10)比例計算の落とし穴
和銅元年及び養老5年の銀銭が和同銀銭とする通説を検証すると、計数貨幣と秤量貨幣が同じ銅銭インフレ率で比例するなら和銅元年の銀1両は一定数の4枚和同銀銭(24g)の交換となる。これは銅銭インフレ率が分母・分子で割り切れるので銅銭インフレ率がいくらであろうと銀銭の一定数4枚である。さらに両年の銀銭が異なるケースまで検討範囲を広げるには、まず100、25の公約数がすなわち和銅元年の銀1両の銀銭交換枚数である。その銀銭枚数すなわち公約数(詳しくは25を割り切れ且つ100をも割り切れる数値)は1枚・1.25枚・2枚・2.5枚・3.125枚・4枚(=24g)・5枚・6.25枚(=37.5g)・8枚・10枚(=60g)・12.5枚・16枚・20枚・25枚(=150g)・32枚・40枚・50枚・64枚・80枚・100枚の20通りとなる。この基本銀銭枚数に銅銭インフレ率を加味して無数の交換説になる。この公約数で選択した銀銭枚数は和銅元年の銀銭・銀1両の銅銭交換枚数が通貨普及の基本政策である整数両替となる。比例計算を使って理想的な銅銭交換説を作り上げることもできる。それは銀1両の銀銭枚数が決定すれば銅銭インフレ率に無関係で養老5年の銀銭重量が決定する。すなわち養老5年銀銭重量g=1.5×和銅元年1両銀銭枚数である。養老5年の銀銭が理想の重量であるには小ぶりの和同銀銭として1.5×3.125枚=4.69gの重量にする。これから和銅元年の銅銭換算を養老5年の値から比例計算で逆に求める。和銅元年は1銀銭=4銅銭 銀銭1枚=6g 銀2両=25銅銭、養老5年は1銀銭=25銅銭 銀銭1枚=4.69g 銀1両=100銅銭 銅銭インフレ率=8倍(銅銭インフレ率は銅銭数の増減で変更可能)これは養老5年に小ぶりの和同銀銭(78%)を発行したとすると現存の和同銀銭の重量条件を満たしてしまう。拙者がこの理想の銅銭交換説を不採用にした理由は、まず当時の銀1コロ両は何グラムかの原点を検討し(ちなみに上記の小ぶり和同銀銭では銀1コロ両は18.8gとなる)、その結果として銅銭交換枚数が決定されると考えたからです。
11)検証:銅銭インフレ率を用いない養老5年の銀銭推測及び銀1コロ両の重量推定
第3ファクターとして銅銭インフレ率を用いずに、和銅元年の銀銭と銅銭の両替で1和同銀銭が4和同銅銭であることを利用する。続日本紀の和銅2年3月の 其物價銀銭四文己上。即用銀銭。其價三文己下。皆用銅銭。「その物の価銀銭(和同)4文以上は即ち銀銭を用い、3文以下は皆銅銭(和同)を用いよ」を解釈する。すなわち通説は5ヶ月後の和銅2年8月に銀銭発行中止の前触れとして銀銭を使用制限した銀銭使用制限説であるが、そうならば銀銭4文以上は無制限に銀銭を使用してよいとの矛盾文章を拙者は疑問視していた。これより拙者の見解は逆で銀銭4文以上は数多く必要な銅銭の生産が間に合わないので銀銭のみで使用せよ。なお3文以下は銀銭か銅銭の区分が無いが、銅銭と見なし銅銭が無くても銀銭を切銀(我孫子市で発掘の切断された和同銀銭を連想?)にして使用するな銅銭のみ用いよ。また間の銅銭4文以上銀銭4文未満は令として無く通常の銀銭と銅銭を混在して使って良い。即ち和銅元年8月銅銭発行後8ヵ月たったが、銅銭の発行量が少なくて銀銭とのバランス欠いたので銅銭不足対応を命じている。拙者の説は和同開珎の当初の通貨政策は信用力の強い銀銭を重視して銅銭より先に発行したが、すぐにニセ銀銭の出現により銅銭重視に政策を切り替えたことを物語る。
