13-6 午
前。楽園崩壊 13-6-1 11:05 異種同源 ■円蔵山 中腹 生い茂る木立を縫って少女は街を目指していた。 「重っ・・・ほんと、重っ・・・」 肩を組むようにして支えている少年の身体をずるずる引きずりながら少女はぼやく。 「素直に・・・手伝ってもらえば・・・よかったかな・・・でも・・・魔力隠せなくて・・・見つかるし・・・」 足を止め、木々の間から空を見上げてため息をひとつ。 「あー、しかも・・・しっかり見つかってるし・・・隠密行動まったく意味無し」 視線の先には黒い鳥たち。周囲の木のそこかしこに留まった、瞳の無い泥細工。 無音で翼を広げた鳥たちは一斉に飛び立ち。 「―――だって、ここ以外にないじゃないですか」 少女の正面には、彼女と寸分たがわぬ顔を持つもう一人の少女が立っていた。 黒いドレス。色素を失った薄白い髪。頬に走る令呪の赤。 名を、間桐桜と言う。 「直接会うのは初めてね。何か用かしら?」 少年を抱えた少女は―――赤いコートを纏い、遠坂を名乗る桜は挑発的な笑みで問いかけた。間桐サクラも白い顔に嘲笑を浮かべて応じる。 「人形なんかに用はありません。思い上がらないでくれますか?」 「あらご挨拶ね。わたしの存在はあなたの願望そのものだってのに」 ニタニタと笑う遠坂桜に、間桐サクラはぎりっと奥歯を噛む。 「わたしはあなたなんて望んでない・・・! あなたなんていらないッ!」 「確かに、直接願ったのは姉さんのことだったわね。でも、それは同時にわたしの存在を望んでるって事でもあるの。このインチキじみた性能も込みでね」 遠坂桜は少年を地面に横たえてから間桐サクラの方へと手をかざした。 握った手の中には、幾つかの宝石。 「予定とは違うけど、いいチャンスかもね。ここであなたを倒せば、まだこの世界は立て直せる」 「ふふ・・・誰もわたしの邪魔はできませんよ?」 くすくすと笑う間桐サクラの周囲に、ごぽりと黒き泥が溢れた。 次々に獣の形をとる『この世全ての悪』を一瞥し、遠坂桜は肩をすくめる。 「その泥遊び、あんまり意味無いわよ?」 言うが早いか投擲された宝石は間桐サクラの足元に突き立ち、周囲の影獣を木々ごと一気に凍結させた。 「・・・そうですか」 自重に耐え切れず崩れさる使い魔たちを一瞥し、間桐サクラの口が笑みを作る。 「じゃあ、これでどうです?」 「っ!?」 瞬間、遠坂桜はその場を飛びのき宝石を投擲した。 瞬時に形成された障壁が、一瞬前まで彼女の頭があった空間へ飛来した凶器をはじき返して砕け散る。 「流石、と言ったところですね」 声と共に、凶器はじゃらりと引き戻された。 手元に戻ってきた釘のような剣とその鎖を掴み、黒い仮面を付けたその女は間桐サクラの傍らに控える。 「おかげさまでね・・・で? ライダー、貴女は、そっちに付くの?」 両手に新しい宝石を構えて遠坂桜が尋ねると。 「・・・ええ」 ライダーは、一瞬の間を置きながらも静かに頷いた。 「―――私は、けしてサクラを見捨てない」 「そう。そうよね」 遠坂桜は小さく笑みを浮かべた。 それは苦笑のようであり、しかし暖かい。 「あなたはそうでなくちゃね」 「・・・お喋りはやめて。ライダー」 間桐サクラは抑揚無く従者に命じ、同じ顔を持つ少女に目を向けた。 「魔術師はサーヴァントに勝てない。それはあなたでも同じことです。抵抗しない方がいいですよ? 『あまり意味無い』ですから」 13-6-2 AM11:00 接触 ■衛宮邸 居間 「もう一回確認してきたですけど、やっぱり誰も居ないですぅ・・・」 「そうですか・・・」 周囲を見回ってきたハサンの報告に、桜―――間桐桜は労いのお茶を出しながら不安げに答える。 テレビが映らなくなり、隣の家から生活音が消え、あんりとまゆが黙り込んでから20分。 彼女とて魔術師だ。この家を含めた広範囲に対して魔術が行使されたか―――さもなくば、解除されたのだという事くらいはわかる。 だが、他者からの搾取と自己の内面への干渉をメインとする桜では何が起きているのかは把握できず、把握できるかもしれない知識を持つ凛は不在、キャス ターはなにやら忙しげに歩き回っており、声をかけ辛い。 「っていうか、あれキャスターちゃん・・・なのかしら?」 ―――顔立ちやら服装やらに名残は見えるのだが、成熟した大人の姿でうろうろしている美人の姿に気後れしているというのも、声をかけられない理由の一 つ。 「・・・あんりちゃん、まゆちゃん、何かわかる?」 声をかけられたふたりは、無言で縁側に腰掛けていた。 この20分というもの、二人は手を繋ぎ、じっと何かを待っている。 微動だにしない姿に居心地の悪さを感じ、ハサンは無意味にきょろきょろしながら話題を変えた。 「えっと、おかーさんはどうしてるですぅ?」 「佐々木さんなら、さっき見たときは洗濯物を畳んでました。何が起きるにせよ、着替えが要らないわけじゃないとかなんとか」 その飄々とした姿を思い返し、桜はすーはーと深呼吸する。 何が起きているのかは、さっぱり掴めない。 とんでもない事が起きてるのは事実だろうし、ひょっとしたら何らかの重大な危機がすぐそこに迫っているのかもしれない。 だが、深刻ぶった所で事態が変わるわけでもなし、神経をすり減らしていざと言うときに動けなくなるくらいならいつも通りを貫いて力を温存するのも一つの 戦いだ。 「とりあえず、一休みしたらもうひと回りお願いします。今度は捜索じゃなく索敵で」 「士郎さまと凛さまは探さなくていいんですか?」 問われ、こくりと頷きをひとつ。 「先輩と姉さんにはセイバーさんがついてますし、見回った時に道場に居なかったから、アーチャーさんも合流してると思います」 側に居ない自分の従者を少し思い、息をつく。 信じるのだ。必要なときには、文字通り飛んできてくれると。少なくとも、自分にとって彼女は信じるに足る人なのだから。 「イリヤちゃんはバーサーカーさんといっしょですし、イスカちゃんと一緒のギルガメッシュさんはアレな人ですから、きっと大丈夫。だから、あとは帰る場所 があれば大丈夫だと思うんです―――わたしたちの家さえ、無事なら―――」 だから、この家を。 みんなが居てもいい場所を護ることが、自分の役目だ。 絶対に、ここだけは。 「・・・はいです。わたしたちが、護るです」 ハサンは、逸る胸を押さえて頷き返した。 護る。 人の命を奪うことしか能の無い自分が。 その生涯を、殺す事だけに費やした自分がだ。 それは、なんだかとても―――素敵な事なのではないだろうか。 湯のみのお茶を飲み干し、ハサンはぴょんっと勢いよく立ち上がり。 「では、偵察に・・・あれ?」 そして、その鋭敏な聴覚で遠く響く異音を捉えて首をかしげた。 「どうしたんですか、ハサンちゃん?」 「えっと、エンジンの音・・・バイクだと思うんですけど、こっちに近づいてくるですぅ」 バイク? と桜は首をかしげ、屋根に待機させてる使い魔と視覚を同調させた。 一般人が周囲に居ない事は確認済み。ならば、この音をたてているのは敵か味方のわかりやすい二択である。 彼女の知っている限りバイクを使う味方はランサーくらいのものだが、彼女の愛車は裏庭に置いてあった。 「・・・・・・」 基本、敵だと思おうと気を引き締めた桜の意識に合わせ、衛宮邸の屋根でもそもそと手のひらに乗るくらいの使い魔が移動する。 逆さにしたチューリップのようなそれはこちらに近づいてくる爆音の方に視覚部分を向け。 「・・・びみょう」 桜は思わず呟いていた。使い魔経由で視認したのは、スーツ姿の女をサイドカーに乗せたマッチョでもじゃっとした神父だ。 一応、敵ではない。 敵ではないのだが、大きな声で味方だーとか言いたくない相手である。 まあ、その隣をバイクと同じスピードで走ってる青タイツは明確に味方なのだが。 「げ、迎撃に出た方がいいですぅ!?」 「えっと、ランサーさん他2名ですから、大丈夫ですよ」 緊張の面持ちで外に向かおうとするハサンにそう言って、桜ははたと動きを止めた。 こちらへ迫る言峰とランサー、どちらもその服の上半身を赤黒い色に染めている。 「っ! 怪我してます!」 使い魔とのリンクを切って桜は居間を飛び出した。慌てて付いてくるハサンと共に玄関を抜け、門の前へ。 「言峰さんっ!」 「間桐、桜・・・!」 半分スリップしながら強引にバイクを止めた言峰の言葉に、はひと桜は後ずさる。こんなにシリアスな表情の変態は初めて見る。 「衛宮士郎と凛は中に居るか・・・?」 バイクから降りた言峰は一瞬だけよろけ、バゼットが慌ててその巨体を支える。 「あ、あの! 言峰さん胸に穴・・・」 「暑かったので少し風通りを良くしたのだ。それよりも、凛はどこだ・・・?」 「確か出かけたよな? 帰ってきたか?」 こちらも呼吸がやや不規則なランサーに聞かれ、桜は首を横に振る。 「いえ、まだです・・・アーチャーさんが居ないんで、多分迎えに行ったんじゃないかと思うんですけど・・・」 「あー、そういやこっちも出かける直前だったんだっけか」 正確には大規模な魔力の変動を感じ取ったので何が起きたのか確認しようとしていただけだが、この事態を把握すればマスターの保護へ動くだろう事は予想で きる。 「何が起きてるんですか? ランサーさんがそんな怪我するなんて・・・」 「あー、何が起きてるかっていうとだな」 ランサーはすっと視線を動かし、自分たちが来た方―――新都方面を眺める。 無音で追ってきた、影の獣の大群を。 「どうやら始まったみたいだぜ? オレ達の聖杯戦争が」 「っ・・・!」 桜は使い魔の視界と同調し、周囲へ監視の目を向ける。 無人の街を、音も無く侵食していく黒の色がそこにあった。 空を飛ぶもの、地を這うもの。駆けるもの、名状しがたき動きで忍び寄るもの。 全てがこの場所を。衛宮の家を目指している。 「よぅし、嬢ちゃんは家の中入ってな。キャスターは居るか?」 「居るわよ」 声は、上からだ。 見上げれば、大人の姿になっているキャスターが、長い杖を片手に十メートル程の高さで浮いている。 「まったく・・・やっかいなのを連れて来たわね・・・!」 声と共に掲げられた杖から閃光が放たれた。 単純に魔力を集約しただけの魔力弾。単純極まりない簡素な魔術。だが、魔術師の英霊として、究極と呼べるその回路がもたらすそれは――― 「きゃぁっ!?」 ドン・・・っと響いた爆音に桜は思わず耳を塞いだ。 殺到する影の獣たちへ打ち込まれた魔術はきっちり道の幅を塞ぐ爆発を引き起こし、先頭の一団を纏めて消し飛ばしたのだ。 「キャスター、あいつらを防げる結界は張れるか? なんか質量は際限なく増えてくみたいなんだけどよ」 ランサーの問いにキャスターは再度魔力弾を放ちながら頷いた。二発目からは連射だ。全方位へ次々に打ち込まれた魔術が接近する獣達を区画ごとにまとめて 削りさっていく。 「こういう形とは思わなかったけどアレが使われるのはわかってたし、身近にサンプルも居たのよ? 準備は万全。どれだけ増えても結界を発動させれば防ぎき れるわ」 空から迫る影が増加し、放つ魔術の中に誘導弾が混じり始めた。礼装任せの無詠唱魔術ゆえ、キャスターは饒舌に説明を続ける。 「ただ、物理的にも魔術的にも万全といえるだけの強度を追求したら融通が効かなくなっちゃったのよ。展開中は魔力を持つものは無差別に排除してしまうわ ね」 言っている間にも色とりどりの光球がそれぞれ違う軌道で空を斬った。切れ間なく撃ち出されるそれは、あたかも宙に絵を描くかのような弾幕である。今倒せ ばスペルカードがもらえるかもしれない。 「えっと、先輩たちが戻ってきた時だけ解除する方向で!」 「結界にへばりつかれた状態で解除したら一緒に入られちゃうでしょう? とりあえず中に入ってなさい。あの子達が帰ってくるまではわたしがもぐら叩きを続 けるわ」 言葉通り、一定距離より近づいてきた影獣を吹き飛ばし続けるキャスターに、桜はしばし迷ったが頷いた。 奇しくも頭上で自分たちの為に魔術を行使してくれている彼女との戦いの際に、姉とも約束したのだ。足手まといにはならないと。 戦闘能力において問題外である自分に出来る事は、ここにはない。 「言峰さん、中へ・・・簡単にですけど治療しますから。家の前で死なれると迷惑ですし」 「ふむ。心地よい悪意だ。それだけで癒されるようだよ間桐桜」 桜の先導で門をくぐる言峰を支え、バゼットは己の従者に目を向ける。 「ランサー、貴女も中へ。中庭を借りて魔法陣を構築します。急ごしらえでも回復を早める程度の助けにはなる筈です」 「あー、そうだな。魔力を回復できれば少しはマシになる―――」 上空からの大爆撃で吹き散らかされている影たちを遠く眺め、ランサーはカッと目を見開いた。 「キャスター! 逃げやがれ・・・!」 「え?」 その言葉に反応できたのは、周囲を警戒していたハサンだけだった。 隣家の屋根を蹴って迫る、赤い槍を携えた男の姿。 そのスピードたるや、目で追う事すら困難な域。影獣を迎撃することしか考えていなかったキャスターはその強襲に対応できず最低限の障壁しか展開でき ず・・・ 「・・・・・・!」 ハサンが反射的に投げたダークは、予測されていたかのように易々と男の槍に打ち落とされた。 だが、その一振りはキャスターを殺すには必要の無い動きだ。 どれだけ小さなものであっても、その隙を見逃す者に、英雄を名乗る資格は無い。 故に。 「させるかよ・・・!」 即座に 全力で突き出した必殺の一撃に、男もまた、空中で身を翻してキャスターに背を向け、迎撃に専念する。 交差するのは同型の槍の穂先。僅かに掠めて互いの心臓を狙う赤い閃光は、その中途で同時に軌道を変えた。直線から螺旋へと連携し、二匹の蛇が絡み合うか のように火花を散らすそれは、相手の槍を絡めとり打ち払おうという鏡写しの絶技! 「くっ・・・!」 「っ・・・」 金属の噛み合う音と共にランサーと男の声が漏れ、二人は相手の槍を身体にかすらせながら空中で交差した。そのまま衛宮邸前の道路に着地する。 片方は音もなく。 もう片方は姿勢を崩してその場に崩れ落ちながら。 13-6-3 AM11:00 襲撃 ■深山町 住宅街上空 咆哮を一つ。言葉にならない叫びと共に長身が翻る。 バーサーカーはイリヤを抱きかかえて衛宮邸を目指していた。全速力で、だ。 ヘラクレスは、最強のサーヴァントである。 兵力、と呼びかえるならば英雄王や征服王が上回るかもしれない。 一撃の破壊力においては騎士王に劣るだろう。 他、己の技においてヘラクレスを上回る者は多く・・・だが、その全てと対等に渡り合える力を持つ者は、ヘラクレスの他に居ない。 相性を圧する凶悪なまでの基本性能。それがバーサーカーたる彼女の特性なのだから。 「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」 もう一度、咆哮を放つ。 イリヤの推測が事実だとすれば、自分が皆と分断されている状況はまずい。 自分ならば、どの相手とでも互角に戦える。その場で最もやっかいな相手を選択して受け持てる。 だが、それでも自分はただ一人に過ぎないのだ。その場に居なければ役には立たない。 屋根を蹴り、直線的な跳躍でバーサーカーは急ぐ。 遠い閃光と爆音は、既に戦いが始まっている証だ。先ほどから連続的に放たれている魔力がキャスターのそれだとすれば既に二箇所。 ―――そして。 「イリヤ・・・!」 バーサーカーは左手で大事な主を胸に押し抱き、右手に斧剣を具現化した。 跳躍。身体を捻り空を向き。 「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」 全力で振りぬいた斧剣が、ガギリと鈍い音を立てて弾かれる! 「バーサーカー!」 「■■■■■!」 腕から逆流する爆発的な衝撃に、バーサーカーは為すすべも無く地へと叩き落された。 落下した先にあったブロック塀がその強靭な身体に押し潰されて砕け散り、抱えたイリヤを庇い仰向けに墜落。 ダメージは無い。 物理的な衝撃は、神秘の粋たる彼女の身体を傷つけない。だが、飛び起きたバーサーカーは転げるように道路へ飛び出した。 「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」 直後、バーサーカーを叩き落したソレは、民家の屋根を突き破り、その質量で家屋を半壊させて着地した。 間に合わなかったと思うべきか、それともこいつが自分たちを狙ってきたことを幸いと思うべきか。 「・・・イリヤ」 抱きかかえていた少女を地面に降ろし、前に出る。 三箇所目の戦いは、ここで始める他無い。 13-6-4 AM11:11 基盤奪取 ■円蔵山中腹 「抵抗しない方がいいですよ? 