13-8 幻
想庭園 13-8-1 13:15 魔術師は箱庭の構造を語る 敗戦から30分後。 起き上がれる面々は、ざっとではあるが修復されて落ち着きを取り戻した居間に集まっていた。 「バゼットさんの具合は?」 「うむ・・・」 凛の問いに、言峰は重苦しい表情で頷く。 「いつも通り、締りの良い名器―――」 「黙れって」 瞬間、ランサーが全身全霊の拳でもって言峰の顔面を打ちぬいた。 ガリュっという聞きなれない打撃音と共に、長身が背後へと倒れる。 「・・・めいきって?」 「気にすんな。嬢ちゃんにはまだ早い」 「―――バゼットさんの容態は安定しています」 ランサーの言葉が理解できず眼をしばたかせる姉に、桜は顔色一つ変えず説明を引き継いだ。 「ただ、神経縫合が完全ではないので、ちゃんとした設備で修復するまで対サーヴァント戦力としては期待できないそうです」 心の中で、カマトトぶりやがってとかちょっと思っているのは秘密だ。 「・・・お待たせ、いたしました」 「お茶淹れたですぅ」 微妙な空気の中、台所から盆を持って戻ってきたのは佐々木とハサンである。 「あ、言ってくれたら俺がやったのに・・・」 士郎は立ち上がり盆を受け取ろうとしたが、やんわりと断られた。 「いえいえ、これはわたくしの仕事ですから」 「グッサリいったらしいが、大丈夫なのか?」 ランサーの問いに頷き、佐々木は優雅な仕草でお茶を各人の前へと置く。 「元々、霊としての属性が強いので肉体の損傷には強いんです。少し魔術で補強もしていただきましたし、痕も残っていませんよ」 「ちなみに、ハサンも全快ですぅ」 よかったと頷き、士郎は居間に集まった面々を確認する。 彼の両脇に凛とセイバー。凛は手持ちの宝石が尽きたと嘆いていたが、体調は万全。セイバーもまた、無傷である。 鷹揚に湯飲みを受け取るギルガメッシュも無傷。隣でいつものとまた違う制服を着ているイスカンダルも、ペガサス同士で揉み合った際に多少擦り傷や打ち身 を作った程度だ。 「あんたこそ、胸の傷はどうなったのよ」 屋敷に溜め込んだ魔力はかなり減ったらしいが本人はいたって元気な大人ボディのキャスターに問われ、あぐらをかいて座ったランサーはガシガシと頭をか く。 「完全には塞がらなかったが・・・まぁ傷が残っててもオレの槍は鈍らねぇよ。根性の足りねえあの馬鹿とは違うからな」 「・・・アーチャーか」 苛立たしげな言葉に、士郎は客間の方へ視線を向ける。 敵側のシロウが放った無謀な拳によって原因不明の昏倒状態になったアーチャーは、今もまだ眼を覚ましていない。 外傷は微々たる物であるし、呪詛の類もないと言峰が断言しているのにも関わらずだ。 「起きないものは仕方ないでしょ? シロウ。今はサクラの話を聞かなきゃ」 「がぅ」 お姉さんっぽく指など立てて言ってくるイリヤを膝に乗せ、バーサーカーも頷く。 一度は使い切るところまで行った命のストックは、現段階でも殆ど回復していない。そして、今のイリヤには回復を早める手段が無い。 剣腕、身体能力共に最上位とはいえ、戦力としては壊滅的な被害だと言えよう。 「そうだな・・・桜、ええと、遠坂の方の桜は?」 ライダーと共に少し離れた所に座っていた桜は、士郎の問いに口を開きかけ。 「ここに居るぞー!」 すぱんっと開いた襖に遮られてその口を閉じた。 「ちなみに今のは、馬岱の真似ですよ先輩・・・!」 「自分で自分のギャグを説明するほど寒い事はありませんよサクラ。あと、私は魏延さん贔屓です。馬岱は許しません」 主に無双的な仮面つながりで。 「桜・・・身体、大丈夫なのか?」 食卓の向かい側に座った遠坂桜に士郎は声をかける。 「はい、先輩。とりあえず説明キャラの使命は果たせそうです。でも、肝心の決戦への参加はちょっと無理そうですね」 「説明だけで十分だよ。無理はしなくていいから」 安心した風の士郎に、遠坂桜は心の中で手を合わせながら笑う。 ごめんなさい先輩。 わたしの余命、あと5時間くらいです。 「さて・・・何から説明したものでしょうか。そう、姉さんが斬られたあたりから・・・あ、佐々木さん、お茶もらえます? あとライダー、おせんべ取って」 「無茶苦茶、馴染んでます・・・!」 まさに自分の家感覚の悠然とした佇まいで湯飲みを受け取る遠坂桜に、衛宮家在住の桜が慄く。 「ふふふ、異世界同位体の姉の嫁ぎ先とあらば、我が嫁ぎ先も同然・・・!」 「まだ嫁いでないわよ!」 「・・・へぇ、まだ、ですか」 真っ赤になって机を叩く凛に、桜は冷たい声で答える。 サーヴァントたちは冷たい目で静観した。 「っていうか、将来的にも嫁いでくるとは限らないよな」 「ふぇ!? か・・・限ら、ない・・・んだ?」 士郎にあっさり言われて涙目の凛に、桜は無表情なまま小さくガッツポーズ。 サーヴァントたちは生ぬるい目で同情した。 「ああ。遠坂士郎でも俺は構わないぞ?」 「!?」 言葉を無くしプチプチ畳を摘む凛に、既にそこまでと桜はのけぞった。 サーヴァントたちは、しらけた表情で湯飲みや煎餅を口に運ぶ。 駄目だこいつら・・・早くなんとかしないと・・・ 「ふふ、外から眺めてるのも楽しかったんですけど、参加してみるともっと楽しいですね・・・」 遠坂桜は笑みに緩んだ口元に湯飲みを近づけ、中身は飲まずに食卓へ戻した。 一息置いてから、ぐるりと皆を見渡す。 「さて。本題に入ります。質問は後で受け付けますので、とりあえず聞いてください」 最終的に視線を向けたのは凛へだ。真剣な表情でこちらを見返してくるのを確認。 「事の始まりは、聖杯戦争―――この街ではなく、姉さんが生まれた、外の世界の聖杯戦争の最終局面に遡ります。 2月14日深夜。間桐桜の精神的な陥落と、それに伴う 「そこら辺はわたしも覚えてる。消耗したイリヤはここに残して士郎とわたし、それとライダーで聖杯洞へ進入したわ」 凛の言葉に頷き、話を続ける。 「対する桜はアンリ・マユで捕食したサーヴァントの中から最優秀の駒としてセイバーを選び、先輩とライダーをこれで迎撃しました。ちなみに、能力面もさる ことながら、ちゃんと言う事を聞いてくれること、自分で状況を判断できること、先輩に対する嫌がらせになることの三点が選出条件だと思いますので、無意味 に猛らないでくださいそこの英霊たち」 遠坂桜は、もう一度湯飲みを口に付けて話の間を空ける。 今度も振りだけで飲みはしない。崩れた内臓で食事は出来ない。 「黒セイバーは桜の指示で先輩とライダーを足止めし、姉さんはスルーしました。アンリ・マユが膨張させた嫉妬や憎しみの対象である姉さんだけは、自分の手 で叩き潰したいという考えは、無限の魔力を手にした状態でなら簡単に叶う筈だったのですが・・・」 視線を向けられ、士郎は頷いた。 「宝石剣。向こうの俺が投影した奴だ」 「わたしの宝石全部とお父様の形見のアゾット剣まで使って作ったのよ」 凛の言葉に、士郎と言峰がぴくりと頬を動かす。 (いや、使ってないんだよなあ、宝石入りアゾット剣―――) (今アレの由来を暴露すれば、実に愉快な表情を―――) それぞれの嫁の鉄拳を想像して口を閉ざした男二人に構わず、遠坂桜は続きを語る。 「桜を圧倒した姉さんは、あと一撃で終わりというところまでいったのですが―――直後、背後に現れた黒セイバーさんに斬られて、倒れました」 「な、私が・・・!?」 ガタン、と立ち上がるセイバーをどうどうと宥めながら士郎は記憶を探った。 「確か――― 「先輩の方の顛末は、実はよく知らないんですよ。わたしの記憶は、あっちの桜からの分岐ですから。でも、推測は出来ます。おそらく、あちらの先輩は黒セイ バーさんを倒して・・・でも殺せなかったんでしょう。そして黒セイバーさんは持ち前の回復力でさっさと回復して聖杯洞へ戻り、姉さんは背中をざっくり斬ら れた死に掛けのまま、アンリ・マユに捕食されました。その肉体ごと、丸呑みで」 凛の手が僅かに震えた。 セイバーは手を握ってやれと士郎の脇腹をさりげなく突き、ああそうかと振り向いた士郎の額に凛のデコピンが命中。 「大丈夫よこれくらい。話が進まないでしょ?」 「別に、べろちゅーしながら聞いててもわたしは構いませんよ、姉さん」 「わたしはっ! 構います・・・!」 遠坂桜の言葉に間桐桜はべちんと食卓を叩く。 ちょっと、手のひらが痛かったらしい。涙目だ。 「キスしようと視線がそれてる間に、ぱくっとくわえ込んじゃえばいいのに。唇とられて股間を得る・・・!」 「一応補足しておきますが、サクラは肉を斬らせて骨を断つを捻った洒落のつもりです。笑ってあげてください」 ライダーのフォローの皮をかぶったツッコミに遠坂桜はぐむぅと唸り、本題に戻る。 「まあ、こっからが本題なので真面目に話すとしましょうか・・・姉さんを捕食したサクラは考えました。結局実力では勝ててないというのもあったのでしょ う、姉さんをなんとかして屈服させ、貶めて、陵辱したいと」 「ううぅ・・・」 もし自分がその立場だったらと考え、桜は呻く。 そう考えてしまうだろうという思いと、それを恥じる気持ちのために。 「・・・黒化ってのはそういうものよ。価値観がひっくりかえって、理性で押さえつけていた事が溢れ出す。だから桜、あなた達はそれだけの事を抱えてていて もそれを抑え付けられる意志の強さを、誇っていいんだと思うわ」 「姉さん・・・」 照れくさいのか、空になった湯飲みを食卓の上でくるくる回し始めた凛に、遠坂桜は軽く頷く。 そう。あのサクラが、加害者であると同時に被害者であるのは事実だ。 そして、可哀想だからといって、素直に殴られてやる理由も無いというのもまた、事実。 「そういうわけで、サクラは聖杯に願いました。彼女の思いつく、元凶の反転を。『わたしじゃなく姉さんが間桐に出されればよかったのに』『姉さんに、わた しの味わった苦しみを全て味合わせてやりたい』と」 淡々と語られる言葉に、桜の顔がこわばる。 それは、数日前にライダーへと語った言葉。 どうしても思い出せないが、間桐桜という存在である以上必ず経験している筈の事。魔術的な人体改造と、それ以外の何か――― 「サクラ」 その肩に、ライダーの肩が触れた。眼鏡越しに向けられた視線に、大丈夫と唇を動かす。 そう、わたしは、一人じゃない。 一人で、我慢する必要なんて、ない。 「ちょっと待ってくれ、桜・・・遠坂の方の」 「さっちんでいいですよ、先輩」 「あらゆる意味で危険だからやめとくよ・・・えっと、聖杯ってまともに使えるものなのか? 汚染されてるとか、そもそも願いを叶える為に作られたんじゃな いとか色々聞いた覚えがあるんだけど」 問いに答えたのは、宝具の話となれば黙っていられない英雄王である。 「大聖杯と小聖杯が混ざっているようだな。小聖杯・・・所謂『器』は、願望器としての機能を持っているぞ。現にそこの器も、『自身の存在を維持する』とい う願いを具現し続けているだろう?」 顎でさされたイリヤは、唐突な暴露に頬を膨らませながらも頷いた。 「・・・そう。わたしとリズ・セラはこの世界に留まる為には自力で自分を具現化しなくちゃいけないの。