13-1 早朝。冬木の町に人は生きる

 AM6:58。新都オフィス街。
「あれ? そういえば最近エミやん見ないねぇ」
 酒屋と飲み屋のあいのこのような業務を営むコペンハーゲンの店内で、金庫から出してきた釣り銭をレジに納めていたネコさんはふとそんな事を口にした。
「え? 言ってなかったかな?」
 独り言に近いその声に答えたのはこの店の店長だ。彼女の父親でもある。
「士郎くんなら家に親戚がいっぱい泊まってるんでバイトの方はしばらく休ませて貰うって連絡があったよ。先週」
 倉庫からビールケースを抱えて出てきた店長にネコさんはえーっと残念そうな顔になる。
「ははは、寂しいかい? 音子」
「別にそういうわけでもないけどねー・・・」
 からかうような声にちょっと顔をしかめる。ちなみに音子はネコさんの本名である。色々あって本人はあまり使わなくなっているが。
「藤村が旅行中だってのに結局誰かの面倒見てるってのが大変だなぁって思っただけ。今日のバイト終わったらご飯とか奢ってあげようと思ってたのに」
「ははぁ」
 よくわからない相槌で店長はケースを置き、店内を見渡す。
「まあ、来週あたりからまた来るそうだしその時に様子でも聞いておこうよ」
 そうだなあと頷き、ネコさんはふと首をかしげた。
 そういえば藤村の奴、いつから旅行に行っていていつまで居ないんだっけ?


 AM7:06。新都オフィス街車道。
 コペンハーゲンの前を自転車で駆け抜けてその女性は職場へ向かっていた。
 彼女の職は、とあるプールの指導員。週に何度かは泳ぎも教えるが、主な仕事は名物のウォータースライダー利用者の指導である。
 イヤホンから流れる音楽に合わせて鼻歌まじりにペダルを踏む彼女は、ふと数日前のことを思い出した。
 その怖さに大の男でも二の足を踏み、ちょっと冷静に考えればビキニじゃ無理だろうことがわかるそのウォータースライダーへ挑んだ女達。馬鹿なのか勇猛な のか両方なのか。
 赤信号に自転車を止め、隣に止まった軽トラなど眺めてふと笑みをもらす。
「くっくっく・・・あの人畜無害そうな少年、さぞや天国を見ただろうなあ・・・」
 何人かが陰謀の香りただよう笑みを浮かべていたところを見ると、きっとあの後下では大騒ぎになっていた筈だ。
 何故かあの時間帯はスライダー付近に人通りがなかったらしくて誰もそれを目撃していなかったが、悲鳴やら嬌声やらは本来悲鳴を収集して雰囲気を盛り上げ る筈のマイクを通じて彼女のところへ届いていたのだ。なんとなくだが、何があったかはわかる。
「また来ないかねぇ、あいつら」
 信号が青になった。軽いエンジン音を響かせて発進したトラックのドアに書かれた『八百熊』という文字を追いかけ、負けじと彼女はペダルを踏み込む。
 次来るときまでに、スライダーにカメラを設置しとこうなどと考えながら。


 AM7:30。マウント深山商店街。
 シャッターを押し上げ、八百屋の熊さんは店頭に並べた蜜柑が太陽の光を受けて健康的な輝きを放つのに満足げな目を向けた。
「いい照りだ・・・これなら衛宮の坊主も満足するってもんだぜ」
 今朝仕入れたばかりの蜜柑は箱にして二十。あきらかに過剰仕入れだが、あの家有る限り心配は要るまい。なにせバックには藤村組も付いてるし。
 快調な売り上げに頬を緩ませながら伸びをした熊さんは、ふと隣の店に目を向けた。
 肉屋を営むそこから、なにやら妙な音がする。
「・・・八っつあん?」
 ぼすっ、ぼすっと鈍い音がする店内を覗き込むと、天気の良い朝だというのになんだか妙に薄暗い店内で店長が一心不乱にサンドバッグを殴り続けている。
 しかも見事なフリッカージャブで。
「・・・あんた、なにしてるんだ?」
「んぅ〜?」
 ぼすっ、ともう一度殴ってから手を止めた八っつあん(八須賀姫菜、19歳未婚)はニタリ、と笑って振り向いた。
 殴打から解放されたサンドバッグは、ひたひたと血をしたたらしせながら静かに揺れる。
「そのサンドバッグの中身・・・」
 デンジャラスでライオンな光景を想像して顔を引きつらせる熊さんにゆらりと頷き、八っつあんはジジジとサンドバッグのファスナーを開ける。
「豚肉を柔らかくするにはヨーグルトに漬けて叩くのさぁ・・・きひひひひひ・・・!」
 中から飛び出してきたひしゃげた豚の頭部を愛おしげに撫でる姿にため息をつき、熊さんは自分の店に戻る。
 再びぼすっぼすっと響き始めた打撃音を耳に、気分直しの深呼吸。
 あれだけ隣の店で色々やってるのに臭いがこちらに届かないのはまさに奇跡だ。
 なんでも泰山の店長の紹介でやってきた神父が店にやってきて大喜びしてたというし、肉か野菜の神のご加護でもあるのだろう。God Bless Meet。
 やれやれと呟いた熊さんはふと商店街の入り口に目を向けた。遠くから聞こえる独特のエンジン音を聞きつけたのだ。
 ゴォオオオオオッ、という熊さんの軽トラとはずいぶん違う響きと共に走ってきたのは豆腐屋の倅である。
 なんでも高校を卒業してからは他の県まで夜のドライブにでかけるくらいの車好きだとか。
「よぉ二代目。今日も配達かい?」
 徐行して豆腐屋へ向かう白いボディに黒いボンネットの車に声をかけると、ガコガコとレバーを回して開けた窓からひょいっと顔を出した豆腐屋の二代目が ぼーっとした表情で頷いた。
「円蔵山の寺まで少し」
「柳洞寺か? 車でいけたっけか」
 首を捻ると、豆腐屋の倅は一応と曖昧に頷いた。
 常人が行けるようなルートを使っていないので説明が面倒なのでカップホルダーの水を眺めてぼーっとしながらごまかす。
「そういえば、途中で新都の教会の人見ましたよ」
「教会の? 神父さんかい?」
 お寺に神父は取り合わせ悪いなあとまた首を傾げる熊さんをよそに、豆腐屋の倅は少し表情を引き締めた。
「大きなバイクにサイドカー付けて走っていて・・・」
 ノーヘルで神父服の裾をなびかせ、サイドカーに人まで乗せた状態で彼の車に追走してきたのだ。
 サイドカーごとドリフトしてきたので思わず溝落としまで使って振り切ってしまったが・・・
「途中でサイドカーの人に殴られて車体ごとどっかへ滑っていきました」
 死んでなければいいのだが。
「それはまた・・・」
 反応に困る熊さんに会釈して豆腐屋の倅は車を出した。
 次の遠征も近いし、サイドカー付きの二輪に負けてなどいられない。豆腐のケースを店に戻したらまた山に行ってみようか。

 
 AM7:42。柳洞寺本堂前。
 住人たちは意識していないが、冬木市の霊脈をがっちり掴んでいる円蔵山に建てられた柳洞寺。その境内に―――今、修行僧達がずらりと整列をしていた。
「一成殿、全員揃いました」
 年長の修行僧の報告に、当寺の住職が次男柳洞一成はうむと頷いた。整列した坊主たちの前に大きな歩幅で歩み出る。
「では、型稽古を始める!」
 力強く告げると、押忍! と声が返った。
 まだ早い時間ではあるが夜明け前に起き出して本堂や庭、山道の掃除を済まし食事当番以外は円蔵山をぐるりと走って来た僧たちにとっては眠気など欠片も 残っていない。
「構え!」
 豊かな肺活量を存分に振るった声に、彼らは上気した肉体を晒して構えを取った。
 ―――そう、褌一丁で、全身をばっちり晒して。
「うむ」
 一成は眼前の光景に満足げに頷いた。やはり漢は褌だ。
 数日前のプールの後、何かに開眼したと言いながら葛木師が大量に買い込んできた際には一成を含め皆が呆然としたが、着始めて一日で体の中からこみ上げる 物を感じ二日目で人の視線が気にならなくなり、一週間が経とうという今は褌のすそにさりげなく刺繍でお洒落をする域にまで達した。
 ―――順調だ。
 順調に、柳洞一成は道を踏み外している―――
「まずは腕の力を抜いて1番から3番まで100ぽーん!」
「押忍っっっ!」
 どこか『雄っ』と聞こえる気合の声と共に、修行僧達と一成は怪しげな動きで拳を振り回し始めた。
 空手でも拳法でもないその技は、柳洞寺の居候である葛木宗一郎から一成が習ったもの。
 葛木によれば『蛇』というらしいこれらの技はその奇抜さと習得の難しさから修行僧達のチャレンジ精神をいたく刺激しており、断片的にだがそれを教えても らった一成による講習会がここのところ朝の日課になっているというわけである。
 腕を脱力させ、踏み込み、余分な力みを入れぬよう拳を振るう。
 足を戻してまた脱力、拳を振るって今度は途中から腕を捻って軌道を変える。関節の酷使に耐えかねた何人かが悲鳴を上げるが誰も手は止めない。
 飛び散る汗、空を薙ぐ拳、激しい呼気。やがて火照った身体から湯気が立ち上り、境内をぼんやりと白く染めていく。
 発生源さえしらなければ幻想的と言えたかもしれない薄白い風景に、これぞ漢の世界と一成は満足げに拳を繰り出した。
 仮想敵はもちろん赤いあくま。なぜなら彼女もまた特別な拳法使いだからです。
「声を出せ!」
 頃合を見て一成は大声を張り上げた。それに合わせ、修行僧達が一斉に口を開く。

「そ〜れくーずーきー! くーずーきー! はっ!」
「声が小さいッ!」

 一喝する。この掛け声は、文武双方における師である葛木宗一郎への感謝の念を込めたものだ。叫ぶリズムは乱さないように、声は裏がえらせないように、全 力で叫ぶのがここでのたしなみというものである。

「くぅずぅきぃー! くぅずぅきぃー! はぁあっ!」
「背すじが曲がっていてよ!」
「雄ッ!」

 関節と筋肉が捻じ切れそうな打撃を空に放ちながら横隔膜を振るわせる漢達に良しと頷き、一成は誰よりも大きくと更に声を張り上げる。

「くぅずぅきぃー! くぅずぅきぃー! はぁあっ!」
「よしもう一本!」
「くぅずぅきぃー! くぅずぅきぃー! はぁあっ!」
「もっと感情豊かにッ!」
「くぅうっずぅっきぃ!くぅずぅきぃ! アッー!」

 この寺は、もう駄目かもしれんね。


 AM8:28。穂群原学園、職員室。
「む・・・」
 何故か背筋を走った寒気に葛木宗一郎は小さく呟いて目を開けた。
 目に入るのは、人もまばらな職員室。普段であれば一部の例外、主に虎を除いては揃っていてしかるべき時間帯に、しかしまだまだ空席が目立っている。
校舎内で発生した謎のガス爆発による休校から一週間。奇跡的に簡単な補修のみですんだ―――という事になっている―――為、そろそろ授業再開をするべくま ずは職員会議ということなのだが・・・やはり思いがけない休暇で気が緩んでいるのだろうか。
「・・・む」
 休み呆けとは無縁の葛木宗一郎はいつも通りの時間に職員室を訪れ今は微動だにせず会議の始まりを待っている。
 待つのは、苦にならない。
 目的の有る無しに関わらず待機は暗殺者の常だ、短気では務まる職業ではない。
 ましてや、その為だけに調整された葛木にとってたかだか数十分の静止などはどうという事でもないのだが。
「・・・・・・」
 完全なる無心で自席に座っていた葛木は、ふと思考を開始した。
 想うは朧な夜の事。
 2月4日―――その夜のこと。
 教えを請う一成に蛇の基本動作を幾つか教えてから眠りについた夜の事。
 そして同時に、とある女と語らい・・・直後に血の海で目覚めぬ眠りについた夜でもある。

 葛木宗一郎には人間らしい情動など存在しない。
 人としての機能を削ぎ落とす事だけを課せられてきた日々は、生きるうえで当たり前のことの幾つかを奪い去るには十分であり―――つまり、彼は夢を見な い。
 だからこの街に暮らす身に覚えの無い記憶を持つ者たちの中で唯一、彼だけがそれを疑っていなかった。疑う機能を持たなかった。
 どのように手に入れたものであったかなど関係が無い。
 覚えている以上、どこかでそれがあったのだろうと葛木は受け止めている。
 故に、脳内に展開したのはここ幾度か記憶が再生された一人の女の事。
 寝所にて苦しげに喘ぐ表情。起き上がれるようになってから交わした幾つかの言葉。数度にわたる侵入者との戦い。杯を求めているというその身の上。
 幾度か抱いて、寝食を共にし。そして―――
「・・・・・・」
 思い出さねばならない。最後の夜、葛木が自らの血に沈む前のことを。
 思い出さなければならない
 ―――彼女が求めた杯に、この身はなろうと思ったのだから。
 目を閉じ、面影を探す。
「・・・っ」
 葛木は、瞬間よぎったイメージに意識を向ける。
 忘れるわけにはいかない。彼女の求めた器であろうとしたのは、無為でしかなかった彼に芽生えた唯一の望みであったのだから。
「メディア・・・」
 その名を想い、『今』の記憶に書き潰されそうになっている僅かな思い出を慎重に脳裏で形にする。
 静謐な思考と集中が呼び覚ました記憶は、脳裏にてあの夜の一瞬となって蘇り―――