この和銅元年は1銀銭=4銅銭であったとして、和銅元年の銀1コロ両の銅銭枚数及び和同元年〜養老5年までの銅銭インフレリ率を算定する。まずは養老5年の両替で1銀銭=25銅銭且つ銀1両=100銅銭から、銀1コロ両=(100銅銭)=4銀銭が導かれる。養老5年の銀銭は通説の和同銀銭・拙者の賈行銀銭等があり銀銭重量も不明である。この養老5年の銀銭の選択範囲を広げて検討してみる。
○和銅元年と同じ和同銀銭(6g)が養老5年の銀銭の場合→養老5年の1コロ両=24g、和銅元年は銀1コロ両16銅銭となる:これは6.25倍の銅銭インフレ率→1コロ両が24gでは大安寺資財帳から軽量と判断し棄却する。
○小ぶりの和同銀銭(4.69g)が養老5年の銀銭の場合→養老5年の1コロ両=18.8g、和銅元年は銀1コロ両12.5銅銭となる:これは8倍の銅銭インフレ率→1コロ両が18.8gではこれも大安寺資財帳から軽量と判断し棄却する。
○未見の大型和同銀銭(9.375g)が養老5年の銀銭の場合→養老5年の1コロ両=37.5g、和銅元年は銀1コロ両25銅銭となる:これは4倍の銅銭インフレリ率→これも1コロ両が37.5gで大安寺資財帳から軽量と判断し棄却する。注:未見大型和同銀銭9.375gで重さが近いのは無文銀銭である、しかし養老5年に無文銀銭鋳造では時代が下りすぎるので却下した。
○賈行銀銭(37.5g)が養老5年の銀銭の場合→養老5年の1コロ両=150g、和銅元年は銀1コロ両100銅銭となる:これは1倍の銅銭インフレ率→1コロ両が150gで大安寺資財帳に該当する。
○未見の大型賈行銀銭(厚さ8mmで48g)が養老5年の銀銭の場合→養老5年の1コロ両=192g、和銅元年は銀1コロ両128銅銭となる:銅銭インフレ率は0.78倍とデフレになる。銅銭が次々と増産鋳造されて時に銅銭マイナスインフレは考えにくいので棄却する。
○1コロ両の重量の妥当性から賈行銀銭(37.5g)が養老5年の銀銭であると絞り、逆に和銅元年の1銀銭4銅銭以外の銀銭を銅銭両替で1銀銭10銅銭及び1銀銭25銅銭ではデフレのマイナスインフレとなり棄却する。なお1銀銭1銅銭及び1銀銭2銅銭は高インフレ(4倍及び2倍)になるが1銀銭4銅銭についで有力候補である。しかし繰り返しになるが和銅2年3月の「その価4銀銭以上は銀銭、3文以下は銅銭を使え」の文が1銀銭1銅銭〜3銅銭においては、1銀銭4銅銭に比べて意味が通じないので却下する。
以上1コロ両の重量及び和銅元年から養老5年までの銅銭インフレ率等を加味し検討結果は、養老5年の銀銭は重さ37.5gを基準とする賈行銀銭であり、和銅元年及び養老5年の銀1両は旧の重量単位コロ目の150gであった。さらに古い無文銀銭時代も銀1コロ両150gであったならば無文大型銀銭は1コロ分銀銭(基準37.5g:ただし現存の無文大型銀銭は約35.7g)で、無文銀銭は1コロ朱(基準9.38g)銀銭となる。さらに大宝2年(702)3月度量の基準器の全国頒布で衡(重量)がおそらく分銅増産技術的問題及びコスト理由で除外されていることから、旧コロ目単位の分銅で唐目単位に簡単に換算可能化して銀1コロ分は銀1唐両(37.5g)と例え差があっても、無視できるぐらい近かったとも推測できる。
|
(参照1:養老5年の各候補銀銭の検証)
養老5年の銀銭の種類 |
養老5年の銀銭の重量 |
銀1コロ両の重量(養老・和銅共) |
和銅元年の銀銭銅銭両替率 |
和銅元年の銀1コロ両銅銭両替率 |
和銅元年〜養老5年間の銅銭インフレ率 |