『あまり意味無い』ですから」 サクラの声に合わせ、ゆらりと釘剣を揺らすライダーに、遠坂桜はため息をつく。 「・・・確かにね。魔術師としては結構極めてるつもりだけど、わたしでもサーヴァントの相手は出来ないわね」 肩をすくめた間桐桜は地面に横たわったまま微動だにしない少年を見やり、しばしの思考の後にそれを諦めた。 「攻撃力では上回れても、それを当てる手段が無いものね。あたらなければどうということでもないって感じで」 「わかっているなら、大人しく死んでください。わたしにはもう、あなたみたいな人形は必要ありませんから」 ライダーが前に出る。 しかし、既に致死性の間合いに入っている事を理解しながらも、遠坂桜は動揺を見せない。 「あれだけ見入ってた演目なのに、筋書きが気に入らないから棄てちゃうわけ? それって観客としてはちょっと酷いんじゃないかしら?」 握っていた宝石をその場に捨て、代わりにポケットから取り出した別の宝石をコイントスのように跳ね上げ、握り込む。 「でもまあ、それも仕方ないか。あなたは『我慢するのをやめた桜』なんだもんね?」 「・・・ライダー」 間桐サクラの声が冷たく命じる。対し、遠坂桜の声はあくまで余裕を捨てないそれだ。 「ふふ、無駄よ。たとえサーヴァントが相手だとしても、人類が編み出した最強の戦術をもってすれば対処は可能なんだから」 「―――最強の、せんじゅつ?」 聞きなれぬ響きに眉を潜める間桐サクラと、主の指示があり次第敵の命を穿とうと釘剣を構えるライダーを見据え、遠坂桜はニヤリと笑い――― 「逃げるんだよぉおおおおおおおっ!」 その拳に握った宝石を、思いっきり叩きつける。 サクラでもライダーでもなく、地面に横たわった少年の身体に! 「先輩ッ!」 悲鳴のような声と共に少年の―――衛宮士郎の身体は暴風の魔術に吹き飛ばされて遥か上空へと放り出された! 「ら、ライダー!」 「っ・・・はい・・・!」 主の指示にライダーは手近な木を蹴って士郎の身体を追いかけ、抱きとめた。 仮面越しの魔眼に、遠坂桜がサーヴァント並みの速度で山を駆け下りていくのを映しながら。 「サクラ、指示を・・・!」 「追いかけて!」 短い命令にライダーは着地と同時に衛宮士郎を地に置き、先行する遠坂桜を追った。 「・・・・・・」 暴風の如き勢いで駆けるその背中はすぐに視界から消え、後には身動きひとつしない衛宮士郎の身体と、立ち尽くす間桐サクラだけが残される。 「・・・せん、ぱい」 サクラはそっと跪き、シロウを抱き起こした。 最後に見たときと同じ服。破られた袖から覗くのは、色の違う左腕。体中に幾つもの傷。そして何より、無理な魔術行使で回路と神経が崩壊している。 ああ、とサクラは熱く湿った吐息を漏らした。 一度は手を噛んできた犬も、しつけさえされていれば可愛いものだ。 物言わず、呼吸すらしないその姿は、ただただ愛しい。 「ふふ・・・」 その唇へ顔をよせ、舌先でこじ開ける。 嘗め回した歯茎のひんやりとしたの感触をしばし楽しんでから口移しに伝えるのは、ねっとりと暖かい吐息、そしてもう一つ。 こくり、と喉が上下動。また、こくりと。 しばし、静寂の中で行為は続き。 「あの―――サクラ」 遠慮がちな声に、サクラは名残惜しく唇を放した。 目を向けると、困惑の色も露にライダーが立っている。 「申し訳ありません。合流されてしまい、逃げられてしまいました。追うべきかとも思ったのですが―――」 「ええ、こっちが優先」 くすくすと笑い、シロウの髪を撫でる。 そう。気には食わないが、所詮あんなものは人形だ。 大事なものは、どちらもここに。 サクラは身動きしない少年をしばし撫でていたが、ふと顔をあげ、眉をしかめた。 「サクラ、パスから流れてくる魔力が・・・」 「ええ、聖杯とのリンクが切れてるみたい」 無限に注ぎ込まれる大聖杯からの供給が途絶えている。この世界の外、『本物』へのパスが何かに遮断されているのだ。 今からでもライダーを使うべきかと考え、首を振る。 聖杯ならあるじゃないか。ここにも、あの女が使っていたものが。 一石二鳥。あの女から力を奪い、わたしのものにする。奪われるばかりだったわたしが、みんなみんな奪うのだ。 なんて素敵。 なんて、きもちいい。 「さあ、起きてください先輩―――聖杯を、取りに行きましょう?」 腕の中、その人の瞼が、音も無く開かれる。 「――――――」 ゆっくりと立ち上がる。 違う瞳の色で。違う髪の色で。 崩壊した身体を黒き泥で繋ぎ止め。 「――――――」 衛宮士郎と呼ばれていた少年は、かつて助けようとしていた少女の声に言葉無く頷いた。 13-6-5 AM11:10 VS ランサーは胸から噴出した血で地面を濡らしながら立ち上がり、対峙する男を睨みつける。 バーサーカーは斧剣を握り、周囲を瓦礫に変えながら迫る巨人を迎え撃つ。 どちらにとっても、対峙する相手は見知った顔だ。 たかだか二週間見なかったからといって。 たとえ瞳が血の色を映し、黒き泥の魔力がその身を満たしていたとしても。 自分の顔を、見間違える筈も無い。 ■深山町 住宅街 「■■■■■■■■■■■■ッ!」 「■■■■■■■■■■■■ッ!」 突撃の勢いのままに打ち下ろされる斧剣とそれを迎え撃った斧剣が激突し、バーサーカーの足がコンクリートを削って背後へと押し戻される。 足りない。 暴風の如き剣戟を全身の力を込めて打ち払いながら、バーサーカーはそれを感じる。 五合、十合、五十合。百合。 連続して響く斧剣同士が互いの身を砕く音と共に、彼女の長身は確実に押され、護るべき主の方へ押し込まれていた。 足りない。 足りないのだ。 目の前の敵にはある、圧倒的な質量、強靭で巨大な体躯。 姿形の問題ではなく、ヘラクレスとしての純度で劣るが故の身体能力の差が圧し掛かる。 かつての自分にはあったそれが、対峙している敵の、純正なるヘラクレスの身体が、こちらには無いのだ。 ■衛宮邸 門前 「・・・名前を聞いておこうか」 ランサーの問いに、男は槍をぐるりと旋回させて構え直し。 「聞く意味があんのか?」 短く答え、地を蹴った。 「はっ! そうかよ・・・!」 自身が一本の槍であるかのような迅さと鋭さを兼ね備えた突撃を迎え撃つべくランサーは地を強く踏みしめ――― 「っ・・・!」 胴鎧の隙間から血を噴出して一瞬だけよろめいた。 喉を逆流する血を飲み下し、体勢を整えるまで1秒とかからない。だが、その隙は神速を誇る槍の英霊を相手には余りにも大きく――― 「ふむ、無様だな」 瞬間、声と共に神父服の背中がランサーの視界を遮った。 「無茶すんな馬鹿!」 「ほう、てめぇが先に死ぬか・・・!」 ランサーと槍の男の声が交差する中央で、言峰綺礼は扇のように広げた黒鍵を左手に、リロード済みのショットガンを右手に構え。 「 同時、ランサーの背後で、詠唱と共に魔力が迸った。 振り向かずともわかる。バゼットだ。 彼女の名にフラガが付く理由。伝承保菌者(ゴッズホルダー)と呼ばれる所以。継承宝具「斬り抉る戦神の剣(フラガラック)」。 あらゆる「切り札」に反応して時間を遡行するそれは、並ぶものなき対宝具の一手である。 ランサーの宝具たる因果逆転の槍「突き穿つ死棘の槍」ならば対抗可能な概念とはいえ、それはあくまでも発動者たるバゼットに対して槍を撃てる状況なら ば、の話。 バゼットとランサーの間には言峰がおり、その言峰に対して宝具を発動すれば、それは即座に槍の男が斬り抉られる事を意味する。 つまりそれは、切り札を封じた状態で言峰と戦わねばならないという事であり――― 「甘ぇっ・・・!」 そして、それだけの事であった。 言峰の目に赤い光が映ると共に盾として構えていた黒鍵が四本同時に砕け散る。 反射的に突き出したショットガンはいきなり中途から折れ、暴発を起こす。 「ぐっ・・・!」 勘だけで身を捩った言峰の頬骨を魔槍が削り取り、血と肉を撒き散らした。 後退しようと地を蹴った足は一気に三つの穴を開けられて跳べず、中途半端な体勢で残された腹に、さらに二つ穴が開いて、内臓を穿つ。 ・・・四度にわたる聖杯戦争で確立されたセオリー。 魔術師は、英霊に勝つことが出来ない。 宝具という強大な神秘があり、霊体としての格による物理的干渉の遮断があり、多彩なスキルがあり。 そして何より、彼らの身体能力は人間としては限界まで鍛え上げられた言峰綺礼の全力ですら、児戯と扱える程に高い! 「・・・確かに切り札は封じられたけどな」 黒い鎧の槍兵はわざわざ立ち止まり、刺し傷からどす黒い血を噴き出して身を捩る言峰に凶悪な笑みを浮かべてぐるりと槍を回して見せる。 「切り札を使う必要なんかあるのか? アンタ如きに?」 「ふん・・・大きく、出た、な・・・」 懐に残った最後の黒鍵に手を伸ばそうとした言峰は、左手は槍の貫通創、右手は暴発した銃の破片と爆炎でまともに動かない事に気付いてだらりと両腕を降ろ す。 それでも、何時も通り、あざ笑う表情のままでだ。 「違うな」 ランサーを背後に隠して立ちはだかる言峰に、黒の男は無造作に槍を繰り出す。 「ただ、アンタが小さくなったんだろうよ」 言峰は動かない。 いや、動けない。 視認できない一撃に、人は動きを起こすことは出来ない。 音すら追い越し無音と化した穂先は言峰の眉間へ、その奥の脳髄へ、再生不能の魔術的中枢を穿つべく迫り・・・! 「ぐっ・・・!」 言峰の口から、久しく無かった苦痛の声が漏れる。 ―――彼の頭は、無事であった。 声は、背後から繰り出されたもう一本の槍が側頭部を掠めた衝撃によるものだ。 黒い英霊の槍は同型の槍と穂先を削りあい、人類に有害な脳髄を破壊することなく跳ね上げられている。 言うまでも無い。 人間に反応できぬ速度を、英霊が防いだというだけの話・・・! 「為せぬ事を為してこそ、魔術師というものだ―――」 掠めただけでも頭蓋を砕くに十分な衝撃にその場に崩れ落ちそうになりながら、言峰は見開いた両眼を敵からそらさない。 「奮ッ・・・!」 両足がコンクリートの舗装を噛み砕いて踏みとどまる。肉がそげ、骨を穿たれた五体はその傷を深くしながらも己の責務を全うし。 「行くぞ―――」 両の腕に描かれた複雑な刻印の何画かが消滅すると共に道路の舗装が砕け散った。 ドンッ! という破裂音を追い越して届くその踏み込みの速度は、サーヴァントのそれにも劣らない! 「――――――!」 黒のランサーが声を放つより尚早く、頭上に逸れた槍を振り下ろす間を許す事無く、全身の傷から流れる血を霧のように周囲へ散らしながら言峰の肩口が対手 の鳩尾へと叩きこまれる! 全ては一瞬。 震脚が得た大地からの反発力を膝へ、腰へ伝え、背中を通して敵を打つ。 魔術が不可能への抗いであるように―――武術もまた、出来ぬを覆す為の業。腕を使えぬ程度で屈するものでは無い・・・! 「っぐぉッ・・・!」 「ぬぅッ・・・!」 攻守双方の口から苦鳴が漏れた。 鉄山靠。 巨獣の突進の如き強烈な衝撃に黒の槍兵はその場からかき消えるような勢いで吹き飛ばされ――― 「―――たいしたもんだ」 十と数メートルを経てくるり、と回転し、足裏で地を削りながら着地した。 「たいしたもんだが・・・まあ、それだけだな」 へこみ一つ無い皮鎧をぱんぱんっと片手で払い、肩をすくめる。 その表情からは、痛みの欠片さえ見えない。 「・・・おい、キレイ。強化の魔術使ってたよな? 今」 強制的な仕切りなおしで数分前の間合いへ戻った敵を見据え、ランサーは舌打ちと共に神父にジト目を送る。 「うむ。令呪二画分の魔力を消費してだ。だが、キャスターならともあれ使用するのが私の回路ではな。サーヴァントの霊格を打破して傷を与えるには、やや足 りん」 ふらつきながらも槍を構えなおすランサーの問いに言峰はそう答え。 「―――ああ、これはもう立てぬな。後はなんとかしたまえ」 人ごとのような呟きを残して崩れ落ちた。 ■深山町 住宅街 「■■■■■■■■■■■■ッ!」 「■■■■■■■■■■■■ッ!」 目の前で剣戟を叩き付け合う二人を見据え、イリヤは髪をかき上げた。 人の域を超えた速度で打ち交わされる二本の斧剣。 直下には二本の轍。それはバーサーカーが相手を押し返せず、一方的に押され続けている事の証明だ。 見上げる。 巨人の顔にぽっかりと開いた黒い眼窩。 禍々しい赤光だけが宿るそこに、意志は感じられない。 今更、何の感慨も無い。 他の皆ならともかく、自分にとっては二度ネタだ。 故に。 「バーサーカー、遊んでないで真面目に戦いなさい」 つまらなさげにイリヤは命じた。 「■■■!?」 主の命に、防戦一方だったバーサーカーは喉で唸った。 手など抜いていない。先ほどから全力で挑んでいて、それでなお、押し負けているのだ。 だが、イリヤは真面目にやれと言う。それは不条理で・・・ (???) 何かに気付いた一瞬、手が緩んだ。 「■■■■■■■■■■■■ッ!」 すかさず叩き込まれた一撃に、迎撃が間に合わない。 「■■ッ!」 バーサーカーは反射的に身をそらして剣閃の内側に入り、髪を掠めるように通り過ぎた相手の斧剣の中途を剣を握っていない方の手で素早く叩いた。 微妙に軌道がずれた一撃は彼女の「後押し」で大きくそれる。 彼女とて、その魂はヘラクレスだ。 万能の英雄たるその身は剣術にしろ体術にしろ卓越しているのであり。 「ガンバル」 確かに、と頷いてイリヤに答える。 そう。何も馬鹿正直に正面から打ち合う必要など無い。 「■■■■■■■■■■■■ッ!」 力任せに引き戻される黒の斧剣。バーサーカーはそれに付き合うことなく。 「■■■■ッ!」 手近な電信柱を力任せに掴み、引っこ抜いた。 握力に任せて指を埋め込んで握ったそれを無造作に叩きつけると、黒の狂戦士は素早く構えなおした斧剣でそれを迎え撃つ。 ガッという重い音と共に電信柱は砕け散り―――しかし既に、それはバーサーカーの手からはなれている。 もとよりその一撃に意味は無い。彼女は狂戦士の一撃を身をかがめてやり過ごし、相手の側面へと回り込んだのだ。 相手よりも小さな身体は、それだけ小回りが効く体躯であるという事でもある。 力任せに振り回される狂戦士の乱打とは対照的な短く鋭い軌道でバーサーカーは――― 「■■■■■ッッ!」 全力で振り返り、イリヤに向けて飛び掛った。 「ぇえ!?」 呆然とする主に構わず大きく腕を広げてその小柄な身体を空から隠すように覆い被さったバーサーカーの視界が、一瞬だけ白に染まった。 白濁した世界は直ぐに黒に染まり、彼女にとってはお馴染みの感触が脳を掻き乱す。 「■■■■■■■■■■■■ッ!」 停止は一瞬。 再度見えるようになった目でイリヤの愛らしい驚愕の表情を確認し、バーサーカーは振り返りながら斧剣で頭上を薙ぎ払った。 パリン、という音と共に手ごたえあり。 武器とそれを握った右腕が瞬間的に凍結し、それ以上侵食できずに氷が剥がれ落ちる。 「■■■■■■■■■■■■ッ!」 「ク・・・ッ!」 間髪入れず押し寄せる黒の狂戦士の連打を受け流し、バーサーカーは喉で唸りながら上空を見上げた。 「ふふ、神の呪いはその身体でも有効なのね・・・同じ魔術は、二度通じない」 数メートルの高さに支えもなく浮かんでいる、黒いローブの女が一人。 身長程もある長杖に、ねっとりとした闇を纏わりつかせて笑っている。 「でも、未知のAランクに達する魔術は防げないのよねえ?」 「っ! バーサーカー!」 「サガッテ・・・!」 主の警告の声に、バーサーカーは短く答え。 「――――――」 聞きとれぬ程のささやかな呪文をローブの女が口にすると共に、杖から数百条の光が雨と化して降り注いだ。 「イリヤ・・・ッ!」 広範囲に降り注ぐそれは、当然背後のイリヤにも向けられている。バーサーカーは迷わず振り返り、イリヤの頭上を薙ぎ払った。 サーヴァントが握る事で相応の霊格を得ている斧剣は硬質の音を立てて数十本の魔矢を纏めて薙ぎ払い。 「■■■■■■■・・・ッ!」 肩を、背を、足に、降り注いだそれが穴を開ける。痛みは無視できるが、肉体を欠損した衝撃にバーサーカーはたたらを踏み。 「■■■■■■■■■■■■ッ!」 直後、黒の斧剣が彼女の頭蓋を叩き割った。 「・・・これで、2回」 飛び散った肉汁を、骨片を、命の全てを巻き戻して即座に蘇ったバーサーカーが怯まず黒の狂戦士の暴圧に立ち向かうのを見下ろし、上空に浮かんだ女は愉悦 の笑みを浮かべる。 以前戦ったときは重圧の魔術とあの役立たずを駆使しても追い返すのがせいぜいだった。 だが、今は。 相手の宝具の詳細を掴み、前衛に相手よりも優れた駒を置き、足手まといを巻き込み。 「それに・・・ふふ・・・」 三度目の魔術は真空の断層。