「耳、ぴこぴこ・・・」
 はっきりと思い出したその光景を脳裏で反芻し、葛木宗一郎は満足げに目を閉じた。

 ―――基本ルール。この街にはまともな人間は存在しない。


13-2 朝。食卓百景

 AM9時10分。衛宮家食卓。
 切嗣と二人きりだった初期衛宮家、切嗣の代わりに藤ねえと桜を迎えた中期衛宮家、そして居候十五人体制という少年も漂流しそうな驚異の人数を誇る現在の 衛宮家。
 人も雰囲気も異なる各時代においてただ一つ共通するのは、食事が賑やかだという事である。
 何故か一皮向けば悲劇が出てくる奴らばかりが集うこの家において食卓を囲む瞬間のみ、彼らは全てから解放されるのだ。フリーダムになれるのだ。それが ジャスティスでありデスティニーだったのだ。
 だったのだが・・・
「くすくすくす・・・」
「あぁーああー、ゆうひのーこくーはーくーるるるー」
「いい女、はははーん、いい女、はははーん。すーきにーならずにいられないようなー」
「げっげげっげげ、現状維持ぃ、今のままのぉキミが好きぃちぇきらっだねっ!」
「うぅ、しろうさまが・・・しろうさまがぁ・・・」
「あらあら、今日はめでたき日でござるわよ?」
「シロウ、おかわりです」
 まさに今、食卓はほかほかご飯の代わりに生暖かい冷やかしと冷凍のプレッシャーを叩き付ける修羅場と化していた! 一名除く!
「・・・ところで先輩?」
「う、うん。なんだろう桜」
 水を向けられギクシャクと頷く壊れロボットに、桜はにこーっと笑顔で首をかしげる。
「丼ものとか好きですか?」
「ど、どんぶり? まあ、好きだけど・・・何丼かにもよるぞ?」
「姉妹丼です」
「!?」
「くすくす、何を慌ててるんですか先輩。夕飯の献立考えてるだけですよ?」
「なあ、嬢ちゃん―――」
「な、なによランサー・・・」
「・・・多人数プレイっていいよな」
「!?」
「どうした嬢ちゃん。俺はプ○ステの話をしてるだけだぜ?」
「あ、あんたら・・・」
後に出て先に断つものアンサラー? わかっ てるじゃねぇか嬢ちゃん。こういうのは最終的に確保してた奴が勝つもんんだ。うっかりしてるとかっさらわれるぞ?」
「そんなのはあんたの時代だけよ! あんま舐めてると桜連れて延々と逃避行するのを強要させられたあげく嫉妬で猪につつき殺されるようなゲッシュ結ばせる わよ!?」
「・・・いやあ、そんな人生はやだなあ」
「・・・あんたの後輩の人生だけどね!」
 ギリギリと奥歯を食いしばり、凛はずばんっと食卓を叩いた。
 衝撃に揺れかけた茶碗や皿は英霊たちがすばやくガードする。こういう時だけはきっちり団結とりあえず円満、みんなまとめてサーヴァントとマスターであ る。
「あぁもう、鬱陶しいわね! 言いたい事があるならはっきり言いなさいよ!」
「うん、俺、遠坂が好きだ」
 瞬間、間髪入れず発された士郎ボイスに全ての活動が停止した。
「ぁ、ぇ、わたしも・・・」
 一瞬おいてぽそぽそ呟いた凛の顔が、リトマス試験紙だってもう少し慎み深いだろうという勢いで真っ赤に染まる。
「って士郎! う、うううれしいけどそういうのは二人きりの時に耳元に囁きなさいよぅ・・・!」
「いやいやいやいや! あれ!? 俺なんも言ってないぞ!?」
 両手の指先をくねくねと絡ませて照れ笑いする凛に士郎はあわてて首を横に振った。
 ぶれた視界の中で、神妙な顔をしたランサーがふっと笑みをこぼす。
「奥義声帯模写・・・とくと聞かせてもらったぜ、アーチャー・・・」
「・・・ふん。(c)マークの無い素材など、悉く模倣してみせよう」
 ニヒルな表情で言い放つ贋作者に、凛は目を血走らせて指を突きつけた。
「アーチャーあんたなんてこと―――後でちょっとわたしの部屋に来なさいッ!」
(少年の声でエロいこと言わせる気か・・・!)
(先輩の声でエロいことを・・・その手があった・・・!)
(士郎様の声でエロいことを・・・お、おいくらですぅ!?)
(旦那様の声でエロいことを・・・? 本人を誘導した方が楽な気がしますが・・・)
(江戸屋猫八・・・)
 皆の目がギラリと輝くのを見たアーチャーはげんなりと味噌汁をすすった。
(面倒だ。話を変えるか・・・)
 元々、士凛推奨派の彼女としてはこの状況に不満も無いのだ。付き合い以上にネタを引っ張る気もない。
「・・・ところで衛宮士郎。イリヤはどうした?」
「え? あ、うん。なんか用事があるって朝早くバーサーカー連れて出かけた」
 思わぬ救援に、士郎はほっとした心持でアーチャーにうんうんと頷く。
「あれ? 今日は見てないけどそうだったの? 聞きたい事とかあったのに」
 凛は桜とのメンチのきり合いを中断して士郎に目を向ける。
 表情は一見して平静。人前で安易にデレないように気を引き締めるだけのツンが、まだ彼女には残っているようだ。
「ああ。まだ遠坂は寝てた。なんか見回りたいところとかあるらしいぞ。城とか」
「朝メシくらい食ってけばいいのにせっかちな奴だな」
 ハフッ!ハムハム!ハフ!とばかりに白米をかきこむランサーに士郎はそうだなぁと食卓を眺める。
「なんか急いでたらしいんで、とりあえずおにぎりと簡単なおかずを包んで渡しといたんだけど・・・きっちり弁当作ってやるべきだったか」
 お付きのメイド達が不調という話も聞いている。雇用者として色々と責任もあるのだろう。
「ああ見えて、あいつは結構大人だ。放っておけ」
 なにせお前より年上だからなあと心の中でだけ呟いてアーチャーは箸を置いた。
 見渡せば、ちくちくと冷やかす桜とついに反撃に出た凛の口撃が交差している。
 士郎は現実逃避でセイバーに山盛りご飯を渡し、ライダーは卵焼きをもう一切れ食べるかでなにやら悩んでいる。
 ―――平和だ。少しハサンが怯えていたりあんりとまゆからどろどろと何か黒いものが漏れててもとりあえずは。
 アーチャーはその光景をもう一度見渡してからごちそうさまと告げて立ち上がる。
「ようアーチャー、道場行こうぜ道場。昨日の決着付けてやるぜ」
 それを見たランサーもひょいっと席を立って肩をぶつけると、二人はとりあえず歯を磨いてからかと洗面所に消えた。
 その背中を見送り、ライダーも卵焼きを口に入れて立ち上がる。
「すふぉふぃへふぁへふぁす」
「・・・ライダー、飲み込んでからしゃべって」
 額を押さえて駄目出しする桜に顔をあからめ、ライダーは照れ隠しに毛先を指で弄りながら口の中のものを飲み下した。
「こほん、少しでかけます」
「お買い物?」
 デザートに梨でも剥こうかと立ち上がった桜に問われ、ふるふると首を振る。
「いえ、バイト先をそろそろ決めようかと・・・新都の古物商のお店が店番を探していましたので、そこの下見です」
「バイトかぁ・・・わたしも考えた方がいいかな・・・」
 今は数日前にギルガメッシュ達が稼いできた生活費があるが、分厚かった封筒がすでにワカメの如くぺらぺらなこの調子では、もう長くはもつまい。稼ぎ手は 多い方がいい。
「桜は部活があるだろ? 来年は部長を任せるって美綴が言ってたぞ」
 セイバーに更なるおかわりを差し出しながら言ってきた士郎に桜はうーんと考え込む。
 確かに衛宮家に貢献はしたいのだが、集団生活の経験が少ない彼女にとっては部活も大事な場所だ。そちらもがんばりたい。
「大丈夫です、サクラ。稼ぐのは年中暇で喰う寝るしかしてないニートどもにやらせればいいのですから。ニートに。喰ってばかりの。7杯目に堂々と手をつけ るような居候に」
「!?」
 冷たい視線と突き刺さる声にニー・・・もとい、セイバーはがちゃりと箸を落とした。
 これでも気にはしてるのだ。気にはしてるのだが・・・自分、不器用ですから・・・
「そこまでにしておいてくれよライダー。セイバーは衛宮家を護るっていう仕事をちゃんとしてくれてるんだからさ」
 苦笑交じりにかばう士郎の言葉に、セイバーはきらきらと目を輝かせて何度も頷く。
「そ、そうです! 士郎とその一族、そしてその居場所を警備するのが私の仕事なのです!」
「自宅警備員ですか」
「!?」
 がちゃり、と今度は茶碗が落ちた。カタカタ震える労働弱者の姿に桜は慌てて従者を睨んだ。
「ライダー! もう! 失礼なこと言っちゃだめでしょ!? セイバーさんはちゃんとご飯炊く量の指標とかになってくれてるんだから―――えっと、在宅ごは ん品質管理者?」
「!?」
 ごとり、と頭を垂れる。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい喰ってばかりでごめんなさい・・・
 死んだ魚の目でどこかのなにかに謝り続けるセイバーに、凛はやれやれとため息をついて士郎の入れたお茶をすする。
「気にする事はないわよセイバー。あなたがその気になればお金なんて簡単に稼げるんだから」
「わ、私がですか!?」
 びくんびくんらめぇ! とばかりに身体を震わせて正気に返ったセイバーは、しかし一瞬輝いた表情をすぐに暗くした。
「・・・だ、駄目です・・・私の純潔はシロウに捧げると決めています・・・そのような仕事に偏見はありませんが自分でするとなると―――」
「風俗に沈めとか言ってんじゃないわよ! セイバーは受肉した英霊でかつ竜種の因子を持つきわめつけのレアものだから髪の毛一房でも血の一滴だってこの家 丸ごと買えるぐらいの額で売れるのよ! 売らないけど!」
「っていうか、さりげなく先輩のを狙ってるんですねセイバーさん・・・」
 激昂する凛と冷めた目の桜に、士郎はふぅと息をつく。
「えっと・・・まあ、そういう事ならとりあえずセイバーにも働いてもらおうかな。この後俺と遠坂で出かけるから、護衛も兼ねてついてきてくれないか?」
「は、はい・・・! お任せください。先程も言いましたが私は士郎の一族を無条件に護ります。当然、リンもです」
「ぐ・・・ぅ・・・ぁぅ・・・」
 邪気の無い笑顔に凛は口ごもり、湯飲みを口に当てて表情を隠す。お茶などとうに飲み干しているが。
「はいはいわろすわろすですね姉さん・・・って、考えてみればもしそうなったらわたしも妹分から義妹キャラにクラスチェンジですか・・・」
 桜はやさぐれた表情を少し緩めてそれもいいかなあ背徳的でと首を傾げる。
「となると、私は桜の姉キャラなので士郎の姉キャラでもあるということになりますね」
 まだ出かけないライダーの呟きは無視してセイバーは士郎に目を向けた。精神的に立ち直ったので茶碗と箸を拾いながら。まだ食うのか。
「それで―――どこへ向かうのでしょうか? 私を伴うということは、何か危険が?」
 いちゃつくのを延々と見せ付けるの刑とかだったらさすがに辛いなあなどと内心でびくびくしているセイバーに、士郎と凛は軽く顔を見合わせて首を振る。
「いや、まだわからないんだけどな」
「一昨日から昨日にかけてこの状況について色々わかったからそれを確認に・・・ね」


 まあ、半分デートなのも否定はできないのだが。耐えろセイバー。


13-3 朝。魔術師と英霊は日常を謳歌する
13-3-1 AM9:55 教会への道行

■深山町 海浜公園へ続く道

「そういえば、この組み合わせであそこいくのって前とまったく同じね」
 凛が唐突にそんな事を言い出したのは、衛宮邸を出てしばらくしてからだった。
「前と?」
 問い返す士郎に頷いてセイバーに目を向ける。
「ほら、2週間前よ。その時はセイバーはレインコートで変装してたけどね」
「あんなものは変装とは言いません。十歩譲って珍装です」
 10年前にアイリスフィールをエスコートした際に着た男物のスーツは実にセイバーの美的感覚を満足させてくれた。
 嫌な事ばかりだったあの時の記憶の中、ほんの僅かしかない楽しい記憶に繋がる格好だけに、あの不恰好なレインコートをそれと同一線上で語られるのはどう にも耐え難い。
「あれはあれで可愛かったと思うけどな。あー、ってことは行き先は教会なのか?」
「正確には、その近く」
 凛は言って、ふふんと笑う。
「でも、二人とも? あなたたち、『そんな経験』してたっけ?」
「む・・・」
「それは・・・」
 当然、していない。3人で教会へ行ったことも、その際にセイバーがレインコートで変装した事もない。
 意識してしまえば、記憶だと思っていたそれはするりと頭の中へ引っ込み、曖昧なものへと変わってしまう。
「例によってありえない記憶、か・・・本当、なんなんだこれ」
「まだ確実な説明はできないわ。でも、確かにそれを覚えてるのよね」
 そこが問題なのよと凛は溜息をつく。
 この状況で最も異常なのはこの記憶。これさえなければどれだけ他が異常でもそれを違和感として感じなかった筈なのだ。
 だとすればこの記憶があるということは、この状況を作ったものにとって必然だったのか? それとも偶然だったのか。
「アーチャーによれば、これらの記憶はサーヴァントが座から引き継ぐものに近いそうです。明確に自分の物と認識できるのですが、それを現在の自分と結びつ ける事ができない。仮にですが、同一の時間、別の平行世界で発生した聖杯戦争に二度呼び出されればこのような状態になり得るとか」
「再生は出来ても再認は出来ない、か。でもセイバー、今回の場合は俺達魔術師や座を持たないセイバーや佐々木さんもそうなってるんだぞ?」
 人間にも、サーヴァントとしては仮免のセイバーや無免の佐々木小次郎には記録を溜め込む座なんて無い。
「ええ・・・アーチャーもそれで手詰まりだと」
 二人の話を聞き、凛は動揺を抑える為に手をグーパーと何度か握って開く。
 再認が出来ない記憶と士郎は表現した。それをセイバーもアーチャーも肯定している。
だが、自分は? イリヤと会話して以降の自分は、ここではない2週間の記憶を・・・自分が経験したものだと感じている。
 つまりそれは、遠坂凛だけは皆と違うという事であり・・・やはり、自分は―――

 ぎゅむ、と。

「あぇ?」
 思考が中断した。不意に手を包む暖かい感触。わりとゴツゴツしてるそれは。
「しろぅ?」
 士郎の手のひらだ。手を握られている、と認識した瞬間唐突な行為に顔が火照る。
「―――ちょ、士郎! なに? いきなり!」
「あれ? 違った、のか?」
「す、すいませんリン。物欲しげな手の動きでしたのでてっきり・・・」
 どうやらぐーぱーしてるのを見たセイバーが要らぬ入れ知恵をしたらしい。いや、要らぬというかむしろ望むところだが。
「別に飢えてたわけじゃないけど・・・まあいいわ。このまま行きましょ」
「こ、このまま? 新都まで・・・?」
「ファイトです、士郎。むしろ運命(フェイト)です」
「いやそんな上手い事言われても・・・」
「うまい・・・かしらそれ」
 凛はぼそっと呟き、こういう経験はゼロに等しい士郎と仲人のおばちゃんと化してる楽しげなセイバーを眺めて現状の判断を心の中の『とりあえず保留』の棚 に置いた。
 ちなみに同じ棚には『はぢめてのシチュエーションはどんながいいか』とか『次に士郎がなんかやらかした際のお仕置き手段』とかも置いてある。
「まあ時間はあるんだし結論を出すのを焦る必要は無いわよね」
 士郎の手をにぎっとして凛は悪戯っぽい目で隣の恋人を見つめてみた。
「それはそれとして、まずはあなた達に聞いておきたいんだけど―――わたしが異世界人だったら、どうする?」
「未来人と宇宙人を探す」
「超能力者もです。シロウ」
 そして凛は、とりあえず士郎の耳に息を吹き込むお仕置きを棚から出してきた。


