13-7 総力戦
13-7-1 AM12:00 遠坂桜


■衛宮邸 中庭側塀上

「ま、待ちなさい士郎! あんたのおっぱいはこっちよ! ・・・じゃない、誰よその桜!」
 一瞬の停滞は凛の絶叫に破られる。
「多分わたしは三人目だから」
「うっさい黙れ! 士郎説明!」
 物量の差がそのまま余裕の差に繋がるのか、ニマニマ笑う遠坂とがーっと叫ぶ遠坂に挟まれ士郎は顔を引きつらせた。
「俺もよく知らないっ・・・! それよりほら、向こう! 向こうの桜がなんか凄い顔でこっち睨んでるから! 今ギャグパートじゃないからな!? な!」
「――――――」
 いっそ無表情とも言える顔で立ち尽くしていた黒のドレスのサクラは、士郎の視線を受け再び嘲笑を浮かべる。
「・・・馬鹿な人形。せっかく逃げれたのに、わざわざ食べられに来るなんて」
「へー。すごいですねー。どうやってわたしをたべちゃうんだろー」
 遠坂桜は棒読みな台詞を口にしながら士郎の胸元を指先でコネコネして凛を激昂させ、そのままトンッ、と跳躍する。
 重力制御の魔術特有のふんわりとした放物線を描いて着地したのは、先ほどまで士郎達が居た塀の上。仁王立ちのまま髪をかきあげ、ふふんと鼻で笑ってみせ る。
「どうするの? 間桐サクラ。セイバーで消し飛ばす? それとも先輩で斬殺? 他のサーヴァント?」
「っ? 決まってます。あなた如き、わたしの魔術で・・・! Es befiehlt声は遙かに―――」
 再度呪文を口にして手を空にかざすサクラを止めようと動き出した士郎たちを、遠坂桜は片手をパタパタ振って制止する。
「だいじょうぶですよ先輩。聖杯抜きならあんなのショボ魔術師ですし」
「!? 何言ってるのよ桜! 桜が・・・ああややこしい! あっちの黒いサクラが使ってるのは明らかに・・・」
「―――Es befiehlt声は遙かにっ」
 怒鳴り声に、黒のサクラの呪文が重なる。
 内容が、重複している。
「聖杯の力よ・・・って・・・アレ?」
 凛の顔に、?マークが浮かんだ。
Esこ、Es befiehlt声は遙かにっ!」
 そしてもう一度。叫ぶように発声された呪文は、またしても同じ文句だ。
「・・・あー」
 一瞬おいて、凛の目が細められる。
「・・・つまり、そういうこと?」
「どういうことだよ遠坂」
 問う士郎に答えず、凛は魔術で強化した脚力で大きく跳躍し、遠坂桜の隣に並ぶ。
「何をしたの・・・!? 大聖杯とのリンクは切れてないのに・・・魔力の供給だけ出来ない!」
 続いてアーチャー、セイバーと彼女に抱えられた士郎が遠坂桜の横に並ぶのを睨み、黒のサクラは苛立たしげに声をあげた。
「ねえそっちのサクラ。一つ質問なんですけど」
 視線を正面から受け止め、遠坂桜はニヤニヤと笑う。
「わたしが・・・ここまで念入りに準備して待ち構えていたわたしが、入り口を物理的に塞いだ程度で大聖杯を放置するとでも思ってたんですか?」
 入り口のある筈の箇所がただの岸壁になっていたのを思い出し、凛は苦笑した。
 成程、深く考えないでぶち破れば中には入れたのかと。
 やっぱり、あの時の自分は、鈍っていたにも程があったようだ。
「あなたがセイバーを使って『この程度の封印わたしには通用しませんからー』とか威張ってたのは玄関のドアみたいなものですよ。本命のセキュリティは、大 聖杯自体にかけておいた方。一定量以上の魔力供給を求められたら発動して、二回目以降は供給先を大聖杯の中に固定しちゃうっていうものです」
 ふむとアーチャーは考える。
 先ほどサクラが放った大魔術がトリガーとなってその迂回術式とやらが発動し、大聖杯から供給された魔力が大聖杯に注がれているという構造か。
 そして、その言葉を信じるなら最初に街へ溢れていた影の獣を生み出した魔力は、大聖杯から供給されたものでは無いということになる。
 正確に言えば、この街の大聖杯ではない。
「暇にまかせて徹底的に複雑な術式にしてありますから、聖杯使いたいなら頑張って解いてくださいね? あなた魔術の腕ヘボそうだけど。すごく」
 ばさっとツインテールの髪をかきあげて笑う遠坂桜を横目に、士郎はなんとなく唸る。
「むむむ・・・なんか遠坂っぽいな。こっちのサクラ」
「なにがむむむよ。っていうかどういう意味よ」
 いえ、深い意味はと逃げる士郎を他所に、黒のサクラはぎしりと奥歯を鳴らす。
「キャスターの魂はわたしが捕らえてるんですよ? 『破戒すべき全ての符ルールブレイカー』を使えばどんなに複雑でも―――」
「ええ、一発で解けますね。でも、それを知ってて対策しないわけないですよね? 洞窟中に散りばめた呪刻の数が九千二百六十八個。全部解呪しない限り術式 は維持されるから、頑張ってね? ちなみに『破戒すべき全ての符』は直接魔術に触れないと解呪できません」
「・・・なんて、性格の悪い」
 呻く声に、遠坂桜はにっこりと満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう。ちなみにわたしとあなたは同一人物よ?」
「ッ…」
 舌打ちを一つしてサクラは気を取り直したように笑う。
「それなら本物の聖杯を使って―――」
「いや、それ出来無くなったからここの聖杯を使おうとしてたんですよね? ヘボ魔術・・・もとい、ちょっと魔術が不自由なあなたにはわからないかもしれな いけど、この世界を構築する結界は内向きのものだったりするのよね」
 淡々と語られる言葉に、ハサンに支えられて塀の上に避難していた言峰は、自分たちの調査結果と照らし合わせて頷く。
「外から入ってくるのはそんなに苦労しないけど、内側から脱出するには相当のスキルが必要になるの。あ、こっちもキャスター頼みでやってみる? 結界もこ の世界の一部だから乱暴に解呪したら全部消えるかもしれませんし、そうなると内側に居るあなたも・・・楽しみですね」
「こ、この・・・」
 言葉で追い込まれ顔を歪める己の敵を、遠坂桜は笑みを消して睨みつける。
「舐めるのはベッドの中でだけにして欲しいわね。わたしはあなただけを想定してひたすら応戦準備に務めてきたの。どれだけの戦力を揃えててもうっかり餌に 食いついた時点であなたの優位性なんてこれっぽっちも残ってないわ。うっかり餌に食いついた時点でね! このうっかり者!」
 一気呵成に叩きつけられた言葉に黒のサクラは僅かによろめき、助けを求めるように左右を見た。