数十メートル単位で天から地まで分割するそれは、黒の狂戦士が圧し掛かるようにバーサーカーの足を止めると同時に、両者を諸 共両断した。 周囲のマナそのものに働きかける高速神言の他に、パスから無限に供給される魔力もある。 それは騎士でも狂戦士でもなく、魔術師である彼女にこそ、最大の力を与えるもの。 「もう3回も死んでるわよ? 少しは歯ごたえがないとつまらないじゃない」 嘲りの声と共に魔術師は次の魔術を準備する。 彼女の名はメディア。 黒き泥から再誕した、かつてキャスターと呼ばれた者。 13-6-6 AM10:45 V-SLASH ■新都 教会近くの坂 「大丈夫ですか! シロウ、リン!」 土煙が収まったそこは小規模なクレーターと化していた。 セイバーは周囲を焼き払った光刃の名残を剣にまとわせ、静かに構えなおす。 銀と黒、二色の鎧を纏った二人のセイバーが、同時にだ。 「俺は何とも無い・・・大丈夫か、遠坂」 「ええ。余波くらいなら手持ちでも防げたわ」 互いの身を確認する士郎の手から、マスターの証が一画消えた。 言葉にする暇も無く意志のみで命じられた令は、『即座に己が刃を放て』である。 プロセスの大半を無視して具現化した抜き打ちの一撃は坂の上から撃ち降ろされた光刃と衝突し、周囲に破壊をまき散らしながら消滅していた。 「セイバー、魔力は?」 「もう一度ならすぐにでも。但し次を撃ったら数分の溜めが必要です」 受肉したセイバーはその身に備わる魔術炉心が供給する膨大な魔力により、事実上無制限に戦闘可能だ。 だが、魔術師とは桁違いであるとはいえその生産量は無限ではない。 注いだ魔力を全て威力に変換する『約束された勝利の剣』を連発すれば、消費量が供給量を上回るのは避けられないのだ。 「あちらの私も・・・一度や二度で枯渇はしないようですね」 セイバーは宝具を正眼に構え、直感を研ぎ澄ます。 先ほどの一撃は、完全に互角であった。 数十メートルという、彼女にとってはひと跳びで埋められる距離で相対しているあの『自分』は、多少パラメータに違いはあれど正しくアルトリアである事に 間違いない。 彼女の音速の踏み込みをも凌駕する、光速の刃。 一度振り下ろされてしまえば、同格以上の神秘で相殺するしか防ぐ手段の無い最強の聖剣である。 安易に発動しようとするならば、魔力を込めるより早く踏み込み首を叩き落す自信はある。 しかし、その一撃を読まれ、回避されたのならばもはや光刃を避ける事は出来ない。 逆も言える。 こちらが先に魔力を込め始めたとしても、相手がそれを潰しにきたのならそれを掻い潜らなければ約束されるのは敗北のみだ。 そして何より―――こんな時に絶対的な優位を彼女に与える直感が、おそらくは相手にもあるという事実。 今読めている次手に対応して動こうとすれば、それを直感した相手は行動を変え、それを読み取った自分は更にそれを越えるべく手を変えなければならない。 これでは直感など、ないも同然ではないか。 (―――なんて厄介な) ある意味自画自賛である呟きを内心に閉じ込める。 直感というスキルの弱点は、次手がわかっているからといって肉体がそれについていけるとは限らないという事だ。 たとえば、四肢を封じられていれば、読めている一撃とて受けずにはいられない。 故に、狙うは後の先。互いに相殺以外防ぎようの無い一撃を備えている以上、相手が悪手を打った際に見逃さなければそこで勝負は決まる。 動かぬ騎士達に焦ったのか、じり、と士郎が僅かに体勢を変えた。 「無謀よ士郎。気持ちはわかるけど、まだ賭けに出る時じゃないわ」 凛の静止にセイバーは感謝する。 確かに士郎の行動は時にサーヴァントの思惑をすら凌駕する。 だがそれはあくまで奇策。万が一を手繰り寄せているに過ぎない。 相手の素性を問う余裕も無く、無言でこちらを見据える黒騎士と対峙する時間はジリジリとした焦燥と共に過ぎ。 「――― 黒騎士の無造作な真名解放共に動き出す! 「! 先手を取った黒騎士の宝具解放に対し、セイバーの選択は宝具による相殺。 発動の妨害に勝負をかけて、それを回避されたらどうするのかという想いがそれを選ばせた。 防げぬまま、自分に向けて撃たれたのならばまだいい。 だが、その刃が士郎たちに向けられたなら――― そして。 「――― 「――― 二人の唇は同時に真名を紡ぐ! 白と黒、二色の極光は魔力で周囲の空間を沸騰させながら突き進み、その身をぶつけ合って炸裂した。 消滅したのではない。あらゆるものを切断するその力が互いの魔力を断ち斬りあって崩れ、球状の抉り取る力と化して均衡したのである。 地面はもちろん空気すら瞬時に切断され消滅し、残留した魔力が爆風となって荒れ狂う中。 (次の一手で決める・・・!) セイバーは剣を振り切って前のめりとなった身体を大きく前に出した脚で支え、敵から視線を外さない。 先の一撃は、正真正銘の全力斬撃だった。回路の限界まで注ぎ込んだ魔力は、相手が余力を残して宝具を放っていたのならそれを喰い潰して突き進むだけの威 力を剣に与えていた筈。 故に、その一撃が相殺された時点で、相手も限界まで魔力を放出したのは間違いない。 自分と同じように相手の炉心が稼動していたとしてもあと数分は宝具は使えい筈。 (宝具さえ使えなければ―――シロウとリンの援護は絶対的な優位・・・!) 吹き付ける灼熱の風と爆風を突き破ってセイバーは地を蹴り。 「え―――」 声が、漏れた。 直感が、数秒先の未来を脳裏に描き出す。 振り下ろされている黒の剣。その切っ先が鋭角を描き跳ね上がる。切り下げから手首を返し、切り上げへ連携。その刃は、既に黒い極光の束と化してい て・・・! 「馬鹿な・・・! 魔力は既に枯渇している筈・・・!」 セイバーの驚愕の声に、凛は唇を噛んだ。 ―――そう。 自分は気付ける筈だったのだ。『あの』セイバーと対峙したのは二度目。当然、誰と契約しているのかはわかっている。 黒き泥による受肉による魔術炉心の稼動と共に―――聖杯から供給される無尽蔵の魔力もまた、このセイバーへは供給されているとわかっていたのに! 「 たとえ令呪を使ったところで、その効果はマスターとサーヴァントの魔力の範囲での万能だ。 セイバー自身の魔力が枯渇している以上、彼女の生命を絞りあげて魔力を得る程度しかできず・・・それで彼女を失えば、残った黒いセイバーを防ぐ手段が無 い! 「っ・・・このぉっ!」 故に、凛はありったけの宝石を両手で掴み出して投擲した。 それぞれに込められた魔術を捨て、そこに込められた魔力を爆薬として使えば、かなりの威力を叩きだせる。 そして、その1秒で令呪を使えば、身体能力を強化したセイバーが士郎を連れて逃げられるかもしれないのだ。 (気付いて、士郎・・・!) 言葉を放つ時間すらない今、彼の判断が自分の行動に沿う事を祈るしかなく――― 「くそっ! 「って何やってんのよ!」 そして、衛宮士郎が自分たちだけ逃げるという判断をするわけもない・・・! 「 「 放たれた黒の極光を遮ったのは、セイバーの眼前に展開された四枚の花弁を持つ光の盾。 「シロウ、無茶だ!」 「わかってる・・・でも・・・!」 凛の展開した魔力暴発の壁を一瞬で喰い潰し、黒の刃はシロウの盾に食い込んだ。 一瞬の均衡。しかし即座に二枚の花弁が砕け散る! 「ぐっ・・・!」 同時に士郎は激痛に身を折った。 内面世界から拾い上げた贋作の神秘。その破壊による反動を逃がせるほど、彼はまだこの魔術を使えてはいない・・・! 「っ―――セイバー!」 凛の声にセイバーは鎧を解除し、余剰魔力の全てを宝具に込めた。 士郎の盾も凛の魔術も、確実に黒光の威力を削ぎ落としてはいる。鎧の分の魔力だけでは全力発動にはほど遠くとも、これならば斬り砕けるかもしれない。 その可能性くらいは、ある。 数秒後の賭けに備えてセイバーは己が意志を、魔力を、集中力を。その全てを前方へ、砕けつつある盾の向こうへと向けなければならない。 だから――― (―――リン、シロウは) (わたしが・・・!) 気管を逆流する喀血にむせた士郎を凛は背後から抱きしめた。全身を絡ませてその身を起こし、有無を言わさず五指を彼の胸へと突き立てる。 「アッ―――!?」 「集中!」 ずぶりと体内に侵入してきた凛の一部に声をあげた士郎を叱咤し、魔術的に同化させた指先での触診を頼りに潰れ、弾けた臓器を復元魔術で補強する。 不得手な種別故の無理やりな術式の影響はこの際、考えない。どんな事になっても、絶対になんとかしてみせるのだから。 千切れた紐を蝶結びで繋げるような痛みと不快感に満ちた腹の中を堪えて突き出した腕の先、また一枚、花弁が砕けた。残る盾は、あと一枚。 「 セイバーの真名開放に応え、構えた剣に光が宿る。 目の前で最後の盾を砕きつつある黒い刃とは比べ物にならない程に小さく―――しかしそれでも勝利を約束する、誓いの光が。 そして。 「くそっ! 限界だ・・・っ!」 士郎の声と共に最後の花弁が砕け散った。 障害を噛み砕いた黒の刃は文字通りの光速で三人へと襲い掛かる。 その軌道を先読みしたセイバーが白の刃を叩きこみ、全身の神経が剥がれ落ちるような痛みに跳ねる士郎の身体を凛は力いっぱい抱きしめ。 「――― 「え?」 士郎は、激痛の中呟いていた。 自分と違う声、自分と同じ呪文。 創りだされたのは黒の刃を受け止める巨大な神秘。 かつて古の大英雄の投擲を防いだという盾の神秘を再現したそれは、七枚の美しい花弁を模すが故に――― 「アーチャー!」 「余所見をしているとそいつが死ぬぞ、凛」 マスターの歓声にそっけなく答え、右手を前に突き出した姿勢でアーチャーは三人の傍らに降り立った。 その身体は、既に赤い戦闘服を纏っている。 「未熟な投影だったな衛宮士郎。ふん、剣はそれなりに投影できてもそれ以外はまだまだと言ったところか―――」 対投擲の切り札たる宝具が軋み、斬り裂かれるのを感じながらも、錬鉄の英霊はニヤリと笑みを浮かべた。 「だが、これだけ威力を削ぎ落とせたのなら、まず合格と言うべきか?」 瞬間、一枚一枚が古代の城壁にも匹敵する花弁を実に6枚も道連れにして、黒の斬撃は消え去った。 「今だ、セイバーッ!」 同時、士郎の声を合図にセイバーは全力で地を蹴った! 「たぁああああああああああああああああああああっ!」 アーチャーの盾が消えるまでの数秒で蓄えた僅かな魔力を全て足裏から放出して推進力に変え、一本の矢となって斬りかかる! 「っ―――」 黒騎士の口から舌打ちに似た音が漏れた。 魔力が万全であれば音速をも超過するセイバーの踏み込みである。不完全な状態とはいえ、その速度は凡百の英霊の全力を遥かに凌駕するものだ。 宝具の二連撃という大技の後で姿勢の崩れている今、振り上げた剣を振り下ろしに連携するより早く相手の金の刃がこの身に届くであろう事を悟り。 「――――――」 彼女は、無造作に一歩下がった。 「!?」 セイバーの目に戸惑いが浮かぶ。この速度だ。たかだか一歩間合いを離したところで意味など無い。 敵の不可解な行動に生じた若干の迷いを切り裂いてセイバーは自分と同じ顔の黒騎士へと閃光を纏う剣を叩き付け――― 「っ・・・!」 だが、凛は見た。 後退した黒騎士の足元で…しかし影は、正面から迫る黄金の輝きが彼女の背後に作った影は、動かなかった事を。 自らの影の中心を踏むという有りえぬ動きに答えて黒い人型は水面の如くとぷりと揺れ、甲冑に包まれたその身体を一瞬で飲み込む。 「桜の魔術・・・!」 影を使い魔とし、影に何かを潜ますのを、凛は幾度か確認している。 『こちら』の桜と違い『あちら』の桜は無理な属性変換に伴いその実力を大きく減じている筈だが、聖杯に潜むものとの契約によって得た無尽蔵な魔術は本来稚 拙な彼女の技術を力押しで水増ししているのだ。 「くっ・・・!」 目標を捕らえず空を薙いだ剣から光が消えた。 彼女の宝具は絶対の切断。相手が空気であろうと、それを斬り裂くという効果に変わりは無い。狙った相手でないからといって、その効果は変わらず発動する のだ。 士郎は苦痛を噛み殺して周囲を見渡した。 一連の攻防が終わり、残されたのは魔力の枯渇したセイバーと、盾を崩された反動で内臓と神経が損傷している自分。そして手持ちの宝石を使い切った凛。 アーチャーは万全の状況ではあるが、『無限に宝具を連射できるセイバー』などという規格外を相手では、あまりに分が悪い。 いかに勝つかではなく、いかに逃げ延びるかを念頭に士郎は影に消えた黒騎士の出方を伺ったが。 『優先事項が変わった―――命拾いをしたようだな』 どこからか、抑揚の無い声が響く。 「セイバー・・・?」 「ええ。私の声ですね・・・」 その声は、紛れもなくセイバー、アルトリアのものだ。 これまで真名以外無言を通した敵の言葉に、四人は周囲への警戒を解くことなく耳を傾ける。 『どちらにせよ、そう時間があるわけでもない。余計なことはせず、静かに待つ方が賢明だ』 感情の乗らない声はそれだけ告げて途絶えた。 しばし待つが、大きく地面が抉れ半ば廃墟と化した坂道は静まり返り、物音一つしない。 「・・・優先事項って言ってたな」 士郎はジリジリと腹を焼く焦りを押し殺して凛に声をかけた。 「マスターに呼び戻されたみたいね。あっちの行動については読み筋はいくつかあるけど―――わたし達がするべき事は、出来る限り早く家へ戻る事よ」 「三枝さん達は―――」 凛は、気軽に見えるよう表情を作って首を横に振る。 「さっきの消え方を見る限り別に死んだってわけじゃないわよ。確かな事はまだ言えないけど、この街・・・っていうより、この世界の外に出されたってだけ じゃないかしら。まあ、戦場になってるここに居るよりは安全って言えるかもね」 「そうか・・・」 納得したようなしないような微妙な表情の士郎に、不安を顔に出さぬよう問いかける。 「それより士郎。魔力はどのくらい残ってる? 回復ペースはどのくらい?」 「む。余裕はあんまりないな・・・回復は・・・まあいつも通り遅いぞ」 「胸を張って言えることかそれは」 アーチャーの呆れ声に鍛えれば俺だってきっとなどとブツブツ言っているのを、腕組みして眺め、凛は少し堅い声でもう一度問う。 「速度は微妙でも回復はちゃんとしてるわね? それと、まだしばらくは枯渇までいかない?」 「? ああ。まだ、そうだな・・・2、3回なら投影も出来るぞ」 そうと頷き、凛は軽く息をついた。知らず握り締めてた手を開きさりげなく汗をぬぐう。 「その程度じゃ戦力としてはおぼつかないわね。さっさと家に帰りましょ。桜も心配だしね」 13-6-7 AM11:28 本性 ■衛宮邸 門前 「言峰さん!」 「やめなさいサクラ・・・!」 倒れ伏した言峰に駆け寄ろうとした桜を、鋭い声が制止した。 「でも・・・!」 「私は今動けませんし、ランサーも自分とサクラ、二人を守りきれる状態ではありません・・・!」 言ってバゼットはギリギリと奥歯を噛み締める。 彼女の夫は極めて頑丈だが、不死身なわけではない。秒ごと、分ごとに死へと近づきつつあるが・・・それでも、動くわけにはいかない。 クー・フーリンの宝具は、投槍だ。 この場に居る全員が射程範囲に入っている今、こちらの宝具で発動を封じておかねば、生殺与奪は黒の槍兵の気まぐれに任されてしまう。 「―――ランサー、どれくらい支えられますか?」 「・・・そっちが指定しない限り、俺は死ぬまでやる気だけどな」 問いに、ランサーは振り向かず答えた。 実際、死ぬまで戦う事は出来る。気を抜くと死にそうになるこの負傷でも、戦闘能力は大して落ちてはいない。 だが、目の前の相手と―――自分と戦うには、万全とは言いがたいのもまた事実で。 「つまらねぇな」 黒の槍兵は、自分に向けられた穂先の僅かなブレを眺めて息をついた。 「・・・何がだよ」 「今度こそ全力で戦えるっつうから契約してみたが、今んところ満足できる相手にあたらねぇ。思ってたより自分相手ってのはつまらん。手の内が全部わかって るのがいけねぇな」 ぐるっと槍を回し、ランサーを、バゼットを、桜を、倒れている言峰を眺め、黒の槍兵は肩をすくめた。 「まあいい。全員殺して次行くか」 「っ・・・!」 「く・・・!」 無造作に間合いを詰められ、ランサーとバゼットが迎撃の為に神経を尖らせる。桜は言峰を魔術で回収できないか必死に手持ちの術式を思い出し――― 「あら、殺し合いをご所望ですか?」 涼やかな声と共に、黒の槍兵は己の首が堕ちる様を幻視した。 「!?」 咄嗟に真横を薙ぎ払った槍の穂先が、首筋目指して突き込まれた刃を迎撃し、打ち砕く。 「ふふ・・・」 破片となって飛び散ったのは、剣でも槍でもなく、何の変哲も無い果物ナイフ。 