13-3-2 AM09:40 彼女はどこに? 
■深山町 深山児童公園

 かつては赤い幼女とぐるぐる目の幼児が平和を賭けて戦ったという伝説を持つ深山児童公園には今、銀髪の少女と褐色の肌の女性が訪れていた。
「とにかく、まずはサクラと会うのが先決なのよ」
「がう」
 銀髪の少女・・・イリヤは深刻そうな声でそう言ってストンとブランコに腰掛ける。ナチュラルな動きでバーサーカーはその背を押してブランコを揺らす。
「問題は、どこに行けば連絡が取れるかよ。マキリの家にもトオサカの家にも居ないとなると・・・大聖杯かしら?」
「がぅ」
 バーサーカーは頷きながら強く押しすぎないよう注意しながらブランコを揺らす。
 正直、理性は戻っていても狂戦士クラスに憑依している状態では頭脳明晰とはいかないので話は右から左に受け流しているが。
「うーん、でも大聖杯の入り口は岩で封鎖されてるし・・・どこかから入り口でも開かないと駄目かも・・・」
「セラ、ソウダンスル?」
 術的な問題では最も頼りになる助言役の名を出すと、イリヤは軽く俯いた。
「二人の分を維持する余裕が無いから無理」
「がぅ・・・」
 失言に手が止まる。イリヤ陣営の状況と、彼女たちが把握している限りの現状に対する説明は既に受けている。配慮が足りなかったとバーサーカーは落ち込ん だ。
「・・・バーサーカーが私を気遣うなんて生意気」
 重くなった空気に気付いたのか、イリヤはツンと上を向いて唇を尖らせた。
「考えるのは私の仕事! バーサーカーは何も考えないでいいの! 早くブランコ動かしなさい! 思いっきり」
「がぅ!」
 バーサーカーは主人の命令に忠実に従った。
 イリヤの軽い体は実によく飛んだ。


13-3-3 AM10:02 問答。王道とは何たるや?
■冬木交通 新都行きバス車内
「だからね! やっぱりスイーツの王道はショートケーキだと思うんだよっ!」
 新都の中心部へ向かうバスの中で、イスカンダルはギルガメッシュに熱弁をふるっていた。
「ふん、王道と出られては捨て置けんな。だがその前に問おう。ショートケーキと言っても国によって中身が違うぞ?」
「もちろんこの場合は日本式のスポンジケーキベースの奴だね! 飽きない! 高くない! バリエーションもいっぱい! ホールで買ってみんなで分けるには これが一番だよっ!」
 楽しげな制服王に、ギルガメッシュはこれだからコイツはとふんぞり返る。
「ふん、そもスイーツといえど王道とはただ一つ、我の総取りだ」
「・・・総取り」
 なんじゃそりゃと半眼になったイスカンダルにギルガメッシュはばっと両手を広げた。
「種類など限定する必要は無い。数に制限などする意味が無い。洋の東西も無縁だ。全てを我が食卓に並べ、気が向けばつまみ気が向かねば蹴り捨てる。興が乗 れば臣に与える事もあるだろう。そうやって嗜んでこそスイーツ(笑)の王道というものだ」
「(笑)付けないっ! 第一、そんなやる気の無い楽しみ方じゃ広がりが無いっ! 王たるもの誰よりもオーバーリアクションで食べて! 喜んでっ! そう やってこそみんなにも食べたいと思わせられる! もっと凄いものを作って喜ばせたいって思って貰えるんだよっ!」
 がるるっと吼えるイスカンダル。いつぞやの酒宴でもそうだが、精神性が王であるものは、どんなくだらないネタでも王道に繋げられる特殊能力を持つのだ。
「ふん、それは貴様の王レベルが足りぬのだ。所詮貴様は一大陸を征するナボナの王。我のような世界の王ともなれば何もせずとも一流スイーツ食べ放題だぞ」
「か、亀屋万○堂なめんなよっ! っていうかそんな問題じゃなくてっ!」
『後部座席のお客様ー、ほかのお客様のご迷惑になりますのでお静かにお願いしますー』
「「うるさい(よっ)!!」」
 運転手の諦め声の注意もなんのその、二人の問答は終点につくまで延々と続いた。
「ちなみにっ! バナナはおやつに!」
「入るわけがなかろう! 王的に!」
「だよねぇっ!」
 内容は、かなりくだらなかった。


13-3-4 AM09:47 修練。UnlimitedCode…もどき


■衛宮邸中庭 武道場 

 衛宮邸の中庭に聳え立つ武の殿堂。ぶっちゃけ道場。
 数週間前まではちょっと変わり者な家主が腕立てとか腹筋とかするだけの地味な空間だったそこに今―――神話の時代が再現されていた!
「そのドタマぶち抜いたらぁっ!」
「どこのヤクザ者だおまえはぁっ!」
 怒声と共に撃ち込まれた秒間100を越える速射砲の如き突きを、同じく怒声と共に振るわれる二色の短刀が受け流す。
 一撃毎に音速超過波を撒き散らす神速の突きも人知を越えていれば、数秒に一度は反撃まで行う二色の剣舞もまた絶技。
「赤枝の騎士的あたぁあっく!」
「鶴翼防御! 当たらなければどうということもないっ!」
 ランサーの円を描くような薙ぎ払いを左刀で振り払い、秒と置かずに繰り出された顎先への蹴り上げを身をそらして回避。体を捻りざまに返した右刀での突き は、床に沈みこんで回避された。
「赤枝騎士っぽいジャンプアタックぅっ!」
「ステータスの高さが戦力の絶対的な差でない事を教えてやろう・・・!」
 そのまま飛び上がる動きで繰り出された逆流れの槍撃を十字に組まれた双刀が迎え撃つ。
 ガギンッ! という鈍い音と共に双刀は砕け散り、破片と衝撃波が道場の隅々まで撒き散らされた。
「あらあら、熱心ですねえ・・・」
 瞬時に再投影された双刀でランサーとぶつかり合うアーチャーの姿を眺め、自称佐々木小鹿こと佐々木小次郎はスポーツドリンクのペットボトルを二つ入り口 脇に置いて道場を去った。
 彼女が見た限り、今の戦いはまったく手加減がされていない。
 宝具は使わない、トドメは刺さない程度の事は考えているが、完全に殺す気で攻撃を叩きこんでいる。まあ、気の抜ける台詞を叫んでるのもある程度のリミッ ターではあるのか。
 それだけ互いの実力を認め合っているのか、死んだら死んだで弱いのがいけないのだと思っているのか…
 はたまた、案外どっかの少年を巡って本気の痴話喧嘩だったりするのか。
「剣呑剣呑・・・」
 くすくすと笑いながら佐々木は台所へ向かった。
 歩く佐々木の白魚のような指先が、つっ、つっと何も無い空を薙ぐ。
 それは先程見た彼らの一撃を受け流し、巻き込み、首を落とす為の剣の軌道。飛び散る血飛沫と共に幻視する、佐々木小次郎の剣技。
「ほんとに、剣呑ですねえ…ふふふ:
 彼らが殺意を失わぬように死線を行き来しているように、彼女は殺意が溢れぬように家事をする。
 人を斬ること、剣腕を磨くこと、それしかする事のなかった魂が彼女という存在の大半を占めているのは揺るがぬ事実だ。
 錬鉄の英霊が剣で出来ているのなら、人斬りの亡霊は血刀で出来ているのだから。
 だが。
「人参も切り飽きましたしねえ・・・」
 虚空に血華を咲かす人体を鮮やかに思い描きながらも、佐々木は台所で彼女を待つ洗い物に意識を向ける。
 佐々木小次郎は剣鬼であっても、佐々木小鹿がそうである必要は無い。
 その名の為に呼び出されたからといって、その名のままである必要は無い。そう教えてくれた人が居るのだから。
「―――わたしはお茶目な、管理人さん〜」
 自己を確立したいという願い。
 アサシンのサーヴァントに共通するそれの為に彼女は今日も戦い続けている。


13-3-5 AM09:51 格差社会


■衛宮邸屋根裏 ハサンの巣

「つ・・・次、いくですぅ・・・!」
 一方。
 自己を確立したいという事にかけてはかなり切実な欲求を抱え込んでいる真正のアサシンであるところのハサンは、いまや自室となっている屋根裏部屋で緊張 の汗をかいていた。
「ハサン、落ち着いて・・・!」
「にゃー!」
 見守るちびせいばーとその相棒たる猫に緊張した表情で頷き、ハサンはそろそろと慎重にその小さな箱を開ける。
 呼吸を止める。中を確認する。脳にぴりっと刺激。震える指でその中身を取り出し。
 そして!
「! やたー! ダークっ! ついにシークレット、山の翁のダーク・・・ゲットですぅ!」
 片手に箱を―――小さな、食玩の箱を握りもう片方の手には精巧に出来た短剣の模型を高く掲げてハサンは喜びの叫びをあげた。
「おお、ついに出ましたか!」
「にゃうっ! にゃ!」
 我が事のように喜んでくれる親友達に少し涙ぐみながら指先を差し出し、小さな手にそっとハイタッチ。
「長かった・・・長かったですぅ・・・コンビニで見つけてから毎日いっぱい買い続けて・・・ようやく・・・ようやくぅ・・・!」
 だばーっと目の幅涙を流すハサンにうんうんと頷いて返し、ちびせいばーはハサンのふとんの傍らに視線を向ける。
 この無念を忘れませんと言って彼女が積み上げ続けた食玩の空箱は、すでにちょっとした山と化している。数にして100は越えただろうか。
 フ○タ製菓、世界の暗器コレクションVer3―――はっきりいって微妙なシリーズである。よくぞ第三弾まできたものだ。
「にゃぅ・・・」
「ええ。これでもうダブりともお別れです。Saw of WordもCarving knife of WorldもIcePickも・・・これ以上増えることはありません。KaranabeやItodenwaはそんなにダブりらなっかったですけど」
 どういうわけか日用雑貨っぽい暗器が多かったのでサイズが合うちびせいばー的には実用品として助かっていたが、さすがにここまで数が増えると邪魔だ。こ こで打ち止めなら幸いと言うものだろう。
「うぅ、買っててよかったですぅ・・・それにしても、精巧に出来てるですね。ほら、この辺の造形とか本物と一緒ですよぉ!」
「にゃう!」
 天井・・・というか屋根の裏側に頭をぶつけんばかりにはしゃぐハサンと、じゃれ付きまわる猫。それを眺めてちびせいばーは、ほのぼのと頷いた。

 ハサンとコンビニへ出かける度にこっそり一つずつ買い集めていた『海○堂 世界の宝剣』が、本日ダブり無しでフルコンプリートしたことは、とりあえず内 緒にしておこう―――


13-3-6 AM09:51 大改造魔術的前後

■衛宮邸 裏庭

 ご近所さんから見れば外国人美女ばかりを溜め込む謎の武家屋敷である所の衛宮邸。
 某ヤクザ屋さんをご近所に持つこの家は、元を正せば第四次聖杯戦争で使用された隠れ家であり、その実体はれっきとした魔術的な拠点であったりする。
 とはいえ、元々の用途が潜伏用のセーフハウスであったことからもわかるように、その霊格はさほど高くは無い。
 建物の構造も武家屋敷風の開放型で、魔力の通りが良すぎる。正直なところ、工房として使うのはお勧めできない物件だと言えるだろう。

「新しーい マナが来た〜 希望〜の〜マナーだ〜」
「まなだー」「まなですねー」

 だが、立地条件が悪いという程度で諦めているようでは所詮二流。
 基盤である肉体だって代を重ねて回路を増やし、刻印を受け継いで開拓していくもの。
 本当に優秀な魔術師というのは、手持ちの資産をどれだけ膨らませることが出来るかで評価されるのである。どれだけ受け継いだところで、無駄遣いでそれを すり減らしては意味が無いのだ。

「喜〜びに胸を開〜け大空〜仰げ〜」
「あおぐー」「あおぎますねー」

 そういうわけで、今日もキャスターは衛宮邸の資産を増やすべく裏庭で魔女っ娘ステッキ型の礼装をふりふり儀式を行う。
 目指せ霊的拠点マキシマム。いずれは兎が済む永遠なヤツくらいにしたいものだ。薬品製作者的に。
 足元に輝く陣は凛の協力を得て構築した魔力循環術式。付近の地脈を微妙に曲げて日(マナ)当たりをよくすると共に、屋敷中に張りめぐらした疑似回路を通 して住民が日々無駄にぶち撒けている魔力を再使用可能な状態へ還元して蓄えるという匠の技が光る一品だ。
 土地から吸収する量をあまり増やしては環境に悪影響が出るし、そもそもこの辺りの地脈を束ねているのは遠坂邸だ。大量に横取りした日にはスペインの宗教 裁判並みの残虐な処刑が待っていることだろう。安楽椅子の刑とか。お茶は11時に1回で。

「マナーのーこえにーささやーかなーむねをー」
「ぺちゃをー」「ろりをー」

 そんなあくま的嘲笑が目に浮かぶ展開になるくらいならば、mottainaiの精神でリサイクルを心がけた方が進歩的というものであろう。
 屋敷自体もあくまで開放型のすごし易さを損なわないように外壁に細かな術式を書き付けて魔力の拡散を防いでいたり強度の補強を行っていたりと手を加えた 結果−−−

「この高〜い空〜にひら〜けよぉ、そぉい1・2・3〜」
「あん・どぅ・とるぁ〜」「ひぃ・ふぅ・みぃ〜」

 なんということでしょう! がらんとした一軒屋だった武家屋敷が、マナ溢れる立派な陣地となっているではないですか!

