13-9 ReadySetGo 13-9-1 Ready:セイバー ■衛宮邸 士郎/セイバー私室 「それで、何を鍛つのですか?」 座布団に正座して向き合い、セイバーは主にそう尋ねた。 「ああ。セイバーの宝具に挑戦してみようと思う」 「これですか・・・確かに最強の一角と自負はしていますが―――」 言って実体化したのは、精霊文字の刻まれた長剣だ。アーサー王のシンボルたるエクスカリバーである。 「この剣の本質は魔力の放射です。残念ながら、シロウとの相性は良くないと言わざるを得ません」 士郎が投影した宝具はその真名を開放するのに必要な魔力を内包して出現する。魔力生産力の乏しい彼にも、それなりの破壊力を持った光刃を放つ事は可能だろう。 しかし、そこまでだ。 エクスカリバーの『最強の聖剣』という称号は、『所有者の魔力を光に変換して放射する』という剣の特性とセイバーの膨大な魔力出力量が組み合わさってこそのこと。 光刃を防御された時に追加で供給して断ち斬る為の『もう一押しの魔力』が士郎にはないのだ。仮にセイバーと撃ち合いになったとしたら、押し切られる事は確実である。 「そもそも、今の俺ではまだエクスカリバーは使いこなせないな。威力が大きすぎて等身大の相手に当てられる気がしないよ」 経験の憑依で技術は模倣できても、身体は人間衛宮士郎のものである。本来の使い手と比べれば、常に一手劣ってしまう。例外は士郎自身にとっての『絶対の一』であるところの干将、莫邪だけだ。 それらの問題点を考慮してもエクスカリバーの破壊力は魅力的ではあるものの、今回は密閉空間での戦いである。 迂闊に放って天井や床を崩してしまえば自滅だし、先のセイバー対セイバーの戦いのように光刃を相殺されて周囲に余剰魔力が吹き荒れた場合、対魔力で耐えることの出来ない士郎ではひとたまりもないだろう。 「それでしたら、まだしも風王結界の方を投影した方が役に立つのではないですか?」 「確かにそうだけど、違うよセイバー。違うんだ。今は俺が使うものを鍛とうとしてるんじゃない」 士郎は言いおいて目をつぶる。 意識を集中。脳裏に蘇るイメージはあまりにも曖昧で明確な形を成さないが、士郎の感覚が、この短期間で数々の剣に触れたその回路がそれは単なるイメージではないと告げている。朧気なそれは、確かに貴き幻想(ノーブルファンタズム)の欠片であると。 「遠坂に聞いたんだけど、セイバーが持つ宝具は、本来ならまだあるんだよな?『風王結界(インビシブルエア)』『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』に続く、もう一つの宝具が」 問われ、セイバーは困惑の表情を浮かべた。 「確かに、あります・・・いえ、ありました。しかしシロウの魔術は視認した武器の複製の筈でしょう? 既に失われていては、条件を満たせないのでは?」 セイバーの声に士郎は目を開いた。 「ああ、その通りだセイバー。でも、魔術師にとって『視る』というのは肉体の目によるものだけじゃない。そこに実体があるかは重要じゃないんだ」 魔術回路は魂にあり、肉体に刻まれた回路は現世に影響を与える為の端末だ。本質的には、魔術は魂で発動する。 つまり眼球による視認は、魂による霊的な認識の一端にすぎない。士郎が解析を行う際には、視線の通らぬ内側の構造も『視え』ている。 一度見た武器の全てを解析し蓄積するその回路は、対象を見る手段が霊視であり零視であったとしても、それを成し遂げるだろう。 「―――成程」 呟き、セイバーは苦笑を漏らす。 「ん? どうした?」 「すいません、シロウ。あなたもちゃんと魔術師なのだな、と思いまして。リンの教育は、順調に効果をあげているようですね」 剣の師としては影響力の小ささが少し寂しくもありますがと言ってくすりと笑う姿に、今度は士郎が苦笑した。 「一応、技とかじゃなく心構えをセイバーからは学んでるつもりだけど・・・それを生かせてるかは、自信が無いな」 「この夜を越える事で証明してください」 言って、セイバーは士郎の手を取る。 「シロウ。私はあなたを守り―――私自身も、守りぬきます。私が死ぬことで、あなたを傷つけたりはしません」 浮かべた笑みは、始まりの夜からは信じられないほどに穏やかだ。闘う者としての芯の強さはそのままに、愛しげな瞳が印象を和らげている。 「そう思えることも、こうして笑えることも、あなたから貰ったのです。私をこういう風にした責任、とってもらいますよ? あなたも皆だけでなく、自分自身も守ってください。あなたではなく、私達の為に」 士郎は、その笑顔に見惚れているのを自覚して頷いた。 「ああ、わかったよセイバー。約束だ」 「ええ、約束です」 二人は静かに小指を絡めて笑みを交わす。 「―――俺とセイバーはパスを通して記憶を共有している。それを通して失われた宝具の記憶を霊視すれば、投影は可能な筈だ」 士郎には霊視の魔術など使えないが、二人の間にはサーヴァントとしての契約という形で既に霊的な共感が備わっている。 魔術的な繋がり―――パスを通した物の『中身』を視る事に関してなら、彼は卓越した術者であるのだ。 セイバーは頬に朱を差しながらもしっかりと士郎の瞳を見つめ、頷いてみせる。 「はい。士郎になら、どこを視られても構わない。こちらからも招きますから、入ってきてください」 そして二人は小指を絡めたまま、そっと距離を詰め額を触れ合わせる。 元より僅かだった距離をゼロに。眼を閉じて、互いの吐息を感じながら、どちらからともなく言葉を交わした。 「・・・いくぞ、セイバー」 「・・・はい、来てください、シロウ」 13-9-2 Ready:間桐桜(1) ■衛宮邸 桜私室 桜の部屋に足を踏み入れた遠坂桜は、地味ながら少女らしい小物が配置された装飾を見て微笑んだ。 これこそが、彼女の特権。 万能の天才と設定された自分にも、黒の聖杯と化したサクラにも与えられなかった、「普通である」という属性。 それは、全ての桜が等しく渇望してきたひとつの理想の姿でもある。 「さて・・・作戦を考える前に、まずはこれを譲っておきますね」 遠坂桜は満足げに頷き、桜の手を取る。 「っ・・・!」 ちくりとした痛みに声を上げた桜は、ひんやりとした指に握られた自分の手の甲に、円と直線を組み合わせた紋章が浮かぶのを見た。 「これ・・・令呪ですか?」 「ええ、わたしが出現した時に持っていた、ライダーの分です」 二人の桜の後から入ってきたライダーがこくりと頷く。 「今後ともよろしく・・・」 「様式美っ・・・! あ、こちらこそ、改めてよろしくね、ライダー」 ぺこぺこと頭を下げあう二人を腕組み観賞しつつ遠坂桜は話を続ける。 「さっきも言ったけど、わたしは戦力になりません。それと、さっきは言わなかったけど、あと数時間でわたしは死にます。流石に、宝具直撃ってのは強烈過ぎました」 さらりと告げられた事実に、桜は大きく目を見開いた。 「そんな・・・! キャスターさんや言峰さんに相談すればきっと・・・!」 「言峰綺礼は色々な意味で逸脱していても人間ですから不可能なこともあります。キャスター・・・魔女メディアでさえ、外の世界では自分のマスターを蘇らせることはできませんでした」 己の胸に手を当てる。そこにあるべき鼓動は無い。 「この肉体は霊核である心臓を呪詛破壊されて即死しています。今は死体に魂を留めているような状態ですね。蟲倉世界のままならわたしが死んでも次のわたしが出現した筈ですけど上書きしちゃった今ではそれもかないません。まあ、人はいつか死ぬものです」 遠坂桜はそう言ってはっはっはと軽快に笑う。 遠坂たるもの、どんな時でも優雅であれ。 理想化された姉の姿を纏う少女に、己の死に際して取り乱す事は許されない。 「だから、遺せるものは、みんなあなたに託します。出来うる限りの援護はしますから、その代わり―――」 「その、代わりに?」 間桐桜の視線を受け、息をつく。 「全て終わったあと、姉さんに謝っておいてください。何も言わず消えるつもりですから」 「・・・今言うと、姉さんと先輩が、迷ってしまうからですか?」 「迷いはしないでしょうけど、わたしを助けようとするかもしれませんから。今は、その為の時間さえも惜しいんです」 静かに笑みを浮かべる遠坂桜からライダーに視線を移し、しばし考えてから間桐桜は頷いた。 「わかりました。明日の朝を無事迎えたら伝えておきます」 「出来れば向こうのサクラを打破した後にでもどさくさにまぎれて伝えちゃってください」 間桐桜はこっくり頷いてみせ、しかし心の中では首を横に振る。 自分は正義の味方を目指しているわけでも常に優雅であろうとしているわけでもない。必要とあれば良心に蓋をして、重要なことを黙っていることもできる。 (できますけど・・・その答えはNoです) 桜は、諦めの悪さだけはその二人と同じかそれ以上と自負している。 だから、戦いが終わってからちゃんと伝えるつもりである。遠坂桜が、大事なことをあなた達に隠していたと・・・まだ生きている彼女を突き出して。 その為にも、聞かなくてはいけない。 「間桐サクラ・・・えっと、向こうの、アンリ・マユと契約しているサクラは・・・間桐家に来てから、この世界に存在しない誰かに魔術を仕込まれていたんですよね? 無理矢理に、虐待のような形で」 「さ、サクラ。それは・・・」 制止しようとするライダーに首を横に振る。 