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2001年 2 月の記録

日付 内容
2001/3/1  年休を取って第5回 多言語情報処理シンポジウムに参加した。何を勘違いしたか全共連ビルでなく砂防会館ビルに入ってしまい、受付の人を困らせてしまった。申し訳ない。

 初日は主に GNU/Linux (for SuperH) の話だった。発表とは関係ないが会場に用意されたコーヒーはとても美味しかった。

 部屋に戻った後は延々と議事録もどきを書いた。
2001/3/2  7:00 位に寮を出て 7:09 のバスに乗ったら 9:30 ころ東京に着いた。慌てて丸の内線の駅に移動してぎりぎりで全共連ビルに到着した。今日は富樫さんが同僚と一緒に?来ていた。

 今回の講演を聴き始めたが、英語中心の発表はさすがについて行けず、通訳の声を頼ってしまった。しかし通訳の人も結構困っていた場面もあった。特に Philology (言語学) の専門家の話はわかったようなわからないような。ただ、奥さんがとても美人で娘さんもかわいかった (こらこら)。娘さんは父親の晴れ姿?を私の目の前でビデオに撮っていた。ビデオカメラのモニターにはぶれまくりの父親の姿が映っていた (苦笑)。

 富樫さん達と昨日講演に間に合わなかった Pilch さんが食事に行っていたのでごいっしょさせてもらった。昨日の話から Pilch さんが FFII の活動をしていることはわかっていたがもともとは SuSe で働いている、とのこと。ソフトウェア特許の話に絡んで富樫さんと私は“カーマーカー特許とソフトウェア”という本を紹介した。が、この時点では間違ったタイトルを教えてしまっていた。

 帰宅時に前述の本を探したらみあたらない…。帰宅後検索してようやくタイトルの間違いに気が付いた。
2001/3/3  昨日の状況に懲りて、さらに一つ前の高速バスに乗った。すると土曜日ということもあってか 8:30 ころ東京に到着した。おかげで今日はかなり早く全共連ビルに到着した。

 ところで、今日は人間観察もやった…単に疲労で集中力が欠如したので周囲が気になっただけかもしれない…。今日の話題は以下のとおりだった。
  • Linux へのタイ語環境構築
  • 文字入力
  • 視覚障害者のための読み上げソフト
  • UTF-2000 (文字に属性を持たせようという志向?)
  • emacs へのタミル Devanagari 文字編集環境の構築
  • ソフトウェア特許
これらに関して Mittelbach さんは興味津々と言った感じで聞いていた。Plaice さんは興味をもてない話のときは会場の外に消えていったようだ。Pilch さんは発表用に収集した特許データを検索するためのインデックスを作成していたが、なかなか終わらないのでしょっちゅう席を立っていた。 

 シンポジウムが終了した後、シンポジウムとはまったく関係ないメンバーと薬膳 OFM をやった。しかし…疲労がたまっているときにハーブの類を食べたためか、かなり少ない酒量だったのに気分が悪くなり、トイレで 30 分ほどすごしてしまった。
2001/3/4  朝起きたらアギトは終わっていた。前日とても疲れていたので仕方がないか。風呂に入ったとき体重計に乗ったら 1kg は減っていた。さすが薬膳…ではなくて脱水症状ですね。

 体が弱っていたこともあり、自主的なもの…書かなかったからといって誰も困らない…とはいえ議事録みたいなものを書かざるを得ないので、食料品を買うときを除いて一日中部屋にいた。 
2001/3/5  やれやれ、今日もちょっと寝坊気味だ。というわけで風呂に入らず出勤した。ちょっとまぶたが腫れ気味か?

 仕事はそれなりにやった。昼休みはいつもどおりソフトウェア技術者試験の問題をやった。

 帰宅後はこれを書いている。非公式という接頭語をつけてはいるが議事録という言葉を使ってよかったかなぁ?などと思わないでもない。聴講報告書くらいにしておけばよかったかな?
2001/3/6  急遽モデリングしなければならない試料がやってきた。たいへんたいへん。今日は実物にノギスを当て、あちこちのサイズを測定した。これは結構疲れる作業だった。

 前の部署の課長から“前の仕事をまとめた CD-R を送ったということだがもらってない”という電話がかかった。送ったはずだ、と言い返したが、一応は改めて送った。前の部署で担当する人のために延々とプログラムの理論的解説をした文書を作ったのだから送ってないはずはない…とはいえ送ったという明確な記憶もなかった(苦笑)。