「今日の儀式、終了だもん」
 そんな劇的でビフォーでアフターな作業を終えたキャスターは、ふぅと息をつき。
「−−−で、あんたたち、なにやってるのよ」
 じっとりと背後を睨みつけた。
「マナを集めてるんだよ?」
「今日も豊作ですねー!」
 視線の先には、鏡に映したように同じポーズで踊り狂うあんりとまゆ。言うまでも無いが、キャスターが呼んで来たのではない。いつの間にか現れていたの だ。
「あんたたちがやっても意味無いもん! 気が散るからやめろって昨日も言った筈でしょ!?」
 口を尖らせて文句を言ってはみたが、実際にはその程度で集中が途切れるようでは魔術師はやっていられない。
 1週間くらい前にみんなで面白顔したらばっちり集中が拡散した魔術使い見習いもいたが、あれは例外である。
「? なんで怒ってるんだろうねー?」
「骨粗鬆症ですねー。ポネッコ食べます?」
「カルシウム関係ないもんっ! 解呪するわよあんたら!」
 うーっと怒るキャスターにあんりとまゆは、わーいと声を合わせて逃げ出した。
 パタパタという足音と共に笑い声が遠ざかっていくのを見送りキャスターは腕組みなどして顔をしかめる。
「まったく・・・あの餓鬼どもは・・・始末におえないもん」
 自身も魔術で少女になっているとはいえ、それは幼い頃に戻って誰かに甘えたいという願望の充足の為であって本質的には子供なんて好きでも何でもない。
 まあ、可愛いものは正義だし、せっかくの美形幼女×2なのだから動く着せ替えニンギョウと思えば楽しいのかもしれないが・・・
「あんなの、形だけだもん」
 やや苦い表情でキャスターはむすっと呟く。
 言ってみれば犬耳っぽい髪型の美少女を、正体が触手の塊みたいな一つ目グロ生物だと知った上でなお萌えられるのかというテーゼ。
 見えすぎる眼や、解りすぎる脳髄は、時に障害にしかならない。
 だいたい、着飾らせて遊ぶなら他にいくらでも相手は居る。最近は影が薄い味方ができて逃げられてしまうことが多くなったとはいえ、ちびせいばーに着せる ドレスは着々と数が増えているし、他の面子に眼を向ければライダーあたりが実にそそる。
「あれは、間違いなくMだもんね」
 キャスターはくくくと喉で笑った。一流のサディストとしてマゾを嗅ぎわける嗅覚には自信がある。
 セイバーは極めつけの強気マゾだが、服装などからサドっぽく見えるライダーも一皮剥けばマゾとしての顔が覗く筈。あの娘には白のワンピースにヘッドドレ スなど付けたら実にいい表情をするだろう。私には似合わないと嫌がる顔が眼に浮かぶ。
「ふふふ・・・まずはフィギュアからね・・・うふ、ふふふふふふ・・・」


 彼女が後に2月と9月に江東区の辺りを騒がせるようになるかは、まだわからない。


13-3-7 AM10:21【ロスタイム:ラストタイム】

■冬木市新町 教会近く

「あのさ、遠坂・・・さすがにそろそろコレはよさないか?」
 士郎は冬木教会に程近い坂の中途まで来た所で呻くようにそう提案した。
 彼の左手は凛が指と指をからめる恋人握りでぎゅっと握っており、右手はセイバーがきゅっと小さく握っている状態である。川の字、3Dバージョンだ。
「なんで? 子供連れの仲良し家族みたいで素敵じゃない」
 凛は、にぎにぎと手のひらの感覚を味わいながら首を傾げる。楽しそうだ。
「家族はいいとして、子供ポジションに俺が入ってるのが問題なんだよ!」
「まあまあ、いいではないですかシロウ。三人でもツインズという格言もあると聞きます」
 クスクス笑うあくまさまと駄目な方向で現代社会に馴染みつつある王さまに挟まれて士郎はため息をつく。
「格言じゃないし、だからどうしたっていう感じだよ・・・」
「文句ばっかりだけど、きもちいいでしょ? ほら、こんな感じでにぎにぎっ、と…」
 士郎だって色々人格が壊れていても各種肉欲はちゃんと有る。
 手のひら同士ですりすりされたり指先でくすぐられたり手の甲を軽く爪でカリカリされたりされて悪い気がするわけがない。
 というか、正直超ハッピーである。
 ハッピーではあるのだが―――
「遠坂、なんていうか・・・こう、恥ずかしくないのか?」
 通行人の遠慮ない視線の冷たさが身にしみるここ数十分でもある。
 実際のところ注目されてるのは両サイドの美少女であって彼自身は取り立てて目立ってもいないのだが、それでも視線を集めているのは事実なのだ。
「え? 別に恥ずかしくはない・・・と思うんだけど・・・?」
 一方で、注目される事に慣れている凛は士郎の気後れに共感できず、どこか変かしらと自分の格好を確認する。
 一応調査名目での外出なのでそんなに気合を入れたわけでもないが、それでもお気に入りの服にスカートやや短め。化粧もあくまでナチュラルにだが決めてる し、自分で言うのもなんだが今日の私は可愛いのよメルトな感じだと思うのだが―――
 しきりに首を傾げる凛に士郎は苦笑交じりに首を振る。
「いや、なんていうか・・・アンバランス過ぎて目を引いてると思うんだ」
「アンバランス・・・?」
 凛はきょとんと首をかしげた。
 バランス。なんの・・・?
「こう、凄いのに挟まれてる分真ん中だけ微妙っていうか・・・」
「!?」
 ぼそぼそ言われて凛は戦慄した。
 そう。
 その通りだ。まさか士郎本人に指摘されるとは思わなかったが、事実は変わらない。逃げたところで現実はがむしゃらに来るし。
 苦い思いに思わず視線を下げ、凛は苦悶を押し出すように喉を震わせた。
「確かに、少し・・・少しだけ貧相だとは思うけど」

 ―――わたしの胸って。

「・・・そう、だよな・・・確かに貧相だよな・・・」

 ―――俺の体格って。

「うん・・・さすがのわたしでも、こればっかりは否定、できないかな・・・」
 顔はお母様の遺伝子のおかげで綺麗に産んでもらえたと思うし、脚は色々鍛えた自慢のラインだ。
 でもその中間は…真ん中だけは、確かに無駄に脂肪をぶら下げた連中に囲まれている士郎から見たら、物足りないと言われて反論できない。残念胸と、アンバ ランスと罵倒されてもしかたないではないか・・・

「・・・ああ。戦わないとな。現実と」
 左手に穂群原に名高き高嶺の花、右手に伝説に名を残す金髪美少女ときてその中心に居るのが作業服が似合う男子ランキング1位の自分だ。
 スイカに塩をかけたら甘さが際立つように、凡人な自分が両脇を引き立たせるこの状況。誰がどう見たところで、釣り合わない事この上ないだろう。不釣合だ と、アンバランスと罵倒されてもしかたがないだろう…

「はぁ・・・」
「ふぅ・・・」

(重い・・・! 空気が重いですシロウ・・・!)
 ずどーんと盛り下がり俯いてしまった二人に、セイバーはじっとりと汗を浮かべた。
 遠い目をしてしまった士郎とじっと自分の胸元に目をやっている凛。
 二人の表情を見れば、状況の把握は難しくない。
 そもそも、セイバー自身その二つの悩みには敏感である。生前は低身長に童顔なので少年王扱いだったし、今はあの忌まわしき肉塊が―――
「くっ・・・」
 悲しい現実にセイバーは俯き、そんな場合ではないと慌てて顔を上げた。
 凛と士郎の表情は一様に沈痛でありその顔は弔事のそれではあるが、所詮誤解。ちょっと耳打ちしてやればそれで済むのだ。
 気配り上手な自分に少し満足してセイバーは素早く士郎の耳元に顔を寄せた。
(・・・シロウ!)
「うぉっ!?」
 急に耳元で囁かれた士郎はびくりと震える。瞬間、思わず動いた右腕が近づいてきたセイバーのささやかな胸を迎え打って密着し、ぷにとぺたの中間の感触が 腕に伝わった。
「す、すまんセイバー!」
(だ、大丈夫ですシロウ。あなたが意図的に私の体を弄ぶ人でないことはわかっていますから・・・!)
 この人、私の全裸フィギュアとか作ろうとした事あったよなあとかそういう迷いは心の中のアヴァロンに封じ込めてセイバーは再度士郎の耳元に唇を寄せる。
(え、ええと、とにかくですね・・・その、私の粗末なものはいいとしてリンのことなのですが―――)
 そして、当然その姿は。
「そ、そうよね。こうなるの覚悟の上で一緒に行こうって誘ったんだもの。想定の範囲内、想定の―――負けないわよセイバーっ!」
 既に色ボケ補正全開の凛の目から見れば、密着+耳元でラヴトークという強烈な攻撃にしか見えない! そして、半分くらいそれであっているような気もす る!
「わたしのだって貧相かもしれないけど毎晩自分で揉み解してるのよ!?」
 バストアップ体操である。無惨に自爆したことに気付かず凛はぎゅっと士郎の左腕を抱え込んだ。たくましい筋肉の感触に、ちょっと身体が熱くなる。
「最初に言っておくけど・・・形とか柔らかさはいい感じなんだから・・・!」
「待っ、とおさ―――え!? 貧相ってそっち!?」
 事ここに至りようやくすれ違いに気付いた士郎の声をツインテールに流して無視し、凛はコトンとその肩に頭を乗せる。
「これは・・・!」
 髪で士郎の頬をくすぐる姿にセイバーのアホ毛がピキンと跳ねた。
(シロウ! これはまたとないチャンスです! もはや凛は陥落たも同然、ここでぎゅっと抱きしめれば和了(ホーラ)ですよ!)
 直感スキルで垣間見た未来を元に迷い無くセイバーは愛する主へ助言を送る。
 無論、凛に聞こえないよう囁くには耳元に密着する必要があるわけで―――
「っ! ここでさらに攻めにでるとは本気みたいねセイバー・・・!」
 ―――当然の如く、逆効果であった。
「え!? ご、誤解ですリン!」
「いいわよ!? この際士郎をどっちが欲情させられるかで白黒つけようじゃないの!」
「・・・欲情だけに戦闘開始か?」
 あたまのおかしい展開にぼそりと呟いた士郎の駄洒落を無視して凛は士郎の頬にそろそろと舌を伸ばし、セイバーは学習能力が無いのかわざとなのか、何かを 囁くべく士郎に身を寄せ―――
「にゃがーーーーーーーーっ!」
 白昼堂々の痴女行為は、坂の上から響いた悲鳴によって制止された。
「ちょ、おま、あれ! なんでとおさ、えみ、うわっ、鐘ッ! 由紀香の目を潰せっ!」
「潰してどうする。もう塞いでるが」
「え? え? え?」
 聞き覚えのある声に慌てて見上げれば、坂のてっぺんで豹を叫ぶ少女一名。
 隣の少女の目を塞ぐ少女一名。
 ただただ混乱する少女が一名。
 ―――言うまでも無く、いつもの三人娘であった。
「あら、こんにちは皆さん。奇遇ですね」
「いや遠坂! なんでそんな平然と挨拶ッ!」
 士郎に絡みついたままでいつもの優等生スマイルを浮かべる凛に、士郎は反射的にツッコミんでから青くなった。
 遠坂凛の人気は、ここ2週間で嫌と言うほど味わっている。
 その凛と自分がこんな状態というのが学園に伝わった日にはどうなるだろうか。

 発覚
 ↓
 周知
 ↓
 土下座祭り
 ↓
 集団ターン祭り
    ;y=ー( ゚д゚)・∵.
  \/| y |)
 ↓
 屍の中からファンクラブ決起
 ↓
 中に誰も居ませんよ?
 ↓
 nice boat.

「っ! と、遠坂! とりあえず離れろって!」
「え? なんでですか? 衛宮くん」
 にこーっと凛は微笑み、士郎の腕を更に強く抱きしめる。
「っ―――」
 太もも、より正確に言えば左右の絶対領域で手のひらをぎゅっと挟まれた士郎は、あまりの滑らかさに意識を失いかけた。
(ファイトですシロウ! まだまだこれからではないですか・・・!)
 耳元で囁き続けるセイバーの声になんとか現世へ帰還し、弱々しい目でガクガクと頷く。
 わかり易く骨抜きになっている少年を心底冷めた目で眺め、氷室は軽く肩をすくめた。
「・・・まあ、いずれこうなるとは思っていたが・・・なんというか、妙な絵面になっているな」
「と、遠坂を離せようっこのエロスパナ・・・! 略してエスナ!」
「状態異常とか全解除できそうだね」
 首を傾げる者あり、錯乱するものあり、目をふさがれたままのんびりしてる者あり。
 実にカオスだ。
「それで遠坂嬢、衛宮とはいったいどのような関係なのか聞いてもいいだろうか?」
「そ、そうだよぅ! そいつなんなんだよぅ! わ、私ってものがありながら・・・!」
 あんたは関係ないでしょうと目でつっこんでから凛はようやく士郎から離れた。
 今更ながらに密着度合いが気になったセイバーも慌てて離れたのでCEROレーティングZからAくらいに状況が変わったと判断し、氷室は三枝の目を塞いで いた手を放す。
「―――あ」
 光を取り戻した三枝は、状況の急変についていけず立ち尽くす士郎を見つけて嬉しげに声をあげ。
「あ―――」
 直後、そのすぐ傍に立つ凛の姿に眉を僅かに下げた笑みで頭をさげる。
「こんにちは、衛宮くん、遠坂さん・・・えっと、セイバーさん」
「ええ、こんにちは。三枝さん」
 凛はいつもの優等生スマイルで挨拶を返し、一瞬だけ躊躇ってから士郎に目を向けた。
「士郎。わたしはその二人の口を塞いでくるから、三枝さんを近づけないようにしてくれる?」
「え? ・・・あ、ああ。わかった」
 さっきまでは口封じどころかむしろストリーキング上等な見せびらかし具合だった凛の豹変に、士郎は戸惑いを浮かべて頷く。
 まあ、優等生演技の専門家、猫かぶり世界チャンピオン、キノコ狩りの女、衛宮士郎キラー(恋愛的な意味で)、親の心、子の心。優雅な心を守る女であると ころの遠坂凛なのだから、自分との付き合いを隠蔽しようとする事それ自体は別段不思議じゃないのだが。
「さて、二人ともちょっとこっちに来てくれるかしら? あ、セイバーもね」
「く、口、口塞ぐって・・・だ、駄目だぞ遠坂・・・その、あたしら女の子同士だし、ほら、人目だって・・・」
「落ち着け蒔の字」
 氷室は挙動のおかしい蒔寺の肩をぽすぽす叩いてからその場を離れる凛とセイバーの後を追う。
 坂を降りつつちらりと背後を伺い、ぽーっと向き合ってる三枝達に苦笑をひとつ。
「―――これは、告れるものなら告ってみろ、ということか? 遠坂嬢」
 十分離れたと判断して声をかけると、凛は苦笑を浮かべて首を横に振った。
「告白、はともかく・・・何か言おうとした事を飲み込んだようでしたから。・・・わたしは士郎に言いたい放題してますし、三枝さんに我慢をさせてしまうの は違うな、と思っただけです」
「・・・ふむ。勝負は平等に、か? 自信が有るのだな。彼との関係に」
 感心したような呆れたような声に、凛は苦笑を深くする。
「あるのは意地くらいですね。自信は、あんまり。何しろこの手の事に関しては全くの事経験が足りてませんから、何もかも手探りです」
「経験!? も、もうそこまで・・・」
 ガクブル震える友人に構うと話が進まないので捨て置き、氷室はふむと首を傾げる。
「と、なると何故敵に塩を送るような事を? 由紀香の想いは知っているだろうに」
「ええ。でも、士郎と付き合う事になった時に決めたんです。嫉妬することもあるだろうし、喧嘩だってするだろうけど、人の邪魔だけは絶対しないって」
 あまりボリュームは無いが、胸を張って凛は答える。
 遠坂の家訓は『いかなる時も優雅たれ』だ。競争相手を蹴落として自分に繋ぎ止めるなんてのは無様に過ぎる。そんな事を考える時間があるなら、少しでも魅 力を磨いて凛素中毒にしてやろうというのが今の野望である。
 ―――問題は、「かわいい女」というものがどういうものなのかがいまいち凛にはわからない、という事なのだが。
「ふむ、一歩間違えば傲慢な態度だが・・・個人的には悪くない。うちの由紀香もあれで度胸は据わっている。好機は逃さないと見たが・・・」
 離れたところに取り残された士郎と三枝を見やり、氷室は軽く首を傾げた。
「ちなみに遠坂嬢、ハーレムエンドは許容範囲なのだろうか?」
「受身なのはあまり好きじゃないので、その場合士郎を含めた全員がわたしのハーレムということで」
 