 そこにあるのは、表情無くこちらを見るシロウとセイバーの姿。
 どちらも忠実に、サクラの望んだとおりに、外界の変化を見もせずに彼女の言葉だけを待っている。
「・・・わかりました」
 サクラは搾り出すように呟き、周囲を見渡す。
「ええ、あれだけ待ったのに、こんな終わりではつまらないですよね」
 そう。あんな言葉に惑わされては駄目だ。
 優位なのは自分。現にあいつだってわたしの邪魔をするだけで攻撃はできない。
 声は聞こえている。己の一部となった、世界の全てを呪う声は今も聞こえているのだ。契約がある限り、誰であってもわたしを害する事は出来ない。あの金の 怖い人ですら出来なかったのだ。
「ここでは、今日が2月15日ですよね? あの時のように、わたしは聖杯の前で待ちましょう。0時までにはこの小細工も解けるでしょうから」
 言ってシロウの胸に身体を預けると、力強い腕が抱き締めてくれた。
 彼女の、願い通りに。
「逃げる気!?」
「さっきの魔術の後に供給されて無いなら、影を使っての移動には魔力が足りない筈です!」
 凛の叫びに答え、上空から急降下してくるペガサスの背から士郎の知る桜が叫んだ。
 黒のサクラが忌々しげにそれを見上げるのを見て凛はそれが当たりと判断する。
「OK! アーチャー!」
「了解した!」
「セイバー、行くぞ!」
「士郎はバックアップを・・・!」
 瞬間、双剣を投影したアーチャーが、聖剣を手にしたセイバーが飛び出し、一歩後ろに魔術回路を開いた士郎と凛が続く。
「・・・行きましょう、先輩」
 そして忌々しげに空を睨み、シロウに指示を出すサクラに。
「待ちやがれぇっ!」
 猛々しい声と共に屋敷の壁がぶち破られ、黒い布に包まれた塊が飛んできた。
「―――投影開始トレースオン
「あ・・・」
 第一命令として『サクラの守護』を命じられているシロウは迷わず彼女の身体を離し、飛来物を横へと蹴り飛ばした。
 無言で吹き飛ばされたそれが空中で回転して着地するのを見届けず、手の中に現れた双剣を振るう。
 ガキン、と重い手ごたえと共に、黒い塊を追うように飛び込んできていた赤い穂先を双剣が打ち払う。
「ちっ・・・」
 無論、それを突き込んできたのは屋敷の中から文字通り飛び出してきたランサーである。
 シロウの背後でギンッという金属音。放つは二振りの聖剣。突撃してきたセイバーを黒のセイバーが止めたのだ。
 自分を挟み前後で始まった戦闘にサクラは思考を巡らす。判断に要する時間は一瞬だ。
 彼女の魂に繋がる黒い泥から伝わる壊せ、殺せ、犯せ、償わせろという叫びは心の揺るぎを許さない。精神のノイズを食いつぶす。
「この程度・・・!」
 だから、サクラは躊躇無く髪を留めていたリボンを引き千切って投げ捨てた。
 一瞬だけ生まれた脳内のノイズが、呪詛の声にかき消される。
 髪に蓄えていた予備の魔力を全身の回路に通し、術式を起動。転移にはまだ足りないが、既に控えている魂に体を与える程度ならば造作も無い。
「来なさい!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」
 咆哮とともにサクラの影が膨らんだ。
 地面を突き破るように現れたのは、黒い泥を各所から滴らせる巨人である。
「バーサーカーか!」
 唐突に出現した強敵に思わず喜びの声をあげたランサーを一瞥し、シロウは右腕に備わった戦闘経験の示す道筋に従って身を翻した。
「あ、てめぇっ!」
「■■■■■■!」
 追おうとしたランサーに黒の巨人が襲い掛かる。シロウは構わずサクラの横を通過し、今まさに彼女へ一撃を加えようとしていた銀髪の少女の双剣を払いのけ た。
「・・・その腕は、私のものか」
「――――――」
 アーチャーが言葉と共に打ち込んだ二色の斬光を、シロウもまた同じ色、同じ動きの剣で迎え撃つ。
 その動きは、鏡に映したように同一である。
「桜っ!」
 切り結ぶアーチャーの背後から、赤いコートを翻して凛が飛び出した。サクラに突きつけた指先には、既に黒い光が宿っている。
「姉さんっ・・・! 何度やったところで負けるだけですっ・・・!」
「馬鹿言ってるんじゃないわよ! 前だってセイバーが戻ってこなければアレで終わってたじゃない!」
 叫びざま放たれたガンドは魔力が尽きて防御手段の無いサクラを容赦なく襲い。
「―――させません」
 声と共に上空から降って来た釘剣がそれを吹き飛ばして地面に刺さる。
「ライダー!?」
 見上げた空には黒い戦闘服を着たライダーの姿。
 地に突き立った釘剣に繋がる鎖をその怪力で手繰り寄せ、落下の速度を数倍にして降下する。
 ドンッ、という地響きと共に降り立ったライダーに凛は舌打ちひとつで急制動をかけ、魔力で強化した脚力で背後へと飛びずさった。
「無駄です・・・!」
 だが、逃げるその足よりもサーヴァントの動作は数段早い。
 一挙動で地面から釘剣を引き抜いたライダーは、中途で掴んだ鎖部分を頭上で一回転させて加速し、鋭利な先端を凛へと投げつける。
「このっ!」
 視認すら出来ない速度の投擲に凛は勘を頼りに回避しようと身を捩り。
「遠坂・・・!」
 避けきれないその身体の前へと、士郎が無理やり割り込んだ。十字に交差させて構えられた双剣の中心に、飛来した釘剣が突き立つ。
 無論、彼の目にも釘剣の軌道は見えていない。だが、そこに繋がる鎖は、その長さが故に僅かにだが目に映っていたのだ。
「ぐっ・・・!」
 だが、受け止めた、と思ったその瞬間に右手の干将は中途から砕け散っていた。左手の莫耶は砕けこそしなかったが激突の衝撃に士郎の握力が耐え切れず、後 方へ吹き飛んでしまう。
 経験の憑依を含む鍛錬は確かに士郎に非凡な見切りの技術を与えた。だが、それはあくまでも技術に過ぎない。
 己の肉体を強化することすらできない未熟な魔術師に、ライダーの怪力が作り出した運動エネルギーを抑えるだけの肉体などあるわけが無く。
「がぁああっ!」
 どすっ、と。肉を抉る鈍い音。
 全力を振り絞った防御を打ち砕いた釘剣は、その威力を大きく減じながらも士郎の肩口に深々と突き立ったのだ。
「士郎っ!」
「シロウ!?」
 凛とセイバーの声が響く中、ライダーは釘剣の鎖を引いた
「ぐぁっ!」
 鎖の先端に繋がれた形の士郎は、怪力に踏みとどまれず宙を舞う。為すすべもなく空へと放り投げられた士郎はせめて受身をともがき。

