12-01 あんり・まゆ

 2月14日。誰が決めたか聖バレンタイン・デイ。男のプライドと女の思惑がぶつかり合う愛欲のワンダーランド。菓子業界の思惑に乗せられている? ぬかせ、ありとあらゆる祝祭日も記念日ももとをただせばどっかの誰かが適当に決めた日だ。むしろ利用してやっていると理解せよ!
 そんな、全国の男子学生が早起きして自分の価値をあげようと涙ぐましい努力をしているその朝に。
「ぅ・・・ぅう・・・裏返すのはやめてくれ・・・」
 衛宮士郎は酷くうなされていた。
「ぁぅ・・・ざ、ザイック・・・!」
 屋敷中に漂う妖(艶)気にあてられたのだろうか、はたまた毎朝襲撃やらなにやらを受けている影響だろうか。朝日と共に目覚める男こと衛宮士郎はいつもよりやや遅い時間になってからようやく覚醒の叫びをあげた。瞼をぴくぴくと震わせ、軽く呻いてからゆっくりと眼を開ける。
「ふぁ・・・うう・・・もう朝か・・・」
 呟きながら身を起こし、目をぐりぐりとこする。脳に神経が繋がるにつれてぼやけていた視界が徐々にクリアーになっていき。
「あ?」
 気付けば、枕元に何かがあった。
 縦長で巨大なものが、二つばかり。
「・・・? なんだこれ」
 目をしばたかせる。まだ頭が目覚めていないのか、それが何なのか理解が出来ない。高さ1メートルちょい、複雑な凹凸をで形成された褐色のソレは大きめの中心パーツから細いパーツが4つ突き出し、円形パーツが頂点に載っている。
「・・・・・・」
 士郎はそれを見たことがある。以前見たことも、触った事もある。っていうか、ぶっちゃけ抱きつかれたことだってあるのだ。急激に覚醒した頭がそれを認識し。認識してしまい―――
「ぬ・・・ぬぁああああああっ!?」
 士郎は驚愕のあまり壁際まで飛び退いた。そう、もはや説明の必要もあるまい。枕元に屹立していたのは、褐色の等身大幼女裸像。可愛らしいピンクのリボンが首元に巻かれている以外一切の衣服を身につけていない、素っ裸のあんりとまゆの形をしたチョコレート塊であった!
「・・・うわぁ」
 驚きが一定レベルを超えると人は無表情になるのねと今更な発見をしながら士郎はおそるおそるチョコレートに近づいてみた。
「よく・・・出来てるなぁ」
 造りは士郎の眼から見てもかなり精巧だった。顔の造形も本物と寸分変わらぬ生き生きした表情を浮かべ、なだらかな曲線を描くその身体はあくまでも幼児体型、覗き込んでみればあんなところやこんなところまで完全に再現されているのがわかる。
 犯罪だ。あからさまに犯罪だ。しかも、世間に哀れみの目で見られるタイプの犯罪。
「っていうか、どうしろってんだよこれ・・・俺・・・これ、た、食べ・・・る?」
 どことなく弱気になりながら士郎はおそるおそるあんりチョコの耳に手をかけてみた。正直こんな展開望んだ事など一度も・・・多分無いと思うが、一応はコレも好意のカタマリ。出されて口にしないなどという不調法は衛宮の家訓には無い。
「い、いくぞ・・・!」
 覚悟を決めた士郎は掴んだ部分にぐっと力を込め、瞬間・・・!

「あぱらぱー!」
「よばれて飛び出てくすくすくすー!」

 楽しさ絶頂という声と共にチョコレート像は粉々に砕け散った。否、チョコレートだったのは表面だけ。周囲に褐色の破片を撒き散らして現れたのはまごうことなき本物の―――
「な!? あんりちゃんにまゆちゃ・・・しまった、謀られた!」
「にーちゃん、すきー!」
「だいすきです〜!」
「待った! ほら、気持ちは嬉しいけどとりあえず服を・・・!」
 裸にチョコレートコーティングが中途半端に残ったありえない半裸で纏わりつかれ、士郎は狼狽の声をあげた。
 この展開は知っている。よく知っている。いい加減何度もやられれば身体が覚えている。時計を見よ。ほら、時間も時間だしそろそろ・・・
「シロウ! 何をやっているのですか!」
「先輩! 条例が気になって眠れません!」
「を、朝から元気だな少年! オレも混ぜてもらうぜ?」
「く・・・やっぱりこのパターンか!」
 ふすまとか畳とか窓とかから次々進入してくる少女達に士郎は奥歯を噛んで気合を入れた。昨日、イリヤに誓ったのだ。立派なジェントル剣になると。この程度のピンチで慌ててなるものか。勝利は無くとも敗走せずだ!
「ええと、皆さん―――」
 第一声で既に弱気になりかけている自分に渇を入れなおし、士郎は堂々と・・・
「全員かかってこいやぁっ! ・・・って少年は言おうとしている!」
「ぅえええええ!?」
 ランサーの掛け声に悲鳴をあげた。 
「いい度胸ですシロウ!」
「先輩ッ! それはもう前も後ろも脇も足も全部OKってことですね!」
「というわけで行くぞ少年! その童貞(偽)―――貰い受ける!」
「ああっ! まゆ! わたしたちのターンなのにもう他に持ってかれそうだよ!」
「くすくす・・・このままじゃ出オチですねえ・・・」
 あんりとまゆは油断するとすぐに放置される伝説のエミヤバトルに顔を見合わせ。
「というわけで参戦ッ!」
「ひさしぶりにこのフレーズですけど、ごーごーですねえ〜」
 もみくちゃにされ、押入れに詰め込まれていく士郎にあんりとまゆは体温で溶けてきたチョコまみれの身体でとびついた。
「うなっ!? ちょ、なんか違うとわかってても別のもの擦り付けられてる気分になるからその茶色いドロドロを体中に押し付けるのは勘弁してくれ・・・!」
「「じゃあわたしたちをたべて」」
「無茶言うな!」
「「むしろあなたをたべさせて」」
「断る!」

 無理矢理に口に詰め込まれた人肌のチョコは、微妙に温くてしょっぱくて。
 士郎は、一生女体盛りはしないと固く心に誓った。

 これは、一人の少年の挫折と再生の物語。

 

12-02 バーサーカー


 もはや何がしたかったのかすらよくはわからないランサー達の襲撃から何とか逃げ切った士郎は、トイレをすませて洗面所へ向かっていた。
「なんかこう、逃げたり鎮圧したりするスキルだけ上がって危険を回避するスキルは全然上がらないなぁ・・・」
 呟き、茶色のどろどろがついた顔を洗ってから鏡を眺める。なんだか疲れた表情をしているがとりあえず怪我は無い。
「・・・まあ、いつもと比べれば遠坂に吹き飛ばされなかっただけましかな」
 うむと頷き士郎はタオルを手に取った。ガシガシと顔を拭いてタオルかけに戻し、洗面所を出る。
「さて、今日はなに作るかな・・・当番は俺とアーチャーだからやっぱ和を全面に押し出すべきか」
 早朝の冷たい空気を大きく吸い込むと脳が冴え渡るのを実感する。大丈夫、どんな事があってもやっていけるさ。料理のこと考えれば大体平気。
「確か鮭があったな。照り焼き・・・は神域に達したアレと張り合うのもなんだから避けて、ストレートに塩焼きで勝負してみるか。メディアちゃんと作った天然塩も試してみたいし。後はまあ、おひたしと卵焼き・・・む、なんか地味か。ここはやはり煮物が必要だな。アーチャーになんか煮て貰うか。小芋あたり・・・いや、なんか予想もつかない凄いものが出てくるかもしれないし」
 料理の腕にはそれなりの自信がある士郎だが、数回一緒に厨房に立っただけでもアーチャーが自分を上回る調理者であることはわかっていた。セイバーあたりは何故か自分の料理の方を支持してくれるが、技術面と発想面では明らかに負けている。特に発想については現代の料理の常識を覆すようなメニューを時折披露してみせ、そのことから士郎はアーチャーの正体を未来の英雄なのではないかと推測していたりもする位だ。
「・・・ん。こんな感じかな」
 脳内に展開したメニューにポンと承認印を押した士郎は居間へと足を進め。
「お?」
「あら?」
「がぅ」
 廊下の向こうからやってきた二人組みに声をあげた。
「おはよう、シロウ。どうしたのびっくりした顔で」
「ああ、おはよ。いや、早いんだなイリヤ」
 一応客人である相手の既に完全覚醒し着替えも終わっている姿に士郎はやや驚きながら挨拶をする。イリヤはくすくすと笑って優雅に一礼してからちょっと渋い顔をした。
「お城に居る時はセラがうるさかったから・・・習慣ね。バーサーカーも早起きだから退屈はしないで済んだし」
「がぅ」
 バーサーカーが嬉しそうに頷くのに表情を崩し、士郎はふと思いついてイリヤに目を向ける。
「なあイリヤ。朝ごはんなんだが、洋食の方がいいのか?」
「あ、今日はシロウのご飯なのね。それならなんでも美味しいからどっちでもいいわ。お野菜が多ければもっといいかな」
 身体はホムンクルスで出来ているなイリヤさんは肉を食べられないわけではないが得意でもなかったりする。清い身体も大変なのだ。
「ん、了解。豆腐も付けよう」
 大豆は畑のお肉だからなと呟く士郎にそういう問題かしらと苦笑して、イリヤはぽんと手を打った。
「そうそう、バーサーカー。このタイミングであげちゃったほうがいいと思うわ」
「がぅ?」
 ニヤニヤと見上げられてバーサーカーは首を傾げたが、一瞬おいて赤くなってガクガクと壊れた人形のように頷いた。
「じゃあ、部屋からとって来なさいバーサーカー。シロウはここで足止めしておくから」
「が、がぅ・・・!」
 そして、こちらをちらちら見ながら小走りに走り去る。遠ざかる長身の背に苦笑しながら士郎は肩をすくめてみせた。
「いや、足止めってそんなに明言されても・・・別に待てっていうなら待つし」
「待て」
「はい」
 お嬢様の命を受けた忠犬の如き従順さで待つ事しばし。
「・・・・・・」
「ん?」
 遠く聞こえる声に士郎は首をかしげた。声は徐々に大きくなり―――
「■■■■■■■■■■■■ッッッ!」
 バーサーカーの巨体が廊下の角から飛び出す頃には、咆哮となって辺りに響き渡っていた。
「!?」
 あまりの勢いに士郎が思わず後ずさるとその差を埋めんとばかりに狂戦士のスピードが上昇した。
「■■■■■ッッッ!」
「ちょ、待ッ! そのスピードじゃ止まらないしぶつかられたら死ぬ! っていうか何でそんなに興奮してるんだ!?」」
「あら、レディにとっては大イベントだもの」
 くすくすと笑うイリヤの言葉にそういう問題じゃと脳内でだけ答えて士郎は間合いを空けるべく全力でバックジャンプし。
「■■■■■■■■■■■■ッッッ!」
 バーサーカー嬢は床をガシガシと陥没させて更なる加速を果たしてそれを総て無駄にした。士郎の脳内で被害総額がガチャリコガチャリコと加算されて行く。
「ストップ! 床壊れてるから! そのままぶち当たると俺も壊れちゃうから!」
「■■■■■■■■■■■■ッッッ!」
 ノーリアクション。全力の制止に目もくれないというより目がくれないといった形相で迫る褐色のお姉さまに士郎は衛宮家の良心が陥落した事を知り、覚悟を決めた。
「転進ッ!」
「わぁっ、シロウはやぁい」
 二度ネタになる言葉の打撃になんとか耐えて士郎は庭へ飛び出す。なんとか間合いと時間を稼げばギルガメッシュの鎖を投影する事で事態は収拾出来る筈。
「うぅ、なんでバーサーカーまでこんな暴走を・・・」
「あ、ごめんなさいシロウ。盛り上がりに欠けるかと思って狂化させ・ちゃっ・た★」
 てへ? と黒い愛嬌を振りまくイリヤに遠坂から学んでるのは魔術だけじゃないぞと後で逆襲することを決意し、とりあえず今は迫り来る暴風へと立ち向かう。
「もう吹っ切れた! ドンと来いってんだ! この身体は硬い鉄で出来ているッ!」
「■■■■■■■■■■■■ッッッ!」

 止めると思ったときには既に行動は終わっている。衛宮士郎は死亡寸前3回というハイスコアでバーサーカーを停止させる事に成功した。

 紆余曲折を経て貰ったのは12個セットの神々しい出来栄えなハンドメイドチョコレート。
 ちょっと固いがうまかった。

 

 

12-03 アサシン

 

 鮭の塩焼き、ほうれん草のおひたし、卵焼き、豆腐とジャコの大根おろしかけ、イカと里芋の煮物に箸休めの大根の酢漬け、そして王道ほかほかご飯。食卓の上に小世界を築き終える頃にはけっこう良い時間になっていたらしく、居間には朝食をきちんと食べる住人達が既に顔を揃えていた。
「あれ? 遠坂は?」
 そんな中、ただ一人朝が弱いにも関わらず毎日寝ぼけた顔でやってくる凛の席だけが、ぽっかりと空いている。
「えっと・・・今日はまだ見てませんね」
 全員分のご飯をかいがいしくよそいながら部屋が近い桜が首をかしげると、アーチャーがふむと頷いて返す。
「元々血筋の為か寝起きの悪さは異常なレベルだからな。あまり驚くような事でもない」
「なんだか夜遅くまでバタバタしていたみたいだし寝坊じゃないかしら?」
 ほうれん草の緑色に心とらわれてるらしきイリヤの台詞に士郎はそっかと答えて食卓を見渡した。凛が寝てるとなれば後の欠員はギルガメッシュとイスカンダル。これで全員揃ったと言えるだろう。
「じゃあ食べるか。いただきます」
『いただきます』
 イリヤも加えて全員で唱和し、一斉に箸を伸ばす。新メンバーが増えるのもいい加減慣れっこだ。相手が小食の―――信じられない事に、ライダーのように副食物があるわけでもないのに小食な―――イリヤであることもあり、いつもと変わらぬ和やかな食事が繰り広げられ、目の前の食器を空にしては満足げに一人、また一人と箸を置いていく。残す者など誰も居ない健啖な食事風景であった。
「お茶のおかわり要る人は?」
 あらかた皆が食べ終わったとみた士郎が声をかけると、壁に寄りかかってテレビを眺めていたランサーと新聞を読んでいたアーチャーがぶらりと片手を上げる。
「少年、熱いのを一つ」
「一度急須にお湯を入れたら使い切れ。残心とはその結果を受け入れる為の心構えだ」
 わけわからねえよアーチャー。
「お茶とかはいいです。シロウ、ごはんをよそってください」
「がぅ、ワタシガ」
 セイバーの要求にはバーサーカーが立ち上がって茶碗を受け取り、自分のものと共に炊飯ジャーへと向かう。なんだか露出している手足に緊縛痕が残っているような気がして、ライダーはふむと目を細めた。特殊プレイにはうるさい彼女である。
「・・・士郎、バーサーカーを縛ったのはあなたですか?」
「・・・まぁ、色々あって」
 小声で問われ、士郎は急須を傾けながらポソポソと答える。
「あれでは駄目です。あれでは愛が足りません」
「いや、そういうのじゃないからね!?」
「幸い私の武器も鎖です。今夜にでも正しい縛り方をレクチャーしましょう。大丈夫、教材は私自身の身体で―――」
「ライダー? そんなに縛って欲しいのかしら?」
 にっこりと。士郎に詰め寄るライダーを桜は笑顔でたしなめた。居間の空気を凍りつかせそうなドスの聞いた声でも一応たしなめる程度の発言である。
「えっと、ランサーさん、アーチャー、お茶お待たせ・・・」
 士郎はどうしてこう、みんなみんな怖いかなあとため息をつきながら湯飲みを二人の前に置いた。よいしょと立ち上がった彼に、イリヤがはーいと手を挙げた。
「シロウ、私紅茶がいいなー」
「ん、了解。遠坂は要る―――」
 オーダーに二つ返事で答え、士郎は自分の席の隣に話しかけて動きを止めた。視線の先には座布団しかない。
「―――と、そもそも居なかったな」
「ふふ、先輩にも姉さんのうっかりが伝染っちゃったんですか?」
 桜のからかう言葉に、士郎は結構本気でへこんだ。