 始業前と昼休みはちゃんと情報処理の勉強をした。苦手な部分はまだまだ残っており、今日やったシステム構築の部分は完敗だった。
2001/3/7  本日は仕事上の説明会を聞きに平河町に行った。当然?ついでに秋葉原に寄った。SCSiDE と FCPGA (CPU) to Slot1 (マザーボード) 変換下駄を購入した。

 Windows 2000 を使い始めて以降 Bz Recorder GOLD で CD-R (SCSI 接続のドライブ) を焼く時に 8 倍速を指定すると“転送速度が足りない”エラーが発生してばかりいる。この原因として、焼き付けるイメージを IDE HDD 上に作っているからではないか、と考え HDD の IF を SCSI に変えてみることにした。SCSiDE Bridge という、 Ultra ATA-33/66 IF (HDD 側) を Ultra Wide SCSI (アダプタ側) に変換するパーツを購入し、使ってみることにした。結果は以下のとおり。
  • IDE (Ultra ATA-33, Ultra ATA-66) to Wide SCSI は DPTA-373420 (Ultra ATA-66) でも DTLA-307075 (Ultra ATA-100) でもきちんと動作した
    • これまで DPTA-373420 を 80芯ケーブル…Ultra ATA-100…で使うとかなり不安定だった
    • しかし Ultra Wide SCSI 接続に変えると結構安定したように感じる
    • ファイルの読み書きは少々遅くなるがファイルコピーの速度が向上するのでまぁいいか、という気分にさせられた
  • しかし Windows 2000 上で Bz Recorder を使うと、同じエラーが出た
HAL が APCI マルチプロセッサなのがいけないのかなぁ?しかし下手に MPS マルチプロセッサに変えて起動しなくなったらまた大変だし。

 FCPGA to Slot1 の下駄は後で試すことにする。

 私も関わった同人誌「どすぶいだにょ☆」は昨年の冬コミで開場後 20 分ほどで 100 部が売り切れた。ほとんどダミーサークルで入った人しか買えなかった模様。

「これではいかん」

と 100 部増刷して (主語は私ではなく、活動の中心を担ったもろぼし・らむさんです。念のため) 同人誌の委託販売で有名な“とらのあな”においてもらったら 1 週間で売り切れた。

「いかんなぁ」

ということで今度は (多分) 300 部刷って置いてもらったら 1 週間たたないうちに売り切れた模様。そんなにハードウェアが趣味な人が生き残っているのでしょうか?
2001/3/8  Bz Recorder GOLD の不具合は、BHA のサイトにあったupdate 差分を当てて最新版にしたら直りました。そういうことだったのね。

 今日はシミュレーション用のモデルを作りまくった。抜いたり押し出したりするくらいで作れるものだったので何とかなった…が、
『ここの突き出し部分も作っておこう』と思っていたのに忘れてそのままシミュレーターにかけた部分あり。大勢に影響な内容だが…。

 ちょっと充実した気分で帰ろうとしたら…雪が降っていた。べとつく雪でバイザーがすぐに覆われたり曇ったり、さらにはバイクの調子が悪化して非常に危なかった。たまらんなぁ。

 まりもアンテナがリンクしている先の日記をつらつら読んでいたら…
『“m17n2001 の非公式議事録?”聞いたことあるような…私のとこのトップページにリンクされているじゃないの!』
道理でアクセス数が少し増えているわけです。
『う、う〜(涙)ようやく人様にリンクしてもらえるようなコンテンツを置けた〜』と少し感激しました。また、それに絡んで用語の指摘を受けたので修正しました。

 ASUS P2B-DS に P!!! を Power Leap PL-iP3 Rev. 2 をつかって取り付けてみた。シングル CPU でしか確認してないが、きちんと動作した。ただし、リテールのファンでも背が高いので、後ろに CPU が来る側は殻をつけたままでは干渉してしまう。殻は外して使ってもいいとは書いてあるが…。

 明日は路面が凍結していそうなので送ってもらうようお願いした。
2001/3/9  昨日の欄にあるように、今日は後輩に送ってもらった。路面はそこそこ凍っているようなそうでもないような。生き返りに話し込んだら少ししんみりしてしまったようだ。またちょっと人恋しくなってしまった。