「■■■■■■■■■■■ッ!」

 瞬間、咆哮と共に釘剣と地上のライダーを結ぶ鎖が断ち切られた。
「!? バーサーカー!」
 引き寄せる鎖から解放された士郎を空中で抱きとめたのは、巨大な斧剣を片手に携えた長身の女性だった。
 言うまでも無く、バーサーカーである。
「ゴメンナサイ」
 バーサーカーは着地と同時に言葉少なに謝って士郎の肩口にささった釘剣を掴み。
「ちょ、何を・・・」
 するつもり、と凛が口にするより早く、それを力任せに引き抜いた。
「がぁあああァあああああっッっ!」
 獣のような悲鳴と共に、士郎の肩が爆ぜる。
 皮が、脂肪層が、筋肉が釘剣の刀身に巻きついたまま引き千切れ、噴き出した血と共に投げ捨てられる。
「な、何してんのよ! バーサーカーッ!」
「い、いや、これでいいんだ遠坂・・・」
 いきなりの惨状に青くなる凛に、士郎はかすれた声で首を振った。
 ライダーの釘剣は、調教用の杭でもある。繋いだ獣を逃がさぬよう、一度地に刺されば使い手の意思が無ければ抜ける事は無いのだ。
 刺さる先が肉体であろうと、それは同じこと。
「っ・・・! バーサーカー、しばらく守って! 士郎を治すから!」
 凛の声を遮るように、ライダーは中途から断ち切られた鎖を振るった。
 鞭の如く叩きつけられたそれをバーサーカーは斧剣で弾き、士郎達を背に庇う。
「大丈夫だ遠坂、俺の身体はほっとけば勝手に治る・・・」
 言葉の通り、士郎の肩から流れる血が減っている。
 確かに回復は行われているのだが、べたりとその場に座り込んでしまった身体に、まだ力は入らない。
「周りでサーヴァントが大暴れしてるってのにゆっくり治るの待ってるわけにはいかないでしょ!? 強引にでも短時間で治ってもらうわよ!」
 力なく垂れる士郎の左手の甲を握り、凛は士郎の額に自分の額をあてた。
「と、遠坂?」
「原理がわからないけど、とにかくセイバーとの繋がりで回復するんだから、わたしが士郎と同調してパスを強化する!」
 痛みに耐える事にかけては超一流の見習い魔術師の、既に苦痛より照れの色の濃い顔を至近で見せつけられ、凛は跳ね回りそうな心臓を呼吸二つでなんとか沈 める。

 落ち着けわたし。そのうちもっとすごいことすんだから。


13-7-2  その男の生き方(新たに)

■衛宮邸 門側塀上

 一方。
「・・・他のサーヴァントは黒いのに、ライダーだけ同じ格好なのね」
 バーサーカーの背に庇われて蹲る二人に心臓を潰されそうなほどの不安を感じながら、桜―――凛と共にこの家ですごした桜は呟いた。
 一度は上空に避難していたのだが、今は塀の上におろしてもらってハサンが抱えていた言峰を受け取ったところである。
 視線を受け、僅かに俯いたライダーは中庭の中央でバーサーカーと戦っているサーヴァントに視線を向ける。
 自分と寸分違わぬ容姿をした、ライダーのサーヴァントを。
「はい。あちらのサーヴァントの中で、ライダーのみが敗退していなかったので、ああなっています」
「詳しいこと聞きたいけど・・・」
 桜は言葉を区切り、ふぅと息をつく。
「今はそんな場合じゃないから、後で教えてね」
 その声は、戦場の恐怖に僅かに震えてはいるが、疑いの色は無い。
「はい。あちらの、黒髪の桜と共に、後ほど必ず説明します。サクラ」
 故に、ライダーはその信頼に頭をさげてから戦場に向き直る。
「わたしは言峰さんと一緒にバゼットさんたちを治療しに行くから!」
「了解しました。途中で降ろしたバーサーカーが追いついているという事は、おそらくイリヤスフィールもそこに居るはずです」
 うんと頷き桜はハサンに目を向ける。
「ハサンは・・・」
「一緒にいくです。左腕が使えない状態ではまともに戦力にはならないで―――」
 言葉が、轟音で途切れた。
 思わず目を向けた桜は、自分と同じ顔の魔術師がどっかんどっかん撃ちだす光の白刃を、いつのまにか上空に現れていた白髪のキャスターがレーザー状の魔力 砲で撃ち落す様に喉で唸った。
「ああいう派手な魔術は間桐の属性じゃないような・・・っていうか、あれは誰なんですか? わたしと同じ顔の人、多すぎませんか・・・?」
「そう言われると、肩身狭いですぅ・・・」
 同じ顔メンバーズの一人であるハサンはしょぼんと眉をさげ、ぶちぶちぼやく桜を動く方の手で抱えて塀から飛び降りた。
「言峰さん、降りれますか?」
「うむ。問題ない。胸の穴から泥は漏れてるが」
 それは問題あるんじゃないかなあと桜は思うが、実際にひらりと飛び降りられた以上、口は出すまいと決める。まあ、何かあったらその時はその時だ。
 塀の向こうから聞こえる爆音や剣戟の音に不安をかきたてられながら、桜は門へと走り出した。その後ろを言峰とハサンが追いかける。
「サクラ!」
「イリヤちゃん!?」
 はたして、たどり着いた門前には倒れ伏したバゼットと佐々木、そしてイリヤスフィールの姿があった。
 佐々木は背中に突き立った見慣れた短刀もそのままにうつ伏せに寝かされており、右腕を失ったバゼットの傷口を、イリヤは必死に布で押さえている。
「お、お母さんっ! お母さんに剣がっ!」
 血の気の失せた顔で微動だにしない佐々木にハサンは真っ青になって飛びついた。
「イリヤちゃん! 復元の魔術を・・・」
「ごめんねサクラ・・・今のわたしは自分を維持するだけで精一杯で・・・血を止めるくらいしかできないの」
 悔しげな顔に桜は疑問を後回しにし、倒れた佐々木の傍らに膝をつく。
「あ、あまり得意じゃないですけど、復元魔術を使います。ハサンちゃんは合図に合わせて剣を抜いてください・・・!」
「は、はいです!」
 頷きあう二人を横目に、言峰は全身の軋みを顔に出さぬよう意識の底に押し込め、無造作にバゼットの右腕を拾い上げた。
「―――10分だ。間桐桜」
 言い置き、イリヤをどかせて妻の身体に腕を押し当てる。

