11-1 『突撃隣のぐっどもーにんぐ』

「・・・ぇ?」
 士郎はゆっくりと眠りから覚め、そのまま不審げな声をあげた。
 変な夢を見ていない。枕もとに誰か居たりもしない。布団の中にも自分ひとり。縛られてない。死にかけてない。左手も無事。右手は恋人。なんでやねん。
 ここ数日無かった穏やかな目覚めに士郎は逆に警戒心をかきたてられながら上半身を起こす。
「・・・あー、よくねたー」
 棒読みでそんなことを言いながらさりげなく周囲に眼を向ける。
「よっ、はっ」
 ついで、上半身を左右に捻る体操を装い広範囲索敵。何やってんだろ俺などと思いながら部屋中をチェックすると。
「・・・・・・」
 あった。
 不審なとこ、あったよ。
 っていうか、襖がちょっと開いてるよ。
 青い綺麗な目と金髪がひと房見えてるよ。
(イスカちゃん曰く、ああいうのをアホ毛っていうらしいよなぁ・・・本人に言ったら斬られるだろうけど)
 現実逃避気味にそんなことを考えながら隣の部屋に繋がっている襖へと顔を向けると、ひゅんっと素早く毛が引っ込んだ。
「・・・・・・」
 どうしたものか視線を外すとふぅと安堵のため息が聞こえた。もう一度眼を向けると再度隙間から飛び出していた毛が慌てた様子でひっこむ。
「・・・・・・」
 士郎は無言で襖を眺めて、しばし沈黙してから視線をそらし―――
「と見せかけてフェイント」
 素早く襖の方に向き直った。
「っ!」
 途端、ガツンと襖が揺れ、「〜〜〜」と声を殺した呻き声が聞こえる。痛そうだ。
(戦闘時以外は直感働かないんだ・・・)
 本来なら歯牙にもかけない稚拙なフェイントに引っかかったのは相手が自分を騙すかもしれないという前提が無くなるほど信頼されているからなのだが、それには全く気付かず士郎は襖の向こうに声をかけた。
「さっきからバレバレだよ。出てきたら?」
 声をかけると覗く目がぎょっと見開かれ、そして。
「ば、バレてたですぅ!?」
「やはり天井板が重みで変形したのでしょうか・・・」
「ど、どういう意味なのライダー!」
 天井板が外され、もつれ合うようにハサンと桜とライダーが―――
「お、起きてるならさっさと着替えて食事の準備にかかりなさいよね!」
 ばんっと廊下側の襖が開けられ、凛が―――
「せっかく仕込んでたのに気取られるなんて修行が足りねぇなぁオレも」
 窓をカラカラ開けて何を企んでいたのかビキニのランサーが―――
「士郎にーちゃんオハッヨーオハッヨーオハッヨー!」
「士郎にーさまグッモーニン!」
 畳の隙間から染み出してきて実体化したあんりとまゆが何故かミュージカル風に歌いながら―――
 全員一斉に士郎の部屋に雪崩れ込み、互いの顔を見てきょとんと立ち止まる。
「・・・・・・」
 士郎は驚き過ぎて無表情になった顔で、とりあえず続き部屋への襖をすぱん、と開けた。
「・・・・・・」
 そこに居るのは、無論セイバーだ。四つん這いになったまま、気まずげに士郎を見上げる。
「・・・・・・」
「・・・こほん」
 セイバーは自分に注がれる視線8組の視線を感じながらすっと立ち上がった。スカートの裾についた埃をぱんぱんと払いながらこっくりと頷く。
「夜襲への反応試験・・・合格です、シロウ」
「「「「「「「「嘘つけ」」」」」」」」
 瞬間、全員につっこまれてセイバーは一人胸を撫で下ろした。
 いくら目が冴えてよく眠れなかったとはいえ、士郎を起こそうなどと慣れぬ事をするものではない。
 それと、予定変更して服を着ておいてよかった―――


11-2 『小鹿の細腕管理人日記』

「るーるる、るーるる、るーるーるー♪」
 佐々木小鹿は上機嫌であった。鼻歌混じりに食器を洗い、ポニーテールをゆらゆら揺らす。
「? おかーさん、なにかいいことでもあったですぅ?」
 隣で皿を拭いて食器棚に戻しているハサンの問いに佐々木はくすりと微笑んだ。
「今日は天気がいいですよ、ハサンちゃん」
「? はいです、ポカポカするですね」
 きょとんとしながらハサンは次の皿から水気を拭って食器棚を見上げた。納めるべき位置が高い。
「ん・・・仕方ないです。よっ・・・と」
 ひとつ頷いて右腕の封印を解くと、二倍の長さに伸びた右腕で皿を持ち直して一番上の棚へひょいっとそれを納める。見た目にはかなりグロい。
「それで、天気がいいのがどうしたです?」
「朝餉までの間に門の前を掃いていたのですが、この季節の空はとても高くて・・・薄くて綺麗な青がとても綺麗だったんです。この季節は早起きするのが楽しいですね」
 凛には生涯理解できぬであろう感慨をかみ締めながら佐々木は流しに残った最後の皿を洗い、そのまま布巾を手に取った。手早く水気を拭ってひょいっと投げれば皿は音も無く食器棚の中に吸い込まれて納まる。
「な、ナイスピッチですおかーさん!」
「あらあら・・・でも、ほんとはハサンちゃんの方がこういうの得意ですよね?」
 微笑みながらたすきをはずし、佐々木はふと思いついたように窓の外に目を向ける。
「そうそう、楽しいといえば・・・お洗濯も楽しいですよ?」
「お洗濯、です?」
 くいっと首をかしげてハサンは使い終わった布巾を干し棒にかけて手を洗った。
「ハサン、洗濯機がちょっと苦手ですぅ」
 複雑な機械を見ると拒否反応が起こるのだ。素体のせいかもしれない。
「ふふ、わたくしも洗濯機には少々苦戦しましたけど・・・皆さんの下着を一元管理するこの征服感には変えられませんから」
「はぁ、なるほどで・・・え!?」
 無条件に頷きかけたハサンはぎょっとした表情で佐々木を見つめる。
「アーチャーさまがようやく女性用下着をお使いになるようになったのを生暖かく祝福してみたり誰のが一番派手か記録を取ってみたりと飽きません。そういえばハサンちゃんもこの前のお買い物以来かわいらしい下穿きにしたんですね。おかーさん、ちょっと感動です」
「!? お、おかーさん、それはなんというか変態っぽいですぅ・・・」
 怯え顔のハサンに冗談ですよと舌を出し、佐々木はざっと台所を見渡してから頷いた。
「では、そのお楽しみの洗濯に行ってきますね。ハサンちゃんの下着はちゃんと旦那様の隣に干してあげますからね?」
「そのサービスは意味がわからないですぅ!」
「・・・では」
「なんでそんな笑顔で去って行くです!? あの、おかーさん!?」
 騒ぐハサンの声を背に廊下に出た佐々木は空の蒼さに目を細めながら洗面所へ向かう。
「ほんと、いいお天気・・・」
 この時代から見れば遠い昔、あの寺の中から見上げた空。あの頃思いを馳せた外の世界の空の下に、今自分は居る。
「あの単調な生活と比べればどんな日も楽しいんですけどね」
 呟いて洗面所兼脱衣所に入る。男女に分かれている蓋付きの脱衣籠を開け、佐々木は洗濯物の分別を始めた。
「これとこれとこれは手洗いしたほうがよさそうですね・・・後は・・・ふふ、誰のかは存じませんが紐とは・・・勝負下着というものですね」
 選り分けた洗濯物を洗濯機に投入し、続いて男用・・・実質士郎専用だが、そちらの洗濯籠をややわくわくしながら開ける。
 ―――風流人、佐々木小次郎。俗にまみれて溺死寸前。
「・・・あら?」
 悪乗りしている自分に苦笑しながら洗濯機で洗えないものが無いかチェックしていた佐々木は不自然な事象に思わず首をかしげる。
 無かった。別段本気で楽しみにしていたわけでもないが、とりあえず洗濯物の中に士郎のパンツ(ブリーフ)が無い。
「これは・・・」
 佐々木の記憶が確かならば士郎は昨晩確かに風呂に入った。帰ってきた時にあれだけボロボロの煤だらけだったのだ。間違いないだろう。
「洗濯機は昨日わたくしが使ってから動いた様子がありませんし・・・何らかの理由で旦那さまが隠匿したということでしょうか?」
 ふむと佐々木は考え込む。
(殿方が、ご自分の下穿きを、隠さねばならない状況とは?)
 沈思黙考12秒。再検討し、多角的に論証をあげ、佐々木は晴れやかな笑顔でぽんと手を打った。
「わかりました、むせ―――」
「違いますよッ!」
 しかし、何かを口にしようとした瞬間廊下を駆けるドタドタという足音と大声がその台詞を打ち消す
「あら? 旦那さま」
 ナイスインターセプトを見せたのは洗面所に駆け込んできた士郎だった。汗の浮いた顔ではぁはぁと息を切らせている。
「ひょっとしてですが、そのつっこみを入れるためにわざわざ道場からお出でなさったのですか? この時間なら鍛錬の筈ですが」
 口元を着物の袖で押さえてびっくり顔をする佐々木に士郎はそんなわけないでしょうと半眼になる。
「タオルを取りにきたら佐々木さんの声が聞こえたんですよ・・・独り言とはいえ変なこと言わないでください」
「あら、元気な若い殿方でしたら普通のことですよ? 旦那様だって―――」
 言いながら視線がそれとなく下へと降りていく。
「本日も、お元気そうで」
「どこ見て言ってるんですか!」
「太ももの筋肉です。鍛錬の成果は着実に出てますね、旦那様?」
 即答されて士郎はぐっと言葉に詰まった。こと駆け引きではこの家でも最弱レベルなのは自覚しているので、さっきの『むせ』はなんだったんだよとぼやきながら話を打ち切る。
「ごほん・・・ええと、タオルは、と」
「汗拭きですね? こちらをどうぞ」
 士郎は佐々木が差し出したスポーツタオルで顔と体の汗を軽く拭った。
「ふぅ・・・あ、そうだ。佐々木さん、桜見ましたか?」
「間桐さまなら居間でテレビを見ていらっしゃいましたが・・・?」
 首をかしげる佐々木に士郎はうんと頷いてみせる。
「今、セイバーとアーチャーとランサーさんに体術の稽古をつけてもらってるんだけど、せっかくだから桜も誘おうって話になって。ほら、最近桜も体鍛えてるらしいから」
「ああ、成程。そういえばわたくしにも技を教えて欲しいと言って来ましたね。間桐さまは」
 そう言ってのどかに笑う暗殺剣士に士郎はたらりと冷や汗を流した。
「そ、それで・・・何か教えたんですか?」
「いえ、わたくしの技は無手でも基本的に人を殺める技術ですのでお断りしました。代わりに基本的な心構えなどは教えましたけど」
「心構え・・・ですか? どんな?」
 純粋な剣技ではセイバーやバーサーカーより上位にあると言われる佐々木だが、鍛錬に付き合ってくれない為その技は士郎にとっても興味の的だ。
「あらあら・・・」
 興味津々と言った表情にくすりと笑い、佐々木は軽く首を傾げて問いかける。
「知りたい、ですか?」
「ええ。問題ないようでしたら、是非」
 うんうん頷く少年に悪戯っぽい笑みを浮かべて口元を隠した。
「単純な話です。力を高めるよりも相手に力を出させないことが肝要。弱点があるならば―――」
 言葉が途切れると同時に佐々木の体が流れるように歩を刻み、士郎が反応出来ないうちに間合いが零になる。
「そこを確実に」
 耳元で囁かれた瞬間、士郎は細く長い指がぎゅっと自分の股間を握り締めるのを感じた。
「握り潰す」
「ぎゃぴっ!?」
 軽く力を込められて士郎は悲鳴以前の奇声を上げて硬直した。拭ったはずの汗が後から後から噴き出してくる。遠い空で、綺礼が笑っている気がした。葛木教師も一緒に笑っている。ああ、一成。お前はまだそっちへ行っちゃ駄目だ。行っちゃ駄目だ―――
「ふふ、冗談ですけどね」
 真っ白に燃え尽きた表情で立ちすくむ士郎の耳を軽く唇で挟んでから佐々木は軽やかな足取りで離れる。
「ちなみに、不浄の門に親指を突き入れるとどんな屈強な殿方でも立っていられませんね。この時代のぷろれすという武術にはその技術が残っていると聞きます」
「・・・あ・・・う」
 ガクガクと頭を震わせて怯える士郎に佐々木はやりすぎたかと苦笑を漏らした。
「旦那様、旦那様? しっかりなさってください・・・あの、撫で撫ででもしましょうか?」
「い、いいですっ! 大丈夫です!」
 もう一度股間に手を伸ばされて士郎は慌てて飛びずさった。壁に背を預けてブンブンと首を横に振る。
「あら、残念・・・」
 苦笑を濃くして肩をすくめた佐々木はふと気がついて首をかしげた。
「そういえば・・・結局下着はどうなさったんですか?」
「・・・・・・」
 士郎は何度か深呼吸をして気を落ち着けてから口を開く。
「別に大したことじゃないですよ。昨日久々に光熱波の直撃を喰らっちゃったんで下着まで焼け焦げができちゃったんで脱いだ後捨てました」
 本当に大したことじゃなかった。
「・・・はぁ、なんかどっと疲れましたけど・・・鍛錬に戻りますんで」
「あ、少しお待ちいただけますか?」
 言うだけ言い終わってため息混じりに踵を返した士郎を佐々木は急ぎ呼び止めた。
「ま、まだなにか?」
「いえ、間桐さまの分もタオルを持っていった方がよろしいかと思いまして。そんなに怯えなくとも・・・」
 苦笑する佐々木に士郎もまた苦笑を返す。
「俺の身体だけに再生するかもしれませんけど・・・握りつぶされるなんて想像しただけで・・・」
 やや内股の少年に佐々木は艶っぽい笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ旦那様。わたくし、指遣いには自信がありますから・・・けして、痛くなんて。取れるかと思うくらい気持ち良くしてさしあげます。よろしければ今からでもお試しになりますか?」
「! い、いえ! 失礼しますッ!」
 叫んで走り去る士郎へ優雅に一礼して佐々木は仕事に戻る。
「さて、旦那様の部屋着も洗ってしまいましょう」
 呟いて洗濯籠の中身を洗濯機に入れ、洗剤と柔化剤をセットしてから蓋を閉めてタイマーをセットする。ゴトゴトと動き出したのを見届けて佐々木はうんと頷いた。
「では、よろしくお願いいたします」
 すっとお辞儀をしてから佐々木は洗面所を出た。次は裏庭の雑草でも抜こうかと考えながら廊下を歩いていると。

 ぴんぽーん。

 と、チャイムが鳴るのが耳に入った。
「あら、お客様ですか。珍しい」
 佐々木は呟きながら玄関へ向かう。もう一度ぴんぽーんとチャイムが鳴るのに今出ますと呟いてサンダルをひっかけ、戸をカラカラと開ける。
「?」
 開けた視界には何も入らず、一瞬きょとんとしてから佐々木は視線を下へと向けた。
「はじめまして、かしら」
 佐々木の身長よりも大分低い位置の銀髪が優雅に一礼される。
「バーサーカーを返してもらいに来たわ」

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンが、そこに居た。


11-3 『sister of winter』

「・・・返して、ですか?」
「ええ。あれはわたしのものだもの」
 佐々木が片手で頬を押さえて首をかしげると、イリヤはふふんと目を細めて言い放つ。
「確かにここにバーサーカーという者は住んでおりますが・・・物扱いは如何なものでしょうね?」
 静かな言葉にイリヤは冷たく笑みを浮かべた。
「あら、魔術師にとってのサーヴァントなんて基本的には武器よ? お兄ちゃんは違うかもしれないけど」
「お兄ちゃん、ですか。当家には一人しか殿方はいらっしゃいませんが・・・衛宮さまの事でしょうか?」
 佐々木は毒のある言葉を涼やかに受け流して逆方向へ首を傾げなおす。
「そう、エミヤシロウのことよ。ふふ、物扱いのことはもういいのかしら?」
「ええ。あなたが魔術師であるならば、むしろ自然な言い回しでしょうから」
 静かに微笑む佐々木だが、そのほっそりとした身体は上がり口の中心にあり微動だにしない。
「・・・ねえ、意味の無い問答してないで通してくれないかしら? とりあえず、わたしはこの家に何かしようとは思ってないわよ?」
 イリヤはそう言って大人びた仕草で肩をすくめた。
「まったく、リンもよく仕込んだものね。令呪もなしにここまでサーヴァントを忠実にさせるなんて驚きだわ。元々調教とか好きそうなタイプだったけど」
 呟き、イリヤは軽く目を細めた。
「ねえアサシン、袖からナイフが見えてるわよ?」
「ええ、見せてますから。それとこれはナイフではなく刀子です」
 佐々木は懐いている相手には甘えんぼさんだが敵と認めれば即斬殺がポリシーであり、イリヤは懐いている相手でも状況によっては即惨殺だ。どちらも広義にはツンデレラ、むしろ修羅雪HiMEと言った方が正確か。
 互いに極端な感情構造を持つ二人は手探りするように相手の腹を探りあい。
「ふふ、失礼しました」
 佐々木が先に表情を緩めた。
「当家の魔術師にご用とのことですが、間桐さまは如何いたしますか?」
 問われ、まだ警戒の表情を崩さぬままイリヤは肩をすくめる。
「サクラは・・・どっちでもいいよ」
 興味なさげな声にそうですかと頷き、佐々木はすっと一歩下がった。
「では、居間へご案内させていただきます」
「あ、だいじょうぶ。知ってるから」
 言い置いてイリヤはきっちり踵をそろえて靴を脱ぎ、佐々木の脇を抜けてさっさと奥へと歩き出す。
「・・・イリヤさま、とおっしゃいましたか?」
 確かに間取りは把握しているらしく迷い無く進むイリヤの背に佐々木は穏やかな声色で語りかけた。
「ええ、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンよ」
「・・・わかっているとは思いますが」
 背後から淡々と話しかけるその声にイリヤはふふん、と笑う。
「攻撃の気配がしたら斬るっていうんでしょ? わかってるわ」
 振り返ったイリヤの冷たい視線と声に佐々木はにっこりと微笑んで首を振った。
「其れは其れとして否定しませんがそういうことではなく・・・わたくし、遠坂さまに仕込まれた覚えなどありませんよ?」
 言い置き、頬に軽く手を当てて悪戯っぽく口元を緩める。
「むしろ、いつかは旦那様に寝所での礼節や技術各種を仕込んで差し上げたいと思っているくらいです。この家の皆様は初めての方が多いようですし、やはり殿方がリードできないといけませんよね?」
「き、聞かれても知らないよそんなこと・・・!」
 元気よく言われてイリヤは思わず顔を引きつらせた。ジリジリと距離を詰めてくる佐々木の笑顔が怖い。さっき刃物をちらつかせていた時より怖い。
「あらあら・・・イリヤさまにも講義が必要ですか? 大丈夫です、イリヤさまは大層小柄でらっしゃいますが、入らなければ入らないなりに何とかなるものです。方法はわたくしが知っています。わたくしにおまかせくださいな」
 微妙におかしい入入わたわたな超日本語の台詞と共に佐々木はイリヤの頬をぷにっとつつき、そのまますっと少女を追い抜いてその先の襖を開けた。
「なんて、冗談ですけどね。さぁ、イリヤさま。居間ですよ。お二人はすぐ呼んできますのでこちらでお待ちください」
 ささ、と手で示して会釈する佐々木にイリヤはがくっとうなだれる。
「わたし、なんだかサーヴァントに対するイメージが全崩壊してく気がするわ・・・」
「ふふ、遠坂さまも当初はそのようなことを仰っていました」
 愉快気に笑うサーヴァントにため息など一つついてイリヤは居間に入った。
「まったく、やっぱり不純物が混じ―――」
 そして、何かを言いかけて表情を緊のものに変える。
「アヴェンジャー!?」
「へ?」
「はい?」
 突然の大声に思わず声をあげたのは、居間のテレビを眺めて文字通りゴロゴロしていたあんりとまゆであった。
「な、なんでコレが中に・・・!?」
「むー、誰だか知らないけどしつれーなヤツ発見!」
「確かにさっきまで外に居ましたけどねー」
 いきなり大声をあげた客人に佐々木はきょとんと首をかしげる。
「? あんりちゃんとまゆちゃんがどうかしましたか?」
 イリヤは警戒の表情でじりじりとあんりまゆから距離をとっていたが、佐々木の言葉に形の良い小さな眉をひそめた。
「今、なんて言ったの?」
「あんりちゃんとまゆちゃんがどうかしましたか? と問いました。お二人とも良い子ですよ?」
 褒められてえへーとか笑っている褐色の肌のお子様・・・しかも、イリヤより外見年齢の低い正真正銘、達人が家紋を入れそうなくらい由緒正しい幼女の姿にイリヤは少し疲れた顔になる。
「・・・アヴェンジャーのサーヴァント・・・よね?」
「そだよ」
 ひょいっと立ち上がって頷いたあんりに続いてまゆもよいしょと起き上がって首をかしげる。
「あら〜? あなた、どこかでお会いしてますか?」
「・・・一応・・・そっか・・・こんなの、有りなんだ・・・ここ・・・」
 イリヤはむーっと顔をしかめて二人組み幼女を見つめる。
「ねー佐々木ねーちゃん。この子だれ?」
「誰でしょう〜?」
 対象的にのんきそのものの幼女二人に佐々木はにこっと微笑む。
「旦那さまと遠坂さまへのお客様です。失礼の無いようにお願いしますね?」
「はーい!」
「はいですね〜!」
 元気良く手を上げて叫ぶ反英雄のなれの果てにイリヤはため息をついた。
「この際リンでもお兄ちゃんでもサクラでもいいから、早く来て・・・」