「聞かせてください。わたしの予想通りなら・・・多分それが、一番の武器になります」 「・・・真っ黒で、限りなく気分悪い話だけど・・・いいんですか?」 覗き込むような視線を真っ直ぐ見つめ直し、間桐桜は頷いた。 「―――自分自身にだけは、負けるわけにはいかないんです」 そう、あのサクラにだけは負けない。負けたくはない。 どんな手段を使ってでもひっぱたいてやらなければならない理由が、自分たちにはあるのだから。 13-9-3 Ready:遠坂凛 ■衛宮邸 凛私室 遠坂家の魔術において最も重要とされるのは、資産の量である。 宝石という媒介を通じて発動される数々の魔術は己の回路のみで発動するスタンダードなものと比べ数々の利点を持つのだが、一方でとにかく金がかかる。 また、宝石に自分から魔力が沸いてくるわけでもなし、仕込みとして長い時間をかけて自らの魔力を注ぎ、蓄積するという工程を続ける必要があるのも悩ましい。 凛が継ぐまでは魔術を併用した投資技術に抜群の才能を見せた前当主、時臣の指揮の元で一般人の協力者が土地の運用や金融で巨大な収入を得ていたし、魔力の充填も多数居た徒弟が分担してこなすことで短時間に数を確保する事ができた。 しかし幼すぎる凛が家督を継ぐにあたり後見人に納まった言峰は性格の捻じ曲がった変態であり、変態であるにも関わらず完璧な聖職者であるという最悪の存在であった。 清貧を旨とする言峰は大金を生む遠坂家の所有地を二束三文で売り払い、協力者と手を切り、徒弟を他の派閥に放り込んだ。 無論それは凛への嫌がらせだったのだが、最悪な事にそうやって多くのものが失われた結果、遠坂家に残った財産がまだ年若い凛にも監理しきれる程度の規模であったのもまた事実であった。 そして、先代に仕えていた徒弟や協力者たちが充分に報われるだけの財産を与えられて離縁したが故に遠坂家に今も敬意を持っており―――凛がいずれ実績を積めば、再度元通りの影響力を振るえるであろう事もまた、事実である。 故に、気付いた時には財産の大半が消え去っていても凛は本気で言峰を憎む事が出来ず、聖杯戦争が始まるに至っても致命的なまでに彼に対して油断してしまう状態であり。 はたしてそれは言峰綺礼の計算通りなのか、それとも偶然なのか。 言峰が黒幕の役割を放棄したこの世界においては、もはやわかりえないことである。 閑話休題(さて)。 そういうわけで、聖杯戦争の開始に際して凛が所有していた宝石はそんなに多くはなかった。 日常的につっこみで使用していたような小粒なものならまだ箱で数えるほどあるが、サーヴァントや一流の魔術師との戦いでは、その程度では何の戦力にもならない。 Aランクの魔術を放てる大宝石は既に使い果たし、一応通用するという程度のものも底を尽いた。ありていに言えば、今の凛はまったくもって戦力外である。 住人が消えているのをいいことに新都あたりの宝石店を漁ればある程度の宝石は得られるかもしれないが、そんな事は凛の意地と士郎の頑固さが許さない。 そもそも必要なのは大きいだけでなく歴史のある宝石なので、そんなに手軽に手に入るものではないし。 故に。 「ギルガメッシュ。なんか宝石が一杯付いてる宝具出して。壊してもいいやつ。キャスター、宝具から宝石引っぺがして魔力篭めるから手伝いなさい。あと、屋敷に溜まってるマナも貰うわね」 凛は、いっそ堂々と強奪を宣言した。 「―――うむ。貴様はフェイカーと手を切り、イスカンダルと手を組むのがよかろう」 「なんていうか、生前に見た王族やらなんやらの無茶ぶりを思い出したわ・・・」 かのギルガメッシュをげんなりさせるというのは中々の偉業なのだが、だからと言って誇る気にもならない。 「無償でってわけじゃないわよ。あんたたち英霊は既に完成しちゃってるからそうそう強化は出来ないでしょうけど、わたしは宝石と魔力さえあれば実力以上に働けるわ。投資だと思ってほしいわね」 対価になる財産が無い以上、肉体労働で応じるしかないのだ。返す当ての無い借金など、遠坂家の当主として認めない。 「ふん、貴様があの男の娘である事を思えば、最前線で戦わせるのも一興ではあるがな」 ギルガメッシュは、10年前の戦争の殆どの時間を屋敷の中に篭って過ごしていたかつての召喚主を思い返してニヤリと笑い、凛を見つめる。 「しかし、我が財はその全てが無二の宝物。貴様は一個人に過ぎぬ己の価値をそれ以上とでも言うのか?」 「あんたが言うな―――っていうのはともかくとして、当然でしょ。自分で言うのもなんだけど、わたしは無駄遣いが嫌いなケチよ。投資した額より収入が小さいなんて許すものですか」 胸を張って断言する時代を越えた後輩に、キャスターはふぅと息をつく。 「口だけならなんとでも言えるわよ。そこまで言うからには、アイデアだけでもあるんでしょうね? アヴェンジャーのマスターが使う影の巨人や向こうの坊やの投影を封じられるだけの何か、かしら?」 「そっちは士郎と桜が手をつけてるから、パスね。後で様子見て何か行き詰ってるようなら一緒に悩んでくるわよ。で、わたしが作ろうとしているのは、対サーヴァント用の礼装。もしもの時に、士郎の投影頼りにしたくないのよ」 人間と英霊のスペック差は身に染みてわかっている。 だが、だからと言って無策で他人に丸投げしてしまうなど、凛の負けん気が許さない。 彼の後をついていきたいのではない。並んで、一緒に歩いて行きたいのだから。 「まだ理論実証用の試作品しか作ってないけど・・・あんた達が手伝ってくれるっていうなら、夜までに完成するわ。文字通り一撃必殺の礼装が」 くくく・・・と眼を怪しげに光らせて笑う姿はどう見ても悪のマッドサイエンティスト―――この場合はマッドオカルティストか―――の風情だったが、二人の英霊はいつもの事とスルーした。 「ふん、そこまでの大口言うのであれば、一つ下賜してやろう。所有者に権威を与え、雑種どもを跪かせるという宝冠なのだが、我には不要なものだ」 溢れる王気(オーラ)で何もせずとも皆ひれ伏すからな! とギルガメッシュは笑い、直接口答えしない奴はみんなひれ伏してる扱いだもんなあとキャスターは息をつく。 「ありがと。これで一昨日の大口が現実になるわ」 凛は空間の歪みから落ちてきた宝冠をひっくり返したり覗き込んだりして値踏みしながらうんうんと頷いた。 「王口だと!? きさ―――」 「話し進まないからすみっこで続けて頂戴・・・で? 何の大口かしら」 キャスターに問われ、凛は指先でくるりと王冠を回す。 「うん、イリヤスフィールに言ったのよ。わたしはバーサーカーを殺せるって」 13-9-4 Ready:間桐桜(2) ■衛宮邸 桜私室 「・・・本気で、それをやるんですか? 取り返しがつきませんよ?」 間桐の魔術の概要を把握した桜の語る『対抗手段』を聞いた遠坂桜の感想は、それだった。 「せめてもう少し詳しい話を聞いてからの方がいいんじゃないですか?」 「いえ、この状態がいいんです。この中途半端な状態だからこそ、勝ち目があると思います」 おろおろとするライダーに笑顔を見せ、間桐桜は自分の手のひらを見つめる。 「どちらにせよ、『普通の虚数使い』でしかないわたしでは無限供給とアンリ・マユによる変質っていう大きなサポートのあるサクラには敵いません。それは今までに失ったものの大きさの差でもあるわけですけど・・・」 ぐっと握れば、そこにひんやりとした手が被さる。ライダーのそれだ。 どうやら、笑顔が虚勢なことなど、お見通しのようだ。流石は眼鏡っ娘である。 「それで素直に負けるほど、わたしは人間ができてません。だから、お願いします。普通に習得しようとしても所詮付け焼刃ですけど・・・」 「―――そう、『間桐桜』がその魔術を使用できるようにする、というのならば可能です。世界がまだ形を為していて矛盾が抑止される今ならば。わたしも、あのサクラも外の世界に属している以上、あなたがその役割に最も近い桜ですから」 ふぅと息をつき、遠坂桜は姿勢を正した。 「・・・わかりました。確かに、あのサクラには有効な手段でしょう。必要なものは更地になっちゃってる間桐邸を掘り返せば手に入る筈です。手伝ってもらえる? ライダー」 視線を向けられ、ライダーは桜の手をもう一度握ってから頷く。 「はい。問題ありません。すぐにでも出発しましょう」 「わたしも―――」 一緒に行くと言いかけた間桐桜を、遠坂桜はぴっと手のひらを向けて制止した。 「あなたは体力とか魔力とか、色々温存しておいて。多分大丈夫だと思うけど途中で黒サーヴァントとかが襲ってくるかもしれないし、そうなると足手まとい二人は多すぎるから」 数時間前にはあれだけの魔術を行使していた彼女も、今では間桐桜でも殴り倒せる程度の戦力でしかない。 会話の中、あまりにも白すぎる肌の色でそれを感じてきた桜には、そう言われてしまえば返す言葉も無い。 弱っている彼女を助けるだけの力が、今はまだ無いのだから。 「わかりました・・・気をつけてね、ライダー」 「はい、可能な限り早く戻ります」 力強く頷いて立ち上がるライダーに続きよっこらせと腰を上げた遠坂桜は軽く眼を細めて考える。 後はこの桜に引継ぎするだけと思っていたが、案外にやる事は残っているものだ。 彼女はそこまで考えてないようだが、この方法でサクラに対抗するというのなら、自分の命の使い道は変える必要がある。 