SUZUKI GSX−R (1985)

1993.10月 箱根 大観山にて

 このモデルには、排気量の表示はなかった。1100・750は油冷エンジンでデビューしたが、400だけは元から水冷だった。

 しかし、このGSX−Rはこの時点で、現在のレプリカモデルの原型が出来ていたと思う。

 RG−Γに先を越されたが、4ストロークマシンの量産車でアルミのフレームを採用したモデルは今までなかった。
 ブレーキシステムは、初めて10ポット(フロント:対向4ポット×2・リア:対向2ポット)を採用し、ギリシャ数字から「デカピストン」と名づけられた。

 設計は古くなったと言わざるを得ないいが、59馬力を発生したエンジンは、シリンダーにフィンが無く、逆に力強さを感じた。(しかし、1986年にエンジンの設計変更を受け、以降シリンダーにフィンが付く事になる)
 そして、タコメーターは何と3,000回転から下の表示が無いのだ。(それ以下の回転で走るなということか?)

 他にも、フロントフォークには、一時期流行した(?)アンチノーズダイブシステム(ブレーキの油圧をフォークに伝え、一時的にサスを硬くするもの。しかも、キャリパーからこのシステムまでの油圧ラインはメッシュホース!)が付いていたし、リアサスのイニシャルはリモートダイアル式だった!

 装備は十分だったが、現在から見るとクオリティー低かった。
 タイヤはフロント:100/90−16 リア:120/80−18と、かなり細い。(ブレーキも、見てのとうり、小さい)
 全体のシルエットも縦に細長く、その分よじれやすく、高速安定性は低かった。

 エンジンの発熱量も多目で、軽量化のため2つしか付いていないキャブレターは熱の影響で、渋滞にはまるとパーコレーションを起こしてエンジンがかからなくなりよく足止めを食らった。

 ウインカーは、プッシュキャンセルではなかったが、車のスイッチのように1つのスイッチでハイビームも操作できた。
 夜になると、白地にグリーンとレッドのメーターはレッドが浮かび上がるという今でも欲しいもの。レース仕様としての役目もあったが、「芸術性」もSUZUKIは忘れてはいなかった。

 このバイクがあったおかげでSUZUKIのバイクにはまってしまった。
 車検ナシで5万で譲りうけたが、ブルゾン・グローブ・ブーツもついてきた。いったい本体はいくらなのか・・・?、いまだに分からない。

 特に「乗りにくい」とは思わなかった。それだけ未熟だったのか、乗るだけで楽しかったのか・・・?手放すのが惜しかったのは事実である。

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