「・・・・・・」
 佐々木は襖を閉めてから目を閉じ、耳を澄ました。襖越しに聞こえるのはあんりとまゆが騒ぐ声と呆れの混じったイリヤの声だ。
「・・・・・・」
 軽く頷き佐々木は歩き出した。彼女の把握している限りイリヤという少女の戦闘能力は皆無である。あんりとまゆの実力は未知数だが不死身に近い存在だと聞いている。とりあえず問題は起きないだろう。
 さて、と気持ちを切り替え向かうのは道場。数十分前に聞いた通りならばそこに士郎と桜が居る筈だ。
「あら?」
 サンダルに履き替えて中庭に降りて道場に近づくと、中からびたーんびたーんと板を打つ音が聞こえてきた。
「ふふ、やってますね」
 呟いて佐々木は道場の戸を開け。
「ぬわはぁっ!?」
「あらあら・・・」
 瞬間、中から威勢よく吹き飛んできた士郎の体をひょいっと受け止めた。
「目が、回る・・・」
「ご苦労様です」
 ぐったりしている士郎に苦笑しながら入り口に腰掛けさせ、佐々木はサンダルを脱いで道場に上がる。
「ん? よう、ササキ」
「おや、珍しいですね」
 入ってきたアサシンのサーヴァントに声をかけたのはランサーとセイバーだ。二人とも汗一つかかず佇んでいる。
ちなみに、一緒に訓練していたもう一人の英霊、アーチャーは部屋の隅でぐったりしている桜の顔をパタパタと手で仰いでいる。
「・・・間桐さま、弓道用の袴で格闘なさるのはいかがなものでしょうか?」
「き、気分出るかなって・・・」
 散々投げられたらしく息も絶え絶えに告げる桜に佐々木は口元を押さえて悪戯な表情で笑った。
「まあ、旦那様は喜んでいらっしゃるようですから、よろしいかと思いますよ?」
「い、いや、俺は別にッ!」
 思わぬ指摘に飛び上がって士郎は否定の言葉を口にする。目を泳いでいるのでまったく説得力は無いが。
「ですが間桐さま。下着のラインが見えるのはいただけません。やはり和装の時は下穿き無しで挑むべきでしょう。減点です」
「いや、だから・・・はぁ、いいけどさ」
 士郎は呟いて息をつき、佐々木に向き直る。
「で? どうしたんですか佐々木さん」
「ええ。旦那様と遠坂さまにお客様です。その方、魔術師だと名乗りわたくしのことをサーヴァントと見抜きました」
 告げられた言葉に表情を変えたのはサーヴァント達だ。鋭い視線を交し合う。
「この家、敵意がある奴が侵入したら警報が鳴るんだよな? セイバー」
「ええ、キリツグが残した結界はいまだ健在ですから」
「ふん・・・その魔術師は、どんな輩だ?」
 アーチャーに問われて佐々木は頬に手を当てて苦笑した。
「銀色の髪の、可愛らしい幼女でしたよ」
「幼女・・・」
 直接的な物言いにがくっと肩を落とす士郎に笑みのまま頷いてみせる。
「問題は無いと思いますがあまり放って置くのもはばかられます。旦那様は遠坂さまを連れて居間へどうぞ。わたくしは、バーサーカーさまを呼びに行きますので」
「? バーサーカーの奴がどうしたんだ?」
 ランサーの問いに、佐々木は視線を居間のほうへ向けた。
「・・・少々、ややこしい事になりそうなんです」
 この家にサーヴァントが集まりだしてから初めて出会う、士郎達以外のマスターが、そこに居る。


11-4 『ダブル&トリプル&ダブル』


 凛の部屋をノックすると、数秒してから入っていいわよと声がした。おじゃましますと口の中で呟いてから士郎はドアを開ける。
「お昼にはまだ少し早いけど・・・何かあったの?」
 机で何か作業していたらしく、ぐっと伸びをして振り返った凛の顔に・・・
「ガネッコ!」
 眼鏡を見つけて士郎は思わず拳を握る。
「!? 何? が、がね?」
「う・・・い、いや・・・遠坂、眼が悪かったっけ?」
 突然の奇声にびくっとした凛に士郎は顔を引きつらせながら問い掛けた。己の中に秘められていた未知なる属性の発露に汗が出る。
「視力はいい方よ。魔力での強化抜きでもね。逆に遠視気味なんで細かい作業する時には眼鏡が居るけど」
 肩をすくめて眼鏡を外し、机の上に放り出す。いくつもの宝石が散らばっている所を見ると、お得意の限定礼装でも作っていたのだろう。
「で? どうしたの? わたしの顔でも見たくなった」
 喉の奥で軽く笑いながら凛が放った言葉に士郎はうんと頷きながら答える。
「見たいか、って言われれば見たいけど」
「ぐっ・・・」
 凛様素直に大赤面。別段特別な意味を込めた気も無い士郎はもじもじしている姿に首を捻りながら用件を告げる。
「それより、魔術師がうちを訪ねて来たぞ。バーサーカーのマスターでイリヤスフィール・フォン・アインツベルンって名乗ってるらしい」
「何ですって?」
 凛の表情がコマ落としのような唐突さで変わった。魔術師特有の無表情な顔で目を閉じる。
「・・・迂闊だったわ。最近静かだったんで油断したみたいね。確かにマスターの気配がする。隠しても居ない」
「・・・俺には全然わかんないわけだけどね」
 士郎は令呪の反応でマスターの存在は感じ取れるのだという以前聞いた説明を思い出し、己のへぼさにため息をつく。
「そんなのわたしに出来るんだから必要無いわよ。どうせ士郎はまともな魔術師にはなれない回路なんだから余計なことで悩まない。心の贅肉よ?」
「・・・まあそうなんだけど、それで済ましちゃうといつまでも遠坂に頼りっぱなしだしなぁ」
 うーむと唸る士郎に凛はぷいっとそっぽを向いた。
「・・・別に、いつまでも頼ったっていいわよ。等価交換だし・・・」
「ん?」
「なんでもない―――で、イリヤはどこに居るわけ?」
 一瞬だけ唇を尖らせてから気を取り直した凛の台詞に士郎はああと頷く。
「居間だって言ってた。俺達に用があるらしい」
「ん、わかったわ。行きましょ」
 念のため予備の宝石をいくつかポケットに忍ばせてから凛は立ち上がった。先に立って歩き出した士郎に追いつき、隣に並ぶ。
「・・・イリヤスフィール・フォン・アインツベルン、か。前に探索した城の持ち主ね」
「アインツベルンってのは有名どころ、なんだよな?」
 問われ、凛は肩をすくめた。
「有名は有名ね。ただし、キワモノとしての。聖杯探索に全てを費やした一族で、聖杯の器を作り出すところまでは辿り着いたって聞くわ。元々戦闘向きの魔術じゃないって点ではうちと同じね」
 そこが納得いかんよなぁと思いながら士郎は苦笑する。
「ただ、うちが不得手なりに自分の魔術で勝負するタイプなのに対してアインツベルンは裏技好きよ。惨敗した第一回以降ルールの穴を突いた絡め手ばかり使ってたらしいし」
「・・・それでも駄目だったんで正攻法に戻ったわけか。外部から魔術師―――親父を招聘して、最強のサーヴァント―――セイバーと組ませた」
 士郎の呟きに凛は眉をしかめた。
「そうらしいけど・・・士郎、お父様がアインツベルンと組んでたとかそういうの聞いてたかしら?」
「? いや、そういえば・・・セイバー辺りから聞いたんだったかな」
 顔を見合わせて首を捻り、凛はふむぅと唸りながら言葉を繋ぐ。
「とにかく、それが第四回。で、今回はその拡大版ってわけね。前回は勝ち残ったのにマスターが裏切った。なら絶対に裏切らない身内に最強のサーヴァントを持たせればいい。確かにイリヤには裏切る理由が無いし・・・そうね、本人が戦いの中で裏切ろうと思ったとしても聖杯が出現する頃にはそんなことを考える機能が無くなってる筈だから」
「詳しいな、遠坂。今来てるマスターって知り合いなのか?」
「え? 初対面・・・のはず・・・だけど」
 問われ、凛はきょとんと眼を丸くした。再度二人で顔を見合わせて首を捻る。
「なんか、最近多いな。変な記憶」
「一度本格的に全員の記憶を突き合わせた方がいいかもしれないわね・・・」
 凛は呟き、頭を切り替える。
「そういう意味ではイリヤの登場っていうのはいいタイミングね。記憶を付き合わせれば何か見えてくるかもしれないし」
「そうだな」
 士郎は頷き、気を引き締める。イリヤという名前から導かれる記憶は肉親に対するもののような親しみと、下半身が消し飛ぶような恐怖心がない交ぜになったものだ。油断は出来ない。
「おまたせ―――」
 心理的に身構えながら居間への襖をあけた士郎は。
「だからこう! ―――ごきげんよう」
「ご、ごきげんようッ!」
「ごきげんようですねー」
 スカートのすそをちょんとつまんで優雅に一礼するイリヤとまゆ、そして豪快にスカートを捲り上げるあんりが剥き出した下半身に、心のガードを一撃で吹き飛ばされた。
「だーかーらー! ちょっとでいいって言ってるでしょ!? なんでそんなに力一杯めくるの!?」
「うー、こういうの苦手なんだよぉ・・・」
「礼儀作法を習ってお兄ちゃんをびっくりさせたいっていったのはあなた達でしょ?」
 ジタバタする褐色の娘さんたちと腰に手を当てて怒る白い娘さんに士郎は言葉も無く立ちすくむ。
「ほらほら、こうですよあんりちゃん。左手は、そえるだけ・・・」
「右手も力は入れないんだって・・・」
 まゆの的外れなアドバイスにため息をついてツッコミを入れたイリヤは視界の隅に見つけた士郎の姿にびくっと震え、余裕の笑みを装いながらふぁさっと髪をかきあげた。
「ふふ、シロウ、久しぶり・・・ううん、はじめましてかしら?」
「いや、無理しないでいいぞイリヤ。素のままで」
 一気に緊張が抜けた士郎はやれやれと息をつき、ふと気付いて振り返った。先程から凛が妙に静かだ。
「どうかしたのか遠坂?」
「・・・ちょっと、ね。気にしないで話進めて」
 軽く肩をすくめて凛は分業分業と笑う。ここに来るまでに交わした会話を思い出し、士郎はどこかくすぐったいような気分でイリヤの方へ向き直る。
「ともかく、お茶を入れるよ。話はそれからだ」


 一方。
「る〜るる、る〜るる、る〜る〜ぎゅいーん!」
 鼻歌の締めにギターをかき鳴らすモーションを入れて佐々木は廊下を進む。
 裏庭でキャスターがいつもの踊りを狂おしく舞ってるのを眺めてほのぼのとしながら客間の並ぶ一角へ向かい、バーサーカーの部屋のドアをノックした。
「・・・あら?」
 しかし、返事が無い。どうやらただのるすのようだ。
「バーサーカーさまの場合、この時間はあんりちゃんやまゆちゃんと遊んでいる事が多いですね・・・そのお二人は居間にいらっしゃって・・・」
 ふむと佐々木は首を捻り、居間で聞いた台詞をふと思い出した。
「確か、さっきまで外に居た、と?」
 瞬間、佐々木の頭上で行灯にぽっと火がついた。
「何かの理由で汚れたのでお風呂、これですね? 玄関に行っている間に入れ違ったのでしょう」
 大正デモクラシー大正デモクラシーと呟きながら佐々木は風呂場へと向かう。佐々木さん、それは灯台下暗しだ。
 そうと決まればと足音のしない独特の歩き方で急ぐ。血の臭いがしていても客は客だ。あまり待たせるものでもあるまい。
 素早く脱衣所前までやって来た佐々木は・・・
「入りますよ〜」
 そのまま、躊躇無しで戸を開け放った。すぱーんと豪快に開いた向こうから湯気がほわんと漂い、そして。
「がぅ!?」
「あら、お着替え中でしたか」
 口元を押さえて笑う佐々木の目の前に、びっくり顔で硬直した褐色の裸体があった。長身には小さく見えるバスタオルを片手に立ち尽くしている。
「ふふ、失礼いたしました」
 佐々木は謝罪しながら戸を閉めた。自分が中へ入った後で。
「ナ、ナンデナカニ・・・」
「お気になさらず。そういえば外で何をなさっていたのですか?」
 朗らかに尋ねてくる佐々木に背を向け、おどおどとバーサーカーは髪の水気を拭う。癖っ毛なので手入れが大変なのだ。
「カダン、ツクッテタ。アンリトマユニタノマレテ」
「花壇ですか? 何かお花でも?」
 背を向けたままでうんと頷き、ちらりと振り返る。
「アノ、アンマリミラレテルト」
「女同士ですよ? この際ざっくばらんにいきましょう」
「ザックバラン・・・」
 納得いかなげにバーサーカーは身体を拭い始める。少しでも佐々木から見える面積を減らそうと身をよじる様がなんだか卑猥だ。
「それで、何を植えてらしたんですか?」
「トウチュウカソウト、ネペンテス」
 一応解説すると、冬虫夏草とはその名の通り虫を苗床に冬を越し夏になると芽吹き草となる植物で、ネペンテスはウツボカズラ・・・食虫植物のことである。
「・・・裏庭に、作ってくださいね。純和風の中庭にそれはちょっと」
 管理人権限を発動させながら佐々木はふぅとため息をつく。
「まあ、育てる事自体は遠坂さまやメディアちゃんも喜ぶかもしれませんね」
 材料として。
「しかし、花壇作りで湯浴みが必要なほど汚れたのですか?」
「イケノソバニ、ツクッテタ」
 バーサーカーは苦労して身体を拭き終えてから下着を履く。探せばあるもので、男の中でも相当の長身の部類である彼女に合うサイズのものも結構な数を買い込んである。
「ソシタラ、アンリニツキオトサレタ」
「いやそんなにこやかに言われましても」
 佐々木が苦笑交じりに呟くとバーサーカーはスカートを履きながら首を振る。
「コドモハ、ゲンキガイチバン」
「あらあら・・・」
 自身も子供は好きなほうだが流石に負けると苦笑を深くし、佐々木は本題を思い出してぽんと手を打った。
「すいません、子供で思い出しました。貴女にお客様ですよ? マスターのイリヤさまとおっしゃる方―――」
「イリヤ!?」
 刹那、轟ッ! と褐色の風が吹き抜けた。
「あら?」
「イリヤッ!」
 ずだだだだだだと廊下を踏み抜きそうな足音と咆哮が遠ざかって行く。バーサーカー、巨体だが敏捷B(狂化抜き)。
「あらあら、バーサーカーさま〜、上着とぶらじゃあ忘れてますよ〜!」
 佐々木は廊下に向かって声を張り上げ、脱衣籠からその二つを取って走り始め・・・
「・・・間に合わなくてもそれはそれでおもしろいかもしれませんけどね〜」
 微妙に足を緩めながらバーサーカーの後を追った。
 遭遇まであと数分。


11-5 『衛宮裁判所大法廷』

「・・・とりあえず、あんた何しに来たの? イリヤ」
 それまで黙っていた凛の第一声にイリヤはふふんと髪を揺らした。
「あら、久しぶりなのに随分と声が刺々しいのね? リン」
「初対面の令呪付き魔術師にここまで踏み込まれたんだったら警告しないで消し飛ばしてるわよ。これでも、親しみに似たものくらい込めたつもりだけど?」
 そっけなく言われイリヤは楽しげにくすくすと笑う。
「へぇ、リンはまだ戦う気あったんだ。毎日シロウといちゃついてるだけじゃないんだね?」
 露骨なからかいの言葉に凛はむっとした表情になって口を開いたが。
「誰と―――」
「誰と先輩がいちゃついてるんですかっ!?」
 それよりも早くズパンッ! と襖が開き、怒号が居間に響き渡った。声の主は室内の視線を独り占めしていることに気付いてこほんと咳払いをする。
「せ、先輩、お茶でも淹れましょうか?」
「・・・お願いするよ」
 そそくさと台所に去っていく桜を見送りイリヤはひょいっと肩をすくめた。
「やっぱりサクラだから嫉妬深いのね。わたしも丸呑みとかされないように気をつけなくちゃ」
「いくらあの子でも丸呑みはしないわよ・・・」
「言い切れる?」
 問われ、半眼になった凛はさりげなく視線をそらす。
「・・・質問にまだ答えてないわよ。イリヤ」
「断言してくれないんですね姉さん・・・」
 お茶を汲みながらだーっと涙する桜を放置して凛はイリヤを睨む。
「うちに何しに来たか、それをまず答えなさい。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。返答によってはちょっと困ってもらうわよ?」
 凄まれ、イリヤはニヤッと黒い笑みになった。
「あら、いつからここはリンの家になったのかしら? ここはシロウの家の筈だけど?」
 思わぬ反撃に凛はぐっと言葉に詰まったが、士郎の何も考えて居なさそうな顔をちらりと見てから拳を握る。
「で・・・弟子の家はわたしの家! わたしの家もわたしの家よ!」
「トオサキズム!?」
 どこかのガキ大将じみた台詞に士郎が思わずつっこみを入れると同時に。
「あ、じゃあ先輩のおうちはわたしのおうちっていうことで・・・」
「当然にマスターの家は私の家でもあります」
「あんりたちはここで生まれたんだもんね〜」
「くすくす・・・いわゆる生家ですね〜」
「ま、愛人の家はオレの家だよな、少年」
「詳しい事は言いたくないが、ここは私の家だ」
「トオサキズムが伝染してる!?」
 部屋のあちこちから同種の声があがった。凛が無限増殖していくさまを幻視した士郎は恐怖の中に僅かな喜びを感じている自分にガタガタと震える。パパ、ぼく汚れちゃったよ・・・
「っていうかセイバーたちどこに居たの今まで!?」
「む」
 放心しかけて立ち直った士郎のつっこみにセイバーは心外ですと眉をしかめた。
「シロウがリンを呼びに行ってからずっと、ここで彼女を監視していました。敵対するかもしれない魔術師が居るのですから警戒ぐらいします。・・・危険性は無いようでしたのでつい出てきてしまいましたが」
「ちなみにオレのルーンで隠れてたんだが・・・このちっこい嬢ちゃんにはバレバレだったかもな」
 ランサーの言葉にイリヤはふふんと無い胸をそらし、凛はため息一つ挟んで顔を引き締め直す。
「際限なく話がそれていくのはいつもの事だけどみんなちょっと黙ってて。その娘が何しに来たのかをきっちり聞き出すまでね」
 睨まれたイリヤはこわーいと両手をあげてからふふんと笑みを浮かべた。
「わたしはバーサーカーを引き取りに来ただけよ。それくらい聞いてるでしょ?」
「聞いてるわ。でも、わたしが聞きたいのは貴女がバーサーカーと何をするつもりかよ。まさか一緒に暮らして甘えたいとかってわけでもないでしょ?」
「違うのか? イリヤ」
 きょとんとした顔で口を挟んだ士郎に凛とイリヤは同時に頭を抱えた。顔を見合わせてこいつはまったく・・・とため息をつく。
「これは置いといて・・・なんで今まで放置してたのにバーサーカーが必要になったかを教えて欲しいところね。というより、教えなさい今すぐ」
「必要になったから取りに来た。それで十分だと思うけど? バーサーカーはわたしのものだもの」
 冷たい笑みで言い放つイリヤを見据え、凛は人差し指を立てた右腕をぴっと真横に伸ばした。
「むぐっ!?」
 いきなり上唇をつつかれた士郎は開きかけていた口を反射的に閉じて目を丸くする。
「わかってるくせにわざと問わせないで欲しいわね、イリヤ。わたしが聞いてるのは『何故』の部分よ。それと・・・サーヴァントを物扱いしないでもらえる? そういうの怒る奴がここに居るし・・・わたしもちょっと不愉快だから」
 イリヤは少し驚いた顔をして凛の顔をまじまじと眺めた。唇をぷにぷにやられている士郎と見比べながら首を捻る。
「シロウはともかくリンが怒るのはちょっと意外。案外感情移入するタイプだったのね。知らなかったわ」
「知っときなさい。で? いい加減諦めるか口を割るかしたらどう? 何の為に・・・何と戦う為に、サーヴァントが必要なのかを」
 身動きが取れない士郎とサーヴァント達がぼーっと眺める中、しばし沈黙してから凛は更に目つきを悪くして返答を促す。
「・・・さっさと吐いたら?」
「・・・カツドンとかないの? 肉抜きがいいなぁ」
「あのー、お茶ここに置いときますね・・・ →旦」
 一歩も退かない凛にイリヤはお茶をすすってからふぅと息をつく。
「まったく・・・しつこいのね、リン。心が狭いのはやっぱり胸が小さくて収納スペースが足りないからなの?」
「あー」「確かになー」
「狭くない! 他の奴らが広すぎる・・・っていうか誰だ今納得の声出した奴! 前ぇ出ろ!」
 凛の怒号にランサーとアーチャーは顔を見合わせてすっと人差し指を突き出した。
「・・・少年だ」「・・・そこの馬鹿だ」
「何ですと!?」
 突然の告発に士郎はぶんぶんぶんと首を横に振った。
「言ってない! 絶対言ってない! 口に出してない!」
「・・・ふふ、衛宮君、面白いこと言うのね?」
 凛は作り笑顔に青筋を浮かべて士郎の頬を力いっぱい掴んだ。
「ひはっひはいほほおはは(いたっいたいぞとおさか)!」
 歪んだ悲鳴に朗らかな笑顔を返し、そのまま思いっきり横に引っ張る。
「ひははははははははッ!?」
「そもそも!(縦)わたしだって!(横)イリアよりは!(回転)大きい!(捻り)わよ!(離す)」
「ひぱっ!?」
 思う存分引き伸ばされた頬を押さえて倒れる士郎と仁王立ちの凛を眺めてその場の全員が『イリヤに勝ってもしょうがないだろ』と心の中でつっこんだ・・・その時。
「・・・ぃぁ・・・ぃぃあ・・・イリヤッ・・・!」
 廊下の果てから、大音声の呼び声が響いた。
「?」
 唐突に呼ばれた自分の名前にきょとんとイリヤが廊下の方へと眼を向けた瞬間。
「イリヤ!」
 ばんっ! と襖が吹きとび、その向こうから胸も露に剥きだした長身の女性が飛び込んできた。
「イタ!」
 頭上にどこぞの不良漫画のような『!?』マークを浮かべて硬直する一同をよそに女性―――言うまでもなくバーサーカーは銀髪の少女を見つけて満面の笑みを浮かべる。
「・・・まあ、サイズって話ならアレは別格だよな」
「・・・大胸筋で水増しされているからな」
 ランサーとアーチャーは冷静な顔で品評し、凛と桜は一糸乱れぬコンビネーションでシロウの両眼を掌で塞ぐがバーサーカー本人は周囲には目も向けず喜びに身体を、特にその一部をプルんプルんと振るわせる。なんとなく、コナミの某ポリゴン格闘っぽい水風船的な動きだ。
「ふふふ、ちょっと間に合いませんでしたね〜」
「イリヤ!」
 十秒ほど遅れて追いかけてきた佐々木が素早く布を巻いてピンで留めるのもさっくり無視してバーサーカーは眼を紅く光らせながらがぅっと跳んだ。
「な、なんなのこの人!?」
 どんっ、と畳を蹴って一跳びで迫る大柄な美女という、映画にすれば「地獄の女囚アマゾネス軍団〜復讐のフランケンシュタイナー」とでもタイトルがつきそうな光景にイリヤは反射的に片手を掲げる、が。
「ブジデ、ヨカッタッ!」
「っきゃああっ!」
 何も起きないままにさくっと捕獲されてしまい思わず本気で悲鳴をあげてしまった。
「イリヤ! シンパイシタ! イリ、■■■■■■■■■■ッ!」
 バーサーカーはイリヤを胸に掻き抱き、泣き笑いで叫びつづける。最後には叫ぶというより咆哮になっていたが本人まったく気にしない。
「むぐ、くる、し、ふにょふにょ、す、すいつ、にゅ・・・」
 イリヤは顔全体を包む柔らかな凶器に目から鼻から口までふさがれて悶絶した。段々動きが鈍くなってくるあたりわりとDIEピンチかもしれない。
「おいバーサーカー! ストップストップ! そのちっこいの死にそうだから!」
「バーサーカー! はしたないですよ! 少し自制しなさい!」
 目の前で繰り広げられる絞殺劇場にランサーとセイバーは慌てて止めに入ったが半ば狂化しているバーサーカーに純腕力でかなう筈も無い。
「なんつー馬鹿力・・・正面から殴り合ってみてぇなっっていってる場合でもないか・・・!」
「魔力が充実している状態の私よりさらに腕力があるとは・・・A+位でしょうか・・・!」
 びくともしない腕を一本ずつ抱えて唸る二人を眺めて佐々木はあらあらと頬に手をあてる。
「あぁ、わたくしが遅れて来たばかりに大変なことに」
「・・・何か酷く作為的なものを感じるのだがな・・・どこぞの割烹着を着たあくまばりに」
 アーチャーは半眼で呟き、心の中の丘から以前この居間で見た鎖を引っ張り出して鎮圧に参加した。