 食事が終わり、寝坊組3人の食事にラップをかけ終わってから始めた食器洗いも滞りなく終わりに近づいた頃。残った湯飲みを洗いながらアサシンは周囲を伺った。
 食事中一度もスポットライトの当たる事のなかったハサンは既に天井裏に戻り、他のメンバーも思い思いの食後のひと時を過ごしている。居間ではイリヤ達が朝の児童番組を見ているがそれは気にすることでもないだろう。
「・・・旦那さま?」
「ん? なんですか佐々木さん」
 洗い終わった湯飲みの水気を拭っている士郎にくすりと笑い、佐々木は。
「あんりちゃん達のチョコレート、おいしかったですか?」
 その耳元に、囁くように言葉を落とした。
「な、なんでそれを!?」
 湯飲みを落としかけてなんとか持ち直した士郎にクスクスと笑い、佐々木はちろりと舌を出す。
「何を隠そう、アレを塗ったのはわたくしですので」
「あんたかいッ!」
 ピシリとつっこみ士郎はため息をつく。
「っていうか、そういう前振りってことは、その・・・チョコをくれるんですよね?」
「ええ。僭越ながら手作りさせていただきましたので」
 ふふふ、と口元を押さえて笑う姿に士郎はちょっと距離を置き、油断無く身構える。
「わかった。どっからでも来い・・・!」
「・・・あの、チョコレートを渡すだけなのでそんなに警戒されても」
 困った笑みの佐々木に士郎はアレ? と首をかしげる。
「また何か致命的なダメージを狙ったイベントが発生するんじゃないんですか?」
「そういうのがご希望でしたらそれなりに考慮しますけど、わたくしはこれでも色事には雅を求める性質ですので」
 くすくすと笑いながら佐々木は冷蔵庫へ向かい、中からガラス製の小さなお椀を取り出した。中には褐色の液体と白く柔らかそうな球体がいくつか。全体にお汁粉のような風情だ。
「ですので、今はただ気持ちを伝えたいと思っているだけですよ、旦那さま」
 歌うように告げ、静かに士郎の手を取り佐々木は微笑む。
「佐々木さん・・・」
「これでも男女の機微についてはそれなりに存じておりますので・・・わたくしを愛してくださいなど言いません」
 言い置き、優雅に一礼。
「今後とも、当家の使用人として・・・そして妾としてご寵愛くださいね?」
「いや、妾にしてないから!」
 士郎が慌ててツッコミを入れるがどこ吹く風、手のひらに白く細い指先で『愛欲』などと書き込みながらにっこりと微笑んでみたりする。
「大丈夫、寝屋専門かつ秘密は厳守します」
「だから!」
「燕返しで三箇所同時に弄れますが?」
 沈黙3秒。
「・・・・・・いや、そういう問題じゃ、その・・・」
「躊躇いましたね?」
 涼しげな声で指摘されて士郎はたらりと汗を流した。今のネタを凛か桜かセイバーにでも聞かれた日にはまたこんがり焼かれる羽目になる・・・!
「なるけど、それはそれ! これはこれだ!」
 地獄予想図を脳裏に描きながらも士郎はそれを振り払って佐々木の眼を正面から見つめた。後の事は後の事。今感じている感謝を告げる事の方が、遥かに重要だ!
「いつもありがとう、佐々木さん。今後ともよろしく」
「・・・ええ、こちらこそ」
 真っ直ぐな感謝に、『佐々木小次郎』ではなく固有の彼女にむけられた言葉に名無しの剣士はもう一度頷いた。士郎の手を離し、さあと彼女のチョコレートを差し出す。
「説明が遅れましたが、チョコレート白玉です。ココナッツミルクとチョコレートで作った汁に白玉を浮かべてみました」
「へぇ、これは初めて見るな・・・」
 手渡されたガラス椀を上から見たり下から見たりしながら士郎は感心し、続いて渡されたスプーンでチョコミルクをすすってみる。
「ん。甘すぎなくていいな」
「はい、食後に食べていただこうと思っておりましたのでさっぱりめな味付けにしてみました。ささ、白玉も食べてみてください」
 ニコニコと進める佐々木に自分も表情を緩めながらスプーンを動かす。白玉はプニプニとした食感が命だ。真っ白な球体を口に入れ、士郎はゆっくりとそれを噛み締めてみた。
「・・・うん、いい柔らかさだ」
「あ、あら、そうですか・・・?」
 満足げに呟かれ、佐々木はポッと頬を染めた。謎のリアクションに眉をしかめる士郎にしずしずと近づく。
「その白玉・・・どのくらいの固さにするかの基準をあるものに合わせたんです」
「さ、佐々木さん? ええと、いったい何に・・・?」
 着物に焚きつけたのだろうか、ほんのり漂う香の匂いにどぎまぎしながら士郎はおそるおそる尋ねてみる。佐々木はそれにええと頷き。
「わたくしの―――」
 きゅっと帯を緩めて胸元を開けて見せた。
「!?」
 そこに覗く真っ白な曲線とその頂点の慎ましやかなそれに士郎は言葉も無くのけぞった。パクパクと口を開閉して驚愕する姿に佐々木はクスクスと笑ってみせる。
「さ、ぬるくなってしまっては味が落ちてしまいます。白玉・・・お食べになってくださいな」
「・・・そ、その」
「心ゆくまで・・・味わってくださいましね?」


 頭をぐらぐらにしながら完食した士郎は、薦められた『おかわり』に散々躊躇したらしい。
 そして、士郎は後に語っている。
 白玉は素晴らしい。
 とても、素晴らしいと―――

 

12-04 ランサー

「・・・白玉」
 士郎は廊下をさ迷いながら呟いた。脳内に鮮烈なイメージとして焼きついた白さと柔らかさをぶんぶん頭を振って忘れ、ふぅと息をつく。
「いかん、いかんぞ衛宮士郎。欲に溺れては色々まずい」
 既にハーレム屋敷のおにいちゃんだと近所の子供から叫ばれる身とはいえ、越えてはならない壁がある。皆に手を出して回ってしまえばもはや引き返せないのだ。嫉妬マスクや嫉妬シスターに八つ裂きにされる未来は避けたい。
「煩悩退散煩悩退散・・・」
 適当に九字を切りながら士郎は縁側に向かった。そのままサンダルをつっかけて中庭を横断する。
 歩く事しばし、辿り着いたのは毎度おなじみ衛宮道場。溜まった煩悩を発散させるなら、やはり身体を動かすのが一番だ。ここはひとつ、セイバーに緩んだ神経を叩きなおしてもらおう。
「セイバー、鍛錬しにきたんだけど居るかー?」
 カラカラと襖を開けて中を覗き込む。静謐な空気の中に、しかし美しい金の色は無い。
「・・・珍しいな、この時間にセイバーが居ないとは」
 あてが外れた士郎は少し迷ったがそのまま道場に入った。考えてみれば昔は一人で鍛錬してたのだ。筋トレ中心だった頃を思い出して少し汗を流してみるのもいいだろう。
「よし、じゃあここはひとつ―――」
「スクワットで勝負だ少年」
 そして、景気付けに張り上げた声に答える声が、背後に一つ。
「あれ? ランサーさん?」
 振り向けば、冬だというのに青いTシャツにホットパンツという異様に軽装なランサーが立っていた。士郎の肩をぽんっと叩いて道場の中へ入り、腕組みなどして笑ってみせる。
「なんか知らねぇが体鍛えようとしてたんだろ? 勝負しながらの方が楽しいぜ?」
「いや、英霊と身体能力で勝負しても・・・というか、寒くないんですか?」
「英霊は風邪ひかねぇんだよ」
 極めて説得力のある言葉に士郎は深く頷き、まぁいいかと色々なことをぶん投げて忘れた。
「じゃあ、スクワット勝負ですね? 呼吸を合わせて腰を落としたり引いたりするんですね?」
「ああ。先にへばった方が負け。力の限り上下動するだけだ。ピストン勝負とも言うな」
 どことなく比喩表現っぽい事を口走りながら二人して向き合い、頭の後ろに両手を回す。
「準備はいいか、少年。合図はそっちでしてくれ」
「了解・・・じゃあ3・2・1・スタート!」
 そして、士郎の掛け声と共に二人は素早くしゃがみこんだ。しゅばっと立ち上がり、またしゃがみこむ。繰り返されるのはただひたすらな上下動。わたしは誰で何かしら。わからなくなるまでアン・ドゥ・トロワとばかりに延々続くスクワット。
「くっ・・・はっ・・・とっ・・・」
「どうした少年。息が乱れてきたぞ?」
 7分を過ぎた辺りでランサーはニヤリと笑ってそんなことを言ってきた。
「そりゃ・・・疲れて・・・きますし・・・」
 下へ、上へ、汗を流し、息を吸い、息を吐き、筋肉に走る痛みを押さえつける。
「そういえば少年」
「なん・・・で・・・す・・・かっ!」
 涼しい顔で喋り続けるランサーに対し、士郎はかなり追い詰められていた。その声は呼気にまぎれて聞こえづらい。
「罰ゲーム、決めてなかったよな?」
「バドゥ!?」
 舌が回らなかった。えっほえっほとスクワットを続けながらランサーはうむと頷いた。
「相手はオレだぜ? そりゃあ有るだろ。罰ゲーム」
「あ、あるだろって・・・!」
 汗が目に入った。手で乱暴に擦りながら下へ、上へ。
「よし、じゃあアレだ。先にへばった奴はへばらなかった奴の―――」
「なんでも命令を聞くとか駄目ですよ・・・!」
 残された僅かな体力から振り絞った士郎の長台詞にランサーはニヤリと笑って肯定を示した。
「大丈夫大丈夫。ちゃんと実現可能でかつたいしたことねぇことにするから」
「・・・なん・・・です?」
 これならあと3分ほどは持つかと少年の体力を冷静に見切り、ランサーは口を閉ざした。そして、これまでよりも更に早く、激しく、上半身を振り回すようにしてスクワットを続ける。
「・・・ラン、サー・・・さん?」
 普段饒舌であればあるほど黙り込まれると怖い。士郎は疲労でかすむ目で、急に静かになったランサーを見つめ。
「ぶっ・・・!?」
 そこに、それを見た。
 何を待っているのか、無言でスクワットを続けるランサー。その上へ下へと移動する肉体と・・・激しく揺れる二つの球体。自在に形を変え、ゆっさりゆっさり存在を強調する―――
「シラタマッ!」
「は?」
 思わず絶叫した言葉にランサーが不審げに眉をひそめた。士郎は慌てて目を逸らし、奥歯を噛み締めて声を消す。
 いかん。これはいかん。顔をそらすだけの体力が無いからぎりぎり視線を逸らすくらいしか出来ないのがヤバイ。幸運度の判定にでも成功しなければ直撃は避けられないボリュームは流石だぜランサー。そして士郎の幸運度はE+++++、突発的にAランク並みの幸運を得ることもあるが基本的には命に関わる不運っぷりなのだッ!
(つまりその、しゃがんだときに襟元から中身が見えてるのも不運のせいということでひとつ!)
 集中せよ集中せよと自分に言い聞かすが士郎の動きは目に見えて悪くなっていく。なにしろ今やってるのはスクワットだ。槍が、槍の納まりどころが悪すぎる。
「―――少年?」
「っ!」
 息も絶え絶えといった様子に、ランサーは機は熟したと口を開いた。ニヤリ、と笑みを形作って条件提示を再開する。
「さっきの話の続きだけどな。負けた方は勝った方の・・・」
「勝った・・・方の・・・」
 既に士郎の意識は白い。頭にあるのはゆっさゆっさという擬音ゆっさゆっさゆさびよーん。
「勝った方の、胸を力いっぱい揉みしだけ」
「なんでさぁぁっ!」
 そして、絶叫と共に士郎は崩れ落ちた。つっこみの為に右腕をピンと伸ばしたポーズで床に落ち、ピクピクと痙攣する。
「・・・そのものは変態ではなく、肉欲獣でもなく、ただオトコノコであった・・・か。墓碑銘に刻むには悪くないな」