今は殆どの回路をそれに使ってるから、他の魔術は使 えないわ」 「だからさっき・・・」 門前での一幕を思い出し、桜は納得の呟きをもらす。 「黒いサクラは、体内に第四次で使用された聖杯の器が、ちょっとした加工をして埋め込まれてるんです。なので、中途半端ですけど、願望器としての機能があ ります。そういう仕組みを本人は意識してなかったと思いますけどね」 遠坂桜は、感情を乗せず、ただ語る。 「大聖杯の汚染により、願望器としての機能が捻じ曲がっているのは事実です。小聖杯が起動すれば、願いは叶いますけど、その実現方法は全て『この世すべて の悪』の補正を受け、殺戮による達成にしかなりません」 金がほしいと願えば自分より富裕なものを全て殺戮し、愛するものを守りたいと願えば、守る相手以外の全てを殺戮して安全を確保する。それが汚れた聖杯の 機能である。 「なので、サクラの願いも最終的には何らかの殺戮で終わったのかもしれません。しかし、歪みは願いの実現段階で生まれるもの。小聖杯による『願望の吸い上 げ』に関しては、正常に起動したんです。その結果アンリ・マユに―――大聖杯の中に満ちた黒い魔力に取り込まれていた姉さんを核に、小さな世界が生まれま した。とある蟲蔵を再現した、小さな世界が」 「・・・間桐家の地下、か?」 士郎は、数日前に崩壊した洋館で見たものを思い出す。 食卓を挟んで向かい合うこの少女に連れられて足を踏み入れた、間桐の鍛錬場だという穴倉を。 「はい。間桐桜が、幼い頃を過ごした場所です。その小さな世界に与えられたルールは一つ。『間桐の家に養子に出されたのは凛である』というもの。世界は、 そのルールに従い、姉さんにかつてサクラが経験した全てを体験させ、間桐凛を生み出す―――筈でした」 「筈?」 興味深げに聞いていた言峰の言葉に頷き、遠坂桜はニヤリと笑いました。 「小世界の作成は、願望器の機能によるものです。その効果は緻密な術式ではなく、願いという形で指示されています。そして・・・己の欲望を抑える機能を壊 された、あのサクラには、自分の願いが把握しきれていなかったんです」 そう。 人は、己をこそ最も知らない。 「間桐の家で、肉体と精神を改造される苦痛を姉さんが受ける・・・その願いに隠れた、もう一つの願い」 顔をあげる。緑の瞳が、桜を見据える。 「それがなんだか、わかりますか? 間桐桜」 「―――姉さんが間桐ならよかったのに。その願いの裏は、わたしが遠坂だったらよかったのに、ですね」 予想は出来ていたのだろう。苦笑じみた表情で桜は自分と同じ顔の少女を見つめ返す。 「つまり、それがあなた、遠坂桜ということですか?」 「そう。間桐凛を作る世界は、遠坂桜を作る世界。それも、サクラの主観に沿った遠坂桜を、です」 こほん、と軽い咳が出た。片手で口元を隠す。 痛覚はずっと遮断しているから、表情には出なかった筈だ。 「桜は、姉さんになりたかった。優雅で気高く、精神的にも肉体的にも強い人―――底なしの魔力であらゆる禁呪を使いこなし、放つ 「ちょ、待った! わ、わたしそこまでトンデモ設定じゃないわよ!? っていうかランク!? ニコポッ!? 何それ!?」 中学生の妄想のような設定を並べ立てられて凛は慌てて首を振る。 っていうか、底なしの財力なぞあるなら、触媒無しでのサーヴァント召喚など強行しないというのだ。 「・・・いえ、姉さん。それで合ってるんです」 桜は、苦笑混じりに姉に声をかけた。 「た、大木は折れないわよ? 組み木は何本か折ったけど・・・」 「うむ。鍛錬の成果に賞金や罰金を設定した際には度々器具を破壊したものだったな」 言峰の感慨深げな言葉に凛はうぐぐと呻く。 無論、口を挟んだのは過去をばらされる事で羞恥に震える凛を見たいだけである。 「そうじゃなくて・・・わたしから見た姉さんは、そういう人ですから」 「桜・・・」 凛は思い出す。 夕日の差す教室でその言葉を送られたのは、昨日のことだ。 駄目になっていた自分を立ち直らせてくれた、大事な妹の想いを。 「・・・そういう事です。姉さん。そして、明確で詳細な命令ではなく、願いという曖昧な形で作り上げられたが故に、その世界は矛盾していたんですよ」 薄暗い穴倉の底、倒れ動かない凛を前にして始まった遠坂桜としての記憶。 「だって、その世界は姉さんを苦しめ、痛めつける為に作られたのに、わたしが存在してしまいました。姉さんの・・・強くて、容赦なくて、でも助けられる相 手を見捨てす事ができない、身内に甘い人の性質をもったわたしが、姉さんを見つけてしまったんですから」 だから、かさりかさりと同族の死骸をかきわけて動かぬ肢体に絡みつく蟲達を前に、遠坂桜は迷わず魔術を行使したのだ。 「姉さんを模した使い魔を作り上げて本物とすり替えた後、色々されて泣き叫ぶ使い魔を『外』から観測しているサクラの様子を覗き見ながら、蟲蔵世界の隅に 死角を作って隠れたわたしは、何をすべきか考えたんです」 凛を守らなければならない。それは遠坂桜という存在の本能のようなものであった。 遠坂としての性質―――あるいは、誰かにこの蟲蔵から助けて欲しかったという、サクラの願いの裏返しとして。 「わたしという存在は、所詮は小さな世界の一部にすぎません。それも、観測者たるサクラが飽きてしまえば消え去る、頼りない世界の。だから、まずは世界を 作る必要がありました。サクラではなく、他の何かを基盤とした世界が」 「基盤・・・?」 士郎は呟く。その単語を遠坂桜から聞くのは二度目である。 「はい、先輩。そしてそれは、すぐに見つかりました。アンリ・マユに・・・大聖杯の中に、飲み込まれてきたんです。世界を作る魔術回路が。固有結界の使い 手たる、先輩が」 「そうなの!?」 いきなり出てきた名前に、士郎より先にまず凛が声をあげた。 「だって士郎は投影・・・ううん、違うわね。あれは投影魔術とは言えないってのはキャスターもわたしも思ってた事だっけ・・・確か彷徨海の方で固有結界を 肉体の内部に展開する事で維持し続けるって研究があったとか聞いたことが、それだとこないだの検診で気付けなかったのがおかしいか。『外』と『内』を裏返 す事によって世界からの修正を受けるのなら、『内』を作って維持するだけにすれば修正は受けないのかしら? それで、必要に応じて一部だけ裏返せば ―――」 「遠坂、遠坂。今は探究心燃やしてる場合じゃないからな?」 「そうですよ姉さん。衝撃的な台詞のつもりでかっこつけたわたしがすごく馬鹿みたいなんでやめてください」 レアな研究素材が身近に転がっていた衝撃に盛り上がる凛を、士郎と遠坂桜がジト目で制止する。 「う・・・こほん。わかってるわよ・・・」 我に返って赤面する凛をよそに、今度はキャスターが口を開いた。 「つまり、坊やを素材に礼装を組み上げたのね? 固有結界を展開する礼装・・・そうね、私なら杖の形にするかしら。脳と魔術回路だけ引き抜いてこ う・・・」 「それでもよかったんですけど」 「俺にとってはよくはないけどな・・・」 さらっと言われて苦笑する士郎に、遠坂桜はちろっと舌を出す。 「ご都合主義の塊であるわたしにとっては、使い勝手とか術式の難易度とかは関係ないですし・・・やっぱり、先輩を傷つけるような事はしたくなかったんで す。これでも一応、桜ですから」 ね? と視線を向けられ、桜はこくこくと頷く。 先輩至上主義こそサクラズム。安全確保の為に手足くらいはもぎ取っちゃおうかなとか思うお茶目さがアクセントだ。 「それはさておき、わたしが必要としていたのは、外のサクラと戦う為の場所でしたから・・・先輩を礼装にすればそれでいいってわけでもなかったんです。先 輩の心象風景を具現化しても使いこなせませんし、わたしの心象風景なんて何が出てくるかわかったものじゃありません。一度しかないチャンスに危ない橋は渡 れませんから」 何しろ、蟲蔵の世界の中では無敵の存在でも、所詮それは設定に過ぎない。 観測者であり創造主であるサクラに存在が気付かれてしまえば、その設定ごと消し去られてしまう程度の万能だ。 「先輩の魔術回路を核に固有結界を作り、それでサクラの願った蟲蔵世界を上書きすれば、とりあえず外からの干渉は排除できます。聖杯の中という抑止力の届 かぬ場所ですし、魔力と呪詛だけは売るほどありましたから、延々と維持することも出来る筈でした。 ですけど・・・アンリマユを経由して姉さんや先輩が『中』へ送られて来たってことは、同様のルートを通ってサクラが入ってくる可能性があるってことで す。それも、彼女が捕食したサーヴァントたち・・・セイバー・ランサー・バーサーカー・キャスター・ハサン・ギルガメッシュという、わたしがどれだけ無敵 に作られていようが敵う筈もない英雄たちを、引き連れて」 そして今、その予想は現実のものとなっている。 「サーヴァントに対抗できるのはサーヴァントだけ、ね」 凛が呟いてセイバーへ目を向ける。 「ええ。しかし問題が一つ。聖杯のシステムはサクラに掌握されていて、わたしには使えませんでした。もっとも、そうでなかったとしても聖杯によって作られ た存在であるわたしが、自分を創った聖杯を使うことが出来たかはわかりませんけどね。魔術師と根源の渦の関係と同じで、そこに法則を越えるものがあるとわ かっていても、世界の殻を破るのは大変なんです」 「つまり、魔法に類する神秘もこの世界には無いってことになるのかしら? イリヤが自分を維持する為に力を使い続けてるってのも同じ理由でしょう?」 問いながら凛が思い浮かべたのは、空っぽだった宝箱。 第二魔法の一端が収められていた、遠坂家の家宝。 中身は消えたのではなく・・・再現できず、最初から空っぽだったというわけだ。 「はい。ちなみに、現在敵のサクラが必死に封印を解いてると思われるこの世界の『聖杯』ってのは、世界の外へ繋がる穴です。外とパスが繋がってますので本 物の聖杯から無尽蔵の魔力が得られますけど、残念ながら願望器としての機能は作れませんでした」 『遠坂凛は別の世界から魔力を補充できた』というサクラの経験が反映されたそれが、遠坂桜の限界。 キャスターが魔法を使えないように、どれだけ高性能に設定されようが、魔法を知らないサクラの妄想で作られた存在に、魔法は使えない。 「そして、行き詰ってどうしたものかと悩んでいた所に・・・」 「わたしが登場したのよ、シロウ」 遠坂桜の言葉を継いで、髪をふぁさっとかきあげたのはイリヤであった。 「さっきも言ったけど、わたし自身も聖杯と繋がってる器だから、シロウとリンが呑まれたのはすぐにわかったわ。そして、リンが偽者にすり替えられてる事 も、シロウが見当たらないこともね」 アインツベルンの名を冠するホムンクルスである彼女には、大聖杯の製作者である初代、ユスティーツァ以来の知識と記憶が収められている。 こと聖杯戦争のシステムについてなら、彼女にわからぬ事はないと言える。 「それで、いっそのことって思って聖杯の中に入ってみたら、こっちのサクラに出会ったの」 気軽な表情で言われて、遠坂桜は苦笑する。 「・・・色々四苦八苦して魔力を掠め取る程度しかできなかったのに、まさか散歩感覚で出入りされるとは思いませんでした」 「あたりまえよ。