「あなたも、気をつけてくださいね」 「オッケーポッキー」 こちらに気遣わしげな眼を向ける妹のような少女に微笑み、密かに遠坂桜は覚悟を決めた。 やはり、やり遂げて安らかになんていうのは無責任過ぎる。自分もまた、最後まで苦しみ続けなければこの子達に申し訳ないではないか。 この先の存在しない、この子達に。 13-9-5 Ready:アーチャー ■衛宮邸 アーチャー私室 締め切られ、薄暗い部屋に横たえられていた少女がゆっくりと眼を開ける。 ぼんやりとした視界に見慣れた天井が映り、自分が衛宮邸の自室に居る事に気付き。 「ぐっ・・・!」 瞬間、膨大な量の記憶が無作為に再生されて少女・・・アーチャーは跳ね起きた。 膝をつき、四つんばいになって走馬灯の如き幻覚に息を荒げる。 テロリストの立てこもるビルを数キロ離れた場所から宝具で狙撃し、崩壊幻想でビルごと爆破した記憶。 未開の土地で、村落の住民全員を生きたまま腑分けしてゴーレムを造っていた魔術師を斬り殺した記憶。当然、助けを求めて泣き叫ぶゴーレムも全て斬り殺した。 内戦で荒廃した街で、生き残った住民を守るべく所属を問わず兵士を狩り尽くした記憶。 死徒の船と化した客船を、生き残りもろとも沈めた記憶。親しかった、特別と言えた魔術師もろともに。 狂信者集団の拠点で、周囲の市街もろとも自爆する為に貯蔵されていた生物兵器を無効化した事もあった。狂信者達は怒れる住民たちに皆殺しにされた。 時間を捻じ曲げて「いつか生まれる筈の子孫」を全て呼び寄せることにより、1000年先の研究成果と何十人分もの回路を手にして根源に至ろうとした魔術師も斬った。子孫たちは先祖諸共消滅し、存在したという痕跡すら残らない。 魔術使いとして、世界の使いっ走りとして、ただ一人戦場を這いずり回った記憶たち。 これまでは、どこか客観的に見ることの出来たそれが、抑えきれぬ生々しさで再生され、血の臭いや断末魔の絶叫までが幻覚として蘇る。 「ぁ・・・ぐ、あ・・・」 歯を食いしばり、少女は立ち上がった。 最後のフラッシュバックが、その足を震わせる。 木組みの台に乗せられ、首に縄が回され、そして。 がくりと傾いた視界。喝采を送る民衆。 「英雄になど、ならなければよかったんだ―――」 その言葉は、その時のものではない。 孤独で、救いなど欠片もないその終焉の先、抑止という果てしない粛清の旅路の果ての怨嗟である。 それは、捨てた筈だった。 衛宮士郎を殺す事で己を消し去りたいというその望みは、この自分には必要ないとした筈だ。 だが、何故だ。 何故、捨てられるなどと思ったのか。 これだけ救われぬ事をした自分を、いずれこれ程の愚かな事をする衛宮士郎を。 何故、そのままにしておけるのか。 「違う―――私は、もはや―――」 歯を食いしばる。戦場の記憶は際限なく再演される。 ああ。 英霊エミヤは、こんなにも長く、多く、血を流してきたのか。 膝が落ちる。 命乞いする魔術師を容赦なく割断する記憶。一人を殺して、百人を救い。 そしてその一人を愛していた誰かに、怨嗟の声を叩きつけられる。 「ぁ―――」 跪いたまま、声が漏れた。 「あああああああああぁぁあああああっッッッ!」 「アーチャー!?」 記憶の奔流をかき消さんとばかりの絶叫に、慌てた声と共に襖が開いた。 (―――駄目だ) 口は絶叫を放つまま、脳内の冷静な部分が呟く。 廊下から飛び込んできたのは、誰よりも見慣れた顔。記憶の逆流の中には無い顔。 ひたすらに殺し続けた、この自分の顔。 (何故ここで現れる・・・!) アーチャーは、駆け寄るその姿に苛立った。 凛ならば、セイバーならば、桜ならば、大河ならば―――他の誰であっても、この憎悪に耐える糧となろうものを・・・何故におまえが真っ先に現れる! 「なッ・・・!」 アーチャーの視線を受けた士郎は、つんのめるように足を止めて硬直した。 その首筋には、白と黒の刃が当てられている。 (あ―――) 気付けば、あれだけ荒れ狂っていた記憶の再生は止まっていた。 僅かに触れた切っ先が、士郎の首に小さな傷をつけている。血の玉がひとつ、ふたつと肌を伝った。 アーチャーが握った双刀が、その傷をつけたのだ。 意識すらする事無く振るわれたそれが。 「お、落ち着けアーチャー! 俺は敵じゃない方の衛宮士郎だ!」 「・・・違うな。私の敵は、元よりおまえ一人だ」 両手を挙げた士郎の言葉に、アーチャーは冷たく言い放った。 「え?」 きょとんとした表情を眺め、失笑する。 色々と悩んだところで、苦しんだところで結局はこれだ。 考えるよりも早く殺しにかかったこの腕が、英霊エミヤ、アーチャーの真実。 「私の真名を知っているか?」 「いや、知らない・・・けど」 戸惑いから警戒に表情を変える士郎を見据え、アーチャーは告げる。 「英霊エミヤ。憧れた理想が他人からの借り物であるが故に叶える術を知らず、世界に死後を売り渡す事でそれを叶え―――そしてその先に待っていた永劫の殺戮に絶望した成れの果てが、この私だ」 「っ・・・」 士郎は息を呑み、銀髪の少女を見つめる。 予想していなかったわけではない。 凛によれば現代の魔術体系から外れるらしい士郎の投影に対する知識も、所有する双刀の馴染み方も、『正義の味方』という言葉への反応も、全てそれを示唆していたのだから。 「で、でも、だからってなんでアーチャーが俺を殺さなくちゃいけないんだよ・・・!」 「それが、英霊エミヤが存在するという過ちを撤回する唯一の手段だからだ」 硬い声で告げられた言葉に、 「自分殺しの矛盾で己を消し去ろうってか? そんなもんでどうにかなる程オレらの『座』はちゃちじゃねぇよ」 嘲笑の篭った声が続いた。 同時、士郎の首に突きつけられていた干将の刀身が砕け散る。 「・・・ランサー」 いつ現れたのか、士郎の背後、襖の向こう側にランサーの長身があった。服装こそ普段着のままだが、その手には既に魔槍が握られている。襖越しにアーチャーの刃を砕いたその槍が。 「可能性はゼロではない。そして―――意味などなくとも、衛宮士郎を殺せるというだけで充分価値はある。ただの八つ当たりではあるがな・・・!」 「俺の事を殺したいっていうなら今までに機会はいくらでもあっただろうに! なんで今になって・・・!」 実際には、一度試みて諦めたことを何故再度願うのかという問題である。 油断なくこちらに向けられた槍の穂先を眺め、アーチャーは冷たく笑った。 「―――英霊の身体は、魂という図面に従い魔力を実体化させたものだ。血の一滴にいたるまで、高純度の情報で出来ている」 唐突な言葉に士郎は戸惑い、一瞬置いて眼を見開いた。 「あの時・・・! 向こうの俺がつけた傷!」 「私の記憶は曖昧であった。思えば腕一本分の魂が欠けていた事に所以するのかもしれんが、アーチャー・・・英霊エミヤの記憶も、知識も全てがどこか他人事のようだった。だが、今・・・オリジナルの肉体に触れた今は、違う」 「はン、それで衛宮士郎を殺したいって衝動がリアリティをもっちまったってか。だが、知ってんのか? 俺達もこいつもコピーだぜ? 殺すんなら、あっちの・・・オリジナルの衛宮士郎を殺るべきなんじゃねぇか?」 問われ、アーチャーは皮肉気な表情を浮かべる。 「道理だな。しかし、私の衝動は奴ではなく、この衛宮士郎に向けられている。あれはもはや私・・・英霊エミヤには繋がらない。あんな成れの果てを殺したところで、無意味だとな」 「アンリ・マユに汚染されてやがるからか?」 ランサーの言葉に、アーチャーではなく士郎が首を横に振った。 「いや、多分違う。あいつは、自分の願いを見つけていたからだ。姿の定まらない『誰か』じゃなく、桜だけを守るって決めた・・・ただの、人間だからだろう」 アーチャーは然り、と頷く。 「そう、汚染などその結果の一つにすぎん。決断を下した時点で奴は我々と似ているだけの他人だ。逆に・・・生命としての始まりがどうであれ、その理想、その魂を抱えて足掻くおまえは―――おまえが、衛宮士郎だ!」 言葉と共に、アーチャーの両手に白と黒の双刀が再度出現する。 「てめぇっ・・・!」 瞬間、躊躇なくランサーは槍を突き出し、その穂先が士郎めがけて打ち込まれた莫耶の刀身を粉砕した。 「聖杯洞だ。そこで待つ・・・!」 同時、破砕音が頭上で響く。 莫耶を振るうと同時に頭上へと投げ上げられた干将が、天井を突き破り大穴を開けたのだ。 そのまま跳躍したアーチャーは穴の向こうに姿を消し、ランサーは一歩遅れて後を追う。 「・・・畜生、逃げやがった」 屋根の上から周囲を睨みまわしたランサーの言葉に、士郎は固く拳を握る。 既に、自分自身と戦う覚悟は決めていた。今更もう一人自分が増えたところでその意志は変わらない。 だが。 「嬢ちゃんに、伝えねえといけねぇな」 天井の穴から降りてきたランサーの言葉に、士郎は固い表情で頷く。 凛に伝えるのは、自分であるべきだと。 13-9-6 Set:遠坂凛 ■衛宮邸 凛私室 「・・・そう。あいつがね」 アーチャー離反の報を自室で受けた凛は、すっと左手をかざした。 さっきまでは念じればそこに浮かび上がった文様が、今はどれだけ目をこらしても見つからない。令呪は、既に消え去っていた。 「私の『破戒すべき全ての符』でしょうね。坊やにできるんだから、当然その未来の姿であるアーチャーにも投影できるわ」 「ふん・・・贋物から裏切り者へと転進か。