             カレイター
「そんな・・・どっかの珈竰学芸員みたいな・・・」

 ぜひ、ぜひ、とのた打ち回り士郎はなんとかそれだけつっこんだ。体中の筋肉がもう動けねえと悲鳴をあげる。血が足りないのか頭が回らない。多分何処かに集中してるのだ。
「とにかくオレの勝ちだな。いやあ、自由に勝っていいってのは気持ちがいいぜ」
「そ、それは・・・よかった、です、ね・・・」
 サーヴァントと人間では勝負にならないとはわかっていてもやはり負けたくはない。父からの教えにも女性は守るべき、というか守らないと後が怖いよ? というものがあり、そういう観点から見ても悔しさはあった。
「次は・・・もっと鍛えて、もうちょっと喰らいついてみせますよ」
 だから、数分して立ち上がってから士郎はそんな事を言っていずれの再戦を申し出た。朝晩の腕立て腹筋ブリッジその他は欠かしていないが最近は実践稽古の方に気を取られすぎていたかもしれない。基本は大事だ。
「おう、楽しみにしてるぜ。っていうか回復早いなおまえ」
「体質なんです。じゃあ、汗かいたんでこれで失礼します」
 感心顔のランサーにそう言って士郎は踵を返した。道場の戸へ向かって早足で歩き。
「おっと、てがすべったー」
 棒読みの声と共に耳のすぐ傍を何かが通過する。ビンッ・・・と音を立てて道場の壁に突き刺さったのは、刺さると体中の血管に針が流れてズタズタだとか物騒な伝説がいくつもついてくるあの槍である。
「・・・あ、あはは、駄目じゃないですかランサーさん。うっかりは遠坂とアーチャークラスの専売特許ですよ?」
「そうだよなー。だからうっかり賭けのこと忘れてたとかセイバーのマスターは言いださねぇよな?」
 そうきたかと士郎は半ば諦めの心境で足を止めてランサーに向き直る。残り半分は何かを考えているかは秘密だ。
「そもそも後出しの罰ゲームなんてずるいじゃないですか・・・」
「そうだな。だが、これは真面目な話・・・おまえは戦う前に相手の手を読み損ねた。そして、それを挽回する手を打ち損ねて今も逃げる手段がない。負けてからごねても誰も聞きはしねぇさ。最低限、決着がつかないようにしねぇと意思は通せない」
 槍を壁から引き抜いて担ぎ、ランサーは士郎に目をやる。
「ゲッシュ破りで身動きとれなくなって死んだオレが言っても説得力ねぇが、やばそうな事に気付いたらすぐに仕切り直しを意識しろ。相手の隙と自分のスキルを意識しろ。それさえ出来れば、どんな窮地からでも少し位は反抗出来るもんだぜ? オレもゲッシュで槍を渡さなきゃなんなかったんで、9人分の頭蓋をぶち抜いて投げ渡してやったしな」
 幾多の戦場を駆けた英雄の言葉に士郎は神妙に頷いた。確かに、色々と混乱さえしてなければ負ける前に反論は出来た筈だ。全ての策にはまってしまった身で、何の反論ができようか。
「そうですね・・・俺は―――」
「だから、黙って揉め。ほれ、ぐっと」
 そして士郎は天井を仰いだ。ああ、シリアスタイム終了かあ。短かったなこん畜生。っていうか、逃げるタイミング完全に逸したし。
「そういうこった。今回はもう諦めろ少年」
 ニヤニヤ笑うランサーに、士郎は深くため息をついた。
「・・・ちなみに、なんかの弾みで俺が勝ったらどうするつもりだったんですか?」
「? 揉むぞ。心ゆくまでその胸を」
「楽しいですか? それ」
「やったことねぇからわからねぇなぁ・・・ちなみに、おまえらがモラル的にまずいって思ってることの大半は近代になってから出来たルールだぜ? 聖書にも人類初の近親相姦ネタが書いてあるらしいしな。しかも娘が親父を酔い潰して犯っちまうんだとよ。言峰が嬉しそうに解説してた。バゼットに」
 その後右ストレート炸裂だったけどなと言いながらランサーは士郎の手を取った。
「ほれ。どうせおまえにゃ損は無いんだ。オレが心ゆくまで揉んでくれ」
「ぅう・・・何故にこんな事に・・・」
 こんな所をセイバーあたりに見られた日には間違いなく人生からEXITだ。残念な事にRESTARTは無い。だが、目の前のランサーがこの上なく本気なのもまた事実。
「って言うか、なんでそんなに揉まれたいんですか?」
 困り顔で問うとランサーはああと頷き苦笑した。
「揉んだ事はいくらでもあるっつうか、オレの時代は略奪上等だったからなぁ・・・女の身体を弄った経験は多いんだが弄られたことはねぇからさ。せっかく気持ちよくなれるように出来てるんだから試したいじゃねぇか」
「・・・ソロプレイじゃ駄目なんでしょうか」
「下のほうはいけるが、胸はなんか違うんだよな。自分でやると。どうやりゃいいかはよく知ってるんだが」
 生々しい発言に士郎は唾を飲み込み、手をグーパーさせる。行くか? 土下座か? 逃げ・・・たら多分後ろから槍だ。ちょっと刺されたくらいじゃ死なないのは知れ渡ってるし。
「いや、その、むう・・・」
「そんなに悩むような事か? これ」
うぐぅと悩み続ける士郎にランサーは眉をひそめて尋ねてみる。
「あれか? やっぱり貧乳じゃないと勃たないのか?」
「勃ちますよ失礼な! そうじゃなくてこういうのを賭け事とかでするのはなんか違うと思うんですよ。やっぱりやめませんか? 他の事ならなんでもしますから・・・」
 困り顔を眺めて『なんでも、ねぇ・・・』と頭の中でだけ色々やらせて楽しみ、ランサーはひょいっと肩をすくめた。
「しょうがねぇな・・・じゃあ違うとこ揉んでくれ」
「!? い、いや、それは・・・!」
 瞬間、ばばっと手を振り回した士郎にニヤリと笑みを浮かべる。
「・・・何故視線が下に行ってるんだ少年。オレは肩を、と言ってるつもりなんだが」
「・・・勿論わかってますよ?」
 爽やかな笑顔を装う少年の無念に笑みを深くしながらランサーはペタペタと道場の中を横切り、入り口の辺りで外を向いて腰を下ろした。青空を見上げながら自分の肩を平手で叩いてみせる。
「それなら、一つ頼むぜ少年。ぐいぐいとな」
「はいはい・・・本当は桜の方が上手なんですけどね。こういうの」
 文句を言いながらもそこはご奉仕大好き人間。女に生まれていればメイドさんが天職な彼にとってはマッサージなど基本中の基本だ。さりげなく魔術回路を開き、解析など交えて的確に凝りを揉み解していく。
「ん・・・そこ・・・そう、そこがオレの気持ちいいところだ。はは、遠慮してるのか? いいからもっと強く・・・あ・・・そう、そうだ。・・・すまないな、オレばかり気持ちよくなっちまってさ。どれ、こんどはこっちから締めてやろうか」
「いや、なんですかそれ。っていうか締めてって・・・あ、(筋肉を引き)締めてですか・・・」
 サービスのつもりかわざとらしく喘ぐ槍の人にため息をつき、士郎はマッサージを続ける。触っているとよくわかるが、流石はランサー、素晴らしい肉体をしている。無駄な肉が一片たりともなく、体中どこもかしこも戦う為に鍛え上げられたそれは、まさしく武器と言える仕上がりだ。
(いや、でもあれだな。胸は邪魔だよなきっと。戦う為なら。ぶるんぶるんしたらバランスとか崩れそうだし擦れて痛そうだし・・・)
「だから身体にフィットするアンダーウェアーで締め付けとくんだよ。ライダーの服とか思い出してみな」
「成程・・・っていうか心読まないでくださいよ!」
 読んだのは視線だけどなーと楽しげにのたまうランサーに士郎はため息をついてみせたが、内心では感心していた。

 ―――そっか。ライダーのボディコン服とかにも意味はあったんだ。

「って、そうなるとセイバーは?」
 彼女の鎧の下は結構普通のドレス風キルティングだ。あれは一体?
「少年・・・いや、エミヤシロウ。おまえは今、とても不用意な事を言った。・・・世の中にはな、二種類の人間がいるんだ。わかるだろ?」
「あ・・・」
 士郎は理解した。そう、セイバーは『そちら側』の人間だ。ライダーや桜とは逆、イリヤや凛と同じ世界の住人。しかも未来に全てを賭けることの出来る凛達と違い、これ以上変化が望めない身体。永遠に、貧しいまま富むことはないのだ。
「セイバー・・・」
「泣くなよ少年。世界中の誰が否定しても、おまえが認めてやればそれでいいじゃないか」
 二人を包む空気が優しさと思いやりで暖かくなる。二人とも馬鹿話してるなあと自覚はしているのだが、これはこれでまた楽しい。
「・・・・・・」
 なんとなく話題が途切れたので士郎は肩揉みに専念する。今日は、なんだか屋敷が静かだ。雀の鳴き声を遠く聞こえる。
「・・・なぁ、少年」
 ランサーは口の端に笑みを浮かべて背後の士郎に呼びかけた。なんです? と聞き返すのに合わせ、道場の戸の外に隠しておいたチョコの箱をぽんっと背中越しに投げ渡す。
「っわ!? と、と・・・」
 唐突な投擲をなんとか受け止めた士郎にランサーはにんまり笑って首だけ振り返った。
「おねーさんから愛を込めてだ。心して食えよ」
「あ、ありがとうございます。色々な意味でびっくりしました・・・」
 手の中のチョコが受け止めたときの衝撃で割れていないことを手ごたえで確認し、士郎はふと眉をひそめる。
「あの、こんな事聞くのもなんですけど・・・妙な仕掛けとか、してませんよね?」
「ん? とりあえずチョコはアーチャー指導で作ったまっとうな奴だな。特に美味くもないと思うが不味くもないだろうよ」
 ひらひらと掌を動かしながらランサーは肩をすくめる。
「だが、実は味とかは二の次でな。表面にルーンを刻んどいた」
「・・・ルーン?」
 朝からの経験が警鐘を鳴らす。こうやって心眼(真)は作られるのねーとか考えながら士郎は眼下であぐらをかいているランサーに尋ねてみた。
「それは・・・どのくらいですか? それと、効果は?」
「針でな、表面にびっしりと。まぁ眼には見えねぇと思うぞ。全部一緒くたになって柄に見える程度で。効果は・・・」
 意味ありげに区切られ、ごくりと唾を飲む。

              ラッキーチャーム
「警戒するな。ただの幸運のお守りだよ。オレが占うところ、オマエには女難の相が出てるからな。解消するには素直になること、素直にさせること、ラッキーカラーは赤だな」

「・・・そですか」
 明らかに特定の誰かを示唆する発言に士郎はジト目になって呟いた。まぁ、女難の相と言われるなら今日は朝から延々とそんな感じだが。
「一応、真面目に言ってるんだがなぁ・・・っていうか、少年。一つ聞きたいんだが、オマエはアサシンに言ってた正義の味方って奴に今もなろうとしてるのか? 目に付いた奴ら全員を守りたいって」
 馬鹿話の延長線上のような声だが、内容は士郎にとって茶化せるようなものではない。
「ああ。そのつもりですよ。俺に出来る事は限られてるかもしれないけど、助けられるかもしれない人が居るなら・・・俺はもう、誰も見捨てない。絶対に」
「そうか。なら、未来はどうだ?」
 そしてランサーはひょいっと振り向き士郎を見上げる。その顔は、予想外に真面目なものだ。
「未来・・・ですか?」
「ああ。俺達サーヴァントの中には不老な奴も居たりするが、少年はそうじゃねぇだろ。魔術で延命しても人間の身体ベースじゃ限界があるし、おまえが年食って死んだ後・・・そうでなくても老いて動けなくなった後に現れた助けを求める奴らを、どうするんだおまえは」
 それは、今までに考えた事のない問いである。目の前の誰かすらろくに救えなかった自分には広すぎる視野だ。そして。
「それは・・・」
 答えられない。人は幸せになれなければいけないとは思う。その手助けを出来ればとも。だが、自分はあくまでも正義の味方という生き方を選んだ『人間』だ。その枠を超えることは出来ない。
「・・・・・・」
 黙り込んでしまった士郎にランサーはニマッと笑った。悪戯っぽいその表情に、悩みの淵に浸かっていた少年の脳に警戒のランプがピコンと灯る。
「思いつかないなら、なあ少年。おねーさんの子供を産んでみないか?」
「ぅえ!? い、いや、さすがに無理なんじゃないですか? それは・・・」
 そして、士郎は予想を裏切った上に斜め上に跳弾したその言葉に思わずチョコレートを取り落とした。地に落ちるより早くその青い箱はランサーの手につかまれ、続いてしなやかな肉体が音もなく立ち上がる。
「おぅ、間違えた間違えた。おねーさんに子供産ませてみないか、だった。っていうか・・・ムード出ねぇなぁ、オレ」
「・・・そもそも台詞が既にムード無いですけどね」
 カカカと笑う女丈夫に士郎はじり、じりと後ずさりランサーはずい、ずいとにじり寄り。
「ははは、いっちょまえにつっこみやがって・・・よっと」
「ら、ランサーさん!?」
 そのままランサーは力いっぱい士郎の身体を抱きしめた。暖かくて柔らかいitに包まれた士郎は慌てて顔をそらし、窒息を避けながらなにするだーと叫びを上げるが。
「前から気になってたんだけどよ、そんな他人行儀に呼ぶなよ」
「え・・・?」
 しかし、返事はまたしても予想外の方向からの打撃で。
「もっと親しみを込めて呼べって・・・リンちゃんと」
「・・・断固として拒否します。物凄くまぎらわしいですし。それ」
 そして士郎は真顔できっぱりと否定の言葉を放った。
「くーちゃんは?」
「一時的に物凄い人気になりますけど早死にしますよ? ご利用は計画的にどうぞ」
「もう一捻りしてフリンちゃんでどだ」
「不倫ちゃん・・・」
「変な発音にすんな。っていうか、どうやっても呼び方変えない気かおまえは」
 不満げな顔に、士郎はじたばたと身を捩って抱きしめから脱して苦笑した。
「というよりも、ランサーさんっていう呼び方が自分の中で定着しちゃいましたからね」
「そういえば嬢ちゃんのこともいつまでもトーサカトーサカ言ってるなぁ・・・だが、そんなもんで引き下がるオレと思うなよ? せめてランサーと呼び捨てにしろよ。ついでに敬語もなしでな」
 ヤレヤレといった表情でチョコを振り回すランサーにむむむと唸り、口の中で何度か練習してみる。
「じゃあ・・・ランサー・・・これからはタメ口でしゃべればいいんだな?」
「おうよ、やっぱその方がしっくりくるな。もっと前から言っとけばよかったんだがおねーさんプレイも中々に楽しくてな」
 なんじゃそりゃとのけぞる士郎は、あまりにも隙だらけだ。故に―――
「というわけで、少し親しみがあがったおねーさんと子作りに励もうじゃねぇか。なぁに、孕まされるのは初めてだが孕ませるのは初めてじゃねぇ。ま、どっちでもたいした変わりはねぇだろ」
「いや、全然違うって!」
 ナチュラルにランサーはアタックを再開した。抱きしめられた士郎は何とか拘束を振りほどこうとするがうまくいなされ果たせない。ぐるりと位置が入れ替わって外が見えなくなったことすら何か敗北感たっぷりだ。もっと、もっと光を・・・!
「っていうか正気かランサー!」
「正気も正気。本気って書いて・・・ゲキマブ」
「全然あってないぞそれ!? 本気なら"マジ"だろ!? 勇気が魔法!」
「ジャンプ世代なのか特撮世代なのかわからん発言だなぁそれ」
 はっはっはと明るく笑ってランサーは士郎のジャージの中へ無造作に手を突っ込んだ。そのままぎゅっと握り締める。
「はぅ・・・!?」
 士郎に伝わる白くてしなやかな指の感触。ひんやりとしたそれを全体に感じた士郎は裏返った声で叫んで縮こまった。こうなってしまえばもはや身動きは取れない。男を拘束するのに仰々しい技は必要なく掌に収まるこの領域さえ掌握してしまえばいい。3センチめり込めば男は死ぬのだ。
「釣りの醍醐味は餌に喰いついた獲物をいかに逃がさず釣り上げるかにある。ま、そういうわけなんでな。諦めろ」
 ニヤリと笑うランサーに士郎は起死回生の手を探るがこれまでに無い直接的な貞操の危機は経験に無い。色仕掛けと言うよりむしろ力任せな攻めに諦めの二文字が脳裏をよぎり―――
 