 ・・・言峰綺礼は、人でなしである。
 血を大量に失い、常人なら既に生命に関わるようなダメージを受けている妻に対してすら、真っ先に感じるのはこうなるならば自分の手で殺してみたかったと いう感慨だ。
 隣に転がっている女にしても、幽体としての属性が強いあの身体ならばこの程度のダメージでは死なないだろうという判断と共に、その体質を活かせばどれだ け彼女を嬲れるだろかと食指が動いている。
 だが、言峰は即座に回路を開く。術式を展開する。令呪を解き、足りぬ魔力を補強する。
「10分でバゼットを治療し、続きそのサーヴァントの補修に入る」
 聞こえるのだ。
 怪我人を前に不謹慎な事を言うなと、助けられる技術があるのだからさっさと助けるべきだと怒鳴る声が、いつものように。
 繊細で複雑な構成を機械的なまでの正確さで組み上げながら、言峰綺礼は記憶の声に頷いた。
 彼の妻なら、冷静で冷徹な執行者の殻の中に少女じみた幼い心を押し込めた彼女なら、こんな時にはそう叫び、さっさと治療してやれと殴ってくる筈だ。怪我 人を増やしてどうする。
 故に、全力だ。
「すごい・・・姉さんだってこんなスピードは無理・・・」
 桜の驚愕を聞き流す。
 傷口の復元、ハーブを併用しての代謝能力の増強、神経の結合と次々にこなしていく。

 ・・・言峰綺礼は、人でなしである。
「ふむ。わざと前後を逆に繋いでみたら面白いかもしれんな・・・」
(遊んでないで早く治しなさい変態っ・・・!)
 しかし、外付けの良心回路を込みで言うならば。

 言峰綺礼は、優秀だが性格が悪い、ただの夫である。


13-7-3  その男の生き方(変わらず)