ますますもって愚かだな」 礼装作成を手伝っていたキャスターとやることはないが偉そうに仁王立ちしていたギルガメッシュの言葉を受け、凛は軽く肩をすくめて見せる。 「あんたやセイバーが裏切ったっていうよりはマシでしょ。聖杯洞で待つっていうなら突入チームが相手なわけだし、相性抜群のセイバーに相手してもらえばわりと簡単に倒せるわよ。何しろ、あいつの長所も短所もわたしは完璧に把握してるもの」 怒りや悲しみではなくやれやれといった表情で語る凛に、ギルガメッシュはふぅむと唸る。 「流石の蛮勇だな雑種の娘。よかろう。なんならば、今作っているそれを奴に使ってもよいぞ」 「なんであんたに許可だされなきゃなんないのかわかんないけど、必要になればあの綺麗な顔をふっ飛ばしやるわよ」 ふん、とそっぽを向いた凛は、ふと自分に向けられた視線に気付いてふり向いた。 「・・・なによ、士郎。止めたって無駄よ。裏切り者を笑って許すほどわたしは人間できてないの。自分の手で、ぶん殴ってやらないと気がすまないんだから」 パシン、と拳を手のひらに打ち付ける姿をしばし眺め、士郎はゆっくり首を横に振る。 「遠坂。そこまで強くなくていいんじゃないか?」 「っ・・・な、なによいきなり」 凛は僅かに口ごもりながらも腰に手をあて、冷たい笑みを浮かべる。 「わたしが裏切られてショックでも受けてると思った? 確かにアイツがこの状況で裏切るってのは予想外だったけど、正体は前々からわかっていたし、士郎を殺そうとするってのもそんなに意外な行動じゃないわ。今更よ。今更」 「確かに、遠坂なら全部予想できてたかもしれない。でもショックじゃないわけじゃないだろ」 だが、士郎は淡々とその言葉を切って捨てた。 「あのね―――」 「俺とアーチャーじゃなく、自分とアーチャーが殺し合うっていう状況は、想定してたのか? 遠坂」 一瞬言葉に詰まった凛を、士郎は見逃さない。 そう。凛が想定していたのはアーチャーが士郎を殺そうとするかもしれないという事だけ。 それはアーチャーが自分の目的の為に凛を裏切るという展開であり、凛自身を殺すために裏切るものではない。 遠坂凛の甘さが、思い至っていたその可能性から目を逸らさせていたのだ。 「現実としてこうなった以上、遠坂はアーチャーを倒す最適な手段を思いついてしまうんだろうし、どんなに辛くてもそれを実行して、成功させてしまうんだとは思う」 士郎が静かにそう言って、凛の両肩を掴む。 「でも、俺は遠坂にそういう強さは持って欲しくない。誰よりも魔術師らしくて、でも身内に甘かったりと完全じゃない、そういう遠坂が、好きなんだ」 「にゃっ!?」 至近距離から真顔で告げられた言葉に、凛はびくんっと震えた。顔がみるみる赤くなり、視線が逃げ場をさがして右往左往する。 「だから遠坂。俺達を頼ってくれ。何でも一人で出来るからって、何でも一人でやらなくちゃいけないわけじゃないだろう?」 「う、うん、うん。わかった。わかったわよ。わかったから、その、顔近いから! 腰・・・腰抜ける・・・」 「遠坂?」 あからさまな挙動不審に、士郎は目をしばたかせ。 「大丈夫か? 顔、凄い赤いぞ?」 何の考えもなく、ぺたんっと凛の額に自分の額を押し当てた。 「!?」 両手が塞がっていたので小さい頃に姉虎によくやられていた事を再現しただけなのだが、触れた額のぽかぽかっぷりに士郎はぎょっとした顔になり。 「遠坂! 凄い熱―――」 「いぃかげんに、しなさいっ!」 瞬間、DoGooooooNという轟音と共にその身体が高々と宙に舞った。天井の高さとか完全に無視して。 右拳を振り切った姿勢の凛の背後で大の字でのけぞった姿勢の士郎が銀河を背景にして吹き飛び、どぐしゃぁっ! という擬音と共に落下する。 「あ、あれは! あのフックこそブーメランテリオス!」 落下と共にがらっと窓が開き、そこから顔を出したイスカンダルが戦慄の表情で叫ぶ。 「テ・・・テリオスとは・・・ま・・・まさか・・・あの・・・」 士郎は薄れ行く意識の中でなんとか振られたギャグを完成させてから気絶した。 「―――なんなの? これ」 「ふっ、魔術師風情にはわかるまい・・・この熱き魂は・・・」 「気にしたら負けなんだねっ! というか誰か氷持ってきてほしいよっ!」 引き気味のキャスターと浸っているギルガメッシュをよそにイスカンダルは靴を脱いで窓から入ってきた。 「単純な打撃くらいでどうにかなるような子じゃないでしょう? ほっときなさいな」 「単純だと!? よいか魔術師。テリオスはフック、スクエアに続きだな―――」 ギルガメッシュは無遠慮な言葉に宝物庫を開き、中から次々に単行本を取り出し始めた。勿論、全部初版である。 「見るがいい! 貴様の国の代表はこんな奴等だ!」 「・・・なんで神の連中がボクシングやってるの?」 「テニヌの世界の最大戦力がテニヌプレイヤーであるようにボクシングが最大戦力な世界だからだねっ・・・っていうか、リンちゃんくらいは手伝ってくれてもいいんじゃないかなっ?」 枕を士郎の頭の下に差し込んでやりながら眼を向けると、凛は落ち着かなげにツインテールの先っぽを弄繰り回す仕事が忙しいらしくこっちを見てすらいなかった。 「まったく・・・人目を気にしなさいっての・・・」 「あー、人目がなければ歓迎なんだね・・・」 もちろんですとも。 13-9-7 Set:間桐桜 ■衛宮邸 客間 「サクラ君。すいませんがそこのボトルを取ってくれませんか?」 「あ、はい。これですね」 出血と回復魔術による体力消耗でダウンしていたバゼットの様子を見に来た桜は、既に起き上がって新しいスーツに着替えている姿に感心半分呆れ半分で座卓に置かれていた水筒を手に取る。 「すいません。こっちの手がまだ上手く動かないもので」 数時間前に切断された腕をぶらんぶらんさせながらネクタイを締める姿に無理しないでくださいねと声をかけ、水筒の蓋に中身を注ぐ。 渋みのある臭いと、どんより濁った色み。なんとも怪しげな液体である。 「・・・これは?」 「体力回復と回路の活性化を主目とした薬茶だ。味は最悪だが、効果は保障しよう」 包帯に何やら聖句と思しき文字を書き込んでいた綺礼に言われ、桜は水筒の蓋をバゼットに渡す。 「ありがとう・・・」 受け取ったバゼットは苔の生えた泥水にしか見えないそれを眺めて数秒静止し、一気にそれを飲み干した。 「ぐぬぬ・・・」 途端、額に脂汗が滲み、全身がぶるぶると震えだす。 「だ、大丈夫ですかバゼットさん・・・」 「N・・・NoProblem・・・苦いというより痛いですが・・・大丈夫・・・私は大丈夫私は大丈夫私は大丈夫わた、わた、わたしはしはしはしは―――」 「明らかに大丈夫じゃないですよね!?」 エチケット袋は要りますかと慌てる桜に、綺礼は静かに首を振る。 「問題ない。間桐桜。彼女はその苦しみを快楽に変える術を体得済みだ」 「人を変態みたいに言うな・・・!」 「あ、バゼットさんおかえりなさい」 苦しげにツッコミを入れてからぜぇぜぇ息を整えてバゼットはゆっくり背筋を伸ばした。 「ようやく落ち着きました・・・感覚も戻ってきましたし、一時間もあれば戦闘はともかく動かす分には問題ないと思います」 言いながら指を僅かに曲げたり伸ばしたりするのを見るに、確かに先ほどよりも状態は改善されているようである。 「ちゃんと効果あるんですね・・・すごいです」 桜の感嘆に、バゼットは少し得意げに胸を張った。 「ええ。これまでも負傷するたびに淹れてもらっていたのですが、抜群の効果ですよ。時計塔の専門術者にも負けません。味はまあ最悪ですが・・・これ程の効果なのですから、仕方ないですね。わざとでもないでしょうし」 「いや、その味にするために効果とは関係がない香草を数種混ぜている」 「なるほど、ただの嫌がらせでしたか」 無論だとも、そうですよねと夫婦は微笑を交わし。 「巫山戯るな・・・!」 「真面目にやってるとも!」 涙目で放たれた左ストレートを巨体に似合わぬ軽やかさで綺礼が回避する。 「ま、真面目に嫌がらせをするな・・・!」 「ふふふ・・・だが、日頃から苦いものを飲んでいるおかげで、毎朝白くてどろっとしたアレを飲むのも楽なものだろう?」 「ま、毎朝飲んでるんですか!? その、せー○き・・・!」 赤裸々な告発に興奮した桜の叫びに、バゼットと綺礼は無表情にぐるんっとこちらを向いた。 「「いいえ、ケフィアです」」 「ハモられました! いえ、はめられました!」 ぐぬぅと悔しがる桜をよそに、バゼットは軽く溜息をついて握っていた拳を解いた。 「ほう? 今回は怒りが収まるのが早いではないか」 意外そうな夫の顔から目をそらし、息をつく。 「・・・そういう時だって、ある」 いつもと変わらぬ表情で立っているが、綺礼の服の下には常人ならば数度は死に至るような傷が残っている。 バゼットの目の前で、バゼットが何も出来ぬままつけられた傷が、だ。 「今のあなたを殴ることは、さすがに・・・出来ない」 俯き、力無く呟く姿を眺めて綺礼はふむと頷いた。 「・・・それだけ喋れるのならば体力面では問題なさそうだが、縫合面が痛んだりはしないか? 回復力を高める為に回路を強制使用しているわけだからな。我々の身の上からして、魔力枯渇になってはいかん。立ちくらみなどを感じたらすぐに言うがいい」 淡々とこちらを気遣う言葉を紡ぐ綺礼に、バゼットは奥歯を噛みしめた。 「なんで・・・こんな時に限って優しくする―――いつものように私の心を抉ればいいだろう!」 