わたしの先祖が作った始めての聖杯。それはアインツベルンオリジナルで、名前はユスティーツァでした。 その回路は甘くてクリーミーで、こんな素晴らしい魔術回路をそなえたホムンクルスは、きっと特別な存在なのだと言われました。今では、わたしが小聖杯。魔 術回路はもちろんアインツベルンオリジナル。なぜなら、わたしもまた、特別なホムンクルスだからです」 ふふん、と平べったい胸をそらすイリヤの長台詞を適当に聞き流し、遠坂桜は話の先を急ぐ。 「冬木の聖杯は御三家の共同開発で、大まかに言えばアインツベルンが器の作成、遠坂が英霊の降霊、マキリが英霊の拘束を担当していたようです。そのうち二 つの知識が揃えば、あとは代用品でも召喚は可能だとわたしたちは判断しました」 凛の顔がこわばる。キャスターは、理解はしたが特に表情を変えない。 士郎は首をかしげ、聞いたばかりの情報をつなぎ合わせた解を口にしてみた。 「えっと・・・つまり、聖杯を作る為の知識があるなら、それをアレンジすれば聖杯を使わなくても聖杯の機能を再現できる・・・つまりサーヴァントを召喚で きる・・・ってことか?」 「・・・それだけでは無理よ、士郎。降霊を行おうにも、聖杯に内包された小世界からじゃ二重に世界の殻を破らないと『座』には到達できないし、イリヤが魔 術を使えない状態じゃ、彼女が担当すべき『器』の作成が出来ないわ。つまり・・・それを補うのが『代用品』、ね」 「―――ようするに、本来なら魔力で作られた キャスターは淡々と語って自分の手のひらを眺める。 なるほど。肉の身体を持っているわけだと。 「そういう事です。先輩。わたしの手の届くところにあったのは、聖杯戦争に敗れ、小聖杯の中で『座』への通路が開くのを待っているサーヴァントたちの魂、 そして―――」 遠坂桜は、自分の胸にそっと手をあてた。 「人間の限界まで強化されて作り出された、この遠坂桜の身体です」 「なっ・・・!」 「え?」 士郎と桜の声があがる。 「イリヤちゃんの助けを借りて、遠坂桜は自分の身体を器として使えるように術式を改造し、降霊を行いました。最初の対象は、イリヤちゃんの中に回収されて いたアーチャーさんの魂です」 他のサーヴァントがことごとくサクラ―――マキリの聖杯に回収されていたのに対し、彼だけは死亡時に傍に居たアインツベルンの聖杯に回収されていたので ある。 「一つの器に、二つの魂。もとより無理のある状態ですけど、上手くいけば同居できると思ったんですが・・・精霊の域まで昇華された霊格を甘くみてました ね。憑依した瞬間、遠坂桜の魂は押し潰され、その人格はあっさりと消滅しちゃいました」 「消滅・・・って」 失敗失敗☆とばかりに舌を出されて、士郎は言葉を失った。 「だから、実は今までの話はイリヤちゃん経由の伝聞だったりするんです。状況からして嘘は無い筈ですけど、こまかい感情の動きとかはわかりません」 遠坂桜は、言葉を区切り、クールな表情を作ってみせる。 「たぶん・・・わたしは10人目だと思うから」 数秒にわたり顔真似を続けてから、遠坂桜はむぅと顔をしかめてさっくりと表情を元に戻してしまった。 もしかして、皆のノーリアクションにがっかりしたんだろうか。 「で、でも桜。なんで桜は10人も居るんだ?」 士郎の問いに、王様的な仕草で王様茶を王様呑みしていたギルガメシュが王様湯飲み片手に首を振った。 「ふん、違うぞ衛宮。その女は常に一人しかいない。小なりといえ、世界として完結した空間である以上、同一存在の重複は抑止されるからな。だが、それは逆 も言える。その世界が成立する条件を満たす為に作られた存在が消失したのだとすれば、その欠落もまた、抑止される」 「はい。蟲蔵世界は間桐凛と遠坂桜が居てはじめて成立するようにできてますから、片方が無くなれば、代わりが創られるんです。そもそも、一人目のわたしが 作られたのもそういう原理ですしね」 遠坂桜の補足に、凛はふむと頷く。 「あれかしらね。根源に触れようとしたり人類を滅ぼそうとすると抑止力が英霊を出現させるっていう」 「この場合、わたしという存在を生み出すこと自体が世界の機能ですので、同じ仕組みとはいいきれませんけど、だいたいそんな感じでいいと思います。それ で、アーチャーさんの憑依を行った遠坂桜についてなんですけど・・・」 視線を向けられ、イリヤはこっくり頷いた。 「わたしの見てる前でサクラはバタッと倒れたの。それで、アーチャーの姿と二重写しになって、しばらくしたら、サクラでもアーチャーでもない女の子の身体 になったわ。銀髪で、肌の色の濃い」 「つまり、そいつが・・・」 ランサーの呻くような声に、遠坂桜は微笑んでみせる。 「はい。今、部屋で寝ているアーチャーさんです。正確には、アーチャーさんの魂の複写と、それに合うように変質した遠坂桜の肉体、ということになります ね」 起源に覚醒した魂は、肉体を作り変え、それぞれの起源に沿った構造を得る。 死徒に吸血され、その汚染が魂まで回ってしまえばたとえ肉体を取り替えたとしてもその汚染が肉体を死徒に作り変える。 固有結界の暴走で、肉体そのものが内的世界を形成する要素に変換されてしまう事すらある。 もとより、精神が仲立ちする魂と肉体の関係は、魂が主、肉体が従なのだ。 英霊という、人の器に収めるには大きすぎる魂であれば、それは尚の事。 「あの、魂に合わせて肉体が作り変えられる。それはわかったんですけど・・・なら、セイバーさん達はわたしたちの知ってるのと同じ姿なのに、アーチャーさ んたちは女の子なのは、どうしてなんですか?」 おずおずと手を上げて問う間桐桜の問いに、答えたのはランサーだ。 「そりゃ、たいした問題じゃないからだろ。現界しているオレ達は座に登録された幻想の一側面だ。召喚のされ方次第で属性も容姿もコロコロ変わる。セイバー だって、今は仮免だから何度呼び出されてもこの容姿固定だが、正式に座に登録されればどうなるかわからねぇぜ? おまえらの中の、『アーサー王』のイメー ジに即した状態で召喚される可能性だってある」 「イメージ・・・」 凛は呟き、想像してみる。 髭の中年親父が働きもせず無闇に白米を喰らい、臆面も無くおかわりを要求する姿を。 士郎と襖ひとつで仕切られた部屋に全裸で眠るおっさんを。 カキ氷機と見つめあい、眼を輝かす巨漢のガイジンを。 ―――ナイス世界 ナイス根源――― アーサー王がこの娘でよかった・・・! 「創造主に感謝を・・・」 「と、遠坂?」 急に拳を握り、なんとなくキノコっぽい感じの神様に祈りだした凛の迫力に、士郎がびくっと震える。 「ご、ごほん・・・ともかく、そうやって召喚しては発狂し、召喚しては発狂しを繰り返してあなたの番まできたってこと?」 「はい、姉さん。最初のわたしにとっては予想外の結果でしたけど、結果として受肉したサーヴァントなんていう理想的な結果が得られましたから。二人目以降 はサクラから掠め取る分難易度は上がりましたけど、あの子魔術の腕はヘボいから正直楽勝でした」 笑顔で語る、己と同じ顔の少女に、間桐桜はおずおずと問いかける。 「でも・・・9人目までの遠坂桜は、その・・・死んじゃってるんですよ、ね? 怖く、なかったんですか?」 「わたしがやったわけじゃないので断言しづらいですけど、最終的にはわたしという個体が残るのは確定していますし、必要な事でしたから」 さらっと語る姿に士郎は少しむっとした表情になった。 凛はその膝に手を載せて抑え、問いを重ねる。 「貴女で10人目って言ったわよね? それって、サーヴァントが9人生まれたって事でいいのかしら?」 「あ、さすが鋭いですね、姉さん」 肯定の言葉に、士郎と桜、イリヤ以外の表情が難しいものになる。 イリヤは全て知っているのでノーリアクションなのだが、残る二人は意味がわかっていないだけだ。 「・・・ここに居るサーヴァントは、どう考えてもイレギュラーなちびせいばーを除くと、全部で12人よ。だとすると、後の3人はなんなのかしら?」 「はい。今回の戦争で聖杯に蓄えられた魂が9つ。残りの3人は、出所が違います。たとえば、この子達は・・・」 手で示されてきゃふっ!とバンザイする幼女二人。 「聖杯の中に溢れているアンリ・マユを材料にした、わたしの使い魔です。姉さんともう一人のわたしの動向を探る為に送り込みました」 「じつは、夜のまちを暗躍するスパイだったんだよ・・・!」 「どんな時も万全に応えられるその名はサーヴァントだったんですねえ〜」 場の空気をとかちつくちそうな二人に魔術師達は胡散臭げな目を向ける。 「・・・まあ、俺が言うのもなんだけど、あんな召喚でサーヴァントが出てくるってのもおかしかったよな」 「というか、わたし、あんりちゃん達は自分のサーヴァントだとばっかり・・・令呪がライダーの分しかないのはおかしいなあとはおもってましたけど」 「それ以前に、パスが通ってるか確認した?」 ぐるぐるいぇー、ぐるぐるいぇーと腕振り回して踊り狂う、身体は呪詛で出来ている危険な幼女たちをよそに、一人の少女が苦笑を浮かべる。 「・・・ってことは、最後の一人は、ボクということに・・・なるね」 イスカンダルは、遠坂桜を真っ直ぐ見つめて問いを口にする。 「正直に言えば、わかっていたことではあるよ。ボクには第五次聖杯戦争で戦った記憶はない。第四次の記憶も、セイバーやギルガメッシュに言われなければ思 い出せない。自分の能力すら、真の宝具を除いては、わからない。この着替え能力とか、すごく後付けっぽいし」 「―――ええ。第四次聖杯戦争におけるライダー、征服王イスカンダルの魂は、情報と化して座に戻りました。その魂を元にして召喚憑依することは、できませ ん」 抑揚無く答える遠坂桜に、ギルガメッシュは表情を険しくした。 「待て、雑種。こ奴は間違いなくあのイスカンダルだ。貴様はこの我の目を疑うというのか?」 「いえ、逆なんですギルガメッシュさん。彼女は今、かつてのイスカンダルさんに極めて近い存在です。それは、あなたが彼女という器に記憶を注ぎ込んだから なんですよ」 説明が長くなって、だれてませんか? と遠坂桜は皆を見渡し、様子を伺う。 「・・・発端は、わたし・・・10人目の遠坂桜が出現してからしばらく経ち、アンリ・マユが新たな魂を捕食してきたことに遡ります 「何の話だ雑種。今は―――」 「あはは、大丈夫だよギルっち。正体がなんにしろ、ボクは、ボクにしかなれない。そんなに怒ってくれなくてもいいからさっ!」 「か、勘違いするな征服王。き、貴様の為に怒っているわけではない・・・! この我の質問に即答せぬその態度がだな・・・!」 さすが王様、絵に描いたようなツンデレだと凛は感心しながら遠坂桜の方へ目を向ける。 「わたしも衛宮君も既に取り込まれてるわけだし・・・ライダーが捕食されたのかしら?」 凛の言葉に首を振り、遠坂桜は淡々とその事実を口にする。 「最初に喰われた・・・というか自分から飛び込んできた言峰さん以外は、みんな一般人ですよ。数にして数十万人―――冬木市が、まるごとアンリマユに喰わ れたんです」 士郎の顔に鋭いものが浮かぶが、今度は自制した。