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最終更新2002年7月20日

読書日記(2002年7月)


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【7月20日】
J.Gerring: Social Science Methodology, Cambridge University Press, 2001年 p300

いい加減英語の本をアップしないとみっともないので一冊。実は渡英前に読んだのだが(笑)。中安論文や神門論文で色々批判されている農経学界ではあるが,そもそも社会科学の方法論って何?という純粋な問いかけから読み始めた本(最初は他分野の友人から勧められたのだがあまりピンとこなかった)。農経が抱えている悩みは社会科学全体が抱えている悩みでもあり,経済学に擦り寄れば解決される問題でもないことがよくわかる。最近の農経は,「農業を扱う経済学」になりつつある(もっといえば農業すら扱わなくなってきている)が,農経ってそんな学問? 農学の位置付けは? さらにいえば農学が絡む以上農経は単純に社会科学とも言い切れないな,なんてことを思いつつ読みました。Methodも大事だけど,もっと基本的なものとしてMethodologyを押さえたい人にお勧め。ただ,本書の議論は,社会科学の中では本流とはいえない気も。

マクシム・シュワルツ『なぜ牛は狂ったのか』紀伊国屋書店2002p302

タイトルのとおりBSEの話。BSEだけでなく,羊のスクレイピー,ニューギニアのフォレ族のクールー,ヤコブ病(CJD)などの歴史を追っている。BSEは,本来草食動物である牛に肉骨粉を食わせた結果羊のスクレイピーが牛に飛び火し,BSEが人間の新型CJDに飛び火した,という構図で語られがちだが,事態はそう単純でないことを教えてくれる。80年代に英国で肉骨粉の製法に変化があったとか,70年代にブリストルの動物園で伝達性亜急性海綿状脳症で死んだ6頭のホワイトタイガーがどう処理されたか不明であるとか,「構造的問題」というより事件性が高い。「安全」な米国でもシカに同様の脳症があり牛への感染の危険があるらしい。結局,原因も正体もまだ不明確で,人間への感染予想も数百人から13万人まで多様。漠然と不安になる前に現状を知るにはよい本。時間がない人、高校のとき生物が嫌いだった人(笑)は最後の二章だけ立ち読みするのもよいかも。
【7月15日】
松谷明彦・藤正巌『人口減少社会の設計』中公新書2002年211p 一般
 日本の人口が今後減少する結果,日本社会がどのように変わっていくのか,そして変わるべきなのかを分析した本。経済・社会。医療制度などの将来予測はなるほどといった感じだが,最後の第4章は筆者が何かを示してくれるというより自分で考えなさいといったところ。人口減少社会のキーワードとして「農業を核とした地方経済」が上げられているが,これは何? 参考例として挙がっているヨーロッパの地方都市の現状やいかに? 「農業を核とした地方経済」の具体像は,都市部よりも人口減少がより深刻な農村部で,今までとは異なる仕組みで農業・農村を組み立てるという大きなテーマである。また,本書のヨーロッパの地方都市レポートは,もう少しその実態を掘り下げないといけない。中小都市の振興は,こちらのボスが取り組んでいるテーマでもあるので,自分でも少し勉強しようと思った次第です。
【7月4日】
P.Fドラッカーネクスト・ソサエティ』ダイヤモンド社2002276p 一般

毎度おなじみのドラッカーである。90歳を過ぎてなお健在というのも凄い。それはさておき,キーワードは,人口の減少および高年人口の増加,中核資産としての知識/知識労働者,テクノロジスト,学校教育と継続教育,会計システムとデータ処理システム統合の必要性,日本の先送り戦略,経済と社会,都市社会におけるコミュニティ創造,NPOの役割,といったところか。製造業がかつての農業と同じ道をたどっているとの指摘(生産量・生産性ともに増大するが,経済活動に占めるシェアは低下)や都市社会が農村の強制的なコミュニティから人々を解放する一方,それ自体のコミュニティを持っていないなどの指摘にはうなずかされるが,彼の関心は先にあるもの(知識や都市コミュニティ)にあり,じゃあネクスト・ソサエティにおける農業や農村コミュニティはいかにあるべきなのかについては論じていない。自分で考えろということか。

阿部謹也ヨーロッパを見る視角岩波書店1996302p

一般

ヨーロッパを見る視点には2つあるという。1つには,日本の国や社会をどうしていくべきかという問題に発して,その関心に照らしてヨーロッパを見ようとする視角,もう1つは現実にヨーロッパがどういう地域であり,今後どう変わっていくかという視角。そして,通常のヨーロッパ研究が主に前者の発想,つまりヨーロッパを先達として見ているのに対し,日本とヨーロッパは異質であることから,後者の立場の重要性を指摘した上で,中世から近代にかけての個人・恋愛・市民・宗教について語っている。「世間」と「社会」の違いへの指摘などはなるほどという感じである。ただ,ヨーロッパを見る視角はこの2つだけだろうか。社会の問題には国による違いはなく共通の課題であり,各国をケースとしながら問題の普遍的解決を図るべきという考え方はやはり異質なのだろうか。それとも,扱うテーマが人文科学的か社会科学的かという違いなのだろうか。

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