睨み付けられた綺礼は、薄い笑みを浮かべて肩をすくめた。 力無く胸を叩いた妻の手を受け止め、静かに口を開く。 「私はいつものようにしているとも。異なるのは、君の方だろう」 「私? 私こそ何も変わらない。いつもと変わらず、何も―――」 はき捨てるような声には耳を傾けず、綺礼は彼らしい傲慢さで堂々と自らの言葉を続けた。 「今の君は、罰を欲している」 途端、バゼットの動きが止まった。 「この状況の発端に関わり、しかし解決に寄与していないという無力感と、私が負傷した原因となった事への自己嫌悪。それを少しでも軽くする為に、誰かになじられ、傷つけられ、踏みにじられることを君は望んでいる」 切開。言峰綺礼のそれは、晒されたくない内面をこそ容赦なく暴いて晒す。 正面から見つめられ、バゼットの表情が歪んだ。 「・・・いつもいつもあなたは・・・人の心を、ずけずけと・・・」 俯いたその姿は肯定に等しい。 綺礼はこちらを見ようとしないバゼットに、表情を変えぬまま言葉を送る。、 「知っての通り、私は人の不幸を、苦しみを、憎しみをこそ好む。君が自らの失策について罰を・・・苦しみを望むのならば、私は己のルールに従い、君が望まぬ方法で応えよう」 声と共に、バゼットの頭は力強い両腕に抱き寄せられた。 「え・・・え!?」 狼狽の声を無視して綺礼は彼女の頭を胸に抱き締め、その髪をゆっくりと撫でる 「無為も無策も君だけではない。互いの負傷も、個人ではなく私達の敗北だろう。故に、一人で気を病むな。バゼット・フラガ・マクミレッツ・言峰」 毎夜の睦言とは違う、慈しむような感触にバゼットは言葉を失い、意識を失わぬようになんとか口を開く。 「き、きれい、その・・・ごめんなさい・・・」 舌足らずな言葉に、綺礼は微笑んだ。 「惨敗ではあっても二人とも生きており、次に打つ手もある。何も問題はあるまい」 髪を撫でられているだけで、何も考えられなくなる。体の奥底が熱くなり、頬が火照る。 「あの、ね。なんだか、あつい・・・」 幼子のような口調で訴えられ、綺礼は一つ頷いてバゼットの上着を脱がした。 されるがままの妻のネクタイを外し、シャツのボタンを一つ一つ外し――― 「あ、あの! わ、私ここに居るんですが!」 耐え切れなくなった桜の叫びに、バゼットの意識は一瞬で覚醒した。 「!? な、なんだこれは!」 既にシャツを半脱ぎにされ、下着を没収されそうになっていたバゼットはバッタのような鋭い跳躍で飛びのいてアワアワと震える。 「バゼットさん・・・なんていうか、幼女プレイ・・・ですか?」 「い、いや、違うんだサクラ君・・・!」 「赤ちゃんプレイにしては喋りすぎだと思いますけど・・・」 「プレイスタイルが違うのではなく!」 「では、本気を出したらあの程度ではない、と?」 「激しさの違いでもなく!」 大丈夫ですよ、性的嗜好は千差万別ですからと聖母のような笑みを浮かべる桜に、バゼットは泣きそうな目で綺礼に助けを求める。 「・・・キレイぃっ! なんとか言ってください!」 「うむ・・・間桐桜。今の痴態はバゼットの意志によるものではない」 「痴態言わない・・・! でもその通り!」 ツッコミと肯定を同時にこなし、バゼットはガクガク頷く。 「先ほどの薬に混入させた媚薬の効果だ」 「貴様が元凶か!」 咆哮と共にバゼットは無傷の左手で閃光のようなフリッカージャブを繰り出し、綺礼は呪文と共に取り出した黒鍵を扇のように開いて盾にする。 ガキンガキンと鳴り響く金属音に看病とかいらないなあと桜は部屋を出ようとしたが。 「あ」 大きく目を見開いて立ち止まった。 「む?」 「どうかしたか? 桜君」 こちらを凝視してくる少女にバゼットは拳を突き出したまま、綺礼は拳を顔面にくらったまま振り向いた。 たいそう怖い。 「あ、その…とりあえず、普通に聞いてほしいんですけど…」 「あ、ああ、失礼」 バゼットは咳払いと共に拳を引っ込めて綺礼の脇腹を肘でつついた。 うむと頷き綺礼は手を広げてみせる。 「問題は無い。これが我々の普通だ。倦怠期には少し変わったプレ―――」 瞬間、ドズン・・・と重い音と共に綺礼の脇腹に肘が突き刺さった。明らかにアバラが折れているが、まあそんな事もあるだろうと桜は大いに無視である。 「えっと、教えてほしいことが―――あるんです」 真剣な表情にバゼットは眉を潜め、慎重に言葉を選んだ。 「サクラ君。最初から特殊なプレイに走るのは感心しません。君はまだ若いのですし、少女と呼ばれるうちはロマンチックな行為に徹した方が後々にですね―――」 「・・・はい。バゼットさんが手遅れなのはよくわかりましたがそうでなく、ちょっと手伝って欲しい事があるんです」 結局なところ、円満な夫婦であった。 13-9-8 Set:衛宮家 ■衛宮邸 台所 「さぁて、何を作ろうかしらね」 「今日の当番は俺じゃなかったか?」 冷蔵庫を前に腕組みして仁王立ちする凛に、まだ痛む顎をさすりながら士郎が問う。 「そうだけど、この際だもの。冷蔵庫の中身、全部使い切っちゃうわよ。どんだけ作ってもここの連中なら食べ残す事はないでしょ」 「最後の晩餐って奴か? 嬢ちゃん」 ぶわさっとマントの如く翻して身に着けたエプロンも凛々しく宣言する凛に、夕日の差す居間から顔を出したランサーが茶化すように声をかける。 「そんなわけないでしょ」 凛は肩をすくめて脳内のレシピ集をめくる。 「サクラがすねてる程度のことでわたしは死なないわよ。士郎もね。人間が死なないってのにまさか英霊が死んだりしないわよね?」 「あの、姉さん・・・わたしが数に入ってない気が・・・」 「はっ、そりゃそうだ。まあ、おまえらの事だからどんな事があってもバカップルしてるんだろうしな」 大量の米をわっしゃわっしゃ研いでいた桜の小さな抗議をスルーしてランサーはカラカラと笑う。 「遅れました・・・あら、今日はみんなで作るのですか?」 割烹着をつけながらやってきた佐々木、米を研ぐ臭いだけでフラフラ現れたセイバー、一通り結界の補修を終えたキャスターが次々と居間に集まってくるのを眺めて凛はエプロンの紐をきゅっと締める。 「わたし達には明日の朝ごはんも昼ごはんもある。でも・・・この世界は無くなるわけでしょ? せっかく買った食材がもったいないじゃない。仮に戦いが終わった後もしばらく世界が持つとしても、あいつらの攻撃で冷蔵庫壊れたりしたら痛んで生ものとか駄目になるし」 「そ、その通りですリン! あなたは今、実に正しい! 備蓄を痛ませるのは罪だ! 私の時代でしたらそのまま牛引きにでもしているところです!」 拳を握って熱弁するセイバーだが、別段大量の食材に魅入られているというだけでもない。 軍隊での資金繰りで最も頭を悩ますのは、実際のところ高額な装備の購入資金よりも兵たちの食費なのである。 セイバーの時代における矢、現代における弾薬なども金食いではあるが、それらは戦闘がなければ消費されない。 しかし、ただ待機しているだけでも兵士達は飯を食べる。飯の切れ目が士気の切れ目。食料の備蓄は、それイコールで戦力の量なのである。 「まあ、そういう事なら全力を出すことに異論はないな」 士郎は静かに袖をまくり、厳かにエプロンを身に着ける。 「―――和の真髄。ここに見せよう」 「な、なんか大家さんが渋いよっ! そういう雰囲気は夜の決戦の時に出した方がいいんじゃないかなっ・・・」 「和の心は一人で為すものではございませんよ。不肖この佐々木、微力ながら旦那様の御為に刃を振るいましょう」 「うん、ようは下ごしらえ手伝いますって事だよねっ?」 がしっと握手など交わしている士郎と佐々木を眺め、キャスター(大人)は不敵な笑みを浮かべる。 「料理と魔術は源を同じとする技術。神代の煮込み料理を見せてあげるわ・・・洋食担当、手伝いなさい」 「わ、わたしですか!? あ、じゃあライダー、このレタス手のひらくらいに千切っといてね」 「っ!? そ、そのような大任を・・・りょ、了解です。サクラ」 「キャスターっちの煮込み料理っていうとなんか素材に不穏な・・・あ、いや、なんでもないよっ・・・」 人口密度の上がってきた台所に凛はむむぅと唸る。自分で焚き付けたわけだが、なんだこの変なテンション。 「まあ、競うとなれば正面から叩き潰すのがわたしの流儀よ。全員まとめて叩き潰してやるわ。手伝いなさいアー・・・」 時が止まった。 盛り上がっていた空気が、一気に地面の下まで冷え込んだ感覚。 「アー・・・ちょーーーーーーっ!」 凛はそれを振り払うべく奇声をあげた。 ホワタホワタとだんだん声が小さくなりながらも叫び、何を作るかも決めてないがとりあえず中華鍋をコンロに載せる。むしろオワタだよ。 あからさまな誤魔化しに漂いかけたしょんぼり感を。 「―――待て待て嬢ちゃん。コンロは空けてくれよ。オレが肉焼くんだからよ」 あくまでいつも通りの声でランサーは振り払った。 「あ、う、うん・・・」 「む。ランサー、どんな肉を焼くつもりなんだ?」 次いで、士郎も何事もなかったかのように口を開く。こちらは単にエアリード機能が付いてないだけかもしれないが。 「おう、こないだ肉屋から貰ってきた鹿の腿肉。熟成進んでてうまいぞ」 「庭に埋めてたやつだよな? ランサーのことだから丸焼きだろうけど、あのサイズだとコンロには乗らないし、火力が足りないんじゃないか?」 何気に凛が魔術で強化を施してたりもするが、それにしたって無理がある。 