文学の中の葛飾 |
ここでは、文学の中に登場する葛飾についてご紹介します。
葛飾の地名は古くから使われていたようです。 万葉集の中にも出てくるくらいですので、それ以前から広く使われていたようですね。
さて、まずは万葉集に出てくる葛飾の歌を以下にご紹介します。
葛飾の真間の浦廻を漕ぐ船の船人騒ぐ波立つらしもこれらにちなんだ歌碑もあちこちに残っているようですので、 場所を調べて出かけてみてはどうでしょう。 上の歌の舞台は、千葉県の流山とか市川とかの辺りのようです。 ちなみに、“三三八六”に出てくる“鳰鳥”(にほどり/におどり=カイツブリ)は、 葛飾の辺りに沢山生息していた水鳥で、葛飾の枕詞なのだそうです。
(万葉集 巻十四 東歌 三三四九)葛飾の真間の手児奈をまことかもわれに寄すとふ真間の手児奈を
(万葉集 巻十四 東歌 三三八四)葛飾の真間の手児奈がありしかば真間の磯辺に波もとどろに
(万葉集 巻十四 東歌 三三八五)鳰鳥の葛飾早稲を響すとも其の愛しきを外に立てめやも
(万葉集 巻十四 東歌 三三八六)足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通はむ
(万葉集 巻十四 東歌 三三八七)
その他の文学としては、映画にもなったので有名な、 “伊藤左千夫”の「野菊の墓」なんかどうでしょう。 この物語の舞台は、“矢切”のあたりです。そう、“矢切の渡し”の“矢切”です。 千葉県松戸市矢切にある“矢切公園”という場所に、「野菊の墓」の碑があるそうです。
その比較的近くにも、例えば里見公園(千葉県流山市)には“北原白秋”の旧宅が、 諏訪神社(千葉県流山市)には“山上憶良”の歌碑などがあります。
東京都葛飾区側ですと、 柴又帝釈天の境内に小説「人生劇場」で有名な“尾崎士郎”の石碑が、 水元公園のさくら堤入り口には、“芝木好子”の石碑があります。
その他、葛飾は、調べればキリがないくらいに文学に関わりのある場所が多いです。 是非一度、文学散歩を楽しんでください。
小松菜 |
江戸時代に葛飾は将軍の狩り場(鷹狩)であったため、 この付近には将軍にまつわる話が結構沢山残っています。
例えば小松菜という名前の野菜がありますが、これにまつわるお話。
狩りに来た八代将軍吉宗(“綱吉”という説も…)が、 小松という地名の辺りで一休みをしている際、 地元農民が、ある野菜をすまし汁にして将軍に献上したところ、 将軍はこれを非常にお気に召したのだそうです。 で、この野菜は何かと訪ねると、 茎立という野菜を地元農家が品種改良したものだとのこと。 早速将軍は、
「小松で取れたものだから小松菜と名づけよう」という単純な理由で名前をつけてしまったということです。 まあ、地元民としては非常に名誉だったでしょうね。
「小松って地名は江戸川区の小松川しか見あたりませんぜ。 葛飾の話じゃないじゃん!」という突っ込みが来そうですが、 今の葛飾区新小岩の辺りに昔“小松”という地名がありまして 結構最近(昭和40年頃)まで上小松とか下小松とかいう地名も残ってたんです。 しかし“新小岩”って地名、メチャメチャ味気ないよなぁ。 しかも、小岩が江戸川区で、 新小岩が葛飾区だっちゅうーのもなぁ。 ちなみに、小松って地名は、室町時代から使われてたらしいです。
お花茶屋 |
葛飾区に、お花茶屋という地名があります。 京成線にも、お花茶屋という駅があります。 昔から知ってるので何とも思っていませんでしたが、 よく考えると妙な名前だよなぁと思って、調べてみました。
さてさて、例によって鷹狩に来ていた吉宗は、突然の腹痛に襲われました。 将軍は、早急に近くの“新左衛門茶屋”という茶店に運ばれ、 そこの看板娘である“お花”の手厚い看病を受けました。
お花の看病のおかげで元気を取り戻した将軍は、
「お礼に、この茶店に名前をつけてやろう。 お花のいる茶屋…そうだ、お花茶屋だ!」と、またまた凄く単純な発想で、勝手に名前をつけてしまいました。 おいおい、新左衛門の立場は!
とまあそんな事情により、葛飾にはお花茶屋という地名ができたのだそうです。 何で偉い人ってゆーのは、名前をつけたがるのかなぁ…。
青戸と青砥 |
葛飾区には“青戸”という地名があります。 また、その青戸には京成線の“青砥駅”があります。 何にも知らないと、青戸の旧名が青砥なのかなぁと思ってしまいますが、 どちらかと言うと、京成電鉄の早とちりという感じです。
昔、鎌倉幕府の名臣と名高い“青砥藤綱”という人がいたのですが、 この青戸の地とかなり関係があったらしいことが、沢山の記録に残っています。 その中の一つとして、青戸村の書上げに
「“青戸村”は元々は“青砥村”と書いたんだけど、字が難しいから“青戸村”にした」という記述がありまして、この辺から京成は“青砥”を採用したのでは…と思うのですが、 本当はどうなんですかねぇ。 > 京成さん
でも実は、この“青砥藤綱”って人、実在が証明されていないんですよ。 昔、青戸っていうのは“おおと”と発音していて、これは“大戸”、 さらには“大津”と同意でして、つまりは“大きな港” のような意味で、旧中川の河口の地名としては全く普通の名前ですから、 青砥氏の名前から地名を貰ったという話はちょっと信憑性が…。
ちなみに、青戸の隣には奥戸という地名があります。 これは昔は“おうと”と発音したそうです。 “おおと”の隣が“おうと”なんて、紛らわしいっすね。 こちらもやはり“大津”と同意のようです。
亀有公園前派出所 |
高校・大学への入学時、そして会社への入社時など、 私が「生まれも育ちも葛飾」だと判明するたびに必ず浴びせられる質問が2つあります。
そしてもちろん両さんみたいなお巡りさんも、見たことはありません。 …ってゆーか、あんなお巡りいるか!! 亀有が何度も壊滅してしまうわ!
ここで衝撃的事実をお伝えしましょう (いや別に衝撃的ではないか…)。
実は亀有公園の前には派出所(交番)なんて無いのです。
作者もホントに存在する派出所を使うのはヤバイと思ったのでしょう。
亀有公園に一番近い交番は、JR亀有駅の北口を出てすぐの所にある交番で、ここがモデルになっているようですね。
(ちなみに右の写真は隠し撮りしたために傾いてしまいました。今度撮り直してきます)
亀有公園は、さほど大きくもない、住宅地の一角によくある程度の公園です。 亀有公園の周りは道路が狭く、しかもパチンコ屋やマンションが建ち並んでいる上に駅にも近いので、 人通りも車通りも多く、路上駐車・路上駐輪も酷いという、基本的にはなるべく通りたくない場所です。
中川巡査が乗ってきた車を停めようものなら、 きっと後ろから来たタクシーにクラクションをガンガン鳴らされ、チャリからケリを入れられてしまうことでしょう。