 そして、10分の激闘の後。

「・・・メイワク、カケマシタ」
 鎖でがんじがらめにされた上に束縛のルーンやら凍結の魔術やら黒い泥やら鳩尾へのクリティカルヒットやらを受けてようやく正気に戻ったバーサーカーは居間の隅に正座してうな垂れていた。物理的なダメージはゼロだが頭は冷えた。
「まぁ、この家じゃあのくらいの暴走は日常茶飯時だから気にしなくていいんじゃない?」
 凛は騒ぎの間隅に避けてあった食卓を定位置に戻させてから冷めてしまったお茶をすする。
「物があんまり壊れなかった時点でわたしとしては無罪ね」
「・・・それはようするにオレ達は有罪ってことかね、アーチャー」
「知らん。むしろ私を含めるな」
 壁によりかかってじゃれあう蒼朱コンビを横目に、士郎はまだ痛む頬を押さえながらイリヤの方に向き直った。
「でもよかったな、イリヤ」
「な、なにが?」
 まだ驚きが抜けないのか微妙に視点が合っていないイリヤに士郎はバーサーカーの方を指差した。
「いや、ほら。バーサーカーに会えて嬉しいだろって話」
「・・・!?」
 瞬間、イリヤの眼が大きく見開かれた。
「・・・イリヤ?」
「・・・バーサーカー?」
 おそるおそるイリヤは隅っこからこっちを伺う女性を指差した。バーサーカーはにこっと笑ってぶんぶんと頷く。
「うん、バーサーカー」
「・・・・・・」
 イリヤは口をとざし、まじまじと体格こそ良いがどう見ても女性なその人物を凝視する。バーサーカーは少し照れて頬をかいた。
「レイラインは・・・通ってる」
 自分から流れた魔力が確かに受け取られているのを確認してイリヤは思わず後ずさった。バーサーカーはふりふりと手を振って見せ・・・
「こ、こんなのバーサーカーじゃない! バーサーカーは男の人なんだから!」
「!」
 叫び声を叩きつけられて正座のままよろめいた。そのまま、悲しげな顔で俯いてしまう。
「が、がお・・・」
「いや、その台詞は危険だ。非常に危険だ・・・」
 じっとり汗をかいて呟くアーチャーの台詞は総員無視。
「なんか懐かしいわよね。こういう驚き。ああ、わたしも昔はこうだったんだなーみたいな感じで」
「まあ、俺はわりと違和感無かったけどな」
「わたしもあんまりそういうこと考えた事ないですね」
 残りの魔術師3人が緊張感無く冷め切ったお茶をすすって言葉を交わすと、イリヤはぺちぺちと畳を踏み鳴らして頬を膨らませる。
「他のサーヴァントが変わってるのはどうでもいいけどバーサーカーが女の人になってるなんて聞いてないわよサクラ!」
「!? わ、わたしですか!?」
 いきなり話を押し付けられて湯飲みを落としかけた桜を豪快に無視してイリヤはバーサーカーを睨み付ける。
「とにかく! こんなバーサーカー、わたしのバーサーカーじゃないわ!」
「・・・・・・」
 どんっと指差すイリヤの視線を受け、バーサーカーはゆっくり立ち上がった。
 なんだか、泣きそうだ。むしろ少し泣いてる。
「・・・ば、バーサーカー?」
 その表情に慌てて駆け寄ろうとした士郎を手で制し、よろよろと襖を開けて廊下に出る。
「・・・ゴメンナサイ」
「・・・あ」
 ぺこりと頭をさげて襖を閉める姿に思わずイリヤは声をあげ、慌ててそっぽを向く。背けられた顔に浮かぶのはありありとした後悔の表情。彼女がこれまで表したことの無い類の感情。
「ちょ、バーサーカー!? イリヤ! ええと・・・」
 力なく去っていく足音と気まずそうな表情でそっぽを向いているイリヤをせわしなく見比べて頭を抱えた士郎に凛はふぅと息をついて廊下を指差した。
「士郎はあっちなんとかして。こっちは任せて大丈夫よ」
「・・・頼む!」
 士郎は少し迷ってから頷き、襖を勢い良く開いて廊下に飛び出した。
「待ってにーちゃん! あんりも行くっ! っていうかイリヤひどい! べーっだっ!」
「くすくす・・・まゆも行きますね〜 というよりイリヤちゃん、外道〜 べーですね〜」
 二人揃ってあっかんべーをしてからパタパタ去っていくあんりとまゆを見送り、凛はさてとイリヤを見つめる。
「さあ、第二審といきましょうか」
「・・・・・・」
 先程までの余裕も大人びた仕草も忘れたかのようにぷいっとそっぽを向くイリヤに、ゆっくりと告げる。
「わたしって、結構感情移入するタイプなのよね・・・自分の身内には」
「・・・・・・」
「お茶、もう一杯淹れてきますね、姉さん。ゆっくり話す必要がありそうですし」
 言って席を立った桜に頷き、凛は座布団に腰を降ろした。
「そうね、言いたいことはたくさんあるから、ゆっくり話しましょう? イリヤ」

 

11-6 『はらぺこだいさくせん』

「おーい、バーサーカー?」
「バーねーちゃーん?」
「バーねえさまー?」
 閉ざされた扉を前に、士郎達は途方にくれていた。
「バーサーカー、聞こえるかー!?」
「あなたはそこにいますかー」
 士郎と一緒に叫びながらあんりはむーっと喉で唸る。
「どうする? おにーちゃん。無理やり入っちゃう?」
「まゆたち、液状化できますからー」
 ドアの隙間を指差すちびっこ達に士郎はむむむと腕を組む。
「でも、女性の部屋に忍び込むのはどうかな・・・」
 自称正義の味方的にファールラインを越えそうな提案に躊躇う士郎にあんりとまゆはばたばた足を踏み鳴らして抗議する。
「そんなこと言っててバーねーちゃんが首とか吊っちゃったらどうするんだよぉ!」
「12回も苦しい思いをしなくちゃいけないなんて・・・大変ですねー」
「いや、そういう問題じゃないだろ・・・」
 小さくつっこみながら士郎はなんとなくドアノブに手をかけた。
「一応、みんなの部屋の合鍵は佐々木さんに預けてあるし・・・実は鍵開けの道具とかも投影は出来るんだけどな」
 アーチャーが気まぐれに見せてくれたアンチロックブレード(時価150万円)の設計図を思い浮かべながら士郎はドアノブを回してみる。
 すると。

 がちゃり。

「・・・開いてた」
「・・・あいてたね、にーちゃん」
 あっさりと回転したドアノブを見つめて士郎とあんりはごくりと唾を飲んだ。
「ば、ばーさーかーさーん、入りますよー?」
「にーちゃん、声ちーさい。ちーさい」
 気後れして小声の士郎につられてこちらも小声であんりがつっこむ。しーんと静まり返った廊下で二人はこくりと頷き合った。
「仕方ない・・・開けるよ」
「うん・・・わんつーすりーでね・・・」
 小声の提案にOKと返し、士郎はドアノブを握る手に力を込めた。
「わーん・・・」
「つー・・・」
 ゆっくり、ゆっくりと士郎はドアを押し開き。
「どーん!」
 その横をするりと抜けてまゆは力いっぱいドアを蹴り飛ばした。
「のわっ!?」
「ぱやっ!?」
 いきなりの暴挙に飛びのく二人にまゆはにっこりと笑みを見せる。
「まゆ、まどろっこしいのがすこしきらいなので〜」
「は、はぁ・・・」
 驚きの抜けない士郎を放置してまゆはぺたぺたと部屋の中へ入った。あんりも少しだけ驚きの残った表情で後に続く。
「・・・おじゃまします」
 数秒間硬直していた士郎はなんとか精神を立て直してバーサーカーの部屋に足を踏み入れた。
「そういえば初めて入るなぁ・・・」
 呟いて見渡した部屋は家具の少ない洋間だ。備え付けのベッドでは収まりが悪いのか部屋の隅に布団が畳んで置いてある。あちこちに絵本が積まれているのはあんりとまゆに読んで聞かせるのか本人の発音練習用か。
「にーちゃん! にーちゃん!」
「こっちですよ〜」
 呼び声に顔を向けると、部屋の隅に挟まるようにして体育座りしているバーサーカーとその隣に立って顔を覗き込むあんりとまゆの姿がある。
「バーサーカー、大丈夫・・・じゃなさそうだな・・・」
 士郎の声には何の反応も見せず、バーサーカーはしょぼんと自分のつま先を見つめている。しきりに呼びかけるあんりとまゆの声も届いている様子が無い。
「ほら、イリヤもちょっとびっくりしただけだと思うし元気出してよ」
 士郎は我ながら軽すぎる言葉だと思いながら慰め続けるが、やはり何の反応も無い。
 うなだれ続けるバーサーカーにあんりとまゆは二人同時に首をかしげた。
「すごいしょんぼりぐあいだよ。どうしよっか、まゆ」
「くすくす・・・ここはおねーちゃんにおまかせですね〜」
 ぽんと自分の胸を叩いてまゆはにこっと笑みを浮かべる。
「暗い気持ちの人を慰める方法、イスカねえさまから教わってる筈ですよ? あんりちゃん」
「イスカねーちゃん? ・・・ひょっとして、歌?」
 一瞬考えてから答えたあんりにまゆは正解ですよと頭を撫でる。
「元気の出る歌を聴けばきっとバーねえさまも復活しますよ〜」
「ほ、ほんとかなー」
 疑わしげなあんりに士郎は苦笑した。
「まあ、やって損は無いんじゃないかな? 何しろ他にアイデアも無いし」
「ですよね〜? さ、あんりちゃん。歌いますよ〜」
「む〜、歌うのはいいけどなんの歌?」
 まゆはくすくす笑いながら小さな手をぐっぱぐっぱと握ったり開いたりする。
「よ、よりによってそれ!?」
「イスカねーさまが一番楽しんでくださりましたから〜」
「イスカちゃんのセンスを基準にするのはちょっと危険じゃないかな・・・」
 小声でつっこみを入れる士郎をすっぱりと無視してまゆは人差し指を振ってリズムをとり始めた。
「さあ、いきますよあんりちゃん〜」
「しょうがないなぁ・・・」
 二人は踵でとんとん床を叩いてリズムを合わせ、二人同時に口を開く。

たべちゃうぞたべちゃうぞ 
 いたずらする子はたべちゃうぞ
バターたっぷりぬりつけて 
 お砂糖ぱらぱらふりかけて
大きな大きな口あけて 
 たべるぞどの子 どの子にしようか
じゃんけんぽんよ勝ったら食べろ 負けたら逃げろ

「「たべちゃうぞ たべちゃうぞ―――」」
「2番!? っていうかストップストップ! なに? その緑色の幻想種がスカイダイビングとかしそうな歌!?」
 顔のデッサンを歪めて叫ぶ士郎にあんりとまゆはきょとんと首をかしげた。
「ちょっと昔に子供番組でやってた歌だってイスカねーちゃんが言ってたよ?」
「イスカねーさまとバーねーさまを交えてみんなで楽しく歌った思い出の歌なんですね〜」
 ねー、と顔を見合わせるちびっ子二人に士郎はむむむとその光景を想像してげんなりした。
「・・・いや、それはわかったけどさ、流石にその歌で元気は出ないと思―――」
「あ、にーさま、ちょっとまってです」
「バーねーちゃんが!」
 首を振ってイメージを振り払う士郎の口をまゆは背伸びしながら塞いだ。同時にあんりが びしっとバーサーカーを指差す。
「・・・タベ・・・チャウ・・・ゾ・・・」
「反応した!?」
 後ずさる士郎をよそにバーサーカーは小さな声で歌詞を口ずさみながら顔を上げた。
「タベチャウゾ・・・コナベニユデテタベチャウゾォォォ!」
 そして、怒号とも絶叫ともつかぬ声と共にだんっと立ち上がり士郎を脇に抱え込んだ。
「な!? バーサーカーなにを! ぬわっ! なんで脱がす・・・駄目っ! ぱんつは駄目だってば!」
「タベチャウ・・・アレ?」
 喰うの意味が違うのかひたすら士郎を剥き続けていたバーサーカーは必死の抗議に目が覚めたのかきょとんとした目であたりを見渡した。
「ワタシナニヲ・・・?」
 目をしばたかせたバーサーカーの視線が自分の腕の中で震える半裸の士郎にとまる。
「・・・ども」
「キャッ!?」
 気まずげに士郎が手を上げるとバーサーカーは乙女じみた悲鳴と共に手を離した。
「あたっ!?」
「わっ、にーちゃんだいじょぶ!?」
「あらあら、にーさま・・・横座りがセクシーですね〜」
 どすんと床に落ちた士郎をあんりとまゆが助け起こすのを顔を覆った指の間からチラチラと見ながらバーサーカーは頭を下げる。
「ゴメンナサイ・・・アノ、タイヘンナコト・・・」
「あ、いや別に気にしないで。うん」
 顔を真っ赤にしてぺこぺこ謝る姿に士郎は苦笑しながらそこらに落ちた服を再び身につける。
「でもよかった。少しは元気出たみたいだな」
「あ・・・」
 安堵の笑みに、バーサーカーは顔を曇らせる。またしてもしょんぼり背中が丸くなってきた。
「にーちゃん! 無神経!」
「でもそれでこそにーさまですよねー」
 あんりとまゆの台詞に士郎はうっと言葉に詰まった。恐る恐る見上げると、バーサーカーは少し寂しげな笑みを浮かべて首を振る。
「ダイジョウブ・・・ワタシ、ヒトリジャナイ」
「バーサーカー・・・」
 心配げな士郎にバーサーカーはむんっと力こぶを作って見せた。実に見事な筋肉だ。
「ゲンキ、ゲンキ。アリガトウ・・・シロウサン」
「い、いや・・・俺は本当に何もしてないし・・・」
「キテクレタカラ」
 今度こそニコッと笑みを見せたバーサーカーに士郎は照れくさく頭をかいた。なんとなく和んだ空気にあんりはぷーっと頬を膨らます。
「むー、なんだかちょっと疎外感だよまゆ」
「ここは我慢ですよあんりちゃん。既成事実を作るまで」
 まゆはくすくすと笑いながら士郎の袖を引っ張った。
「さて、にーさま。居間にもどりませんか〜? イリヤのこと、このままというわけにはいかないでしょう?」
「・・・そうだな。俺としてもバーサーカーがあれだけ探してたマスターなんだし仲良くしてほしいし」
「・・・・・・」
 うんと頷く士郎をバーサーカーは目を丸くして眺め。
「・・・アリガトウ・・・ホントウニ・・・」
 その瞳に見る見るうちに涙が溢れ始めた。
「のわ!? ば、バーサーカーさん!?」
「なーかした、なーかした!」
「しろにーさまがーなーかしたー!」
 ぐすぐすと鼻をすすり涙を手のひらで拭っているバーサーカーと硬直して動けない士郎の周りをあんりとまゆは踊りながら回りだす。
「いーけないんだーいけないんだー!」
「りんねーさまにーいってやろー」
「いや、それは本気でやめて」
 士郎はため息と共につっこみを入れた。


 一方。
「桜、お茶のお代わりもらえるかしら?」
「あ、はい」
 静まり返った居間の静寂を破り、凛は湯飲みを突き出した。桜がそれを受け取って急須を手に取る。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 コポコポというポットからお湯が注がれる音と遠くから聞こえる叫び声とも歌声とも付かぬ何かを除いては何の音もしない。
「・・・・・・」
「・・・言いたい事がいっぱいあるんじゃなかったの?」
 沈黙に耐えかねて口を開いたのは、イリヤの方だった。
「ん? 今は黙られた方が辛いだろうから黙ってるだけよ」
 凛は意地悪くにやっと笑う。
「人に責められるよりも自分に責められる方がきついものだし、ね」
「・・・なんでわたしが自分を責めなくちゃいけないのよ」
 不満げに睨んでくる銀髪の少女に凛は肩をすくめた。
「大事な人にひどい事言っちゃったーって感じかしらね? あ、ありがと」
 お茶を受け取り、一口すする。
「・・・さっきからずっと言ってるでしょ。サーヴァントは魔術師にとって武器。それ以外のなんでもないわ。自分のものに何を言ったって勝手でしょ」
 眼をそらしたイリアに肩をすくめて凛はもう一口お茶を口に含んだ。中々にうまい。
「バーサーカーは強いわよ。単純な戦闘力だったらうちでも一番でしょうね。筋力、技術力、何より手加減版とはいえエクスカリバーを喰らっても平気な防御力・・・まさに圧倒的ね。まあ、サーヴァントの戦いは身体能力で勝ればいいってわけじゃないけど」
「・・・それがどうしたのよ」
 拗ねた表情のイリヤに凛は目を細めて湯飲みを食卓に置く。
「バーサーカーのサーヴァントは本来助言者としての機能を全て捨てることを代償に1ランク上の能力を手に入れるクラス。それをあえて求めた筈のあんたが、男だの女だのっていう人間的なことに文句をつける。矛盾よね」
 その台詞に桜がきょとんと首をかしげた。
「つまり・・・情が移ったってことですか? 姉さん」
「なんかその言い方だと犬とか猫とか拾ったみたいだけど・・・まあ、そういうこと。武器の性別なんて普通は気にしないわよねぇ?」
「・・・普通武器に性別はないわよ」
 ぷいっとそっぽを向いてイリヤは呟く。
「そうでもねぇけどな」
 暇そうに湯飲みを指先で回転させていたランサーは、その声を耳に止めてアーチャーに声をかけた。
「黙れ」
「オレの槍、多分男だし」
 そっけなく言い捨てるアーチャーに構わずニヤニヤと笑う。
「ほれ、なにせ名前がゲイ・ボルク」
「黙れといっただろうがこの阿呆!」
 がぁっと叫ばれランサーはぴんっと人差し指を立てた。
「日本語で書くと突き穿つ菊―――」
「だっ! やめんかシモネタリアンッ! そもそも自分のシンボルをそういうギャグに使って楽しいのか貴様は!」
「シンボル? ついてないけど?」
「っ!」
 にっこりわらって下半身を指差す蒼の英霊に赤の英霊はその頬をシンボルカラー同様の鮮やかな赤に染めながら目の前のニヤニヤ笑いに拳を叩き込む。
「ひょいっ・・・と、そういやおまえの剣も夫婦剣ってくらいだから性別あるよな」
「最初からそういう正論を言えA+++のEX級馬鹿っ!」
 つかみ合いを始めた二人を横目に、セイバーはもぎゅもぎゅとみかんを食み、ふと思いついて呟いた。
「・・・エクスカリ婆」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・なんでもありません」
 途端に居間中を包んだやるせない空気にセイバーは深く後悔して俯いた。丸まった背中がしょんぼりと小さくなる。
「か、かり婆んというのもありだな、セイバー! どちらにしろ女性か!」
「・・・おまえ本当にセイバーには甘いのな」
 慌ててフォローに入ったアーチャーにランサーは呆れ顔で呟く。
「・・・ま、あいつらの話はともかく・・・今更反省してるやつに追い討ちなんてかけないわよ。時間の無駄だし」
「・・・反省なんてして無いもの」
 凛の言葉にイリヤはぷいっとそっぽを向いて呟いた。なんとなく語ることも無く皆が静かになったころ。
「おまたせ」
「がぅ・・・」
 たんっと軽い音を立てて襖が開き、士郎達が帰ってきた。
「・・・・・・」
 気まずそうな顔でちらちらとこちらを見るイリヤにバーサーカーは小さく微笑み、ぺこっと頭を下げた。
「ニゲテ、ゴメン」
「あ、謝る必要なんて無いでしょ?」
 予想だにしなかった言葉にイリヤはぎょっとした表情でまたそっぽを向く。その仕草はいまや完全に子供のそれだ。
「ともかく、立ちっぱなしもなんだし座ろうか」
「うんっ!」
「そーですねー」
 士郎に促され、あんりとまゆはバーサーカーの手を引いてイリヤの隣に座る。
「う・・・」
「がぅ・・・」
 至近距離にあるバーサーカーの姿にイリヤは硬直して動けない。一方でバーサーカーもまたどうしていいやらわからない顔で固まっている。
「・・・こっちの状況はどうなったんだ? 遠坂」
「へこみっぱなし。反省はしてるわね・・・そっちは?」
「あんりちゃん達のおかげで元気になってくれた。もともと前向きな人だし」
 小声で情報交換して士郎と凛は視線をバーサーカー達の方へ向けた。二人とももじもじするばかりで動かない。
「取り合えず、感触は悪くない・・・か」
「そうね。なんかこう、きっかけがあればいいんだけど」
 ふむうと考え込み、士郎はふと隣を見た。そこには正座したまま目を閉じ、何かを考え込んでいるセイバーが居る。
「・・・士郎」
「・・・何か思いついたのか? セイバー」
 すっ、と目を開けてこちらに向き直った己がサーヴァントに士郎は期待を込めて尋ねてみた。セイバーはええと頷き―――
「おなかがすきました」
 何故か自信満々に言い切ったセイバーに士郎はがくっとその場でこけた。
「なにをしているのですか? シロウ」
「い、いや、別に・・・」
 苦笑しながらおきあがった士郎にセイバーは不思議そうな顔で首をかしげ、小声で士郎に耳打ちする。
「餌付けと言えば言葉は悪いですが、私達自身、同じ食卓を囲むことでわかりあってきた実績があります。時間もちょうど良いですし、お昼ごはんにしませんか?」
 真剣な表情に士郎は罪悪感を感じて頭を下げた。
「う・・・ごめんセイバー」
「?」
 きょとんと首をかしげるセイバーに苦笑して士郎は凛の方に向き直る。
「遠坂、もうお昼だしそろそろ昼飯の用意をしよ―――」
 ぐー。
「・・・・・・」
「べ、別に私のお腹が減っていることとさっきの話は関係有りませんよ!? シロウ」
  真相は闇の中だ。