「喰われるのはおまえの勝手だが、その前に右に避けろ」

 唐突に響いた声に士郎は反射神経だけで身を捩った。無理矢理そらした頭をキュ・・・と鋭い風切音をあげて何かが通過し。

 ぺこん。

「こ、これ・・・!」
 狙い過たずランサーの眉間を撃ちぬいた―――もとい、貼り付いた物は。
「ラバーカップ!?(トイレ掃除のすっぽんとやる奴)」
「にぎゃあああああああっ!?」
 黒いゴム製の吸盤に長い柄のついたそれであった。張り付いてぶらぶらしているだけでもインパクト十分な代物だ。飛び道具からの加護という能力を持つが故にその射線を見切り、飛来するのを確認までしたランサーの衝撃たるや、いかほどのものか。
「ふむ。絶対に当たらないというわけでもないのだな」
 呆然と立ちすくむ背に、感心したような声が一つかけられた。振り返れば目に映る鮮烈な赤。流石の豪快さんも悶絶するその射撃を放ったのは、誰あろう赤の英霊アーチャーさんその人であった。投影弓を片手に何か満ち足りた表情でやって来る姿に士郎は冷や汗を流して詰め寄る。
「さ、さすがにこれは人として英霊としてどうだろうアーチャー!?」
「なに、さっきホームセンターで買ってきた新品だ。問題ない」
 ほれとレシートを見せてくるおつかい英霊に士郎はそういう問題だろうかと呆れたが、すぐにそれどころでないことを思い出して振り返った。
「ランサー! だいじょう・・・ぶ・・・か?」
「アルギズ、ナウシズ、アンサズ、イングズ・・・」
 そして、振り返ったそこには足の爪でカリカリと地面にルーンを刻む姉御が一人ッ!
「ほう、アトゴウラか。大人気ないなランサー。安心しろ。既におまえは色物だ。これいじょう汚れたりはせんよ」
「ッ! うるせぇ! 殺す! マジ殺す!」
 笑顔で肩をすくめるアーチャーに分類すれば『我慢できない人』に入るランサーは即ブチ切れた。キクェーッ! と怪鳥じみた叫びと共に大地を蹴って飛び掛る。
「さすがに槍を持ち出さないだけの分別は残っているか・・・よし、逃げるぞ」
「え? 俺も!?」
 叫びに答えたのは力強い腕。士郎の身体を引っつかみ、横抱きに抱え込んでアーチャーは大地を蹴る。道場の屋根の上まで一跳びで移動した二人が一瞬前まで居た場所が、ランサーの拳で小さなクレーターに変貌した。
「ちょ、今かすった! 頬とか切れた!」
「おまえならばパーツが足りなくならん限りは再生するだろうが。気にするな」
 士郎の抗議の声を無視してアーチャーが地上を窺うと。
「ゥエェエエエエエミィイイイイイヤァアアアアアアアッ!」
 そこには、怒りの咆哮をあげる獣が一人。既に鎧とボディースーツを着込んでる辺り本気と書いてゲキマブもといマジですか?
「っていうか何故に俺が怒りの対象に!?」
「・・・まぁ、そういうこともあるだろう」
 適当に言い捨ててアーチャーは屋根を蹴った。本棟の屋根目指して宙を舞う二人にランサーの眼がギラリと光る。
「逃がすかぁアアアアあっ!」
 そして庭に落ちていた石を拾って全力で投げつける。音速超過の衝撃音を轟かしながら飛来する石は標的たる二人を射抜く前に自壊したが、そんな失敗でランサーは諦めない。目に付いた硬そうなものを多少手加減してやたらめったら投擲開始。
「ぬわっ! あ、アーチャーやばいぞ! なんかいっぱい飛んで来た!」
 士郎の悲鳴にアーチャーはちらりと背後を眺めて本棟の屋根を蹴り再度跳躍。たちまち屋根へと突き立つドラム缶に信楽焼のたぬき、石灯籠に池の囲い石に自転車3号に通りかかったあんりといった多彩な投擲物達。たちまち砕ける屋根瓦とその下の板に士郎は悲痛な声を上げた。
「修理したばかりの屋根がまた大破してるーッ! っていうかあんりちゃん!?」
「気にするな。アレは打撃ダメージは無効化されているようだからな」
 今にも助けに飛び出しそうな士郎を抱えなおしてアーチャーは塀を蹴って外へと逃げる。
「アーチャー! なんかだんだん狙いが正確になってきてるぞ! そろそろ直撃が・・・来た!」
「!」
 宙で首だけ振り返れば、異様な安定性を見せて飛来する十本もの洗濯竿。その形状故に即席の投げ槍として宙を割るそれは狙い過たずアーチャーを串刺しにせんと迫り。
「ちっ・・・流石にただでは逃がしてくれんか」
 愚痴とも賞賛とも取れる言葉と共にアーチャーは士郎を抱いていない側の手を後方に向けた。
「何をする気・・・」
「黙っていろ」
 そして士郎に短く言い置き、そのまま魔術回路を起動する。撃鉄を上げるイメージと共に循環した魔力を汲み上げ、心象の丘から楯を引っ張り出して展開する。

        ロウ・アイアス
「―――熾天覆う七つの円環」

 告げたその名は鮮やかなる花の護り。展開された七枚の羽は突っ込んできた洗濯竿を一瞬で粉砕し、次いで飛んで来たスコップやバケツも粉々に砕け散る。他所様の家へばらばらと落ちていく残骸の行方と被害総額を考えて士郎を憂鬱にしながらもアーチャーは次々に屋根を蹴り、数分して衛宮邸が見えなくなるまで逃げ延びた。
「ふむ。逃げ切ったか」
 呟きながら近所の児童公園へ着地し、周囲に人目が無いのを確認してから士郎を降ろす。
「・・・なんとか、ね」
 なんてこったと頭を抱えていたシロウだったが、今悩んでも取り返しがつくものではないかと気を取り直してアーチャーに向き直った。現実逃避とも言う。
「しかし凄いなさっきの・・・最後の方に飛んで来たやつ、ランサーがルーン刻んでたから相当堅いはずなのに」
「アイアスか。あれは飛び道具に関しては完全防御だからな。そのおかげで私は近代兵器に対して絶対的なアドバンテージを持っていたのだ。まあ、一度ナパームを撃ち込まれた時は余熱で普通に死にかけたがな」
 飄々と語るその言葉に士郎はううむと唸り声をあげた。
「ナパームって・・・アーチャーの人生に物凄く興味がわいてきたよ」
「興味を持つな。おまえには、既に必要の無いことだ」
 だが、アーチャーはそう言って軽く方をすくめるだけだった。追及を拒む空気に士郎は疑問を脳内の棚に放り上げ、ぺこりと頭を下げる。
「そういえば、まだ礼を言ってなかったな。ありがとうアーチャー。正直助かった」
「・・・ああ」
 素直な謝辞にアーチャーは曖昧な表情で頷き、あごで道路の方を指した。
「礼はいらないが、少し付き合え」
「ん? あ、ああ」
 そして、二人は連れ立って歩き出す。

 ちなみに、ランサーのチョコレートはその後改めて士郎に手渡された。
 本人監視のもと食したそれは中々に美味く、素直に絶賛した言葉はランサーを大いに照れさせたという。

 

13-05 アーチャー

「・・・そういえば、さっきのアレはどのような状況だったのだ?」
 歩く事しばし、唐突にアーチャーが口にした言葉に士郎はむぅと唸った。
 前後を見渡し、住宅街へと向かうこの坂に今は人影が無いのを確認してから慎重に口を開く。
「説明し辛いんだけど・・・ランサーとの勝負に負けて、罰ゲームと称して肩を揉まされてたんだ。そしたら唐突に『本気で正義の味方になるのか』とか『おまえじゃ未来の人々は守れないだろう』とか言われて―――」
「・・・ふむ」
 思うところがあるのか神妙な表情で頷くアーチャーを眺め、士郎は少し引っ張ってから続きを口にした。
「―――だから子作りしないかって誘われた」
「何故そうなる」
 ぺちんと歩きながらつっこまれて士郎は苦笑混じりにパタパタ手を振る。
「いや、そこが俺にもさっぱり。そもそもランサーさん・・・じゃなかった、ランサーの場合目的があるのかないのかよくわからないしな。根本的には快楽主義者みたいだし」
「その通りだが、奴の場合『すること』そのものが目的ならば前置き無しで押し倒してくる。そうでなかった以上、アレな奴だがアレなりにアレな意味はあるのだろうが・・・ふむ」
 歩きながら考え込むアーチャーに士郎は目をしばたかせた。
「えっと、アーチャー」
 うむむとうなって問いを投げてみる。
「なんか断定口調だけど・・・押し倒されたことがあるのか?」
「!?」
 アーチャーは一瞬ぎょっとしたが、すぐに表情をとりつくろって肩をすくめた。
「・・・くだらない話しはともかく、ランサーの意図だが」
「押し倒されたのか」
「押し倒されるか! きっちり爆破して追い返した! 昨晩もな!」
 ほうほう、昨晩『も』ね・・・と士郎は頷き、後でランサーに詳しい事を聞いてみようと決めながら話題を元に戻す。
「で、ランサーが何を言いたかったかわかるのか?」
「貴様という奴は・・・まあ、いい。おまえが先程あげた会話の流れを聞いた限りではというレベルだが、推測はつく」
 アーチャーは言葉を区切り空を見上げた。思い出すのは遥かな過去のこと。
 あの、二人で月を見上げた夜のこと。
「人間は永遠に生き続けることは出来ない。ならば、その一生では達成できぬ規模の望みを得てしまった者はどうなる?」
「む。そりゃあ・・・」
 1日に30時間のトレーニングなどというネタしか思い浮かばず言葉に詰まった士郎に未熟者めと笑い、アーチャーは後を続ける。
「一つに、魔術で己を変質させて寿命そのものを伸ばす。目的は様々と聞くが魔術師あがりの死徒というのは大概がそのような存在であるようだ。中には現象と化して完全に寿命から解放された者も居るという噂も聞いた事があるが、詳細はわからん」
 カツカツと坂を歩きながら話は続く。
 今になって気付いたが、アーチャーの履いているのはいつもの靴ではなく中庭用のサンダルだ。彼女は彼女なりに慌てて飛び出してきたのだろうか。
「二つに、根源に頼る。まあ、それ自体が人の一生で辿り着けるようなものではないし成功するものなど皆無なので本末転倒ではあるが、何らかの偶然や他人が構築したプロセスの奪取で根源への道を開けばどんな望みであろうと理論的には叶う―――それが、叶わぬ方が良い望みであったとしてもな」
 はき捨てるように呟き、アーチャーはため息をついた。
 根源と世界という違いこそあれアーチャー・・・英霊エミヤもこの手段を使用した存在だ。その結果を思えば、渇いた笑いも浮かぶというものである。
「そして最後、三つ目が誰にでも可能であり確実と言えば最も確実な手段・・・つまり、おまえだ」
「俺? なにがさ」
 きょとんとした顔で見返してくるその表情に頷き、アーチャーは告げる。
「『爺さんの願いは、俺が、ちゃんと形にしてやるから』」
「・・・え?」
 唐突に告げられた言葉に士郎はぎょっとして立ち止まった。
 歩みを止めないアーチャーの背を見送り、しばし呆然と立ちすくむ。
「何をしている。ついて来い」
「・・・あ、ああ」
 素っ気無く言われて士郎はまた歩き出した。先行する背中に追いつくべく足を早めて考える。
(どっかでその台詞口にしたっけな・・・セイバー辺りに言ったことあったっけ? 佐々木さんに話したときか?)
 記憶は定かではない。不審に思いながらも今はアーチャーの言葉が重要かと耳を傾ける。
「単純な話だ。自分に無理ならば誰かに引き継げばいい。人の一生で叶わぬ願いも次の誰かがまた一生を費やせば叶うかもしれん。そいつも駄目ならば、また次だ」
 それは、衛宮切嗣から衛宮士郎がその生き方を引き継いだように。
「そして、この手段を使う場合最も効率が良く、多用されるのが自分の子に願いを引き継がせるという手だ。いくら否定したところで血の繋がりは無くせんし、生誕の瞬間からその為にと育てられれば、道を外れるという発想すらなくなることも珍しくない。・・・こうなると、願いも呪いも大差ないがな」
 坂の上へと視線を向けてアーチャーは肩をすくめた。
「身近な例で言えば凛などはその典型的なケースと言えるだろう。本人の嗜好としては別段聖杯戦争にも根源にも興味は無いようだが遠坂の家が魔術師の家系であるというだけで、彼女は父祖からの願いを引き継いで根源を目指し続ける。生涯をかけてだ」
 言葉を区切る。あの少女はその重さや辛さを理解してなお笑い飛ばせる人種だが、そうでない者も多い。
 継いだ理想の重さに耐えかねてその力を私欲を満たす為に使い始める者も居れば、逆に押しつぶされず真摯に継いだものを達成したはいいが継いだもの自体が世界にとって有害である場合もあったりする。
 堕ちた理想は、元から理想を持たぬよりも遥かに性質が悪い。それをエミヤは知っている。
 何しろ、数え切れぬほど殺した相手なのだから。
「・・・長くなったが、そういうことだ。おまえが父から『正義の味方』とやらを目指すという夢を受け継いだように、おまえが死んだ後にその呪いを受ける跡継ぎを作れと・・・あの馬鹿槍が言おうとしたのはそんなところだろう」
 追憶を振り切るように締めくくると、士郎はやや呆然とした顔で考え込んでしまった。
「呪い、か」
「呪い、だ。おまえのように自らそれを望むとは限らんのだからな。・・・故に、おまえはそれを熟考する義務があるのだが・・・」
 ぽつりと呟かれた声に頷きアーチャーはニヤリと笑みを浮かべる。
「まあ、おまえの場合は子を為すことより作る手段そのものの方に興味があるのだろうがな」
「ぶっ・・・!?」
 シリアスに考え込んでいた脳へ爆弾を叩き込まれた士郎は、思わず唾を噴き出した。
「そ、そんなことはな―――無いとはいいきれないけど、その・・・なんだ! なんでさ!」
 混乱して詰め寄ってくる過去の自分にニヤニヤと笑みを向けてアーチャーはぼそりと囁く。
「ふん、知っているぞ。貴様が去年の夏、後藤と有志数名に担ぎ込まれた新都の店での出来事を・・・」

 瞬間。

「え―――?」
 士郎の動きが不自然な程唐突に止まった。瞳孔が拡散し、全身が小刻みに震える。
「あ・・・あー、ちゃー? いえ、あーちゃーさま? なにを・・・」
 ギコガコと音を立ててこちらに向き直る姿を見据え、アーチャーは輝くような笑顔でぽんっとその肩に手を置き。
「そう、確か・・・『ももかちゃん』だったな?」
「くけええええええええええええええええええええええええええっ!」
 そっと囁かれた瞬間、士郎は金属を擦るような絶叫を放って走り出した。そのまま電信柱にぶつかって転び、地面をごろごろ転がって坂を登っていく。

