江戸の金使い 「四進法のソロバン」
平成19年3月10日
花野 韶
 江戸の金使い・大阪の銀使いは有名です。商人はソロバンで勘定をします。もちろん武士も勘定奉行所はソロバンを使います。江戸時代のソロバンは五珠玉2個(少ないが1個品もあった様です)と一珠玉5個であり、十進法で+−×÷の四則演算をします。さらには平方根・立方根まで出した。ソロバンで五珠玉2個は中国が1斤=16両の16進法であった名残だそうです。まずは大阪の銀は秤量貨幣で1匁2分3厘と十進法で問題なくソロバンが出来ます。例えば年1割6分の利息を計算すると1匁2分3厘は1分9厘6毛8糸と簡単である。ただし金の分(ぶ)と区別する為銀は分(ふ・ふん)と呼んだ。しかし江戸の小判分金は四進法です「1両=4分=16朱」。これを十進法のソロバンでどうやって1両2分3朱の年1割6分の利息計算をどうしたかが問題です。因みの電卓では1分80文(相場1朱=250文として)と取りあえずなりました。そのやり方は1両2分3朱=27朱と朱単位に換算して16%=4.32朱=1分+0.32朱=1分+0.32×250文=1分80文であった。

この4進法のソロバンに付き、ソロバンメーカー・造幣局・日銀貨幣博物館・日本珠算連盟に問い合わせた。回答はソロバンメーカー・造幣局は判らない、日本珠算連盟は大阪の村上耕一先生から返事が来てソロバンは高価で持っている人は意外と少なかったなど良いお話が聞けました。日銀貨幣博物館が文単位に変換して算定した回答がきてヒントになりました。そこで江戸・明治初期の書簡・大福帳・家計簿を見ながら四進法計算のソロバンの方法を探った。

1、福沢諭吉の書簡
         (明治3「1870」年2月20日九鬼隆義宛)

〔前略〕ご注文の『世界国尽』の製本ができましたので、200部を納めます。代金等のことは担当の係の者が管理することであって、直接に申し上げるのは昔からの習慣に反し、礼を失するようですが、無益の手数を省き、有害の間違いを防ぐため、わざと直接に勘定書をご覧に入れました。悪く思わないでお聞き入れ下さるようお願い申し上げます。〔後略〕

この書簡にも、次のような「三田藩宛福沢屋諭吉覚書」が同封されている。

                覚金250両也  

世界国尽 200部代 1部につき金1両1分 内金37両2分 定価1割半引残正味金212両2歩也この通りになりますので、代金は為替でお送り下さるようお願い申し上げます。以上。   2月20日 福沢屋諭吉 三田様御取次衆中様

 この覚書の意味は定価が1部1両1分で200部だと250両ですが、大量買いで割引を15%します。

 ここで1分=0.25両なので1両1分=1.25両と十進法表示が可能です。

 割引額=200部×1.25両×0.15=37.5両=37両2分 (0.5両=2分より)

 請求額=200部×1.25両×0.85=212.5両=212両2歩(歩は分の当て字)

なお金判単位の分は歩や切で表示された藩札がある。また贈答用語で100疋(ぴき)とは金1分のことである。

両分朱を十進法に揃える場合両(頭)を基準にするか?また朱(尾)を基準にするか?になります。一般にソロバンは頭から計算するので両を基準にすると思われますがどうでしょうか?また五珠玉2個を使った朱単位の16進法計算は掛算・割算九九が十進法であり使わなかったと思う。

2、茶屋商人伊兵衛の大福帳から
  現在松本市(金使い)の茶屋商人兼荷問屋伊兵衛の大福帳の一部が残っていた。その記載例を挙げると、

   新町仁右衛門殿 二月十九日

一 茶弐十四結 代壱両700文
一 くりわた 6貫目 88両かい
 代金一両一分一貫百十二文
〆弐両弐分五百二十八文
 
 
 
一 八十九文 口銭 
一 三百七十六文 遣馬大豆
一 七百文 かし
〆壱貫165文 
右差引金弐両壱分六百四十文相渡し申候 巳上
 
 
 
1、茶 24結(単位)代金1両700文
1、綿 6貫目 「360貫88両相場」
    代金1両1分1112文
〆2両2分528文 (荷受品額)
注)文から分単位への繰り上げは
1分=1112+700-528=1284文
であり。1両=5136文になる。
 1、89文  口銭
 1、376文 遣馬大豆
 1、700文 かし
〆 1165文 (取り立て額)
右差引金2両1分640文相渡し申候 巳上
注)分から文単位への繰り下げは
1分=1165-528+640=1277文で
1両=5108文になる。

これから1両=5136文と5108文の差があり、28文と差が出ている。

綿6貫が1両1分1112文とあるが、これは綿360貫=88両から、6貫は1.46666‥両=1両1分+0.216666・・両となる。これから0.216666両=1112文→1両=5132.3・・文(約して1両=5132文)となり、ここでも1両に付き4文の差があった。即ち1両=5108文、5132文、5136文と3種類あり一定数ではない。

さらに著者は貞享三年(1686)の銭相場は金1両=5貫502文でありこの換算としている。その上同年12月6日には金1両=4貫896文と銭相場が上がっているとある。即ち同一日に4種類の一両から文換算があるのでどれを基準にしたか明確ではない。両替基準が明確でないと当然計算も困難です。

金銭間の両替基準が不明確の場合の計算方法を探る。

●両・分(1分=0.25両)と文単位に区分けして計算すると、

○茶+1両+700文 ○綿+1.25両+1112文 ○口銭など−1165文

 両の計=+1両+1.25両=2.25両=2両1分 文の計=+700文+1112文−1165文=+647文 合計=2両1分+647文 
文銭単位が−(マイナス)になればおつりの感覚で売者が文単位を出す。このように判金と文銭は分離計算で行ったと思う。そして例えば文銭から分両への繰上げ両替は請求する時点の相場値で行われたと思う。また大福帳との差7文は端数切りで2両1分640文にしたと想像できる。
 なおここでの請求時点の両替値であるが、茶と綿の合計2両1分1812文→2両2分528文になっている。これは綿の相場計算から1両=5132文(従って1分=1283文)を基準にして2両2分529文の端数切りで2両2分528文にしたと思う。

 最初に挙げた例題1両2分3朱と金建表示のみの場合で、16%の計算では両を基準に計算し1分=0.25両・1朱=0.0625両で1.6875両の16%となる0.27両=1分+0.02両の金建表示で計算を止める。決済時に0.02両の両替相場(一両=4000文)から0.02両×4000文=80文から1分80文となる。なお当時は小数点がなく0.27両=両27と表示したが現代風に0.27両と表示。