13-4 朝。そして、はじまり
13-4-1 AM10:35 【タイムアップ】


■新都 教会側の坂道

「・・・気をつかわせてしまいました」
 少し離れたところで何やら話し込んでいる凛を見やり、三枝はそう呟いた。
 普段は鈍かったりずれてたりしているところが目立つ彼女ではあるが、根はむしろ気配り上手な鋭い質だ。
 大手部活のマネージャーであり大家族のおねえちゃんであるその経験が磨き上げた直感で見抜いた凛の考えに、どうしたものかと士郎を見る。
 そして。
「あの、衛宮くん」
「なんだ?」
 深呼吸を二度。慎重に慎重に。
「昨日なんですけど・・・あの後、遠坂さんに会えた・・・んですよね?」
「ああ。みんなに色々助けてもらってだけどな」
 うぅ、あの美人さんたち公認ですかーと負け戦を肌で感じながら息を吐く。
 わかっている。昨日の事で覚悟も出来ている。
 だから、ほんとはここで思いを告げる事には意味が無い。
 この人を困らせるだけ。この2週間ほどで近づいた距離すら失う可能性がある、リスクばかり高くて勝ち目の無い賭け。
 でも。
「・・・衛宮くん、聞いてくれますか?」
 三枝はもう一度だけ深呼吸をして、笑顔を浮かべた。
 視線の先には、士郎と―――遠くから彼をちらちら見ては落ち着かなく髪を弄りまわしている凛の姿。
 いつも通りの表情に見えて、生身の遠坂凛が見え隠れしてしまっているその姿を。
 そんな可愛い顔なんてみせられてしまったら―――
(知らんぷりなんて、できないじゃないですか)
 くすりと笑って彼を見つめる。
 やっぱり好きなのだ。この人も、そしてあの人も。
 だから、ここまで。もうタイムアップ。
 由紀香は、片思いで居られた最後の時間を名残惜しく思いながらゆっくりと口を開き。

「えみやく




















 
 消滅した。

 蛍のような小さな光が一瞬だけ漂いすぐに消える。
 思わず差し伸べた手が何も掴まず空を切った。
 そこには、何も無い。

 耳にその声は残っている。
 目には緊張と決意の混じった表情が残っている。

 なのに。彼女が存在した痕跡すら、もうどこにも無い。

「―――っ!」

 立ち尽くしていた士郎は、思考よりも先に動き出した身体が背後へ振り返った事でようやく我に返った。
 ぐるりと回った視線の先には大切な二人。
「遠坂! セイバー!」
「シロウ!」
 士郎の叫びに答えたのはセイバーだけだ。凛は、何かを呟きながら青ざめた顔でこちらを見ている。
 そしてその他には、誰も居ない。
「二人は!?」
「わかりません! ヒムロもマキデラも急に・・・! それにリンが・・・!」
 セイバーに腕を揺さぶられても何の反応を見せない凛の姿に士郎は全力で坂を駆け下り、その細い肩を掴む。
「遠坂!? しっかりしろ! 遠坂!?」
「魔力の拡散・・・逆だった・・・?」
 震える声に、士郎はふと疑問を得た。凛の目は今、自分に向けられている。
 今も、さっき振り返った時もそうだった。
 何故―――消え去った三人ではなく、ここに居る自分を凛は見つめているのか。
「遠坂・・・?」
「しろ、う―――」
 間近で見つめてくるその瞳に凛は放心したまま呟き。
「っ!?」
 瞬間、急速に焦点を結んだ目で士郎の背後を睨んでその場から飛びすざった。同時、傍らに居たセイバーが彼の背後へと回り込む。 背中越しに感じる魔力の 集約は、風王結界と鎧を具現化した時のそれだ。
 二人の動きの意味を理解するより早く士郎は双剣と盾の設計図を脳内に描いていた。
 短い時間であっても深く刻まれた戦闘経験は
既に彼の体 を振り返らせており、そのまま一足前に出て宝石を構えた凛を背後に庇い。

 ―――その間、1秒。
 その1秒で、それぞれの武器を手に三組の視線が坂の上へ向けられた。 
 坂の上。
 あのはじまりの夜に、バーサーカーの巨体が聳え立っていたそこに立つ者へと。

約束されたエクス―――』

 そして聞きなれた真名が響く。
 だが、士郎を護る従者の口は、未だ閉ざされたまま。剣は不可視の鞘へ収められたままだ。

 故にその声は、前方より響く。
 見上げる視線の先―――黒い甲冑。銀の髪。
 黒の極光を束ねた剣を振りかざしたその騎士は、アルトリアの姿で、アルトリアの唇で。
    

『―――勝利の剣カリバー

 躊躇無くその刃を士郎へと振り下ろした。


13-4-2 AM10:42【その、時】


■深山児童公園

 イリヤは無人の公園に佇んでいた。
「・・・イリヤ」
 バーサーカーの声に含まれた確認の意に、頷いてみせる。
 こうなる事は、いや、こうする事は聞いていた。
 ただ一つ決まっていなかった、『いつ』という要素が決まったというだけの事。
 数分前まで響いていた、子供たちの声が消えた以上、今がその時なのだろう。
「・・・やっぱり我慢出来ないのね、サクラ」
 乗り手を失ったブランコのキコキコと鳴る音だけが響く公園を見渡し、視線は遠く新都へ。
「もう、間に合わない。シロウは抑えられちゃうかな・・・」
 

■衛宮邸 居間
 
 ハサンは湯飲みを片手に首を傾げていた。
「はぇ?」
 先ほどまで昼前の情報番組を写していたテレビに、今は砂嵐しか映っていない。
「壊れたです?」
 首をかしげて隣に視線を向けると。
「・・・あんりちゃん? まゆちゃん?」
 昼ごはん待ちでバタバタあばれていたあんりとまゆは、今は動かず壁を―――壁の向こうの、どこか遠くを無表情に見つめている。
「あれは、本物かな?」
「あれが、本物ですね」
 囁きあって手を繋ぐ二人の顔から目をそらし、ハサンはざぁざぁと雑音を漏らすテレビを眺める。
 無邪気な筈の少女達からは、酷く嗅ぎ慣れた臭いがする気がした。


■衛宮邸 客間

 キャスターは、ひとつ息をついて箪笥の引き出しを開けていた。
 大人のそれに戻した体に最近着ていなかったローブを纏い、窓越しに空を見上げる。
 魔女という概念の結晶である彼女にとって、この程度の事態に驚くべきことは何も無い。
 元より、不自然であることはわかっていた。
 虚構に満ちている事も理解していた。
 にも関わらず何も事を起こさなかったのは、やはり居心地が良かったからか。
 第二の生。
 この小さすぎる世界を続けたいと願ったからか。
 ならば、とキャスターは礼装を―――彼女本来の、魔杖を握る。
 従うは、己の欲望にのみ。

 たとえ、誰を敵に回そうとも。


■衛宮邸中庭 武道場

 二人は道場でだらけていた。
「っ! ランサー!」
「ああ、始まりやがったか?」
 啜っていたスポーツドリンクのボトルを投げ捨てて二人は同時に立ち上がる。
「ったく、悪い予感ばかり当たりやがる」
 ランサーがぼやいた台詞に、アーチャーは鼻で笑った。
「違うな。予感とは関係なく、碌でもない事が常に起き続けているというだけだ」
 意地の悪い笑みを浮かべて出口に向かい、背後からついてくる気配が無い事に振り返る。
「どうした? いくぞ―――」
 しかし、視線は道場の奥まで通り過ぎる。
 青い髪の槍使いの姿は、どこにも見当たらない。
「・・・ふん」
 気にせずアーチャーは外へ飛び出した。
 塀を、屋根を飛び越えて全力で加速する。
 何があったのかなど知らない。あんな奴を気にする時間など無い。
 行くべき場所があるのだ。今はただ駆けるだけでいい。

 
 どうせあいつは、何があろうと生きて帰ってくる奴なのだから。
 


■新都 喫茶店エグリゴリ

 そしてその時。
「む?」
「あれ?」
 紅茶のおかわりを注ごうとしていたウェイトレスの消滅に、二人は同時に声をあげた。
「消えちゃったねえ」
 イスカンダルは落下したティーポットを空中で掴み止め、そのまま二人のティーカップにとぷとぷと紅茶を注ぐ。
「うむ。消えたな」
 ふんぞり返ってギルガメッシュはそれに口をつけ、つまらなさげに周囲へ視線をやった。
「我の目を謀るとは賢しげな詐術ではあったが・・・もはや種は割れている」
「あぁああぁずらぁあああああんんんんっ!」
「その種割れでは無いわ蛮人ッ!」
 つっこみを入れてから最後の一杯を飲み干して立ち上がる。
「イスカンダル。携帯は繋がるか?」
「ちょっと待って―――駄目。電波の中継すらされてないね」
 うんともすんとも言わない携帯を片手に首を振るイスカンダルにふんと鼻を鳴らし、ギルガメッシュは悠然と歩き出した。
「規模はせいぜいが街レベル、か。我が玉座を置くには狭すぎるな・・・とにかく戻るぞ。ここに居ても埒が開かん」
「う、うんっ! みんなが心配だしねっ!」
 イスカンダルは素早く財布を出してレジに駆け寄り、ぺちぺちボタンを押して自分たちの伝票の清算をすました。
「26円のおかえしだよっ!」
「釣りなどいらん。さっさと来い」
「ギルっちお金はらってないじゃん・・・」
 外でふんぞり返る王様にぼやいてレシート片手に後を追う。
「足はどうするかなっ?」
「ふん、特にさし許す。靴を脱ぎ、ありがたく乗るがいい」
 パチリと指を鳴らすと同時に、太陽が遮られた。
 見上げればド派手な黄金のボディーにエメラルドの翼も鮮やかなUFOがぷかりと其処に浮かんでいる。
「おお、ヴィッマーナッ! 懐かしっ!」
 みよんみよんみよんと降り注ぐ謎光線にアブダクトされた二人はヴィマーナの中心部、操縦席兼玉座とその傍らに転送された。
 玉座部分が他より高い位置にあるのは王的構造の極みといったところか。
「往け、ヴィマーナよ」
 王命と共に超高速ですっ飛び出したキンキラ飛行体。その端っこに移動してイスカンダルはびゅんびゅんすっ飛ぶ景色に目をやる。
「誰も居ないね・・・」
「当然だろう。蓄積魔力がゼロではな。残っているのは、我々と衛宮達だけだ」
 そうだねと頷き、イスカンダルは唸るように呟いた。
「問題は、その他の人たちが『消えた』のか『戻った』のかだねっ」
「ふん、わかっているではないか。その答えは―――」
「うん・・・答えは?」
 ギルガメッシュは玉座にふんぞり返って大きく頷き。
「―――考えるのが面倒だ」
 イスカンダルは、ヴィマーナから転げ落ちた。
 みよんみよんと謎光線で回収される。
「ぎ、ギルっち・・・思わず命燃やしつくしそうなツッコミ入れちゃったよ・・・」
「何故この我が些事に気を向ける必要がある。赤雑種がなにやらこそこそと嗅ぎまわっていているのだ。奴にでも考えさせればよかろう」
 玉座に頬杖ついて、ギルガメッシュはひらひらと手を振って見せた。
「ヴィマーナの速度ならすぐに着く。急くな」
「ん・・・そうだねっ」
 イスカンダルはそれもそうかと頷き、ニヤリと微笑んだ。
「でも、ボクの戦車のほうが・・・・・・はやーい!」
「ぐぬっ・・・! その台詞はやめんか! 万死に、いや億死に値するぞ貴様!」
 その身そのままセカイ系たる最強自我の持ち主だけに、ゲームはいつも実名プレイの王様である。ヒロインにも当然好きな子の名前をつけている。
「う、うん・・・ネタ振ったボクも嫌な気分だよ・・・大人になるって悲しいことだよねっ・・・」
「・・・・・・」
 ヴィマーナは、そのままぐるりとロールして逆さになった。
 操縦席である玉座に固定されているギルガメッシュの視界が逆さになり、固定などされていないのであっさりと宙に放り出されたイスカンダルがジタバタしな がら小さくなっていく。
 小さく、小さくなっていく。
 ―――しばし待ち、謎光線をみよんみよん。
「ご、ごめんごめん・・・なんていうか、今回は本気でゴメンだねっ・・・」
 地上すれすれで回収されたイスカンダルは素直にぺこりと頭をさげた。
 たかだか数百メートルの生身ダイブぐらいで反省する玉ではないが、一ゲーム好きとして言っていいことと悪いことくらいはわきまえているのだ。
「でもまあ、ボクのごるるくんの方が早いのは事実だもんね」
「ふん、自慢するくらいならば我との決戦前に失ったりするな」
 10年前を思い出してぶつぶつ言うギルガメッシュに、イスカンダルはくいっと首をかしげた。
「失ったって何を?」
「貴様の『神威の車輪ゴルディアスホイール』 の事に決まって いるだろう」
 ほへ? と首を傾げる姿にギルガメッシュは顔をしかめる。
「・・・覚えておらんのか? あの決戦を」
「え? ・・・あー、いや、覚えてるよ? ボクの軍勢にギルガメッシュの財宝装備させたら薩摩も長州も目じゃないって話したよねっ」
「何故そんな小規模な話になってるかわからぬが、それだ」
 自分の縦ロールをイスカンダルに向けて乖離剣ーなどとやりつつ英雄王は下界を見下ろした。
「ふん、思えば此度の戦争では未だ我が剣に相応しき敵とは相対していなかったな」
 立ち上がる。その右手には、いつの間にか三重の螺旋を描く乖離剣が握られていた。
「! アレって・・・」
 イスカンダルが呟いて見つめるその先には、人の目では捉える事も叶わぬ、遥か彼方に立つ黒い鎧の王。
「ふん、違いない。王たる者の意思は誰にも阻めぬ」
 あまりにも見覚えのあるその顔に息を飲むイスカンダルに凶々しい笑みを向け。
「あ、こら抜け駆けっ!?」
「故に、王たる我が、この剣にて審判を下してやろう―――消し飛ぶがいい贋物ッ!」
 地上へと、無比たる一撃を振り下ろした。


天地乖離す開闢の星エヌマ・エリシュ・・・!』



13-5 侵食汚染
13-5-1 10:42 基盤回収

■???