 メールのチェックをしたら前の部署の課長から CD-R 送付の礼と『担当者から質問が来ると思うのでよろしく』という一言があった。激怒した。昨年 9 月後半に内示を受け、指示された建前のとおりに 10 月に異動し、2 ヶ月で残した分をやれといわれてその通りにやり、さらに集約物を CD-R に入れて渡したら、紛失した (と思う) 上にまた前任者に頼ろうとする。引継ぎは昨年末を持って終わったはずだ。課長という役職にいながら引継ぎという言葉を理解してないとしか思えない。当然
「質問など受け付けない。引継ぎは終わったはずだ。いいかげんにしろ」というメールを送った。

 会社に置いた PC でシミュレーターを動かすとメモリが足りない…。512MB で不十分ということは 1GB の実装を目指さねば。CPU パワーも足りないなぁ。
2001/3/10  高速バスに乗ろうとしたらものすごく待ち人が多かった。一台目は一人も乗れず、二台目でもまだ足りず、三台目の最後の補助席にようやく座れた。さらに事故渋滞に引っかかり、首都高からなかなか降りられなかった。バス停での行列を見たときに
『荒川沖駅までバスに乗って JR を使おうかな?』と思わないでもなかったが、そうすればよかったかもしれない。ところで、首都高上で停止しているときに感じるのが
『首都高って結構揺れるのね(汗)』ということで、結構怖い。大震災が来たらたしかにポロっと壊れそうだ。上野で降りて御茶ノ水に行き、銀行で預金を下ろした。

 秋葉原に移動して、あちこちを見回った。あちこちを見回った後、底値ではなかったがソフトアイランドギガパレス秋葉原本店にて 256MB PC100 CL2 SD-RAM を 4 枚購入した。@\7300 だった。BLESS の方が安かった (PC133 CL3 で @\7280) が一人 2 枚に制限されていた。ちなみにソフトアイランドは一人 5 枚の制限だった。

 最初は CPU も買おうと思っていたが、もったいない気がして結局止めた。

 部屋に戻って SD-RAM を確かめると、チップに PC-133 と書いてあるし、DRAM の型番は 7.5 と書いてある。しかしモジュールには PC100 CL2 と書かれたシールが張ってあった。どうやら PC133 CL3 用のチップを流用したモジュールらしい。SPD の内容は PC100 CL2 なんでしょうね。
2001/3/11  久しぶりにちゃんと起きて、ガオレンジャーとアギトを見た。アギトは役者の台詞の棒読みで悪名を轟かせているが、少しよくなってきたかな?悪評高いボケボケシーンも今日のはよかったかも。

 風呂に入った後出社した。PC のメモリを取り替え電源を入れたらしたらきちんとメモリを 1GB と認識し、OS が起動した。早速シミュレーターのマネージャーを起動し、4 つのプロジェクトを実行させ、タスクマネージャーで 4 つのソルバーが独立したプロセスとして起動していることを確認した。スワップさえ起こさなければ明日の同じ時刻までに 1 プロセスあたり 10 時間程度の CPU 時間が割り振られることになる。スワップさせないためにギガバイトのメモリを搭載したのだがタスクの最終的な占有メモリ量が不明なだけにどうなることやら。

 それは兎も角、“gigabyte のマザーボードにギガバイト搭載”とアギト的ギャグを言ってみる (失礼)。

 やっぱり部屋においた PC もメモリ増設しようかな?ということで午後から秋葉原に出かけた。akiba hotline で下調べした上でまず T-ZONE に。すでに 256MB SD-RAM は売り切れていた。それなら、と秋葉館 Win へ。在庫はあったが
「4 枚は勘弁してくれ」と言われ、2 枚購入した。他に @\6980 で売っているところはないか、と近くを探したらアイ・ツーがその値段だった。早速 2 枚購入。

 今回購入した SD-RAM をチェックしたところ、チップの品名のサフィックスは -7 のものばかりだった。まさか PC133 CL2 で使える?無理かな?

 今日は同時に P!!! 850MHz も買おうと思っていたが安値をつけていたところは軒並み売り切れていた模様。仮面ライダークウガの DVD をヒロセで購入したところであきらめた。

 帰りに、高速バスを待つ人間猛烈に多くて閉口した。今度実家に帰省しようと思っているが、荒川沖まで JR を使うかなぁ?