11-7 あなたのまちのばさかさん

「じゃ、行こうか」
「はい、シロウ」
 士郎はスニーカーのつま先でトントンと地面を打ちながら振り返った。彼と共に玄関に立っているのは、今朝からなんだかやけに笑顔が眩しいセイバーと−−−
「・・・がぅ」
「・・・・・・」
 戸惑いの表情を浮かべるバーサーカーと可愛らしい眉をしかめたイリヤだ。
「ねえ・・・なんでわたしもついていかないと駄目なの?」
「ん? バーサーカーと―――」
「簡単な事だ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」
 仲良くしてほしいからだと言いかけた士郎の言葉ををセイバーは素早く遮った。
「我々に危害を加えるかもしれない魔術師とそのサーヴァントを陣地に置いて眼を離すとでも?」
 冷たい物言いに渋い顔をした士郎にイリヤから見えない角度でプルプルと小刻みに首を振る。
(半分口実です。こう言っておけばとりあえずイリヤスフィールも妥協できると思いましたので)
(・・・成程、確かにそうだ。セイバーはかしこいな・・・)
(い、いえ・・・その・・・ありがとうございます)
「ふぅん、リンといいセイバーといい、案外緩んでないのね。もっと色ボケしてるかと思ったのに」
「・・・ぐ」
 見えないだけで見事に色ボケていたセイバーが思わず言葉に詰まるのに苦笑してから士郎は肩をすくめて歩き始めた。身長的に大・小・極小の3人娘もてけてけとついてくる。
「・・・・・・(話題が・・・話題がみつからない)」
「・・・・・・(色ボケ・・・この私が・・・色ボケ・・・)」
「・・・・・・(どうしたものかしら、この状況)」
「・・・・・・(イリヤ、こっち見てくれない)」
「あら、バーサーカーさんお買い物?」
 話題が見つからないまま黙々と歩き続ける四人の沈黙は、近所に住んでいる通りすがりの主婦の挨拶で破られた。
「がぅ、コンニチワ」
「こんにちはバーサーカーさん・・・ってウェ!? 娘さんがいらっしゃったの?」
「チガウ・・・」
「あ、ばーさーかーだ! きょうもおっきーなーばーさーかー!」
「がぅ」
「お、バーサーカーの姉御。おでかけっすか?」
「ちわっす姉さん! またうちの餓鬼ども揉んでやってくださいよ!」
「がぅ」
 行きかう親子連れからご近所のヤクザ屋さんまで幅広い層から挨拶されてはがぅがぅ会釈するバーサーカーに、イリヤはなんとなく置いてけぼりにされた気分で顔をしかめ、くいくいと士郎の袖を引っ張った。
「・・・バーサーカーって名前、不自然に思われてないの?」
「ああ・・・」
 問われ、士郎は達観した表情になった。
「なんか、近所では馬坂さんって名前だと思われてるらしい・・・無理あるよな・・・どう考えても」
「そもそも、バーサーカーはどう見たって日本人じゃないのに・・・」
 思わぬ答えにイリヤが半眼になって呟くと、士郎は何かを悟ったような顔で首を振る。
「親父の関係者だってことでみんなすんなり納得したらしい。最近、親父が何者なのかわかんなくなってきたよ、俺・・・」
「・・・そうなんだ」
 士郎の答えに苦い顔で黙り込む。二人はなんとなく連帯感を感じながら頷きあい、隣を歩くバーサーカーを眺めた。
「あらバサちゃん。いいお天気ね」
「がぅ。フトンホストキモチイイ」
「だーだー、ばぶ、ばぁ」
「がぅ」
「はわっ! 外人さんだ! は、はうどぅゆぅどぅ・・・!」
「ニホンゴワカル」
「・・・やっぱり変」
 イリヤは口の中で呟きを転がした。状況が状況だけに頭では理解たつもりだが、誰かと挨拶して、世間話までするバーサーカーという図式は感情的に納得できない。
「こんなの、わたしのバーサーカーじゃないもん・・・」
「・・・イリヤ?」
 聞こえるか聞こえないかの小さな声の中に自分の名前があった気がしてバーサーカーがきょとんとした顔で振り返ると、イリヤはぷいっとそっぽを向いてその視線を無視した。
「・・・がぅ」
 気のせいかと前に向き直ったその後頭部をイリヤはむーっと眺める。
(狂化とかさせたらどうなるのかな・・・)
 記憶にあるものより大分低く、しかし自分よりは遥かに高いそこで揺れる髪をなんとなく目で追って歩き続けるうちに、ほどなく一同は商店街へ辿りついた。
 士郎は仕切りなおしとばかりによしと呟き、イリヤへと視線を向ける。
「イリヤ、何か食べたいものとかあるか? うちの面子なら大概のリクエストには答えられるぞ」
「ん? そうね・・・」
 楽しげに顔を覗き込んでくる士郎に、店の数々を眺めてイリヤは軽く首をかしげる。乏しい食べ物の知識をひっくり返して思いついたものは・・・
「オムライス」
 で、あった。簡潔な返答にセイバーは嬉しげにうんうんと頷く。
「ほぅ、オムライスですか。以前アーチャーが作ってくれましたがケチャップライスと鶏肉、それを包み込む卵の協調が素晴らしい・・・」
 夢見るセイバーにイリヤはニヤリと笑って付け加えた。
「うん、オムライス。肉抜きで」
「そんなッ!?」
 思わず声を漏らしたセイバーは振り向いた士郎の視線を受けて顔を赤くした。ごほんごほんと咳払いをしながら微妙に目をそらす。
「・・・いえ、なんでもありません。シロウ」
 そ知らぬ顔を装う姿に士郎は思わず苦笑を漏らした。
「イリヤ、別に全員の分が肉抜きでなくともいいんだろう?」
「ふふ、そうね。くいしんぼなセイバーの為に妥協してあげるわ」
「む、むむ・・・」
 ふふんと目を細めて笑うイリヤにセイバーは悔しげに唸った。言い返す言葉が無い。
「そうなると、米はまだ3俵ほどあるし・・・卵とケチャップ、鶏胸か。野菜スティックとかもあったほうがいいな、うん」
 士郎が頭の中で冷蔵庫と床下倉庫の中身をチェックして呟くと、バーサーカーはふと思いついて士郎の肩をちょいちょいとつっつく。
「タマゴ、スーパーヤスウリ」
「ああ、そういえばチラシが入ってたっけ」
 バーサーカーは、新聞も読めばチラシもすみずみまでチェックするまめな娘さんだ。
「じゃあ卵とケチャップはそっちだな。熊さんとこで野菜類買えば隣が肉屋だしちょうど良いか」
「くまさん?」
 なんとなくひとごととは思えない呼び名に首をかしげるセイバーに行くよと声をかけて士郎は八百屋へと向かう。遠目にも良く目立つ集団に店主はおぅと声をあげて四人を迎えた。
「衛宮んとこの坊主! また新しい女の子連れてきてこの犯罪者め! かははははっ!」
「いや、そんな軽やかに笑われても・・・」
 士郎は半眼でぼやいてから気を取り直して店頭に並ぶ野菜達を眺める。
「胡瓜とキャベツ、あと大根。人参はどうだったかな・・・」
「アンリガカジッテタ、イッパイアルカラ、ダイジョウブ」
「・・・あんりちゃん達がつまみ食いしてるんなら、あんまり大丈夫ってわけでもないな・・・」
 報告に苦笑して士郎は注文する量を少し増やすことにした。
 セイバーや桜をヘビースモーカーとするならばあんりとまゆはチェーンスモーカー。一度に食べる量では一歩劣るが間食の回数はトップだ。
「あんだけ買ったのにまたミカンが切れたからなあ・・・熊さん、蜜柑入荷しました?」
「おう、すまねぇな坊主。さすがにもうバラしかねぇんだ」
 店主はそう言ってパンパンに膨らんだビニール袋を差し出した。ずっしりと重いそれを受け取り士郎は財布から1000円札を数枚渡す。
 ちなみに、この店の大口顧客No1の座は現在士郎がガッチリキープしていた。別にタイトル防衛したくもないが、多分しばらくの間は失うことも無いだろう。
「何か果物を買ってってあげたいとこだけど・・・林檎は剥かなくちゃいけないしあの二人に刃物は持たせたくないし・・・今日は見送りかな」
「そか、ほいお釣り。明日か明後日にはまた蜜柑も仕入れるからよ。そのときに来てくんな、坊主。っと、もちろんバサちゃんもそっちの金髪と銀髪の嬢ちゃん達もな!」
「ええ。じゃ、さよなら熊さん」
「がぅ、サヨナラ」
「壮健で」
 かははと笑う店主に士郎達は軽く挨拶して隣の肉屋へ移動する。
「こんにちは八っさん」
「いらっしゃい・・・ああ、衛宮君か・・・今日はなんの肉がいるんだい・・・?」
 さっきまでの開放的な八百屋とは対照的に妙に薄暗い店内に声をかけると、黙々と包丁を研いでいた女性店主はニタリと笑って首をかしげる。顔にぴちゃぴちゃと飛び散った血痕がやけに怖い。
「えっと、鶏胸肉1.5キロと鶏腿肉2キロ」
「あいよ、すぐ切り刻むから待ってな・・・ケケケ・・・」
 言うが早いか店主は肉切包丁の分厚い刃の具合を指先で確かめる。
「クケェッ!」
 沈黙も一瞬、天井からぶら下げてあったよく太った鶏を調理台の上にどさっと落としてそこに刃を叩き込む。
「ケヒャ・・・! クケケケケケケケッ! 肉ッ! 肉だ・・・この手ごたえがたまらんっ・・・!」
 早い。奇声をあげ、くねくねと踊りながらも手だけは精密機械のように肉を解体していく。イリヤはしばし沈痛な面持ちでそれを眺めてから、深くため息をついた。
「・・・この街、まともな人居ないの?」
 多分、居ない。
「・・・それ以前に、なんだか殺気のようなものを感じるのですが」
「がぅ・・・ダイジョウブ。ヤッサン、イイヒト」
 狂ったように肉を切る店主に引きぎみのセイバーにバーサーカーは苦笑交じりに首を振った。
「くひっ・・・そうとも、あたしゃ死んだ肉にしか興味なくてねぇ・・・」
「それも問題あると思われますが・・・」
 セイバーのつっこみをさらっと無視して店主はだんっと包丁をまな板に突き刺した。
「あがり・・・こっちが腿肉でこっちがおっぱい肉だぁ・・・」
「・・・その言い方はよしましょう八っさん」
 士郎はため息をつきながら代金を渡す。店主はひぃふぅみぃとそれを数えてからひょいっと肉の入ったビニール袋をバーサーカーに差し出す。
「くひひひ・・・ほれ、バサ姉ちゃん。肉だぁ。ここでそのまま貪り喰ってくれてもええでなぁ?」
「サスガニ、ナマハ」
 律儀に答えて大量の鶏肉が入ったビニール袋を受け取るバーサーカーに店主はくひひと再度笑い、レジの脇でコトコトと煮えていた鍋にぶっすりと四本の串を差し込んだ。引き戻したその先には茹でたソーセージが刺さっている。
「おまけさね・・・うちの自家製ソーセージだ」
「あ、いつもすいません」
 士郎は串を受け取り、片手に一本持って残りの三本をイリヤ達に差し出す。
「店主殿、感謝します」
「アリガトウ」
 セイバーとバーサーカーはぺこりと頭を下げてそれを受け取ったが、イリヤは肩をすくめて首を横に振った。
「わたし、肉は食べれないの」
 言い置き、しばし迷ってから小さな声で付け加える。
「だから、それはバーサーカーにあげちゃって。どうせいっぱい食べるんでしょ?」
「イリヤ・・・」
 唐突な言葉にバーサーカーは一瞬きょとんとし、それから嬉しそうに笑みを浮かべた。
「アリガトウ」
「べ、別にお礼を言われるようなことじゃ・・・」
 ごもごもと口ごもるイリヤをほのぼのと眺めながら士郎とセイバーはソーセージにかぶりついた。張りのある皮を噛み破るとぷちゅりと吹き出てきた肉汁が口を満たす。
「ん、うまい」
「ほう、これは美味・・・」
「くくく・・・材料まで厳選してるからねえ・・・」
 何故か自分の腹を撫で繰り回す店主に士郎はふと浮かびかけた想像を固く封印した。余計なことは考えない。これも護身というものだ。
「さて、後は卵とケチャップだな。うん。さあ行こう、すぐ。早く」
「が、がぅ?」
 串を二本くわえたままのバーサーカーの背を押して士郎は足早にスーパーへと向かう。
 キロ単位で買い物をする為八百屋などの専門店を使うことの多い衛宮家だが、卵や牛乳ともなるとそうもいかない。買い物に付き合うことの多いセイバーやバーサーカーにとっては慣れた場所だが。約一名、スーパーマーケットというものを初めて見るものが居た。
「・・・・・・」
 イリヤは絶句した。視線の先は入ってすぐの果物売り場。今日は特売らしく山積みにされたバナナである。
 バナナ。バナナの山積み。
 召喚時に派遣先の一般常識が自動的に与えられるサーヴァントと違い、イリヤの知識はアインツベルンによる初期設定頼りであり、残念ながら伝承のように生まれながらに膨大な知識を持つわけではない。
 中でも日本関連の知識は根が引き篭もりなアインツベルンには乏しく、最新の情報として与えられたものですら10年前のものであり―――
「高級品のバナナが、こんなに・・・」
 こちらに来てからも与えられた食事を摂るだけで買い物などした事もないイリヤにとって、この光景はショックなものであった。
「高級と言われても・・・バナナはおやつの類では?」
 立ちすくむイリヤにセイバーが首をかしげると、士郎は懐かしげな顔でゆっくりと首を横に振った。
「今はそうだけど、基本的には輸入品だから昔は高かったんだよ。親父がよく言ってたっけな・・・バナナってのは病気のときくらいしか食べれないもんなんだって。俺は昔から頑丈だったからあんまり食べられなくて・・・それと、バナナはおやつに入らないから注意してくれセイバー。最重要事項だ」
 士郎は言いながらイリヤを眺め、その物欲しげな様子にうむと頷いた。値札を確認し、財布の中身と凛の顔色を思い浮かべてから一歩前へ出る。
「台湾バナナのわりに安いし・・・ちょうどいいから買っていくか」
 ちなみに、現在『バナナ』として売っているものは一般的にはフィリピン産のジャイアントキャベンディッシュという品種だが、昔は台湾バナナこと仙人種が一般的であった。味も、結構違う。
「これと・・・これかな」
 普通なら熟しすぎることを考慮してやや緑色のものを選ぶところだが、衛宮家ではこの程度あっというまに無くなるのだからそういう配慮は要らない。積んである中から程よい黄色のものを二房手にとると、イリヤの頭がその動きに合わせてふらふらと動く。
「・・・・・・」
 士郎は一瞬考えてからバナナをイリヤに差し出した。
「イリヤ、悪いけどバナナ持ってくれるか? 手が足りないんだよ」
「ソレナラ―――」
 私が、と言いかけたバーサーカーをセイバーが目で制する。
「う、うん。いいわよ。しょうがないなあ、レディに荷物持たせるなんて・・・」
 イリヤはぷいっとそっぽを向いてバナナを受け取り、大事にそれを胸に抱えた。
「まったく・・・」
 口でだけ文句を言っているが、頬が緩んでいる。あからさまにご機嫌な様子にバーサーカーとセイバーは顔を見合わせて表情を緩めた。
「しかし今日は学生がやけに多いな・・・」
 やや和んだ空気で再度歩き出した士郎はパタパタ走る同い年くらいの少女の一団に買い物籠がぶつからないやりすごしながら呟いた。
 数日前の校舎破損からこっち、暇をもてあまして市内のあちこちでふらふらしている穂群原学園の生徒ではあるが、昼過ぎのスーパーという場所は高校生の出現スポットとしてはあまり王道とは言えまい。
「うわ、ここもか・・・」
 たどり着いた卵売り場にも少女達が溢れているのを見て士郎は思わず後ずさる。
「どうしたの? シロウ。女の子の群れに突撃するなんていつものことじゃない」
「いや、否定はできないけどその言い方だとなんだか犯罪っぽいからやめてくれ」
 上機嫌なイリヤにニコニコと言われて士郎は呻くように答えてから気を取り直した。ほんの2週間で女性に慣れたのは事実だし、そもそも特売ワゴンの卵パックは素晴らしいペースで減り続けているのだ。
「よし、今はLサイズ48円お一人様1パック限りが大事だ。細かいことは忘れて行って来る!」
「その意気です、シロウ。御武運を―――」
 セイバーの声援にああと頷き士郎は売り場に突入した。特売用冷蔵ワゴンの周囲にひしめく同い年くらいの少女達とところどころに混じる強敵・・・中年の奥様型をかきわけ、タマゴのパックへと手を伸ばす。
「4人居るから4パックか。これなら2日は持つな・・・」
 ゲットを確信した士郎は後で暇なサーヴァントを連れてもう一回来ようかなどと考えながらパックを掴み。