「っ・・・」
 胸を刺す痛みに、少女は黒い髪を翻して顔をあげた。
 目の前には血と溶かした宝石で描かれた魔法陣が脈打っている。
 そしてその上にあるのは、1メートルはあろうかという針に身体の各所を刺され、宙にささげられた少年の身体だ。
「案外早かった、というべきかしら」
 そびえる巨大な岩を見上げ、少女は唇に手を当てて考える。
 彼を目覚めさせることのリスク。
 彼女がここに辿りつく可能性。
 術式を中断する事による喪失。
 あの人がこれをどう捉えるかという怯え。
「・・・それでも、今やめれば時間だけは手に入る・・・か」
 少女は呟き、少年を地に縫いとめるピンに手を当てた。数節の呪文を呟き、それを一気に引き抜く。

 その箱庭を繋ぎとめていた基盤を。



13-5-2 09:43 ファーストコンタクト

■新都 冬木中央公園

 バゼット・フラガ・マクレミッツ・コトミネは魔法主婦である。
 雑食の犬やら無闇に態度のでかい金ぴかやらが出入りする辛気臭い教会で成功7割、破壊3割の家事をしつつも、彼女は毎朝毎夜伝承保菌者としての神秘を身 に刻むのを欠かさない。
 実戦に出る機会は減り、全盛時と比べれば純粋な戦闘性能は衰えているのだが、縄張り意識やら神秘の秘匿やらにあまり興味の無い夫(兼変態)の神父から教 会側の知識と別流派の魔術も吸収している今、不得手であった儀式系の魔術に関しては封印指定担当だった頃よりも熟達している彼女ではあったりするわけで。
「…キレイ。やはり夜まで待った方がいいのではありませんか?」
 だからこそ、朝日の射し込む公園で黙々と地面に陣を書き込む夫の行動にバゼットは首をかしげざるを得ない。
 魔力を注ぐだけで発動する魔術刻印や簡易礼装という例外はあるが、魔術というのはその身に刻むものであり、精度も規模も術者の回路に依存する。
 儀式とは、ありとあらゆる手段を使ってその回路を拡張していく作業であり、触媒を吟味し正確な陣を刻むのはもちろんのこと、その発動に於いて最適の時間 を選ぶのも基本中の基本と言えるのだ。
「うむ・・・」
 言峰は、溶解した宝石と血液を混ぜたもので公園の中心に陣を書きながら問いに頷いた。
「無論、この時間の実行は最善ではない。しかし―――」
 言いかけて、迷う。
 本来の言峰綺礼ならばこのような不確かな根拠など切り捨てる。
 たかが夢。
 深夜まで待っていてはこの世界が終わるという、ただの夢など・・・何の理由になるというのか。
 仮にその夢とやらが何かの啓示であったとしても、その破滅を、待ち望んでこそ言峰綺礼で在るというのに―――
「―――夜では遅いと・・・そんな気がしてならない」
 言峰は、そう言って陣の構築を続ける。確信はないままに。
「・・・そう」
 曖昧な言葉に、しかしバゼットは曖昧であるが故に疑いを捨てた。
 彼の持つ揺ぎの無さという強さが、善たらんとした過去を手放し己の本質を律するのを辞めたが故の物である事を知り―――それが気に入らずつっかかってい くうちに、彼女は言峰を愛するようになった。
 自分と同じ、望まぬ本性を押さえつけようと足掻き、有り余る才覚で周囲を騙しながらも、ついに自分を騙すことだけは出来なかった人をこそ、愛したのだ。

 ―――ダメットは、ダメンズウォーカーでもあった。

 だから、彼の迷いは喜びである。
 迷いは、意志のぶれだ。
 己の本性に従うだけの存在は強いが、しかしその強さは、己か世界を壊すことでしか在り続ける事が出来ないのだから。
「・・・終わりだ」
 しばし見守っていると、綺礼は魔法陣を書き終えてこちらへ顔を向ける。
「ダメット、人払いの結界は?」
「ダメット言うな・・・言われたとおり設置してきましたが・・・ここまでのものを使う必要が本当にあるのですか?」
 彼女が構築してきたのは、前回の戦争における反省点を踏まえて準備された大規模隔離術式だ。本来なら、情報隠蔽しようも無いほど巨大な何かが出現した際 に使われるものである。
「有るとも言える。無いとも言えるだろう」
 言峰は魔法陣の中心へ立ち、空を見上げる。
 ―――新都中央公園。今はそう呼ばれているここは、かつて市民会館が建っていた。
 そこで彼はあの男と戦い、そして。
「10年前、ここに・・・この地の空に、大聖杯へと繋がる穴が開いた」
 妻にそう告げ、魔術回路を起動する。
 術式の確認。
 種別は開封。言峰が最も得意とするそれを理論の拡大解釈と構成の補強、擬似回路の構築で大規模化したもの。
「器の消失により維持ができなくなり消失したが、術式が壊れたわけでも完了したわけでもない。その痕跡は、今もここにある」
 天に開きし病みの月。
 記憶に深く残るそれを思い返し、言峰は礼装を、魔法陣を起動していく。
「朝に確認した通り、円蔵山の通路は閉ざされている。それは、聖杯の喪失を意味するのか。それとも、単に出入りを封じられただけなのか」
「ここの通路の先がどうなっているかで判断できる、と」
 頷く言峰の両腕で、令呪が連続的に発光した。
「―――Das Schliesen閉鎖 Fixierung固 定 Ein Retraktor開創器
 紡がれるのは、天を人体と見做した類推の魔術。純粋な魔術師としては師にも弟子にも劣る彼の技量を越える、為しえぬ筈の秘蹟。
 しかし、魔術師にとっての『出来ない』は常に『その条件下では』の注訳が伴うものだ。
 父から受け継いだ無数の令呪。これを簡易刻印として使用する事で得られる大量の魔力は、無理を通すに余りある。
 呪文の声と共に空へとうっすらと浮かび上がる一筋の傷を眺めてバゼットは探索用の使い魔を放つべくポケットに手を入れ―――
「む…!バゼット!」
「ふぇ!?」
 突然振り返った言峰に抱え上げられて悲鳴を上げた。膝の下と背中を支える腕が逞しい、 所謂、お姫様抱っこである。
「き、キレイ!?」
 八極拳の歩法を応用した大跳躍で数十メートルを飛び退いた言峰の腕の中にすっぽりと納まったバゼットは見た。
 天に穿たれた巨大な穴。そして―――そこからあふれ出した黒い『何か』を!
「あれは・・・可視化される程に濃密な呪詛か・・・? キレイ、いったい何との通路を開けてしまったんです・・・!? 怒るから正直に言いなさい!」
「怒るのか・・・無論、聖杯だとも」
 言峰はゆっくりと落下した粘性の泥が地面に広がるのを見て、再度背後へと跳躍した。
「教えていなかったか? 聖杯の中身は世界全てを呪う呪詛の塊だ。願望器として使うことは可能であり、発動さえすればあちら側から魔力を引き出すことも出 来るだろうが、あの器に満たされているモノ自体は、アンリ・マユだったのだよ・・・!」
「なんだってー! って言ってる場合じゃない! ついでに、そろそろ降ろしなさい!」
 ぺちりと力の篭ってないパンチで言峰をはたき、バゼットは自分の足で立った。
「こほん・・・あんな、どろり濃厚なのが出てくると知っていれば確かにあの結界を準備したのも頷けますが・・・聖杯が存在する事がわかったのですから、 さっさと閉じなさいキレイ。既に落ちて来ている分だけでも解呪するのにどれだけ手間がかかるかわかりません・・・!」
「うむ。それ無理」
 怒声に、しかし綺礼はしれっと首を横に振った。
「どこかのナイフ持った宇宙人っぽい言い方をしないでくだしあ気色悪い・・・!」
「無理なものは、無理だ。なにしろ、私の術式はまだ完成していないのだからな」
 いつもと変わらぬ仏頂面に、バゼットはきょとんとする。
「完成していないって・・・開いてるじゃないですか。穴」
「だが、アレは私が開けたものではない。外から開けられた穴だ」
 その言葉に答えるように、ぼこり、と地に広がる泥が盛り上がった。
 それは四本の足を持ち、大きく広がる角を広げた獣の形となり、ぶるりと身を震わせる。
 巨大な鹿。そう呼べるカタチをとったそれは、しかしあくまで泥に過ぎない。目も鼻も無い無貌の顔が、ぐるりと周囲を見渡し言峰たちの方へ向けられる。
 そしてそれは、一つでは収まらない。鹿の背後でまたぼこりと泥が盛り上がり、今度は、六本の足を持つ馬の姿をとった。
「ふむ。鹿に馬・・・バゼット、馬鹿めと言ってやれ」
「は?」
「馬鹿め、だ」
 言ってやったという満足げな気配を漂わす綺礼の横っ腹を殴りつけ、バゼットは戦闘用の皮グローブを身につけた。
「冗談を言っている場合ですか! つまりあの穴は聖杯を手にした誰かが意図的に開けたもので、この泥・・・っていうか泥人形もそいつが作り出したものとい うことでしょう!?」
「うむ・・・」
 綺礼は頷き、獣を模した泥の塊が数十、数百と増えていくのを観察する。
 大半はただの大型獣ではあるが、その中にはちらほらと本来持たぬ筈の角や常より多い腕や脚を持つものが混じっている。幻想種を模したものか、それとも造 形がいい加減なだけなのか。
「あの泥が明確な形になるのは初めて見る。何者かの意志が働いているのだろうが・・・」
 反射的に思い出したのは、代行者として世界を旅していた頃に聞いた、とある死徒の在り方。
 不確かな噂に拠れば、その者は己の身体を混沌の海とし、それを材料に幾百もの使い魔を生み出すという。
「これをやっているのが『誰か』あるいは『何か』という点では、心当たりが無い」
 ―――あるいは、ここに間桐家の蔵書を読み漁っていたあの少年が居れば気付いたかもしれない。かの怪翁の収集した蔵書の中にその大吸血鬼の資料があった 事を。
 そして、言峰自身が10年前に対面したあの不愉快な存在の身体がこれに近い魔術の産物であった事を。
 だが、答えを得られぬままに影の獣達は動き出した。無音のまま綺礼達に向かって殺到する速度は、明らかに二人を轢き殺そうというそれだ。
「ともあれ、その存在はあの穴の向こうだろうな、バゼット」
「問題は、この群れを突破して空に開いてる穴へ飛び込むなんて無茶が出来るかだけど・・・」
 無限に降り注ぐ黒い泥とそこから次々に現れる影の獣を前に、二人は揃って肩をすくめた。
「気をつけるがいい。直接触ると呪いが感染する。僅かな量でも愉快な事になるぞバゼット」
「徒手空拳が基本の私には面倒過ぎる条件ですねそれは・・・」
 バゼットは言葉とは裏腹にニヤリと笑い、殺到する獣達の先頭、今まさに自分たちに角を叩き込もうとしている泥の鹿に―――
「馬鹿め! 死ねぇっ!」
 躊躇無く右ストレートをぶち込んだ。
 口を挟む隙の無い、スピーディーな一撃だった。
 身体を前に投げ出すような体重の篭った、ジョルトなカウンターであった。
 そして、思いっきり皮グローブ一枚でのグーパンチであった。
「・・・むぅ」
 ああ、しまったな、触っちゃ駄目ですよーって紙芝居とかでわかりやすく説明してやるべきだったかなと珍しく反省していた言峰は、次々に大型獣の群れを殴 り飛ばして吹き散らす妻の拳を見て頷いた。
「大気へのルーン刻印による衝撃の伝播か。ふむ、こういう事に関してのみ反応が早い」
「褒めても何も出ませんよ?」
「ほう。アイルランドでは脳筋という言葉が褒め言葉だったのか」
「・・・くっ!」
 びきりとこめかみに血管を浮かべてバゼットは秒単位で影細工の馬を、猛犬を、猪を殴り倒していった。
 吹き飛ばされた影たちは泥になってびしゃりと周囲に飛び散り、そのまま消滅していく。
「『この世全ての悪』の汚染力はともかく、獣の形を作り上げる魔術は酷く稚拙だな。再構成も回収も出来ぬようではそのまま泥を溢れさせている方がまだまし というものだ」
 バゼットのような反則技の出来ぬ言峰は、念のためにと持参していた黒鍵を振るい、慣れぬ剣技で影の獣を地面へ叩きつけた。べしゃりと潰れた殺人兎が泥た まりと化す。
「どうだろう、さすがに波になって押し寄せるだけ、というよりは立体的な分だけ厄介なんじゃないですか・・・?」
 答え、バゼットは複数の影犬が飛び掛ってくるのをスウェーとダッキングで回避。斬って落とすようなカウンターで吹き飛ばした。
「一理はある。だが―――」
 言峰が振り仰いだ上空、急降下してきたのは烏を模した影の群だ。
「しかし、厚みが出た分、面積としては密度が減っているのも事実だ」
 数十羽からなる群れの襲撃を大きく飛びずさって回避、着地を狙って飛びついてきた影猿の首を叩き落とし、駆け寄ってきたバゼットに黒鍵の刀身を向ける。
「バゼット!」
「3秒待ちなさい・・・!」
 走る間に左手のグローブを脱いでいたバゼットは、人差し指の先を噛み切り、差し出された刀身に己の血で幾つかのルーンを書き込み魔力を通した。
「いいぞ・・・!」
 声に頷き言峰の視線は頭上へ。
 捕捉と共に引き絞った左腕を勢いよく突き出し、再度こちらへ殺到する影烏の群れへと黒鍵を投げ込む。
 散開して回避した烏達の中心を黒鍵は通過し―――
「散るがいい」
 声と共に、巨大な火球と化して群れを丸ごと焼き尽くした。黒鍵の魔力を燃料に、バゼットの発火ルーンを拡大して発動した豪火である。
 破片も残さず消え去った頭上の影を見やり、言峰は次の黒鍵を具現化して頷く。
「―――命名。黒鍵ラブラブ火葬式典」
「恥ずかしい名前を付けるな! あ、いや、別にどうしてもというなら、か、構いませんが・・・」
「いや、別にどうしてもという程ではない。却下しよう」
「そ、そう、ですか・・・」
 言峰綺礼。まさに外道。
 ちょっとしょんぼりしたバゼットはニヤニヤ笑う夫にぎりぎりと拳を握り、その怒りを押し寄せる影の獣に叩きつけてから気を取り直した。
「しかし、わかってはいたけど・・・きりがありませんね」
 この10分程で倒したのは数百に届くだろう。
 しかし、頭上の穴からは際限なく泥は注がれ、周囲の獣は減るどころかますますその数を増やしている。
「まあ、発生源を抑えられなければこうなるのも当然だろう」
「人事みたいに・・・元々調査が終わったら開けた穴は閉鎖するつもりだったじゃないですか。その術式で上のアレを閉じられませんか?」
 問われ、言峰は泥がびしゃびしゃと落ち続けている中心点を懐から取り出した新しい黒鍵の切っ先で指す。
「出来るかもしれないが、起動に必要な陣や触媒はあそこだ」
「結局、これを吹き飛ばさなくては駄目か」
 よくわからない蟲の群れを火のルーンを刻んだ石でまとめて吹き飛ばしたバゼットに頷き、言峰は次なる相手に目を向けた。
 蛇やら猫やらという小型の影を踏み潰して迫るのは、体長3メートルには届こうと言う巨大な熊だ。
「うむ。クマー」
「言ってる場合か! 桁違いの質量だぞ!」
 バゼットは群がってくるリスだかネズミだかを小刻みなジャブで叩き落して警告の声をあげる。
 基本、触れられればそこでアウトという条件下では、このような小型の相手が一番怖い。そして次に怖いのが、防御のしようがなく、攻撃範囲が広い為回避も しにくい超大型の獣だ。
「わかっているとも」
 故に、言峰は先手を取った。
 法衣のあちこちに差し込んだ黒鍵を扇のように構え、令呪を起動し術式増強。
 刀身を巨大化させたそれを、貫通力を吹き飛ばしの衝撃に変換する特殊な投法で一斉に投擲! 両手に各3本、合計6本の黒鍵は至近に迫った異形の熊の胴体 をぐしゃりという音と共に砕き・・・
「む・・・!?」
 しかし、その胴体を構成する泥の大半を吹き飛ばされながらも巨体の突進は止まらなかった。
 破壊力が足りない。
 弓だか月だかという代行者は鉄甲作用付きの黒鍵を雨のように放つと聞くが、徒手空拳を基礎とする言峰はその域までこの武器を使いこなしていないのだ。
 身体の各所を崩しながらも大熊は両の爪を眼下の人間めがけて叩き降ろし―――