喰われた、と死んだ、が同じではないことは、彼の隣に座る少女が証明している。 「ちなみに、市内に居た魔術協会や聖堂教会の要員は意識不明の状態で転がってたバゼットさん以外は市外に脱出していたので取り込まれてません」 「―――ふむ」 言峰の頷きは、市内の拠点が空だったことによるものか。 「目的があって取り込んだ姉さんや先輩と違って、ただおなかが減ったから吸収されただけの皆は、あっという間に生命力を搾り取られて肉体を失い、魂だけが アンリ・マユの外へ出ることもできずに囚われました。その、無数の命を見て思いついたんですよ。これだけ魂があれば―――もやし祭りができちゃいます!」 「は?」 「え?」 「もやし?」 「何言ってるのあんた?」 「空気を読むがいいぞ雑種」 時事ネタとは、かくも外すと痛いものか。遠坂桜は容赦なくディスられて涙をこらえた。 特に、最後の人にまでつっこまれたのが屈辱だ。 「・・・えぇと、あの、どこまで話しましたっけ・・・」 「住民の魂を発見したところまでです。サクラ」 すっかりしおれてしまった遠坂桜は、ライダーに促されて話を続ける。 「世界ごと握り潰されることは、先輩の回路を使って固有結界を張ることで回避できます。サーヴァントも、用意しました。でも・・・みなさん、唐突にわたし から今の話をして信じてくれたでしょうか? 中には、わたしと同じ顔のサクラに殺された人も居るというのに」 考えるまでもない。無理だ。 もとより殺しあう為に呼び出された7人であり、中には実際に殺しあったものも居るのだから。 「時間が必要だったんです。外のサクラが結界の中に殴りこんでくる前に、サーヴァントのみなさんをまとめる為の」 時間さえあれば、最低限、『セイバー』と『アーチャー』と『ライダー』・・・サクラとシロウの辿った戦争において、手を組みえたのに最後まで三人揃うこ とは無かったサーヴァント達は結束する可能性が高かった。 「そんな時に大量の一般人が放り込まれてきたのを知って思いつきました。サクラに壊せない世界を作るのは難しくとも、『壊したくない』世界を作ることなら 可能であると」 代償行為。 たとえば、歩く事が出来ない者がペットの犬や鳥を眺めて慰めとするように、自分で得られなかったものを、誰か、何かが成し遂げるのを眺めて、擬似的に満 足感を得る事。 仮に、己の支配する杯の中に自分と敵対する行動を発見したのなら、サクラは無尽蔵の魔力で潰しにかかるだろう。 だが、そこにあったのが、戦いが無く、全ての元凶である間桐臓硯も、憎しみの根源である慎二もいない世界であれば? その世界で、蟲による蹂躙も、下種による陵辱も経験していない間桐桜が、衛宮士郎と共に過ごしていたのなら? 彼女は―――欲望を律する理性を剥奪されたその心は、かつて何よりも欲し、望んだものを前にして、動けるのだろうか。 「姉さん・・・の姿をした たとえば、テレビゲーム。 マップ上に表示されたAというイベントとBというイベント。 プレイヤーはどちらを見るかを選択できるし、場合によってはAを見終わった後にセーブデータからやり直してBを見ることも出来る。 だが、「Aを見ている間のB」、「Bを見ている間のA」は、見ることが出来ないのだ。 万能であっても、一つの心しか持たぬ者の、それが制約だ。 「だから、彼女の目をそらす為の囮が必要でした。それも、意図に気付かれない程の大量の。最適なのは、今そこにある魂。聖杯に捕らえられた英霊を召喚する ことが可能ならば、同じように捕らえられた人間の魂も召喚できます。あとは、器と速度の問題です。わたしの身体に一人ずつ召喚するという手段ではいつまで かかるかわかりませんし、そもそも英霊の時と逆にわたしの魂が召喚した市民の魂を食いつぶす可能性が出てきますから」 「・・・そこで、ボク・・・というか、イスカンダルの宝具を使おうってことになったんだね?」 ようやく繋がった話に、イスカンダルは口を挟む。ギルガメッシュが顔をしかめたまま頷き、数秒おいて、セイバーもああと頷く。 「そうです。第四次聖杯戦争におけるライダー、征服王イスカンダルの宝具、『 「・・・問題点が二つあるわね。一つに、さっき貴女はイスカンダルの魂は聖杯の中に無いと言ったわ。二つに、それをなんとかしても、この場合召喚対象はこ の街の住人。心象風景なんてバラバラよ」 凛の指摘に、遠坂桜は薄く微笑む。 「はい。ですから、彼女の登場です」 手で指し示すのは、イスカンダル―――イスカンダルと、呼ばれていた少女。 「先ほどの話に一つ補足しておきます。第四次聖杯戦争の結末は、大聖杯による儀式成就の寸前に、小聖杯が破壊されたことによる中断です。その為、本来なら 使い切られる筈だった聖杯に満ちたモノが残ったままになっていて・・・10年という短い時間で第五次が始まっています」 故に、今も聖杯の中には黒き泥、 「だからこそ、ほんの少しだけ残っていたんですよ―――第四次聖杯戦争で使用された『ライダーの器』、征服王イスカンダルの魂が宿っていた魔力が」 魂と肉体の関係は魂を上位とする。 それは、魔力で作られた仮初の肉体であっても、同じ事。 「あとは、この子たちで試した術式を応用するだけ。アンリ・マユの一部から、その特質をもった使い魔を作ったように、イスカンダルの一部から、その特質を もった使い魔を作ったというわけです」 凛は、そういえばこの三人、性格の突き抜け方が似てるかもと考え、人格の元ネタが自分である可能性に思い至ってその発見を封印する。 「・・・つまり、それがイスカちゃんで、魂は入っていないけど、魔術回路は復元できたから固有結界が使える、ってことか?」 「肉体の回路は魂あってのものよ。仮にあなたがお嬢ちゃんの身体に入ったとしても全部の回路を使いこなせないし、逆にお嬢ちゃんをあなたの身体に入れても 元の肉体ほどの能力は持てないわ」 キャスターの訂正に、凛がうむと頷く。 「そもそも、固有結界の展開っていう回路は既に確保してるでしょ。あっちの士郎の回路をね」 「 しかし、イスカンダルの夢に魅せられた英雄達が世界の果てへ進軍し続けるように、強烈な現象を前に、生来のそれを塗り替えられてしまう事もあるのだ。 たとえば、謎の黒い泥に生きながら貪り食われてしまう、というような。 「あまりにも唐突で理不尽な死に、彼らの心象世界は塗りつぶされました。死ぬ寸前まで居た場所へ還りたいという―――冬木という街を望む世界に、です」 凛はイスカンダルに目を向ける。 少女は苦笑と共に首を横に振り、凛は士郎に気付かれぬよう小さく頷く。 心象世界を共にする魂の召喚。 アンリ・マユに喰われた人々が召喚出来たということは、イスカンダル―――そう名づけられたこの少女もまた、同じ心象世界を持っているということ。 ならば、その器に注がれた魂もまた。 「・・・あとは、とりたてて語る事もありません。小聖杯であり術式に干渉するイリヤちゃんが外の世界へ戻ってからわたしはこの世界を構築し、最後の二人を 召喚しました」 遠坂桜の言葉を受けて皆の視線が士郎に集まる。 「・・・俺?」 「それと、もう一人の私、そっちの間桐桜です。イスカンダルの宝具で作り出したサーヴァントの器に、外の世界の先輩と、外の世界の桜の魂を召喚・・・とい うより、コピーしたのが、あなたたちという事になります」 凛は、すっと目を細め、遠坂桜を見つめる。 さらっと言われた中にあった、魂の取捨選択。 それを咎めるほど清廉に生きてきたわけではないが、士郎に語ることのできない内容であることは、間違いない。 「ん? ってことは、俺は今、サーヴァントなのか?」 きょとんとした顔で呟く言葉に、遠坂桜はこくんと頷く。 「そうです。ようするに、この世界に存在するのはセイバーさんたち9人の受肉した英霊と、肉体を持ったまま訪れた姉さん、そして先輩とそっちの桜を含む サーヴァントの住人がぞろり数万人、ってことになります」 「! じゃあ、三枝さんたちが消えたのは・・・」 「そっちの・・・遠坂桜がイスカンダル経由で供給してた魔力が、聖杯を抑えられたことで途切れたってことでしょ。魔力切れで身体が維持できなくなったの よ。今はここで過ごした記憶が魂の方へ戻って―――」 凛の説明に、遠坂桜はこくりと頷く。 「聖杯に囚われた状態で眠っています。アンリ・マユの契約者であるオリジナルの桜がこの小世界に足止めされている以上、喰われることはないと思いますよ」 「あの・・・」 とりあえずの無事に胸を撫で降ろす士郎に代わり、今度は間桐桜が手を上げた。 「わたしと先輩は、なんで消えてないんですか? 確か、サーヴァントって回路を使って魔術を使うことは出来ても回路に 実体化しているとはいえ、サーヴァントは幽霊である。小源・・・生命力を生み出す力が無い。 故に、キャスターのサーヴァントは外からの魔力補給手段を見つけない限り、殆どの能力を封じられた状態での戦いを強いられる不利な立場なのだ。 「一般の人たちより消えるのが後なのは、日常的にキープしている魔力量の差だとしても、今も魔力は溜まってるのは何故ですか?」 桜の問いに、凛が口を開いた。 「多分だけど・・・パスが引かれてるから、じゃないかしら?」 「・・・ああ」 視線を向けられ、セイバーがぽんっと手を打った。 「少量なので気にしていませんでしたが、そういえばわたしから士郎へ魔力が流れていますね」 それは気にしようよと凛は思ったが、セイバーにとっては士郎の最大魔力など誤差程度だろうからなあと考え直す。 「そういうことです。先輩とそっちの桜のパスは、契約譲渡によってイスカンダルからセイバーさんとライダーに移ったものなんですよ。だから、この状況下で もセイバーさんが魔力を作れる限りは先輩は消えません」 「・・・あー、つまり、実は俺がセイバーに使役される立場だった、と?」 「だ、大丈夫ですシロウ! 執事プレイなど私は、わたし、は・・・その・・・」 「無茶苦茶揺れてるじゃないのよ!」 だらしなく緩んだセイバーの顔に縦チョップでツッコミを入れてから凛は居住まいを正し、遠坂桜に向き直る。 「確認しときたいんだけど、今聞いた原理からすると、アンリ・マユに捕食されなかった人は、この街に居ないってことね?」 「ええ、姉さん。そして、その矛盾は補正されます。この世界のルールに従っている存在の間でだけ、ですけど」 凛は、なるほどと軽く頷いた。 話がかみ合わない筈である。 つまり、あいつは、最初から居なかったことに補正されていたわけだ。 「一ついいかね?」 次いで口を開いたのは、薄笑いを浮かべていた言峰である。 「どうぞ、神父様」 「バゼットと私の設定がひどく改変されているのだが、その辺りはどうなっているのだろうか」 言峰の記憶には、あの男との戦いから続く欲望と渇望を充足させるべく暗躍した記憶と、暗躍しようと思ったらその前に嫁がやって来て殴られた記憶が共存し ている。 「別に何をしたってわけでもないんですけどね」 遠坂桜は薄笑いに苦笑いで対応する。 「私がした事は、ランサーのサーヴァントのマスターを、あなたでなくバゼットさんにしたことだけです。