 ぐに。

「きゃっ!?」
「のわっ!?」
 掌に感じた体温と少女の悲鳴に自分も悲鳴をあげた。見れば、士郎の手は正面から伸ばされた他人の手ごと卵のパックを握っている。
「す、すいません・・・」
「ご、ごめんなさい・・・」
 火にでも触ったように慌てて手を引っ込めて謝ると、同時にワゴンをはさんだ向こう側からも謝意を告げる声がした。ぺこぺこと頭を下げてから視線をあげると。
「あれ?」
「あっ・・・」
 セイバー達の気品とはまた違う、おっとりとした和風の上品さを感じる笑顔と共に、三枝由紀香がそこに居た。
「さえぐ・・・ぐはっ」
 最近何かと遭遇することの多い少女の出現に声をかけようと口を開いたところで士郎はわき腹におばさまの肘鉄を受けて悲鳴を上げる。大きくのけぞり、背後の別の客にぶつかって思いっきり睨まれた。
「と、とりあえずここからでませんか?」
「・・・そうだね」
 悶える姿にあわあわと言ってきた三枝の提案に頷いて士郎はワゴンを取り囲む人の波から離脱した。もちろん、タマゴ4パックを素早く選別して持ち出すのも忘れない。
「よし、出れた・・・」
「あの、おなか大丈夫ですか?」
 ふうと一息つく士郎にパタパタと近づいてきて三枝は心配げに声をかける。こちらもさりげなくタマゴ3パックを確保しているあたり油断は出来ない。
「ん。結構鍛えてるから」
 どこかの鬼のような台詞と共に士郎は苦笑し、三枝の提げた買い物籠に目を留める。
「三枝さん、昼ごはんの買出し?」
「あ、いえ。今日はこれ―――はわっ!?」
 問われてニコニコと買い物カゴを見せようとした三枝は、途中で何かに気づき慌ててそのカゴを背後に隠した。
「?」
 常に無い素早い動きに首をかしげる士郎にあわあわと落ち着き無く視線を動かしながらとりあえずあははと笑う。
「そ、そんなことより、その、こんなとこで会うなんてど、土偶ですね!」
「いや、そんな無理矢理なボケかたされても・・・」
「神宮ですね!」
「そうそう、両翼91メートルでね・・・なんでさ」
「晴れのちグゥですね!」
「いや、どんどん遠くなってるから・・・」
 本人も引っ込みが付かなくなったらしく泣きそうな顔で繰り出すシケギャグに根気よくつっこんでいると、救いの手は案外早くやってきた。
「えっと、ぜ、ゼクウですね・・・」
「それはあまりにマイナーではないか?」
「っていうよりしつこいぞ由紀っち」
 呆れ顔で現れた氷室と蒔寺にあからさまにほっとする三枝をよそに、士郎はうむむと考え込む。
「っと・・・確か誰かの師匠キャラの名前だったような・・・」
「グリーンもしつこいって」
「おや、貴女達は・・・」
 蒔寺が半眼でつっこんでいると、少し離れて待っていたセイバー達もこちらへ合流してきた。邪魔にならないように通路の端に寄って顔を見合わせる。
「そういや今日は遠坂と一緒じゃないんだな」
「それはそうだろう蒔寺。衛宮だって別段遠坂嬢と同居しているわけでもないのだ」
「あ、うん。そう」
 そういえばその辺の話は一応秘密なんだよなあと忘れかけた設定を記憶から掘り出しながら士郎は頷いた。
「えっと、セイバーさんとバーサーカーさん・・・あれ、そちらの方はこの間はいらっしゃりませんでしたよね・・・?」
 こんにちわと頭を下げる三枝にイリヤはニタリとあくまっこな笑みを浮かべた。抱きしめたバナナ二房とあわせるとシュールな光景だ。
「ふむ、衛宮氏。そちらの少女は何者かな?」
「あ、この子は・・・」
 士郎は説明しかけて口ごもる。サーヴァント達は同居するしかないからと親戚で押し通したがイリヤの場合状況が違う。
(親父の知り合いの子くらいが妥当か?)
 頭の中でまとめてシロウは口を開き―――
「パパ!」
「ぁにっ!?」
 バナナごと腰に抱きつかれて声にならない悲鳴をあげた。
「お、お子さんですかえみやくん!?」
「ふむ、若いのに大変だな。衛宮氏」
「納得するなよ鐘!」
「ソンナ・・・」
「バーサーカーまで驚いてどうするのですか! わた、わたしは信じてますよシロウ!」
 4者4様のリアクションでたじろぐ面々を満足げに見渡し、イリヤはぺろっと舌を出した。
「冗談。ほんとはシロウのお姉ちゃんだよ」
「・・・妹ではなく?」
 現実味が増したような減ったような話に氷室が眉を潜めると、イリヤはうんと事も無げに頷く。
「そうよ? お母さんはちがうけど」
 ふふん、と無い胸を張るイリヤに蒔寺はあぁと頷いた。
「また一人増えたのかよ・・・噂には聞いてたけど衛宮の親父って凄い人だったんだな・・・」
「・・・色々と」「・・・色々ね」
 感心したような蒔寺の台詞にシロウとイリヤは同時に遠い眼をする。この話題に限り、二人の連帯感はかなり強い。
「ところで、衛宮くんは明日、おうちにいますか?」
 追憶に浸る士郎を眺めて三枝はふと思いついたことを尋ねてみた。士郎は何か約束とか予定はあったかと脳内でスケジュール帳をめくり、そのまま首を横に振る。
「? まあ、突発的に誰かが何かをしでかさない限り居ると思うけど・・・何しろヘラクレスの栄光2くらい事件とのエンカウント率が高い家だからなんとも」
「?」
「あ、バーサーカーとは関係ないよ。ほとんど」
 急に名を出されて首をかしげるバーサーカーに言い置いて、士郎は再び三枝に眼をむける。
「で、それがどうかした?」
「い、いえ、べつになんでもないですよ?」
問われた三枝はほにゃっと手を振って見せたが、いつもよりやや喋り方が早い。どうやら、結構動揺しているようだ。
「そう?」
 よくわかっていない顔で士郎は追及をやめたが、そうはいかない少女が一人居る。
「ふ〜ん、そうなんだ〜?」
 少女・・・イリヤはニタリと笑って三枝が背後に隠していた買い物籠を覗き込んだ。
「きゃっ・・・み、見ました?」
 何か白いものでも露出したかのような台詞で後ずさる三枝にイリヤはふふんと笑ってみせる。彼女が見たのは茶色い塊。かなりの量がある業務用の素材チョコであった。
「明日のイベントのことは知ってるわ・・・卵と小麦粉も買い込んでるから、チョコレートケーキをつくるのね?」
「はわっ、あ、あたりです・・・」
「む、このお子様なかなかに鋭いぞ鐘」
「・・・蒔や衛宮氏が鈍いだけだと思うがな」
 蒔寺と氷室のコメントをよそに、動揺しまくる三枝へとイリヤはびしっと指を突きつけた。
「ずばり、あなたシロウのこと好きなんでしょ?」
「え? え? え!?」
 どーん、と事実を提示されて三枝はらしくもなく動揺し、上目遣いに士郎の様子を伺う。
 だが。
「そんなわけないだろイリヤ。三枝さんに失礼だぞ、そういう冗談は」
 当の士郎は、苦笑と共にそんな台詞を吐いた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 沈黙。一同沈黙。氷室達はもちろん、セイバーにバーサーカーまでもが呆れ顔で黙り込む。三枝だけはせーふですなどと呟いているが、むしろアウトの所を士郎が悪送球と思うべきであろう。
「な、なんだよみんな・・・」
「・・・ごめんねユキカ。鈍ちんな弟で・・・」
「あ、いえ」
流石にすまなそうな顔になったイリヤに三枝はぷるぷると首を振って笑う。
「ま、こんなとこだな・・・由紀っち、そろそろ行こうぜ」
「あ、うん。それじゃあ衛宮くん、セイバーさん、バーサーカーさん、イリヤちゃん。さようなら」
 ぺこっと頭を下げる三枝にそれぞれ挨拶を返すと、三人娘はたったか小走りに去っていった。ふぅと息をつき、イリヤはセイバーの方に目を向ける。
「で? セイバーはどうするの?」
「どうするのか、とは?」
 いきなり話をふられて眉をしかめるセイバーに鈍いわねえと腰に手を当てる。
「明日、シロウにチョコあげるのってこと!」
「? すいません、意味がよくつかめませんが・・・」
「だーかーらー! 明日はバレンタインでしょ?」
イリヤはぷんすかと拳を振って声を強めた。
その名称はセイバーやバーサーカーの取得した基礎知識の中にもあった。ついでに言えばセイバーは数日前に桜がその言葉を呟いているのも聞いている。
バレンタイン。ヴァンアレン帯じゃなかった。
つまりそれは意中の男性にチョコレートを渡す事で思いを伝える日であり・・・
「わ、私はサーヴァントです! そ、そんな、こと、その・・・」
 セイバーは耳まで真っ赤になってゴモゴモと言葉を口の中で転がす。ちらちらと自分の方を見てくる蒼い瞳に、士郎は苦笑交じりに肩をすくめた。
「無理しなくていいぞ、セイバー」
 一応気遣って口にした台詞だったのだが、その言葉にセイバーはカチンときて拳を握る。
「それはどういう意味ですかシロウ!」
「ぅえ!? い、いや、いつも世話になってるのにそんな苦労までしなくてもっていう、その・・・」
 明らかに義理と思い込んでいる口ぶりにセイバーはにっこりと笑った。彼女が明確に笑う時・・・それは楽しいときよりむしろ激怒しているときだということを、士郎は経験から知っていた。
「シロウ・・・明日を楽しみにしていてください・・・」
「は、はひ」
 青筋を立てて笑うセイバーに、士郎は青ざめて呟く。
「・・・やっぱり料理の腕を疑うような事言ったのがまずかったか・・・」
 ガタガタ震える兄っぽい弟に、イリヤは深く深くため息をついた。
「鈍ちんにもほどがあるわよね・・・」
「がぅ」
 

11-8 『水面下』 

「じゃあ、すぐに作るから居間で待っててくれ」
 帰ってくるなり台所へ向かい、愛用のエプロンを手にそう言った士郎に、イリヤはにたりと笑った。
「ちょっと待って・・・わたしの分は、バーサーカーが作るから」
「がぅ!?」
 いきなり話を振られたバーサーカーは冷蔵庫に卵を入れる手を止めて振り返った。ぎょっとした顔で自分の顔を指でさす。
「む、それはシロウの技術に対する―――」
「侮辱とかじゃないわよ。シロウがお料理上手なのは知ってるもの。でも、わたしはバーサーカーの料理が食べてみたいの。あれ? できないの? 女の子なのに」
「がぅ・・・」
 意地の悪い笑顔にバーサーカーは眉を八の字にする。
(ふふん、困ってる困ってる)
 イリヤはくくくとほくそ笑んで自分のサーヴァントを名乗る女を見上げ・・・
「まあ、できないならできな―――」
「ワカッタ、ガンバル」
 そして、バーサーカーはとんっと自分の胸を叩いた。
「イリヤ、マッテテ」
「あ、あのねバーサー・・・」
「■■■■■■■■ッ!」
 冗談よ、と告げる隙を与えずバーサーカーは咆哮を放った。目にぼぅっと赤い光が灯る。ひさびさに本気モード発動である。
「えっと・・・料理できるのか? バーサーカー?」
「コノマエ、オヤツツクッタ。ササキトイッショ」
 言いながらバーサーカーは共用エプロンを壁から取り身につける。サイズが使用頻度の高いアーチャーに合わせてある為だいぶ無理があるが、気分は出た。
「・・・イリヤ、俺達が手伝うのはありなのか?」
「そ、そうね。ありかも」
 気まずい表情でもそもそ言ってくるイリヤをよそにバーサーカーは丁寧に手を洗い、食器棚から大きなボウルをひょいっと取り出す。出汁やら何やらを士郎が準備している間に買い物袋から卵のパックを取り出し、閉じ紐を−−−
「・・・・・・」
 手の大きさ故に上手く掴めず、13回挑戦したところで諦めて肩を落とした。
「がぅ・・・」
「・・・その、なんだ。ファイト」
 
「・・・・・・」
 今度は卵を握りつぶさない事に苦心しているバーサーカーと面白いほどころころ表情を変えてそれを見守っているイリヤを残し、セイバーは台所を出た。
「・・・ふむ」
 背後でベチャ、とかバキュ、とかうううう・・・とか色々聞こえるのを無視して目を閉じ考える。
 沈思黙考18秒。
「・・・やはり、この種の任務はアーチャーですか」
 うむと頷き背後を伺うと、士郎はバーサーカーを励ますので手一杯のようでこちらにはまったく意識が向いていない。
「・・・それはそれで少々不満に感じるような気もしますが」
 口をへの字にしてじとっと睨むと、視線を感じたのか不意に士郎が振り返った。
「ん? どうしかたセイバー?」
「あ、いえ。私は自室に戻らせていただきます」
 慌てて向き直り一礼して表情を誤魔化すと、士郎はひとつ頷いて再度バーサーカーの方へ向き直る。
「ん、出来たら呼ぶから」
「はい、わかりました」
 そのままそそくさと廊下へ脱出し、客間の方へ向かいながらセイバーは軽く胸を撫で下ろす。
「昨日から・・・どうも感情が高ぶっていけませんね・・・」
 無意識に火照る頬をぺちぺち叩きながらやってきたのはアーチャーの部屋の前だ。しばし躊躇してから軽くノックをする。
「アーチャー、居ますか?」
「セイバーか?」
 間髪入れず開いたドアの向こうに立っていたのは、今日もシャツが抜群に赤いアーチャーだ。セイバー的にはその色彩感覚はどうかとも思うがとりあえず今日はその事に触れず用件を切り出す。
「少々内密にして欲しい話があるのですが・・・入ってもいいでしょうか」
「内密に、か?」
 アーチャーは用件の内容を推測し、脳裏に銀髪の少女を思い浮かべながら軽く顎を引く。
「・・・わかった。入るがいい」
 踵を返したアーチャーについて室内に入る。既に部屋が物置と化しているランサー部屋や家電製品が大量に投入されているギルガメッシュ部屋と違い、アーチャー部屋はあまり個性が無い。備え付けの机とベッド以外碌な調度の無い部屋は確かに士郎との共通性を示している。
「とりあえずそこに座ってくれ」
「では、失礼します」
 アーチャーが備え付けの机から椅子を引き出して座ってベッドを指し示すと、セイバーはぽふっとベッドに腰を下ろして案外沈み込むふわふわのそれにおおと声をあげながらバランスをとった。
「・・・・・・」
 微妙に広がる萌え心をあいあむじぼーんおぶまいそーどあいあむじぼーんおぶと繰り返して封殺し、アーチャーは何事も無いかのようにセイバーに眼を向ける。
「・・・それで、話とはイリヤのことだな?」
「いえ、違いますが?」
 渋い声で確認した答えを即答で否定され、アーチャーは曖昧な顔で口を閉ざした。セイバーは首を捻りながら本題を切り出す。
「・・・違うのか」
「ええ、発端という点では関係ないとは言えませんが、用件とは無関係です」
 不思議そうな顔で言われ、アーチャーはゴホンと咳払いをして表情を隠した。
「で、では、何の用だ?」
「はい、あなたの腕を見込んでお願いしたい」
 問われ、セイバーは居住まいを正して真剣な表情をアーチャーに向ける。
「私に、チョコレートの作り方を教えて欲しい!」
「チョコ・・・」
 ぺこりと下げられた頭のロールパン状になった髪をぼんやりと眺めてアーチャーは頭を抱えた。
「それは・・・つまり、バレンタインデーだから・・・か?」
「ええ。戦場では性別など意味を持ちませんが、逆に日常においては女であることを捨てる意味もありません。戦いの無いときくらい戯れるのもよいでしょうというかむしろシロウをぎゃふんと言わせたいというか・・・」
「・・・親父の影響かもしれないが、君は時々死語を熱く語るなあ・・・」
 ふぅと息をつき、アーチャーは肩をすくめる。
「あいつにわざわざチョコを作ってやるなど酔狂な話だな・・・くれてやるにしてもチロルチョコか麦チョコで十分なものを。BITでも勿体無い」
「よくわかりませんが、それは市販品のことでしょうか?」
 首を傾げるセイバーにアーチャーはうむと頷く。
「そもそも義理チョコだろう? 別段凝った―――」
「違いますが・・・」
 やれやれと口にした言葉は、ぼそりと呟いたセイバーの一言に両断された。口を半開きにしたままアーチャーはポカンとした顔で硬直する。
「・・・すまない、今何か聞こえたような気がしたが」
「・・・義理・・・では・・・」
 セイバーは俯きぼそぼそと呟く。僅かに見える頬と耳が赤い。手は落ち着き無く組まれたり解かれたりを繰り返している。
「・・・そ、そうか」
 何か不条理なものを感じてアーチャーはとりあえず相槌を打つ。
(私が聖杯戦争に参加したときにはそんな素敵イベントなど無かったではないか。これはあまりに不公平というものではないか? いや、今更女にもてても仕方ないのだが。私が女だし)
 眉をしかめながらアーチャーが口を開こうとしたときだった。
「偉いッ!」
 感極まった声と共にドアがばんっと蹴り開けられた。
「感動した! 凄いぜセイバー! 飴をやろう」
「む、これは雛印の・・・ありがたく頂戴します」
 ぐっとサムズアップしながら入ってきたランサーの差し出す飴を口の中に入れてコロコロ舐めだすセイバーに、アーチャーは額を押さえて唸り声をあげる。
「ランサー・・・盗み聞きか貴様」
「いんや、廊下歩いていたら聞こえた」
「む、すいませんアーチャー。私がきっちり閉めていなかった可能性があります。普段自室が開けっ放しなのでつい・・・申し訳ない」
 コロコロ飴を舐めながらしゅたっと手を上げられ、アーチャーはぐっと言葉に詰まる。
「いやぁ、こりゃ明日は凄いことになるぜ? サクラの奴は言うまでもねえしこういう時に尻込みする嬢ちゃんでもねぇだろ。アーチャーもガチ渡しだろうし泡喰う少年の顔が楽しみだな!」
「待て! ガチも何も私はチョコなぞ―――」
「渡さないと、言うのですか?」
 慌てて否定にかかったアーチャーにセイバーはコロ・・・と舌で飴を抑えて不思議そうに首を傾げる。
「いいかセイバー。君があの男をどう思っていようがこの際許容するが、私はあいつに思うところなど何も無い! 義理も無い!」
「一宿一飯の恩義って奴はあるけどな。食費を入れてないアーチャーさんよお」
 ランサーのつっこみにぐっと喉を鳴らしてアーチャーは抵抗を続けるが。
「だ、だとしてもだ。労働でその恩義は返しているのだ。別段バレンタインなどにだな・・・」
「アーチャー、見損なったぜ」
 しかしランサーは一撃の元にその言葉を撃ち抜いた。
「いや、チョコのあげるあげない程度で見損なわれても・・・」
「問答無用! おまえはひねくれ曲がっていてもその芯は真っ直ぐ通っていると思っていたのに! この意気地無し! タマついてんのか!?」
「ついてるわけないだろうが阿呆ッ!」
 ひとしきり怒鳴りあい、肩で息をする二人にセイバーはふむとあめ玉を舌で転がす。甘い。美味い。あまうまい。
「つまり、アーチャーの自己認識はあの夜以降ちゃんと女性であるということですね?」
「むぐ・・・まあ、否定したところで始まらんからな」
 冷静な指摘にアーチャーがひるむと、すかさずランサーが後に続く。
「ならチョコくらい送ってもいいんじゃねぇか? 表向き義理で」
「・・・まあ、義理ならってなんだその表向きっていうのは!」
「文字通りだこン畜生!」
「何故に逆ギレる!?」
 際限なく続くボケ→ツッコミの無限機関にセイバーはパンッと手を打って割り込んだ。
「では、この際義理という名目でもまったく問題は無いと思われますので―――」
「名目言うなセイバー・・・」
 疲れた表情でそれでも執念で口を挟むアーチャーを無視してセイバーは委員長スキルを発動してまとめに入る。
「ますので、共に製作に励むとしましょう。ランサーはどうするのですか?」
「あ、オレも混ぜてくれるか? 菓子とか全然駄目だからよ。肉をこんがり焼くのは得意なんだけどな」
「・・・焼肉ぐらい得意も不得意もあるか」
 けっとそっぽを向いて毒づくアーチャーにランサーはむっとした表情で指を突きつけた。
「焼肉は偉いんだぞ!? 旨いから偉いってどっかのランサーも言ってた!」
「それはランカーだ! ランサーじゃない! 3位のな!」
「わけがわかりません」
 まさに異次元へ旅立とうとする話の流れを引き戻し、セイバーはアーチャーに厳しい視線を向ける。
「それと、焼肉を馬鹿にするような物言いは私にとっても不快です。あれはあれできちんとした料理であると認識していますので」
「む・・・この間のあれか・・・」
「だいたいなぁ、獲物からはぎとった肉をその場で焼くのも結構難しいんだぞ? 少しタイミングを間違うと生焼け肉とかコゲ肉とかになっちまうからな。上手く焼けた時はそりゃこんがりやけましたー! って叫びたくもなるってもんよ」
 槍を片手に狩場を駆け巡った日々を思い出して遠い目になるランサーを無視してアーチャーはふぅと息をつく。
「こいつは放っておくとして・・・とにかく、昼食が終わったら材料を買いに行くとしよう。帰ってきてから一緒に作るという流れでいいな?」
「それなのですが、申し訳ないとは思うのですが買い物は二人で行って来て貰えないでしょうか?」
 思わぬ申し出にアーチャーは軽く首を傾げる。
「構わないが、何故だ?」
「これまで観察した限り問題は無いと思うのですが、あの魔術師が安全であるという保障はありません。シロウを置いて外出するわけには、いかない」
 今までの狂った流れとは食い違う真面目な意見にランサーは肩をすくめた。
「ま、オレが見るにあの銀髪嬢ちゃんに戦闘能力はなさげだけどな」
「・・・そんな筈は、ないのだが」
 アーチャーは眉を潜めて呟き、気を取り直して頷いた。
「まあいい。そういうことならば私とランサーで買い物に行ってくるとしよう。いいな、ランサー」
「おうよ。バイク出すから新町の方に行こうぜ」
 二人は手早く話をまとめて頷きあった。なんだかんだ言っても息の合ったコンビなのだ。

 
 一方、台所では。
「■■■■■■〜」
 大方の予想に反してバーサーカーは手際よく料理をこなしていた。鼻歌混じりにひょいひょいと中華鍋を振ってご飯をひっくり返したりもする。
「おお、上手い上手い」
「が、がぅ」
 隣で同じようにフライパンを振る士郎に褒められ、バーサーカーは照れくさそうに呟いた。パワー任せに暴れるイメージしかない彼女だが、これでいて武芸百般に通じた器用なタイプであったりする。怪力と巨体故に細かい作業にはむいていないが、重たい中華鍋の扱いには非凡なものがある。
「よし、そろそろ仕上げだな。中華鍋どけてもう一個のフライパンと交代、油大さじ・・・いや、それは俺がやるからボウルに入れた卵を大体一人分ってくらい入れて」
「ワカッタ」
 目の前で繰り広げられる和気藹々としたお料理教室にイリヤはぼーっと立ち尽くす。
「・・・ほんとにバーサーカーがお料理してる」
「・・・あんたがさせたんでしょうが」
 思わず漏れた呟きに答えたのは凛だった。いつから居たのか呆れ顔でイリヤを見下ろしている。
「リンは変に思わないの? こういうのを見て」
「慣れの問題ね。確かに士郎と桜は馴染みすぎだとは思ってるけど・・・ハサン! ちびせいばーは居る?」
 苦笑混じりに声を張り上げると、居間の天井板がぱこんと外れ、そこから逆さまになった顔がひょっこり飛び出した。
「居ますけどどうしましたですぅ?」
「さ、サクラ?」
 逆さまになったままずるずると上半身を乗り出す見慣れた顔にイリヤは驚きの声をあげたが。
「はい? 呼びましたか?」
 それに対する答えは廊下から聞こえた。腰にあんりとまゆを纏わりつかせながら現れた桜はきょとんとした顔で首を傾げる。
「さ、サクラが一杯居る・・・」
「上のはハサン。アサシンのサーヴァントよ。何故か桜と顔が同じで―――」
 見上げると、重力に引かれて揺れる長い髪と二つのふくらみ。
「体型も、一緒なのよ・・・」
「ひっ・・・!」
 ぎりっと握られた拳にハサンは慌てて天井裏に戻った。代わって、金と蒼の何かがひゅっ・・・と穴から落ちてくる。
「呼びましたか、リン」
 くるりと回転して畳に着地したのは身長16センチの小さな騎士王。ちびせいばーである。
「ち、ちっちゃいセイバー?」
「そ。これ見ちゃったらもう、大概のものは信じるしかないでしょ。彼女、士郎の投影で出てきたのよ」
 動揺するイリヤと肩をすくめる凛にちびせいばーは礼儀正しく一礼してみせた。
「はじめまして、と言っていいでしょうね。名はちびせいばー。シロウのもう一振りの剣です」
「・・・・・・」
 言葉も無いイリヤに凛はふふんと笑みを浮かべる。なんだかこの少女が驚いたりする姿は新鮮で楽しい。
「まあ、深く考えたら負けってのがわたしの結論ね。それよりも今は目の前の問題に当たりましょ」
「目の前の問題?」
 イリヤが聞き返すと凛はひょいっと台所を指差した。
「そろそろ出来たみたいだし、皿とか並べるのを手伝わなくちゃいけないでしょ?」
「この家ではお客さまに雑用させるの?」
 途端不満げな表情を浮かべたイリヤにちびせいばーはむっと腰に手を当てる。
「この国には働かざるもの喰うべからずという鉄の掟があると聞きます。あんりやまゆのような幼児ならば遊ぶ事が仕事とも言い張れましょうが、貴女もマスター・・・保護者側を名乗る以上多少の義務は果たすべきでは?」
「・・・いつからマスターはサーヴァントの保護者になったのよ」
「・・・ここで二、三日暮らせばわかると思うわ」
 凛は遠い目をしてイリヤの背を押した。ちびせいばーもしゅたっと腕を駆け上り、凛の肩に乗って無言のまま威圧してくる。
「ほら、突っ立ってるより効率的でしょ。魔術師らしく現実主義現実主義」
「・・・こんなことならリズを治しとけばよかった」
 イリヤはため息をつき、抵抗を諦めた。
 決して、流しに立って振り返ったバーサーカーの嬉しそうな笑顔の為ではないと、心の中で呟いて。