検証評価 |
標準和同銀銭 |
6g |
24g |
1銀銭4銅銭 |
16銅銭 |
6.25倍 |
軽量棄却 |
小型和同銀銭 |
4.69g |
18.8g |
1銀銭4銅銭 |
12.5銅銭 |
8倍 |
軽量棄却 |
未見大型和同銀銭 |
9.38g |
37.5g |
1銀銭4銅銭 |
25銅銭 |
4倍 |
軽量棄却 |
8.5匁説賈行銀銭 |
31.9g |
127.5g |
1銀銭4銅銭 |
85銅銭 |
1.18倍 |
次点 |
賈行銀銭 |
37.5g |
150g |
1銀銭4銅銭 |
100銅銭 |
1倍 |
妥当 |
未見大型賈行銀銭 |
48g |
192g |
1銀銭4銅銭 |
128銅銭 |
0.78倍 |
デフレ棄却 |
注:H14/2/12追記)8.5匁の賈行銀銭は一応次点であるが、当時1.18倍という微妙なインフレ率に合わせて銀銭を鋳造したとは想定できず却下した。なお賈行銀銭の基準重量を37.5gにしたことであり、当時の鋳造技術から軽め重めの誤差ある銀銭が存在したとする方が妥当である。
(参照2:養老5年銀銭が賈行銀銭として両替率の検証)
養老5年の銀銭の種類 |
養老5年の銀銭の重量 |
銀1コロ両の重量(養老・和銅共) |
和銅元年の銀銭銅銭両替率 |
和銅元年の銀1コロ両銅銭両替率 |
和銅元年〜養老5年間銅銭インフレ率 |
検証評価 |
賈行銀銭 |
37.5g |
150g |
1銀銭4銅銭 |
100銅銭 |
1倍 |
妥当 |
賈行銀銭 |
37.5g |
150g |
1銀銭1銅銭 |
25銅銭 |
4倍 |
次点 |
賈行銀銭 |
37.5g |
150g |
1銀銭2銅銭 |
50銅銭 |
2倍 |
次点 |
賈行銀銭 |
37.5g |
150g |
1銀銭3銅銭 |
75銅銭 |
1. 33・倍 |
無理数 |
賈行銀銭 |
37.5g |
150g |
1銀銭10銅銭 |
250銅銭 |
0.4倍 |
デフレ棄却 |
賈行銀銭 |
37.5g |
150g |
1銀銭25銅銭 |
625銅銭 |
0. 16倍 |
デフレ棄却 |
切断の和同銀銭 無文大型銀銭
|
12)おわりに
拙者は過去に賈行銀銭がボナンザの貨幣手帳説の15gとの前提で検討を進めてきたが、現物を見たことも無く触れた事もないので一抹の不安があった。それで東京国立博物館に問い合わせると銭の厚さが6mmの銀銭との返事を頂いた。始めはそんなお餅みたいな銀銭は日本に無いので間違いかとも思料した。しかしはっきりと数字で示しているのだから、この銀餅も検討に入れようと考え直した。そしてどうも37.5gの賈行銀銭が正しいと発表後、賈行銀銭の縁拓本があることを日本貨幣協会の鈴木副会長から教えられ、結果やはり縁の厚い重い銀銭であった。整理すれば1賈行銀銭(37.5g)=25和同銅銭、1和同銀銭(6g)=4和同銅銭、1コロ両(150g)=4賈行銀銭=100和同銅銭、1コロ両(150g)=4唐目両(37.5g×4)となる。歴史上の課題は現代人が過去を見に行くことができず、立証できないので各説が乱立する。しかし最近骨のDNA鑑定が可能となり縄文人と現代のバイカル湖畔のブリヤート人が極めて近い関係が判ってきた。この様に歴史上の課題にDNA鑑定という数理分析そのものを導入させる画期的方法が起こってきた。これより拙者は養老5年の銀銭を巡る課題で過去現在共に変わらない数理公式を基に銀銭解明を実践しました。なお賈行銀銭は裏郭が無いという特殊な形状の為、現在ある賈行銀銭のまずは正式計量結果及び復元の大きさ・重さ推定値が発表されることを期待したい。またこの論文は日本貨幣協会発行誌の「貨幣」でH12/10月5号及びH13/8月4号で発表した拙者の論文を編集しなおし一論文にしました。なおこの発表にあたり利光三津夫氏、今村啓爾氏を始め先輩諸氏の論文を参考にさせていただきましたことを、この紙面を借りて改めまして御礼を申し上げます。 以上