気配なく肉薄してそれを振るった相手は、舞うような優雅さでもって身を翻し門壁の傍まで間合いを離す。 「佐々木さん・・・!」 桜の歓声に佐々木はにこやかに頷き、視線を槍兵へと戻した。 「桜さま、ランサーさま、言峰さんを中へ。バゼットさまは、今しばしお付き合い願います」 「…誰だか知らねぇけどよ、宝具なしとはいえオレを一人で止められるってのか?」 黒の槍兵の視線を正面から受け、佐々木は笑みのまま右手をすっと横に伸ばして手のひらを空に向ける。 「ええ、前々からの望みでしたので」 気配なく投げ落とされたものが、伸ばした手に掴まれた。 長さは五尺余、身体全体を捻るようにして鞘を払えば、その長さにして観賞用でも儀式用でも無く、ただ人を斬る為だけに作られた鈍い光を湛えた刀身が姿を 現す。 「佐々木さん・・・?」 「お早く」 ランサーと共に言峰の身体を支え、屋敷の中まで退こうとしていた桜のいぶかしげな声に、そちらを向かずに言葉でだけ急かす。 「−−−ランサーさまに鍛錬をお誘い頂く度に自重しておりましたが・・・実は、一度でいいのでその槍を相手取ってみたいと思っていたのですよ」 「あん? ・・・なんでやらなかったんだ?」 黒の槍兵は半ば読めている答えを聞く為に問いかけ、穂先を女剣士へと向けた。 「だって―――」 対し、佐々木もまた愛刀をゆったりと構え。 「―――落としてしまったら、気まずいじゃないですか。首とか」 キンッ、と甲高い音が黒槍兵の首元で響いた。 「ぅおっ!?」 笑顔のまま繰り出された断頭の一閃を防いだ槍から伝わる感触は、軽やかな太刀筋に似合わず鋭く、重い。 「まずは一献」 するりと引き戻した剣と楽しげな声。 「・・・成程な、あんたなら楽しめそうだ」 黒の槍兵もまたニヤリと笑い、軽い踏み込みと共に槍を放った。 「ええ、このような流れでは、ごゆるりと等とは言えませんが・・・退屈はさせません」 槍が増えたかのような超高速の三連突きを澄んだ刃鳴りと長大な刃が受け流し、穂先を引き戻す動きを追いかけて返礼の突きが繰り出される。 槍は引くと見せかけ螺旋の動きで刀を絡めとりにかかり、刀は飛燕のようにくるりと軌道を変えてそれを掻い潜って槍兵の首へと迫る。 阻むものなく叩き込まれた一撃は、しかし寸前ではじかれた。防いだのは穂先で防げぬと悟ったと同時に跳ね上がった槍の柄である。 薄く鋭い刀身と、ただひたすらに頑丈な金属棒である槍の柄では強度に雲泥の差がある。まともに接触すれば刃こぼれや歪みは避けられない。 佐々木は僅かな反動が返って来た瞬間握りを緩めて刀身を守り、数歩下がって構えを整えた。 いっそ無造作にすら見える佇まいで長刀を握る佐々木に穂先を向け、黒の槍兵はこみ上げる笑いに頬を歪めた。 (・・・妙な剣を使う) 彼が生前に戦った力任せに鎧ごと叩き潰そうとしてくる剣士達とは全く異なる、つかみどころのない軽やかな剣術に黒の槍兵は戸惑いと興奮を覚えた。 「今度はこっちからいくぜ?」 言いざま槍の終端、石突を右手で握って振り回し、大きな軌道の薙ぎ払いを仕掛ける。 いくら佐々木の得物が規格外に長いとはいえ、それでも刀の間合いは槍の間合いに勝てるものではない。 女剣士は一瞬で見切った軌道に合わせるべく僅かに下がった。予測通りの軌道で穂先が通過すると同時に間合いを詰めるべく地を踏み。 「あら?」 穂先が女剣士の方を向いた瞬間、槍兵は柄を掴んだ手を離していた。フェイント投擲で放たれた槍が真っ直ぐに鳩尾目指して襲い掛かる! 正中線への高速強襲は、いかに達人でも容易に回避できるものではない。 回避即攻撃で相手の首を叩き落そうとしていた佐々木は咄嗟に攻撃を諦め飛来した槍を叩き落とし――― 「ありがとよ」 間髪入れずスライディングで滑り込んできた槍兵の手がそれをしっかりと掴んだ。 小さく跳躍して足を蹴り払うスライディングを回避した佐々木を見ず、槍兵は槍の石突を地面に突き立てて全身のバネで跳ね上がった。 そのまま、逆立つようにして相手の顎へと蹴りを撃ち込む。 「わざわざパスしてもらってわりぃな・・・!」 「いえいえ、礼にはおよびませんよ?」 しかし佐々木は軽く首を傾けるだけでその蹴りを回避し、着地ざま滑るような足取りで数歩さがった。槍兵が空中で回転しざま放った突きも涼やかな音と共に その刀が受け流す。 「・・・あっさり見切ってくれるもんだな」 奇襲交じりの三連撃をことごとく防がれた槍兵が音も無く着地して呟くのに、佐々木はええと笑みを浮かべる。 「種を明かしてしまいますと、今の動き、以前当家の者が行うのを見ておりましたので」 優雅に頭を下げ、佐々木は刀を右手に提げ、左の手をすっと振った。 「とはいえ、日々の鍛錬で見せる動きが底ということはないと存じます」 そして佐々木は、いつの間にか左手に握られていた小柄の刃で着ていた紬の裾を股下から足元まで一気に切り裂いた。 「さて、久しく無かった大舞台に、少々はしたなくならないかが心配ではありますが―――」 声と共に、佐々木は大きく左足を前へと踏みだした。裾が切り込みから大きく広がり、白い太腿が覗く。 (―――足運びが殆ど出来ない状態でアレだったわけか) 槍兵はぞくりと走った背筋の震えに笑みを浮かべた。 「とくとご覧頂きくださいませ・・・!」 「くっ―――!」 繰り出された足元への突きを軽く横へステップして回避し、同時に放った反撃の突きが間髪入れずに打ち込まれた中段突きとぶつかり互いの狙いを逸らす。 引き戻すと同時に視界に入ったのは、佐々木の腕が描く三度目となる銀の閃き。 (迅い・・・!) 槍兵が反射的に取った行動は地面への倒れこみ。 喉を狙った突きの下へと潜り込み、獣のような低い姿勢で地を蹴りその勢いのまま槍を佐々木の心臓へと突き込む。 「あら? いいのですか?」 声に、槍兵はいいわけがねぇと心中でのみ毒づいた。 言われるまでも無く、彼の本能と経験は佐々木の技が三段突き『ではない』事を感じ取っていた。 頭上に風。おそらくは突きを戻さず連携する振り下ろし。剣を掻い潜ったこちらの頭蓋を叩き割る四段目の攻撃――― 「ぅらぁあっ!」 故に、槍兵は全力で地を蹴った。 回避の為ではない。この一刺へ、更なる速度を与える為に! 突きからの連携である分佐々木の斬撃は槍兵の単純明快な突撃よりも一手遅い。 サーヴァント最速たる速度で魔槍は頭上の刃がこちらの頭を叩き割るより早く心臓目掛けて襲い掛かり。 (!? 遠い・・・!) しかし、穂先は何に触れることもなく宙を抉った。同時、佐々木の刃がランサーの頭より数十センチは手前を通過する。彼女は、槍が届くよりも早く背後へと 退いていた。 (今のタイミングで避けやがったか!? いや、こっちの動きを見てから動いても間に合う筈がねぇ。最初から退いてやがったんだ・・・オレが前に出るのを読 んで? だが、それにしたって退きすぎだ―――) 槍兵は地を削るようにして脚を止め、槍を引き戻す。 剣士は振り下ろした剣を円を描くようにして引き戻し、地と平行に構えた。そのまま前後に脚を大きく開き、背中が見える程に上体を捻る。 (五段目をさっさと撃ってこないってことは、さっきの四段は全部オレを動かす為だけのもんで、当てる気がなかったって事だ。ならば欲しかったのは―――こ の間合いそのものか!) 最速の英霊の全力突進だ。いかに力を込めども止まるには数歩は要する。 そして、それ故に縮まった間合いは、槍の間合いよりも僅かに短い。 あの長い刀身にとっては十二分に射程へと収まる距離しか存在しない! (ッ!) 瞬間。槍兵は全身に死を感じた。 相手の剣は既に見た。 回避できる。打ち払える。絡め取れる。先取れると脳が下した判断に、しかし数多の戦場を駆けて磨いた本能だけが違う答えを返す。 否。己は、死ぬと。 そして。 「秘剣―――燕返し」 閃光の如き太刀筋が描く三つの輪が佐々木の前で踊り。 「・・・ふふ、流石ですね」 剣鬼の視線は前方へ。 佐々木の剣が疾る寸前に、助走なしの数十メートル跳躍という離れ業で飛びのいていた槍兵へと向けられていた。 「てめぇ・・・」 声が、低い。 獣のように這いつくばったその姿勢は、それだけ無理をしたという証。 逃げたのだ。 確実な死を回避する為に。次へ繋げるわけでもなんでもなく、ただただ、逃げたのだ。 あの三重円の斬撃から。 何故も如何にもわからぬ、全く同時に繰り出された三つの刃で造られた牢獄が作られる一瞬前に、その場から逃げた。 「わたくしは英霊に満たぬ亡霊として黄泉還った身故、たいそうな幻想など持ち合わせてはおりませんが・・・この剣にだけは、少々の覚えありです」 「・・・わざと見せやがったな?」 唸るように立ち上がり、槍を構えなおす。 心地よい。 屈辱は、怒りは、原動力となる。 あの心臓にこの槍を突き立てたい、あの剣を凌駕して己の力を証明したいと奮い立つ。 「見せるに足らぬ相手なら、アレで終幕でしたから」 涼しげに言い放ち、佐々木はちろりと小さく舌を出した。 「それで、本気を出す気にはなりましたか?」 「―――ああ、その心臓、貰い受ける」 「っ・・・!」 二人のやり取りに、宝具の射程範囲ギリギリで待機しているバゼットが身を固くする。 「わかってんだろう? バゼット。俺の槍と つまり、彼の宝具は―――『 「ふふ、わたくしとしましては、望むところです。バゼットさまにお残り頂きましたのは、投槍の方を使われたくなかっただけですので」 白い脚を惜しげもなく晒し、佐々木は愉悦の表情で口上を述べる。 「それでは前座はお仕舞いとして―――我が大道芸、存分にお味わいください」 13-6-8 AM11:23 NineLives ■深山町 住宅街 「■■■■■■■■■■■■ッ!」 「■■■■■■■■■■■■ッ!」 バーサーカーは黒の狂戦士が繰り出す力任せの一撃を受け止めるのではなく、受け流す。 並みの英霊では受けることすら叶わぬ巨人の斧剣に耐えるだけの筋力が彼女にはあり、そして目の前の相手とは違い、その力を制御する技も備わっている。 気を抜けば圧し潰されそうになる圧力の向きを変え、黒の斧剣の軌道の内側へと潜り込む。出来た隙は一瞬。だがそれで十分。 「■■■■■■■ッ!」 咆哮と共にバーサーカーの斧剣は跳ねるように軌道を変え、狂戦士の脇腹に叩き込まれる。Aランクの筋力が金属の如く硬化した表皮を打ち砕き、鉄骨の如き 肋骨を砕き、臓腑を抉り。 「■■■■■■■■■■■■ッ!」 しかし、黒の巨人はその破壊を意にも返さず斧剣を振り下ろす。バーサーカーは相手の腹を蹴りつけて巨人の腹から武器を引き抜いてぎりぎりの所でそれを受 け――― 「 Νηρηξ―――」 瞬間、二人の狂戦士に幾百もの氷柱が降り注いだ。 「コノテイド―――!」 「■■■■■■■ッ!」 周囲の家屋に幾つもの穴を開ける氷槍の連打は、しかし二人に触れた瞬間砕け散る。この系統は既に受けた。二度は効かない。 周囲に氷の欠片をまき散らしながら斧剣が交差する。痛みは感じないにしろ、肉体の損傷は如実に動きへ反映される。 胴体の半分近くを破壊されて圧力の弱まった巨人にバーサーカーは相手の命を一つ潰せることを確信し――― 「はい、やり直し」 瞬間、頭上からの声と共に周囲が光で埋め尽くされた。 先の魔術で二人の狂戦士に叩きつけられ砕け散った氷の粒が、彼女たちを包む即席の反射鏡となって魔女の放った光熱線の魔術を乱反射したのだ。 声も無く焼き尽くされ二本の炭柱と化した二人は、一瞬置いて残骸を内側から突き破って復活して戦いを再開する。 「―――もういいよバーサーカー!」 復活してまず行ったのはイリヤの確認。大丈夫、傷一つない。 頭上の魔術師は、バーサーカーを縛る鎖がイリヤである事を理解している。 彼女を守るという縛りがなければ、ヘラクレスの判断力を維持している彼女が狂戦士を無視して自分を狙いに来ることをわかっている。 だから、大丈夫。自分が倒れるまで、イリヤは問題ない。 だから、あんな弱気は耳に入らない。 「いいから逃げなさい! 逃げて!」 そもそも、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの戦術は常にLOSの一言である。どうやら、殴られすぎて幻聴が聞こえているようだ。 「■■■■■■■■■■■■ッ!」 「■■■■■■■■■■■■ッ!」 咆哮と共に、完全体に戻った黒い狂戦士との戦いを再開する。 既に『十二の試練』による命は残り3つにまで削られていた。 受けた魔術は五十と七。うち彼女を傷つけたのは二十ほど。 殺すに至ったのは五つに過ぎないが、負傷した状態で狂戦士の暴風を防ぐのは困難に過ぎる。頭を割られたり胴を両断されたりの結末で、四度殺された。 (ムゥ・・・) 心中で唸る。この状況からの勝利方法は、かなり少ない。 一つに、頭上の魔術師をなんとかして殺しきる。 同居しているキャスターを見る限り、契約者から無尽蔵に送られてくる魔力に支えられている魔女メディアを殺すのは極めて難しいが、再生するものを殺しき ることにかけてはこちらもエキスパートだ。相手が死ぬまで殴るのはやめない。 二つに、魔術のレパートリーが尽きるのを待つ。 同じ概念へ耐性が出来るこの身体だ。相手が使える魔術を一通り喰らい、それでもなお命が残っていれば、近接物理攻撃の他には物を投げるくらいしかしてこ ない狂戦士は無視して逃げるなり魔術師を狙うなり何とでもできる。 まあ、即席でAランク魔術を開発されたりしかねないのがネックだが。 そして、三つに――― 「■■■■ッ!」 黒の狂戦士が振るった落雷の如き一撃は、身を翻したバーサーカーを捉えられず地面を穿った。 「・・・マモル!」 弾丸のように飛び散ったコンクリートの破片を背後のイリヤに届かぬよう片手で払い落とし、間髪入れず打ち込まれた斧剣を受け流す。 三つ目の方針。 目の前の相手を。黒き泥に犯されたこの狂戦士を、殺しつくす事。 二人まとめて魔術で吹き飛ばされたのが何度かあるので、向こうも無傷ではない。 確かさっきので四度目ぐらいだった筈なので、相手に残った命は7、8個。 その程度なら―――なんとかなる。 「駄目よバーサーカー・・・無尽蔵に魔力を送られてるのは上のやつだけじゃないわ」 しかし、その思考を読んだのか、イリヤがポツリと呟いた。 「普通なら何時間かゆっくり休んで魔力を充実させないと戻らない命のストックだって、この状態ならほんの数分で戻る。多分、最初の一度か二度くらいは、も う回復してるわ」 「ズルイ・・・」 バーサーカーは困り顔で斧剣を振るう。 彼女の奥の手、剣技『 大技を使えば隙が出来るのはどんな英雄であろうと同じ事。接近して叩き込む為に一度死に、撃ち込んだ後に一度死ねば残る命は一つだけ。 殺しきれれば、魔術師の英霊ごとき、残った命が一つでも切り抜ける自信はある。だが、殺しきれなかったら? 「だから、逃げなさいバーサーカー。あなた一人なら大丈夫でしょ? バーサーカーの力がシロウたちに必要なんだって教えたじゃない!」 また幻聴だ。 それに、この幻聴は間違っている。必要なのは、自分ではない。 必要なのは、自分とイリヤ、両方だ。 百人を救う為に一人を切り捨てることを彼は認めない。 それが正しいのだろうとわかった上で、それでも百一人を救いに走ってしまう我慢弱い人間こそが、衛宮士郎なのだ。 その有り様は愚かで、不確実で、合理的でなく。 そして、英雄的だ。 「■■■■■■■■■ッッ!」 黒い狂戦士の斬撃を受け流し、反撃。踏み込んだ足元が大きく陥没し、既に瓦礫しか残っていない周囲をさらに荒廃させた。 まったくの無名である人間ですら、そんな生き方に挑んでみせるのだ。 ならば。 この自分が、ヘラクレスの名を持つ英霊が。 この程度の試練に屈するなど、出来るものか。 「ソレニ・・・」 ガギンッ! と鈍い音が響き、バーサーカーが一歩後退した。 それは、この戦闘の最初まで遡る光景。相手の斧剣を受け流すのではなく正面から受け止め、押し負けている。 「あははははははは! 力比べで敵う筈が無いでしょう!?」 魔術師の嘲笑は正しい。 身体能力で劣るバーサーカーはつばぜり合いに耐えられず体勢を崩し。 「―――イリヤ、ワタシハ、ヨワイ?」 愛する主に、背を向けたまま問いかけた。 「え?」 声が聞こえる。 骨格がきしむ。 筋肉がはちきれそうだ。 地面に両足がめり込んでいく。 それでも、声は聞こえるから。 守るべき、守りたい、その小さな身体が、すぐ傍に居るのだから。 「■■■■■■ッ!」 「イリヤッ・・・!」 咆哮と共に巨人の両腕が震え―――しかし、握られた斧剣は動かない。 イリヤの視線の届く場所で、屈することを許さないと叫ぶ魂が、後退を許さない。 「バーサーカー・・・」 咬み合った互いの得物を接点に静止した二人の狂戦士は、神話を描いた彫像の如くイリヤの前にそびえ立っていた。