「・・・こう、ルーンでだな」 「それなら、別にコンロでやらなくてもいいと思うぞ」 士郎は自分の工房・・・土蔵に放置されている修理品たちを思い出し、軽く頷く。 「土蔵にキャンプ用のコンロセットがあるから、それ使ってくれ。固形燃料は切れてるけど、そっちは大丈夫だろ?」 「おう。最近雨降ってねぇから薪には事欠かねぇだろうしな」 「まゆ、庭で拾い物だってさ!」 「くすくす・・・わたしたちの領域ですね〜」 言って外に向かうランサーに、あんりとまゆがついていく。 「むむむ、なんだかんだ言ってみんな料理に参加してるよっ!? ボクたちものんびりしてられないんじゃないかなっ!?」 ポテトをカリっと揚げる事には定評のあった元ハンバーガー屋店員ことイスカンダルに迫られ、ギルガメッシュはふふんと笑みを浮かべた。 「落ち着け征服王。王たる者は雑事に対して不動であるべきなのだ。見るがいい」 指差す先には、炊飯器を前に正座するセイバーの姿。 圧倒的なまでに不働。 決然とした非料理。 故に臣民は言う。 嗚呼、王は料理の方法を知らぬ――― 「・・・あれを良しとするの? ギルっち・・・」 「女子としての如何はともあれ、その信念は本物だからな」 セイバーは心刺す会話を意識から締め出し、ただひたすらに待つ。 鍋をかければ吹きこぼし、フライパン震えば食材は天井、包丁握ればまな板切断。未来予知の域にまで達した彼女の直感は、戦場と化したこのキッチンで自分がでしゃばったらどうなるかを教えてくれる。 真剣に挑んだ末の失敗なら、迷惑をかけたところで士郎はきっと許してくれるだろう。 じゃがいもの皮を剥くくらいなら、あるいは自分にもできるかもしれない。 だが。 だが、それは―――確実に料理の質を落とす行為なのである。 自己満足か、おいしさか。 どちらを殺すべきなのか、少なくとも彼女にとっては言うまでもない。 (―――シロウ。ファイトです) 故に、セイバーは動かない。 じっと片隅に潜み、邪魔にならぬよう心の中でだけ声援を送る。 遥かな過去に置いてきた、アルトリアという少女の羞恥を斬り殺して。 ・・・ちなみに、セイバーの名誉の為に言及しておくと、彼女は別段脳筋というわけでも戦闘以外無能というわけでもない。 長くに渡り国一つを運営してきた分析力と判断力は感情から切り離されているが故に正確無比であり、その事務能力は時に凛やキャスターといった頭脳派をも凌駕する。現在凛が頭を悩ませている財政赤字も、財布をセイバーに任せれば遠からず解決可能である程に。 最も、その際には食費以外の娯楽に対する出費は極端に切り詰められ、ハッピーライフを賭けた家庭内戦争が勃発したりするかもしれないが。 「ま、まあ、なんか背中が泣いてるしセイバーっちは置いとくよ! とにかく家庭的だもんねっ。乗るしかないよ、このビックウエーブにっ。リンちゃん! 手伝うんだねっ!」 「え、ええ、じゃあこれ、切っといてくれる? 青菜はザクに、人参は皮を剥いて・・・中華短冊ってわかる?」 先の失言の動揺から立ち直った凛の問いにイスカンダルはぐいっと親指を突き出してみせる。 「オッケーちょっと斜めってるあれだねっ! 任せとくといいよっ!」 既に人口密度が限界を迎えようとしているキッチンの流しで順番待ちをする愚をおかさず、洗面所に手を洗いに走りかけて立ち止まる。 「ギルっち、本当にいいの? 何もやらなくて」 「ふん・・・以前にも言ったであろう。王たるものは孤高なのだ。雑種どもに混じって厨房に立つなどありえん」 「でも―――」 反論しかけたイスカンダルは、しかし目の前に開いた空間の歪みに口を閉じた。 皿ごとのってるホールのケーキ、新鮮なフルーツ、アイスがバケツで丸ごと一つ。その他もろもろ豪奢なデザートの類が、そこにある。 「そして、その場から動かずとも最上の褒美を下賜できるが故に、王なのだ」 「あ、今朝の店のパフェまで・・・でもこれ、お会計に入ってなかったよねっ?」 「我の蔵にある限り食材が痛む事はない。これは初めてあの店へ行った際に献上させたものだ。これにより、かの店は相応の褒美と我が度々足を運ぶという栄誉を手にしたのだ」 ぺちんと蔵を閉じ、ギルガメッシュは腕組みなどしてそっくり返った。 身長に反して豊かな膨らみがこれでもかと強調されてるが別段狙ったわけではない。 「くっ・・・さすがだねっ・・・そっちが財で来るならボクの武器は絆っ! 待っててリンちゃん、今参戦するよっ!」 「はいはい、手早くね」 凛は流しで人参を洗いながら答え、隣で大根を洗っていた士郎の肩にさりげなく自分の肩で触れた。 「まったく・・・フォローばっかりされてたら・・・うっかり弱くなっちゃいそうじゃない」 囁いてみると、士郎の声がそれに答える。 「大丈夫だろ。その分俺達が強くなるよ」 士郎の向こう側から、おたまの握りが粉砕される音がしたけどそれは無視しとこう。 「そこは『俺が』にしときなさい。その方がわたしが喜ぶわよ?」 「ああ、次は気をつけるよ。遠坂」 砂糖を噛むような会話に、台所のそこかしこで舌打ちの音が響いた。 いろんな意味で、こいつらもう英霊ではないかもしれない。 13-9-9 set:サクラ ■円蔵山地下 聖杯洞最奥 大聖杯と呼ばれる巨大礼装の前でアンリ・マユのドレスを纏った少女・・・サクラと銀髪の少女・・・アーチャーは対峙していた。 「敢えて言葉にするまでもないが、魔術を行使する素振りをみせれば、即座に斬る」 アーチャーの背後では既に抜刀した黒セイバーが彼女の動きを監視しており、サクラの傍らにはシロウが無表情に立っている。 サクラ自身の備える再生能力と合わせて考えれば、既に生殺与奪思うがままと言ってよいだろう。 無論、その気があれば、の事ではあるのだが。 「・・・話はわかりました」 アーチャーの提案を聴き終わったサクラは、とくに考える素振りもなく頷いた。 「この洞窟内で戦闘が行える広さがあるところはそうありません。一番外側でいいのなら、使ってください。セイバー?」 「わかった」 声と共にガチャリ、と甲冑が鳴る。剣を消した黒セイバーが踵を返した音だ。付いて来いという事だろう。 「感謝する」 「・・・言っておきますが」 言い置いて背を向けたアーチャーに、サクラが声をかけた。 「一番外があなた、二番目の場所にセイバーの配置です。裏切ったところで、わたしには届きません」 「となれば、三番目にバーサーカー、ここにそいつか。ふん、安心しろ。おまえたちには興味が無い」 牽制の声に、アーチャーは足を止めすらしない。 「そもそも、確認したのは互いに邪魔はしないというだけの筈だが? 元より手を組むわけでなし、裏切るも何もないだろう」 「・・・・・・」 背後から伝わる気配が苛立ちを含んでいるのを感じ、アーチャーは肩をすくめた。 「そいつについても同じ事が言える。絶対に裏切らない、良い護衛を手に入れたものだな。サクラ」 「っ!」 嘲るような声にサクラは思わず魔術回路を開きかけ、しかし思い留まった。 視線の先には、既にアーチャーの喉元に突きつけられている黒セイバーの剣。 「・・・・・・」 殺すか?と問いかける黒セイバーの視線に、サクラはシロウを見た。 アーチャーには戦闘を行うつもりがないからか、黒の少年はただ無表情にこちらを見返すばかりである。 サクラを苦しめることの無い、サクラが望むならなんでもしてくれる少年。 ―――サクラが望まなければ、何もしない少年。 「・・・行ってください」 呟くような言葉に黒セイバーは頷き、剣を降ろす。 もう一度肩をすくめて歩き出したアーチャーと、何かあれば即座に斬り捨てようとその背を睨みながら追う黒セイバーが闇の向こうへ消える。 静寂が戻った大聖杯で、サクラは立ち尽くしていた。 まだ封印は残っている。休まず解除の作業を行う必要がある。 だが。 「・・・・・・」 自分を見つめるシロウの眼が。 この世全てを引き換えにしても構わないと手元に置いたその人の眼が。 今は――― 「―――先輩。先輩は、一番近くのポイントで待機してください」 気づけば、サクラはそんな事を口にしていた。 シロウは頷く事すらなく踵を返し、サクラから離れていく。 言葉が必要でないのか、言葉が存在しないのか。 サクラには、それがわからない。 だから、サクラは封印を解除する仕事に戻った。 時間はある。 あの女を、その仲間を食い尽くした後に考えればいいのだ。 今はあいつらの事だけ考えていればいい。 マキリの聖杯。 アンリ・マユの契約者。 欲望を抑える理性を剥奪された少女。 間桐サクラに、己の行為から眼を逸らしたいという欲望を抑える術は無い。 13-9-10 SET:衛宮家(2) −食卓百景( ■衛宮邸 居間 魔術師4人、英霊9人、使い魔3人、猫一匹。 16人+αがひしめく衛宮邸の居間。 食卓に並べられた料理の数々を眺め、彼らの大半は一つの事を考えていた。 ―――やべえ。調子乗って作りすぎた。 元からあった食卓と英霊たちが来てから置くようになった座卓だけでは足らずに他の部屋からもってきた机を廊下に置き、台所の食器棚を空にしてようやく収まった料理の品数はもはや作った士郎達にも数が把握できていない。100までは数えた。あとは知らん。 そして、同時にこうも思っていた。 ―――まあ、こいつら居るから大丈夫か。 視線の先には二人の英霊。 先の焼肉屋での死闘において、さいごまで戦場に留まった勇士たちである。 