11-9 『食卓百景(6)』

「よし、全員そろったな。じゃ、いただきます」
 士郎が言って手を合わせると、イリヤ以外の全員が一斉に手を合わせていただきますと唱えた。
「・・・い、いただきます」
 大合唱にイリヤは戸惑いの表情で一テンポ遅れてそう呟きスプーンを握る。サーヴァントが、という部分もさることながら大人数で食事を取る事自体が初体験だ。優しくして欲しい。
「・・・?」
 勢いよく食べ続けるサーヴァント達にやや引きながらオムライスの柔らかな横腹にそれを突きこもうとしたイリヤは、斜め上から注がれる視線にふと気が付いて顔をあげた。
「・・・・・・」
「・・・がぅ」
ちらりとそちらを盗み見れば、隣に座ったバーサーカーが期待に目を輝かせながらこちらを伺っている。
「・・・・・・」
「・・・がぅ」
 イリヤは食べづらいなあと心中で呟いてさっくりとスプーンを突きたて、赤に染まったご飯と薄焼き卵部分を軽く混ぜてから口に運んだ。隣で手を握ったり開いたりしているサーヴァントを気にしながらもぎゅもぎゅと口を動かし―――
「・・・おいしい」
 次の瞬間、皿の上のオムライスを眺めたままイリヤはそう呟いていた。
 別段特別な味ではない。はっきり言って、客観的に見ればたいしたことのない出来栄えの料理だった。士郎のものより確実に劣るその一皿。
 しかし、そこには確かに栄養補給以外の何かがあった。もう10日以上イリヤが口にしていなかったものが、存在していた。
「ヨカッタ・・・」
 明らかにほっとした声を漏らして笑うバーサーカーにイリヤは何か照れくさくなってサクサクとオムライスの卵部分をスプーンで突っつく。
(とりあえず、小さなセイバーが言っていた台詞の意味はわかってきたような気がする・・・)
「ところで、大家さんっ!」
 一方で、今日は遅くまで寝ていたのか朝食に姿を見せていなかったイスカンダルは士郎へずいっとスプーンを向けた。抱え込むようにしてホールドされた皿には既にオムライスらしきものはない。わずかに残った鶏肉のかけらが惨劇を物語っている。
「行儀悪いよイスカちゃん・・・」
「をを、それはごめんなんだねっ! それはそれとして大家さんっ、明日は、バレンタインデーだよっ!」
 能天気な声が響いた途端、カチャリとサーヴァント達のスプーンが止まった。緊張感漂う空気にイリヤはうーむと呆れながらオムライスを頬張る。
「そうだけど・・・それが?」
 ただ一人空気の読めていない男の台詞にイスカンダルはにこーっと笑みを浮かべた。
「楽しみだよねっ! さっき盗み聞きしたんだけどセイ―――」
「おいアーチャー! ケチャップとってくれケチャップ!」
「ふん、これ以上かけては味のバランスが壊れると思うがな!」
 言いかけた言葉は、ランサーとアーチャーのわざとらしい大声がそれをかき消す。
「そう言えば佐々木さん達も午後からチ―――」
「あらあらハサンちゃん、唇にごはんつぶついてますよ・・・ささ、旦那さま。とってあげてくださいませ。もちろん口で」
「お、おかーさん!?」
 継いだ言葉も佐々木に遮られて士郎の耳に届かない。
「凛ちゃんと桜ちゃ――――」
「桜、キムチ居るかしら? ほら、こんなに赤いわよ」
「舌がピリピリするから苦手なんです」
「ピリピリとかはいいわ。桜、キムチを食べるのよ」
「アーチャー! だからケチャップを取れって!」
「それ以上味を濃くしてどうするんだ?」
「味の問題じゃねえ! オムライスはケチャップで名前書いて完成だろ!?」
「ふふ、仕方ないですねハサンちゃん。旦那さまに代わってわたくしが・・・」
「お、おかーさんっ!? 舌がっ! 舌がっ!?」
「おかわりです、シロウ」
 わいわいと騒ぎ立てる仲間達にイスカンダルはぺちぺちと机を叩いて唇を尖らせた。
「むぅ、放置よくない! ウサギは寂しいと―――巨大化するんだよっ?」
「嘘を教えるなイスカンダル!」
 唐突な台詞にそれまで我関せずとオムライス攻略に専念していたギルガメッシュはガッと吼えたが―――
「なんと…」
「イスカンダル、それはどれくらい大きくなるのだろうか?」
 目を丸くして興味津々のライダーとセイバーにガクッと姿勢を崩した。
「そちらも信じるな!」
「(゚∀゚)ラヴィ!!」
「黙れブルセラ王!」
 縦横無尽につっこみを入れつつギルガメッシュは頭を抱える。それを眺めて本家アーチャーはふむと頷いた
「ウサギと言えば・・・知っているかギルガメッシュ。アレは鳥の類で一羽二羽と数えるんだぞ」
 英雄王はツッコミモードのまま振り返ってガッ! と吼える。
「何故にウサギが鳥なのだフェイカー! 人のつっこみを見るのが楽し―――」
「あ、それは本当ですよギルガメッシュさん。大昔の日本は宗教的に牛とか豚とか食べちゃいけなかったんで肉の栄養を取る為に兎は鳥の類ってことにして抜け穴作ったらしい」
「え?」
 きょとんとした表情のギルガメッシュにアーチャーは肩をすくめて見せる。
「あの耳で月夜に空を飛ぶという妙な説明でな。まあ、味としても似たようなものらしい・・・ところで、このオムライスには『鳥肉』が入っているな?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 途端、カチャンとスプーンが更に触れる音と共に食卓に静寂が訪れた。青い顔をしてこちらを見つめるサーヴァント達に士郎は慌てて首を振る。
「いやいやいや! ちゃんとニワトリの肉だよ! セイバーとバーサーカーはちゃんと捌くとこ見てただろ!?」
「む、そう言えば・・・」
「ニワトリダッタ・・・トオモウ。タブン」
「多分かよ・・・っていうかオレ、ウサギ食ったことあるしな。なんか雰囲気に流されて驚いちまったけど」
 ランサーは苦笑交じりに呟いて最後の鶏肉をスプーンでぽんっと宙に投げ上げた。んがぐぐ、と口で受け止め空になった皿を掴んで立ち上がる。
「ん、ごちそうさん。午後はバイクの整備でもすっかねー。アーチャー、手伝えよ」
「なんで私が―――あ、いや、うむ。わかった」
 反射的に顔をしかめたアーチャーは食事前の密談を思い出して頷いた。
「おやおや? なんか悪企みの臭いがするよっ!」
「何のことだか? オレにはとんとわからねぇなっと」
 ランサーは肩をすくめてイスカンダルの視線をかわし、流しに皿を放り込んでから居間を去った。アーチャーも無言で立ち上がり、皿を片付けて後を追う。
「これはうかうかしていられないねっ! ギルっち、ボク達も行くよっ!」
 そそくさと去っていく二人にイスカンダルはしゅたっと立ち上がりギルガメッシュの肩を掴んだ。
「何? こ、こら! 引っ張るな! 我はまだ食後の茶をだな―――ええい、無礼な!」
 湯飲みに名残惜しそうな視線を注ぐ英雄王を引きずるようにして征服王は廊下の向こうへ消える。なんだか宝具の乱れ撃ちのような音が聞こえたが、まあ平気だろう。
「・・・っていうか、なんなんだ、一体」
「・・・っていうか、わからないの? ほんとに」
 慌しく去っていった四人を見送って呟く士郎に凛はふぅと額を押さえた。
「ま、士郎にそういう洞察力を期待するのはハサンに存在感を求めるようなもんか」
「あの、そういうところで振らないで欲しいですぅ・・・」
 悲しいときには仮面を被って涙を流す。それがハサンクオリティ。しょぼくれた肩をごめんごめんと叩いて凛はひょいっと立ち上がった。
「さってと。みんな、食べ終わったら流しに食器持ってきて頂戴」
「あ、手伝うぞ」
 言い置いて台所に向かう背中を追って士郎は立ち上がったが、凛は振り返って手をパタパタ振りそれを制した。
「買い物任せちゃったし一人一皿で楽だから、ここはわたし一人で十分よ。士郎だって暇ってわけじゃないんでしょ?」
「まあ、屋根瓦が欠けてたり穴開いたりしてるから午後いっぱいかけて屋根の修理でもしようかとは思ってたけど・・・お客さんを放って屋根に登ってるのも失礼だろ?」
 視線を向けられ、イリヤはお茶をすすりながら肩をすくめる。
「わたしの事は気にしないでいいよ? バーサーカーの事もう少し観察するつもりだから、しばらくは大人しくしてるわ」
「ん・・・そうか?」
「そ、そうですよ先輩! 今日はのんびり屋根の上に居るべきですよ! ほら、暖かいですし! 猫さんもさっき丸まってましたよ!」
 迷っている様子の士郎に桜はぎこちない笑顔で力説した。拳握る己が主にライダーはふぅとため息をつく。
「作っているところを見られるのが恥ずかしいというのはわかりますが、あまりにあからさまな追い出しですね・・・」
「何の話だ? ライダー」
「ななななな何でもないですヨ先輩ッ!」
 やや裏返った声で士郎にまくし立て、桜はライダーにしーっ、しーっと必死で威嚇音を立てた。
「? ・・・ま、いいか。そういうことなら俺はさっさと屋根を直しに行くよ。なんか合ったら呼んでくれ」
 首を捻りながら去っていく士郎を見送り、ライダーはふむと頷く。
「サクラ、そのような特殊なプレイを提案されたところで、昼間の居間という環境では受けかねます。どのような特殊性癖も許容する私ですが、夢の中以外での行為は少々・・・」
「ライダー?」


11-10 『すいーとぽいずん』

 士郎が梯子で屋根に登り、凛と佐々木が台所で皿洗いを始めた昼下がり。イリヤはややぼぅっとしながら縁側で脚をぷらぷらさせていた。
「・・・・・・」
 ちらりと見上げた隣には、バーサーカーを名乗る女性が座り、背筋を伸ばした行儀の良い姿勢で庭を眺めている。その視線は駆け回る二人の幼い少女達に向けられ、表情は穏やかで楽しげなものだ。
(・・・バーサーカー、なんだよね)
 一人の魔術師として判断するに、この霊体の本質がヘラクレスであることは間違いない。受肉したせいか理性消失が最低限になっている現状、イリヤの知る『バーサーカー』よりずっと知的なのもまあ、許容範囲だ。だが、これではイリヤがバーサーカーに求めていた役割の一つが―――
「・・・カット」
「がぅ?」
 面白く無い思考の流れに顔をしかめてイリヤはぼそりと呟いた。くいっと首をかしげてこちらを向いたバーサーカーを無視して立ち上がる。
「ドウシタノ?」
「・・・お手洗い」
 なにかな、なにかなと尋ねてくる声にそっけなく言い捨てて歩き出すと、バーサーカーはカクカク頷きもう一度口を開いた。
「テツダウ?」
「いらない!」
 ガッ! と吼えられてしょぼんとするバーサーカーを残してイリヤは出来る限りの早足でその場を後にする。
「まったく・・・わたしが大声出すなんて・・・」
 勝手知ったる他人の家だ。間取りは頭に入っている。大またでぺたぺたと床を踏み鳴らして歩くうちに、思わずため息が出た。
「こんな筈じゃ、なかったんだけどな」
 本来の性格も、演じようとしたキャラクターも既に粉々だ。このままここに居たら自分も愉快な仲間達にされてしまうのではと実体の無い恐れにイリヤはむうと唸る。
「まったく・・・油断できないわねこの世界」
 ぶつぶつ言いながらやってきたのはトイレではなく裏庭に面した明り取りの窓。イリヤは足を止めてその小さな窓を開けて外に顔を出し、静かな庭に一人立つ後姿に声をかける。
「・・・来たよ」
「あら、もっとゆっくりしててもよかったのに。イリヤちゃん」
 振り返ってくすくすと微笑んだのは桜だった。ふわりとなびくその髪はつややかな黒髪、弓をなした目の中で緑がかった瞳が悪戯っぽく笑っている。
「サクラ、こんなの聞いてないわよ?」
 イリヤが唇を尖らせて投げつけてくる文句に桜はあらと首をかしげた。
「何がですか? 言った通り先輩もバーサーカーさんも姉さんもちゃんとここに居たでしょう?」
「バーサーカーが女の人になっちゃってるなんて言ってなかったじゃない!」
 叫んでぷぅっと頬を膨らます姿に笑みを深くして黒髪の少女はひょいっと肩をすくめる。
「だって、聞かれませんでしたし。あぁ、残念ねぇ? 言ってくれればちゃんと教えたのに」
「・・・普通そんなこと考えないもの。まったく・・・」
 可愛らしい眉の間にしわを寄せて唸るイリヤにひとしきり笑って桜は目を閉じた。住人達の喧騒と屋根から聞こえる金槌の音に耳を澄まし、静かに口を開く。
「―――決心が、鈍りますか? こんな和やかな人達では託しにくいですか?」
 問いに銀髪の少女は表情を引き締めて塀の向こう、空の果てを睨む。
「―――外の様子は、どう?」
 しばしの沈黙を経て、イリヤは答えでなく新たな問いを口にした。桜は軽く俯き目を伏せてそれに答える。
「まだじっとしてるけど・・・後数日もすれば、こっちに入って来ると思います。本気出されたらわたしの張った結界ぐらいじゃもう防げないでしょうね」
 そこで一度言葉を区切って顔をあげ、桜はにこっと微笑んだ。不安など微塵も無い強いまなざしでイリヤを見つめ返してうんと一つ頷く。
「でも、ここまで来たら後は出来ることをするだけですから。わたしの予想を超えて全員がディフェンスに回った今、完全に0だった可能性は0.01%位までは上昇しましたし、上手く立ち回ればひょっとしてってこともあるかもしれませんからね」
「・・・ずいぶん中途半端な確率」
「0.0001。ようは万が一ってことです。オーナインシステムよりは遥かに高い確率ですよ?」
 ちちち、と人差し指を振って桜はその指をぴっとイリヤの背後へ向けた。
「っと、姉さんがこっちに向かってるみたいですからとりあえずわたしは引っ込みます。適当に誤魔化しといてくださいね?」
「うん・・・ねえ、サクラ・・・」
 イリヤは口をへの字にして数秒迷い、上目遣いに問いかける。
「バーサーカーなの? あの人が、ほんとに」
 不安げな問いに桜は女教師っぽく指を一本立てて笑った。
「器が違うだけで中身は等しいんですから、わたしの立場からは本物としか言いようが無いですね。でも・・・結局のところそれを決めていいのは本人とイリヤちゃんだけだと思いますよ? ちゃんと向きあって、それから考えてみたらどうです?」
 そのままとんっとジャンプすると、足元に残った影に波紋が走った。着地した足が抵抗無くそこに飲み込まれていく。
「じゃあね、イリヤちゃん。きっと明日か明後日くらいまでは平和だから・・・のんびりバーサーカーさんと和みながら先輩が良い絆を作ることを応援してあげてください―――」
 ざぷん、と不自然な水音を立てて地面に沈んだ黒髪の少女を見送りイリヤはふぅと息をついた。そのままくるりと振り返ると、パタパタというスリッパの音が廊下の向こうから聞こえる。
「・・・イリヤ?」
 現れたのは予言どおり凛だった。洗い物はもう終わったのか軽い足取りでイリヤの傍まで来て首をかしげる。
「何してるの? こんなところで」
「別に。ぼぅっとしていただけよ? リン」
 とぼけるような答えに凛はふぅんとうさんくさげに呟き、窓の外に目をやった。無人のそこに首をかしげながら開けっ放しのそれを閉じて肩をすくめる。
「・・・まあいいわ。それより桜見なかった? 洗い物手伝わせようとしてたのにいつの間にか居なくなってたのよ」
「サクラ?」
 イリヤは一瞬言葉を区切り、ふふっと笑みを口に浮かべる。
「さあ、わたしは見てないけど・・・ランサー達が出てった理由を考えれば行き先は予想できるんじゃないかしら? 今日は13日だし」
「・・・なるほどね」
 凛は苦笑交じりに頷き、肩をすくめた。
「わたしが台所から出るときにもキャスターが様子伺ってたし・・・士郎が居ない隙にチョコ作っちゃおうってみんな狙ってたわけか。ご苦労な話ね」
 余裕のある態度にイリヤはあくまっこな笑みを浮かべて上目遣いに凛を見上げる。
「あら、余裕なのねリン。その様子だと自分のチョコはもう作ってあるのかしら?」
「ん? そんなことしてないわよ。正直なところあんまり好きなイベントじゃないから忘れてたし」
 何せ彼女は遠坂凛だ。いまだかつてチョコをあげたことなど一度もないが、貰ったことなら数多い。校門で、下駄箱で、教室で、屋上で待ち受ける少女の一個大隊は確かに全校生徒からすれば少数はに過ぎない。だが、彼女達は一騎当千の夢見る乙女だ。兵力百万の乙女集団は性別の壁など無いも同然。諸君、私は遠坂凛が好きだ。
「じゃあ、何の準備もしてないの?」
「ええ、忘却の彼方へ追いやっちゃってたわね・・・特に去年はひどい騒ぎだったから」
 宿敵美綴綾子と熾烈なトップ争いを繰り広げたり、結果獲得数校内一位をゲットしてどこぞのワカメ髪の駄目男を屈辱の海に叩き落したりした前回のバレンタインデーを思い出して顔をしかめた凛にイリヤはやれやれと腰に手を当てた。
「ふぅ・・・駄目よ、リン。そんなのんびりしたこと言ってるとまたシロウを取られちゃうよ?」
「誰に―――ごほん、待った。今の無し」
 なんとなくお姉さんぶった声色に凛は一瞬むっとしかけてから思考を切り替えた。
「むしろ気になるのは『また』の一言ね。その寝取られた前回ってのはいったいいつのことなのかしら?」
 平坦な声にイリヤはくすくすと笑みを漏らす。
「寝取られたって・・・いつからシロウはリンのものになったのかしら?」
「ぐ・・・あ、あえて言うなら最初からよ! 前世からよ! それより答えなさい! あんたはどれくらい現在と矛盾する記憶を持ってるの?」
 照れ隠しも含めて語気を強めた凛にイリヤは軽く首を傾げた。
「どれくらい? おかしなことを言うのねリン」
「どういう意味かしら? その口ぶりだと、定義そのものがおかしいって言ってるように聞こえるけど」
「ええ、だって―――」
 問われたイリヤはややきょとんとした顔で口を開きかけ・・・
 