【参考:当時の度量衡・和同銀銭の重量】
○702年(大宝2年)の度量衡の基準(ややこしいのは大小の基準がありその都度判断が必要・一般に養老3年【719】以降は小を使わず大の基準に統一された)
寸法・1丈=十尺=百寸=千分 1大尺=1.2尺 現代換算値 1尺=8.08寸=24.7センチ(他説で29.7センチもある)
容量・1斛=十斗=百升=千合=万勺 1大升=3小升 現代換算値1小升=6.63合=1.1934L
重量・1斤=16両 1両=24銖 1大両=3小両 現代換算値1両=10匁=37.5g (銀1両=10匁=3 7 .5gは江戸時代狩谷エキ斎の研究である。)
○和同銀銭は代表基準値6g=1.6匁とする。
和同銀銭の重さの代表基準値を6gとした根拠は、真の代表値はその鋳造された度数平均値である。だが現存し重量の記録のある銀銭は少なく(著者が認識数は約20個)母集団の推定サンプル数に達してない。矢部氏著の「古銭の集め方と鑑賞」では和同銀銭の重量は4.5〜8.2gとなっている。これに著者の把握している範囲外のサンプル4g(石川・末松廃寺出土、なお3gもあるが異常値として除いた)を加えて4.0〜8.2gとする。サンプル度数が増えて無限大に近づくほど単純平均になる。この単純平均6.1gを基本に匁単位で割切れる軽めの最近傍値として6g(1.6匁)を和同銀銭の代表基準値と決めた。そのサイズは直径24ミリ・厚さ1.67ミリ・重さ6gが標準和銅銀銭とする。
○賈行銀銭の重量(H14/2/12追記)
収集2002年1月号に小槌義雄氏の記載文で「賈行銀銭の重量」があり引用させていただきます。北浦大介氏の記事「新出土開基勝寳を見る」(昭和13年3月刊貨幣)で「(銀銭)破片は復元すれば径1寸1分(33mm)にもなる位の大きさであり厚みは2分3厘(6.9mm)ある、破片の重量3匁9分7厘5毛(14.9g)であるが、この破片は全形の半分にも足らないから、完全なものは8匁5分(31.9g)もあったらうと思はる」とある。小槌氏は破片重量は3匁9分7厘5毛(14.9g)が正確と軍配をあげているが、著者も数字が微細であり同様に正確と思料する。しかし復元重量は33mmの径銀銭として破片の面積割合からもう少し重く35g〜38gにあると推定し、著者の基準重量値37.5gが復元重量により近いと思料します。
〇大家の同説発見(H14/8/4追記)
「賈行銀銭は養老5年(721)に発行された」は拙者独りの説と思っていました。しかし偉大な権威者が同説すでに唱えられているのを知り驚くと共に心を強くしました。その権威者は既に故人ですが、名古屋大学の教授であった弥永貞三氏です。日本貨幣協会の長沼哲也氏より参考資料が送られてきました。それは国民生活史研究2 生活と社会経済 伊東多三郎編 吉川弘文館の中の「奈良時代の銀と銀銭について」で弥永貞三氏は述べていました。立場上非常に慎重な言い回しで「量目も判らず無謀なことであるが」と断った上で、「私の直感として賈行銀銭は養老5年の1両銀銭である」と述べておられました。すなわちこれは私が言う「賈行銀銭は養老5年発行の重さ37.5gの大型銀銭である」と同説であります。