「た、食べ、食べないのですか!? まだですか!?」 ヒャア! 我慢できねえ! とばかりに挙動をおかしくするセイバーと無言で座しているだけで強烈なオーラを放つバーサーカーに、士郎は少しびびりながら頷き。 「そ、そうだな。じゃあ、いただきま―――」 「┻┳╋┿┓◆■┳╋┿┓◆┳╋■■■■■!!!」 瞬間、轟っと空気が鳴り響いた。 怒号のようないただきますと、音速を超過する箸の動きで発生したソニックブームと、料理が吹き飛ばされないようキャスターが放った空間圧縮の魔術が重なった音である。 「ちょ、みんな、落ち着いて・・・」 「落ち着いてる場合じゃないわよ士郎! こいつら、 目で追うどころか赤や青の閃光が飛び交ってるようにしか見えない食卓で、なんとか確保した肉じゃが(士郎作)を抱きかかえて叫ぶ凛に、士郎はぶるりと身震いした。 こんなに余裕の無い凛の顔は、初めて見る。 「いや、そういう描写も後の決戦に残しといた方がいいんじゃないかなっ・・・て春巻全滅してるーっ!」 イスカンダルの嘆きを文字通り飲み込む勢いで食卓の料理が減っていく。 キャスター作の「何かよくわからない肉が入ってるシチュー」も士郎作のてんぷら類も、佐々木の精巧な包丁細工が施された生野菜もレタスサラダもひたすら豪快に積み上げられた中華料理の類もみるみるうちに箸へ、口へ、胃袋へと消えていった。 「こ、これ、結構早く食べるものなくなっちゃうかもしれないな・・・!」 開始から10分。さりげなく確保していた春巻をかじりながら冷や汗を流す士郎に、周囲にふわふわ浮いて舞い踊るナイフやフォークのサポートを受け優雅かつ高速に料理を平らげていたギルガメッシュがふふんと笑った。 「甘いぞ衛宮。ごちそうさまを言うのは、この三倍は食い尽くしてからにするがいい」 パチンと指を鳴らすと、虚空から現れたナプキンがギルガメッシュの口元を拭う。そのまま再度指が鳴り。 「うぉっ! まぶしっ!」 特にまぶしくもないがなんとなく叫んだイスカンダルの声をかきけすかのように、空間の歪みからドカドカと食卓に料理が舞い降りた。 中心に鎮座するのは、一抱えはあろうかという腿肉だ。こんがりと、ウルトラ上手に焼けている。 「部屋に入らないんでギルガメッシュの蔵に突っ込んどいた・・・外で料理してたオレとバーサーカーが作った分だ。凝ってるもんだけが美味いもんじゃねぇってのを見せてやろう」 ランサーは凶暴な笑みと共に歴戦の英霊達を見渡した。 「―――その舌、貰い受ける」 「なんか閻魔様っぽいこと言い出したよ!?」 イスカンダルのつっこみを、誰も聞いていなかった。今度は士郎すら参戦し、無言で食卓に箸が突き込まれていたのだ。 「ひどっ・・・! でも、大いによしっ!」 つっこみ属性たちの裏切りに嘆きの声を上げながらもイスカンダルは笑い、新たな征服活動に参加する。 「キレイ、これを・・・!」 「うむ」 変幻自在の腕が皿を確保し、直線的な豪腕がそこから料理を小皿へ移す。一糸乱れぬコンビネーションは時に英霊をも出し抜き貴重なアワビを確保する。 もちろん、皿の上と妻の下半身へ交互に視線を動かして眼球を強打されるのも忘れない。 三組に増える菜ばしと長く長く伸びる腕が大皿の中身を的確に配膳していく。 凛は箸を握っていない手の人差し指を伸ばし、口の中に詰め込んだ煮魚を咀嚼しながらガンドを放った。物理的な破壊力すら備えた魔力弾が、こちらの皿から最後の海老天を掠め取ろうとしていた手乗りゴーレムを吹き飛ばす。 ちっと舌打ちするキャスターと、食べるというよりも吸い込むかのようなバーサーカー、もはや人間らしさすら捨てて直接手から吸収し始めたあんり&まゆ。 すでに食卓は戦場どころか異界と化していた。普通に大食いだったり早食いだったりするセイバーやランサーあたりなど、もはやほとんど目立っていない程である。 特にセイバーは、ここで目立たなければキャラとしてやばいというのに。 「ふん、そろそろ頃合か」 凄惨な光景を眺め、ギルガメッシュは呟いた。食事が始まってから数十分。先ほど蔵から放出した料理もあらかた無くなり、空白が出来てきた食卓に――― 「そら、デザートだ雑種!」 空いたスペースを埋め尽くして余りある、絶対的物量でもって甘味が舞い降りる・・・! 「・・・あの桃、霊気出てるんだけど・・・」 凛の呟きに、ギルガメッシュは大いに胸を張った。でかい。 「それは『仙界の桃』だな。我が蔵には全ての財の原型が収められている。当然、神話に語られる神代の食物、酒もだ。この時代にて収集したものも含め、我が許す。挑むがいい」 ざわ・・・ざわ・・・と居間にどよめきが満ちる。 何しろあの我侭王のお墨付きだ。約束された美味なる甘味であることは疑う余地がない。 故に。 「7分ぶりの再会を祝して乾杯です! じゃあ、先に行ってますね姉さんっ! リミッター解除ぉっ!」 「桜!? それは死亡フラグ・・・!」 腹の余裕のあるなしに関わらず、一同は再度食卓へと突貫した。 かつて士郎を前に切嗣がそうしたように。 大河と桜を交え士郎がそうしていたように。 過去の傷も現在の憂いも忘れて、ただ笑顔で。 13-9-11 SET:黒衣のサーヴァントたち ■円蔵山聖杯洞 第二空洞 「私はここで彼らを待つ。貴様はそのまま進み、次の空洞で待て」 聖杯洞中心部から入り口近くまで戻ってきたアーチャーは背後で足を止めた黒セイバーの言葉に了解したと一度頷き、ふと思いついて振り返った。 「待機するのはいいが・・・別に外に出てしまっても構わんのだろう?」 「構わない。だが、貴様が何を考えていようと、この位置より奥へは進めぬと知るがいい」 黒き騎士は己が剣を地に突き立て、深部を背にして立ちはだかる。 目に映るのは、小柄な少女が一人だけ。 しかしその立ち姿からは、古代の巨城の城壁にも負けぬ圧倒的な圧力が感じられる。 感情を見せず、ただそこに在る脅威にアーチャーは肩をすくめて見せた。 「―――わかっているとも。私の望みは、外から来るのだからな」 そう。衛宮士郎は確実にここに来る。 遠坂凛を生きて外の世界へ帰す為には、この洞窟に潜む間桐サクラを何らかの手段で無力化しなければならないのだ。 「・・・遠方から聖剣にて狙撃してくるやもしれないぞ? その場合、私は即座に撃ち返し、中途に居る貴様は消滅する」 「それをすると、余波や誤射、あるいは己の身を捨てて反撃を行われた結果、非戦闘員が死ぬ可能性がある。奴らは来るさ。直接な」 それが誰かを助ける行為である限り、諦めることも眼を逸らすこともできない。 それが衛宮士郎の絶対的な制約だ。 「・・・・・・」 納得したのか言うべきことが無くなっただけなのか口を噤んだ黒セイバーに、アーチャーはふと思い出して片手でぶらさげていたビニール袋を掲げてみせた。 「近くのコンビニで調達してきた弁当があるが、食べるか? 雑といえば雑だが、味はそんなに悪くは無いぞ?」 「――――――」 誘いの言葉に、黒セイバーは口を開く事すらしない。 アーチャーの存在を景色の一部として切捨て、微動だにしない。 おそらくは、彼女と主にとっての敵が現れるまで、何もしないのだろう。 己に定義した役割以外の全てを排除し―――かつて、完璧な王、人の心を持たぬ、王でしかない存在と呼ばれた存在の再現として。 「・・・忘れてくれ」 アーチャーは呟き、入り口へ向かう。 忘れるどころか、聞いてすらいなかっただろう事はわかっているが、言わざるをえなかった。 アルトリア・ペンドラゴン。 騎士王アーサー。 あの無機質な、ある種自動的とすら言える在り方こそが本来の彼女なのだろうと理解はできる。 できるが、あれは違うとアーチャーの記憶は語る。 オリジナルの腕との接触で呼び覚まされた記憶の、更に奥。 磨耗して失われた筈の記憶が、あれは違うと主張するのだ。 あれは、アーサー王ではあるかもしれないが、セイバーではない。 「あるいは、戦時でさえなければ、また別の話なのかもしれないがな・・・」 誰とはなしに呟き、周囲を見渡す。 聖杯洞は、自然洞窟に儀式用の改修を加えた半建造物である。 中心部であり大聖杯が構築されている半径数百メートルの空洞の他にも、当時は資材置きや従者達の控え室として使われていたのであろう半径数十メートルクラスの空洞がいくつか存在しており、アーチャーが待機を指示されたのはそのうち最も外周に位置する箇所である。 「・・・凛の事だ。時間ぎりぎりまで準備を粘ってくるな」 己の戦場となる筈の場所を見渡してそう呟き、弓兵は再度歩き出す。 黒キャスターが作り出した魔術の照明のおかげで洞窟の中は明るく、数時間ならそのあたりに座り込んでいても苦痛ではないだろう。 しかし、そこそこ広いとはいえ密閉空間で一人弁当を食べるのも虚しいものだ。 洞窟の外は既に日も落ち、闇に閉ざされていた。 破綻しかかていても律儀に日没を再現する結界魔術を褒めてやるべき場面だが、あいにくとこの世界がなんであるかの説明を聞き逃していたアーチャーはそれをスルーし、入り口近くに隠しておいた荷物の山からキャンプ用のランタンを取り出す。 衛宮邸からの追撃も聖杯洞組の襲撃もなかったので、移動中にホームセンターやらコンビニやらに寄って準備していたのだ。 キャンピングシートを広げ、クーラーボックスの上にランタンを設置。 弁当が冷たいのは許容範囲として我慢。一応電子レンジと手回し発電機を持参することも検討したが、さすがにかさばるのでやめた。 