3、銀目の計算
武士の家計簿(磯田道史著・慶応大卒・慶応大講師)に加賀藩御算用者の幕末維新期の金銭記録がある。しかし加賀藩は大阪と同じ銀使いで出費は銀と文銭であった。殿様から拝領したボーナスの小判も銀・文銭に両替している。
天保14年の両替の平均値では
○銀→銭 24回 876.5匁→74115文 84.558文/匁
○金→銭 2回 1.5両→9060文 6040文/両
○金→銀 1回 2両→144.5匁 72.25匁/両
天保14年7月の両替は
・銀→銭 84文/匁 ・金→銭 6300文/両 ・金→銀 75匁/両
○家計簿の事例で 猪山直之が借金返済で家財物品を売り払っているが
・直之44品目 銀841.75匁(衣類635 食器3.37 書籍140 家具59 他4.38)
・信之(父)24品目 銀812.17匁(衣類35.56 茶道具424 食器270.61 家具7 他75)
・妻13品目 銀713匁 (全て衣類)
・母 7品目 銀197匁 (全て衣類)
合計88品目 銀2563.92匁
と計算単位は匁・分・厘と小数点2桁の表示がある。
両替基準(匁=84文ならば) 合計88品目 銀2563.92匁=2563.5匁+0.42匁×84文=2563.5匁35文
銀目使いは藩札が主体で金沢藩では最低額5分札(42文)まであり、他藩では1分札(8文)や5厘札(4文)以下まであり、文銭もほとんどは補充程度あった。
銀使いの本場大阪も秤量貨幣の丁銀・豆板銀を秤で使うのは面倒で、両替商発行の預かり手形(持参人払い廻り手形)が貨幣の役わりをした。
銀目の計算は判金の計算とは違い小判も文銭も最初に両替計算し銀目一本化計算で行った。両替相場安定期で大量データの計算は繰り上げ・繰り下げが当然何度も発生するので12.34匁と小数点2桁までで計算していた様です。ただし割る分母は匁=84文ならば分母が2桁故に誤差が大きくなるので両替値84で割り小数点3以降はすてて計算していた模様。また割算が面倒で相場に合わせ判金・文銭から銀目間の両替換算早見表があったと思う.
銀が暴落した幕末期を除いては小数点2桁の匁で近似1文(例:匁=84文→0.01匁=0.84文)単位まで表示計算可能である。これより最初の記載時に両替計算の手間がかかるが、江戸の金使いの分離計算とは逆に銀建表示のみで大福帳などを記載し十進法で計算できるメリットがあった。されど慶応4年(1865)5月9日の新政府が関西での銀目廃止令は銀使いの大阪に大混乱が起き、銀札が使えなくなると勘違いした民衆の丁銀正貨への変換を求めて取り付け騒ぎになり、大阪の銀札発行元の多くの両替商が倒産した。実際には銀目(丁銀・豆板銀)は廃止したが銀札の金銭札(太政官札)への切替は認められていた。
また最初の例題の1匁2分3厘の16%の1分9厘6毛8糸(=匁1968)は銀目表示で計算を止め、決済時に両替相場(例:銀1匁=64文)で計算して12.6文切いい12文である。これを1分9厘で止めて計算しても12.5文即ち12文と変わらず。
藩札に五拾目や壱百目との表示もあり、20匁以上の十・百単位で終わる場合は慣習として匁では無く目の字を使った。また贈答用語で銀1枚とは銀43匁のことである。さらに北九州の銭札に7銭1分や8銭5分という単位があるが、7銭は70文で1分は10%であり結局は7文、8銭5分は40文となる。また永銭150文とあるが昔永楽通寳の値打ちが4倍であったなごりで文銭600文の意味です。さらに銅と言う単位もあるがこれは文と等しい。
4、和算書からの計算根拠
江戸の三貨制のそれぞれ金銀銭相場が変動して非常に面倒であったと思われます。それ故にまずは金使いで両単位に統一する。判金の四進法は固定換算の小数点付の十進法に変換する。
分・朱から小数点以下の十進法両への変換・逆変換に3分3朱(0.9375両「15/16両」:15朱)〜1朱(0.0625両「1/16両」)までの15個の一覧を習慣で暗記をしていたと思われる。「和算には分数表現は無いが参考の為」
換算表 |
0朱 |
1朱 |
2朱 |
3朱 |
0分 |
0 |
0.0625 |
0.125 |
0.1875 |
1分 |
0.25 |
0.3125 |
0.375 |
0.4375 |
2分 |
0.5 |
0.5625 |
0.625 |
0.6875 |
3分 |
0.75 |
0.8125 |
0.875 |
0.9375 |
和算「塵劫記(じんこうき)」の問題集に15両6875(=15.6875両)は何分何朱であるか?とある。この0.6875が半端が無い朱単位の数値(2分3朱=11朱)であり文銭が加算されてないことからも分離計算であったことが推測できる。問題の答えは一覧を記憶していれば15両(=60分)+0.5両(=2分)+0.1875両(=3朱)で62分3朱になる。ソロバン計算で求めると15.6875両×4=62分75、0.75分×4=3朱で62分3朱となる。和算書では小数点4桁で表示されており、ソロバンでは面倒な計算となるが小数点4桁でしていた様である。