 どこまでも、どこまでも。

「な! しまった、この頃はまだ良い思い出に昇華できてなかったのか!」
 明らかに心の平衡が崩れているその暴走にアーチャーは慌てて士郎に飛びつき、周囲の家屋が何事かとざわめきだすのを耳にしながらその身柄を取り押さえた。
「ち、ちが、お、おれ、ちがう―――」
「ああ、わかっている。あれは野良犬に噛まれたようなものだったのだから気にするな。今はまだ思い出すのも辛いだろうが、そのうち磨耗して笑って流せるようになる」
 蘇ってくる記憶にアーチャー自身も少し欝になりながらも根気強く慰めの言葉を繰り返すと、士郎はだんだんと落ち着いてきたのか奇声を上げるのをやめた。
「ほ、ほんとうに?」
「ああ、私が保証しよう。おまえはまだ成長期が来ていないだけだ」
 おそるおそる搾り出された言葉に深く頷いてみせると、士郎はなんとか引きつった笑顔らしきものを浮かべてくれた。
「・・・ありがとうアーチャー。俺、頑張ってみるよ」
「何を頑張るのか知らんが、おまえは大丈夫だ。後で強化の魔術も教えてやるから次にそういうことを言われたら使ってみるがいい。サイズが変わると世界も変わるぞ」
 うんと子供に戻ったように素直に頷く士郎によくできましたとアーチャーは笑い。
「―――って、私は何を和んでいる!」
 士郎を放り出すように放し、髪をかきむしった。べちりと地面に落ちた士郎は打ち身と心の傷にふらふらしながら立ち上がる。
「それにしても、まさか、あ、アレ、アレを知っているなんて・・・一体どこで知ったんだよ・・・」
 口にするだけでも辛いのか顔をしかめる士郎にアーチャーはふふんと鼻で笑ってみせる。
「ふむ。ヒントだが、私のマスターは誰だとおも―――いや、嘘だ。まずは鎖を投影しようとするのをやめろ。吊ったくらいで死ねる身体でもない」
「―――アーチャー。俺もう疲れたよ・・・なんだかとっても眠いんだ・・・」
 10分で10年分ほども老け込んだ感のある士郎の姿にアーチャーはそこはかとなく気分が良くなるのを感じ、うむとしみじみ頷いた。
「まあ、なんだな。そうやってる姿を眺めていると地味に私の人生も癒される感じだ」
「なにがさ・・・」
 ぐったりとしつつも眼に生気が戻ってきた士郎にこいつMだよなあと自傷気味の感想を抱きながらアーチャーは肩をすくめて歩き出した。
「いらん事で時間を潰してしまった。行くぞ」
「行くのはいいがどこ行くつもりだよ。帰るのかと思えば全然違う方向だし」
 カラコロとサンダルを鳴らして先行する赤いシャツの背を追うと、やがて士郎にも目的地の見当がついてきた。
「・・・遠坂の家、か?」
「そうだ。というよりも、住宅地から坂をのぼり始めたあたりで気付くべきだな」
 首だけ振り向いて馬鹿にしたような笑みを浮かべるアーチャーに士郎はむっとした表情で足を早める。
「桜の家・・・の跡地だってこっちにあるんだから断言は出来ないだろ。俺は、まだ登り始めたばかりだったんだからな。この坂を」
「・・・どうにも未完で終わりそうな言い回しだな、それは」
 追い越し追い越され、意味もなく張り合いながら二人は駆け上がるように坂を進む。
「ふん、どうした? 足がもつれてるようだが」
「き、気のせいだろ・・・ほら、のんびりしてると老いてくぞアーチャー」
「老いるとかいうな・・・!」
 本気で意味の無いレースを繰り広げる事しばし、士郎が疲れきった頃にようやく二人は遠坂邸の前に辿り着いた。
「・・・着いた・・・はぁ・・・ぞ・・・はぁ・・・で・・・どうする・・・んだ・・・はぁ」
「ハァハァするな。気色悪い」
「疲れてるんだよ・・・!」
 息を切らせていてもつっこみはきっちりこなす士郎にふんと笑みを浮かべ、アーチャーは門に手をかけた。
「Abzug Bedienung Mittelstand」
 そして、呪文と共に門を押し開け、慣れた足取りで敷地へ入る。
「あ、おいアーチャー。勝手に入っていいのかよ」
「私は凛のサーヴァントだ。入っていいに決まっているだろう」
 おっかなびっくり後を追う士郎に言い捨て、玄関のドアに手をかけ少し肩を落とす。
「この場合、サーヴァントは『茶坊主』とか『自律型掃除機』とか『完全自動洗濯機』の意味だがな・・・」
「・・・明日っていう字は、明るい日って書くんだぞアーチャー」
 肩をぽんと叩き同情の眼でこちらを見る姿に、パンドラの箱に残っていたのは『未来が見えるという災い』なんだよなあ等と考えつつアーチャーはもう一度開錠を行う。
 オール魔術化住宅であるところの遠坂邸は、しかるべき解呪手段さえ覚えていれば非常に快適な住環境だ。
「まあ、先が見えぬことを希望と呼ぶか無謀と呼ぶかは結果次第だからな」
「?」
 さりげない嫌味に首を傾げる士郎に構わずアーチャーは応接室へ向かう。
「あ、おいアーチャー」
 一人でふらふらしていたらどこからともなく発生した凛に殴られるとでも思っているのか慌てて追いかけてくる姿に哀愁を感じながらアーチャーは淡々と歩みを進めた。
「準備がある。おまえはそこで大人しくしていろ」
 そして、ほどなく辿り着いた応接間のソファーを指差し、自分は調理場へと向かい。
「―――何故ついてくるんだおまえは」
「え? なんか作るんだろ? 手伝うぞ」
 当然のような顔で言ってきた士郎を投影した鎖でさっくりと縛り上げてソファーに投げ込んでおく。
 正直、少しすっとした。


 そして、十数分後。
「・・・で、これはいつ解いてくれるんだろう」
 ティーセットと小箱をトレイに載せて帰ってきたアーチャーは、ソファーの上で芋虫のようになっている士郎の言葉にゆっくりと頷いてみせた。
「うむ、忘れていた」
「・・・・・・」
 ジト目で睨んでくるのを意にも介さずトレイをテーブルに置き、鎖に軽く触れて魔力を通す。構成を弄られた鎖はあっさりと現実に負けてただの魔力に戻った。
「っ、たぁ・・・間接が変な感じに固定されてたからギシギシ言ってるぞ・・・」
「気にするな。どうせすぐ直る」
 関節が痛むのかゴキゴキ鳴らしながら立ち上がる士郎を横目にアーチャーは茶葉をポットに入れて沸騰直前のお湯をさっと投入し、即座に砂時計をひっくり返す。大事なのは蒸らし時間だ。これを間違えると他の作業は全て無駄になる。
「アーチャーって料理とかお茶汲みとか上手いよな・・・」
 スピーディーな動きに士郎が思わず漏らした言葉にアーチャーはティーカップにもお湯を注いで温めながら肩をすくめた。
「英霊というものはバーサーカーの型に押し込められでもしない限りその生涯で身につけた全てのスキルを全盛期の実力で使えるものだ。生前の私は戦いに明け暮れた結果英霊になる頃には家事の技術など衰えきっていてな。最後の朝に昔を懐かしんで焼いた玉子焼きなど、とても食べ物と呼べるような出来ではなかったのだが・・・今は若い頃のままに体が動く」
 そして、苦い笑みを浮かべて砂時計に目を向ける。
 衛宮士郎から、目を逸らす。
「ふん・・・本来ならばおまえの歪さや無知、未熟、罪深さ、不甲斐なさ、鈍感さ、エロさ、フラグの立て捨て等を散々指摘して断罪してやろうと思っていたのだが―――」
「最後の方なんか変なのが混じってないか?」
 そして無粋なつっこみは黙殺。
「だが、もう遅いようだ。今のおまえでは、そして今の私ではそんな気にならん」
 それは、エミヤという存在からの乖離なのだろうか。
 アーチャーは思い、目の前の少年に目をやる。
 見慣れた顔だ。だが、それはかつての己の顔としてだろうか? 
 あるいは、同居人の顔としての?
 それとも、もっと別の―――
「・・・なにか、あったのか?」
「先程も何かとやらがあったばかりだと思うがな」
 こちらの内面が揺らいだのを感知したのか助ける気満々で尋ねてくる士郎に皮肉を返し、息をつく。
「さて、蒸らしが終わるまでの間、これでも見ているがいい」
 話題を変えるべくそっけない言葉と共にぽんっと放られたのは飾り気の無い箱だ。
「これは?」
「開けてみろ。そこに置いてな」
 ニヤリと笑ってテーブルを指差すアーチャーに少し警戒心を抱きながら士郎はその箱を慎重に置く。
  トレースオン
(―――同調開始)
 ついでにこっそり解析開始。構造は単純な四面体、材質はK6の紙。
 内部に固体有り、球状、材質は―――
「って、これチョコか?」
「何を期待していたのか知らんが、そうだ」
 思わず漏らした声に仏頂面でアーチャーが頷く。ひょっとしたら気分を害したのだろうか?
「いや、期待とかじゃなくて・・・すまん」
「すまんとかはいい。箱を開けるんだ」
 表情を作らずアーチャーは口だけを動かす。促された士郎は固定用のハート型テープをはがして蓋を開け、中を覗き込んだ。
「これ・・・ラムボールか?」
 中には以前桜が居間へ放置した雑誌に載っていた球状のチョコが6個、プラスチック製の台座に鎮座していた。
「凝ってるなぁ・・・ってアーチャー。この紐はなんだ?」
「・・・自分で考えてみたらどうだ? おまえは造る側の人間だろう」
 相変わらずの愛想無しでそう返され、士郎はむむ、とチョコに見入る。レシピは大体覚えているしさっき簡単に解析した限りは特別変わったものが入っているわけでもないのもわかっている。
 となると、チョコから飛び出している紐は一体なんだ? 
 飾り・・・にしてはそっけなさすぎる。いや、それも早計か。なにかの仕掛けで切り替わるのかもしれない。ようはこう、ツンデレ?
「むむむ・・・」
 士郎は軽く唸りながら問題の紐部分を調べようと顔を近づけ。
「―――Zundung」
 瞬間、ぼそりと呟かれたアーチャーの呪文と共に6本の導火線全てに火がついた。
「のわっ!?」
 いきなり目の前に灯った火にのけぞった士郎の前で、ラムボールは押せば染み出る程スポンジに染み込んだアルコールを吸って導火線というよりロウソクの芯と化したタコ糸から炎をあげる。
「な、なんだこりゃ・・・」
「・・・・・・」
 とっさに引いた前髪を少し焦がすほどに威勢良く燃え上がった火は、呆然と眺める士郎の前で洋酒の匂いを振りまきながら燃え盛り。
「あ、消えた」
 そして、30秒と持たず鎮火した。
 残されたのは口をあけて硬直した士郎と、熱に耐え切れず崩れたチョコレートであったもの。
 そして辺りに漂う酒とチョコの混じった甘ったるい匂いだけであった。
「・・・以上だ」
 アーチャーはボソリと言って窓を開けて換気を始める。
 作っていた時はわりとノリノリだったのだが、いざやってみるとなにか無性に恥ずかしい。
 祭りの後と言うより、後の祭りと言った感じか。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 士郎は蓋を片手に持ったままアーチャーを見上げた。
 アーチャーは、カーテンをパタパタさせて部屋の空気を外に追いやりながら士郎を見下ろしている。
「―――えっと、ごめんアーチャー。意図が読めない」
「―――いや、なんとなく燃やしてしまえと思っただけなので他には特に」
 開けっ放しの窓から冷たい風が吹き込む。
 ・・・寒い。
 特にアーチャーの心の中が、寒い。
 アーチャーは窓をパタンと閉じ、士郎から目をそらしてぽそりと呟いた。
「―――無かった事に、出来るだろうか?」
 士郎は無言で静かに頷き、目を閉じる。
 そう、男には優しさが必要だ。
「・・・すまん」
 そそくさとソファーに戻ってくる気配を読んで士郎はゆっくりと眼を開け。
「―――アーチャーって料理とかお茶汲みとか上手いよな」
 そして、何事も無かったかのようにリスタートした。
 大丈夫だよアーチャー、嫌な記憶をリセットするのは得意だ。
「・・・うむ」
 アーチャーはそこまで切り替えが上手くないのか後悔しきりといった表情で頷き、下手に引っ張って蒸らし時間超過にならなくてよかったかなどと自分を慰めながら紅茶をカップに注ぐ。
「・・・とりあえず、飲んでくれ」
「あ、さんきゅ」
 士郎はティーソーサーごとカップを受け取り。
「ぅ・・・!」
 とりあえずと一口啜ってカッと目を見開いた。
「どうした? ・・・ありえんとは思うが、まさか不味かったのか?」
「―――うまい」
「どこのラブコメだおまえは。しかも微妙に古い」
 最後に見たのはいつのことだったろうか。
「いや、普通に驚いただけなんだけど。手順自体は俺と同じなのになんでこんなに味が違うんだろう・・・茶葉?」
「凛が持ち込んだものを使っているのなら、条件に差はあるまい。茶葉の量と湯の温度・・・あとは空気の入り具合の精度を上げることだな。わずかな違いでも、実際の味には大きな差として反映されるのだ」
 自らもカップに口をつけて、アーチャーはふむと頷く。
「及第点だ」
「これでかよ・・・具体的にはどんな感じにすればいいんだ?」
 ポットを睨んで尋ねてくる士郎にアーチャーは嘲るように口元を歪めた。
「教えても構わんが・・・それでは私の劣化した贋作にしかならんぞ?」
「む。それは、自分で盗んだ上でアレンジしろってことか?」
 思えば桜も一緒に料理しているうちにメキメキと腕を上げてったっけなあと士郎は腕組みなどして考える。アーチャーは肩をすくめてまた一口紅茶を啜った。
「与えられた知識、与えられた技術など所詮上辺に過ぎんと言う事だ。自ら鍛え上げた技術だけが己を裏切らない。全てにおいてな」
 思いのほか重い口調で告げられた言葉に士郎は頷きカップを手に取る。
 贋作者としての能力を持つ士郎は、剣にまつわる技術であれば他者のものであっても己に憑依させることでそれを使用することが出来る。
 だがそれ故に感じる事が、借り物の技術には限界があるという事実だった。
 理論上出来る筈の行動でも肉体がそれを再現できないこともあるし、そこまではいかなくとも本来の使い手と対峙すれば再現する肉体との適合性で劣る以上、どうやっても一手劣るものとなってしまうのは避けられない。
 それは結局のところ、贋作者と言えど究極の一と呼べる技術を行使したいのならば己の身体の為に練り上げたオリジナルを作るしかないということであり。
「つまり、自分で判断し、自分で選ぶのが大事だということなのだが」
 神妙な顔で紅茶を飲む士郎を見つめ、アーチャーはごほんと咳払いをしてみた。
 紅茶で唇を湿らせ、意味も無く腕組みなどしてから再度口を開く。

「―――それで、ぶっちゃけおまえは誰が好きなのだ?」

 

 

 

 

 

 

 