■衛宮邸 門側塀上

 塀から降りる桜を背に、ライダーは戦場を見渡した。
 セイバー同士の戦いは互角、アーチャーとシロウはアーチャー優勢。
 ライダーとバーサーカーは、バーサーカー側が背後の凛と士郎を庇っているので膠着している。逆に黒バーサーカーと戦うランサーは奥の手であるルーンを傷 のカバーに使ってしまっているが故にダメージを与えられず、攻めあぐねているようだ。
(この状況なら、狙うべきは・・・)
 中庭に飛び降り、空を見据える。視線の先には、巨大な魔法陣を背に光柱を投げ下ろしている黒のキャスターの姿。
 決着を付けるのに必要なのは、サクラの排除だ。だが、アンリ・マユと契約している彼女は、肉体へのダメージを即座に癒してしまう。
 あのギルガメッシュですら仕留めそこなった相手を、ライダーが仕留められる可能性は、低い。能力的にも、心情的にも。
 彼女を解放できるのは、彼女自身だけだ。遠坂桜を・・・キャスターと砲撃戦を繰り広げている遠坂桜の手を開けられれば、状況は変わる。
 中庭へ駆け出す。こちらの意図に気付いた遠坂桜がポケットから取り出した宝石を口の中に放り込んだ。
Es last frei解放Eilesalve一 斉射撃ッ!」
 呪文と共に放たれた光刃は連続して五つ。
 三つ撃った時点で使い果たした魔力を宝石を噛み砕いて再チャージしてまで放った大魔術を。
μαχιαマキア―――」
 黒の魔女は、嘲笑と共に振り下ろした杖で迎え撃った。
 天を舞う彼女の背後に広がる魔法陣は力ある言葉に答えて光を放ち。
ΕκατηгΓΛΑιαヘカティックグライア!」
 雨のように降り注ぐ光弾が、遠坂桜の光刃を全て同時に粉砕する。
「この時代の魔術師にしては中々ね・・・でも、それだけよ?」
 ニタリと魔女は笑った。神代の魔術師の力は、現代において最高峰に達する魔術師の全力ですら、歯牙にもかけない。
 その差は、最初からわかっていた事。
「覚悟を・・・!」
 故に、光刃の魔術は目くらましに過ぎない。
 派手な魔術を正面から打ち破ってみせるという実力誇示の誘惑にかられた黒の魔女の意識は、数秒とはいえ遠坂桜にのみ向けられていた。
 ひと跳びで彼女の浮かぶ高度までたどり着ける距離までライダーが接近するのに十分な時間を、与えてしまっているのだ。
「!?」
 空中の魔女がこちらに気付き杖を振りかざす。だが、遅い。
 先ほどロストした釘剣はまだ再生できない。だが、相手がキャスターのサーヴァントであるならば、武器はこの腕だけで事足りる。
 握った拳がギリギリと軋った。魔獣としての属性がもたらす怪力のスキルによって上昇した彼女の筋力ならば、ひと殴りで魔女の頭蓋を破裂させられる。
 狼狽の表情を見上げ、ライダーは奇襲の成功を確信して地面を蹴り。
「――――――!?」
 いきなり周囲の全てが闇に閉ざされた。
 状況の掴めぬ浮遊感が全身を支配し、一瞬置いて後頭部が燃えるように熱くなる。立っているのかいないのか、上下すらさだかでない混乱の中。
「しっかりしてねーちゃん!」「お気をたしかにですねぇ」
 両の耳に同時に伝わった声と共にグルリと全身が回転した。同時、鋭い風切り音。
「っ!?」
 そこまで来て、ようやく周囲に風景が戻る。ライダーは、自分が気絶しかけていた事を理解した。
 覚醒と共に、後頭部の熱さが痛みに変わる。頭蓋がきしむ。身体は、踏み切ろうとした場所から真横へ飛んでおり。
「あ、目を覚ましたよ、まゆ!」
「ええ、おはようございます〜」
 意図せぬその動きは、両腕を掴んだ黒衣の少女たちの手によるものである。
 ライダーは数メートルの跳躍を経て、なんとか自力で着地する。両脇に音も無く降り立ったあんりとまゆは、そのまま厚みを失ってくしゃりと影となり消えて しまった。
「・・・追の蛇は逃れたか」
 そして、視線の先。魔女へ飛び掛ろうとした、まさにその場所に佇むスーツの男。
 名を、葛木宗一郎と言う。
「ありえない。何故、貴方が・・・」
 相手があの男であるというのならば、先ほどの一撃は『蛇』と呼ばれる彼特有の打撃によるものであろう。それはわかる。わかるが、ありえない。
 葛木は魔術師ではない。魔力を生み出すことは出来ず、魔力の蓄えなどなく。
 それはつまり、この街には留まれないという事だというのに。
「ふふふふふ・・・あははははっははははっは!」
 頭上の魔女は、断続的に魔力弾を撃ち出して遠坂桜の足を止めながら高らかに笑う。
「何故ですって? 自分たちで組んだ術式でしょうに!」
「っ・・・改めて呼んだ、わけですか」
 ライダーは蜘蛛のように姿勢を低くし、葛木に顔を向ける。
「理解しているのですか? アレは・・・」
「あれは、キャスターだ。それ以外のことに、興味は無い」
 言い捨てて構えを取る葛木の表情からは、一切の意志は読み取れない。
 以前会った時には微かに感じ取れた感情も意志も、人間らしい何もかもが消え去っている。
「・・・まさか、精神拘束ギアスをかけて いるのですか。キャスター」
 問いに、キャスターの美貌が歪む。
「一時の、事よ。今は説明している余裕がないだけ」
 その表情は、悲しみか、それとも。
「ええ、決まってるわ。ちゃんと説明すれば、きっとわかってくれる・・・宗一郎様!」
「―――ああ」
 上空の魔女から注がれる力を身体に受け、葛木宗一郎は地を蹴った。


13-7-4  血は語る

■衛宮邸 中庭

 アーチャーは新たに始まった戦いに一瞬目をやり、それを意識の外に押し出した。
 葛木宗一郎の戦闘技術は極めて高い。キャスターから強化の魔術を受けているのならば、尚のことだ。
 ライダーがすぐにも敗北するとは思わないが、そう簡単に勝利できる筈もなく。
「サクラ! 乗ってください!」
 それはつまり、敵ライダーの声を受け降りてきたペガサスへよじ登るサクラを、誰も止められていないという事だ。
 黒のサーヴァント達を幾人倒した所で、アンリ・マユの契約者たるサクラを止めなければ、何の意味も無いというのに。
「ちっ・・・」
 間断なく撃ち込まれる斬撃をさばきながらサクラの背に双剣を投擲できないかと視線を動かすが、その度にシロウは立ち位置を変えてくる。こちらの狙いを絶 妙に邪魔する場所へとだ。
 率直に言って、アーチャーは攻めあぐねていた。
 純粋な英霊の肉体を持つ自分と英霊の血肉に侵食されている人間でしかないシロウでは、地力に大きな隔たりがある。本来なら容易に下せる相手の筈だ。
 しかし、アーチャーの戦闘スタイルは相手の隙を撃つもの。
 自分よりも強い相手と戦う事が常であった為、わざと弱点を作ってそこへ相手の攻撃を誘い込み相性のいい武器で迎撃して勝ちを拾う事に真骨頂がある。
 その観点で見ると、この相手はまさに天敵だ。
 現に今も、十に届くフェイントや囮は全て見抜かれ、正面からの斬りあいをだらだらと続けている状態だ。
 右腕。
 あまりにも正確にこちらの動きを模倣してくるこのシロウの右腕が、自分の―――アーチャーの英霊エミヤのものである事は、間違いない。
 おそらくシロウは自分の能力や経験ではなく、その腕から引き出した戦闘技術や投影魔術で戦っている。
 身の丈に合わぬそれの代償に肉体を崩壊させ・・・そして、寄生したアンリ・マユがその傷を再生させることで存在を維持するサイクルにあるのだろう。
 同一の技術、同一の経験を持つ以上、あらゆる詐術が効かないのも道理。
 故に。
「――――――」
 アーチャーはシロウの背後に視線をやり、頷く。
 ペガサスの鞍に跨ったサクラが飛び立つまで目算で5秒。矢の届く距離から離脱されるまで、騎手を欠いた状態でも10秒程度。
「それで十分だ・・・!」
 声と共にシロウの剣を押し返し、そのまま数歩分バックステップ。退きざま、アーチャーは両の腕を振るう。
「・・・・・・」
 シロウの目に、一直線に迫る白い輝きが映った。
 干将と莫耶。その双剣を相手取るにあたり注意すべきなのは、引き戻しの存在である。
 迂闊に受けてもかわしても視界の外に出たところで引き戻しが行われ、奇襲を受けることになる。
 だが干将莫邪は自在に操れるというわけではない。あくまでも『引き戻し』だ。双剣の片方を片方へと引き寄せる事しか出来ないのだ。
 故に、行うべき防御は剣そのものの破壊か足元への叩き落し。そして、消滅していない間は視界から外さない。この二点を徹底すれば、当面の対応は可能だ。
 真っ直ぐ顔面へと投げつけられた白の刃を強化された両眼で捉えたシロウは両の双剣でそれを足元に叩き落し―――そして、その後ろに隠れていた短剣が姿を 現す!
 アーチャーは投擲の際、両腕を・・・干将と莫耶を握っていた両腕を振るっていた。しかし、シロウの目に映ったのは白い軌道一つきり。
 ならば今、アーチャーの両手が空になっている事は何を意味するのか。投げられなかった黒の刃はどこにあるのか。
 その答えが、この隠し撃ちだ。
 双刀を両方投げると見せかけ、片方は投げずに投影を解除する。
 左手で白の刃を投擲し、同時に右の手で行うのは、呪文無しの瞬間投影で作り上げたダークの投擲である。
 シロウはエミヤの記憶を元に、アーチャーの行動を先読みできる。
 だがそれは、アーチャーにもシロウの行動を先読みできるという事である。
 干将と莫耶を投擲した際に注意を配るべきは引き戻しだ。故に、もし自分がこの武器の使い手と戦うのなら、視界の外に出さないよう掴み止めるか足元へ叩き 落す。そうでなければ打ち砕く。避けるという選択は無い。
 だからこそ、アーチャーは回避されない事を前提に、干将の影にダークを隠したのだ。
 だが。
「――――――」
 シロウは両の双剣を打ち下ろした勢いのまま身を捩り、喉へ迫ったダークを危なげなく回避した。
 彼が右腕から引き出しているエミヤの戦闘技術は、先を読まれている事を前提とした策でさえも、更に読み切ってしまう。
 これは、攻守が逆だとしても同じこと。
 アーチャーとシロウが戦い続ける限り、どちらの刃も相手に届くことは無く。