 どんっ・・・!
「にゃっ!?」
 突然響いた爆発音に思わず舌を噛んだ。赤い瞳に見る見る涙が浮かんでいく。
「居間の方!? また誰かが馬鹿をしでかしたわね!?」
「ひは、ひはひ、ひはひほひん・・・ほは、ほは・・・(いた、痛い、痛いよリン。ほら、ほら)」
 修羅の表情になった凛は涙目でベロを突き出すイリヤを一瞥したがそのまま無視し、ダッと居間へと走り出す。
「話はまた後で聞くわ!」
「ひはひほひ・・・(痛いのに)」
 仕方なく自分で舌をふーふー吹きながらついてくるイリヤと共に廊下を駆け抜けて飛び込んだ居間は、なにやら薄桃色の煙に満たされていた。異様な臭気の中、バーサーカーやあんりまゆがケホケホ言いながら一塊になっている。カウンター越しに台所の様子を伺っている佐々木とハサンは平気そうに見えるのは劣悪な環境に強いアサシン属性故だろうか。
「さあ、キリキリ吐きなさい! 今日は誰が馬鹿やったわけ!? それとこの煙何よ! ちょっとピンクがかってるのが無茶苦茶不気味なんだけど!」
 口元を押さえながら凛が一喝すると、サーヴァント達は無言で台所の奥を指差した。そこには―――
「め、メディアわるくないもん・・・」
 ヒラヒラのいっぱいついた『無敵な若奥様』ロゴのエプロンを弄りながら立ち尽くすキャスターの姿が、あった。
 頭のてっぺんからスリッパまで満遍なくぶちまけられた茶色のドロドロしたものが何か極めて特殊なプレイを行った後のようにも思わせるが、取り立てて怪我などはしていないようだ。
「・・・どう見てもあんたがわるそうに見えるわよ」
 凛は手で煙を追い払いながらキャスターに駆け寄った。近づいてみれば嫌でも台所の惨状が目に入る。粉々に吹き飛び底の一部しか残っていない鍋とその破片が直撃して砕け散った調味料の瓶、穴の開いたまな板、茶色の染みがべったりついたふきん。火は既に止まっているが、コンロのあちこちから未だに煙が立ち上っている。
「ちょ、ちょこっとチョコレートをあっためてたらいきなり爆発したんだもん! そんなの予測できる筈ないもん! メディアわるくない! メディア叩きはけんぽーいはんってテレビでも言ってたもん!」
「湯煎して爆発するチョコレートがあるわけないでしょうが! 何か混ぜたんならちょっとうまいこと言ってないでさっさと吐きなさい!」
 腰に手を当てて怒鳴られ、キャスターはびくっと震えて左手を背後に隠した。瞬間、凛の目が鋭く光る。
「今―――」
「か、隠してないもん。なにも隠してっきゃあっ!?」
 ぶんぶんと首を振るキャスターの腕を凛は容赦なく掴んだ。引き寄せたその手には、あからさまに怪しげな小瓶が握られている。
「ふふふ・・・ねぇキャスター。これは何かしら?」
「べ、べつにへんなものじゃないよ? その、えと、そう! 栄養剤! ただの栄養剤だもん! おにーちゃんに元気になってもらおうかなーって・・・」
 だらだらと汗をたらして弁解するキャスターを胡散臭げに一瞥した凛の袖がつんつんと引かれた。目を向けると、顔をしかめたイリヤがそこに居る。
「リン・・・ベロ痛い・・・」
 まだ涙の滲んだ目でそう言ってベロを出す小柄な魔術師に凛は苦笑交じりに肩をすくめた。
「ちょっと切れてるけど、そんなちっちゃな傷くらい舐めときゃ治るわよ」
「・・・自分のベロをどうやって舐めるのよリン」
 半眼でべーっと舌を突き出されて凛はふぅと息をつく。
「あーもう、うるさいわね・・・なら、わたしが舐めてあげよっか?」
「うん、おねがい」
 こくっと頷くイリヤが真っ直ぐ突き出した舌へ凛は無造作に顔をよせた。互いにぼぅっとした目で見つめあい、小さな口から覗く可愛らしいピンク色の舌をねぶるべく柔らかな唇がそっと寄せられ―――
「って何してるかわたし!?」
「な、何するのよリン!?」
 粘膜が触れかけたところで二人は我に返ってビクッと飛びのいた。呆然と見詰め合っていると、居間の方の喧騒が耳に入ってくる。
「くすくす・・・ぽわぽわしてきましたよー・・・あんりちゃん、やわらかいですねー」
                    メディック メディーック
「まゆ!? しっかりしてまゆ! 衛生兵! 衛生兵!」
「ふふ、ふふふふ・・・ほら、ハサンちゃん。ここに指を入れられると動けないでしょう?」
「らめぇ・・・らめれすぅ・・・おか、おかぁさん、そこ、あ、あ・・・」
 悲鳴と言うより嬌声に近いそれを聞いた凛は気を抜くと霞がかかりそうになる頭をバチンと頬を張ってはっきりさせ、キャスターに鋭い視線を向ける。
「・・・下手に隠し立てしたらいつも士郎がどんな気分で居るかを味わう事になるわ。それが嫌ならさっさとその瓶の中身を教えなさい」
「・・・だ、だから、その・・・元気になる薬・・・えと、主に身体の一部が。あと気分も元気になってがおーって・・・あ、でも副作用は無いよ! 多分!」
「なるけど、局部が元気にって・・・媚薬じゃないのよそれ! あと副作用に関しては断言しなさい!」
「てへ?」
 観念して差し出された瓶を凛は絶叫と共に奪い取った。周囲にまだ広がっている薄ピンクの煙に舌打ちして素早く居間に戻り窓を全開にする。
「みんな! 換気するわよ! 煙を外に掻き出して!」
「がぅ!」
 時がたつほど疼きだす身体にぞっとしながら叫んだ凛の指示に、しかし答えたのは一人だけだった。
「あんりちゃ〜ん、すべすべ・・・」
「あ、ちょ、まゆっ! 駄目だって言ってるのにぃ・・・」
「ふふ、もう準備万端ですねハサンちゃん。こんなによだれをたらして・・・」
「ぁ・・・ぁ・・・」
「うわ、すごいすごい。ほら、見てアレ」
「・・・我ながら、凄い効き目」
 発情中2名、身動き取れないもの2名、観戦中2名。ランクの低い攻撃をシャットアウトできるバーサーカーのみが理性的という矛盾のある状況であった。
「っていうかイリヤとキャスター! 手伝わないと縊るわよあんたら!」
「えー、いいじゃない別に。わたしたち、あんまり効果でてないし・・・うわ! すごいすごい! あんなに広がるものなのね! リン」
 イリヤは興味津々と言った表情で佐々木とハサンを眺めては歓声をあげる。
「精神高揚はあくまでも副次的な筈だから手当たり次第じゃない筈だったんだもん。増幅はされても植え付けはないのに・・・不可解」
 一方でキャスターはぐにゃぐにゃと絡み合うあんりとまゆを観察して首をかしげる。何やらブツブツ言っているが、とりあえず役に立たないという点では他の面子と変わらないようだ。凛は舌打ち一つして床から座布団を拾い上げた。
「く・・・一秒でも早くこの煙換気するわよ! 早くしないとあいつが降りてくる!」
「アイツ?」
 首をかしげるバーサーカーと二人で座布団を振り回して窓へと煙を送り出しながら凛はむずむずする腿をせわしなく擦り合わせる。衛宮家衛宮家大ピンチ、衛宮家衛宮家守るんだ。
「だから! 士郎が来たら・・・!」
「俺が来たら?」
「我慢できなくなるかもしれなくてヤバイ…って士郎!?」
 聞きなれた声に凛はボトリと座布団を取り落として振り返った。おそるおそる向けた視線が中庭から廊下に上がってきた士郎のそれと合うと、ぼひゅっと音がするくらい一気に顔が赤くなる。
「なんか爆発音が聞こえたから降りてきたんだけど・・・何があったんだ?」
「なんでもないから士郎は屋根へ戻って! あ、こら! 入ってくるな!」
 居間に入ってくる士郎に凛はガクガクと首を振った。ヤバイ。宇宙ヤバイ。まず足が知らず知らずのうちに内股になってる現状がヤバイ。もう内股なんてもんじゃない。超内股。
「なんでさ。なんか煙いしみんな様子が―――」
「いいからあんたは外で待ってなさい! 余計ややこしくなるでしょうが!」
 文字通り空気が読めてない発現に凛は業を煮やして走りづらそうに駆け寄った。そのまま両手でどん、と士郎の胸を突き。
(士郎って触ってみると案外筋肉ついてるんだ・・・)
 思わず脳裏に浮かんだ台詞と共にくんにゃり膝が折れた。反射的に士郎に抱きとめられると、びくんっと全身が痙攣する。
「な、大丈夫か遠坂!? 顔が真っ赤だぞ!?」
「あんたのせいで・・・大丈夫じゃないわよ・・・」
 言いながら額に当てられた手に凛は何とかそれだけ呟き、そのまま士郎の頭を両手でわしっと掴んだ。
「遠坂!?」
「え? あれ? ちょ、違うわよ? わたし―――」
 きょとんとした声をよそに両の手はぐいぐいと士郎を引き寄せる。意識はぼんやりとしながらも失われていないが、身体はこれっぽっちも制御できない。
「ちょ、何するんだ遠坂! っていうか何故力負けしてるか俺ーっ! 鍛えてるのに!」
「うん。わたしも鍛えてる・・・」
 凛はうわ言のように呟いた。おかしい。魔術薬の効果をレジストしきれていないのは間違いないが、それにしても何代にも渡って体質調整してきたこの身体がここまで侵食されるとは。
「待て! wait凛! お、うわ、息かかった! よせって!」
「何よ・・・わたしとキスとかしたくないの・・・?」
 激しい抵抗に思わず漏れた言葉に士郎はくわっと目を見開いたが凛も驚いた。ついに思考自体もおかしくなったかと自分に言い聞かせてみる。
「いや、どっちかって言われればそりゃしたいけど! イリヤとか見てるし! ルールブレイカーとか構えてる人居るし! なんか床でぴくぴくしてる人居るし! バーサーカーも手で眼隠してないで! っていうか指の隙間からこっち見てないで助けて!」
 頭を引き寄せる腕に士郎は毎朝頭立ブリッジonセイバーの正座で鍛えている首筋と腹筋で抵抗するが、ドーピング状態で心の平衡を失った凛の腕力はそれを凌駕していた。ぎしぎしと脊髄をきしませながら二人の距離はセンチ単位を割り込み―――
「姉さんッ! 何いきなり欲情してるんですかッ!」
 瞬間、悲鳴のような怒号が凛の脳髄を激しく揺さぶった。曖昧になっていた頭の中がショックで急速に再起動を始め、眼から飛び込んできた情報が頭の中で意味をなす。

        M  K   5
 遠坂凛、マジでキスする5mm前。(インコム搭載型)
 
「とおさ―――」
「分離ッ!」
 至近距離でなにか言おうとした士郎を凛は力いっぱい押しのけた。後頭部から食卓に叩きつけられて悶絶しているのをよそにささっと髪を整えてから立ち上がりびしっと士郎を指差してみせる。
「ば、バーサーカー! 士郎をどっかやって! どっか遠く・・・最低30分くらい帰ってこれないところまで!」
「が、がぅ!」
「え!? ぅえ!?」
 横抱き―――いわゆるお姫様だっこで抱え上げられて戸惑いの声をあげる士郎に凛は心の中でだけごめんと呟いて背を向けた。目が合ったら何を言い出すかわからない。自分が。
「バーサーカー! リフトオフ!」
「■■■■■■■ッ―――」
「ちょっと待てぇぇぇぇ―――」
「先輩!?」
 指示と共に床を蹴ったバーサーカーの咆哮と士郎の悲鳴がドップラー効果を起こしながら消えていくのを呆然と見送ってから桜は慌てて凛につめよる。
「姉さん! 一体何がどうなってあんなうらやま―――はしたない状況に!?」
「・・・ちょっと着替えてくるわ・・・話はそれからよ。ちゃんと説明するからとりあえずみんなをしゃきっとさせといて」
 一歩歩くごとに「ぁう」とか「擦れる・・・」とかブツブツ言って去っていく姉の奇行に桜は眉を潜めて首を傾げ―――
 数分後、凛が戻ってきた後に彼女も着替えに行く羽目になった。その間に何が起きたのか、何故ハサンが怯えた眼をそらすのか、いつの間にライダーが現れたのか、何故そんなに肌がツヤツヤしているのか、あんりが部屋の隅で体育すわりをしている理由も佐々木が人差し指と親指を丁寧に洗っていた理由も全て謎のままだ。
 謎に、しておこう。


 そして十数分の後。
「・・・さて、どうしてくれようかしら?」
 バイオハザード発生地である居間の換気が終わるまで、とりあえずと凛達は道場に移動していた。凛は道場の中心に正座させたキャスターを見下ろし、煮えたぎった声でそう呟く。
「じ、事故だからメディア悪く無いと主張するもん! それに実害はなかったしリンだけむしろおいしい目にあってるし!」
「・・・ふふ、キャスターちゃん、おもしろいこと言うのね?」
 キャスターは慌てて抗議するが、凛がにこやかな笑顔と共に放った殺気に慌てて口をつぐんだ。いつもの怒りを1あくまーで計算するならば、今日の凛は実に16あくまーくらいを達成している。下手に口を開けばよくて八つ裂き、悪ければ手袋のように裏返されそうな迫力が今の凛にはある。士郎曰く、遠坂の丁寧な台詞には気をつけろ!
「ふふ・・・この薬がよく効くのはわかったし、下手に捨てたりしたら問題ありそうだから製作者に責任とって貰おうかしら。具体的にはこれを一瓶まるごと飲ませた後で鎖でがんじがらめにして2時間くらいじっくりと羽箒で撫で回すとか増えるワカメを服の間に一杯入れて水をぶっかけるとかでどう?」
「っ! 死んじゃう死んじゃう! それ、普通に発狂できるもん!?」
「ええ、大丈夫よ? おかしくなっちゃっても命だけは奪わないであげるから」
「・・・リンってこういうときほんとに生き生きするわね」
 楽しげな声にイリヤは呆れ顔で台所から持ち出したバナナを剥いた。ありがたそうにそれを眺め回した後ぱくりと齧って幸せそうに目を閉じる。
「甘い・・・」
「そうね、くすぐりくらいじゃ甘すぎるわ」
「姉さん、とんでもないとこから話繋げますね・・・」
 それが出番向上の秘訣かしらとメモを取る桜をよそに凛はふふんと笑ってキャスターを見下ろす。少女、生来のサドにつき注意めされよ。注意めされよ。
「くすくす・・・なんだか凄いお仕置きになりそうですね〜・・・お子様同盟としては助けに入るべきでしょうか〜?」
「しっ! ほ、滅ぼされるよまゆ! 口チャック!」
 触れたら斬れそうな殺気に皆が見てみぬふりをする中、佐々木は一人穏やかな笑顔で手を打った。
「ふふ、遠坂さま、お仕置きにしても穏便にしてあげてくださいませんか? 元はといえば火加減を見てあげなかったわたくしの監督不行き届きですし・・・」
「薬を使うって根性の方が問題なのよ。っていうか薬で振り向かせて楽しい?」
 呆れたような目に、キャスターは視線を鋭くする。
「・・・あなたには、わからない」
「え・・・」
 常と違う厳しい声に凛は言葉に詰まった。そっと目をそらした桜の肩にライダーは無言のまま手を乗せる。
「・・・そうかもしれないわね」
 重い空気に凛は呟いた。言われるまでも無い。もとより、自分が人でなしであることはわかっている。他者を理解できないからこそ、あの時も―――
「・・・リン?」
 一瞬の忘我は不審気なキャスターの声に破られた。なんでもないと慌てて首を振ったときにはもう、心に浮かびかけていた何かはすっかり姿を消していた。
「ごほん・・・それはそれとして、一罰百戒、他の奴らが同じような事企まないようにお仕置きは覚悟してもらうわよ?」
「…では、わたくしにまかせていただけますか?」
 言ったはいいがさて、どんなペナルティにすべきかとやや弱気になりながら考え出した凛に佐々木は穏やかな声で話しかけた。にこにこした表情がやけに怖い。
「何をする気? 真っ二つとかはだめよ?」
「もちろんです。少々お待ちくださいね?」
 佐々木は一礼して道場の外へ出た。しばし待つと、何かが入った小鉢と箸を手に戻ってくる。
「ふふふ、動いちゃ駄目ですよ? メディアちゃん」
 何が始まるのかと不安げに見上げてくるキャスターを膝立ちにさせ、箸を小鉢に入れる。つまみだしたのは、なにかどろりとした透明なものに浸された長さ1センチほどの―――
「小豆?」
 冷蔵庫の中を思い出しながら桜は尋ねた。
「ええ。水あめにからめてありますけどね」
 笑みと共に頷いて佐々木はその小さな豆をキャスターの額にのせた。ひやりと冷たい間食にひゃっと悲鳴を上げる少女の額に張り付いたそれは微妙にバランスが取れているようで落ちてこない。
「な、何する気なの?」
 なんとなく先が読めたキャスターの不安げな声に佐々木は静かに頷いた。
「動いちゃ駄目ですよ? 特に前に出たら駄目です。頭を前に下げず、まっすぐわたくしを見てくださいね?」
「ちょ、あんた何で包丁出してるのよ」
 小鉢を床に置き、どこから出したのか包丁を握る佐々木に凛は慌てて声をかける。その表情はなんとなく先が読めたので呆れ顔だ。
「まあ、ご覧ください」
 握りは右手の人差し指、薬指、親指の三指のみで握った異形のそれ。先の二指で挟んだ柄を親指で軽く支えた不安定な状態で―――
「疾ッ!」
 擦れるような呼吸音と共に佐々木は動いた。凛はもちろん、ライダーにすら完全には見切れない超高速の抜き打ちはその腕が起こした風でもってキャスターの頬を撫で、瞬間移動のような唐突さで腕を振り切った姿勢に移行した。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 刃を振り切った姿で佐々木が静止して数秒。水を打ったような静けさの中、キャスターの額に張り付いていた小豆はぱっくりと裂けて床へ落ちた。十文字、四つのパーツに分かれて。
「・・・きゅぴっ!?」
 一瞬送れてキャスターはひきつった悲鳴をあげた。黒目がぐるんと回転して白目を剥き、かくんと首が後ろに傾く。
「キャスターちゃん、しっかり!」
「気絶しちゃったみたいですので・・・あんまり揺らさない方がいいですよ?」
 慌てて駆け寄る桜がガクガクとキャスターをゆするのに声をかけ、佐々木は優雅な手つきで包丁をしまう。そこはかとなく、満足そうだ。
「お美事!」
「お美事にございまする〜!」
「あら、ありがとうございます」
 纏わりつくあんりとまゆの頭を撫でて微笑む佐々木に凛は毒気を抜かれた表情で問いかける。
「っていうか、何? 今の・・・まあ、見せしめにはなったけど」
「某剣術流派に伝わると言う試し切りです。かっこよかったので真似してみました」
 いつになく子供っぽい笑顔でえっへんと胸を張る姿に半眼になって凛は肩をすくめた。
「どこで仕入れてくるの? そういう怪しげな知識・・・」
「先日掃除をしていましたら、どなたかが食卓に忘れていった漫画を発見しまして」
「ランサーね。その手の趣味悪いマンガは・・・」
 凛は首を振り振り、気を取り直して腰に手を当てた。失神しているらしいキャスターを含めた全員を眺め回し、厳しい声で通達を言い渡す。
「ともかく、チョコ作るのはいいけど変な薬とか混ぜるのは禁止! いいわね!?」
「ふふふ、次は焼き鏝でしょうか・・・」
 むーざんむざんと歌うあんりまゆの声と共に衛宮家には新しいルールが制定された。

 衛宮家御法度
  その4.台所は共有財産にて濫りに実験行うべからず。禁を破りし者、涎小豆の刑


 ちなみに、そのころ士郎はと言うと。
「・・・一成、元気か?」
「うむ、至って健康だが・・・何故壁を突き破って出てくるのだ・・・しかも女人と二人で・・・」
「アシ、スベッタ・・・」
 柳洞寺の壁に、刺さっていたり。 
 


11-11 『冬木式修理術&清掃術』

「シロウ? シロウ!?」
 聞きなれた主の悲鳴に自室から文字通り飛んできたセイバーはがらんとした居間を見渡して声をあげた。
「不覚・・・やはり食後に横になったのが敗因でしたか・・・」
 午睡の誘惑に負けた己の不甲斐なさを責めながらセイバーはレイラインを確認する。魔力の供給は通常通り行われているが、どうもかなり遠くに居るような感触だ。
「敵の気配が無かった以上、たいしたことではなかったのでしょうが・・・」
 不安をつのらせながら呟き、現場を確認する。何故か窓が全開になっている以外は居間に不審な点は無いが―――
「な、なんですかこの台所の惨状は!」
 彼女の愛する食物の数々が製作される聖域、台所は酷い状態であった。こめかみに血管が浮かび、猫の尻尾のごとく頭頂部に毛が一房そそり立つ。
「台所の破壊・・・シロウの悲鳴と不在・・・これは!」
 二つの事実が脳内で融合され、ふつふつと煮えたぎった。キュピーンと両眼が発光し、拳がきつく握られる。 
「これは! シロウ誘拐による兵糧攻めですね!?  なんと卑劣な! この家の至宝を二つとも奪うとは・・・!」
 咆哮と共にセイバーの着ていたブラウスとスカート、ついでにその下につけている水色しましまのアレが弾け飛んだ。衣服の存在を押しのけて具現化したのは白銀の鎧と蒼の軍衣。手の中に生まれた聖剣の柄を強く握り剣の英霊は燃える瞳で拳を天に突き上げた。
「シロウ、待っていてください! 貴方の剣が、今助けに行きます!」
 久々に全身に滾った魔力と闘志に武者震いなどしながらセイバーは外へ飛び出そうと走りかけ・・・
「―――待ちなさい、セイバー」
 すとんっと軽い音を立てて肩装甲の上に降り立った小さな英霊の声にがくんっとつんのめった。
「ちびせいばー、すまないが私はこの上なく急いでいる。話があるならば手早くお願いしたい」
 ぺちぺちと足踏みしながら言ってきたセイバーにちびせいばーは鷹揚に頷き、ぶいっと二本の指を突き出す。
「ええ、伝えることは二つだけです。一つにこの台所はキャスターが鍋を爆発させたものです。二つにシロウはバーサーカーによってこの惨状から避難させられました。突然だったのでかなり驚いていたようですが、いつものことですので実害は無いでしょう」
「・・・・・・」
 淡々と告げられたセイバーはバツの悪そうな表情で剣を消した。無駄に溜まった魔力が雲散霧消していく。
「ところでセイバー、何故服を粉砕脱ぎしているのです?」
「う・・・そ、その・・・」
 あたりに散らばった普段着の破片から額にうっすらと汗を浮かべたまま目をそらす。
「その・・・蒸し暑かったのでぬぐー、といった感じで、その・・・」
 しおしおと勢いが無くなっていく己の分身にちびせいばーはくすりと笑った。頬を軽く撫でてやりながら顔を覗き込む。
「そう落ち込まないことです。恋する乙女はせつなくてちょっとしたことですぐうっかりしちゃうのという歌もあると聞きます」
「な、なぬを、もとい何を言っているのだちびせいばー! わ、私は、その、サーヴァントであり、その・・・」
 歯切れの悪い言葉にちびせいばーは両手を腰に当て、めっとばかりに顔をしかめた。
「まだそのような事を言っているのですか。はたから見ていればあなたの中の女の部分が生々しくシロウを求めている事など一目瞭然。誤魔化しは見苦しいだけですよ、セイバー」
「み、見苦しいと言われたところで・・・その、恥ずかしいものは恥ずかしい・・・」
 ピシッと言われてセイバーはもじもじと指先を絡み合わせる。前日のデートでかなり吹っ切れたとはいえ、既婚者であるにも拘らずこれが実質初恋だ。一軍を率いるカリスマも幻想種を切り伏せる剣の腕も全く役に立たぬこの戦い、ついつい臆病にもなるのも無理はない。
「まったく・・・我が事とはいえ情けない」
 ふぅとため息をついてちびせいばーは首を横に振る。
「まさかとは思いますが、まだ王であることを逃げ場にしてはいないでしょうね?」
「む、それこそ、まさかだ」
 問われ、セイバーは即答した。真顔になって背筋を伸ばし、静かに頷いて見せる。
「既に、理解できている。仮に選定をやり直し私よりふさわしい王が国を治めたとして・・・それでもきっと、私は戦いに生きるのであろうということを」
「・・・ええ、私達は王だから民を護りたいのではなく民を護りたいから王になったのですから」
 己が分身の言葉に続け、騎士王と称された少女は今は遠き国を、民を想い言葉を紡ぐ。
「王としての誇りも、意地も、力も、元より私の中にあったものだ。アーチャーが結局シロウを殺せなかったように、私もまた国を捨てられない。やり直して変わるのが立場だけならば・・・救えたものを、救えなかったものを、私を信じた騎士達を、そしてなにより・・・シロウを捨ててまで、行う意味のあることとは思えない」
 幻視する。最後の戦いの後、死を待っていた自分を。最後の臣下が帰ってくるのをまっていたあの木のことを。
「私は国の為に生き、すべきことは全て成し遂げた。後はこの剣を還すその時まで・・・しばし、夢に漂おうと、思う」
「・・・いい答えだと、同意しましょう」
 頷き、ちびせいばーは微笑んだ。その穏やかな表情にセイバーは軽く首をかしげる。
「しかし、私がやり直しを諦めたのはシロウやアーチャーを見ていてのことですが・・・貴女は何故その結論に行き着いたのですか?」
「ふふ・・・そちらにそちらの事件があったように、私もまた様々な事件を経ているというだけのことですよ」
 言ってちびせいばーは縁側に目を向ける。中庭に面したそこに、いつからか衛宮家に住み着いていたあの猫がちょこんと座っていた。にゃぁと振り向いたその首には、十字架のついた首輪がはめられている。
「? あの首輪はどこから・・・」
「絆の証、と言ったでしょうか。色々、あったのです」
 何か誇らしげに胸をそらすちびせいばーに猫はにゃぁと鳴いて前足を片方上げてみせた。
「む? ああ、曲がっていますね。ありがとう、猫さん」
 胸のリボンの位置を直してちびせいばーはひょいっとセイバーの肩から飛び降り、とてとてと猫の傍に向かう。
「さて、私達は町内の見回りに行ってきますので留守はお願いします」
「・・・何を見回るのかいまいちわかりませんが、気をつけて」
 ええと頷いてちびせいばーが騎乗すると、猫はにゃぁと一声鳴いて走り出した。姉妹の如く息の合った動きで遠ざかる背に、セイバーは桜から聞いたこの国の物語を思い出してなんとなく呟いてみる。