 
灰 は 灰 にAsh to Ash―――」

 バンッという破裂音と共に大熊の両腕、その肘から先が粉々に吹き飛んだ。
 目の前の敵を無視して駆け寄りかけたバゼットがポカンとした顔で脚を止める。
 硝煙たなびくそれは、法衣の内側に吊るしてあった二挺の散弾銃。短銃身に改造したソードオフSPAS12。
 言峰は両手に一挺ずつ構えたそれを無表情のまま指先でグルリと回転させて次弾装填リロード
 カランカランと薬莢が地に落ちる音に合わせて敬遠なる神の使徒は再度聖句を口にした。

「―――塵 は 塵 にDust to Dust

 再度鳴り響いた轟音と共に撃ち出された法儀礼済みの銀製散弾は大熊の顎から上と心臓周りの肉を挽肉に加工ミンチ メイクして周囲に飛び散った。
 その身体を構成する泥の大半を失った熊はカタチを保てずその場に崩れ、呪いとしての構成すら保てなくなって大気のマナへと溶け込んで消える。
「いやいや待ってくださいキレイ、何故代行者が銃なんですか・・・」
 バゼットは片手でこめかみを押さえ、突進してた鹿の額をいい感じに叩き割って呻く。
「ふむ、知らないのか? 昨今の聖堂教会には熱心な銃派が居るようでな。申請すれば対霊加工されたものが簡単に手に入るのだ」
 言峰は前後から同時に襲い掛かってきた猟犬を左右のショットガンで粉々にしながら呟いて再度回転装填スピンコッ ク。上空から襲い掛かる猛禽の群れへ と散弾をぶちまける。
「そういえばなんとかバレルとかいう銃の概念武装があるとかどっかの聖典がパイルバンカーに改造されたとか協会で聞いたことがあるような・・・」
 呟き、バゼットは振り子のように揺らした左拳で飛び掛ってくる猿やら雉やらを撃墜し、脚へ噛み付こうとする犬を振り下ろした右拳で叩き潰す。
 考えてみれば、教義に反し異端とされる魔術ですら使用する、手段を選ばぬ激しさこそが神罰の地上代行者の特徴だ。元より人の技術である銃くらい、どうと いうことでもあるまい。
「・・・それにしても、SPAS12はセミオートでしょう? マニュアルに切り替えられるのは知ってますが、連射したいのならばわざわざポンプアクション をしなくてもいいのでは?」
神のご意思かっこいいからだ」
「天罰当たりますよ・・・」
 半眼になるバゼットに襲い掛かるのは、額から鋭利な角を生やした馬だ。頭を下げ、柔らかな腹を抉ろうと迫り来る。
「気をつけるがいい。君にはもうユニコーンに触れる資格はないのだから・・・」
「だっ、黙れ! っていうかあなたが資格なくさせたんだッ!」
 ニヤニヤと言ってくる言峰に怒声を投げつけ、バゼットはサイドステップで突進を回避。そのまま一角獣もどきの耳の裏あたりに右フックを叩き込んだ。
「だいたい、こいつらは形こそ様々だがそれだけだ。そのあり方まで再演されてはいない!」
 そのまま身体を翻し、バックブローで頭蓋を粉砕。
 軽快なステップで言峰の背後に移動してひとやすみ。
(それにしても、キレイが神の名を冗談に使うとは・・・)
 悪意の使徒となった今もその信仰心は微塵も揺らいでいないことを日々の礼拝等から感じているだけに、その遊び心は素直に嬉しく―――
(・・・待て、本当に神の意思だったりしないでしょうね?)
 ―――少し不安だったりもする。
 確かあの金ぴか、半分以上神さまだよなあ。
「バゼット」
「何です?」
 真剣な声に、バゼットは雑念を振り払って夫と背中合わせに立った。
 何時の間にやら、周囲はぐるりと獣の海。
 警戒しているのかすぐには襲い掛かってこそこないが、依然として降り注ぐ泥からも次々に獣は生まれ、包囲は秒ごとに厚くなっていく。
 言峰は懐に手を差し入れ残りの黒鍵の本数を確認しつつ、ほぅと息をついた。
「―――スカートはいてない、というのは、ぱんつじゃないからはずかしくないもん、を先取りしていたと言えないだろうか?」
「何を言ってるんですこんな時に!?」
 発狂したか!?
 ああいや、譲治もとい常時発狂しているこいつが更に狂ったのなら正常になるの!?
「ははは、まあ落ち着けバゼット」
「あなっ、あなたが余計な事を言わなければいつだって落ち着いてるっ・・・!」
 尻の辺りをぎゅーと怪力でつねられる痛みに恍惚となりながら言峰は周囲を睥睨する。
「ふむ。では本題だ。影の増加速度がこちらの処理速度より速い。残弾にも限りがある現状、このまま戦う事に意味は無いだろう」
「となると・・・一つにここに踏みとどまって増援を呼ぶ案、二つにここを出て増援と共に戻る案、三つにあの穴をなんとかする案・・・というところです か?」
 近づいてきた影の幾つかを散弾で吹き飛ばしながらの言葉に、バゼットも残る影を殴り消して答える。
「あの穴を閉じるのは、効果があるかがわからんな。向こう側から穴を開ける事が出来る以上、また開けられる可能性が高い。しかも、次に開けられるのがどこ であるかがわからないのではな」
 この土地に依存するのか、ここで言峰が術式を展開していたからなのか、はたまた単に偶然なのか・・・それを判断する手段が、今の二人には無いのだから。
「そうですか。なら、せっかくの仕込みを無駄にしない為にも逃げたほうがよさそうですね」
 バゼットはそう言って左のグローブを外した。
 言峰が周囲に散弾をばらまいて牽制しているうちに、ポケットから出した湿布をぺたりと拳に張り、その上から無理やりグローブをつけ直す。
「・・・余波だけでも、ここまで汚染されるとは思いませんでした」
 戦い始めてまだ十数分。
 だが、たったそれだけの戦闘で既に人差し指と中指の付け根はどす黒く変色していた。
 グローブに刻んだ守護のルーン、魔術回路による呪詛への対抗、肉体そのものに付与した対抗術式と三重の護りを施して尚、この有様だ。
 言峰のつてで手に入れた聖水をしみこませた湿布もどこまで効くのやら。
「こうなってくると、問題は・・・」
「然り。逃げ延びる事が可能か、という事になるな」
 既に視界はどこまでも黒の色彩で溢れている。
 戦闘能力という点では二人より遥かに劣る影の獣たちだが、やっかいな事に直撃を受ければ一発アウトだ。こうやっているうちは良いが、逃げる為に背中を見 せても大丈夫とは言いがたい。
「互いに死角をカバーしつつ、ゆっくり移動するというのはどうだ?」
「ゆっくりした結果がこれだよ。増加速度からして、公園を抜ける前にこちらの処理能力を超えるだろう」
 言峰は神の名の下に排莢。祈りと共に装填。両手を交差させ十字の形に散弾発射。
「故に、回答はこうだ。援軍を呼び、その力でここを脱出する」
「・・・コレを使ってですか?」
 バゼットはやや動きが鈍くなった左手でなんだかよくわからない直立蛸のような影を殴り飛ばし、手の甲をちらりと見る。
 そこに刻まれているのは、ランサーとの契約を表す令呪だ。
 マスターとサーヴァントの魔力で賄える限りあらゆる事象を引き起こせるこれを使えば、遠く離れたランサーを瞬時にこの場所へ呼び寄せる事が出来る。
「うむ。群生の敵である事を考慮すればギルガメッシュを呼ぶのが良いかもしれないが・・・素材が素材だ。無限に発生する可能性がある。最悪の場合、ギルガ メッシュは延々とここに釘付けとなる」
「最大戦力は温存すべき、ですか。ええ、今の状態が相手にとってどの程度の戦力投入なのか、まだ読みきれません」
 バゼットは頷き、己の従者に念話を繋げる。
『―――ランサー、聞こえますか?』
『ん、マスターか?』
 脚に纏わり付こうとする蛇の影を火のルーンを刻んだ発火石で焼き払い、令呪に意識を集中。
『フラガの名において命じます。ランサーよ、疾く参上せよ』
『ぅえ!? ちょ、いきな―――』
 前置きの無い宣言と共にグローブの下で令呪が発光し、一画が失われる。
 そこに編み込まれていた魔力は空間を容易に引き裂き。
「りかよ! 説明・・・を?」
 びっくり顔のランサーが、槍を片手にその場に現れた。
 突然の乱入者に影の獣たちは様子見をやめて津波の如く押し寄せる。
「あー、なんかわからねぇが、わかった」
 カリカリ頭を掻いてから接近してくる影の群れを一振りでなぎ倒し、ランサーはつまらなそうに言峰へ目を向ける。
「で? どうすんだ? 上のアレをどうにかしようってのか?」
「いや、ここは封鎖する。宝具を使用し、周囲の獣を6割以上殲滅せよ」
 りょーかいといい加減に答えるランサーに、バゼットはすまなそうな顔をした。
「すいません、ランサー。格下の掃除など趣味ではないでしょうに」
「まあな。だが・・・」
 槍兵の目は、押し寄せる呪詛の群れを見ていない。
 頭上の黒い月、そしてその向こうの何かに、誰かに向けられている。
「こんだけの事をしでかす奴だ。これだけじゃあすまねぇだろうよ・・・!」
 言うが早いか、ランサーのしなやかな身体は地を蹴り宙へと舞っていた。
 十メートルの高さから公園を埋め尽くす影の獣を睥睨し、弓を引き絞るが如くその槍を構え。
突き穿つゲイ―――」
 その声に、バゼットと言峰をその絶対的な数で押し潰さんとしていた獣たちが一斉に動きを止め、頭上を仰ぎ見た。
 知能も意志もなく、ただ自動的に魔力持つものに群がるだけのモノですら・・・いや、だからこそ、それを無視する事は出来なかったのだ。