正直なところ、あなたの存在は可能なら潰しておきた いところでしたし」 その破滅的な精神と、経験不足な他のマスターとは比較にならない戦略的な戦闘能力は、せっかく作り上げた再現世界を内側から崩壊させる可能性があった。 しかし、それでも。 外の世界で、間桐桜を救うべく切り札である令呪を全て使い切ってまで術式を施したのも、シロウにアーチャーの腕を移植したのも・・・この男なのだ。 「まあ、いざとなったら私の無敵補正でドカンいこうと思っていたんですが、予定外の展開になって、予想外に上手くいっちゃいましたねぇ」 気軽な表情で指を突き出してばきゅーんとか言ってる少女に、言峰は肩をすくめる。 「ふむ、人事のように言う。これは自信をもって認定できるが・・・君は実に性格が悪いな。流石だ・・・」 「・・・なによ。なんでこっち見てるのよ」 凛の体からオーラの如く立ち上る殺気をどうどうと抑え、士郎は自分の疑問をぶつけてみる。 「俺も一つ聞きたい。この間学校に出てきたライダーの影はなんだったんだ? 確か、捕まえてたのが逃げ出したとか言ってたと思うけど」 「あ、あれ、ですか・・・」 遠坂桜は、急にばつの悪そうな顔になって毛先を弄り始めた。 「ふふん・・・その態度・・・あなたを、犯人ね!」 精神的な逃げ腰を嗅ぎつけた凛の顔はぐるんぐるんと螺旋を描く目で遠坂桜にびしっと指を突きつけた。 螺旋を描く指先に幻惑されながら遠坂桜はがくりと頷く。 「流石に弱みを見逃しませんね姉さん・・・そうです。あれはわたしがミスったんです」 どこか焦点が合っていない瞳は、洗脳探偵の業のなすものか。 それとも、既に肉体が死につつあるが故か。 「サーヴァント達の依り代としてわたしの存在を量産したわけですけど・・・その、一つルールを見落としてました。『桜には、サーヴァントとしてメデューサ が付き従う』っていう」 視線を向けられ、ライダーはこくりと頷いた。 「ここに居る私は、サクラの召喚でオリジナルからコピーされた存在ですが、それとは別に、そちらのサクラが出現する度に別の私が創造されていたようです。 結果、小世界の中にメデューサが10人という状況になってしまいました」 「・・・途中で手は打たなかったのか? それ」 士郎の呆れた声に、凛は心の中で首を横に振る。 わかる。わかるぞ答えは。 ―――うっかりしてやった。今は反省している。 「でも・・・同一存在は世界内で重複できない筈ですよね?」 間桐桜の指摘に、遠坂桜が頷く。 「ええ。その結果、英霊メデューサという存在の密度は10分割されて薄まってしまって・・・受肉している分だけ存在密度が高かったここに居るライダーはと もかく、他の9人は自我すら保てず、あんなことに」 「つまり、あの時殺したライダーたちは、本物だったってことか?」 士郎の問いに、凛がわずかに目を細める。 「そうだったら、後悔するのかしら?」 「いや。相手が誰だったとしても俺に出来た事はあれだけだ。何があったって、過去は変わらないし、変えない。でも、自分が何をしたのかは、ちゃんと知って おきたいんだ」 堅い声は、言葉ほどには割り切れていない証拠かもしれない。 だがその強がりを良しとして、遠坂桜は首を横に振る。 「本物偽物という区分はし難いですね。ここに居るライダーも劣化してしまったライダー達もあちらのサクラに従っているライダーの複製ですけど、それを言っ てしまえばあちらのライダー自体も座から人格と能力をコピーしてきた複製なわけですし」 それでも魂は器に根付き、独自の精神を構築する。その真贋は誰にもわからない。 「ただ、それも蟲蔵に居た間の話。先輩たちが滅ぼしたものは、既にメデューサという個性が磨耗していた存在です」 遠坂桜が発生したあの蟲蔵は、妄想が具現化しただけの不完全で稚拙な世界だった。 だが、不完全であるが故に現実世界よりも矛盾に対する抑止が緩かったのだと気付いたのは、手遅れになった後のこと。 「小さいながらも成立した世界として構築されたこの冬木に移った際に、彼女たちは矛盾修正を受けて存在濃度が薄れたんです。先輩たちが会った時点では、メ デューサが行う可能性のあった行動を繰り返すだけの、文字通りの残影にすぎません」 言葉を受け、ライダーがこくりと頷く。 「ですので、私としては感謝しています。正直なところ・・・見るに耐えなかったので」 「ライダー自身は早いうちに消してしまおうって言ってたんですけど・・・わたしの感傷で、先送りにしてたんです。先輩たちの手を煩わせちゃって、すいませ ん」 ぺこりと頭を下げる遠坂桜とバタバタと手を振ってその頭を起こさせる士郎を眺め、ランサーは軽く目を細めた。 「まあ大体のとこはわかったんだけどよ。さっきおまえ自身が言ったように、セイバーやアーチャーはともかく、オレ達が協力するとは限らねぇよな? 嬢ちゃ んたちを潰しにかかったら、どうするつもりだったんだ?」 問われ、遠坂桜は事も無げに肩をすくめた。 「別に、何もするつもりはありませんでした。その場合、良い予行演習になっただろうなっていうだけです」 表情も変えず告げられた言葉に、ランサーは唇を笑みの形に曲げる。 「・・・成程な。ってことは、そういう事なんだろ?」 「さあ? それはわたし自身にもわかりません」 否定が返って来ない事で確信する。 この状況を作った魔術師が、感傷などというもので危険要素を残しておくものか。 予行演習。 それがサクラの支配するサーヴァントたちとの戦いに向けてのものだと言うのなら、劣化したサーヴァントの影などというものは、これ以上ない程の相手だろ う。 それらを、わざと作り出したとまでは思わないけれど。 なんとなく黙り込んでしまった一同に、凛はうむっと頷いて食卓を叩いた。 「とりあえず、ここまでの事はいいとしましょう。結局のところ、現状を把握するっていう点では何も得るところはなかったし」 「いや遠坂、色々わかったじゃないか・・・ランサー達が女の子な理由とか・・・」 「わかったのは理由だけよ、士郎。サーヴァントが女の子ばかりなのは既に知っていて、その理由が『憑依素体が女性体だったから』とわかっただけ。街から外 へ出られないのは既に知っていて、その理由が『そもそも外が無い』だとわかっただけ」 言い置き、遠坂桜に視線を移す。 「確かにそれを知るために行動してきたけど、現状では優先度が低いわ。今必要なのは、聖杯洞に篭ったサクラが何をするつもりなのかと、この世界がこれから どうなるか、よ」 「・・・そうですね」 黒髪を揺らし、遠坂桜はにっこりと微笑んだ。 「簡潔に言うと、この世界はもうもちません。日付が変わるあたりで消滅します」 13-8-2 13:45 ブリーフィング(ALT) ■衛宮邸 居間 「この世界が固有結界の亜種である事は先ほど話した通りです。聖杯の中という抑止の届かぬ場所に展開されているので、ちゃんと維持さえしておけば半永久的 に持続できた筈なんですけど・・・」 「外のサクラに襲われて、大聖杯・・・じゃなかった、この世界では大聖杯として表現されている本物の聖杯から魔力を補充する術式だっけ? それを手放して しまった、と」 凛が継いだ言葉に、遠坂桜はこくりと頷く。 「はい。都市レベルの結界と万単位のサーヴァントの維持なんていう無茶を無尽蔵の魔力で押し通して成立させてきた術式ですから、聖杯から魔力が補充できな くなった以上、もう先はありません。住民サーヴァントへの魔力供給をカットして節約してますけど、それでもあと10時間ほどが限界でしょうね」 「つまり・・・日付が変わるまでに外から来たサクラをなんとかした上で、大聖杯を取り戻さないと何もかも終わりってことか?」 あんまり余裕は無いなと表情を引き締める士郎に、遠坂桜は首を横に振る。 「完全消滅をそこまで引き伸ばしたっていうだけで、もう術式は壊れちゃってるんです。今から魔力を注ぎ直しても同じ術式をもう一度使うには準備に数日かか りますし、実質崩壊を止める方法はありません」 「え?」 淡々と告げる遠坂桜の言葉に、間桐桜がぽかんと口を開ける。 「それって・・・どうあがいても絶望ってやつですか?」 どこかで聞いたようなフレーズである。 「絶望ってわけじゃないですよ? 元々この街はあっちのサクラを迎え撃つ為だけのものです。第三新冬木市と名づけました」 「第二はどこ行ったのよ」 「あなたの心の中に・・・」 無言で拳を振りかぶった凛に遠坂桜は満足げに笑った。 「なので、予想より早く襲撃されてグダグダではあるものの、状況はだいたい想定通りです。住民が居ないから周辺被害を考えなくてもよいフィールドに、多数 のサーヴァント。制限時間一杯までは外に出ることもできませんから、逃げられちゃう可能性もありません」 区切り、宣言する。 「後は、日付が変わるまでにサクラを抑えてアンリ・マユとの契約を解除するだけです。後顧の憂いがなくなったところで、堂々と外の世界へと戻りましょう」 「え? 戻れるのか!?」 眼を丸くした士郎に、遠坂桜はその通りと頷く。 「戻れますよ。向こうのサクラだって姉さんだって外から入ってきたわけですし、入れるなら出られます。さっきも言いましたけど、この世界はサクラを迎え 撃って姉さんを護るために作ったんです。ここで永久に暮らせとか言ったら、護ったことにはならないじゃないですか」 凛を、士郎を、桜を、英霊たちを見据え、遠坂桜は結論を告げた。 「だから、課題はシンプルです。無限の魔力が供給されるサーヴァント達をいかにして排除し、どうやって黒のサクラの契約を解除するか。皆さんはそれだけを 考えてください。外への帰還に関しては、わたしが担当しますから気にせず、戦闘のことだけ考えてください」 この体じゃ戦闘は無理ですしと結ばれた言葉に、ランサーは獰猛な笑みを浮かべた。 「わかりやすくていいな。オレ好みだ。どうする? 今すぐにでもカチ込むか?」 「今なら向こうの・・・その、黒わたしも無尽蔵の魔力補給が無いんですよね?」 桜の言葉に、凛は頷きつつも微妙な表情になる。 別に黒たわし・・・とか卑猥な事を考えているわけではない。 「かと言って、こっちもかなりキツいわよ。さっきの戦い、あそこで仕留めなきゃって全賭けしちゃったから消耗しきっちゃってる。ランサーとか平気な顔して るけどちょっと刺したら死ぬわよ?」 名指しでダメ出しされたランサーは、両手を広げて方をすくめた。 「オレは死に際でも全力出せるって言ってんだよ。戦闘続行スキル持ってるからな」 「それでも、一手間違えば死んでしまうようじゃ駄目だ。戦わせるわけにはいかない」 口を挟んだ士郎に、鼻で笑ってみせる。 「なんだ? 全員生きて帰るんだ! 犠牲なんか出したら意味が無い! ってノリか?」 「いや、その一手を間違えさせるスキルを持つ奴が、相手に混じってる。一発で倒れるような状態じゃ、戦力にならない」 表情も変えず告げられ、ランサーは言葉に詰まった。 「・・・あのバカみたいな事言うじゃねぇか」 「どうだろう。単純にランサーに死んでほしくないってのもあるから、よくわからないな」 苦笑する士郎を他所に、凛は他の面々に眼を向ける。 