【引用】「大安寺史・史料」大安寺史編集委員会名著出版、「大日本古文書 編年2」東京帝国大学蔵版 大日本図書椛シ、「古貨幣夜話」第4話 利光三津夫著 慶應通信、「続日本紀」宇治谷 孟著 講談社、「貨幣」第44巻 第5号【謎の銀銭・賈行銀銭解明への探究】著者 日本貨幣協会、インタ−ネット東京国立博物館カラ−フイルム検索 C28681(表面)C28682(裏背)、「富本銭と謎の銀銭」今村啓爾著 小学館 その他
著者の紹介:花野 韶(Hanano Akira)1944年生 住所 〒270-0136千葉県流山市古間木278−176 電話 0471-59-5861 E-mail otukai@mug.biglobe.ne.jp 日本貨幣協会 理事 以上
|
・参照3:「大宝2年(702)から天平宝字4年(760)まで」銀銭の関連年表
年代
|
月日
|
記事
|
備考 |
大宝2年(702)
|
3.8 |
度量の全国公布
|
衡(重)は除外
|
和銅元年(708)
|
5.11
8.10
|
新たに和同銀銭を発行
新たに和同銅銭を発行
|
銀を和同銀銭で回収
|
和銅2年(709) |
1.25
|
さきに銀銭を頒布し銀隗を回収し銅銭を同時発行。悪党が偽銭を造り公銭に混ぜて使用。偽銭の私鋳者は没官・財産は告人に与える。銭の変造者は杖200回で強制労働、無告者も同罪。 |
和銅元年の2銭発行を念押し偽銭がすぐ出現偽銭造りは重刑
|
|
3.27
|
銀銭(和同)4文以上は銀銭を使い、3文以下は銅銭(和同)のみで
|
切銀の禁止?銅銭不足対応方法
|
|
8.2 |
銀銭(和同)を廃止、銅銭のみ発行
|
|
和銅3年(710)
|
9.18 |
天下の銀銭(和同)の使用禁止
|
全国で使用禁止
|
和銅4年(711)
|
5.15 |
銅銭(和同)1文は籾6升に相当 |
6升は大升又は小升か?
|
養老5年(721)
|
1.29
|
銀銭1(文)を銅銭25(文)に換算し、銀1両を100銭に用いよ
|
両替令のみか?
|
養老6年(722) |
2.27 |
市で政府公定価格が不保持、以後 200銭を用いて銀1両に当てよ
|
わずか1年で2倍に改定
|
|
12.7
|
元正天皇大安寺に銀銭寄進
|
古銀銭と記載
|
天平元年(729)
|
4.10
|
入京兵の養育の仕送費計算は銀2両でつむぎ1疋(ひき)、銀1両で米1石・絹糸小2斤・綿小8斤・麻4段と見なす。兵1人当たり銀20両の割で産出物を換算せよ
|
当時の物価と銀の価値を知る指標
|
天平19年(747) |
2.11 |
大安寺資財帳政府に提出
|
|
天平勝宝3年(751)
|
|
市の売買事例で米6升30文を換算籾1斗25文
|
正倉院文書
|
天平宝字4年(760)
|
3.16 |
銭が流通して久しい。偽銭が半分に及んでいる。新銭を発行し旧銭と併用。新銭は萬年通寶といい旧銭の10枚に相当。銀銭は大平元寶で1枚で新銭の10枚に相当。金銭は開基勝寶で1枚で銀銭10枚に相当。
|
52年ぶりに新銭 |
|
8.22
|
寺院・神社に新銭を賜る
|
西大寺の関連?
|
天平神護元年
(765)
|
2.29
|
市で売った籾の価格は1斗で100銭
|
(参考)100銭は旧銭か?
|
天平神護3年(767)
|
2.4 |
称徳天皇東大寺行幸で献納
|
正倉院の銀壷に刻印
|
|