「はい?」
「だから、結局のところおまえは誰に恋愛感情を抱いているのだ?」
 数秒の沈黙を経て、士郎は無表情に口を開いた。
「えっと・・・恋愛、ですか?」
「何故敬語か」
「それは、惚れたはれたとかいうそういうそれですか?」
「その通りだ。みんな好きですよとか戯けた事をほざいた場合はつま楊枝で爪と指の間を刺すから気をつけて口を開くことだ。ちなみに、黙秘した場合はこの遠坂先代が愛用していた葉巻切りがおまえの指と熱烈な抱擁を交わす事になる」
 微妙に生々しい拷問表現に士郎は思わず拳を握って指を隠しながら冷や汗を流す。
「な、なんでいきなりそんな話になるんだよ!」
「・・・このままおまえが無自覚に立ち回った場合、最後に待っているのが血のバレンタインになりそうだからだ。中途半端に行動するくらいならここで血を流した方がましだろう」
 答えるアーチャーの表情も冴えない。
 実力行使組が居る以上このまま愚鈍な羊を放り出しておくわけにはいかないと判断しての行動ではあるのだが、何故かイライラが収まらないのだ。
「大体、おまえだってわかるだろう? あの馬鹿槍とかはともかく・・・凛や桜、そして信じがたいことだがセイバー辺りも、本気だということぐらいは」
「・・・・・・」
 腹立たしげに放たれた言葉に士郎は表情を無くし黙りこみ。
「―――葉巻切りか」
 アーチャーはよし来たとばかりに懐から金属筒を取り出した。
 付け根のボタンを押すと筒の中でカチャンカチャンと鋭利な刃が唸る。
「いやいやいや! ちょっとアーチャーキャラ変わってるぞ!?」
「元々おまえを苛めるのがライフワークだ。他の奴らはともかく私を騙せると思うなよ衛宮士郎。全てまるっとお見通しだ」
 しきりに葉巻切りを鳴らしながら睨まれ、士郎は深く息をついた。
「・・・俺は」
 一度区切り、真っ直ぐにアーチャーを見つけて首を横に振る。
「俺は、誰かに好きになって貰う資格なんて無い。いろいろあって、それなりに変わったつもりだけど・・・俺の中身はやっぱり空っぽだ。目の前でなにかがあったら他の事を全て忘れて飛び込んでしまうと思う」
 たとえ、それが生きて帰れる望みが無いような災厄だとしても。
 いや、命が失われる可能性が高いなら高いほど、飛び込んでいってしまうだろう。
 切嗣が見せてくれたあの輝きを、正義の味方という生き方を模倣することで己の歪な心を埋める為に。
「たとえ俺が誰かに好きになって貰って、その人と結ばれたとしても次の日には死んでるかもしれない。それどころか俺には次の瞬間に生きている保障だってないんだ。それなのに―――」
「ふむ、爪楊枝か」
 暗い声を、アーチャーはバッサリ切り捨てた。
 懐から取り出した楊枝入れから抜き出したのは長さ15センチにわたる長く鋭い竹の串である。
「ちょ、ま―――え?!」
「さあ、左手を出せ。まずは薬指からだ」
 無意味に生き生きと手を伸ばすアーチャーからのけぞって逃げながら士郎はぶんぶんと首を横に振った。
「ふ、ふざけた事とか言ったつもりないぞ! 本心だ!」
「なお悪い」
 ふぅと息をつき、アーチャーはジロリと士郎を睨みつけた。
「確かにおまえは相手の強弱も考えずに取りあえず突撃してみるレミング方式を採用している馬鹿だ。スペランカー先生の爪の垢でものましてやりたいくらいに馬鹿だ」
「・・・さすがに数十センチの落差で死ぬなら俺も考えるけどなあ」
「通常、サーヴァントに人間が挑むというのはそれより更に無謀な行為だという事をまずは認識しておくのだな」
 くるくると指の上で爪楊枝・・・というより竹串を回しながらアーチャーは続ける。
「目の前の危機を見逃せず、それ故に死に易い。的確な自己分析だが―――それがどうした?」
「え?」
 心底呆れたようなその視線に、士郎はきょとんと目を見開いた。
「おまえが墓穴へ全速ダイブしたとして・・・凛やセイバーの手を掻い潜って死ねると思っているのか? 桜に手足とかもぎ取られて監禁されないと言い切れるのか?」
「と、とりあえず桜はそんなバイオレンスな行為には走らないんじゃないかな・・・」
 わからんぞと暗い笑みを浮かべてアーチャーは紅茶をすする。
「思い上がるな。おまえ如きにこの絡まりきった因果の糸を好きに出来るものか。先程のくだらん危機ですら『偶然』、私が通りかかる程だというのに」
「・・・偶然なのか? アレ」
「偶然なのだ。アレは。間違いなく。確実に」
 紅茶をもう一口含み、ため息を一つ。
「衛宮士郎。断言してもいいが、おまえはもう一人で磨耗する未来を選べない。おまえの意思を無視して彼女たちはおまえを助け続けるだろうよ。それぞれの目的の為にな。故に、覚悟を決めろ。ここで拒んでも無駄に状況が混乱するだけだ。・・・実際、不愉快極まりないが」
「いや、その・・・まあ、確かにそうかもしれないけど・・・」
 士郎は戸惑いもあらわに紅茶に口をつけ、情けない顔でアーチャーを見上げた。
「な、なあアーチャー。俺、本当に好かれてるのかな・・・なんか、そうじゃないかなとか思ったりもするんだけどこれまで生きてきて誰かに好かれた事とかないし・・・」
「・・・まず、藤村大河に殴られてくるがいい。その後にコレだ」
 へたれた発言にアーチャーはぎぬりと視線を鋭くして竹串を構える。
「いや! た、確かに失言だったけど藤ねえのはそういうのじゃないだろ!?」
「・・・今になって思うと、そうでもなかったのではないかという気もするのだが・・・」
 アーチャーは慌てて手を振り回して弁解する士郎に聞こえぬよう小さく呟いた。この場には関係無いので首を振って話を戻す。
「そもそも、今のおまえが考えるべきはそんなことではない。必要なのは、おまえが誰と共にありたいか、だ。それ以外など必要無い」
 ずずっと紅茶を飲み干してアーチャーはカップをティーソーサーに戻した。
「現実で空気を読めないのならば、せめて想像の中だけでも共にある二人を想像しろ。おまえに可能なのはせいぜいがその程度だろう」
「・・・なんか、凄くいいことを言われているような、馬鹿にされているような微妙な気分だ」
 そして、憮然とした士郎に、真顔で頷いた。
「両方だ」
「両方か」
 ぅうと唸るような声をあげる士郎にアーチャーは笑みを漏らした。
 全くのこと、馬鹿馬鹿しい話だ。座に居る筈の本体には悪いが、愉快でたまらない。
「制限時間は短いが、せいぜい悩むことだ。個人的には凛が妥当なところだと思うぞ? きっと不甲斐ないおまえの心根を叩きなおしてくれるだろうし、今はアレかもしれんが数年待てばきっと物凄いことになる」
 自分では体験できなかったが、座に溜まった知識には数年後verの凛についてのものがあった。
 正直、死にたくなった。
 もう死んでるけど。
「・・・むぅ」
 微妙にへこんでいるアーチャーに士郎は眉をひそめて疑いの視線を向けた。
 凄いことになるのか? 
 凛のアレが・・・?
「―――駄目だ。想像すらできない・・・本気で言っているのか? アーチャー」
「なんだその疑いの目は」
 アーチャーは顔をしかめかけてふと士郎とのすれ違いに気付いた。
「いや、私の言っているのは精神的なものの事だ。そっちの方の成長は期待するな」
 首を横に振り、気だるげに語る。
「いいか、世界には抑止力というものがある。故に、無理なものは無理なのだ。どうしても見たいというのならばさっき話した3つの方法のどれかを使うことだな。根源に至る事さえ出来れば場合によっては改善されるかもしれん」
「・・・そうか」
 士郎とアーチャーは見詰め合った。互いの目にあるのは、共感の輝き。
 やっぱ、姉より大きい妹はいねーとか言うけど実力は比べ物にならないで終わるのか。
 ああ。平行世界をどれだけ辿っても同じ結末だ。無限の可能性というのは理論上でしかない。
 納得したよ。でも、今のって本人の前で言ったら獄殺されるよな。
 当然だ。
 当然だよな。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 がしっと交わした握手を放し、アーチャーは咳払いなどして首を振る。
「ごほん―――まあともかく私は凛を押す。それに伴い人生の墓場ならぬ人生の川底に叩き込まれることになるだろうが、そこは諦めろ。必要なコストと割り切れ」
「川底って・・・どういう表現だよ」
 苦笑する士郎に皮肉げに目を細め、肩をすくめた。
「比喩的にも直接的にも、なのだがな・・・」
 まあ、いずれわかる事だ。あまり口を出して回避されてもおもしろくない。
「ふん、おまえは色々捻じ曲がったくせに結局もとの理想とやらにしがみついて生きていくことにしたようだからな。せいぜい誰かを道連れに理想へと溺れているがいい」
 そう。座に戻ることも出来ずこの世界で個を保つのならば。
 自分に出来ることは少し離れたところから不出来な同類を見守ることくらいか。 
「まあ、溺れるだけ溺れた所で釣り上げてやるさ。・・・道連れのほうだけかもしれんがな」
 言うだけ言って肩をすくめる。いつもの仕草。だが、その表情は険の取れた穏やかな物で。
「ア・・・」
 今まで見た事のない、その笑顔に士郎は思わずその名を呟いた。
「アングラー・・・」
「アーチャーだ! 勝手にクラスを変えるな!」
 案外馴染むその呼び名に心奪われぬよう気を引き締め、アーチャーは咳払いなどしてヒラヒラと掌を上下に動かす。
「言いたいのはそれだけだ。・・・そろそろ昼も近い。私はここの片づけをしていくから、おまえはさっさと屋敷に帰れ」
「あ、手伝おうか?」
 例によって相手の話と空気のどちらも無視する馬鹿の額に、アーチャーは無言でデコピン制裁をくわえた。
「いらん。そういう事は私より美味いお茶を入れられるようになってから言うのだな」
「む・・・見てろよ。そのうち絶対追い抜いてやるから」
 専門分野であるが故か、はたまた衛宮同士補正というものがかかっているからなのか、いつになく戦闘意欲に燃えている士郎に肩をすくめながらアーチャーはふと考えた。


 ・・・なんか、私は逆にフラグを立ててるのではないか?
 真相は闇の中である。

 

13-06 キャスター

「た、ただいま・・・」
「あら?」
 復讐に燃える犬を警戒して恐る恐る戸を開けた士郎を出迎えたのは、尖った耳がべらぼうにキュートな女性だった。
「おかえりなさい、お兄様。姿が見えないと思えばお出かけでしたか」
「え? ・・・って、あぁ、メディアちゃんか。・・・久しぶりだね。その姿」
 見覚えの無い美女に親しげな声をかけられた士郎は一瞬戸惑ってから記憶の掘り出しに成功して苦笑する。
「ふふ、私はこちらが本体ですけどね・・・いつもは魔力温存用の節約体なだけで」
 くるりと回ってキャスターは笑って見せた。最近は幼女姿にも慣れたが、やはり魔力の充実したこちらの方が体調自体はいい。
「でも、どうして大人に戻ってるんだ? なにかあったのか?」
 靴を脱ぎながら問い掛ける士郎にキャスターはいいえと首を横に振った。
「今日は男性にチョコレートを送る日でしょう? 私も一つ用意してきているのですが、これを渡すにはこの姿に戻る必要があったというだけですわ」
「・・・何か、特殊なチョコだったりするのか?」
 くすくすと妖しく笑うキャスターを士郎はやや警戒しながら尋ねてみる。
「いえ、色々あって元々考えていたモノが無しになりましたので・・・代わりにチョコエッグなど」
「チョコエッグっていうとちょっと前に流行ったあれか?」
 少し残念そうな声色に昨日の昼過ぎの騒ぎはそれが原因だったかと心のメモに補完情報を書き込む士郎の問いに、キャスターはええと頷いてみせた。
「はい、チョコで出来た卵を割ると中に・・・」
「動物フィギュアでも入っているのか?」
 アレはいい仕事してたなあと以前後藤くんが大量に集めていたコレクションを思い出す士郎にキャスターは首を横に振る。
「いえ、ボトルシップが入っていますわ」
「!? チョコの中に!?」
「ええ、ちっちゃなボトルが」
 予想外の方向性に士郎は一歩後ずさった。
「ボトルの中には!?」
「ちっちゃな船が」
「船の中には!?」
「ちっちゃな人が」
 あっさりと答えられてしばし唖然とする。チョコが大きいのか? それとも米粒に字を書くような方向性の技術なのか?
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 感心すべきか呆れるべきか判断がつかずぽかんと口を開けるばかりの士郎にキャスターはくすりと笑みを浮かべてもう一言添えてみる。
「・・・時々餌をあげてくださいね?」
「しかもナマモノ!?」
「まあ、餓えさせるのも一興です」
「い、いや、そう言うわけにもいかないだろうそれは! っていうか人間閉じ込めちゃ駄目ーっ!」
 正義の味方的に×と詰め寄る士郎だったが、対するキャスターは涼しげな顔でくすくすと笑うばかりだ。
「ふふ、大丈夫です。ただのゴーレムですから。知性なんて蟻ほどにもありませんわ。餌というのは魔力です」
「そ、そうか・・・」
 脳裏に練習用のランプに魔力を送り込んで粉々にしている自分がよぎるが取りあえず無視。
 一応、最初に餌をやる時は凛かキャスター同伴にしておこう。
「・・・ちなみに、船って」
「どこぞの馬鹿ぞろいな探検隊の船ですわ」
 ニタリ、と今までとは違う黒い笑みを浮かべた魔女に士郎は危機を感じて話の方向を変えた。
「ま、まあそれはともかく・・・ありがとうメディアちゃ・・・えっと、キャスター」
 いつもの幼女姿ならばともかくどう見ても自分より年上な女性にちゃん付けも躊躇われて言い換えた名前に、しかしキャスターはふるふると首を横に振って見せた。
「メディアちゃんで結構ですわ」
 くすりと笑い、士郎の手を取る。
「あの姿で居るのは、そっちの方が色々な服が着れるからというのもありますが―――」
 そんな理由もあったのか。
「一番の理由は・・・ああいう自分で居たかったという郷愁だもの」
 その生涯を裏切りと不運で彩った魔女は、穏やかな目で少年を見つめる。
「最初は確かにマスター無しの状態で何故か受肉したという状況を警戒しての節約だったわ。でも、ここに来て・・・なし崩しで暮らしはじめてからは、裏切ることも裏切られることもなかったあの頃のように、あの男と会う前の自分のように生きられるここが気に入ってしまっていたのよ。・・・ふふ、あなたは、やり直しなど無意味と言うのでしょうけどね?」
「・・・そっか」
 肯定すべきとも否定すべきとも思えず、ただ頷く士郎にキャスターはそうなのよと言葉を繋ぐ。
「だから・・・ここでは・・・ここに居られる間だけは、メディアちゃんと呼ばれていたいのよ。特に、あなたには」
 これが素なのか、いつもより少し砕けた口調でそう告げてキャスターは微笑んだ。
 全サーヴァント中随一とも言われる美しい笑みに士郎は顔が熱くなるのを感じ、思わず目をそらしてしまう。
「そ、それにしても、大人に戻ると随分喋り方が違うな・・・」
「当然でしょう? 肉体と精神は不可分よ。片方を弄れば、もう片方も変質するわ」
 ここに魂が絡んでくるとまた複雑な話になるのだが、どうせわからないだろうなとキャスターは適当に説明を切り上げる。
「だから、いつものは演技では無く本当に子供の心なのよ。ふふ、中々に楽しいわよ? あなたも一度やってみる?」
「興味はわくけど遠慮しとくよ」
 即答した士郎にあらと呟きもう一提案。
「じゃあ、トオサカでも子供にしてみる? いっそ赤ちゃんまで戻すとか」
「・・・それもまずいだろう」
 一瞬返答が遅れたのを見てクスクスと笑うキャスターにこちらも苦笑を返し、士郎はふと握られたままだった手に目を落とした。
「あれ? なんか手が冷たくないか?」
「ええ、魔術で体温を低下させているから」
 事も無げに答えられ、眉をしかめる。
「・・・それ、身体に悪くないのか? 女の子は腰とか冷やしちゃ駄目だぞ?」
「ふふふふふ・・・他の皆はともかく、魔術師たる私にとっては受肉した身体も魔力で構成されている以上自由自在。心配は無いわ」
 そうでなくては身体を再構成して子供の状態にするなど出来る筈も無い。
 実際の所、肉体と自由な時間を得て最も実力を増してるのはこのキャスターだったりする。
「そっか。それにしても何で体温なんか下げてるんだ?」
 心配無いと言われても気にはなる。士郎が不思議顔で問い掛けるとキャスターの目がすっと細くなった。

 ―――知っている。
 この目は知っている。凛も、イリヤも、ランサーも、こういう時には必ずこんな目で見つめてくるのだ。
「ふふ・・・溶けてしまいますから。体温がそのままだと」

 そう、この"目"は! からかおうとしている"目"だ!

