出でのサチャ・サイババに会いにゆきました。8月5日に帰りました。日女ちゃん(小1)は、またもやお留守番でしたが、「オカアチャンはサイババのとこよ」と元気でした。
 さらにそして、私も船井幸雄氏ご縁の160人ほどの同志・同胞と来たる9月11日前後に五隊に分かれて渡印します。

船井旋風

 本年3月終わりごろからの「船井旋風」は強烈なものでした。私は「職業」としてやっていたカイロプラクティック文献の翻訳ができなくなり、愉美子不在の或る日には、58通の来信と13回の来電に応え、夜の8時にはクタクタになって眠り、午前1時には起床し、前日から持ち越しの仕事をやるような夏でした。一投落してから、「これは大変だぞ。とても2000人を越す人々に一々丁寧な返事は書けない。スタッフ10人の事務局でもあれば、ディクタフォーンその他の電子機器を使って、何とかできるかもしれない。しかし、今の助手は愉美子と子供たちくらいだ。そうだ『天神だより』を復刊しよう。そして、私との関係を持続したいという人にだけこの個人誌を送ろう」と決心しました。
 私がパナソニック・ワープロに入力している『教皇予言』問い合わせの人たちの数は、年内に一万人になると見込まれます。一万人に80円で手紙を送っても、80万円かかります。船井幸雄さんのご好意はあリがたいのです。「ジューピシさん、70万円のサラ金を解決して、愉美子さんを安心させなさいよ」という電話も頂きました。しかし、、仕事に追われてサラ金どころではありません。利子を払って引き延ぽすのが精々です。
 この『天神だより』」復刊第1号の最後に、「自由価謎続購読希望」の申し込み用紙をつけるつもりです。それで「選英同胞・同志」を募りたいと思います。

イチ同胞団設立

 イチとはサチャ・サイババの言葉ではONENESSです。「イチ同胞」とは56億7000万の人類同胞です。神さまの同じえな(胞衣)に包まれて生まれてきた私たち兄弟姉妹です。
 その同胞が単に「会う」のではなく、「団子」である地球の上lこ「団結」している実相・
真実を体認する中核グループを、私は〔イチ同胞団〕と呼ぶのです。

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