カード化社会の弊害
私たちの身の回りには、あっという間にカードが広まってしまった。
それはクレジットカード、プリペイドカード、テレホンカードなど、種類も使う場所も様々である。
さらに、今は大学の学生証もカード化している。
私も例外ではなく、財布の中には上に挙げたカードがそろっている。
ところが、これだけカードが広まると、予想範囲であろうが、弊害もある。
・・・そう、使うカードを間違えることである。
学校に遅刻しそうなときのある朝のことである。
JRの自動改札口に定期を突っ込んだつもりが、なぜか改札不能を示す音が鳴り出した。
結構大きな音なので、あっという間に人々の注目を浴びる。
「キセルでもしようとしたのか?」と言わんばかりの目だったときもある。
定期が通らない、買った翌日なのだから、定期切れなわけもない、おまけに学校にも遅刻する・・・
あせる私を尻目に、駅員は冷静に機械を調べると、そこから出てきたのは、なんと大学の学生証だった。
呆然とする私に駅員は、さわやかな笑顔で私に学生証を返してくれた。
その後「学生証でも改札口に入るんですねぇ」と真顔で言ったのだった。
このほかに、大学食堂のプリペイドカードの変わりに定期を入れたこともある。
まだ、JRが自動改札口を導入する前、自分で駅員に定期を見せていた頃、
悠々と学生証を見せたこともあった。
こんなところで自分が学生であることを訴えて何になると言うのだ・・・。
さらに、私が塾で失敗し、ある生徒の家庭に電話を入れなければならなかったときのことだ。
(こちらを参照)
どうしてもつながらず、やむを得ず、私は大学の公衆電話からかけることにした。
例のエッセーを読んでいただければ、私の動揺は容易に想像できることだろう。
公衆電話の前に立ち、カードを入れた。
ところが、何度入れてもカードは入らず、差し出されるばかり。
余計なところで焦ったのだが、よく見ると私はカードを取り出し口に入れていたのである。
気を取り直して、しっかり確認して、入れ口にカードを入れた。
ところが結果は同じ。何度入れてもカードは差し出されるばかり。
私はさらに焦った。カードはまだ30度数は残っていたはずだ・・・
全てに見放された気分になったのだが、再びよく見るとなんとそれは
テレホンカードではなく、食堂用のプリペイドカードだったのである。
それに気づいた私は、少し安心しつつ、電話を無事入れられたのである。
以上、現代の世の中にカードは不可欠なものとなったが、
カードの使い間違いを抑えるには、心の落ち着きが必要であることを痛感したのである。