「・・・なんだか、動きがぎこちない気がするんだけど・・・どうかしたのか?」
 妹キャラに戻りながら時折腰を揺らすのがなんとも少年の若き情動に訴えかける。警戒レベルを上げながら問うとキャスターは笑みのままこっくりと頷いた。
「・・・ええ、足が閉じ辛いので」
 警戒レベルさらに上昇。コンディションレッド発令、戦闘甲板を展開せよ! 
「・・・えっと」
 理性は既に退避を要求しているが握られた手は張り付いたように離れない。
 ひょっとしたら、本気で張り付いているのだろうか。
「・・・それは、何故かな?」
 たらり、と冷たい汗が額を伝うのを感じながら問うたその言葉に―――

「入ってますから」

 キャスターは、至極あっさりとそう答えて見せた。

「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」

 ただひたすらに続く沈黙を恐る恐る破り、士郎はもう一つだけ問いを投げることにする。
「・・・チョコレート、何を作ったって言ってたっけ?」
「チョコエッグです」
 そして。
「・・・じゃ、俺は行くよ」
 士郎は爽やかな笑みを作って歩き出した。
「あン、ちゃんとチョコレートを受け取ってくださらないと困ります。ふふふ・・・すぐ産みますから」
「ぬぅおっ! 引っ張られる!」
 しかし、案の定何かで貼り付けられていた手のひらはキャスターのそれから離れなかったり。
「だぁああっ! なんでそんなマニアックなプレイを強要するかぁぁぁ!」
 最早この身は蜘蛛の巣の蝶。もがけどもがけどひんやりとした指先から逃れられない。
 ぶっちゃけ気持ちいいし!
「ふふ、マニアックなのも好きでしょ? 坊や・・・」
「ぬぉああああ・・・!」 
 

 

 


「うわっすご・・・」

 


                     

             士郎
 ※チョコレートは、スタッフが美味しく頂きました

 

 

12-07 三枝由紀香と愉快な仲間達


 いただきますの合唱と共に士郎特製ちらし寿司へと挑みかかるサーヴァント達を眺め、士郎は釈然としない顔で首をかしげた。
「誰か、遠坂の部屋に行った奴いるか?」
「・・・食事の前に呼びに行ったが、留守だった」
 午後も1時に差し掛かろうとする今になっても姿を見せない同居人について問うと、先程帰宅したばかりのアーチャーがああと頷いてみせる。
「おそらく出かけているだけだとは思うのだが、ゴミ箱―――」
「ゴミ箱?」
 不自然に途切れた言葉に士郎が聞き返すと、アーチャーは首を横に振ってなんでもないと意を示す。
「まあ、気になるならば後で探しにでも行けばいい。案外迷子にでもなっているのかもしれないしな」
「まさか。遠坂に限って」
 冗談らしき台詞に士郎は苦笑したが、うっかり異界に飛び込んじゃいましたとかありそうな気もして笑いを引っ込めた。洒落にならない。
「・・・それより、そこの赤いの」
 黙ってしまった士郎に代わって口を開いたのはドンブリにちらし寿司を山盛りしている青い人だ。
「どの面さげてオレの前に現れてるんだろうなぁ? あ?」
「この顔だが、それがどうした? ふん、額に丸い跡がついているようだが何かあったのか?」
 ニヤリと笑われ、ランサーは口の端を捻じ曲げて無理矢理笑顔らしきものを浮かべる。
「・・・流石はアーチャー、人様のマスター抱えて優雅に空中散歩しててもなんとも無いぜ」
「・・・!?」
 その台詞に、幸せの化身のような顔で寿司を食べていたセイバーはびくりっ! と背筋を伸ばした。
 そのまま泣きそうな顔でギギギ、とアーチャーの方に顔を向け。
「・・・流石はランサー。人のマスター及び敷地にわりと本気な攻撃を加えたのを棚に上げてよく吼える」
「・・・!!」
 そして、間髪入れず切り返したアーチャーの言葉にぶんっとランサーの方を睨みつけた。
「ぅおっ、待て! オレが攻撃したのはアーチャーだけだ!」

 ぶんっ。

「そもそも、道場で二人きり、何をしていたのだろうな」

 ぶんっ。

「おまえこそただ逃げたにしちゃあ帰ってくるまでに随分と時間がかかってるじゃねぇか。二人っきりでどこへ行ってたんだ?」

 ぶんっ。

 卓球鑑賞でもしてるかのように左右へ首を振るセイバーのふよふよ揺れるアンテナになんとなく充足感を覚えながら士郎は自分の分のちらし寿司に箸をつけた。
(・・・それにしても、本当にどこへ行ったんだ? 遠坂は)
 リアルファイトに突入しそうな弓槍コンビを包丁で威嚇して食事に戻らせる佐々木を横目に、士郎はそんな事を考えて軽く唸る。

 自信作の筈の寿司は、なんだか妙に味が薄い気がした。

 

「つまりだ。きっちり勝負をつけようじゃねぇかコピー馬鹿」
「ふん・・・構わんが、これ以上何かを破壊したら今度こそ縊られるぞ?」
 食後、ガツンガツンと肩をぶつけ合いながら出て行く二人を見送りながら士郎は湯呑みを傾けていた。もはや慣れっこ動物、この程度では慌てない。
「今度は違う物で勝負だから問題ねぇよ」
「何で勝負だする気だ? 釣りか?」
「ジェンガ」
 何故に? と脳の片隅でツッコミを入れながらお茶を啜り、一息つく。
 台所では佐々木とハサンが洗い物に取り掛かり、部屋の隅ではセイバーとギルガメッシュとイスカンダルが何故か向かい合って硬直している。
 時折誰かが動きかけては他の二人がそれを視線で制止しているが、変形型だるまさんが転んだでもやっているのだろうか?
「・・・むぅ」
 朝から立て続けに発生するいつもより密度の濃いイベントにも困ったが、急にやることが無くなるとそれはそれで困る。

 ―――これでは、顔を見ていない誰かの事が、気になってしまうではないか。

 やれやれとため息をつきながら士郎は湯飲みの中身を飲み干してお代わりでも入れようかと腰をあげ。

 ぴぽーん。

 呼び鈴の音に湯呑みをテーブルに戻した。出ましょうかと立ち上がりかけるセイバーを手で制してそのまま玄関へ向かう。
 大分常識を身につけたと言ってもセイバーの基本的な人物判定は敵か味方かだ。しつこい新聞勧誘員でも来たら刃傷沙汰に為りかねない。こういう時に頼りになるチャンピオンの姿が見えない今、自分で出るのが一番無難だろう。
「はい?」
 士郎は適当な声をあげながら土間に放り出してあるサンダルをつっかけた。例の赤い人ならチャイムなぞ鳴らさないし、一成辺りかなどと思いながらと共に引き戸を開けると。

「あ、衛宮くんこんにちは」

 そこには、ほんにゃり笑顔を先頭に三人娘が勢ぞろいしていた。
「あれ、三枝さん? ・・・こんにちは」
「ってあたしらは無視か馬鹿しゃもじ!」
「まあ、確かに今回はおまけとして付いてきている身ではあるがな」
 ガッと吼える冬木の黒豹(自称)と冬木の白梟(適当)に士郎はごめんと苦笑し、首を傾ける。
「それで、どうしたんだ?」
「うわ・・・こいつ本気でわかってねぇ・・・」
「うむ。フラグを正面から叩き折っているな」
 呆れる友人達をよそに三枝は全く気にする様子もなく持参した紙袋をえいっと士郎に突き出した。
「はい、衛宮くん。バレンタインのチョコレートです」
 にこっと微笑まれてようやく士郎の鈍い頭にも理解の火が灯る。そういえば昨日、家に居るかと聞かれたではないか。
「うわ、ごめん三枝さん。ありがとう」
「私からはこれだ。由紀香と違い量産品だが、まあ義理なのだから我慢してくれ」
「へん、それでも勿体無いね。こいつにはコレでも豪華すぎだっての」
 恐縮しながら紙袋を受け取った士郎に残った二人もそれぞれの持参品を突き出す。氷室は洋菓子店の名前がプリントされた紙に包まれた手のひら程の小さな箱。その上に投げ出すように乗せられた蒔寺の物は、お値段20円のチ○ルチョコであった。
「ん。二人ともありがとう。こりゃ来月が大変そうだな・・・」
 自覚無しに世の男達に刺されかねない台詞を吐く士郎に氷室はふむと呟き、どうしよっかな、もうちょっとお話したいかなと顔に書いてある友人をちらりと盗み見た。

 正直、彼女の美意識的にはどこかちぐはぐで絵にならない遠坂×衛宮カップルよりも友人の想いを後押ししたいのは山々ではあるが、今までに得た情報を総合するに逆転の目は薄すぎる。
 ならば、友人として何をすべきか。求められぬうちに語る意見など傲慢の極みだ。心情的なものはともかく行動としては中立を保つべきこの状況下で出来ることは―――

「・・・時に衛宮。一つ聞きたいのだが」
 まあ、せいぜいが曖昧な関係をはっきりさせることくらいかと内心で結論し、氷室鐘は慎重にタイミングを見て士郎に声をかけた。
「ん? なんだ?」
「うむ・・・今日になってから遠坂嬢に会っただろうか?」
「はっ、こいつなんかが遠坂から貰えるわけ―――」
 既にチョコられましたかという問いに蒔寺は片手の平を上向きにひらひらさせて肩をすくめ。
「いや、それがどこかに出かけたみたいで朝から見当たらない。なんか用か?」
「にゃッ!?」
 士郎が裏を読まずにあっさり答えた言葉にピキリと硬直した。
「・・・ほう、成程な」
 予想外の進展に思わず呟く氷室の横で、蒔寺はカタカタと震えだす。
「な・・・な・・・な・・・」
「なごやあ○らか?」
「なわけあるかぁーッ! ちょ、待てコラなんだよそれ! おま、なんで遠坂と会ってないのが出かけてるとかにつながるんだーッ!」
 ギリギリと拳を握り締めて叫ぶ友人に対し、氷室はあくまで冷静であった。誤算も多いが概ね優秀な恋愛頭脳がくるくると回転を始める。
「ふむ、普通に考えればだ。遠坂嬢と出会っていない状況を『来ていない』ではなく『外出している』と称し、かつ『見当たらない』とくれば、衛宮にとっては遠坂嬢がこの家に居るのが標準の状態。つまり遠坂嬢はこの家に住んでいるという結論になるな」
「わ、同棲だ」
「にゃがーーーーーーっ!」
 あくまでのんびりした三枝の声をバックに蒔寺は黒豹パンチを繰り出した。
 かつてミッ○ー・○ークが使っていた技を彷彿させる手首をスナップさせた一撃を士郎は軽く身をそらして回避する。
「危ないじゃないか蒔寺」
「何を素のままの表情で!? なんだよー! いつのまにそんな反射神経磨いてんだよー!」
 ぐがーぐぎゃーと脚をばたつかせて抗議する蒔寺をまあまあとなだめて三枝はくいっと首を傾げてみせた。
「えっと、じゃあ衛宮くんが元気無いのはそれが原因ですか?」
「え?」
 二段飛ばしですっとんだ問いに士郎が呟くのを眺め、氷室もまたふむと頷く。
「まあ、本命が行方不明ではしょげるのも無理ないが、まだ午後も始まったばかりなのだ。あせる必要もあるまい。この際、夜であればあるほど期待も高まるというものだろう?」
 慰めともからかいともつかぬ言葉に士郎はしばしきょとんとしてから共に首を横に振った。
「・・・ああ。そういう意味か。いや、俺はただ疲れてるだけ。今日も朝から色々あったからな」
「色々、ですか?」
「色々、だ・・・」
 聞き返す三枝に知らんほうが良い事もあるのだと重々しく頷いて見せながら士郎は内心で苦笑する。
(それにしても、『今日は』じゃなくて『今日も』か・・・)
 思わずそう言ってしまうくらいには馴染んだこの騒がしい日々。だがそれは実際には10日程でしかない。この記憶の多くを占めるのは、すべき事もしたい事もわからぬまま過ごしていた10年の筈だ。

 だから、わからない。
 今感じている落ち着かなさが何から来るのかを。
 今感じている楽しさを、誰と一番わかちあいたいのかを。

「そもそも、なんていうか・・・そういうのはよくわからないんだ。俺は」

 それが、今の本音だ。わからない。わかっている筈なのに言葉に出来ない。
『必要なのは、おまえが誰と共にありたいか、だ』
 導き手の言葉に、士郎はまだ答える事ができないでいる。

「ふむ」
 士郎が困り顔で口にした言葉に氷室はさもありなんと頷いた。

(成程。二人から感じる絵にならなさはそこが原因か。衛宮士郎にしても遠坂凛にしてもこれまでの人生における恋愛経験値が低すぎる。一体どんな過去があればこのようなカブトガニかメカジャの如き状態になるのかはわからないが・・・)
 それは、喩えるなら豊かな資源が眠る炭鉱に二人して耳掻き持って潜るようなもの。
 これなら園芸用スコップを片手に後を追っている三枝でも対抗できるかもと氷室は横目で友人の様子を伺い―――

「・・・由紀香」
 彼女が浮かべている表情を見て思わず呟いた。
 いつも通り、微笑み返したくなるその笑顔に僅かな・・・ほんの僅かに常と違うものを見て。
「鐘ちゃん、蒔ちゃん・・・ちょっと、いいかな?」
「を、やっちまうのか?」
 言外のニュアンスを読まず盛り上がる蒔寺の襟を掴み、氷室は了解したと頷いた。自前の好奇心と蒔寺を力でねじ伏せてそのまま門まで引き下がる。
「ありがとう。ごめんね・・・」
 遠ざかる氷室と蒔寺にもう一度頭をさげて三枝は士郎を見つめた。

 前からわかっていたことだ。自分は一周遅れでこのレースに参加したうっかりものだし、もしも最初から参加していたところで本命には程遠かったと。
 でも、途中参加でも何でもペースメーカーぐらいにはなれる。いつものように外野から声をあげているだけでなく―――今は、一緒にその道を走っているのだから。
 三枝由紀香は目の前の少年に笑って欲しいのだ。
 そして、遠坂凛にも、笑っていてほしいのだ。
 大好きな、二人に。それは、その事は、嘘じゃないと胸を張って言える。
 
「あの、衛宮くん」
「・・・なんだ? 三枝」
 突然の人払いに戸惑っている士郎を見つめ、三枝は微笑む。
「遠坂さんって、どんな人ですか?」
「遠坂?」

 ―――遠坂凛通称あかいあくま士郎が年単位で抱いていた淡い憧れを数秒で破砕してくれた仮面優等生間桐桜の姉でアーチャーのマスター穂群原の標準赤コートベストドレッサー2年連続受賞但し士郎脳内にて超が付く優秀な魔術師であり士郎にとっての師でもある宝石でぽんぽん人をすっ飛ばしてくれる武術も嗜むらしく拳が鋭い家計簿をつけている赤字になると目が怖い料理が上手いでも時々無闇に赤いものを作るあれが麻婆豆腐であるなんて俺は認めない冷徹に振舞うことも出来るのに芯の所で優しさが先に立つ天才で努力家くじけない行き詰まったら取りあえず行動してみるタイプ照れて赤くなった時が可愛い一緒に『影』を倒した戦友プールで赤い水着が・・・自粛そして―――

「すごい、奴だよ」
 しばしの沈黙してから簡潔にそれだけ告げた士郎の表情を眺め、三枝は笑みと共に大きく頷いてみせる。
「多分いま、口に出さなかったことがいっぱいありましたよね?」
「む・・・まあ、うん。色々と」
 図星に苦笑する士郎に優しい視線を向け、気付かれないように息を大きく吸って気合を入れる。蒔ちゃん曰く、弱気の時はまず呼吸だ。
「・・・じゃあ、わたしはどんな人だと思いますか?」
「三枝さん?」
「はい、わたしです」

 三枝、確か名前は由紀香。遠坂のクラスメート。遠坂曰く人畜無害でこちらが漂白されてしまいそうな強烈な癒しの波動を放つ。陸上部のマネージャーで中々に料理が上手いらしく節約上手とのこと、見習いたい。『影』の襲撃の時は外に助けを呼びに行こうと一人で頑張っていた。兄弟が多く、物を大事にするらしい。目が優しい。言動がおっとりしている。あと、舌が柔らかい。