「あんたたちの戦力はどう? わたしは宝石を使いきって、どうにかして補充しない限りサーヴァント相手じゃサポートすらできないわ。士郎は無傷、サーヴァ ントになってるから魔力を使い切ったら消滅ってリスクはあるけど、セイバーからの供給があるならそうそう空にはならないでしょ」 「・・・なんで姉さんが先輩の分まで説明するんですか・・・えっと、わたしは消耗無しですけど、元々サーヴァントさんたちと戦えるような能力は無いで す・・・無いですよね?」 少し頬を膨らませた桜に問われ、遠坂桜はええと頷いた。 「あなたの設定は『遠坂から間桐に真っ当な属性転換がなされた桜』だから、とりたててデメリットが無い代わりに、『生まれ持った属性を鍛えぬいた桜』であ るわたしみたいに虚数属性を活かすこともできません。ちなみにわたしはさっきも言いましたが戦闘はとても無理です。跳んだり跳ねたりしたらモツチラしちゃ います」 斬新な萌え要素だとフィギュア化を検討しながらキャスターはバサッと髪をかきあげる。 「溜め込んだ魔力は三分の一くらい使ってしまったわ。まあ、それでも私が全力砲撃を一週間くらいぶっ続けで撃てるくらいの貯蓄だけど」 「貯蓄はいいわね。心が潤うわ」 凛は我が家の預金残高からは目をそらしながら頷く。 なあに、働き手は増えたんだからこれからこれから。 「貯蓄王は殆ど何もしてないわよね?」 「貯蓄などという受身な名で呼ぶな赤雑種。我が財は気まぐれに動かすだけで増えていくのだ。チマチマとした節約や蓄えなど我の辞書には無い。金融王ならば 許そう」 ふふんと笑い、ギルガメッシュは腕を組む。 「ともあれ、我も我が財もいかほども損なわれてはおらぬ。全力であの贋物を叩き潰してくれよう」 思い返すは銀の髪、見慣れた顔のあの英霊。 今の自分がどのように生まれたかは理解したが、その程度の些事を気にするような貧弱な自我などしていない。ここに自分が居る限り、あちらが偽物なのだ。 「貴様らも見ているがいい。文字通り伝説の王がバトルを・・・!」 「―――アサシンふたりはダメージの影響はないのよね?」 「王がバトルを・・・!」 「え、ええ。支障ありませんが・・・」 「王が―――」 「イリヤスフィール、あなたたちはどうなの?」 「王―――」 「『十二の試練(ゴッドハンド)』は使い切っちゃったし、この世界では回復を早めることが出来ないから、2〜3時間につき1つの命が回復、くらいで考え て」 「・・・・・・」 「お、面白かったと思いますよ、俺は・・・」 ついにはぐぬぬ顔で黙ってしまったギルガメッシュに士郎が慌ててフォローを入れるのを、甘やかすとギャグの切れ味が鈍るのになあと冷めた目で傍観して凛 は確認を続ける。 「ダウンしてるあいつはとりあえず居ないものと考えて・・・ライダー、調子はどう?」 「物理的なダメージしか負っていませんので、既に全快です。問題ありません」 「一応聞いておくけど、イスカちゃんは?」 問われたイスカンダルは、自信満々に胸を張った。 「このボクに、戦闘力を期待するのが間違いなんだねっ」 「・・・そっか」 凛は微妙な表情になって頷く。 この人、なんでそんなに堂々と無力発言できるんだろう。 「セイバーの魔力はどう?」 「現在3割、というところでしょうか。宝具一発分程度です」 ふむと凛は考え込む。 「・・・いっそのこと・・・キャスターの溜めたマナを元手にして、ここから円蔵山を砲撃しちゃおっか。エクスカリバーと金ピカのドリルで。射程距離無限で しょ?」 「ええ、それは私も考えていました」 セイバーは湯飲みを置いて答える。 「せっかく周囲の被害を考えないで良い環境を整えていただけたわけですし、街ごとあの山を抉り取ってやろうかと」 かつては何も無い山野での戦いが多かったので、ぼっかんぼっかんと撃ちまくっていた王様である。 「しかし、そうすると・・・おそらくは撃つ前に向こうの私に感知され、撃ち返されると思われます。相殺してくるか、相打ちを狙ってくるかは賭けと言えるで しょう」 スキル『直感』、予知能力の域に達した察知能力である。 「そっか・・・でも、さっきとは逆にこちらに予備の魔力があって、逆に向こうは自前の魔力だけなわけだし、一発撃った後相殺に専念したら、2回か3回で あっちが魔力切れにならないかしら?」 「それは甘い見積りね」 凛の問いに答えたのはキャスターだった。 「考えても見なさい。向こうにも私が居て、柳洞寺を押さえてるのよ?」 「・・・む」 そうだったと顔をしかめる。 柳洞寺は遠坂邸などと並ぶ冬木の霊的中枢の一つであり、そもそも大聖杯が円蔵山に設置されたのもそこに由縁するのだ。 キャスターほどの魔術師が、それを放置しているとは思えない。 「龍脈からリアルタイムで吸い上げるより陣地に溜め込んだものを使う方が効率はいいけど、その代わりにこちらの魔力はかなり溜め込んだけど有限よ。単純に 撃ちあうだけってのはやめた方がいいわね」 「そうなると・・・結局聖杯洞へ突入するしかないってことになる・・・のかしら」 「・・・なら、封印が解除されて魔力無限補給が使えるようになるとしても、突入時刻を遅らせた方がいいねっ」 考え込んだ凛にぴっと指を立ててみせたのはイスカンダルである。 「なんでさ。今のうちに押し切った方がいいんじゃないのか?」 「そうでもないんだよ。確かに今なら向こうの最大の武器である無限供給を封じられる。でも、それだけ。さっきの戦闘でボクらは黒のサクラちゃんを確保する ことに全力を傾けたから、敵サーヴァントには全くダメージを与えてないからね」 それは、サクラたちは万全の状態でこちらを待ち構えているということであり。 「対して、こちらは負傷者多数、魔力も消耗してる。キャスターの魔力も陣地に溜め込んでる以上突入チームには供給できないよね?」 「出来ないことはないけど、効率は悪いわよ。やるならお嬢ちゃんの宝石に詰めて持ち運んだ方がいいわねぇ。時間かかるけど」 「・・・・・・」 何かを思いついた顔の凛をちらりと眺め、士郎は邪魔しないようにとイスカンダルへ向き直る。 「こっちは基本補給無しってことだよな? そうなると向こうも補給が無い間に行くべきなんじゃないか?」 「向こうは今も魔力が満タン近いからね。消耗した状態で相手するにはちょっと手ごわいかな。それにね? 確かに無限供給は反則な能力だけど、どれだけ蓄え があったって、一定時間に使える魔力は同じだよ。出力は変わらないんだからねっ」 イスカンダルの言葉に、ランサーは成程なと頷いた。 「そういう事か。魔力のストックがあったって一度に使える魔力が増えるわけじゃねぇ。互いに全開で戦い続ければ、こっちの魔力が尽きるまではヒラの勝負っ てわけだ」 「そういう事っ。もちろん、本当に互角ってわけじゃないよ。向こうは無駄撃ちが出来てこっちには出来ないっていうのは、とんでもなく大きなハンデだから ねっ。それでも、英霊は本体より宝具の方が強い攻撃力偏重の存在だよ。全力攻撃が出来るってだけでも回復後に戦う利があるとボクは考えるねっ」 いつもと違う、理論整然とした発言に士郎は感心の面持ちで頷いた。 「イスカちゃんが賢そうに見える・・・」 「うん、大家さんボクに宣戦を布告してるね?」 NoNoWarと首を横に振る士郎に、ギルガメッシュが何故かふんぞり返りながら鼻を鳴らす。 「当然だ。そ奴の通り名は『征服王』、この我に挑むことを許された軍を率いる者なのだからな」 「スキルとか持ってない筈なんだけどねっ。いざ喋り出したらどんどん知恵が沸いてくるよっ。・・・で、話を戻すけど、敵がサーヴァントだけなら速攻ってい う手も考慮する余地はあったんだよ。ギルっちは無傷だし、セイバーも魔力補給だけなら色々方法はあるでしょ?」 ほらこういう、とオッケーの形にした左手に右人差し指を突っ込もうとしたイスカンダルの手を閃光の如きスピードで凛が掴み、桜がまたカマトトぶってとや さぐれる。 「でも、実際は違うんだよ。今回の戦いの趨勢は・・・衛宮士郎、遠坂凛、間桐桜。君たち魔術師三人が、どれだけの戦力を持ち出せるかにかかっているとボク は読んでいる」 「わ、わたしもですか!?」 戦力外のつもりだった桜の素っ頓狂な叫びに、イスカンダルは落ち着いた表情で頷く。 「そう。相手の戦力を考えると、絶対に必要になるんだよ。サーヴァントの数ではこっちが多いけど、向こうのサクラが洞窟に篭ってるとなると、主戦場が狭す ぎていくつかのクラスは決戦要員から脱落するね。狭い空間ではキャスターの砲撃が生かせない。アサシンの気配遮断も有効とは言えない。ライダーも宝具の持 ち味が殺されてしまう」 やれと言われれば狭いとこでもペガサスでカッ飛びますがとブツブツ言ってるライダーは取り合えず無視する。 「これはどちらの勢力についても言えることだから、向こうも洞窟の中にずらりと全員そろえているって事は無いと思う。特にアサシン・・・ハサンあたりは、 確実にこの家を再襲撃してくるんじゃないかな。何しろこっちにはボクを含め戦力外が結構いるからね」 「怪我が酷い言峰にバゼットさん、遠坂の方の桜、イリヤ、後はアーチャーもか」 士郎の言葉に、凛は首を横に振った。 「向こうの主力がサーヴァントって時点でわたしと士郎も戦力外よ」 「シロウは確かに我々と戦うことが可能ですが、それは様々な援護あっての事と昨日言ったばかりでしょう?」 セイバーに、めっ!とばかりに諭されてる士郎をよそに、イスカンダルへと視線を向ける。 「つまり、桜を含めたわたし達三人がここに居ると、守りを担当するサーヴァントの護衛対象が増えて負担になるだけってことよね? 特に、あの子の狙いであ るわたしが居るのはまずい」 「そういう事。ボクたちは向こうのサクラちゃんを抑えたいんだから出来る限り攻撃チームに戦力を投入したいわけで、それは困る。だから・・・三人は攻撃 チームに入ってほしいね」 士郎は、大きく頷いた。 「あいつらと・・・向こうの俺とサクラと、戦う為にか」 「そういう事だよっ。サーヴァントと魔術師が戦いにならないなら、魔術師を相手に絞ればいい。アーチャーの腕にアンリ・マユの加護、向こうの二人をサー ヴァント並の脅威に押し上げているその装備を越える戦力を持ち出せれば、勝機は見えるとボクは判断するねっ」 イスカンダルの言葉に、遠坂桜は不敵な笑みを浮かべる。 「あっちのサクラ対策なら幾つか用意してあります。この体じゃ準備が精一杯だから、こっちの桜に実戦を任せる事になるけど・・・」 視線を向けられ、間桐桜はこっくりと頷く。 「―――覚悟は、あります。強く、したたかに、むしりとれるだけむしりとるが最近のわたしのトレンドです」 「―――桜、まだ間に合うからそのトレンドは捨てた方がいいと思う」 あくま増殖の予感に呻く士郎に諦めろと肩をすくめてからランサーは問いかけた。 「そうなると・・・あとはあっちのシロウだが・・・どうだ? 少年。おまえは、あの自分と戦えるのか?」 視線を受け、士郎は僅かに躊躇った。 ランサーの言葉は、単純な戦力を問うものではない。 