 即ち、己の死を。

「―――死翔の槍ボルク!」
 真名の解放と共に、ランサーは力強くその槍を地上へと投げ降ろした。
 消えうせたかの如き速さで放たれた槍は、空中で数十に増加して地上へと降り注ぐ。
 一本一本がミサイルにも等しい重爆撃の豪雨。着弾の余波だけでも周囲の獣たちは吹き飛び、その形を失って飛び散った。
「キレイ!」
「うむ」
 ぽっかりと開いた空白地帯を通って逃走を開始した言峰とバゼットを目で追い、ランサーは一本に戻って地に突き立っている愛槍の傍に着地する。
「次、行くぜ?」
 静止は一瞬、全身の筋肉で落下の衝撃を吸収したランサーは槍をつかんで再度跳躍し、魔力を装填する。
 元より燃費のよさには自信がある。ましてや受肉して生前の通り魔力を生み出す力を得ている以上―――
突き穿つ死翔の槍ゲイボルク!」
 万やそこらの雑兵なぞ、最早数にも入らない。
 マスターの前方、影絵の海に巨大な穴を開けたランサーは空白地へ雪崩れ込む獣達の中心へ着地し、槍を回収する。
「まぁ、ボーナスステージかなんかだと思えばこれも悪くないか」
 跳躍。再度投擲。
 一足毎に獣の群れの数割を消し飛ばして英雄は笑う。
「もぉいっちょぉおっ!」
 既にバゼットと言峰は公園を囲う柵にたどり着いている。6度目の投擲は、背後へのものだ。
 中心部から追いすがる影の獣を文字通り吹き飛ばした槍を回収したランサーは戦果を確認してから公園の外へ視線を向ける。
「半分くらいは吹き飛ばしたぜコトミネ。っても、なんかすぐ元の数に戻りそうだけどな」
「問題ない・・・『こちらへ出るがいいランサー』」
 おーらいと答えてランサーは公園の外に飛び出した。
 追いすがる獣たちを迎撃すべく着地と同時に体を回して振り返り。
「お?」
 しかし、そこには何も無かった。
 見渡しても、静まり返った公園には影の一つもありはしない。
「先ほどまで居た空間を、異界としてくくったのです。術者が許可した者以外はこちらへ出てくる事は出来ません」
 バゼットの説明に、言峰はくくく、と喉で笑う。
「数時間は維持できるが・・・時間切れになる頃、中はどうなっているやら。そう、たとえるならば真夏の海すごした水着をビニールバックに突っ込んだまま枯 葉舞い散る季節まで忘れていたように―――」
 中に隙間無くコオロギがいるのを想像してバゼットは顔をしかめた。
「気持ち悪いことを言ってないで早く次の手を考えなさいキレイ―――なんだその満ち足りた顔は」
 妻の嫌がる顔に最高の興奮を覚える男、言峰綺礼です。
「ふむ。考えていることは同じだろうバゼット」
 しばし楽しんだ言峰は、ランサーについて来いと目で告げて踵を返す。
「一刻も早く―――」
 だが、その足は1歩目で止まった。
「―――む?」
 とすり、と。
 軽い音と共に膝が落ちる。目を向けたのは左胸やや中央よりを貫いて飛び出している、赤い槍の穂先だ。

 見慣れたそれは、ゲイボルクという名で呼ばれている。

「・・・なッ!?」
 どさりと倒れた言峰とその心臓を貫く呪いの槍。
 有り得ぬ筈の光景にバゼットは回らぬ頭のまま、なんとか構えをとって振り返り。
「オレの、槍だと!?」
 しかしそこに居たのは、大きく目を見張るランサーの姿。
 その手には―――しっかりと真紅の槍が握られている。バゼットの背後で言峰を貫いているものと、寸分違わぬ槍をだ。
「ゲイボルグが、二本―――」
 宝具とは英霊にとって唯一無二のシンボルである。それが複数存在あるとすれば、それは・・・
「投影・・・!?」
 叫んだバゼットの腰を抱いて肩に担ぎ上げ、ランサーは強く地を蹴った。
「ランサー!?」
 悲鳴のような声をあげるのに構わず、全力疾走でその場を離れる事に専念する。
「待ちなさいランサー! キレイが・・・! キレイがまだ・・・!」
「ふむ」
 泣き声にすら近いその声に、言峰は恍惚とした表情で相槌を打った。
「キレイを助けなきゃ・・・キレイ?」
 担ぎ上げられたまま横を見れば、サーヴァントの全力疾走に併走しているマッチョが一人。
 胸に穴が開いて向こうが見えているという、変態に磨きをかけた走りを披露する男、言峰綺礼その人である。
「あなっ! 穴開いてる! 穴開いてるのに生きてる!」
「ふむ・・・昔、色々あってな。心臓を背後から撃ち抜かれるのはこれで二回目だ」
 穴あき綺礼は口の端から血を流しながらも足を止めずランサーに目を向ける。
「向こうにバイクが止めてある。とりあえずはそこに行くぞ」
「応・・・!」
 ランサーはニヤリと笑って頷き。
「あれを、なんとか出来ればな!」
 そのままバゼットの身体を言峰に投げつけた。
「にゃっ!?」
「うむ」
 思いの他可愛らしい声で投げ渡された妻の身体を横抱きにし、言峰は走り続ける。
 ちらりと見た背後には―――無人の公園から飛来する、真紅の呪槍!
「つっ・・・降ろせキレイ! ラックで迎撃を・・・!」
「遅い。展開するまでにこちらを貫くぞ・・・!」
 流石に焦りの滲む声を背中に、ランサーは一人足を止めた。
「行け! あれはオレ狙いだ! おまえらなら次が来るまでに射程から逃げられる!」 
 叫び、ぐっと地を踏みしめて愛槍を構える。
 ランサーには、矢よけの加護が有る。どれだけ高速の投槍であろうとそれが飛び道具である以上、それを打ち落とすのは容易い。容易いのだが・・・
「くそっ・・・!」
 誰よりもランサーにこそ、それが理解できた。
 あの槍は、飛来しているのではない。この心臓を、既に突き穿っているのだと。
 ―――因果逆転、心臓破りの呪いでだ。
 一度放たれてしまっている以上あの槍を止める手段はない。
 相手の姿さえ捉えていれば、こちらからもゲイボルクを放つ事でその運命を更に逆転する事も可能だろうが、この状況ではそれも叶わない。存在しない敵を穿 つ事は出来ない。可能性が、無い。
 苦笑しながら、ランサーは大きく踏み込んだ。
「・・・だからって素直に殺されてやるわけにはいかねぇッ!」
 そして、蹴り込んだ地面からの反発力を全て筋力に上乗せし、低い姿勢から跳ね上げるように愛槍を振り上げる!
 音速にも届こうという超高速の投擲を迎え撃つはこちらも神速の打ち払い。
 極度の集中が生み出すスローモーションのような視界の中、二本の槍は引き合うようにその軌道を交差させ―――
「くっ・・・!」
 ずるり、と。確かに捉えた筈の手ごたえが唐突に消えた。
 必中の魔槍は迎撃する魔槍に蛇が如き軌道で纏わりつき、突き手を辿ってランサーの心臓へ迫る!
(・・・ああ、すげぇなあ、オレの槍)
 場違いな自画自賛とともにランサーは自らの生き汚さに全てをかける。
 使い手であるからこそ、この槍が一度放たれてしまえば、心臓を穿たれるのを避けられないのは熟知している。
 ―――そして、それによって死ぬことまでは確定していないという事も、また。
 あくまでも魔槍の効果は『心臓を穿つ』事。
 言峰のように心臓そのものが無かったり、バーサーカーのように自動蘇生できるのならば、その効果までも消去して『殺す』わけではない。
 サーヴァントにとっては心臓という霊核は致命の急所であるが、それでも生き汚い自分ならば、ひょっとして。
「っても、肝心の幸運がEなんだよなぁオレは・・・」
 そして、魔槍が胴鎧を貫く、ぶづりという感触と共に―――

「令呪をもつて命ずッ! 運命を覆しなさいランサーっ!」

 膨大な魔力が、体内で荒れ狂った!
 暴発に近い魔力注入が引き起こした衝撃に、ランサーの身体がびくりと震える。
「がッ・・・!?」 
 起きたのは、わずかにそれだけ。魔槍は彼女の胸の中心を、背中まで突き穿った。
 ―――胸の中央を、心臓を僅かに削ぎ取りながら!

「令呪をもつて重ねて命ず! こっちへ来なさい・・・!」

 力ある言葉による叫びと共に再度魔力が弾けた。
 地面の感触が、空気の流れが、突き立った槍の異物感が消えて視界がぐるりと捻じ曲げられる。一瞬のブラックアウト。そして。
「ランサー!」
「・・・っ、助かったぜマスター!」
 全ては一瞬だ。再度地面の感触を感じたランサーの前には、先行して逃げていた言峰とバゼットの姿がある。
 因果を逆転するその槍は、刺さったという結果を持つが故に必中。
 令呪が叶えるのは、マスターとサーヴァントの魔力で実現可能な事象のみであり、二人の魔力ではランサーの胸を抉り心臓に突き立つという結果は揺るがな い。
 それ故の結果がこれだ。
 魔槍は確かに心臓を抉った。だが、『偶然』、『幸運にも』刺さる瞬間に痙攣が起きたが故に、心臓の中心を外れたというだけのこと。
「ったく、令呪で増強されてもこの程度が限界かよ・・・しょぼい幸運だな・・・」
 苦笑する。持ち前の強運だけで生き延びてみせたセイバーがうらやましい限りだ。
「だ、大丈夫ですかランサー!?」
「・・・おう、とりあえず死んじゃあいねぇな」
 ランサーは鎧を消してボディスーツの胸元を引き破り、露出した豊かな胸の谷間に爪で治癒のルーンを刻む。
 ゲイボルクが刻んだ傷は、ルックスもイケメンな騎士団の後輩の槍ほどではないが、自然な治癒を阻害する。
 魔術では焼け石に水かもしれないが、流石のランサーと言えども心臓の一部を削られ自慢の胸に大穴を開けられたままでは命が危うい。
「貴方の魔術の前では大したものではありませんが、これも・・・」
 バゼットは言峰の腕から降り、ベルトに付けていたポーチから湿布のようなものを出してランサーの胸の穴を隠すように貼り付ける。
「時計塔の魔女術課ウィッチクラフトが開発し た擬似皮膜で す。表面に細かく治癒系のルーンを刻んでありますので、血止めや回復魔術の補助にもなります」
 ありがとよと答え、ランサーは背後の様子を探った。
 数十メートル向こう、さっきまで自分が居た場所には飛び散った血だけが残り、槍は見当たらない。既に回収されたのか、幻想に戻りでもしたのか。
「・・・この辺りはレンジ外だが、すぐに逃げた方がいいな」
「内外の空間を断絶させる強力なものなのですが・・・」
 呟いた瞬間、バゼットと言峰の耳にバシャリ、と水がぶちまけられるような音が響いた。
 同時に公園の木々から黒い獣が次々に飛び出してくる。
「ふん、アレの前では、数分と持たなかったようだな」
 言峰は言うが早いかサイドカーにバゼットを放り込み、手早くエンジンをかけた。
「乗るかね? 最速のサーヴァントとはいえ負傷していては速度が出まい」
「ぬかせ、穴くらい最初から空いてるってんだよ。この程度の傷でオレの足は鈍らねぇ」
「・・・待て綺礼。アレとは・・・あの獣がなんだかわかったのですか?」
 挑発を下ネタで返すランサーはとりあえず置いてバゼットが問うと、言峰はいやと否定を口にした。
 エンジンが暖まるのを待たず、スロットルを絞る。
「推測でしかない現状、私の考えそのものに意味はない。だが、アレが使い魔であろうことは確かではないかね? あの数で、しかも全てが同一の性質のもので ある以上、その契約対象は一人。その術者はどれだけの魔力を消費しているのだ?」
「確かに。あの穴がどこに開いたのかを考えれば相手は―――」
 急スタートしたバイクのシートで無駄にもじゃもじゃな後ろ髪を風になびかせ言峰は頷いた。
「そうだ。アレを使っている者は聖杯を抑えている可能性が高い。それも稼動状態の物をだ。無尽蔵の魔力を支えきる事など、我々の魔術では不可能だろう」
「やっかいな話だな・・・! で!? これからどうするよ!」
 フルスロットルのバイクに併走するという荒業を見せながら問うランサーに、言峰は数秒考えてから目を向ける。
「衛宮邸へ行く。この事態の収拾には彼らが必要だ」


13-5-3 10:50 黒く咲く花


■冬木中央公園 結界内部

 3人の男女が脱出し増殖を止めるものが無い今、公園の中は無音で蠢く影が織り成す奇怪な動物園と化していた。
 あちらこちらに残る『食べ残し』すら外に出れない影達が飲み込んで行き、本来の標的を見失ったその暴食は、今や植物にすら及ぼうとしている。
 根こそぎ命と色が失われ、10年前の姿を取り戻そうとしているたその場所に。

「案外、簡単でしたね」

 くすくすと笑う、少女の姿があった。
 天に穿たれた穴から黒い羽衣に包まれてゆっくりと地に降り立った少女は、公園外周部から戻ってきた影に目を向ける。
「殺せました?」
 問いに影は―――黒の色に染まったその男はゆっくりと首を横に振る。
「そうですか・・・まあ、いいです」
 黒衣の少女はため息をつき、またくすくすと笑う。
 ここで殺せないのは残念だった。
 せっかく夫婦が揃っていたのだ。四肢をもぎ取って、内臓を入れ替えて、互いの眼球で奥の奥まで覗かせて。
 確かめたかったのに。『死が二人を分かつまで』なんて言葉が、本当なのかどうか。
 でも、いい。たべものは、おなかがすけばすくほどおいしいのだ。
 逃げ延びたなんていう、ありえない希望を得た後にあっさりとその希望をとりあげれば、よりおいしくたべられるのだから。
「じゃあ、行きましょうか」
 少女の声に頷いた影が伸ばしたその手に、奇怪な刃が現れる。
 中途で何度も曲がり、とてもではないが実用できるとは思えぬそのナイフを。
破戒すべき全ての符ルールブレイカー
 影は足元に・・・其処にある、巧妙に隠されていた結界の中枢に突き立てた。
 瞬間、バシャリと水を撒き散らすような音を立てて周囲の空気が変わる。
 この場所を異界として孤立させていた術式が、何重ものプロテクトごと消え去ったのだ。
「さあ、行きなさい。みんな殺して、引きずり出して、ぶち撒けるの」
 もはや隔てるものの無い公園から黒い獣達が、結界を崩した影が、頭上から降り注ぐ泥が四方へと散っていき。
「くだらないお芝居も見飽きましたから―――」
 そして少女はにたりと笑う。


「殺して、犯して、食べちゃって。それでぜんぶ幕引きにしましょう? 先輩」

 くすくすと淫らに笑うその顔は、間違いなく間桐桜のそれであった。



< 次のページへ >