「―――来い!」

 故に、アーチャーの声と共に背中を襲った衝撃に、シロウの思考は停止した。
 背後に通過したのはただの短剣だ。引き戻しを可能とする干将莫邪ではない。
 だが、確かに今、自分の背中にはその刃が突き立っている・・・!
「・・・!」
 肉体の損傷は軽度。しかし回避の為に身体を捻った直後の背中に刃を受けたその衝撃はバランスを崩すには十分だ。シロウは、前のめりに姿勢を崩してしまっ た。
「命令すんじゃねぇっつうの」
 そして、立ち直ろうとする直前、一瞬だけ見えた背後の光景。
 十メートルを隔てて黒の狂戦士と戦っていたランサーが、大きく槍を振るった姿勢から斧剣を回避する姿。
「これは読めなかっただろう?」
 肉薄したアーチャーが再装填した干将と莫耶をこちらへ振り下ろすのを見てシロウは理解した。
 投擲されたダークは、シロウが回避した事によりその背後へと飛び去った。
 背後―――その眼に映る全ての弾道を掌握する、神槍の英雄の元へ。
 ダークの投擲から槍の柄で打ち返されてシロウの背に突き立つまで秒とかかっていない。
 アーチャーがシロウの背後で戦っているランサーがこちらを見ているのに気付いてからこの流れへ持ち込むまで、一つの遅延も無い連携であった。
 シロウの持つ『エミヤの腕』は、アーチャーの戦闘技術を全て見切る。
 だが、それは英霊エミヤの経験だ。
 ただの一度も理解されなかったその男の経験には、ランサーとのコンビネーションという選択肢は無い・・・!
「・・・!」
 両の脚を大きく広げて姿勢を持ち直したシロウは、アーチャーの双撃を防ぐべく己の双刀を振り上げる。
 技術は同一。本来大きく劣る肉体は黒き泥の侵食で補強され、筋力に劣るアーチャーにならば正面から対抗できる程度の性能を持つ。
 故に、二対の刃はシロウ劣勢ながらも食い止められて均鍔迫り合いとなり。
「チェックメイトだ・・・!」
 アーチャーの双剣が、長刀と呼べる規模に再投影された事でその近郊が崩れ去った。
 厚みと重さを増した干将を左の腕は刃の半ばまで断たれながらも受けてみせたが、右腕―――ダークを被弾した右の肩は耐え切れず、パキン、と軽い音を立て てシロウの刃がへし折れる。
 遮るものの無くなった莫耶の長剣オーバーエッジは 勢いのままシロウの肩へ食い込み鎖骨を断ち、胸骨を砕いて胸の半ばまで一気に埋まり。

「―――『偽り写し示す万象ヴェルグアヴェスター』」

「何ッ・・・!?」
 突如生まれた激痛と共に感覚を失ったアーチャーの右腕が、剣を握れずぶらりとさがった。
「これは、読め、なかっただ、ろう?」
 返される言葉もまた繰り返し。
「ぐっ・・・!」
 アーチャーは強烈な痛みを堪えて呻く。左の刃はシロウの身体に食込んで引き抜けず、右の刃は握力を失った指からこぼれた。
 判断は一瞬。無事な左手を柄から離し、即座に次の干将を投影。
 シロウも同様に破損した剣を捨てるが、彼の左腕は次の剣の投影を認めない。
 シロウの投影は、アーチャーのそれと同一ではない。速度で劣るのだ。次の剣を投影するより早く斬られると左腕に刻まれた戦闘経験は告げ。
「――――――」
 故に、繰り出されたのはアーチャーの投影よりも早い唯一の攻撃。つまり、左の拳による胸郭の殴打だ。
 決定的にはならなくとも威力次第では呼吸を圧迫する事で魔術を妨害し、無防備な相手であれば心臓そのものに打撃を浸透させる事で気絶させる事すらできる 一撃。
 だが。
(無駄だ)
 アーチャーは、胸の中心へと迫る一撃を、避ける事無く敢えて受ける。
 纏った戦闘衣は主に対魔術を想定した拵えだが、物理的な防御力が無いわけではない。
 人間以上であってもサーヴァントとしては最低級のシロウの筋力では。
「っ・・・!」
 軽い衝撃と共に、ぐちゃりと鈍く湿った音が響く。
 シロウの、左手が潰れる音である。
 五指が潰れ折れて骨をあちこちから飛び出させ、手首も衝撃に砕けた。
 アーチャーは構わず短刀をシロウの頭へと振り下ろし―――

