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魔弾の射手 1

 朝霧の白いカーテンを突きやぶり、それは姿を現した。
 それは体中を鋼鉄の鎧でおおわれた蒼い巨体。人の何十倍もの力をふるい、車輪を力強く
回転させながら朝霧の中を突き進んでくる。
 大陸横断鉄道にその名も高い豪華列車「ブループラネット」。
 煙突から黒煙を吹き上げ、レールをきしませながら列車は徐々にスピードを落としていった。
 機関車が駅のプラットホーム間近になると、列車は充分に速度を落とし、やがて停車した。
 完全に停車すると、乗客車両の扉を押し開いて幾人もの乗客がおりたった。いずれも上流階
級の人間らしく、優雅な旅行ドレスやスーツを着こなしている。
 朝も早いというのに優雅におしゃべりなど交わしつつ、一団となって改札口へとむかう。その
途中、改札口方面からやってきた若い男、マクシミリアン・マクマーフィとすれ違った。
 紳士淑女の一団は、マックを汚い物でも見るような目付きでいたが、当の本人はまったく気に
していない。
 気にするような性格ではなかったし、事実うすよごれた格好だったからだ。
 一団がホームをさり、すっかり人気の失せたホームにぽつねんとたたずむマック。肩口にかけ
ていた使い古されたずた袋を床に置き、あたりを見回した。
 まだ早い時間帯のためか、降客の去ったホームにはマックの他に駅員ぐらいしか見あたらず、
閑散としていた。
 朝の冷気がマックの全身を包みむ。
 右肩に吊るした長めのザックをかつぎ、全身を古い旅行用マントにくるんだマックは、これから
自分が乗りこむ豪華な列車をしげしげと見つめ、ため息まじりに呟いた。
「………さすがに最高級だけのことはある……すごいねぇ」
 ブループラネットは、ティルキークス大陸の東西をむすぶ大陸横断鉄道のなかでも一・二をあら
そう豪華列車だ。
 列車はその内外を問わず、細かできらびやかな装飾が幾つもほどこされている。しかし嫌みな
ほど自己を主張する派手さではなく、お互いを引き立てあい、見る者を安心させ、それでいて歴史
を感じさせる装飾が随所に施されていた。
 さぞかし名のある芸術家の作だろうとマックはいたく感心した。
 感心したら、ぐうと腹が鳴った。まだ朝食を済ませていないことに気がついた。
「芸術観賞は腹がへるなぁ」
 懐から銀の懐中時計を取り出し、時間を確認する。
 短針は六という文字を回っていた。
「駅のティー・ラウンジは七時をすぎないと始まらないし、出発は正午だからこんなに早くくる必要
もなかったな。まずった」
 肩からずれかかった皮ベルトをきちんとかけなおし、とりあえず荷物をおろそうと、車両ナンバー
とチケットを見比べつつ、自分の個室のある車両をもとめて歩き出した。