 どうせなら SD-RAM を高速に使ってみよう、そのためもにもメモリテストをしようと準備をした。メモリテストを実行させた後、就寝した。
2001/3/12  起きたら CRT にメモリエラーの表示が出ていたので驚いた。sgi の memtest86 を入手して実行させたら 1 枚のモジュールの特定のビットが化けることがわかった。早速そのモジュールを取り外し、改めて memtest86 を起動して出勤した。

 こうなると、会社に置いた PC に取り付けた SD-RAM も怪しい。終夜動かしていたソルバーが終了した後 memtest86 を実施したら…見事不良モジュールが見つかった。自分の部屋のはセル一つだけが不良だったが、会社に置いた分は1ライン不良がある模様。

 念のために日曜の朝まで刺さっていた 128MB SD-RAM を刺しなおしてチェックしたら、ノーブランドが混じっているのに不良品はなかった。このことからしてノーブランドの 256MB SD-RAM モジュールには結構不良品が混じっているらしいことがわかった。しかし、不良率 25% とは結構怖い。

 シミュレーションに関して言えばRAM の不良とは別の、条件設定上の問題によるエラーが発生していたのでやり直しをかけた。

 帰宅後、レシートをチェックした。今度の土曜日に交換しに行かねば…帰省前に。
2001/3/13  クロックアップに対する箍が外れたせいでいろいろいじってみた。まず BASE Clock を 124MHz (930MHz) にしてみた。 Vcore を 1.75V に設定するとしばらく動かしつづけてもとまらないので Spec ViewPerf を動かしてみた。ドライバ自身の問題で暴走するところまでまともに動いた。

 続けて BASE Clock を 133MHz (1000MHz) にしてみた。これは Vcore などを高くしても Windows は起動できなかった。次に 124MHz + 6MHz (975MHz), 124MHz + 4MHz (960MHz) に挑戦したが Windows は起動したかな?と思うと凍り付いてしまう、といった状態で使えなかった。+2MHz は挑戦してもあまりありがたみがなさそうなので BASE Clock 124MHz で使うことにした。

 ちなみに Windows は起動しなかった周波数でも memtest86 は起動できたので、メモリが追随していることを確認した。

 まりもアンテナが動いていない…う〜アンテナがほしい。アンテナ〜…というわけで?アンテナを探した。ふぅ。一息ついた。
2001/3/14  義理チョコをくれた人 (部全員の人がもらっている) のために散らかりまくった私の部屋からギフト券を掘り起こした。

 今日はシミュレーションと月報作成で一日が終わった。いや、その他に帰省の準備のために連絡をとった。帰省の目的の一つに弟に会うことがあるので、何とか時間を作ろうとしているが結構難しい。

 部屋に置いている PC は 930MHz で動きつづけている。
2001/3/15  私が参加しているメーリングリストの一つで
“PC の調子がおかしくなり、OS を再インストールしようとしても失敗した。不具合の可能性の一つとして readme.txt にメモリの不具合が挙げられていた”
という話が出ていた。memtest86 を紹介したら、確かにメモリがおかしかったとのこと。ただ、この方の場合は 128MB PC133 CL3 の SD-RAM を使っていた。128MB のも品質低下が起きているのかな?

 あ〜、初めてストライキを体験してしまった。
  • 働く意思はあるがあえて働かないのだ、という態度を示さなければならないので特定の区域にいつづけなければならない。とても面倒
  • とはいえ、交渉の末、中庭も立ち入り区域になったので芝生の上で大の字で寝たりもでき、さらに工業団地内でごみ拾いをしましょうということになった。これらは結構よい気晴らしになった
    • 初めて工業団地内でごみ拾いをしてわかったこと。メインの通りを外れると、結構ごみが捨てられていた。赤ちゃん用紙おむつや生活ごみが捨てられているのに呆れてしまった
  • 会社と組合間で了解の上でのストとはいえ、スト分はお給料無しというのは嫌なものだ (組合が補填するんですけどね)
  • 交渉内容の概要を聞いたが、会社側に家父長的な論理というか感覚を感じた。腹は立たなかった。これまでこの手のにキレまくっていたので免疫ができてしまったようだ。ただ、管理職だけでなく経営者もこういう感覚だったということがわかり、“こんな会社にいつづけて大丈夫かな?”と本気で思ってしまった
  • 今度の月曜日はストなし、ということで年休を取って実家に帰れます。よかったよかった
 帰社後、株式欄を見たが相場につられてわずかに上がっていた。ニュースにもなってないし。全て世は事も無し?まぁ生産ラインは止めてないからねぇ。
2001/3/16  出勤したらストライキは終わっていた。ベアは 9 掛けで妥結。一日分の昼専勤務者の給料を払わなくて済み、ベアを減額できた…訳だがそれが目的だったらけち臭過ぎるような気がする<経営陣。