(□□□□□□□□□□□□□□□□)

 脳裏をよぎった言葉が、全身から力を奪った。

(□□。□□□□□□□)

 刃を握ったまま、アーチャーの身体は地に倒れる。
 その首筋に、小さな傷。
 潰れた腕を無理やり突き込まれ、手首から飛び出した骨の欠片が僅かに皮膚を裂いただけの傷。
「黙れ・・・! 私、は・・・」
 かすれた叫びと共に動かなくなったアーチャーを見下ろし、シロウは身体の再生を開始した。
 背後には、しきりに何かを叫ぶ槍の英霊。
 頭上には、飛び立ったペガサスと彼の主が居る。


13-7-5  決着

■衛宮邸 中庭上空

「ふふ・・・頼もしいです。先輩」
 ペガサスに横座りに乗ったサクラは、倒れ伏した赤い衣装の少女とその傍らでこちらを見上げるシロウを眺めて笑みを浮かべた。
 一緒にこの仔に乗れなかったのは残念だが、自分以外ならいくらでも回収する手段はある。
 このまま飛んでいけばわたしの勝ち。
 馬の乗り方なんてわからないけど、ライダーの乗騎であるこの仔なら掴まっていれば勝手に連れて行ってくれるのだ。
「頑張ったのに、残念でしたね? 努力が無駄になる気持ち、少しは―――」
 呟くサクラを背に載せペガサスが両翼を振るった瞬間。



「AAAAAAAAAAAAALaLaLaLaLaieっ!!」


 心底楽しげな声と共にサクラは宙に投げ出された。
「!?!?!?」
 空中でぐるぐると回りながら落下するサクラの目に映るのは、横倒しになって吹き飛ぶペガサスと、同じくペガサスに乗った制服姿の少女の姿。
「ライダーが一人だけだと思うなって感じだよっ!」
 ぶいっ! と二本指を突き立てた少女はペガサスの手綱を引き、体勢を立て直したもう一頭へと追撃をかける。
 落下したサクラは為す術なく地面に叩きつけられた。全身に衝撃が走り骨が数箇所砕けたが、すぐにアンリ・マユが継接ぎし、再生する。
「く・・・」
 苦悶の表情で慌てて起き上がったその視線の先に。
「士郎!」
「ああ。わかってる・・・!」
 破けた服越しに傷の消えた肩を覗かせる士郎と、あの女の姿―――


投影開始トレースオン !」
 詠唱と共に士郎は駆け出した。
 背後にぴったりと着いてくる凛の気配を感じながら、慎重に設計図を組み上げる。
 サクラの身体はアンリ・マユと繋がっている。それがある限り、どのような傷も彼女を止める事は出来ないし、士郎としても彼女を斬り倒すような事は出来な い。
 故に構成するのはアンリ・マユとの契約そのものを斬る刃。
 真名は、『破戒すべき全ての符ルールブレイカー 』。


「―――投影完了トレースアウト
 サクラの元へ直進する二人を遮るべく、シロウは右手に莫耶を投影した。
 肩から胸にかけて断ち切られた傷は背中の刺し傷ごと修復が終わっているが、左手そのものはエミヤの物で有るが故にアンリ・マユによる復元が効かない。神 経の接続が間に合わず動きが鈍い。
「止、まれ」
 しかし片手しか使えずとも、侵食強化された身体は生身の士郎を大きく上回る。人外の脚力で地を蹴ったシロウは秒と経たずに二人へ追いつき―――

Ατλασアトラス っ!』

「!?」
 その身体は見えざる手によって地面へと押し付けられた。
「この時を待ってたんだもん!」
 屋敷から聞こえる声と迸る魔力の渦。同時発動したいくつもの圧迫の魔術がサクラの周囲のサーバントの動きを封じ込めたのだ。


「上出来だ!」
 僅かに動きの鈍ったバーサーカーの一撃を潜り抜け、ランサーは魔槍に魔力を込めた。
 士郎が仕損じた時の汚れ役は、自分が丁度いい。


「割り込む・・・!」
「逃がしません・・・!」
 その対魔力によって魔術を跳ね除けた黒のセイバーは、サクラの元へ向かおうとした足を止めて、士郎のセイバーの一撃を打ち払う。
 背を向ければ一刀両断に断ち斬られると、直感が告げていた。


「サクラ・・・!」
「逃ガサナイ・・・!」
 対魔力によって抵抗しつつも完全に効果を消し去れず動きを鈍らされたサクラのライダーは、間髪入れずに肉薄したバーサーカーに足を掴まれ、宙へ引き抜か れた。
 そのまま半円を描くように地面へ叩きつけられ、苦鳴と共に肺から空気が押し出される。


「世話のやける・・・きゃぁっ!?」
 下界の混乱に舌打ちした黒の魔女は屋敷に同化しているのであろう己の写し身を燻し出そうと宙に陣を描いたが、密度を増した遠坂桜の魔術砲撃に集中を乱さ れ、慌てて防壁を強化した。


「この・・・」
 そしてサクラは、体中の骨を肉を砕き押し潰そうとする圧迫にギリギリと歯を食いしばりながら叫んだ。
「馬鹿にしないで・・・!」
 纏った黒いドレスの裾から一斉に飛び出した触手が周囲の魔力を食い潰す。彼女の魔術は、吸収を主とする。
「っ、く・・・!」
 地に着いた触手に持ち上げられるようにしてサクラは立ち上がった。
 周囲の下僕は、誰も動けない。
 シロウは地に伏せもがいていて、防壁は無く、そして―――
「桜! きついのいくから歯を食いしばれ!」
 そして、奇怪な短剣を―――契約破りの宝具を手に、士郎が最後の一歩を踏み切って。


「・・・やっと気を抜いてくれました」

 サクラの顔に、ニタリ、と笑みが浮かんだ。
「っ・・・!」
 士郎は、その視線がどこへ向いているかに気付き顔を歪める。
 サクラの眼は自分を通り越し、背後の凛をも通り越し―――遠く塀の上で魔術を行使している遠坂桜に、注がれている!