砕け散った氷の魔術の名残だろうか、かす かな雪がその身体を彩っている。 いつか見た風景。 雪の中、血に塗れ立つ巨人と、その身体に触れてみた自分。 「・・・ううん」 小さな拳を握る。 そう。 そうだ。 あの時の想いは、嘘じゃない。 外での戦争に勝てると信じた事も、ここでの戦争の為に彼女を欲した事も、その根底は同じだ。 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンが、絶対に疑ってはいけないこと。 いや、今も疑っていない、彼女たちのほんとう。 「―――バーサーカーは、つよいよ」 胸を張る。逃げるものか。逃げさせるものか。 バーサーカーはお兄ちゃんと同じで人がいいから、きっとさっきのは無かった事にしてくれる。きっともう無かった事になってるに違いない。 「なに言ってるのかしらお嬢ちゃん。あなたを殺そうとしてるのも、そのバーサ―――」 「■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」 「■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」 含み笑いと共に魔術師が口にした言葉を、二連の咆哮が遮った。 同時、バーサーカーは斧剣を全力で振り切り、黒の狂戦士は大きく飛びのいて間合いをあける。 「っ、この―――」 一瞬とはいえ気圧された苛立ちに魔力を滾らせる魔女に、バーサーカーは片手で掴んだ何かをキュッと締め上げる仕草をしてみせた。 「ダマレ、トシマ」 「ぬぁっ・・・! こ、この、こ、この…!」 懐かれてるちびっ子二人から教わった、この世全ての悪口初級編に魔女はビキビキと血管を浮かべて何か言い返そうと口を開く。 ・・・彼女は、魔女だ。戦士や兵士ではない。 故に、知らない。 舌戦と呼ばれる戦いを。言葉から連携する攻撃があるという事を知らず。 「くされ脳味噌の分際でよくも―――!」 激昂した魔女が罵倒の言葉を叫び返そうとしている間に、バーサーカーは既に動き出していた。 魔女がそれに気づくまで一瞬。だが。 「■■■■■■■■■■■■■■ッ!」 その一瞬の間にバーサーカーは地を蹴り、既に黒の狂戦士へ迫っている! 「このッ!」 慌てて撃ち降ろした魔術師の呪詛弾が狙いを外して地面に飛び散り、無意味に土を腐食させた。 詠唱を終え、狙いもつけてあったとしても発射の判断が遅くては当たるものではない。 「■■■ッ!」 「■■■■■■■■■■■■■■ッ!」 バーサーカーは右手一本で握った斧剣を大きく振り回して薙ぎ払いの一撃を叩き込む。 黒の狂戦士もまた鏡に映したかのように右手一本で斧剣を握り、横薙ぎの斬撃を打ち返す。筋力で勝るその一撃は、バーサーカーのものよりも確実に速い! 「ヅッ・・・!」 瞬間、べちゃり、とバーサーカーの顔に血と肉が吹き付けられた。 それが何かは、確かめる必要がない。 肩から伝わる激痛。急激に軽くなった左半身の喪失感。 右手の斧剣を繰り出すと同時に突き出した左腕が、相手の斧剣に粉々に砕かれたのだ。 黒の斧剣は左腕を砕いてそのまま肩から斜めに胴へと食い込み、鎖骨を、胸骨を砕いて胴を断ち――― 「■■■■■■■!」 その衝撃と痛みを奥歯ごと噛み砕き、バーサーカーは己の斧剣を全力で振り切った。 ゴッ、と重い手ごたえと共に、岩を砥いだだけの無骨な刃が相手の首を打つ。 めちりという筋肉が裂ける音とごりっとした手ごたえ。それを確認する間もなく、巨人の頭が、胴から切り離されて吹き飛んだ。 「 」 最早吼える事すらできない狂戦士の頭であったものは、数十メートルを飛んでからボールのように何度か地面でバウンドした。 言うまでも無く、即死だ。 同時、胴の大半を斬り潰されたバーサーカーの生命活動も停止する。 「――――――」 「――――――」 一瞬の空白。 そしてドクリ、と二つの鼓動が響く。 十二の試練。 神の課した死すべき課題を十二度にわたり乗り越えたが故に得た、十二の死を越えねばその魂は肉体に留まるという呪いとも言うべき効果によって。 身体に埋まった黒の斧剣を、バーサーカーの『左手』が掴み、引き抜いた。 敵を見据える。 眼前、黒の狂戦士もこちらとほぼ同時に蘇生しており―――しかし、損失した頭部はまだ形だけ。機能は失われたままだ。 当然の事。 複雑で繊細な構造とはいえ身体の末端に過ぎない左腕と、霊的中枢たる脳髄を含む感覚器官の塊である頭部だ。再生に必要な時間が同じであるわけがない。 つまりはこれが、バーサーカーの策! 「■■■―――」 再生しきっていない傷の痛みを喉で唸って押し潰し、斧剣を地面に突き立てる。 頭部再生完了までの猶予は数秒。 攻めるには十分な時間だが、彼女に備わる天性の第六感は、頭上の魔女がそれを妨害すべく次の魔術を放とうとしているのを察知している。 故に。 「■■■■■■■■■■■■■■ッ!」 バーサーカーは黒の巨人の首を右手で、丸太の如き脚を左手で掴み、その巨体をまるごと頭上に担ぎ上げた。 ドンッッッ・・・! と両手に衝撃が伝わり、直後、猛熱が周囲に広がっていった。 上空から打ち込まれたのはどうやら爆発の魔術。盾として担いだ巨人に炸裂したそれは、皮膚と肉を焼き骨を炙ったが、その下に潜り込んだバーサーカーは表 皮を軽く焼かれただけで済んでいる。 周囲に拡散した炎熱からイリヤが逃げ延びていることをレイラインからの魔力供給で確認し、再生しつつある狂戦士の身体を担いだ両腕に力を込める。 残る命は、あと二つ。こんなその場しのぎの為に、一つ使ったわけではない。 「■■■■■■■■■■■■■■ッ!」 そして、バーサーカーは担いでいた巨体を。 「・・・え?」 頭上の魔女へと、全力で投げ飛ばした! 「ちょっ・・・!?」 黒の魔女の口から呪文ではなく悲鳴が漏れる。 彼女の視界に映るのは、半ば骨を晒した身体にぐずぐずと再生する肉を纏わせた3メートルの巨人が真っ直ぐこちらへ飛んでくる光景。 ・・・死体も巨人も見慣れたものだ。 でもそれが合わさって近づいてくるのは正直勘弁してほしい! 「こ、この! 止まりなさい・・・! Ατλασッ!」 考えるよりも早く口は動いていた。 掲げた杖に従い、前方の空間に光で描かれた複雑な陣が刻まれた。重圧の魔術が飛来した狂戦士を受け止め――― 「っ・・・!」 瞬間、青銅の巨像をも空間に押し付ける魔方陣が、粉々に砕け散った。 威力の問題ではない。既に、使い慣れた魔術の大半に対してこの巨人は耐性を得てしまっているのだ! 「ちょ、Κεραινο!」 魔女は慌てて飛行魔術を制御し、飛んでくる巨体を避けるべく身を翻したが 「え?」 その視界が、ふっと暗くなった。 太陽の光が、何かに遮られている。 「 声。 見上げた頭上に、長身の女。 「――― それは、背後に迫る黒の狂戦士と同じく体躯に似合わぬ敏捷性を持つ・・・投げた相手を追い抜くという、人外の跳躍を見せたサーヴァント! 「ひっ・・・!」 背後から振り下ろされる剣に魔女は思わず悲鳴をあげ。 「む、無駄よ!」 ―――直後、引きつった笑みを浮かべる。 「Τροψα・・・!」 高速神言で紡がれた呪文と共に、その姿が消えた。 疑似空間転移。本来なら神殿を構築し、そこに魔力を大量に溜め込んでようやく実現できる奥の手である。だが、今の彼女には契約者から無限に供給される魔 力がある。 「ふ、ふふ・・・残念だったわねぇ!?」 地上、彼女の手が届かない場所へ転移した魔女の姿を目に、バーサーカーは大きく息をついた。 なんとか、上手くいったと。 「■■■■■■ッ!」 咆哮と共に、バーサーカーは全身の魔力を賦活した。 放つは全身全霊、必殺の剣技『射殺す百頭(ナインライブス)』。 打ち込む相手は投げ上げられ、再生したばかりの無防備な黒の巨人。 邪魔をする魔女は使い果たした魔力をパスから補充せねば動けない。 再生成った相手は既にこちらを視認しているが、空中では避ける場所も無い! 故に、必殺。 「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」 長い咆哮と共に放たれた斧剣は頭蓋を砕き胴を両断し股間から頭上まで斬り上げ首を薙ぎ腕を断ち臓腑を千切り脊椎を砕き両膝を貫き脳髄を磨り潰し――― 「■■■■■■■■■■■■ッ!」 びしゃり、と。 そして最後の一振りと共に、かつて人型をしていた液体が、舗装の全て砕け散った地面へ叩きつけられた。 肉体を構成する、ありとあらゆる要素が撹拌され一体となった生命のスープは、地面に飛び散り、染み込んでいく。 「っ・・・この・・・役立たずが・・・!」 黒の狂戦士を文字通り叩き潰したバーサーカーが地響きと共に着地するのを見た魔女は憤怒の表情で再度空へと舞い上がる。 「バーサーカー!」 「ニガサナイ」 イリヤの檄に答えてバーサーカーは上昇しきる前にその身体を叩き潰すべく地を蹴り――― 「!?」 ごぽりと何かが波打つ音と共に背後に生まれた殺気にその脚が止まった。 思わず振り返った背後には、人型に凝った赤黒い液体! 狂戦士を滅ぼすに必要なのは12度に渡る死。 ―――猛攻は、僅かに、及ばなかった。 「だめッ! ・・・LOS!」 「■■■■■■■ッ!」 即座に命じたイリヤの声に、バーサーカーの身体は半ば反射的に魔女への突撃を再開する。 再生中で動けぬとはいえ残る命がどの程度か図れぬ狂戦士よりも、滅ぼしやすい相手を狙う方が確実であり・・・しかし。 「あなたみたいな筋肉バカの相手なんてするわけないでしょう!?」 上空に位置取った魔女は、既に魔力の充填を済ましていた。 すべき事は時間稼ぎのみでいい。先の奇襲のように混乱してでもいなければ、急上昇するだけで事足りるのだ。 再度大跳躍で迫るバーサーカーの追撃を鼻で笑って魔女は飛翔の魔術で高く舞い上がり。 「『 「え?」 耳に届いた真名に、声が漏れた。 振り向く暇は無い。そうわかっていても無視できない魔力の高まりが背後で弾ける。 「―――『 「ああああああああああああっっっ!?」 思わず振り向いたその目に純白の輝きが映った瞬間、天空から振り下ろされた光の破城槌がちっぽけな魔女の身体に激突する! 「ひぎっ! ぎっ、あああああっ!」 反射的に張った障壁が、常時発動している守護魔術が一瞬で砕けた。 握っていた杖が吹き飛び巨大な質量と化した魔力の塊が全身の骨を砕き無抵抗になった魔女を地面へと叩きつける。 ばちゃっと響いた音は、奇しくも先の狂戦士と同じ。 原型を留めぬ程損傷した魔女の身体が、蛍が舞うような僅かな光と化して消え去るのを見届けず、その攻撃を放った者は地表すれすれで愛馬の手綱を引き、急 上昇に移った。 「・・・中々に、しぶといですね」 呟きながら空へ戻ったのは、言うまでも無く長い髪をなびかせた騎乗兵のサーヴァント、 ライダーである。 「この・・・よくも・・・」 ライダーの呟きに、先の一撃で主の手から吹き飛ばされて地面に突き立っていた魔杖から怨嗟の声が響いた。 落下の様相が同じならば、その後に起きた事も同じと言うべきか。 どろどろと杖から染み出した黒い泥が地面に堕ちると共に人型になり、数秒と経たずに傷一つ無い、美しい裸体を作り上げる。 「でくのぼう! こっちへ来なさい!」 「■■■■■■■ッ!」 怒りに満ちた指示に、再生の完了した黒い巨人が俊敏な跳躍で彼女の前へ戻り、壁となる。 「バーサーカー!」 「マモル・・・!」 イリヤの声に答え、バーサーカーもまた、主の前に立ち斧剣を構える。 既に彼女の命はあと2つ。 だが、その頭上には。 「・・・あなたの魔術は私を捉えられない。捉えられるような魔術はこの身に通じない。勝ち目が有るなどと、思い上がらないで貰いましょう」 はらりと落ちる拘束の仮面、見開かれる呪縛の魔眼。 同じ敵へと立ち向かう、仲間が居る。 「バーサーカー、あの巨人を足止めできますか?」 「モンダイ、ナイ」 頭上のライダーに問われ静かに斧剣を構えなおすバーサーカーに、魔女の背筋を冷たい物が滑り落ちた。 巨人どもと違い、こちらの命は一つきりだ。 もしもの為に備えておいた予備の肉体を使ってしまった以上、次はない。 こんなことならもっと色々と仕込んでおけばよかったとひとしきり魔女は後悔し。 「・・・命拾いしたわね・・・Τροψα」 舌打ちして杖を振りかざすと、彼女と巨人の姿が掻き消えた。 「・・・イッタ?」 「・・・そのようですね」 ライダーは上空をしばし旋回し、魔女が本当に去った事を確認してからマスクを付け直す。 『 「トリアエズ、ブジデヨカッタ」 ゆっくりと降りてくるライダーを見上げて肩の力を抜くバーサーカーに頷いて返し、イリヤは衛宮邸の方へ目を向ける。 黒の狂戦士、黒の魔女。その二人が現れたのなら、アレも出てくると思うべきか。 「ライダー、乗せてくれる!? 急いでるの!」 13-6-9 AM11:41 AnotherUnbreakableObelisk ■衛宮邸 上空 「・・・? 押し寄せる影絵の獣を迎撃していたキャスターは、周囲を埋め尽くしていた黒の中に隙間が目立ってきたことに気付き首をかしげた。 推測通りなら相手の魔力は無尽蔵であり、いくらでも沸いてくる筈。それが目に見える程減ってきているということは・・・ 「飽きたか、次の手に切り替えたか、聖杯との接続が断たれたか・・・」 ふむふむと頷き、気合を入れて全方位へ魔力弾をばら撒く。 着弾した所から波紋のように広がった魔力が影獣達の術的構成を崩し無害化していくのをよそに、キャスターは門の方へ目を向けた。 そこで行われているのはアサシンと黒いランサーとの近接戦闘だ。 彼女の目では捉えきれない程の高速突撃と塀を足場にしての立体的な牽制を組み合わせた槍兵の猛攻を、佐々木はその場から殆ど動くことなくいなし、時に斬 撃を返答している。 純粋な魔術師であるところのキャスターにとっては何が起きているのかは把握しきれない攻防ではあるが、その近くで宝具を起動したまま待機しているバゼッ トの表情が複雑なものであるところを見るに、戦況はアサシン優位で動いているのだろう。 キャスターは切れ目無く魔術をばら撒きながら視線を動かす。 中庭にまで退却してきたランサー―――門前で戦っている黒いのではなく、この家で暮らしてるほう―――は、ルーンを彫った地面にしゃがみこみ、胸に負っ た傷を少しでも治そうと試みている。キャスターの目から見ても中々の術式だ。口を挟むまでもあるまい。 桜は居間に座布団を並べて言峰を寝かせ、その言峰本人から指示を受けながら不器用に治療を行っている。こっちはかなりへたくそな術式だが、まあ受けてる のがアレだし放っておこう。 遠くへ目を移す。二色の光刃が飛び交っていた新都は、今は静かだ。どちらかが倒されたのか、それとも近接戦闘に移ったのか・・・ 川沿いの児童公園近くでは、あまり見たくないが、自分としか思えない女が地上に魔術をばら撒いている。 こちらから見える以上はあちらからも見えるだろうに、よほど夢中になっているのかこちらを見もしない。 「どうしたものかしらねぇ」 ダメ押しでもう一度全力の魔力弾をばら撒く。これで衛宮邸に迫っていた使い魔どもはほぼ殲滅完了だ。 手が開いた以上、誰かを手伝うべきなのだが。 「やっぱり、アレかしら」 しばし迷ってから顔を向けたのは、調子に乗ってバンバカ魔術を撃ちまくっている自分の写し身だ。今にも高笑いが聞こえてきそうなその姿は、我ながら見事 な調子乗りっぷり。 正直、恥ずかしいこと極まりない姿でもあるし、いっちょガツンとやりに行ってみるか。 キャスターはよしっと頷き飛翔の魔術を構成し――― パチン。 「え?」 ―――思考が止まった。 耳に届いたのは指を鳴らす音。 キャスターは、それを知っている。 反射的に見上げた空に―――今まさに降り注ごうとしている、無数の宝具! 「遠慮は要らぬ。存分に謳え」 尊大な声と共に宝具の群れが発した魔力に手が、足がすくむ。 停滞は一瞬、宝具は雨と化して猛然とキャスターへと襲い掛かり。 「っ!」 瞬間、彼女の身体が掻き消えた。 「きゃああっ!?」 悲鳴は居間からあがった。 言峰の傷に包帯を巻いていた桜は、突然天井から落ちてきた裸の幼女に目を丸くして神父の目を両手で抉るように塞いだ。 「きゃ、キャスターちゃん!?」 「間桐桜。眼球が潰れそうなのだが」 外野の声を無視して畳みに着地したのは、言うまでも無くキャスターだ。 「Μαρδοξ!」 急な転移で身体構成が上手くいかず魔法幼女と化しながらも、キャスターはパンッと打ち合わせた両手をそのまま床に押し当て。 ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッ! 瞬間、轟音と共に家が揺れ、余剰魔力の閃光が周囲を白く染め上げる! 「これは・・・!」 「ちっ・・・」 門前の二人は強烈な閃光に手を止め、目を庇った。 相手が動かないよう気配で牽制を交わして待つこと数秒。宝具の雨が屋根を乱打する轟音がようやく止まった。 一本でも家一件吹き飛ばすに十分な魔力を秘めた宝具の雨が、実に10秒。 絶望的な物量にバゼットは閃光で霞んだ目を必死で凝らし。 ―――彼らの目の前にある屋敷は、瓦一枚割れることなく健在であった。 「・・・あれで、無傷ですか?」 佐々木の呟きに、黒の槍兵は軽く肩をすくめて見せる。 「そっちのキャスターが魔術で防御してるんだろうよ。見た感じ、屋敷全体を礼装と見立てて自分の回路として使ってるんじゃねぇか? 家自体、やけに魔力の 通りが良さそうな構造だしな」 「成程・・・ふふ、管理人としましては、お掃除どころか大工仕事が必要かと覚悟を決めていたところでしたが・・・まだしばらくは趣味の時間を続けさせてい ただけるようですね・・・疼きます」 上気した頬で艶やかな笑みを浮かべる女に、男もまた熱が篭った笑みで答える。 「長いか短いかは俺達が決めることだろう?」 「ええ―――では一瞬を目指し、永劫を夢見ながら―――」 二人は、互いの弱いところを責め合う娯楽を再開した。 一方。 屋敷の中で耳を塞いでうずくまっていた桜は、音が消えたのを確認してキャスターに目を向けた。 空中から礼装の杖といつものローブを引っ張り出して身に着けたキャスターは、そのまま縁側に飛び出す。 「魔術師如きにはあの程度で十分と踏んでいたが・・・ふん、多少の備えはあったようだな?」 隣の家の屋根に、高いところが大好きな煙じゃない方がふんぞり返っている。 黒い鎧、銀の髪。その身体を構成しているのはあの泥なのだろうが、魔女の目に映る魂は、2週間を共に暮らした少女の物と寸分違わぬ輝きを宿している。 英雄王。 全ての英霊を凌駕する者。 「ここは・・・わたしの、家だもん」 ―――だが、決めたのだ。 従うは、己の欲望のみと決めたのだ。 「あんたなんかに―――」 誰を敵に回そうとも戦うと。 もっと続けたいと、日常を回し続けたいと願ったこの願いを張り通す為――― 「邪魔、させないっ!」 キャスターが腰溜めに長い魔杖を構えると共に、周囲に幾つもの魔方陣が展開された。 「ほう、収束型か」 黒の英雄王が楽しげに呟く。 上空からの宝具爆撃を防いだ際に飛び散った盾の魔術の残滓が、流星のように先端へと吸い込まれて魔力流体に変換され――― 「Αστραιαーーーーッ!」 呪文と共に放たれた全力全開の魔術砲撃は、閃光の柱と化して一直線に黒い鎧の男へ襲い掛かる! 「ふん・・・」 男は目を焼かんばかりの光にも余裕の表情を崩さずパチンと指を鳴らす。瞬間、空間の歪みから飛び出した豪奢な盾がそれ受け止め――― 「防御用の盾があるのは知ってるから・・・!」 キャスターの力強い声と共に、粉々に砕け散った! 「む!?」 「結界破壊効果も付いてるもんっ!」 盾を粉砕した閃光はそのまま男の身体を包み込む。彼の周囲の屋根を蒸発させ、斜めに空へと突き進んだ光の道は、雲にぽっかり穴を開けてようやく消えた。 「す、すごい・・・!」 初めて目にする全力で放たれた神代の魔術に桜がもらした感嘆に。 「ふん、下賎な魔女とはいえ、仮にも英雄と肩を並べる一角か。褒めてやろう」 男の愉悦の声が答えた。 「・・・え?」 呆然と見上げる桜の視線の先に、半ば消し飛んだ隣家の屋根と、そこに立つ銀髪の男。 その身体を覆っていた黒い鎧こそ無くなっているが、その身体には一筋の傷も無い。 「ふむ。王の鎧に対する非礼、本来なら万死に値するが―――」 英雄王がパチンと指を鳴らすと、空間の歪みから飛び出した羽箒がサッと身体についた 埃を掃き清める。 「良い、許す。アレはどうも色が気に食わなかったのでな」 鷹揚に頷く姿に、桜はじっとりと背筋が濡れるのを感じた。 「あんな凄い魔術で無傷なんて・・・」 「無傷ってわけでもねぇだろうよ」 呟きに答えを返したのは、いつのまにか桜の隣に立っていたランサーだ。 「あ、無事だったんですねランサーさん」 「・・・おまえ、時々酷いよな」 キャスターが砲撃を打ち込む直前に危険を察知して室内に飛び込んでいたのである。 「ごめんなさい・・・それで、無事じゃないってどういう事ですか? 実は背中が傷だらけとか?」 「どんなコントだよ。そうじゃなくてな、あいつの戦闘能力は、財力と直結だってこった」 英雄王の宝具、『 切り札である乖離剣エアを含む全ての戦闘能力はそこから引き出される『財』なのであって、『王の財宝』自体は戦闘能力を持たない宝具である。 「さっきの一撃であいつは鎧を失った。どうせ他にも魔術を封じるような宝具を使ってるんだろうが、あの威力を消しきったんだ。蔵の中身もいくつかは潰れて るだろうよ。見た目にダメージが無いように見えてもしっかり戦力は削られてるってこった」 ランサーの台詞に、銀髪の英雄王はふんと鼻を鳴らす。 「貴様の言う通り、今の一撃は我が財の幾つかを砕いた。修復にはそれなりの時間もかかろう」 声に答え、男の背後で空間が歪んだ。 一つ、また一つと現れるのはどれもが宝具。 数は・・・100を下らない。 「だが―――我が財に、果てなどない」 「っ! ランサー! 雨戸閉めて!」 「!? お、おう!」 英雄王がすっと手を上げるのを見てキャスターが飛ばした指示に、ランサーはよくわからないままに従った。縁側の雨戸がガラガラと引き出され、宝具で空を 埋めた景色が遮られる。 「―――往け」 「Μαρδοξ!」 パチン、と。 指を鳴らす音と手を打ち合わせる音が重なった。 ガンッ! と雨戸が・・・いや、雨戸に細かく書き込まれた刻印をを媒介に発動した盾の魔術が鈍い音を立てる。 「きゃっ・・・!」 桜の悲鳴をかき消すようにガガガと打撃音は連続し、屋敷そのものを揺るがすように、延々と長く響き続ける。 「おうおう、また景気よくぶちまけてくれてるなぁあの野郎」 「でも、飛んできてるのはCランクくらいのが大半だもん。乖離剣とか出されたらどうしようかと思ったけど、これなら支えられるよ」 「・・・ふむ」 キャスターの言葉に、ランサーは喉で唸る。 能力の面では無敵とも言える英雄王の長所とも短所とも言えるその精神性。魔術師如きに全力を出すというのは、あの極端な自我では思いつかない発想なのだ ろう。 ならば、自分が出て行ったらどうなるか? あいつは、どの程度の宝物をこのクーフーリンに相応しいと振舞うのだろうか。 闘争を求める魂の呟きに心揺さぶられているランサーをよそに、桜は雨戸が立てる轟音に負けぬよう声をはりあげた。 「あの、この規模の盾! どのくらい維持できるんですか!?」 引っ切り無しに襲い掛かる宝具の雨に、キャスターの張った不可視の盾は一撃ごとに削られていき、削られるごとに修復されていく。 「ん?」 キャスターはその声に首だけ振り返り、目をしばたかせる。 「だいたい・・・5〜6日?」 「はぁ、5〜6日―――日!? 分とか秒でなくてですか!?」 「毎日溜めてきたマナもあるし、それくらいは余裕だもん。まあ、オドだけでも夜までくらいはもつけどね」 神代の魔術師の面目躍如。使用された魔力を回収するという屋敷全体に施した術式は、持久戦になった時、何よりも心強い。 「だから、後はどうやって外の馬鹿たちを倒すかだもん。私がいるかぎり防御はバッチリだし―――」 「―――つまり、オマエを殺せばそれで済むということか」 言葉と刃は共に天井から。 キャスターも、桜も、ランサーですら気付けぬうちに放たれた髑髏の仮面を被った男の投擲した 「え?」 遅れて漏れたキャスターの呟き。そして。 ギンッ、と。 弾丸の如き速度で投げ下ろされたダークは、横合いから躍り出た同型の刃に弾かれて宙を舞った。 次いで翻ったのはピンクと青の風。 天井にはりついた髑髏面の男へ、桜の目では捕らえきれない速度で襲い掛かったアサシンのサーバント。 ギンッ、と再度金属が鳴く。 弾かれるように逆方向へ吹き飛んだ髑髏面の男とハサンは居間の端と端に降り立ち、相手を伺う。 桜が慌てて言峰に肩を貸しながら退場するのを確認し、ハサンは問いを投げてみた。 「あなた・・・いつのハサンです?」 「ふん…」 低い声での問いに髑髏面の男は答えず、身に纏った黒いぼろ布の中へ両の手を引っ込める。 そう。答えなど必要ない。ハサンは数多く、自分のように容姿からその正体を特定できぬ者が大半だ。 しかし、先ほどの交差。双方のダークが噛み合った瞬間、対峙している相手が自分自身であることは確信しているのだから。 多分、お互いに。 そうである以上、殺すことしか知らぬその両腕がぼろ布の中で何を握っているかは、考えるまでも無い。 (この家を・・・守る!) 男の身体が動いた瞬間、少女は素早く身をかがめてスカートの裾を跳ね上げる。 花開くように広がった裾から覗くのはピンクの下着と、両の太腿に巻かれた皮ベルトに、びっしりと固定された無数のダーク。 「――――――!」 「――――――!」 共に放つは無音の叫び。 ぼろ布の中から雨の如き密度で撃ち出された刃物の群。 その軌道を刹那で見切り、ハサンは十指全てにダークを挟んで投擲した。 ィンィンィンィンィン・・・ッ! と澄んだ金属音が二人の暗殺者の中間で響き、床に壁に天井に短剣が突き立っていく。 ・・・二十。 ・・・・・・三十。 ・・・・・・・・・四十と散弾のように刃が疾り。 「ッ!」 「くく・・・」 ィン・・・! 一際高く鋭い音を最後に、静寂が周囲に広がった。 要した時間は5秒と少し。 常人には一瞬とすら言えるその刹那に辺りへと突き立った刃は九十と四本。 全て同一の形をした短剣の墓標の中。 「・・・・・・」 「・・・・・・」 投擲を終えた体制のまま二人は無言で対峙する。 スカートがふわりと元の位置に戻るのを見届け、ランサーは呟いた。 「互角・・・か?」 「いえ・・・」 ハサンは首を振る。 「1本落としそこねました…」 その肩に、根元まで突き立った一本のダーク。 腱を貫かれた左腕がぶらりと力無く垂れ下がる。 「堕落して力を落としたな・・・その程度の肉体しか持たぬとは」 髑髏面の男が仮面の下から放たれた明らかな嘲笑に、ランサーは唇の端を捻じ曲げて笑みを形作った。 「遺言は、それでいいのか?」 何時の間にか、その手には呪いの長槍。 矢よけの加護をその身に宿す、黒の暗殺者にとって最悪の敵がそこに居る。 一度はその心臓を握りつぶしているが、あの時は強力な援護あっての騙まし討ち。今回も近くに強力な存在が居るが、アレに援護などという概念があるかどう か。 「ハサン。片手だろうがキャスターを守ることは出来るな?」 「・・・はい、です」 ハサンは表情を変えず、動く右手にダークを握る。痛みも屈辱も、ここで何も出来ないという恐怖に比べれば大したことが無い。 無言で姿勢を低くする黒の暗殺者。ゆったりと槍を構えるランサー。盾の魔術を維持し続けているキャスターの背中を隠すように立ちふさがるハサン。 一瞬後には再開されるであろう命の奪い合いに、桜はこくりと唾を飲み。 「え?」 唾を飲むその音を聞き取れたことに、目を見開いた。 音がしない。 さっきまで引っ切り無しに鳴り響いていた宝具の雨が盾の魔術を穿つ音が、しなくなっている。 「―――貴様ら」 耳に届くは、苛立たしげな王の声。 「・・・我と対峙しているというに、暗殺者如きに総がかりか!」 「やばっ、無視してたらキレた!」 どこかのどかなランサーの叫びは誰かに届いたか。 ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッ! と轟音が鳴り響く! 再度降り注ぐ宝具の雨。 しかし此度の雨には大陸の飛将軍が握りし戟がある。竜殺しの魔剣がある。心臓破りの槍がある。その神秘は、これまでの比ではない! 「ぁぁっ!」 音は数秒。 神代の魔術師が全力で作り上げた盾は、僅か数秒で砕け散ったのだ。 魔術の崩壊した余波で吹き飛んだキャスターの小さな身体は居間の隅まで吹き飛ばされ、反射的に飛び出したハサンが空中で掴んで抱きとめる。 「ちっ!」 ランサーは動くそぶりを見せた黒の暗殺者に穂先を向けて牽制し、外へと視線を向けた。 目立たぬように魔方陣を書き込まれ、簡易礼装と化していた雨戸が、外枠を残して消し飛んでいた。あれだけの攻撃を受けてそれだけというのを評価すべき か、無防備になった自分たちを危惧するべきか。 「わた、しの盾、砕かれる、なんて・・・」 呻くような呟きを、黒の英雄王は次弾となる宝具を周囲に浮かべてあざ笑う。 「王たる者の意を、魔術師如きが阻めるとでも思ったか?」 黒の英雄王は極刑を下すべくその腕を振り上げ。 『―――ふん、違いない。王たる者の意思は誰にも阻めぬ』 空から、彼の居る場所よりも高いところから投げかけられた声に動きを止めた。 「む・・・」 見上げれば、遥か上空から一直線に突っ込んでくる、光の尾を引く黄金の船。 「ヴィマーナッ! ならば―――」 「故に、王たる我が、この剣にて審判を下してやろう―――消し飛ぶがいい贋物ッ!」 ヴィマーナの上、船と同色の髪をなびかせた少女は、既に三重の螺旋を為す異形の剣を振りかぶっており。 「『 「チィッ!」 黒の王は舌打ちと共に飛びずさった。数軒分を一跳びで越え、別の屋根に降り立って見たものは一瞬前まで彼が居た場所へ垂直に突き立つ、渦を為す断裂! 「・・・流石だな、エア」 思わず声が漏れた。 上空から打ち込まれた乖離剣の一撃は、彼が足場としていた家はおろか、その周囲の地面をも円形にこの世界から削り取っていた。 何処まで続くかわからない大穴を作り上げたその相手は、金の船から飛び降り、電信柱の上に着地する。 ・・・言うまでもなく、屋根に立つ彼よりも高い位置を取る為に。 「ふん…贋作といえど我は我か」 ピキピキとこめかみを引きつらせる黒の英雄王に、ギルガメシュは縦ロールの髪をかきあげふんと胸をそらした。 「口をつぐめ。我は我であるが故に我だ。我は唯一無二。ならば偽物は貴様だ雑神」 「…違いない。つまり、貴様はここで自害し我の絶対を証明するという事だな?」 言われ、ギルガメッシュのこめかみも、ビキビキした。 「くくく・・・趣味の悪い髪の色が何か言っているなあ?」 「ははは・・・なんだその身長と髪型は。曹魏でも収める気か?」 据わった目で悪意ある笑顔を向け合う二人をとりあえず放置し、ランサーは髑髏面の男に目を向ける。 「黒ガメシュ、黒オレ、黒ハサンか。この分だと黒サーカーとか黒セイバーとか居るだろうし、戦るならそいつらの方が楽しそうだと思わねぇか?」 「・・・表で戦っているランサーのサーヴァントは、私を侮ったが故にああなったのだがな?」 槍を肩にかついだままの台詞に、黒の暗殺者はボロ布の中に手を引っ込めて答える。 うっすらと蘇る、経験の無い記憶。死の追体験に、ランサーはトントンと槍で肩をほぐして頷いた。 「言っとくが表のアレとオレを比較しても意味はねぇぜ? 結果が見たいならさっさとかかってこい―――5秒はかからねぇ」 13-6-10 AM11:50 刃名が散る ■衛宮邸 門前 剣打ち鳴らし足踏みを入れ、風斬る音をも伴奏に刀は幾重にも舞い踊る。 ああ、と吐息をひとつ。 己の脇腹を掠めた穂先の熱に、相手の首筋、皮一枚を切り裂いた切っ先の感触に歓喜する。 獣のような眼光で迫るこの男の技量は、彼女が想像していたより遥かに上であった。 その突きの鋭さは一合ごとに鋭さを増し、既に目で追う事は諦め、勘だけでそれを受け流している。 人の世は言うに及ばず、英霊としてさえ常識外の速度で打ち込まれるその槍を神技と言うならば、数分の打ち合いで癖とリズムを読み取りそれを捌き続けてい る剣をこそ魔技と呼ぶべきか。 刀を振るう。大きく体を捻って燕返しを匂わせ、発動前に潰すべく突撃をかけてきた所で構えを崩して迎撃の突きを打ち込む。 真名の解放や魔力の充填といった工程を必要とせず構えを変えるだけで放てる燕返しは、それを匂わせるだけで相手に瞬時の選択を強いる。 回避不能のその斬撃を発動前に潰すのか、発動前に間合いから逃げるのか。 槍遣いは眉間へ突き込まれた切っ先を僅かに首をそらして回避し、こめかみの皮を削り血の糸を引くその刃をぐいと頭で押しのけた。 剣を振るのは重心を移動するというのと同意だ。 余計な力で重心の移動を後押しされた佐々木は前のめりに姿勢を崩し、しかし崩れた姿勢を起点にくるりと背後へ身体を回し、斜めに円を描くような斬撃を放 つ。 