 今日は別口のシミュレーションのために、モデルを作った。先日ようやくロフトの仕方を覚えたのでロフトをしまくった。さらに薄肉化と型抜き。だんだん要領がわかってきた。でも、このためかなり消耗した。
2001/3/17  昨日は 22 時に床に就いた。昨日の疲れが残っていて高速バスに乗ってもぐっすり眠ってしまった。

 秋葉原に到着後、アイ・ツーとギガパレスにて SD-RAM が不良だったことを告げた。どちらの場合も、交換してくれた。ギガパレスでは SD-RAM の不良について電話してきた人もいるらしい。やはり先週は値段が下がりすぎたのでアセンブリメーカーが不良をチェックせずに出荷したのでしょう。

 東京駅に戻り、明日の新幹線の切符を購入した。さらに 10 分散髪の店で髪を切った。

 16:00 に新宿の目に行った。今日の宴会の参加者が登場し始めたが、その中の一人が 14:00 ころから飲んでいた、ということでベロベロに酔っていた。彼は他の参加者にいろいろものを引き渡す用事があったのだが、ある人へ渡したことを忘れてもう一度渡そうと声を掛けるという状態だった。しかも飲み場が開く前に寄った喫茶店から荷物を残して消えてしまった。

 仕方がないので宴会を始め、携帯を持っている人が連絡を取ろうとするが取れない…。電話が一度つながっても“新宿にいる”という返事…本当か?宴会が終わろうとしたときにようやくまともに連絡が取れた。どうも丸の内線に乗っていた模様。最後の最後にようやく再会できた。

 帰宅後、交換した RAM を PC にとりつけて memtest86 を動かした。今回はエラーが発生しなかった。
2001/3/18  帰省の準備と同時に CPU のクロックアップテストを行なった。ケースを完全に密閉すると Vcore を更に 0.5V 上げ (1.80V にし) なければ 930MHz で動かなくなった。また、+2MHz すると動かない。大体限界もわかったことだし 750MHz 使用に戻すことにしよう。

 寝ずに帰省の準備をした後、始発の高速バスに乗った。6:30 ころ東京駅に到着できたので、昨日購入したのぞみ 7 号の特急券をのぞみ 3 号の特急券と交換して搭乗した。徹夜で準備したせいか、列車の中ではぐっすり眠っていた。

 博多駅に到着後父親に迎えにきてもらい、その足で弟夫婦の家に行った。手持ちのフォトレタッチソフトを譲った後、使い方を説明した。このタイミングでないと弟には会えそうになかったので、始発のバスに乗ることにしたわけで、今回の目的はほぼ達成できた。

 実家に戻った後、近くのコンビニエンスストアで髭剃りを購入した。
2001/3/19  朝食後、天神へ行った。ダイエーでズボンを購入。天神コア 8F で食事。岩田屋によって服を見た。比較的よいものがそろっていると感じたが購入せず。

 水鏡天満宮に移動してくじを引いたら大吉。これで正月 3 が日のリベンジ?完了 (そういう考え方でいいのか?)。ついでキャナルシティと T-ZONE へ歩いていった。Zaurus がそれなりに安くなっていたが買わなかった。

 再び天神に歩いて戻り、地下鉄で西新へ。西新岩田屋でくつを探したが、ない。なら福岡博物館にいって展示物を見よう、としたら休館日だった。というわけで天神に戻った。バスに乗って帰宅…途中、松崎で下車。靴の店によって二足購入。そこからは歩いて帰宅した。

 そういうわけでとてもつかれてしまった。おやすみなさい。
2001/3/20  起床、朝食後、駅まで送ってもらった。予定していたのぞみにのり、東京に到着した。秋葉原で降りて、P!!! 850MHz を二つ、Power Leap iP3 Rev. 2 を購入。東京に戻って高速バスに乗った。今日はバスはほとんど混んでいなかった。