「・・・え?」
 とんっと背中に触れた感触に、遠坂桜は小さな声を漏らした。
 首だけで振り返ると、そこに押し付けられたのは赤い手のひら。
 そして、数メートルにわたるその長い腕の持ち主である、髑髏の仮面を被った黒衣の暗殺者の姿。
 
「―――『妄想心音ザパーニーヤ 』」

 呟くような真名の詠唱と共に引き戻された手のひらに乗せられた、とくりとくりと動く鮮やかな赤を、自分自身の心臓を眺め遠坂桜は苦笑した。
「・・・やば、うっかりした」
 ぐちゃりと小さな音。握りつぶされた心臓。
 シャイターンの腕は鏡像を現実に変える呪詛の腕。
 遠坂桜の豊かな胸の奥で律動する心臓は、誰が触れるとも無く潰され機能を停止した。


「っ・・・!」
 士郎は躊躇する。
 今振り返ったところで、遠坂桜に何か出来るとは思えない。
 この腕を振り下ろせばサクラに届くという時に、無駄な動作を挟むべきではない。
 だが。だが、彼女は、士郎の命を守ってくれて―――誰かを守ろうとする自分が、その彼女の危機を無視して―――
 迷いは刃を鈍くする。
 頼りなく振り下ろされた刃は体術を学んでいないサクラでも回避できる程に遅く―――
「士郎っ!」
 瞬間、士郎の手を小さな、しかし力強い手のひらが包み込みんだ。
 背中に覆いかぶさるようにぶつかってきた暖かさは、凛のもの。
「遠坂・・・!」
 呼び返すと共に士郎の腕に力が蘇った。
 凛の手だけに責任を押し付けない為に、シロウは破戒の刃を振り下ろし。

「残念でしたね? 先輩―――」

 楽しげな声と共に、サクラの姿が掻き消えた。
「な・・・」
「っ・・・!」
 空振りした腕に引きずられて姿勢を崩しかけた凛を支え、士郎は地面を見据える。
 さっきまでサクラが居たその場所には、もう何も無い。
 その身体は、彼女の影の中に消え去った。
「あの子・・・転移するだけの魔力が残ってたの・・・!?」
 凛は士郎に抱えられたまま歯噛みする。
 リボンを解き、髪の予備回路に蓄えていた魔力を開放した時には凛もそれを警戒していたのだ。
 だが、実際に使われたのは転移でも影の腕の魔術でもなく、サーヴァントの生成。あの状況で使わなかった以上、不可能なのだと思い込んでいた。
 サクラの魔術は『吸収』であり、直前にキャスターの重圧の魔術をそれで破っているのを見たというのに!
「あははははははははは! Τροψαッ!」
 呆然とする二人と倒れて動かぬ魔術師にひとしきり哄笑を放ち、黒の魔女は高らかに呪文を唱えた。
 途端、黒の巨人の、剣士の、暗殺者の、そして魔女自身の姿が、音も無く消え去る。
 どこへ転移したのかは、もはや確認のしようが無い。
「く・・・」
 凛は唇を噛んだ。
 負けだ。
 前回に続く、完全なる二連敗。それも、これだけの戦力があっての。
 悔しさに凛はその場に立ち尽し。
「遠坂! 行くぞ!」
 士郎に強く手を引かれてつんのめった。慌てて足を前に出し、走ることで転ぶのを耐える。
「し、士郎!?」
「あっちの桜が倒れた・・・!」
 振り向かず走り続ける士郎の背に、凛は心の中で思いっきり自分の頬を張り飛ばした。
 そう。まだ何も終わってなどいない。
 この場も、そしてサクラとの戦いも。
「急ぎましょう・・・!」
「ああ・・・!」
 繋いだ手を握り直し、二人は全力で走り出した。



「―――結局、何もしなかったか」
 眼下の戦いが集結したのを見届け、ギルガメッシュは乖離剣を降ろした。
「ふん、このような雑な戦いにこの我が手を下す価値は無い」
 黒の英雄王はパチンと指を鳴らすと、飛来した金色の船に飛び乗る。
「わかっているな、贋物。我らの戦いは―――」
「相応しい舞台で、相応しい時に、だろう。贋物め」
 その言葉にふんと鼻を鳴らし、黒の英雄王は飛び去った。
 後に残るは、戦闘の爪あとが残る屋敷と、慌しく走り回る魔術師達。
 

「おい! しっかりしろ桜ッ!」
 駆け寄ってきた士郎の声に、遠坂桜はゆっくりと眼を開けた。
「ふふ…肝心なところで失敗するのは遠坂家の遺伝形質ですから…気にしないでください。先輩」
 かすれるような声でそう告げ、ポケットから取り出した宝石を自分の豊かな胸に押し込む。
「それ・・・」
 柔らかな肉に沈み込んでいくと共に、白い顔に僅かにだが生気が戻った。震える腕で身を起こし、凛に眼を向ける。
「安心してください、姉さん…」
 遠坂桜は、幾分だがはっきりしてきた声でそう告げ、微笑んでみせた。
「胸のサイズが女としての魅力の全てじゃありませんから」
「ほっといて頂戴! …って言ってる場合じゃないでしょう!? そもそも…あなた何者なのよ。今の宝石―――」
「ええ、姉さんと同じ遠坂の魔術です。同じだけど…ちょっと違うんですけどね」
 立ち上がろうとした遠坂桜の顔がぐっと歪んだ。
 よろめいたその身体を翔ぶように駆けてきたライダーが素早く抱きとめる。
「・・・ありがと、ライダー」
「いえ」
 ライダーは言葉少なに応え、首を振る。マスクに覆われたその顔からは表情が伺えない。
「気にしないでいい。主従のよしみです・・・元、が付いてしまいましたが」
「…最初に言ったでしょ? 忠義は本当のマスターにって。ある意味わたしの命を護ってくれたわけで、嬉しいかな」
 長身のライダーによりかかるようにして遠坂桜は立ち上がった。
 長い黒髪を揺らし、次々に集まってくる魔術師やサーヴァントに笑みを浮かべる。
「はじめまして、もしくはお久しぶり。色々言いたいことはあると思うけど今は聞く側に回ってください」
 体の中でぐずぐずと肉体が崩れていく感触を苦労して無視し、遠坂桜は深呼吸をする。
「喋れるうちに全て伝えます。この箱庭で行われた人形劇の舞台裏を」


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