舌打ちしながら槍遣いは追撃を諦め、バックステップで間合いを離した。 数歩分の後退を、しかし佐々木は許さない。斬撃の動きをそのまま踏み込みに連携させ、刀の間合いに引き戻す。 刀の届かぬ距離での数秒は、心臓破りの魔槍の起動を許すのと同意だ。幸運の加護も運命を覆す神秘も持たぬ彼女がそれを防ぐには、起動出来ぬよう集中を乱 すしかない。 だが、先の燕返しが攻めを意識させての受けであったように、魔槍の起動もまたフェイントであった。 踏み込んだ足を刈り取る、地を這うような振り回しが繰り出される。 佐々木は軽い跳躍でそれを回避し、連携して打ち込まれた柄による殴りつけを、滞空したまま手の中で回転させた刀の峰で打ち払う。刃で受けては刃こぼれを おこすという判断である。 ああ、と再び吐息を漏らす。 一つしくじればどちらかの命が絶たれるやり取りの中、佐々木の頬は紅潮し、身体は際限なく熱くなる。太ももをぐっしょりと濡らしたものは、この速度の世 界では見えないだろうけど。 普段の自分が、心の中でそのはしたなさを糾弾するのさえ興奮に変え、佐々木小次郎の名に押し込まれた剣鬼としての心が嗤う。 どうせこの心も誰とは知れぬ。佐々木小次郎という架空の剣士の役として呼び出された雑霊―――その男ですらない自分など。何とも分からぬ混じり物な ど・・・この程度だろう。 だから、せめて佐々木小次郎らしく。剣と風流に生きたその名にすがりつき。 「そろそろ終幕にいたしましょう。あなたも、シたい相手が一人というわけではないでしょう?」 「ヤりたい相手は他にも居るが・・・今はあんたに専念してるんでね」 「あら、では赤いのが出るまで頑張りましょうか」 軽口を交え、疼く身体が促すままに快楽を貪ったところで、誰に責められよう。 だが。 それでも。 (この顔を、旦那さまには、見られたくない) 心の中で、呟く声は、消えたりはせず。 袂から片手で引き抜いた手のひらに入る程の小さな刃―――貫級刀を投擲する。 槍遣いが飛び道具に対する加護を持っているのは知っている。 キン、と弾く音が響いた。槍の穂先は空中で貫級刀を叩き落し、そのまま突きへと変化して迫り――― 「もう一献・・・!」 佐々木は己の愛刀を地面すれすれで滑らせ、叩き落された刃を再度真上へ打ち上げた! 「んだとっ!?」 槍遣いは悪態と共に身をそらして貫級刀を回避し、踏み込みの足を大きく横滑りさせて脚を薙ぐ追撃の刀をもかわしてみせる。 彼に授けられた加護は視界の中で放たれた全ての武器への回避手段を授ける。しかしそれは対魔力のような自動的なものではない。回避するなり打ち落とすな りは自分の身体を使って行わねばならず。 「ふふ、イけそうですね・・・!?」 乱れた姿勢で尚、穂先を捻るような動きで跳ね上げてこちらの顎を狙う槍遣いの技は絶妙ではあるが、しかしそれは彼の全速の突きと比べればあまりにも遅 い! 佐々木は胸を穂先にかすらせる最小限の動きで回避を行い、同時に両の腕を跳ね上げる。 槍遣いは舌打ちと共に飛び退こうとする姿に一手遅いと佐々木は呟き。 「あら・・・?」 肉の感触無く頭上へ抜けた切っ先に、きょとんと声を漏らした。 槍遣いの姿は十数歩分後退している。低い姿勢で着地したその姿は、皮鎧が腹から肩にかけて裂けているものの、無傷だ。 「・・・ふふ、思ったより、早いのですね?」 「・・・敢えて真面目に答えるがな、ルーンを使った」 見れば、その両足には佐々木には読み取れぬ不可思議な文字が光っている。おそらくは、それが脚力を賦活する効果を持っているのだろう。 そう。クー・フーリンは卓越した武人であると共に、完成された魔術師でもあるのだ。他にも隠し玉はあると見たほうが良いだろう。 佐々木はもはや隠しようも無いほどの恍惚を笑みに載せ、宝具を発動される隙を与えぬ為に距離を詰め――― 「っ!?」 一歩を踏み出そうとした瞬間、第六感が伝えた背後からの奇襲を斬り払った。 ギンッと音を立てて吹き飛んだのは白い短刀。その意味を悟るより早く、黒い短刀を握った男が迫る。 髪が白い。全身から嫌な魔力を感じる。短刀を握る左腕が、右の腕よりも逞しく浅黒い。そして何より彼女の知る彼は、こんな無機質な表情をしない。 しかし。 「旦那さまッ!?」 その顔を見間違える筈もない。 肉薄し、斬り上げの斬撃を打ち込んできたのは、衛宮士郎であった。 「こらてめぇ! 人の獲物を―――!」 背後で怒鳴る槍遣いの台詞が意味を成さずに頭を素通りしていく。 無意識に合わせた刀が一撃を受け止め、刀身を歪ませながら鍔迫り合いの形になる。 正面に、無表情なままこちらを見据える少年の顔。見慣れた短刀を握る力が強い。サーヴァントのそれと言ってもいいだろう。 ああ、と吐息が漏れる。 この少年はどのような技を見せてくれるのだろう。 斬るとどんな声をあげてくれるのだろう。 塗れた内腿に着物が張り付くのがわずらわしいと佐々木はなんとなしに思い。 「あ・・・」 無言のままの少年の顔に、彼女の主の姿を見た。 「ぁあああああああああああああああっ!」 嫌。駄目。違う。これは違う。わたしは、わたしの、なまえは 「―――来い」 乱れ狂う頭でそれでも身体が覚えている通りに短刀を押し返して飛び退き逃げる佐々木に少年は短く呟いた。 背後から気配。弾き飛ばされた白い短刀が不自然な軌道を描き再度襲い来る。 刀を握らぬ左手で顔を隠し佐々木は動けぬままに――― ずぶり、と。 白い切っ先が自分の胸から飛び出すのを最後に見届け、倒れた。 「――――――」 崩れるように足元へ伏した女を眺め、少年は無造作に握った黒い刃を振り上げた。 彼に与えられた命令は彼女の護衛である。彼女に害を与える可能性があるものは、殺しておくべきだろう。 淡々と結論を出し、首目掛けて刃を落とし。 「『 短刀を握った右の拳が、閃光と共に砕け散った。 「――――――」 衝撃によろめいた少年は数歩下がりながらも持ちこたえ、声の方向へ目を向ける。 「エミヤシロウっ! その姿は一体・・・!」 鋭い叫びと視線をこちらに向ける短い髪の女と、不愉快そうな表情でこちらに背を向け歩き出したランサーの姿。 「――――――」 先ほどの閃光は、あの女の放ったものだろう。ならば、魔術師か。 「 「っ!」 手首の断面から流れ出る血に構わず少年の呟いた呪文に、バゼットはベルトに付けたホルスターから次のラックを引き抜いた。 既に衛宮士郎という名前にまつわる記憶は選別済みだ。判断の材料は彼が宝具を無限に生み出す世界でも有数の危険な能力を備えている事と、たった今バゼッ トにとって味方といえる相手を斬ったという事だけ。 「 ラックに魔力を通す。鉄球の形をしたその宝具は僅かに光を纏って起動し、ゆらりと彼女の前に浮かんだ。 「 少年の両手に二色の短刀が生成された。間髪居れずに投擲された左の刃をバゼットは軽くステップを踏み回避。 一投目の回避は互いの思考には前提として織り込み済みだ。バゼットはあの投擲が引き戻せるのを見ているし、少年は直線状に光剣が撃ち込まれる事を知って いる。 故に、勝負は前後からの挟撃を回避しつつ光剣を撃ちこめるのか、文字通り閃光と化して撃ち込まれる光剣を回避しつつ挟撃をかけられるのかというものとな る。 ―――言うまでも無く、バゼットの宝具が逆行剣でなければだ。 「・・・来い」 「!」 バゼットは、ランサーから聞いている。衛宮士郎の戦闘技術において、『重ね当て』は骨子であり・・・言い換えれば『切札』であると。 術式が起動するのを感じる。球状だった宝具に刀身が生成される。 発動条件を満たしたその光剣は一度放たれれば時間を逆行し、少年が剣を引き戻す前にその命を絶つ。故にその名は逆行剣! 「『 バゼットは己が宝具を撃ち出すべく拳を振り上げ――― 「―――『 「なっ・・・!」 瞬間、激痛と共に手首から先の感覚が全て消滅した。 「っ!」 打ち込んだ右腕が宝具を放てず空振りする。相手の攻撃に対する判断は保留。ラックを打つのは右腕でなくともいい。この体勢からなら、左のバックハンドブ ローか。 ぎりぎりと歯を食いしばり痛みを思考から切り離す。 「『 何とかラックへ拳が当たった。光剣は撃ちだされただろうが、手ごたえは通常起動のものだ。それはカウンターの対象である『引き戻し』が既に終わっている という事であり。 「ぐっ!」 その場に倒れ込むことで姿勢を低くしたバゼットの頭上ぎりぎりを白い短刀が通過した。 だが、これは『重ね当て』だ。 「――――――」 右の手首。傷一つ無いにも拘らず切断されたかのようなその痛みが消えた。 「がぁっ・・・!」 飛来した黒い刃に、右の腕を肩からごっそり斬り落とされた事によって。 「――――――」 足元に広がる血だまりを踏んで歩み寄り、少年は倒れた女魔術師を観察する。 仕留めた筈の相手だ。あの状態から致命傷を避けられるのは予想外であった。素性は衛宮士郎の知識には無いが、優秀な魔術師なのであろう。 蹲り、傷口から溢れ出る血を何とか止めようともがいている女魔術師から視線を外し、少年は門へ向かった。 彼女が来る。場所は中庭だ。そちらへ向かう事が最優先と決められている。 「・・・エミヤ!」 去っていく背中に声をかける。振り向かず去る少年にせめてもう一撃をとバゼットはなんとか立ち上がろうとし。 「何・・・!?」 一撃目の逆行剣で手のひらから先が吹き飛んだ少年の右手首から、ぞわりと黒い泥が滲み出るのを見て息を呑んだ。 黒い泥はもぞもぞと蠢き、手のひらの、五指の形を成し、最後に人の肌の色に染まって動きを止めた。 今やそこにあるのは傷すらない右手。バゼットの攻撃を受ける直前の形に、戻っている。 言葉もなく見送るバゼットにはもはや目もくれず、そのまま門をくぐって視界から消えた少年に、バゼットは力いっぱい額を地面に打ち付けた。 「なんなのですか、一体!」 一度だけ叫んで屈辱と悔しさを吐き出す間にも、無事な左腕は訓練通りに傷口に人工皮膜を張り、賦活のルーンを書き込み、脇の下の血管を押し込み出血を抑 えている。 自分だけの事を言えば、とりあえず死ぬ事はないだろう。切断された腕が付くかはわからないが、夫にまかせればおそらくは大丈夫だ。 だが、起き上がる力はもう無い。目だけ何とか動かして周囲を確認。 黒のランサーは、どこへ行ったものか見当たらない。佐々木は背に短刀を受けたまま動かず、生死すらわからない。 「惨敗だ・・・わからないことしか、ない・・・!」 あれは本当に衛宮士郎だったのか。あの黒いランサーはなんだったのか。 何故衛宮士郎の右手は再生したのか。そして。 「傷の投影・・・? それでは、呪詛の類ではないか・・・あのエミヤに―――」 数々の疑問を抱えたまま、バゼットの意識は途絶えた。 13-6-11 AM11:50 集結 ■衛宮邸 居間 桜は三度深呼吸をして、何とか落ち着こうと試みた。 目の前にはいつもよりも動きのぎこちないランサーと、白い髑髏の面を被った男のにらみ合い。 床にはわりとどうでもよさそうな表情で寝てる言峰綺礼、そして隣には自分を守るべく片手でダークを構えているハサン。 ランサーの負傷はかなり深刻だ。傷が塞がらない事もさることながら、連戦で消費した魔力の回復がままならないのがまずい。 呪いの魔槍も、胸に穴を開けられても戦い続けるしぶとさも、それを支えるルーンも、全て源泉は一つ。魔力だ。 この状況下で蓄えが尽きれば、もはや立ち上がることは叶うまい。 「ランサーさん、バゼットさんに令呪を使ってもらえるよう頼んだほうが・・・」 「あぁ、そうするべきなんだがな・・・」 ランサーは振り返らない。 令呪で傷の回復を命じられれば、復元阻害の呪詛を破る事が出来るかもしれない。 あるいは単純に魔力として流し込んでもらって能力を向上させればこの場を切り抜ける事も容易になる。 だが。 「公園に呼ぶのに一回、槍直撃の回避で一回、再呼び寄せで一回ともう三回、使い切ってるんでな」 苦笑し、槍を構えなおす。 「あと数分あれば賦活の陣を作れたんだが・・・絶妙なタイミングで追撃してきやがった」 「ついてないですね・・・幸運E舐めんなってところですか?」 「そうでもなかろう」 シビアな現実に桜が呻くと、足元から否定の声があがった。 ちょっと嫌だが目を向けると、ぎぎぎと奇妙な動きで起き上がろうとするおっさんが一人。 「監督役として、私はこれまでの聖杯戦争において使用されずに終わった令呪を託されている。いくつかの条件を満たせば、他のマスターに譲渡可能だ」 「ど、どんな条件ですか!?」 示された活路に身を乗り出す桜に、言峰は静かに頷いてみせる。 「たとえば、そこの青いのが全裸で犬の真似をしながら放に―――待て間桐桜、その関節はそちらには曲がらない・・・っ」 「ランサーさん! バゼットさんに令呪渡してきます!」 背後から聞こえる桜の声とメキメキという音にランサーはおうと頷き。 「甘ぇよ」 一瞬意識がそれた隙を突いて投擲されたダーク2本を槍の柄で打ち落とす。 「飛び道具は通じねえって言ってんだろ? おまえがハサンだっつー時点で勝ちは決まってんだよ」 「・・・その割には、令呪を必要としているようだが?」 髑髏面の下からぼそりと呟かれた言葉に、ランサーは嘲笑を浮かべた。 「ああ、おまえ片付けたあと、上でふんぞり返ってる元金ピカもやっちまう予定なんでな」 「・・・貴様」 言外に障害にならぬと告げられ、黒い布に包まれた身体がゆらりと震えた。 隙間から突き出された両の手には、それぞれ四本ずつのダーク。 「わかんねぇ奴だな。そいつは―――」 「見切れたところで、腕は二本しかあるまい」 断ち切るように放たれたその言葉に、ハサンは僅かに目を見開いた。 鏡像であり、全く同一の技術を持つ彼女には黒衣の暗殺者の構えが何を意図しているのかは手に取るようにわかる。 あれは、あの構えは、回避も防御も捨て、全ての力をダークの連射に注ぎ込むものだ。 ランサーの槍を上回る数、上回る速度で投擲できれば勝ち。 上回る事が敵わずダークのストックが―――先ほどの盛大な振る舞いで残り50を切っているであろう残弾が尽きれば負け。 あの男は、ハサンの名を継承した暗殺者であるにもかかわらず・・・稀代の槍遣いに、真っ向勝負を挑もうとしているのだ。 「あァ? ・・・本気かてめぇ」 ランサーの問いに言葉は返らない。 ただ髑髏の面から除く眼光だけがそれに答える。 「・・・本気の目だなそいつは。いい根性だアサシン。顔が見てぇもんだぜ・・・!」 ぐるりと槍を回して構えを取ったランサーの背に、ハサンは苦笑をもらした。 (顔は、見飽きてると思いますよ・・・?) うんと頷き、背後の桜に目を向ける。 「・・・桜さん、行くです。あの暗殺者、こっちに興味ないですから」 「あ、はい」 桜は言峰を折り曲げる作業を中断し、しばらく迷ってから太い首を掴んで持ち上げた。 「言峰さん、苦しいところとかありますか?」 「うむ。全身あますところなく。あと脊髄が外れそうなのだが」 「そうですか、我慢してください」 身長の関係で半ば引きずるような形になりつつ桜は言峰と共に廊下に駆け出し、サンダルをつっかけて中庭に出る。 「キャスターちゃん―――」 「庭までは回路繋がってないから、外に出たら盾が張れないもん。どっかに隠れてる」 一緒に行きましょうと言う前に、キャスターはハサンの手をするりと抜けて壁にもたれかかった。そのままどろりと液化した壁に飲み込まれて姿を消す。 高度な技術で構築された魔術師の陣地は、術者の身体の延長である。 身体の分解と再構築などという荒業を日常的にこなすキャスターにとっては、触れられる肉体の在り処など、重要ではないのかもしれない。 秒と経たずに消えた少女の身体を見送り、ハサンは対峙する二人に眼を向けた。 「―――御武運を」 短く声をかけてその場を後にする。 途端に聞こえる金属音の連打を意識から締め出し、ハサンは周囲の気配を伺う。 「・・・静か過ぎるです」 門前で行われている筈の戦闘の気配がない。 決着が付いたなら、黒ランサーか佐々木のどちらかがこちらへ向かう筈なのだが。 「桜さま、ハサン、ちょっと先行して―――」 「あ、ちょっと待ってください」 偵察してきますと告げようとしたハサンを、桜は手で制止した。 自分から令呪を通して流れ出る魔力の経路。それが今、上へと向かっている。 目に見えるそれを辿るように空を見上げる。目に映るのは青の空。そして小さな白い点。 「? なんか飛んでるです?」 ハサンの呟きに頷いて目を凝らす。豆粒のようなシルエットは、見る見るうちに大きくなった。 見えてきた色は白とすみれ。 それは、翼持つ馬と、それに跨り長い髪を翻す見慣れた女性である。 「ライダー!」 