それは、自分が辿ったかもしれない未来を、愛する少女以外の全てを切り捨てた衛宮士郎という存在を、どう捉えるのかという事だ。 かつて見た憧れを頼りに借り物の願いで生きる衛宮士郎が、借り物では無い自分だけの望みを得た衛宮士郎と向き合えるのかという、その問いに。 「戦える。あいつには、負けられない」 士郎は、迷い無くそう答えた。 歪なままの士郎には、シロウが何を求め、何を捨てたのかはわからないけれど。 そして、人間として真っ当なのは、サクラに支配されているとしても自分の為の願いで動くシロウの方であろうとわかっているけれど。 それでも。 「あいつを否定する事はできないとしても―――自分の選んだ道を肯定する為に戦う事は、出来る。借り物でも、歪んでいても、正義の味方になろうと決めたの は俺で・・・あいつなんだ」 どこで分岐したのだとしても、士郎とシロウの原点は、共に切嗣に救われた少年だ。 誰も救えなかった自分を許せず、自分を救った切嗣に憧れる事でなんとか生き続けて来た時間が、あのシロウにも存在しているのだ。 だから、自分を貫き通す。 どんな道を辿ったのだとしても、衛宮士郎が凛を、桜を、誰かを傷つけようとするのを、許すわけにはいかない。 「誰に勝てなくとも―――俺は、自分自身にだけは負けるわけにはいかないんだ」 一つ頷き、士郎は居間の中を見回した。 言い切ってから照れたのか小さな笑いを浮かべた士郎を、サーヴァントと魔術師はぽぅっと見つめた。 何しろ短期間で数々のイベントをこなしてフラグを乱立させた面々である。 冷静に自分を見直す時間など無く盛り上がっているお嬢さんたちは、惚れた男の決め姿に、これそういう場面じゃないからと己の欲望を押さえ込もうと戦いを 始め――― 「せ、先輩ぃぃぃぃッ!」 やはり真っ先にこの人が欲望に負けた。 「ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!」 間桐さんちの桜ちゃんは目を潤ませて士郎に飛びかかり、一瞬遅れて全員それに続く。 「のわっ! ちょ、さく、むぐ・・・!」 「抜け駆けすんなサクラ! あ、こら口を吸うなっての。ボディにしなボディに」 「ボディって何よランサー! っていうかそっちの桜! 何士郎のベルト外してんのよ!」 士郎の口と桜の口の間に素早く手のひらを突っ込んでキスを阻止した凛の絶叫に、遠坂桜はくいっと首を傾ける。 「先輩の本体にご挨拶しようかと―――ようは既成事実?」 「あ、あの、ハサン・・・痛くても我慢するですぅ!」 「黙んなさいっ! あと士郎も少しくらい抵抗しなさい!」 「いや、なんか身体が動かないんだけど・・・」 押し倒された不自然なポーズで呻く士郎の視線の先には、眼鏡を少しだけずらしたライダーさんが微笑んでいる。 「そこぉっ! キュベレイはさっさとしまう!」 「成る程、リンは眼鏡っ子派ですか・・・」 「本人も隠れ眼鏡だしな」 「ネコミミにも開眼したらしいわよ? 属性多すぎないかしら?」 「汚いですぅ、さすが魔術師汚い」 「ッ! キシャアアアアアアッ!」 混乱も一瞬。 奇声と共に凛の魔術が居間中を薙ぎ払った。 良くも、悪くも、いつも通りに。 13-8-3 ブリーフィング(TRUE) ■聖杯洞 大聖杯前 「・・・これで、八百六十三。ほんと、性格の悪い封印。トオサカって名のつくものはみんなそうです」 巨大な鍾乳洞、その中心でサクラは呟いた。 見渡す限り闇の満ちたこの広大な地下空洞は、声を飲み込み反響すら残さない。ただただ沈黙だけが彼女の傍らにある。 「でも、これならあの時間に―――あの時と同じ時間に、間に合いそうですよ先輩」 「・・・・・・」 背後に立つ黒い少年は何も応えない。 「少しだけ待っててくださいね。こんどこそ、先輩とわたしだけの世界になりますから」 「・・・・・・」 ぼんやりと光る大聖杯とそれに向き合う少女、そして少年。 他には何も無い。従者達はこの空洞の外で時を待たせている。 「これが終わったら、今度は何をして遊びましょうか、先輩」 静寂。 「約束のお花見にはまだ早いですよね・・・あ、でも先輩が見たいって言うんでしたらいくらでも季節なんて変えられますから」 静寂。 「ふふ、楽しみですね。先輩」 サクラは一人言葉を紡ぎ、魔術を行使しつづける。 自己に埋没し、闇に浮かぶエゴのみを見つめてただ一人口を動かす。 先の戦いで知ってしまったこと。 返る言葉を奪ったのは自分だという現実から目を逸らす為、自分の言葉で耳を塞ぐ。 「―――サク―――ラ」 だから。 その呟きは届かない。 13-8-4 ブリーフィングU(ALT) ■衛宮邸 居間 「ああもう、よけいな力を使ったわ・・・」 一度は粉々になった食卓を魔術で修復してから凛は荒々しくそこへ腰を降ろした。 「あの、俺・・・少し焦げてるんですけど・・・」 「あんたはそれくらい自己修復されるでしょ」 おそるおそる口にした士郎の抗議をバッサリと切り捨ててジロリと一同を眺め回す。 「んで、なんだったかしら?」 「向こうのシロウはわたしの士郎が相手するってとこまでですよ、姉さん」 「あんたのじゃない! わたしのよ! って何言ってるかわたしっ!?」 黒髪の桜がにっこり笑って言った台詞に凛はがおぅっ! と吼えてからポカポカと自分の頭を叩いてうずくまる。 「本音でしょう」 「ガチ意見だろ」 「勝利宣言か? 雑種の分際で生意気な」 「・・・言うべきことなどありません」 「追い討ち、かしら」 「むしろとどめですぅ・・・」 「挑戦受付ですよね?」 全員につっこまれてたじろいだ凛は反射的に士郎の方に目を向け――― 「いや、その、なんだ・・・ありがとう」 そこには照れて頭を掻いていたりする男が一人。 「っ! な、何言ってんのよ、ば、馬鹿!」 血管にじっくりことこと煮込んだハイポーションでも流し込まれたように熱くなる顔を必死に袖で隠し、凛は定まらない視線をふらつかせながらも叫んだ。 「と、とにかく! 今は戦いの事が議題でしょうが! いい加減本道に戻りなさい!」 「はいはい了解だねっ。向こうのサクラちゃんとシロウくんは大家さんたちでなんとかして貰うとして、多分一番奥に引きこもってるだろう二人のところまで、 どうやって送り届けるかっていう問題に移るよっ」 常より更に赤くなっている少女にびしっと親指を立て、イスカンダルは敵陣を予測する。 「さっきも言ったけど、全サーヴァントが護衛に回ってるとは思えないよっ。イリヤちゃんから聞いた限りではそこまで広くないみたいだしね、その洞窟。確実 に待ち構えているのはセイバーとバーサーカー。ギルガメッシュは狭いとかそういう事で戦力が落ちるわけじゃないけど・・・」 「狭苦しい洞窟なぞに我の玉座は置けん。構えるなら外だ」 ギルガメッシュは何が嬉しいのか不敵な笑みだ。 「だよねえ。山頂の柳洞寺。多分そのど真ん中にでも陣取るんじゃないかな。その位置からでも接近するボクたちを殲滅できるのがギルっちなんだけど・・・」 「ふん、言ったであろう。奴は我が仕留める。偽物とはいえこの我だ。我以外では相手にならん。貴様ら皆を相手にしたところで、2分とかからんだろうな」 「―――2分は長いだろうよ」 傲慢きわまる台詞に反応したのはランサーだ。 「1分あれば、6回は心臓をぶち抜いてやれるぜ?」 ニヤリと好戦的な笑みを浮かべてギルガメッシュを睨みつける。 「試してみるか? なに、安心するがいい。雑事を担う臣下が存在する事は許している。きちんと跪きさえすれば命は取らん」 「望むとこ―――」 「望んでどうするのですか!」 表出ろてめぇとばかりのゴロツキムードを、セイバーの一喝が吹き飛ばした。 「これから実戦だというのに、何をしているのですか! そんなに暴れたいのなら私が相手に―――」 「なってどうするのよ・・・」 凛はセイバーのアホ毛を指で弾いて溜息をつく。 「ランサーもギルガメッシュも遊びたいなら仕事してからにしなさいよ。あいつらぶちのめしてからでも殺し合いはできるでしょ?」 容赦なくバイオレンスである。 凛は湯飲みに残ったお茶を飲み干してから肩をすくめる。 「ともあれ、数字の上ではギルガメッシュの戦力が随一なのは認めざるを得ない所ね。その上で、ランサーやセイバーがその数字を覆す事もありえる事も認める べきだけど」 なんなれば、不可能を覆したからこそ彼らは英雄と呼ばれたのだから。 「・・・遺産分配やっとけよ」 「・・・格好の付く遺言でも用意しておくのだな」 睨みあう二人を眺め、遠坂桜はニコニコと頷いた。 「ちなみに、あっちのギルガメッシュはサクラをざっくざくに斬り刻んだあとこんなものかと油断してたら落とし泥にはまってガ―――とか言って死にました。 一撃でした」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 英雄王の威厳も、最強の財もその報告には無かった。 そこには、レベル1の冒険者っぽい末路だけがあった。 「・・・その、なんだ。ギルガメッシュさん、ドンマイ」 「ゆ、油断は王の特権だ! お、王と言えばセイバー、セイバーはどうなのだ雑種の娘!」 「わ、私ですか!?」 巻き込まないで欲しいなあと迷惑顔のセイバーに、遠坂桜は厳かに頷く。 「ハサンと交戦中に大技使おうとしたら泥に足掴まれてそのまま飲み込まれました」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 聖剣の担い手も、最優のサーヴァントの称号もその報告には無かった。 むしろちょっとコントっぽい最後であった。 「・・・その、セイバー、ドンマイ」 「なんつーか、王って名の付く奴らはそんなんばっかか?」 「ちなみにそう言ってるランサーもハサンと戦って完勝寸前に泥で足掴まれて妄想心音っていう負け方ですけどね」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 セイバーとギルガメッシュはニタリと黒い笑みを浮かべて顔を見合わせ、ぐっと親指を立てて見せた。 「「ランサー、ドンマイ」」 「1ゴール1アシストか。ハサン強いな」 士郎の感心した声に、ハサンの顔がぱぁっと輝く。 「わ、私強いですぅ?」 「ええ。言峰神父と正面から戦って木に串刺しにされるわあっちのサクラにぷちっとやられるわと大活躍よ。ところであなた、得意なのは何でしたっけ?」 笑顔で問われ、ハサンの輝きが線香花火の末路のように一瞬で地に落ちる。 「・・・ま、マスターの、暗殺、です・・・」 「「「ハサン、ドンマイ」」」 突きつけられた親指に、いえいつもこんなですからとハサンはうなだれた。 「じゃ、じゃあキャスターは?」 「泥、奇襲。ぐちゃ」 「「「「キャスター、ドンマイ」」」」 「アサシンの奴はどうなんだ?」 「ら、ランサー、なんか悲しくなってくるからもうやめないか?」 「いいじゃねぇか。この際みんなで仲良くへたれようぜ」 くくくと目を血走らせる英霊たちに、慈愛に満ちた・・・ように見えてサドっ気満点な表情で遠坂桜が大きく頷く。 