 部屋に戻った後、P!!! 850MHz を使ってみたがオーバークロックはほとんどできなかった。

 今日は地下鉄サリン事件がおきて 6 年目だとの事。あの日は飯田橋の宿に泊まっていたし、最近はよくサリンが撒かれた線に乗ることが多いので気になってしまう。犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。
2001/3/21  P!!! 850MHz はなんとか FSB 110MHz / 935MHz で動作できた。しかし PCI clock が上昇したためか IDE 接続した HDD のパフォーマンスが低下した。

 会社で午前中トイレに入って鏡を見たら、目の下に隈ができ、非常にやつれていたので驚いた。睡眠時間は (延べ、ではあるが) 十分取っているはずなのに。今日はモデリングでほとんど一日がつぶれた。
2001/3/22  今日もまた仕事でほとんど一日つぶれた。大分疲れたので午後になったら年休を取って帰ろうかとまで思ってしまった。

 後、考えたこと
  • 高校の同級生のライブに行くかどうかを決める (土曜のだから遅すぎるが)
  • 服を買う
  • P!!! の配分
  • 通信上の知り合いの歓迎会参加
2001/3/23  これまで、あるモデルにメッシュを切ろうとしても途中で異常終了していた。種々の努力の末、ようやくメッシュを切ることができたのでシミュレーターにデータをインポートした。しかし、境界条件その他の条件を指定できる人が (子供が熱を出したらしい) 帰ってしまったのでそれ以上進めなかった。

 4/1 に勤務先の組織改定があり、その動きが始まっている。これからどうなることやら。

 自室に置いた P!!! 935MHz はとりあえず動きつづけている。
2001/3/24  起床後、風呂に入った後、洋服の店まで自転車で行き、買い物をした。帰ってきたら非常に疲れたので横になってしまった。という訳で今日は結構眠ってしまった。

 目がさめたら安芸灘を震源とする大地震が起きたことが報じられていた。亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。ただ、阪神淡路沖地震と比べると大火事も起きず死者も非常に少ないように感じました。これはマグニチュードが小さいせいなのか、それとも神戸の住宅条件が極端に悪かったのか?

 明日渡すマザーボードとメモリの準備をした。
2001/3/25  朝起きたらサッカーをやっていた。雨で開始が遅れたようだ。日本がぼろ負けだったということは、フランスは全力を出してきたようだ。儲け儲け。

 とりあえずガオレンジャーやアギトも見た。うだうだしていると時間だけが過ぎてしまう。カスミに食事を買いに行き、食べた後風呂に入り、そして 13:00 前に出発した。高速バスはかなり空いていた。

 東京から秋葉原に行った。LCD を眺めていたら欲しくなってきた。でも、今日は買わなかった。その代わりといっては何だが仮面ライダークウガ4とメモリーズを購入。この後 JR で池袋に移動した。

 すでに何度か顔を合わせた人の歓迎ではあったが話は盛り上がった。二次会に回転寿司に行き、その後ジュンク堂に寄った。
2001/3/26  今日もまた、寝坊気味になった。しかも朝は雨。スクーターの調子が悪くならないか心配だった。しかしさすがに暖かくなったためにアンダークールが起きず、通常の走りができた。

 仕事としてやっているシミュレーションはそこそこ進めた。

 前に「こたえる謂れはない」と返事していた、すでに引き継いだはずの件について質問がきた。こたえなくてもよかったが資料を見た上での質問だったことや、これからの無効の部署の異動のことを考えてこたえてしまった。あ〜あ、我ながら甘すぎる。

 しかし、帰宅時はやや悲惨な目にあった。朝は雨だったのでファスナーが壊れた作業着の上にレインコートを着て出勤した。ところが、帰宅時は晴れていたのでレインコートを着る訳にも行かず、作業着も壊れているので会社に置いたままにしてしまった。で、作業着の下は半そでの作業用シャツ…もういいや、とこの格好で帰ったが寒いし、人肉の路面すりおろしの危険性が増すので怖かった。