詳細がわかるくらいまで近づいてきたその姿は朝に別れた時の私服でこそなく見慣れた戦闘服だが、髪が白かったり黒かったり泥が噴出していたりしない、い つものライダーだ。 「ハサンちゃん、ライダーが帰って―――」 一番信用できる味方の帰還にはしゃぎかけた桜の声が、疑問系で途切れる。 違う。 何かが、違う。 どこも違わないのに―――ぞわりと違和感が背筋を撫で上げる。 「っ!?」 疑問は一瞬で消えた。 見上げた空には白い流星。 フルスピードでこちらへ迫る騎乗兵の姿が光に包まれていた。 まだ距離がある。 声は聞こえない。 だが、それを桜は熟知している。 これはライダーの愛馬、ペガサスが全魔力を解放した時に放たれる光。 太古の城壁に匹敵する質量と強度を持つ馬鎧(バード)。 それを展開する為に使用される宝具こそが・・・ 「 思わず呟いた声に。 『――― 上空からの声が被さった。 舞い降りる光はそれを放つ人騎が見えぬ程に強くなり、一瞬遅れて轟音と共に家中のガラスが衝撃でビリビリと揺れる。 「っ・・・!」 桜はこらえきれずよろめきながら、それでも目を閉じずに見届けた。 真っ直ぐにこちらへと落ちてきた流星。 ―――そして、それに横合いから突撃し、進路をそらしたもう一つの流星を! 「ライダーが、二人!」 「・・・わたしもランサーさんも二人居たです」 転びかけた桜を支え、ハサンは簡潔にそれだけ伝える。 「う、うん・・・そう、ですよね・・・」 立ち直った桜は、再度上空に目を向けた。 先に現れたライダーは進路をそらされて大きく衛宮邸を通り過ぎ、追撃を恐れたのかそのまま真っ直ぐ飛び去って行く。 後から現れたライダーはそれを見て小さなターンでこちらへ馬首を向け、降下してきた。 その姿は先ほどのライダーと全く同じ容姿、全く同じ戦闘服。騎乗するペガサスすら鏡に映したが如く同一。 しかし。 「ライダー、ありがとう!」 「礼には及びませんよ、サクラ」 桜は、迷いなく感謝の言葉を空に叫んだ。ライダーもまた当然の表情で頷いてペガサスを飛び降り、ハサンたちの傍に着地する。 「あ、あの、桜さま? ほんとにこっちのライダーさんが本物ですぅ?」 「間違いないですよ」 いつでもダークを放てるよう構えたハサンに、桜は大きく頷いて微笑んだ。 「―――だって、一番の親友の事を、見間違える筈ないじゃないですか」 ねー、と視線を向けられ、ライダーもまた口元を軽く緩める。 「ふふ、ありがとうございます、サクラ―――正直、濡れます」 「ど、どこがですぅ!?」 「ええ、わたしもよ。ライダー」 「だからどこが・・・いえ、いいです、聞きたくないですぅ・・・」 イェー、と奇声を上げながら拳をかつんと打ち合わせているライダーと桜に、ハサンは軽くため息をついた。 「それより言峰さんがぐったりしてるですよ・・・早くバゼットさんのところへ行くです」 ライダー登場からこっち地面に放り出されたままの言峰が頷くのは、誰も見ていない。 「サクラ、門の方へ行くのは危険です。上空から見ましたが、既にバゼットとササキは倒されていました。生死は不明ですが」 「っ! 黒いランサーさんにですか・・・!」 今すぐ制止を振り切って飛び出しそうな桜の腕を掴み、ライダーは奥歯をかみ締める。 「違います。彼が―――やりました」 すっと伸ばされた長く白い指先が指し示したのは、今まさに姿を現した一人の少年。 「先輩!?」 声に、感情の浮かばぬ眼がこちらを向いた。 「――――――」 足が止まる。呆然と立ち尽くす桜と、白い髪の少年の視線が絡み合い。 「ァク、ラ・・・?」 その唇から、かすれた声が漏れ落ちた。 「先輩、え、でも・・・」 「サクラ―――」 今度こそはっきりとした声で呟いたその少年の瞳にぼんやりと意思の光が灯りかけるのを見て桜は思わず一歩踏み出し。 「違いますよ、先輩―――」 聞きなれた、しかし耳に覚えの無い声に全身が硬直した。 「それは、ただの人形。わたしは―――」 そっと肩に触れたライダーの手を握り返し、桜は振り返る。 白い髪の少年から、黒きサーヴァントたちから、獣の形の泥から感じた、終わりの無い怨嗟を孕み澱んだ魔力。 息の詰まるような悪意に満ちたそれは、中庭の中央、何時の間にかごぼりごぼりと湧き上がっている黒き泥から放たれたものだ。 「っ・・・」 影の獣を構成していたものとは比べ物にならない濃度の呪詛に、桜は後ずさりかけて、ぐっと奥歯を噛み締める。 恐れるな。眼を背けるな。きっと―――姉さんならそうするだろうから。 睨み付けた泥は高く噴出し、2メートルほどの柱と化して呪詛を振りまいている。 「――――――」 瞬間、少年が地を蹴った。 桜を庇うべく身構えたライダーとハサンには視線すら向けず、少年は呪詛柱の傍らに着地し、内部へと無造作に手を突き入れる。 「ふふ、ありがとうございます。先輩」 声が響くと共に、少年は数歩さがった。引き抜かれた手は、白く細いもう一つの手を握っている。 黒いドレス。白い髪。血の透けた赤い瞳。 従者にエスコートされる女王の如く現れたその少女の姿は―――間桐桜、そのものであった。 「わたしの偽者まで・・・!」 思わず叫んだ桜に、黒のサクラはゆらり、と頭を傾けた。首を捻るような不自然な動きでこちらに眼をむけ。 「―――人形のくせに」 嫌悪の呟きと共に、その足元から何本もの黒い触手が撃ち出された。 「サクラ!」 即座に放たれた釘剣とダークが空中で触手に突き立ち―――魔力で編まれた二つの武器は、瞬時に黒に染まり泥と化した。 「喰われたですぅ!」 二本、三本と投擲したダークも突き刺さるが速いか触手の一部と成り果て、ハサンは慌ててその場を飛びのいた。 咄嗟に桜を抱き寄せたライダーもそれに続き、一瞬前まで三人が居た場所に触手が連続して突き立つ。 「・・・?」 数メートル下がって着地したハサンは、最後の数本となったダークを服の下から引き抜いて眼をしばたかせた。 触手が突き立った地面。 そこが、黒い。それは単に色が付いているのではなく。 「かげ?」 桜の形を留めたままの、影である。 慌てて視線をやると、桜はプルプルと首を振った。 確かにそのような魔術は使えるが、攻撃されて咄嗟に反撃出来るほどの心構えも技術も無い。 疑問の視線をよそに、地面を抉った触手は再度桜たちを襲うべく跳ね上がり、かけ。 「―――それは」 「させない―――」 二組の小さな手が、全ての触手を纏めて掴み止めた。 「あんりちゃん!? まゆちゃん!? 今までどこに!?」 桜の声に反応せず、褐色の肌の少女達は無造作に触手を引きちぎる。 術式構成の大半を破壊された触手は呪詛としての形を留めておけず、無害な魔力と化して消滅した。 触れただけで精神を犯し、魔力を汚して取り込む筈の呪詛を表情も変えず消し去った二人。 黒のサクラは不愉快そうに顔をしかめ、不遜な幼児に制裁しようと口を開いたが。 「――― 平坦な声でに呟かれた呪文に慌てて振り返った。 「先輩・・・?」 背後に控えていた士郎は、外壁の方へ目をむけ、手をかざしている。 サクラはその視線を辿り。 「アーチャー・・・!」 今まさに外壁を飛び越え現れた、赤い外套の騎士に顔をゆがめた。 人では有り得ぬ大跳躍で現れたアーチャーの手には、和弓を見慣れたサクラの目には奇異に映る独特の形状のロングボウ。そこには既に、異形の矢がつがえら れている。 「『 真名の詠唱と共に放たれた矢は、その名の通りの赤い軌跡を網膜に残して超高速でシロウに襲い掛かり。 「―――『 ギンッ、と。 堅い音と共に真上へと跳ね飛ばされた。 突き出されたシロウの左腕。そこにあるのは四枚羽根の光の盾。 投射武器への対抗概念を持つ英雄の盾は、たとえ相手が宝具であっても揺るがない。 「チッ・・・!」 上空へ消えた魔弾を舌打ちと共に見送ったアーチャーは中庭へ着地すると共に双剣を呼び出した。 「 それに応じ、シロウもまた盾を消して双剣を投影し。 「・・・・ところで、その腕で検索していないのか?」 アーチャーはそのままニヤリと笑って見せた。 「あの剣は・・・幾度弾かれようと獲物を追い続ける」 「!」 シロウの首がグルリと上を向く。目に映るのは赤の閃光。 弾かれ遥か上空に吹き飛んだ筈の魔弾が、更なる加速と共に逆落としで迫る! 「――― 「させん・・・!」 呪文を口にしたシロウにアーチャーは容赦なく右手の短刀を投擲した。 魔術の完成より速いその一撃を、シロウは術式を中止して双剣で薙ぎ払う。 足は止めた。魔弾は健在。アーチャーは勝利への道筋を確定し。 「このっ・・・セイバー!」 サクラの声が、そのロジックを打ち砕く。 「砕け―――」 長く伸びたサクラの影。 そこから現れた黒い鎧のセイバーは、右の腕に携えていた黒剣を小さな投擲で左手に持ち替え、頭上へ振り上げた。 「―――『 王命の言葉と共に、堕ちた聖剣の黒い刀身から瘴気にも似た魔力が溢れ出した。 魔力放出。彼女の持つ膨大な魔力を物理的な力として撃ち出すスキル。 無限の供給に支えられた膨大な魔力は刀身10メートルにも及ぶ長大な黒き刃を作り出し、飛来した赤の魔弾を文字通り消し飛ばした。 「っ・・・! 欠片も残さず消滅させるか・・・!」 瞬時に逆転した攻守にアーチャーは左の短刀を投擲してシロウを牽制し、そのまま背後を一瞥して全力で飛びのく。 「ふん・・・逃がさん」 天に突き立てた剣への魔力供給は途切れる事が無い。長大な魔力刃は未だ健在だ。 「風よ―――」 黒のセイバーは左手で振り上げた黒剣の柄を右手で掴んで両手持ちへ変え。 「―――吼えあがれ!」 そのまま、後退するアーチャーへと無造作に振り下ろす。 「くっ・・・!」 アーチャーは逃げ切れぬと悟りながらも構わず魔力回路を起動し、 「させません! 『 澄んだ叫びと共に、爆発的な烈風が黒い暴風を正面から迎え撃った。 アーチャーの背後には、時間差をつけて塀を飛び越えて来たセイバーの姿。 その腕に握られている聖剣は、既に刀身が解放されている。 二人のセイバーが放った魔力の渦は互いに譲らず余波が周囲に吹き荒れる。 アーチャーは瞬間的に投影した盾でその余波を防ぎ、シロウは双剣を地面に突き立てて踏みとどまる。視線は互いの敵を外さない。 視界の端でライダーが桜とハサンを抱えて屋根の上に退避したのを見届け、アーチャーは盾を消して双剣を投影しなおす。 「・・・セイバーも来ているってことは、姉さんは」 二人のセイバー、二人のエミヤの対峙を前に、黒いドレスのサクラはぎりっと奥歯をかみ締めた。 「ああ。無論、来ているとも」 「――― アーチャーの声に呪文が重なり、見上げたサクラの顔が歪んだ。 「vox Gott Es Atlas( 戒律引用、重葬は地に還る)」 そこには、重力制御の魔術で緩やかに降下し塀の上に着地した赤いコートの魔術師と、落ちつかなさげな表情で彼女に抱きしめられた少年が居る。 言うまでも無く、遠坂凛と、衛宮士郎である。 「あら、2週間ぶりかしらね、桜?」 「姉さん・・・っ!」 嫉妬と憎悪、そして僅かな不安に満ちたその表情に、凛の記憶の中に眠る一度目の2月14日の記憶が鮮明になる。 だが。 「そっちの衛宮くんも久しぶり。声が届いてるとは思えないけど」 それは過去であると、凛は記憶を整理した。 戸惑いも迷いも既に消化済みだ。わたしの今は、ここにある。 (・・・士郎、大丈夫? 混乱してない?) (・・・大丈夫だ遠坂。なんとなくだが、わかる。あいつは俺とは違う。あいつは―――) ―――俺よりも人間だ、と。 囁かれた言葉への返事を途中で止め、士郎は凛から離れた。 「隠れられちゃったら面倒だなって思ってたんですけど、姉さんの方から来てくれて助かっちゃいました」 サクラはくすくすと笑いながら右手を天に差し伸べる。 「! みんな、髪が白い方の桜から離れて!」 ごぼりとサクラの足元に湧き出した黒い泥に、凛はちっと舌打ちして叫んだ。 セイバーとアーチャーが同時に跳躍し、塀の上、士郎と凛の傍らに戻る。 ライダーは桜を片手で抱え、待機させていたペガサスを呼び寄せ上空へ避難し。 「 呪文と共に、サクラの背後に黒き泥が噴出した。直径十メートルにもなろうというそれは黒い柱となってそびえ立つ。 「っ・・・!」 見上げた士郎の胸に、ギシリと痛みが走った。 胸を押さえ膝をついて見上げる先に、五つに先端を枝分かれさせた呪詛の塔。 それは、太陽を掴もうとする手のひらによく似ていた。 「士郎!?」 「大、丈夫、だ。遠、坂っ」 歯を食いしばり、士郎は立ち上がる。 知っている。 10年前、規模こそ違え、あれを見た。 焼け落ち死に絶えたあの街に出現した災厄。 あのくろい手のひらを、未だ衛宮でない幼き士郎は絶望と共に見上げたのだ。 この世の全ての呪詛を煮詰めた、災厄の泥の奔流を。 「――― そして、天へ掲げられた巨大な手のひらが猛然と凛たちへと叩きつけられる。 セイバーは士郎、凛の順に視線を移し、凛はそれに答え士郎を抱いて回路を開いた。 発動したのは刻印を使った身体能力の拡張、二人分の体重を全て支える跳躍力で可能な限り後退。 アーチャーはセイバーと足並みをそろえて背後へと跳躍しつつ弓を投影し、隣家の屋根に着地しつつサクラ達へ牽制の矢を乱射する。 散り散りになりつつそれぞれ10メートルは後退した彼らの眼前、先ほどまで居た場所を呪詛の手のひらが打つ。実体を持たぬそれは塀をずぶりと貫通し、地 面に埋まった。 「 「 二撃目を打たせまいとセイバーと士郎の声が重なった、瞬間。 「 嘲笑混じりの呪文と共に、黒の腕が沈んだ地面から五匹の大蛇が飛び出した。 それぞれが一抱えもありそうな巨体をうねらせ士郎達を襲う。 「なんだあれ!? ・・・まさか、指か!?」 不規則な軌道で迫る影の大蛇に士郎は叫びながら投影を完成させた。手の中に現れたのは弓と捩れた角のような一本の剣。 「そうよ、そのまさかよ!」 凛は叫び返しながら残り少ない宝石を光弾として大蛇のひとつに撃ち込み。 「『 僅かに動きが鈍ったそれに、間髪居れずに士郎も投影剣を撃ち込んだ。 だが。 「効いてないの!?」 「飲まれた・・・! 膨大な魔力で編まれた呪詛は、宝具の一撃でさえも飲み込み、揺るがず迫る。 「くっ、狙いが・・・」 ならばと起動中の聖剣を振るおうとしてセイバーは歯噛みする。 絶対的な先読みと文字通りの光速の聖剣を持つが彼女にしてみれば、一匹二匹を狙撃するだけならば簡単な作業だ。 しかし相手は5匹で散開しており、まとめて倒すべく円形に薙ぎ払ってしまえば、まだ誰かが残っているかもしれない周囲や衛宮邸をも消し去ってしまう。 手詰まりの状況に、上空に避難した桜がライダーへ支援を懇願し。 にらみ合いを続けていた英雄王が舌打ちと共に螺旋剣を振りかぶり。 屋敷から様子を伺っていたキャスターが砲撃を打ち込もうとし。 そして。 「大丈夫、まーかせて!」 聞き覚えのある声と共に、士郎達の周囲に百を越える宝石が一息にぶちまけられた。 「もったいなっ!」 思わず手を伸ばそうとした凛を羽交い絞めにして抑えながら、士郎は予感と共に振り返る。 「 そこには、舞い散った宝石が入っていたのであろう空のトランクを投げ捨てる少女の姿。 腕まくりした右腕には見覚えのある刻印。 聞きなれた呪文、なびくツインテールの黒髪。 猫のような印象の表情までもそのままに、しかし、その顔は、体つきは、桜のもの。 少女は一瞬だけ士郎の方に視線を向けて微笑み。 「 呪文の完成と共に、光が世界を包んだ。 「うぉっ、まぶしっ!」 思わず目を手で庇いながら、凛は混乱の極みにあった。 彼女たちの周囲を包むように発動した魔術には見覚えがある。有り過ぎるほどに。 当然の話だ。宝石の数と質の桁こそ違え、展開された魔術の構成は数秒前に自分が使ったものと同一の―――つまり遠坂の宝石魔術だったのだから。 周囲を埋め尽くした光は、秒とたたずに消え去る。 回復した視界には、もはや影の大蛇の姿は無い。その構成の大半を焼き尽くされた呪詛は姿を保てず、黒のサクラの背後の影柱ごと消滅したのだ。 「・・・君は」 その大魔術を景気良くぶちまけた相手に士郎は声をかけ。 「数日振りですね、せんぱいっ」 「!?」 真正面から飛び掛ってきた少女の心地よい柔らかさに顔面を包まれ、言葉を失った。 「ぬぁ!?」 覚えのある感触。 はやくておっきくてやわらかい。 ぶっちゃけ胸。 おっぱいとも言う。 そうだ。 俺は、俺達は―――おっぱいだ! ふたつでひとつの、たっぷりバストだ! 「っぷはっ!」 しばしの忘我を振り払って士郎は力強い抱擁から逃れた。 一歩下がってもう一度その顔を確認し、少女の名前を呟く。 「遠坂、桜・・・?」 「はい、こんにちは! 残念ながら、また会っちゃいましたね、先輩」 <次のページへ> |