 ロサ・ギニャンティア
「猫薔薇さま・・・」


 一方。
「まあ、茶でも飲むがいい」
「・・・すまん、一成」
 座卓にことんことんと置かれた湯飲みに士郎は神妙な顔で頭を下げた。横目でちらりと盗み見た壁には、両手を伸ばしたくらいの巨大な穴が一つ。それは、彼を抱いたままバーサーカーが突き刺さった痕跡であった。
「む、まあ気にするな衛宮。いったい何をどうしたらああなるのかは理解できんが、おまえもバーサーカー殿も悪意でこのようなことをすることがないのはわかっている」
 カラカラと一成は笑い、バーサーカーのほうへ目を向ける。
「それより・・・本当に怪我などしておられないのですか?」
「アリガトウ。ワタシ、ガンジョウ」
 がぅっと力こぶのポーズをとるバーサーカーと壁の穴を見比べてむぅと唸った。
「我が寺でも肉体鍛錬は行っているが・・・ふむ、婦女子に負けるようではいかんな。皆に一層精進するよう言い渡すとしよう」
「いや、うちの人達は別枠で考えた方がいいんじゃないかな・・・」
 士郎は口の中でそう呟いたが、詳しい事を話すわけにもいかず曖昧な表情で壁の穴に目を向ける。これくらいの破壊ならもはや見慣れているが、なにせここは他人の家だ。ずっしりと罪悪感が背中にのしかかる。
「・・・壁、直すよ。とりあえず、応急処置くらいはできるから」
「がぅ、チカラシゴト、マカセル」
 どうせ今日は修理の日のつもりだしと士郎がそう言うと、バーサーカーもぐっと力こぶをつくってみせる。二人は顔を見合わせて頷きあい同時に立ち上がったが・・・
「いや、その必要は無い」
 その二人を、平坦な声が制止した。見れば、穴の向こうから無表情にこちらを覗き込んでいる男が一人。
「葛木先生!?」
 常に代わらぬその鉄面皮は葛木宗一郎その人だった。着込んでいる紺色のジャージ上下が死ぬほど似合ってないのだが、気にしている様子はない。
「衛宮がこの種の作業を得意としているのは聞いているが、ここまで大きな穴となれば応急処置しかできまい。その程度なら私だけで十分だ」
「それなら、その手伝いを―――」
 言いながら小脇に抱えた数枚の木の板を見せる葛木にお手伝い魔人たる士郎は食い下がったが。
「すぐ終わる」
 葛木はそっけなくそう言い置いてポケットから数本の釘を取り出して口にくわえ、抱えてきた木の板を一枚壁の穴の下端にあてがった。
「先生、工具は?」
「必要無い」
 徒手の教師への問いに答えは簡潔。釘を落とさず器用に答えた葛木がそのままひゅッと呼気を響かせれば、吹き出された釘は構えた板にスタンッ! と乾いた音を立てて半ばまで突き刺さる。
「・・・・・・」
 口を軽くあけたまま黙り込んだ士郎が見守る中、葛木は軽く握った拳で釘の頭を板へ叩き込んだ。背後の壁まできっちり貫通した釘が板を支えるのを引っ張って確認。
「・・・ほんと、何者なんだろ。あの先生」
 そこはかとなく満足げな顔ですとんすとんと釘を打ち続ける姿に士郎が半眼で呟くと、一成は嬉しげに胸を張った。
「うむ、指で薪割りをしているのを見たときは俺も驚いたが・・・まあ、柳洞寺の方針は来るものは拒まずだからな。過去は問わぬのが仏門だ」 
 少しは問うた方がよいのではないだろうか。男女問わず素直に受け入れすぎな寺である。
「以前、珍しく酒をたしなんでいるときに聞いてみたのだがこの寺に来る前は暗殺者だったなどという冗談ではぐらかされてな」
「・・・そっか」
 現職暗殺者と同居している士郎が遠い目をしているうちに穴は完全にふさがったようだ。うむという声と共に足音が遠ざかってゆく。隙間風は入ってくるが、まずまず許容できる範囲だ。冬木の冬は暖かい。この程度でも乗り切れよう。
「あー、とにかく・・・修理代とかはうちでもつから後で請求してくれ」
「ふむ、気にしないでもよいのだが・・・いや、衛宮にしてみれば下手に気を回された方が負担かも知れんな」
 一成は軽く苦笑をもらして座った。士郎とバーサーカーもそれに習い座卓を挟んで座り、ややぬるくなった湯飲みを手にする。
「しかし、改めて悪かったな、一成。勉強中だったのか?」
「うむ。一応、俺も仏教系のだいが―――上の学校に行って坊主になるつもりだからな」
 大人の事情に配慮した台詞に頷き、士郎は部屋の中を見渡した。本棚と机には参考書の類が多く、極端に娯楽に欠ける。いわゆる優等生と呼ばれ校内トップランクの成績を誇っているのは伊達ではないようだ。
「進路、か・・・俺は、どうなるのかな」
 思わず呟く。以前聞いたところによれば凛は魔術師としての位階を上がるべく英国留学を決めているそうだ。桜は家事手伝いで十分と笑っていたが、根本的に頭の良い子だし時間もまだまだあるからどのような進路だって目指せるだろう。それに比べると、平凡な頭脳と修復魔術すらできない回路を抱えた士郎としては、やや憂鬱な問題だ。
「料理系の専門学校に行くというのは悪くない進路だと思うがな、衛宮」
「・・・コウムイン。アンテイ」
「あ、いや、独り言だから気にしないでくれ二人とも」
 思わず漏れただけの呟きに真顔で返答され士郎は苦笑した。話をそらすべく話題を探して部屋の中を再度見渡し。
「おお、マンガ発見」
 本棚のすみっこにさりげなく納められた三冊の書籍を見つけて立ち上がった。聞いたことのないタイトルだが、マイナー系の雑誌ロゴが入っているからマンガであることは間違いない。
「!? ま、待て衛宮!」
「どれどれ・・・」
 何故か慌てて制止する一成を無視して士郎はとりあえず一冊を本棚から引き抜いた。手の中でくるっとまわして表紙を眺める。

 ハダカにフンドシの男が二人、日本刀片手にからみあってたり。

「・・・そっか」
 士郎は、そっとそのマンガを本棚に戻した。
「さて、そろそろ帰ろっかな・・・」
「ぬぱぁあっ! ち、違うんだ衛宮! それはそういうシロモノではないし無理矢理後藤が押し付けてきたものでいやおもしろかったのだが別段衛宮ァ!」
 慌てて詰め寄ってきた親友に士郎は生暖かい笑顔を返し、微妙に距離をとる。考えてみれば様々なフラグを立ててきたこの二週間弱。なにげに一成フラグも立っているような。
「何故後ずさるんだ衛宮! お、俺の目を見ろ!」
「いや、うん。見てる。見てるよ?」
 迫り来る一成をさわやかな笑顔で受け流していると、きょとんとした顔で騒ぎを見守っていたバーサーカーが不意に立ち上がった。
「コレ・・・」
 士郎の手からマンガ本を取り上げ、パラパラとめくる。
「バーサーカー殿! これは駿河城御前試合という小説を原作にした剣豪モノで・・・!」
「コガンセンセイ・・・りすぺくと」
「読んだことあるの!?」
 嬉しげにつぶやくバーサーカーに、士郎はギョッとした顔でのけぞった。慌てて首を振り、驚きを頭から追い払う。
「3カンゼンブモッテル」
「・・・まあ、ホモが嫌いな女子なんていませんっ! ってどこぞの大学生も言っていたらしいしな」
 しばし俯き、士郎は大きく頷いてから顔をあげた。その表情に、もはや迷いは一片たりともありはしない。何か答えを得たかのような笑顔がその顔には浮かんでいる。
「うん、バーサーカー達だって女の子なんだからエイト・オー・ワンくらいたしなむよな。よし、俺は納得したぞ一成。もう平気だ」
「待て衛宮! 今、『達』と言わなかったか!? っていうかそういう本でないとさっきから言っている!」
 一度よそに行ったかに見えて急角度で戻ってきた話の矛先に一成がぎょっとした顔で吼えると、士郎は朗らかな笑顔でグッと親指を立てて頷いた。
「大丈夫・・・俺達はずっと友達だ。でもごめん、友達以上になるつもりはないんだ」
「俺にもそんなつもりはない! 頼むから会話をしてくれ衛宮!」
「言葉はキャッチボールしたいけど体液のキャッチボールは絶対に嫌だ」
「俺だって嫌だ! ぅう、衛宮が・・・衛宮が壊れた! ・・・いや、とり憑かれておるのか!?」
 ダメ絶対と顔の前でバツを作る士郎のオーラがあくまの形になってニヤリとツインテールを揺らすのを心眼で覗き見て一成は恐れおののいた。
「し、しっかりしろ衛宮! その意地悪、あの魔女が伝染っておるぞ! 目を覚ませ!」
「そ、そっかな?」
 むしゃぶりついて涙目で主張する一成に士郎はうっと言葉に詰まった。
「・・・俺、遠坂っぽい?」
「シロウ、デキテオルノウ」
 恐る恐る口にした言葉にバーサーカーがうんと頷く。あっさり肯定されて士郎は軽く頭を抱えた。
「すまん一成。いつもは苛められるほうなんで少し調子に乗った・・・」
「・・・わかってくれれば良いのだ。いつも言っているが、ヤツは危険だ。純白の雪原の如き衛宮の中にあのようなどぎつい赤をぶちまけても」
「うん、もう俺は何も言わないよ。同性愛なんてたいしたことじゃないよな。一成」
「まだ言うか!」

 信用と云う器は、一度損なわれれば二度とは、二度とは・・・


「今帰ったぜよ〜」
「何故土佐弁か」
「知らねぇのか? 劇団SHIKIのライオンキングは公演する場所によって方言を切り替えるらしいぜ?」
「説明になっとらん」
 ちびせいばー達を見送ってぼぅっとしていたセイバーは玄関から聞こえた気の抜けたやりとりに我に返った。廊下の向こうを覗くとぺったんぺったんと素足で床を鳴らしながらランサーとアーチャーがこちらへやって来る。
「よう、待たせたなセイバー。屋根の上に居なかったんだが少年はどこ行ったんだ? トイレか? 道場か?」
 スーパーのものと思われるビニール袋を振り回しながら尋ねるランサーにセイバーは少し躊躇いながら首を横に振った。
「それが・・・台所で誰かが鍋を爆発させたのでバーサーカーが強制避難させたようです。レイラインの感じからして・・・山の方のどこかに居ると思われます」
「きょうせいひなん?」
「な、鍋が爆発!?」
 たどたどしい説明にランサーは首を傾げる横で、アーチャーは聞き捨てならぬと小さな叫びをあげた。そのまま戦闘時の如き身のこなしで台所に飛び込んで惨状にギリギリと奥歯を噛み鳴らす。
「誰だ・・・これをやらかした馬鹿者は・・・!」
 無残な屍をさらす鍋とチョコやら油やらよくわからない薬品やらの混じった緑色の涙を流す食器や壁に拳を握りアーチャーは振り返り。
「キャスターよ」
 いつの間にかそこに立っていた見慣れたポニーテールにあっさり言われて口を閉ざした。
「・・・キャスター?」
「・・・うん」
 声に視線を向ければ、妙に機嫌の良い佐々木に手を引かれたキャスターが気まずそうな顔で頷き、そのまま俯いてしまう。
「仕置きも済んでるからこれ以上の追求も非難も無し。いいわね? アーチャー」
「む・・・」
 ぴしっと言い置かれたアーチャーは一瞬口ごもったが、廊下からこちらを伺う桜の目が許してやってほしいと訴えるのを見てふぅと息をついて肩をすくめた。
「了解した、マスター。守銭奴の君が我慢したのだ。私も我慢するとしよう」
「・・・なんか物凄く不本意な言われようだけどあえて否定はしないわ」
 一家の家計を預かる少女はアーチャーと同じような表情で腰に手を当て、サーヴァント達をぐるりと見渡す。
「ともかく、みんなでこれ片付けるわよ。セイバー達もこのままじゃチョコ作れないでしょ?」
「え、ええ、その、私は、ちょ、ちょこ、むう・・・」
 急に話をふられてぐだぐだになっているセイバーに苦笑をもらし、凛はむんっと腕まくりをする。
「大破した鍋はともかく他のもんは魔術で直せる! アーチャーとキャスターも手伝って。廃棄ゼロを目指すわよ!」
「・・・鍋も私がなんとかしよう。元のものとほぼ変わらぬ物を提供できると思う」
「コンロ回りの破損はメディアが直すもん・・・」
 修理代をかけるなとプレッシャーをかけてくるレッドイシューデビルに魔術師二人は神妙な顔で頷いた。面倒がった日にはなにをされるかわからない。
「姉さん、私はどうしましょう?」
「そうね、桜はアサシンと一緒にその辺の怪しげな液体ふき取っといて。素手で触らないように気をつけて」
「では、私はその桜を生暖かく見守りましょう」
「じゃあ、オレはアーチャーに念を送る」
「あんりたちはみんなに元気を送るね!」
「まゆはあんりちゃんを愛でるますねぇ〜」
「・・・あの、普通に手伝う気は無いですぅ?」
 地味につっこむハサンの声を背に桜は着ていたトレーナーの袖を捲くった。襷で袂を絞り上げた佐々木が流しの下から出してきたゴム手袋を受け取ってきゅぽんっとはめ、たわし片手に肩を並べて床の汚れに挑む。
「・・・そういえば」
 こういうことになるとてんで役立たずなセイバーは所在無さげに立ち尽くして働く若人達を眺めていたが、ふと懸念事項の一つに気がつき形の良い眉をしかめた。
「リン、例の魔術師の姿が見えませんが・・・彼女は今どこに?」
「ん?」
 修復の魔術を構成していた凛はセイバーの声に振り返った。真っ二つに割れたマグカップに魔術を行使し、手の中で元通りに組みあがったそれを棚に収めて肩をすくめる。
「イリヤならバーサーカーを探しにいったわよ。柳洞寺の辺りに気配がするって言ってたわね」
「む・・・バーサーカーのもと、ですか」
 それはつまり彼女にとって現在もっとも大事と思える人のもとに、サーヴァントとマスターが一組揃うということだ。バーサーカーは信用できるが、はたしてあの魔術師はどうか。
「ふふ、大丈夫よ。セイバー」
 思案するセイバーに、凛は苦笑を漏らして肩をすくめた。歯の抜けたパスタフォークを手に取り、抜けた歯を捜して視線を左右させる。
「主観だけど・・・イリヤはわたし達と、って言うか士郎と戦うつもりは無いと思うわ。敵意とかはなくて、むしろ好意っていうか・・・包容力がある、こう、なにかマニアックな・・・」
 居間で爆発が起きるまでの会話で感じた微妙なフィーリングを言語化できず悩む凛に、ぼぅっと桜の背を見守っていたライダーはふむと頷いた。
「弟萌えですか?」
「コレクト! それよライダー」
 ぱちんっと指を鳴らして凛は大きく頷く。
「構ってちゃんぽい言動だけど、士郎を見てるときに護ってあげるオーラ出してるのよ。微妙にだけど・・・なんとなく」
 それは、例えば自分が桜を見るときの想いと似ているのかもしれない。
「? なんですか、姉さん」
「ん。別に」
 不意に見つめられてタワシ片手に首を傾げる妹に苦笑し左右にツインテールを揺らす凛をよそに、ランサーは眉の間にしわを寄せて腕組みをした。
「なるほどな・・・」
 のどの奥で唸るようにそう言い、カッと目を見開く。
「つまりそれは、姉御属性なオレへの挑戦ってことだな!? くっ、思わぬ伏兵だぞアーチャー! どうするよ!?」
 吼えるような声で名を呼ばれたアーチャーは投影した鍋をひっくり返して強度を確かめながら、静かにひとつ息をついた。
「・・・ああ、なんだ、ランサー・・・おまえは、本当に阿呆なんだなぁ・・・」
「んだとアーチャー! てめぇ自分の属性が時代の本流だからって調子のんなよこのツンデリーナ! ツンデレン飲ますぞ!?」
「もうなんというか、秒刻みで脱力させられているわけだが・・・つんでれん?」
「一口飲んだら本音だだ漏れになる対ツンデレ用医薬品だ! キャスターに作らせる予定ッ!」
「そんな予定はすぐに破棄しろ!キャスターも成分とか考え始めるんじゃない!」
「っていうか、盛り上がるのはいいけど手は止めないで頂戴」
 じゃれあう英霊達に冷たく呟いて凛は小休止。思ったよりも修復ペースは早い。結局のところ爆発したのは鍋に過ぎないので、飛び散ったチョコレートや薬品による汚れこそ多いがいつもと比べれば被害は小規模だったといえるだろう。
「とにかく、身の危険は無いと思うわよ? 安心していいわ。セイバー」
「貞操の危険はあるかもしれねぇけどな?」
「・・・・・・」
 安心させようと穏やかな笑顔で言った言葉をすかさず混ぜ返さしたランサーを、凛はピシリと額に青筋を浮かべて無視した。が、
「先輩のッ! 貞操ッ! 初回特典ッ!」
 その足元で、桜は雑巾を引きちぎって唸るように叫ぶ。
「た、大変じゃないですか姉さんッ! 確かにイリヤちゃんはちっちゃいですけど入るかもしれませんよ!? そんな、そんな泥棒猫みたいな真似許していいんですか!?」
「悪根は焼き絶つが常道・・・案外早く焼き鏝の出番でしょうか」
 くすくすと笑いながら物騒な事を呟き、佐々木はふと首をかしげる。
「と、それ以前の問題として・・・旦那さまは、はぢめてなのでしょうか?」
「? そりゃそうでしょ。士郎に彼女が居たなんて聞いたことないし」
 凛は当然といった表情で肩をすくめたが、それを聞いたランサーは首をかしげて異議を唱えた。
「しかしよ嬢ちゃん。あいつ、前に錯乱して『どうせ俺は素人童貞』みたいなこと言ってたぞ? どっかで商売女でも抱いてんじゃねえのか?」
「へ?」
 思わぬ言葉に凛の表情がきょとんとしたものに変わる。
「素人・・・どーてー?」
「娼婦とか売春婦とか本番オッケーとか・・・ようはお金で身体を売る類の女性は利用したことはあっても合意のもとで和姦したことはない人のことですよ姉さん・・・っていうか、先輩がッ! 先輩がどこの馬の骨ともしれない人と! なんて羨まし、ちがったもったいない!」
 くきぃっと歯軋りする桜を呆然と見つめ、凛は目をぱちぱちとしばたかせた。
「え? あれ? それは・・・士郎は、はじめてじゃないってこと?」
「素人童貞だっていう叫びが本当だったらだけどな」
「つまり、はじめてじゃないのが士郎だってこと?」
「は? ・・・だから、そうだって言ってんだろ?」
「しろうは、はじめてじゃなくて、わたしはじめてで、あれ? え? え?」
 きょとんとした顔でうわ言のように呟く姿にランサーはうぅむと唸り声をあげる。
「完全に錯乱してんな・・・そんなにショックだったのか?」
「ま、まずいじゃない・・・し、士郎のほうが、その、経験豊富だなんて、何されちゃうのかしら・・・あ、そこ違・・・そ、そんなことまで!?」
 完全に違う世界へ旅立った凛が未知なるプレイに身震いした。妄想の中の士郎はいつもの笑顔のまま七色の器具を操り彼女をあっさりと縛り上げ―――
「そして士郎は恥らう少女の蕾に指を挿し入れた。悲鳴にも似た小さな声をあげてビクリと背筋をそらした凛の最も敏感な場所へ押し当てた唇で器用にその皮を剥き、誰の目にも触れることなく秘めやかに眠っていた小さな―――」
「ライダー、姉さんの耳元に変な小話囁くのやめなさい」
 額を押さえて制止する桜にライダーは了解と口にチャックのハンドサインをした。残念そうな顔をするまゆとキャスターにまた今夜にでもと約束し、セイバーへと目を向ける。
「それで、どうするのかしらセイバー。出かけるのならば私達が先に台所を使うわ」
「・・・貴女は相手によって極端に口調が変わるのだな」
 人のことは言えないがと思いながらセイバーは脳内で主の危険度を算定し、出た結果に脳内承認のサインを書き込む。
「私も、彼女は安全であると判断します。シロウとて今や素人ではありません。本当に危険ならば令呪で呼んでいただけるでしょう」
「ふん・・・少々痛い目を見るべきなのだ。あいつはな」
 アーチャーは呟き、鍋蓋を投影して鍋の上にひょいっと載せた。ちなみに蓋は盾、鍋そのものは兜として投影していたりする。武器以外を投影するのはアーチャーをしても極めて難しいのだ。
「痛い目、つぅんだったらこの2週間で散々喰らってる気もするけどなぁ少年は・・・っと、そうそう」
 ランサーはいい加減飽きてきたのかあくび交じりにそう言ってからふと気付いてアーチャーの肩を抱き寄せる。
「・・・何をする」
「いや、ちょっと気になってよ」
 にやっと笑い耳元に一言。
「で? おまえ、この時期にはもうやっちまってたのか?」
「・・・内緒だ」

 


 

→後編へ続く