 列車はちょうど正午に出発した。
 レールを踏む規則的な振動が、列車内に伝わってくる。
 列車は喧噪の広がる街並みを通り抜け、今はのどかな田園風景の中を進んでいた。
 食堂車で食後のお茶を楽しむフリをしていたマックは、車体の振動でティーカップの表面に広がる
波紋を何気なくながめていた。
 ティーカップの水面には、輪にゆがんでいるマックの顔が浮かんでいた。とびきりのハンサムとは
いえないが、そこそこ美形の部類にはいるだろうと自負している。
 マックは今年で二十七歳になる。
 大学を卒業した後、二・三の雑誌に論文や旅行紀を掲載したり、たまに教鞭をとるなどして資金を
ため、世界中の古代遺跡の調査をしている自称考古学者の探検家だ。
 ほとんどの資金を調査に回しているため、マックの懐はいつもピーピーしている。そのマックがなぜ
こんな豪華列車に乗っているかというと、なんのことはない切符をもらったからだ。
 遺跡調査の帰りみち。ふと大学時代の恩師の家に立ち寄ったとき、ポーカー勝負で巻き上げたの
がブループラネットの乗車切符だった。
 二ヶ月前から旅行を楽しみにしていた恩師の嘆きを後にしつつ、初めての豪華列車旅行に胸踊ら
せ、意気揚揚と列車に乗りこんだまでは良かったのだが――いきなり所持金が底をついてしまった。
「切符のほかに、現金も巻き上げときゃよかった……」
 師を師とも思わぬ鬼畜のごときセリフを呟き、ため息をつくマック。
 ここの支払を終えたら、あとは小銭程度しか残らない。念のために身体中のポケットを探ってみたが、
いくら試してみても増えてはくれなかった。
 旅行の醍醐味は、なんといってもうまい食事と酒だとマックは思う。が、せっかくの豪華旅行も所持
金がつきてはどうにもならない。このままでは早々に下車するはめになりそうだ。
 なんとか金を稼ぐ方法はないかと思案するマックのすぐ後ろで、だしぬけに若い男の声があがった。
「……ワーグナー博士? あなたはひょっとして、アリシア・ワーグナー博士ではありませんか?」
 驚いて紅茶をこぼしそうになったマックは、慌ててカップをおさえた。雫が跳ね、純白のテーブルクロス
に染みをつくったさまに顔をしかめ、後ろを振かえる。
 声の主は、マックと同年輩のスーツ姿の男だった。
 男は子供のように顔を輝かせ、いそいそと椅子から腰をあげた。そのまま、いま入ってきた男女の二人
組に歩みよる。
 周囲の視線をまったく気にする様子もなく、あるいは気づかないのか、女性に歩み寄り、両手をとって
盛んに上下にふっている。
「ワーグナー博士! あなたにこんなところでお会いできるなんて光栄です。いやぁ、感激だなあ。博士
には一度お目にかかりたいと思っていたんです」
 心底感激しているのか、男は二人組の片割れ、黒地に銀糸でルーンを縫った法衣を着けた神官に気
づいていない。もしかしたら視界にすら入っていないのかもしれない。
 女性は二十代の前半だろうか。
 まるぶち眼鏡と地味な旅行用ドレスがいささか不似合いだが、雪のように白い肌と、アップにまとめた
ブロンドのロングヘアが印象的な美人だ。
インテリふうの女性は滅多に取り乱したりはしないのだろうが、男の唐突な行動に、いささか面くらって
いるようだ。おもわず社交時礼したりする。
「………あ、ありがとうございます。私のほうこそお会いできて光栄ですわ」
「博士の著書はすべて読ませていただきました! まさにすばらしいの一言です! 博士の理論による
新型駆動機の開発は、人類の発展に大きく貢献することでしょう!」
 よほどうれしいのか、頬を赤らめ、あれこれ専門的なセリフをしゃべりまくっては感激している。しっかり
と女性の手を握ったままで。
「………あいつはたしか」
 マックは男の顔に見覚えがあった。
 すぐさま記憶にある知人の項を検索する。
 ほどなくして、1人の少年の顔が脳裏に浮かんできた。脳裏に浮かんだ少年に、十数年分の歳月を加
えるとその男の顔になった。
「……オコーナー。ヘンリー・オコーナーか」
(ガキの頃、良く一緒に遊んだっけなー。)
 マックの脳裏に、十数年前の美しい思い出がよみがえる。
 泣き虫のヘンリーに駄菓子をわけてあやしたこと。
 追いかけ回されていた凶暴な野犬から救ってやったこと。
 いだずらを見とがめられて一緒に怒られたこと。
 泳げないくせにボート遊びをし、転落して溺れそうになったことなどなど。
 よくいじめっ子に泣かされていたあのヘンリーが、こうも立派に育っているとは。なんだか感激するマック
だった。
(ちょうどいい。ワケを話して金を借りるか。)
 のこった紅茶を、ぐい、と一息に飲み干し、腰を上げようとする。その時、マックの視界に四人の男達の姿
が映った。
 それぞれが地味な色のスーツに身を包み、テーブルを囲んでとりとめない会話に笑い声をあげている。親
しい友人同士であれば、別段おかしくもないふつうの光景。
 だがマックは、なにかを感じた。
 浮きかけた腰を元の位置に戻し、かたわらの新聞を開いた。今朝がた駅のホームで買った全国紙だ。一面
には昨日の事故や事件のニュース、政治家の選挙演説の模様がでかでかと載っている。
 マックはそれらを読むふりをして、新聞紙の陰から男達をつぶさに観察する。そして、自分の直感が正しかっ
たことを確信した。
 互いに会話を交わしながらも、男達は別のことに神経を集中している。だいいち、笑顔をみせてはいるが眼
が笑っていない。おまけに――
「……あいつら全員、銃をもってやがるな」
 右肩にくらべ、わずかに下がり気味の左肩。膨らんだ左の懐。
 拳銃、それも大型の拳銃を携帯している証拠だ。
「警官、てわけじゃないな……警官ならもちょっと悪党面だし。制服の似合いそうな面構えではあるが……」
 しばし思案にくれているマックをよそに、男達は椅子を押して立ち上がった。そして出入口に向かって歩い
ていく。その先には、二人組みの男女と感動に打ちふるえるヘンリー・オコーナーの姿があった。
「アリシア博士。アリシア・ワーグナー博士ですか?」
 マックのそばを通り過ぎ、男達はにこやかに声をかけた。
「新進気鋭の天才女性科学者に、このような所でお目にかかれるとは光栄です。――ああ、申しおくれました。
私はマクレム通信社の記者をしております。突然のことで失礼ですが、インタビューをお願いしたいのですが」
 口調は穏やかだったが、有無を言わせぬ態度がそれを裏切っている。いまだアリシアの手を握っているヘンリー
をよそに、息を呑む男女の様子がマックには感じられた。
「――申し訳ないのですが、彼女はプライベートの旅行中ですし、いささか疲れています。できればご遠慮願い
たいのですが」
 アリシアをかばうように、間に割ってはいった神官がやんわりとお断りする。しかし、男達はそれを無視してヘ
ンリーに声をかけた。
「失礼ですが、あなたは――」
「あ、私ですか? 私はリューウェイ市で技師をしているオコーナーというものです」


>>続く

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