「アサシン、佐々木小次郎は門前で立ちんぼしてる時に泥に両手を食いちぎられた後ハサンの母体になったので戦う事すらなくリタイアしましたねぇ」 「あらあら・・・」 「「「「「アサシン、ドンマイ」」」」」 「ラストか。バーサーカーは?」 「黒セイバー、ハサンと交戦中に泥に掴まれましたが、動けないまま抵抗を続け、最後には黒セイバーさんの『約束された勝利の剣』でこんがり焼けました」 「最後まで私を守ってくれたよ」 イリヤの補足に、ランサーとセイバーは顔を見合わせた。 「・・・なんか、普通にかっこいい負け方だな」 「ドンマイとかいえませんね」 「が、がぅ!?」 白々とした空気に、バーサーカーが理不尽なと涙ぐむ。 「まあ、仲間はずれということでひとつ」 「期待はずれもいいところだな」 「がぅ・・・」 「ば、バーサーカードンマイ!」 笑顔で総括する遠坂桜とふんぞり返るギルガメッシュにしょんぼり肩を落とすバーサーカーに士郎は慌ててサムズアップを送る。 「元から参加してなかったボクはクールに脱線を無視するぜ・・・ともかく、黒のギルガメッシュが外で待ち構えている以上、ギルっちにはそっちの相手をして もらう必要がある。他のみんなが勝てないわけではないけど、瞬殺の可能性もあるからね」 何か言いたげな騎士勢を無視してイスカンダルは脳内に描いた地図に駒を配置していく。 「そうなると、今度はバーサーカーが問題だね。十二回殺さないと死ななくて、しかも一度受けた攻撃には抵抗が出来て二発目からは効きづらくなる。おまけに 魔力無限供給の恩恵で命のストックが即時回復するから、よっぽどの打撃力が無いと攻略できないよ?」 絶望的なスペックを耳に、バーサーカーが静かに顔をあげた。 「ダイジョウブ。テハアル」 「おまえ、さっきは殺しきれなかったんだろ? 奥の手があるってのか?」 ランサーの疑わしげな声に、バーサーカーはこっくり頷く。 その表情から本気だと悟りながらも、イスカンダルは首を横に振った。 「イリヤちゃんと離れる気ないでしょ? 攻撃チームに回すのはリスクが大きすぎるよ。それに、バーサーカーの鉄壁っぷりは防御チームにこそ欲しい能力だし ね」 「・・・ソウ」 一瞬の無言は、自分の手で決着をつけたかったという未練か。 気持ちはわかるがと内心で呟きながらも、セイバーは軽く挙手をした。 「破壊力を、という事でしたら私の剣が最適でしょう。仮に一撃で倒しきれなくとも、令呪でアシストしていただければ二連、三連と撃ちこんで押し切ってみせ ます」 胸を張るセイバーに凛はふむと頷く。 「まあ、ギルガメッシュのドリル以外ではエクスカリバーが最高出力か・・・」 「バーサーカーはセイバーが相手する、と。じゃあ次は向こうのセイバーをどうするかって話になるんだけど・・・ランサー、行ける?」 イスカンダルの指名に、槍の英霊は我が意を得たりと笑みを浮かべた。 「ああ、まかせな。今回はやっかいな縛りもねえ。心臓をブチ抜いてやるよ」 「・・・・・・」 反論したいができないジレンマに口をもごもごさせるセイバーに苦笑し、イスカンダルは話を続ける。 「向こうのハサンは多分洞窟内には居ないけど、一応保険はかけときたいね・・・なんかある?」 「私が傍に居る限りは、直感で対処できます」 セイバーの言葉に、凛が首を横に振る。 「バーサーカーを相手にしながら私たちを守るのは無理でしょ?」 「そこで私の出番です」 声と共に、食卓に小さな身体が舞い降りる。手乗りアルトリアことちびせいばーその人である。 「能力値こそ激減していますが、直感スキルも対魔力スキルも健在です。不意打ちを防ぐ事に関してはフルスケールと代わらぬ働きが出来ます」 「・・・確かに有効ね・・・スケールダウンしてるって言っても風王結界で盾くらいは作れるでしょうし、範囲系の魔術も対魔力で破れそうね」 むんっと胸を張るちびせいばーに凛もふむと頷いたが。 「あ、ごめん。ちびせいばーはここの防衛に残って欲しいんだねっ」 イスカンダルはパンッと両手を合わせてそう言った。 「奇襲されて一番危険なのは、まともに戦うことすら出来ないダウン組だから、ちびちゃんはバゼットさんたちを守って欲しいんだよっ。ハサンちゃんも守りに 回すけど、一対一だと不利だってのはさっきの戦いで証明済みだからね」 「・・・しかし」 理屈はわかるが、セイバーとしての本分としては士郎を守りたい。 「気持ちはわかりますが、シロウが守りたいと思っているものを守るというのは、シロウ本人を守る事にも通じます」 「・・・後顧の憂いを無くす事も、また重要ですか」 ちびせいばーは、しばし目を閉じて己の心を律し、己の分身を真っ直ぐに見上げた。 「わかりました。では、シロウの家は私が守ります。シロウ本人は―――」 言葉を区切り見上げてくる小さな自分の似姿に、セイバーはこくりと頷く。 「ええ。私が、全力で」 「とはいえセイバーにはバーサーカーの相手をしてもらうわけだし、頼り切るわけにもいかないわよね」 凛は三杯目のお茶に手をつけながら食卓の向こうに目を向ける。 「ギルガメッシュ、なんかいい宝具はないの?」 「無論有る。我が財に不可能は無い」 英雄王はふふんと鼻で笑って頷き、しかし静かに目を閉じた。 「・・・まあ、使用するにはそれなりの魔力を消費するが」 その言葉に士郎以外の全員が一斉に首を横に振った。 「このプランは捨てた方がいいわね・・・セイバーから貰ってる少ない ちなみに、お母さんはたっぷりあげたいのだが、息子の財布が小さいのである。 「肝心な時に勃たないのはよくねぇな」 「そういう時はですね、こう後ろに指を―――」 滑らかに人差し指を曲げ伸ばしする佐々木と興味深げにそれを眺めるランサーやハサンを文字通り突っ込んだら負けだと無視して凛は息をつく。 「どうしたものかしらね。確実性には劣るけど、わたしの使い魔でも付けとく? 諜報用だから耐久力は無きが如しだし、サクラの魔力吸収とはこの上なく相性 悪いけど」 「そこでこの子達の出番ですよ姉さん」 遠坂桜は膝にまとわりつく幼女二人の頭をぽむぽむと撫でた。 「この子は物理攻撃無効、魔力吸収無効の防御特化仕様なんです。影と同化できますから先輩とそっちのわたしにくっつけときましょう。どっちがどっちに付く かは適当にね、あんり・まゆ」 「にーちゃんのひきしまったおしりと・・・」 「マスターの豊満なおしり、どちらを見上げるのが楽しいかが問題ですねー」 あんりとまゆはくすくす笑いながらそんな事を言い出し、すぐに口を閉じた。 冷たく見下ろす間桐桜の目が、言っている。 先輩のは、わたしにも見せろと。 遠坂桜はさすが我が分身と心の中でサムズアップしてから凛に目を向けた。 「―――姉さんはノーガードになっちゃいますけど、大丈夫ですか?」 「問題ないわよ。士郎が守ってくれるから」 「遠坂は俺がまも―――先に言われた!?」 「まあ冗談はさておき」 「冗談だったのか!?」 はりきりからしょんぼりへとテンションを上下させる士郎の太腿に、さりげなく手を乗せて凛は小さく囁いた。 「―――もう少し修行を積んで、赤い服が似合うようになったらお願いするわ」 「・・・!?」 士郎と桜は同時に拳を握った。奮起と殺気で意味合いは違うが。 「現時点では士郎や桜よりはわたしの方が戦闘訓練の純度が高いわ。宝石さえ補給できればそれなりの防御は構築できるし、ハサン対策も出来てるから」 2週間の間、無為に過ごしていたわけではない。かつてアーチャーに語った通り、凛は『もしもこの相手と戦うならばどうするか』という思考実験を、セイ バーを含めた全サーヴァント、全マスターに対して繰り返していたのである。 その中には、アーチャー抜きでハサンから身を守るというシチュエーションも含まれている。 ふむと頷き、イスカンダルは一同を見渡す。 「となると・・・突入組は大家さんたち魔術師組3人と護衛にセイバー、ランサー、ギルガメッシュとライダー。非戦闘員はキャスターの結界があるこの家に集 めて守備にキャスター、バーサーカー、佐々木さんでガード。ハサンちゃんとちびせいばーで敷地内の警備・・・と。こんな感じでどうかなっ?」 「突入組をもう少し増やしたいところだけど・・・仕方ないわね。あの馬鹿が起きてれば面倒は無いってのに」 「もし出発までに目が覚めたらアーチャーも突入組に回ってもらうよっ。でも、確実じゃないものは計算には入れない方がいいから」 脳内で戦力比を検討してから頷き、凛は立ち上がった。 「わかったわ。異論が無い様ならこれで解散。出発は今晩21時でどうかしら? 決戦用の礼装と食事の準備を考えるとこれくらいのスケジュールでないと間に 合わないんだけど」 「しょ、食事の準備ですか? 姉さん・・・」 桜の苦笑に、悠然と頷く。 「ええ。ゆっくり食べて、お風呂入って、風邪ひかないように髪きっちり乾かしてお茶の一杯も飲んでからいくわよ。あっちのサクラは呪いで頭の中単純化して るし、待ってると言った以上こっちが動き出すまで待つわよ、きっとね」 「同感です。体力と魔力の回復が急務の今、ゆっくり食べるのはかなり重要です。最優先事項と言えるでしょう」 力強く頷くセイバーに、おまえ飯食いたいだけだろうと全員思ったがとりあえず飲み込む。 判りきった数時間後を語る事はない。 セイバーはすました顔のまま、はらぺこの獅子になるだろう。 「じゃあそういう事で。キャスター、ギルガメッシュ。礼装の準備にあなた達の力が必要よ。一緒にわたしの部屋に来てくれないかしら?」 「そうねぇ。この時代の魔術を見るのも一興だし、構わないわよ?」 「・・・我の名を後に呼んだ愚挙、此度は特赦とするが、次は斬首と知るがいい」 呼びかけに立ち上がった二人を見て士郎は少し考え、傍らのセイバーに目を向ける。 「セイバー。俺の方にも思いついたことがあるんだ。少し協力してくれないか?」 「ええ、なんなりと。シロウ」 一も二も無く頷くセイバーを見て、ランサーは面白そうだと手を上げた。 「体術がらみならオレも手伝ってやろうか?」 「いや、魔術の方。切り札になりそうなものを思いついたんで、投影できるか試してみる」 「そういう事であれば、後で我の部屋にもくるがいい。再現できそうな財を見繕ってやる」 ふふんとふんぞり返って部屋を出て行くギルガメッシュに続き、他の英霊たちも次々立ち上がる。 「ハサンたちは見回りに行ってきますぅ」 「では、猫さんと共に私も巡回を」 「イリヤちゃんはバーサーカーの回復に専念してねっ。ランサーっちも」 「さて、お風呂でもわかしておきましょうか・・・」 ぞろぞろと出て行く面々を見送り、桜は一人俯く。 「サクラ?」 ライダーの心配そうな声に答えず、思考を己に埋没させる。 思うは、間桐桜のこと。 サクラを、誰が止めるのかということ。 凛か。 士郎か。 サーヴァントたちか。 ―――違う、と桜は呟く。 誰に負けてもいい。だが、自分自身にだけは負けるわけにはいかない。 つい先ほど聞いたばかりの言葉だ。 「相談が、あります」 顔を上げた桜の視線は、同型の顔を指す。 「なんですか?」 どこか満足げな笑みで答える遠坂桜に、間桐桜は息を整え頭をさげた。 「わたしが、あのサクラを倒します。力を貸してください」 <次のページへ> |