5、金使いの実際の商取引では
松本荷問屋(2項)の大福帳を参照して朱貨幣が無い時代は両・分単位のみで商取引記録を行い、分未満は文銭での商取引記録であった。両・分のソロバンの計算は両・分グループを十進法に表示(例5両1分=5.25両)変換して計算した、即ち3分=0.75両・2分=05両・1分=0.25両の3種類を暗記する。そうして例10.75両を10両3分と戻した。文銭単位はそのまま計算した。両分単位であればソロバンで桁数も少なくすみ(999両まで5桁)掛算・累積計算も楽であった。
また銀目表示の商品(例えば米)を金建に変換表示する場合は、金建は何両何分の分単位まで、除余は何匁何分と銀目表示した。この表示方法は朱が発行された後の幕末まで変わらなかった。
歴史的にも二朱金(元禄二朱判金:1697)が発行されたのは最初の一分金(慶長一分判金:1601)発行から約100年後で朱貨幣が無い時代が1世紀も続いた。さて二朱判金が市場に出ると朱単位(2朱のみ)の商取引も始まりソロバン計算も両・分・二朱をグループ化10進数(小数点第3位)で計算したと思う、即ちそれまでの3分・2分・1分の両換算に2朱単位を追加して計7種類を暗記し計算する。
さらに130年後の文政一朱判金(1824)続いて文政南鐐一朱銀(1829)に発行されると、自然に1〜3朱の商取引が増えた。2朱単位までは慣れていたので1朱・3朱の追加記憶で両単位に換算し、15種類を暗記して慣れで計算は出来たと思う。ただし両を使わない分朱単位の小額は朱(尾揃え)単位で暗算を行い使い分けた可能性もある。
6、江戸でのソロバンの使い方
江戸のソロバン利用法はソロバンが高価につき1台のソロバンを3分割して例えば左側は金判計算、真ん中は銀目計算、右側は文銭計算と器用に行っていたと思われる(掛算・割り算で桁数が不足すれば別のソロバンに展開)。すなわちドル・ユーロー・円とまるで今日の外貨を扱うようにしていたと思われます。
当時の江戸での商取引は、価格表示が金・銀・銅とそれぞれであれば、客(購入者)その金種に合わせた。例えば食い物屋で銭表示に小判を出せば断られることすらある。両替の計算やおつりが用意できない、文銭勘定以外の販売はいたしませんと店内に注意書きを貼ってあったようです。
銀使い藩の銀札には小額単位札があり銀使いと言うよりは紙幣使いが現実であったようです。しかし江戸では紙幣が無く金・銀・銅(鉄)の金属貨幣であった。そこで秤量銀貨幣が多かった江戸時代の前半は商店には竿秤があり、また竿秤を持った行商人は銀(丁銀・豆板銀)で商売をしたと思われる(天秤は両替商に限られていた)。
そこで銀で請求して客が銀の持ち合わせが無いときには金又は文銭で受け取った。この両替で手数料プラスが必要であったのかは現在では判りません。なお両替の計算及びおつりの手間に時間を取れない食べ物屋などは店内で文銭勘定以外の取引は断ると注意書きがあったようです。
さらに江戸の銀目表示も大工の日当5匁4分・呉服代金・歌舞伎20〜35匁の見料など中級品の支払いに結構あります。そこで江戸で秤を持たない間での銀使いの商取引(例えば大工と施主)などは、実際に秤量貨幣が少ないことを考慮すると、例えば大工の日当5匁4分=360文=1朱110文(1朱=250文、1匁=200/3文=66.67文、1朱=3匁7分5厘として)となる。食い物屋の文銭勘定に固守とは異なり、柔軟に金建・文銭使いが併用可能であったと推定します。これは幕末銀貨幣で秤量貨幣(丁銀・豆板銀)は5%で定位銀貨幣(分・朱銀)が95%であった(浅井晋吾氏談)。これより幕末の銀札の無い江戸では銀目の価格表示は慣習による名目値段表示に限りなく近く、実際は金建の1分銀・1朱銀の定位銀貨幣と端数は銭使いであった様です。この両替で手数料プラスが必要であったか現在では判りません。しかも大阪では銀札で秤量の丁銀・豆板銀を要求すると割高の両替料が必要であった様です。この傾向は江戸でも同じであったと思う。なお計算結果で文の端数はあまり厳密にせずに、100文が96文で通用したように0.96〜1.0倍位で、切りよい例えば4の倍数とアバウトにした様です。
それ故に金・銀・銭の両替相場に江戸の人々は非常に敏感で相場値(両替及び米など)が生活の一部であったと思う。以上
引用:国民生活史2生活と社会経済(吉川弘文館)に元禄時代の都市産業と農村商人「貞享三年(1686)松本荷問屋の大福帳から」中井信彦著(S13慶応大卒・慶応大講師など)、慶応義塾大学出版会web「福沢屋諭吉」の営業活動(その3)日朝秀宣著、全国弐百弐拾藩藩札図鑑大場峻賢著、東北・北海道の貨幣工藤祐司著、お江戸の意外な「モノ」の値段中江克己著、「塵劫記」吉田光由竹内均著、江戸の数学桐山光弘・歳森宏著
など
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