「三枝さんは―――」
「あ、い、言わなくてもいいです!」
 その、恥ずかしいですしとごにょごにょ呟き、ぎゅっと両の拳を握って三枝は士郎を正面から見つめる。
「大事なのは、その・・・わたしのこと考えてる時間より、遠坂さんの事考えてる時間の方がずっと長かったんです。多分、その時間の差が・・・」
 ちょっとだけ、手に力が入る。
 がんばれと、誰にとはわからないけど心で呟く。
「それが、好きな人と普通の人との差だと思いますよ?」
「――――――」
 思いがけない言葉に士郎は答えられずただ三枝を見つめた。
 普段幼げなその笑顔がなんだか自分よりもずっと年長のように見え、そう言えば彼女も何人もの弟妹の面倒を見る姉なんだよなと少し納得。
「えっと・・・」
 そして三枝は微妙に尊敬の混じった視線をあびて落ち着かなさげにスカートの端を弄り始め。
「じゃ、ないかなぁとか思ったり思わなかったりするんですけど、その・・・えっと、あの・・・」
 数秒でまた元の三枝由紀香に戻ってしまい結局困ったような顔で黙り込んでしまった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 しばし、沈黙。門の辺りからこっちを伺っている二人もつられてか物音一つ立てないで静止している。
 心地よくも落ち着かなくもある数秒、その大事な時間に士郎はゆっくりと息を吸い。
「・・・ありがとう」
 形に出来ない感謝を強く言葉に込めて頭をさげた。
 既に歪みきってしまっている彼の心では、それがどのような質のものかはよくわからないけれど、それでも彼女が自分に好意を向けている事くらいはわかる。わかることが、出来た。
 そして。

「俺―――」

「あ、いえ、その! わ、わたしに宣言しちゃ駄目です! まずご本人に!」
 わたしの心も折れちゃいますしーと両手で口を押さえてくる三枝に苦笑交じりに頷きながら士郎はもう一度頭を下げた。
 とりあえず、次に三枝がどんな人かと聞かれたらもう一つ言葉を付け加えられそうだなと考えながら。

 

「む、終わったか」
 数分とかからず終わった二人の話に氷室は腕組みを解いた。漏れ聞こえた声を繋げる限り、やはり彼女自身にとってプラスになる内容ではなかったらしい。
(・・・まあ、本人の意思がそれなら仕方あるまいとは思うが)
 ぺこぺこと競うように頭を下げあってからこちらへやって来る三枝を眺めて氷室はひとりごちる。
 隣で退屈げに門扉を撫で回している友人はどう思っているか知らないが、彼女としては衛宮士郎の評価はそれなりに高い。
 容貌は取り立てて良いわけではないが欠点が少ないし、性格の方は度が過ぎた奉仕好きが目立つが三枝のようなのんびりとした人物と組み合わせるのならちょうどいいスピードで人生を送れるだろうと思う。二人して台所にでも置けば、ばっちり絵になる二人であろう。
(だが、今回もまたいつも通りの脳内妄想で終わり、か)
 まったくのこと、何故に自分の考えたカップリングはことごとく現実とずれてしまうのだろう。やはり自分で恋愛というものを経験せねば正確な考察はできんものなのか。

「おまたせ。鐘ちゃん、蒔ちゃん」
 言って微笑む三枝由紀香は、一見して普段と変わらない。
 だが、その肩が2ミリほど落ちている。眉がやや下向きだ。左手がスカートをかるく摘んでいるし、目の光が僅かに鈍い。
「―――由紀香」
 氷室は台詞を頭の中で厳選しつつ声をかけた。彼女は立派だった。自分がそれを称えずして何とする。その思いを言葉にしようと思考を重ね。

「あたしは」

 しかし、彼女が何を言うよりも早くさっきまで退屈そうにしていた蒔寺が口を開いた。
「あたしは、由紀香のことなら幾つでも思いつけるぞ」
 不満げに口を尖らせたその表情は衛宮士郎への不満か、三枝由紀香が落胆していることへの不満か。それとも、語る以外にできる事の無い状況への不満なのか。

「―――私もだ。辞書に出来るくらいは軽いだろうな」
 だが、その言葉こそが自分達の本心であると氷室は微笑む。
 慰めなどというのは傲慢に過ぎる。二人にできる事は、自分達がどれだけこの人がよすぎる友人を大事に思っているかを示す事くらいだ。
 三枝は元より大きな目をさらに大きくしてしばしきょとんと硬直し。 
「・・・ありがと。鐘ちゃん、蒔ちゃん」

 いつもの笑顔でそう言ってくれた。
 後は、語るまでもない。

 

12-08 ハサン・サッバーハ

 去っていく三人の背中を見送り、士郎はもう一度頭をさげてから家の中へと戻った。
「三枝さんにはずいぶんと大きな借りができてしまったな・・・」
 心の中のメモ帳に5倍返しと書き込んでから士郎はサンダルを脱ぎ―――
「ん・・・?」
 一歩踏み出したところでピタリと動きを止め、そのまま姿勢を変えずに素早く左右を伺う。

 ―――はぁ、はぁ、はぁ

 聞こえる・・・聞こえる。愛に悩む人々の叫び―――もとい、熱の篭った微妙な息遣いが。

 はぁ、はぁ、はぁ―――

(・・・見られてる、な。この落ち着かない感じは)
 数週間前の彼ならばともかく、ここしばらくは奇襲やら粛清やらが日常茶飯事だの毎日だ。そんな生活を送るうち、いつしか士郎は僅かな気配から迫りくるピンチを感じ取り、微妙な赤面からフラグを感じ取れるようになっていた。
 後の、心眼である。
自己に与えられた過酷な運命にその若き魂を揺さぶられて異形の進化を遂げるのは無双な剣士の特権ではないのだ。
(まぁ、チリチリする感じはないしどうせ他愛の無い待ち伏せなんだろうけど・・・)
 実害はなくともそれはそれ、これはこれ。一方的に観察されているのも気分のいいものではないし、毎度毎度やられっぱなしではないぞという自負もある。衛宮士郎は男の子なのだ。
(気配は・・・)
 息を止めて感覚を研ぎ澄ます。遠くから聞こえるランサーとアーチャーの叫び声や鈍い打撃音を意識から締め出し、近距離の僅かな音、空気の流れ、周囲の地形というかこの場合は間取り・・・それらを脳内で総合して相手が隠れていられそうな場所を探し・・・
「右・・・いや、正面か!」
 ヒット!
 感じ取った僅かな気配目指して素早く間合いを―――


 すとん。

「ぬわっ!?」
 ―――詰めようと一歩を踏み出した士郎の鼻先を遮って、銀色の光が床に突き刺さった。 慌てて足を止めて見下ろせば、見覚えの有る短剣が床にぴんっと突き立っている。
「これ・・・」
 その刃から連鎖的に相手の正体を悟った士郎は思わず口を開いたが、そこまでだった。飛び出しかけた言葉を止めたのは喉仏を掴むひんやりした指先の感触。
 正直、ちょっとキモチイイかもしれない。
「・・・じゃなくて! 気配はあっちの方からしてた筈・・・」
 煩悩を心の中の棚に載せて気を取り直した士郎は呆然と呟く。気配のした方へ向けたままの視界に映ったのは。
「にゃぅ?」
「なんだ猫か」
 ちびせいばーの盟友であるところの猫嬢であった。一瞬だけこっちを見てからにゃむにゃむと去っていく。普通なら杞憂かと安心するべきシーンだが、油断した所で襲ってくる筈の刺客は既に背後で待機中だ。段取りブレイカーめ。
「あー・・・えっと」
 しばし待てど動かない背後の誰かさんに士郎は軽く唸り、床に突き立っている刃物をちらりと見てから口を開いた。
「なにやってんだハサン」
「!? だ、誰ですぅそれは!? わたしは別に気配と一緒に影も薄くて戦果はあげても見せ場は無くその身体は地味で出来ているようなファンディスクにも出れない十九把ひとからげな英霊のサナギじゃないですぅ!」
 少し呆れが混じった声に後ろの人はびくりと振るえてそんな事を一気にまくしたて、
「ない、で、すぅ・・・」
 搾り出すような声にぐすぐすという泣き声が混じり士郎は目を閉じる。
 泣いていい。おまえは今、泣いていいんだ。
「あー、えっと・・・そうなると、おまえは一体誰なんだ?」
「わ、わたしは謎のチョコレート配達人・・・」
 泣き声が収まるのを待って尋ねると、背後の気配は声に焦りを滲ませて無理矢理答えを返す。
「えっと、チョコレ、チョコル・・・チョコラータとでも呼んでください」
「・・・3つか? 甘いの3つ欲しいのか? 3つ・・・いやしんぼめ!」
「それはあなたですぅ」
 うわ、冷たい声。思わず手元に目を落とせば袋に入った甘いの3つ。あ、俺いやしんぼだ。
「そんないやしんぼなあなたにもう一つプレゼントですぅ」
 ちょっとへこんだ士郎を拘束している左手はそのままに、背後の人は右手でスカートのポケットに伸ばし。
「あれ? 引っ掛かって―――っ、ぇい、よっ・・・!」 
 声と共に背中に触れた柔らかなサムシングに、士郎のへこんだ気持ちは一瞬で吹き飛んだ。
 
 ―――皆さんは『ピアノ打ち』という連打法をご存知だろうか。『トリル』というピアノの演奏技法に語源を持つそれは二本の指で交互にボタンを連打する事でシームレスな連打を実現する手法なのだが、士郎の背中で炸裂しているのはまさにこの流れを汲む絶技であった。なにしろ背後に密着している状態から身体を捩っているのだ。自然、右に傾けば右乳が押し付けられ、左に傾けばその右乳が離れて左乳が背中で跳ねる。
 故にそれは、途切れる事無い乳撃の連打―――Unlimited Bust Works・・・!

 むにゅ、ぽにゅっ、ぽよん、ぷにゅ、もにゅ、ぽにっ、ぽよん、ゆやん、ぐにゅ、ゆよん、ふにっ、ふにゃっ―――
「日本語って凄ごいな・・・表現の幅が広―――って・・・なにやってんのハサン!?」
 今までにない回転速度に何か新しい世界を見出しかけた士郎は現実世界に帰還すべく、叫び声をあげて、煩悩を除き断ち切ろうと試みた。除断煩! 除断煩!
「よっ、ぅぅ、落とさないように突っ込んだのが敗因ですぅ?」
 しかし背後の人はノーリアクション。思考をめぐらせ呼び方を変えてみる。
「あー、えっと、チョコラータさん?」
「セッコです」
 いやしんぼ参上だった。
「あ、あれ? ポジションチェンジ?」
「あ、いえ、今のなし、チョコラータですぅ・・・えぃ、この・・・にゅ・・・」
 乳・・・だと? と脳内で誤変換しながら士郎は首を振って思考をリセット。改めて背後に意識を向けなおす。
「・・・大丈夫か? なんか物凄く混乱してるみたいだけど」
「いえ、ちょっと荷物がポケットに引っかかって、っしょ、この・・・!」
 もぞもぞと動く。ぱにぽにと柔らかいものが踊る。ああ、なんかもう全て忘れて顔でも埋めてやろうかなぁなどと思考がとろけかけ。
「っ!」
 脳内を閃光のように駆け巡った大平原の小さな何かに士郎は固く奥歯を噛み締め目を閉じた。それは集中力を高める為の行為だが、別段感触を深く味わおうとしているわけではない。
「―――魔術回路が一本。魔術回路が二本。魔術回路が三本・・・」
 ・・・自己暗示による内面への没入。
 それは決死の現実逃避であった。
 そう、ここに凛が帰ってきたら普通に私刑実行だ。
 あまつさえ、誘われているわけですらないのに暴走していた日には■■■■■■■■■■■■■■■■■ひぃ
「―――魔術回路が923本。魔術回路が924本もあったらいいなあ、魔術回路が925本・・・」
 一応合間合間に力の限り脱出も試みてはいるのだが、ぞんざいにみえてハサ、もといチョコラータ嬢の拘束はがっちりしていて緩む気配すらない。
 なにせ身体能力的には負け組みとはいえ彼女もサーヴァントだ。人間の間には決定的な差というものが存在する。一部撲殺主婦のような例外も居るが、あれはあっちがおかしいのである。 
「ま、まじゅ、かいろ、16・・・2・・・1・・・本・・・」
 触れては離れ、離れては触れる弾力のヒットアンドウェイ。強く押し付けてはくれないそのもどかしさがより一層精神に負荷をかけ、獣を呼び覚ます。
「まじゅ―――」
 呟く声が途切れ、これはもう駄目かもわからんねと脳内の父が肩をすくめた瞬間だった。
「! 抜けました!」
 嬉しげな声が士郎の耳たぶを撫で抜けた。
「ぬ、抜いてないぞまだギリギリ!」
「? え? いえ、抜けてますですよ?」
 背後からの不思議そうな声に士郎の顔から血が抜ける。ああ、紳士への道なお通し。
「・・・戯言ですので、気にしないでいただけますこと?」
「なんで敬語ですぅ? っていうかむしろお嬢様です?」
 その傷に触れないでと切開マニアの神父が見たら舌なめずりしそうなオーラでうなだれる士郎に首をかしげ、チョコラータ嬢(仮称)はまあいいかと疑念をうっちゃった。注意深く思慮深い筈の暗殺者も、最近はなんだかとっても衛宮色である。
「よくわかりませんけど、これ、どうぞですぅ」
 声と共によいしょと士郎の前に差し出されたのは小さな包み。背後からの無理の有る渡し方に自然身体は密着し、後ろからぴとーっと抱きしめている姿勢になる。
「・・・あててますか?」
 一度終わったと思ったところへのクリティカルヒットに士郎はジ・エンドォ! という文字を脳裏に貼り付けながら呟いた。
「え?」
「いえ、なんでもないです」
 聞き返され、冷静な声で答える。視線はチョコを持つ少女の手から更にその先へ。
 長い。すらっとしたとかそういうレベルではない。肘関節は床のあたり、二の腕の長さは明らかにメートル単位。代わりに太さがいつもの半分。
 ・・・なぁ、ハサンちゃん。くれるのはうれしいんだけどさ、なにもシャイターンの腕発動しなくてもいいじゃん。
 心臓のあたりをふらふらしてるのがむちゃくちゃ怖ぇえよ。
「ごほん、ありがとう。ハサンちゃん。大事にに食べるよ」
 たべるよ。
「いえいえ、どういたしましてですぅ」
 嬉しそうな声と共に腕がするすると―――そしてどこをどう曲げてるのかよくわからない動きで引っ込みんだ。そのまま離れかけた気配がびくっと震える。
「!? い、いえ! ハサンじゃないですよ!?」
 まだ一応キャラ作りは続けているつもりらしい。
「・・・そっか。じゃあ、ハサンちゃんにありがとうってつたえといてくれるか?」
「・・・はいです」
 背後からの声に、妹分とよく似た、しかしそれよりも更に控えめな笑顔を思い浮かべて士郎は―――
「あ、ちょっと待った!」
 屋根裏に消えられてしまう前にと慌てて声を掛けた。
「はい?」
「いや、たいした問題じゃないんだけど何故に背後から?」
 問いに、天井がカタンと鳴った。
「だって、その・・・元々ひきこもりなんでこういうの恥ずかしいですぅ・・・」
 そうですか。


 ハサンのチョコは、地味にしみじみ美味かった。

 

後編へ続く