 ネットサーフィンをしているときに少年ドラマ伝説というサイトに久々に行ってタイムトラベラーの DVD が発売されていることにようやく気が付いた。昨日買っておけばよかった。
2001/3/27  Reactor Critical というサイトに、新しい Radeon のドライバが登録されていたので早速手に入れ,インストールした。また、Radeon Tweaker の最新バージョンがカリスマエンジンのクロック周波数変更に対応していたのでこれも早速手に入れた。両者をインストールした後 Spec ViewPerf を使ってみたところ、以下のような結果になった
  • Radeon のオーバークロック無しで、かつ 850MHz P!!! の 110MHz 駆動ならほぼ正常に動作した
    • ProCDRS の中のいくつかが実行できなかった
    • しかし、以前のディスプレイドライバではここで暴走していたので、ドライバは明らかに改良されている
  • Radeon のクロック (Bulk 版なので 166MHz) を Radeon Tweaker で上げてみた
    • 195MHz まで上げた時 HDBench や Oglb161 は動いた
    • しかし Spec ViewPerf は ProCDRS の実行中ノイズが多発した後凍りついた
なかなか安定稼動は難しい (定格動作させれば良いじゃないか,ということになりますが)。

 今日もすでに引き継いだはずの件について質問がきた。今日もまた一応返事をした。
2001/3/28  Spec ViewPerf を使ったベンチマーク測定三昧でページの更新ができなかった。

 ASUS の P2B-F で DTLA-307075 が使えないという人の話が掲示板に載っていたので、手元の P2B-DS で確認してみた。最新のβ版ではない BIOS なのだが、確かに DTLA-307075 をうまく認識できなかった。他の人の調査では最新のβ版で対応できているらしい。ただ ASUS のダウンロードサイトでは、そのβ版の改良点として“マイクロコードの更新”としか書いてないのはいただけない。

 カリスマエンジンのクロックを 188MHz (リテールで設定されている周波数らしい) がやはり暴走する。しかし、今回は CPU をオーバークロックさせずにベンチマークを撮った経験がなかったことに気が付いた。

 とりあえず CPU もカリスマエンジンもオーバークロックなしで ProCDS を実行させて就寝した。
2001/3/29  昨日の就寝前の ProCDS は暴走していた。どうも CPU をオーバークロックしていると都合がよいエラーが発生するので全体が死なずにすむ??

 朝の天気予報では、昼のみ雨ということだったが帰宅時間まで降り続いた。スクーターは比較的寒い中でもそこそこ走った。これまでの不具合は明らかにオーバークールのようだ。

 あらためて CPU をオーバークロックして ProCDS を実行した。実行できない内容もあったが OS は死なないですむ,というこれまでどおりの結果になった。
2001/3/30  ProCDS 内で暴走するテストを排除したテストを実行させようとした。バッチファイル中のいくつかのテストをみようみまねでコメントアウトした。そのバッチファイルを走らせると、暴走せずに終了したものの、記録がうまく残らなかった。

 日本製「先行者」ゲームがどんどん進化している。とうとうテムザックまで出てくるようになった。

 まぁたまた引き継いだはずの仕事の質問がきた。でも今日のは工場側にプログラムを使わせるための説明書を書いたので添削してほしいような意味のものだった。いったい彼の立場はどうなっているのかわからなくなったので、工場側の知り合いに聞いてみた。すると、
  • 私の異動以降、会議にきていたのは私の同期(以下同期。彼とは別人)だった
  • 同期は仕事を独りでやらされ、部課長は同期の報告を禄に見もせずに会議にきていた
  • それでいて部課長達は彼の報告に対して「これじゃダメだ」と文句だけいっていた
  • 工場側の生産部長がその態度を不快がって「もっと責任を持ってやってほしい」というと「忙しいものだから」などと弁解していたらしい
  • そういう感じで決めるべきことが決まらずここまで来ている、とのこと
むむ〜、当社のカス管理職名物 丸投げ・他人事・先送り だぁ〜。異動前にもっと喧嘩しておくべきだったかなぁ。異動前の部課長も、同期も異動と言うことになった。部課長がいなくなるのは工場側にとって幸せなはずだ…後任次第にしても。それはともかく、私に質問してくる彼は会議に来た事がないらしい。隠し球なのか後任なのか…。
2001/3/31  雪混じりの雨が降る上に寒い。とりあえず起きて風呂に入って東京に出た。上野でエンジンオイル、秋葉原で IEEE-1394 ボード、神保町は三省堂で“インターネット時代の文字コード”を購入。

 三省堂を出ようとしたら“影が行く”というタイトルの文庫本が目に止まった。まさか…と思ってめくってみたらまさしく“物体X”が掲載されている短編集だったので購入した。

 今日は寒い!とても寒いので部屋に戻ったら布団の中にもぐりっぱなしになっていた。

2001年 4 月の記録

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