「・・・・・・」 クーラーボックスで冷やしてきたペットボトルのお茶を取り出し、弁当の蓋を開ける。 黒セイバーへの言葉通り、直前まで冷凍していたものを解凍する形式であるこの弁当は、コンビニ弁当としては悪くない味だ。 欲を言えば某コンビニのように店内に厨房があればよかったのだが、あそこは残念ながら冬木には来ていない。ソフトクリームとかおいしいのに。 十数分をかけて無言で弁当とお茶を食し、さてとばかりにアーチャーはクーラーボックスを再度開ける。 取り出したのは缶ビール。つまみはポテトチップスである。 静かだ。 住民が消え去った街には、音も光もない。木々にはばまれここからは見えないが、山道あたりから見下ろせば、本来家々の光で彩られている街が黒く塗りつぶされているのが見えるだろう。 「・・・・・・」 ビールをあおり、空を見上げる。 地上の星は失われたが、空の星はこれまでに無いほどの数が視認できる。 これも風情かとアーチャーはランタンに手を伸ばした。 右手でビールを飲み続け、左手でランタンの火を小さくし、ポテチを取り・・・食べる! パリンッ・・・と塩気が飛び、光を反射しキラキラと消えた。無駄にエフェクトが凝っていた。 「あん? 何やってんだ、おまえ?」 しばし時間を潰していると、聖杯洞の中からそんな声がする。 振り返ると、黒い皮鎧の男が暇そうな顔で出てくるところであった。 「見てわからないか? 酒を飲んでいる」 「いや、それは見りゃわかるが・・・おまえ、あっちのサーヴァントだろ? なんでこんなとこで飲んでんだよ寂しい奴だな・・・ハブられてんのか? 昼飯は便所で食う派か?」 遠慮ない言葉にアーチャーの額にピキリと青筋が浮かんだが、決戦を前に無駄な体力も魔力も使えない。 「・・・私は、私の目的の為にここに居る。貴様の主の許可も取った」 近づいてくるその男の顔に見知ったもう一つの顔が重なり、アーチャーは舌打ちを一つしてビールを飲み干した。 空いた缶を手近なビニール袋に投げ込んでからクーラーボックスを開き。 「貰いっと」 気軽な声と共に黒ランサーの手がクーラーボックスに突きこまれた。 「ぬっ! こら待て貴様ッ!」 「いーじゃねぇかこんな大量にあンだから」 抗議の声を涼しい顔で受け流してビールを強奪した男に、アーチャーはチッと音高く舌打ちしてからクーラーボックスを開けてもう一本ビールを取り出す。 「そちらは返せ」 言葉と共にぽんっと投げられたビール缶を黒ランサーは首をかしげながら受け取った。 「構わねぇけど、なんでだよ」 先に取った方を投げ返すと、アーチャーは不機嫌そうな顔で缶をキャッチしてプルトップをあげる。 「こちらの方が好みの銘柄なだけだ」 「ならその銘柄で統一しとけよ」 黒ランサーはつっこみがてら手の中の缶を眺める。書かれてる名前は『SAPP○R○ 黒バベル』。 「・・・なんか飲むとすぐにろれつが回らなくなりそうな名前だな」 「嫌なら飲むな。そして消えろ」 飲むし消えねえよと黒ランサーは肩をすくめて言い置き、ビニールシートに腰を降ろす。 「何故座る」 「立ち飲みする理由もねえだろうが」 さくっとプルトップをあげて喉にビールを叩き込みポテトチップスの袋に手を突っ込む姿にアーチャーはため息をつき、傍らに置いてあったコンビニ袋の中身をシートにぶちまけた。 転がり出てきたのは別の味のポテトチップスにビーフジャーキー、裂きイカ、濃いしょうゆ味の小さな乾物とピーナッツが詰め合わせになったアレ、そして惣菜パンの類がいくつか。 「お、こういうのはこの時代来てから初めて食うぜ」 興味津々といった表情の黒ランサーに、アーチャーは一瞬だけニヤリと笑みを浮かべ、すぐにそれを押し殺して仏頂面を作る。 「食べていいと言った覚えは無いが、仕方ない。どうだ? これなぞ―――」 「どうりゃあああああ!」 差し出しかけた惣菜パンと一緒にアーチャーの言葉と手を払いのけて黒ランサーはビーフジャーキーを掴む。 「・・・何をする」 「この国の言葉は読める。てめぇの狙いはわかってるんだよ」 指差したパンに書かれた商品名は『チリドッグ』。 「あぶねぇあぶねぇ。何しろ『格下』から薦められたら食わねぇといけねぇからなぁ?」 「・・・ふん。さすがの貴様でも二度は引っかからないか」 ケルトの英雄であるところのランサー、クーフーリンは幾つもの誓いを己に課しており、それが加護となって彼を守っている。 つまり、誓いを破るという事は加護を失うという事であり、生前の彼はまさに今の状況―――『目下のものから薦められた食べ物は必ず食べる』と『犬の肉は食べない』を同時に仕掛けられて仕方なく犬の肉を食べ、弱体化した所を殺されているのだ。 「ったく油断も隙もねぇ奴だな・・・」 「私はセイバーのマスターを殺したいというだけで、おまえ達の味方に回りたいとは思っていない。むしろおまえも殺したくてうずうずしてるくらいだ」 アーチャーは肩をすくめ、新しいポテトチップスを開けながら黒ランサーを睨む。 「そして、それは貴様も同じだろう。先ほどから、殺気が消せていないぞ」 「消す気もねぇからな。オレも貴様らを殺せれば後はどうでもいい。だがまあ、それでも酒は飲みてぇし、腹も減る。一番に戦いたい相手も貴様ではないしな」 二人して気に食わん奴だと舌打ちひとつ。手にしたビールを一気に煽る。 「・・・何してるのよ、あんたたち」 くはーとか言ってる黒サーヴァントとコピーサーヴァントに、空から呆れた声が降ってきた。 「あん?」 見上げたランサーの視線の先には、銀色の髪をなびかせて舞い降りる魔女の姿。 ジャージ姿で、土にまみれた両手に園芸用のスコップを握っているがこれでも一応魔女である。 「流石の私にもスルーできない。なにがどうなってそうなったのだ、キャスター(黒)」 「ちょっと裏の墓地で武器を調達してきただけよ。むしろ私がその言葉を返したいわね・・・」 仲良く肩を並べてジト目を送ってくる酒飲み達に、同じくジト目でにらみ返して泥ん娘魔女は音も無く着地する。 「とりあえず、その手を拭け。見ていて不快だ」 言ってアーチャーが差し出したのはウェットティッシュである。 食事の前には、ちゃんと手を洗うのがエミヤ流。 「・・・まあ、貰っておくわよ」 物言いにはムカついているものの、私にこの手を汚せというのか状態だった事は確かに不快であったので、黒キャスターはしかめっつらでアーチャーに歩み寄る。 とりあえずスコップはその辺に置いて手を拭き始めた魔女に、既に三本目となるビールを開けながら黒ランサーは首をかしげた。 「そういや一緒にいたアサシンはどうした?」 「アサシン? 知らないわよあんな髑髏仮面。転移して帰ってきてからは見てないわね」 二枚三枚とウェットティッシュを使用して手を拭き続ける黒キャスターの言葉に黒ランサーはパタパタと手を振る。 「あー、そっちじゃねぇよ。ほれ、眼鏡の方」 「この馬鹿が言っているのは、おそらく葛木先生の事だ・・・暗殺者なのか? あの人」 「自分は道具であって暗殺の主体ではなかった・・・みたいな事は言っていたわよ」 泥やら何やらが落ちた手を満足げに眺め、黒キャスターは自然な動作でビニールシートの端っこに腰を降ろす。 「・・・何故座る」 「何よこれ。こんな麦のお酒ばかり詰めて・・・果物のは無いの?」 「おう、こっちの袋ん中に色々あるぞ」 我が物顔でクーラーボックスや荷物を荒らす黒サーヴァントどもにアーチャーの額にビキビキと青筋が浮かぶ。 「キャスター。私の話を―――」 「宗一郎様なら上の寺を見に行くって言ってたわよ」 「それは私が聞きたい事ではない! 何故そんな我が物顔で私の食後の一時を―――そっちの犬野郎! そのブランデーはまだ開けるな! 高いんだぞ!」 「あン? いいじゃねぇか時間がそんなにあるわけでなし。ほぅれドバドバドバーっと」 「あら、中々の味。こういう手の込んだお酒は私の時代には無かったわね」 「貴様ら・・・!」 人間、特に英雄などと呼ばれるまでに貫き通した自我は、黒くなってもあんまり変わらないものである。 特に、普段から欲望のままに生きていたような連中は。 13-9-12 SET:間桐サクラ ■聖杯洞 大聖杯 「六千と七百十八―――六千と七百十九―――六千と七百二十―――」 魔力光が照らす大聖杯前空洞。 表情を変えず、機械のように、雨音のように、ただただ規則正しく声だけが繰り返される。 吸収し、術式を崩した封印は既に三分の二に至っていた。 「六千と七百四十六―――」 間桐サクラは魔術を行使する。 見るべき相手も、語るべき相手も居ない。 生命としての活動は何も行わず、一つの回路と化した少女は聖杯に満ちた魂を解き放つ為の手順を辿り続ける。 果たして、その存在は人なのか。 間桐桜のままであるのか。 彼女を見る者が存在しない今、その答えは闇の中だ。 13-9-13 SET:衛宮シロウ ■聖杯洞 第四空洞 背後、数十メートルの通路の奥に大聖杯を控える空洞に黒衣の少年は立っている。 魔力光に照らされたその顔に表情は無く、その身体は微動だにしない。 ただ一人、少年は敵を待つ。 「―――サクラ」 一つの言葉を繰り返して。 13-10 切札装填 13-10-1 爆発しろ ■衛宮邸 廊下 「を?」 「あ・・・」 恐竜の宴会もここまでではなかろうという壮絶な暴食が完了し、交代に皆で風呂に入った後のこと。 客間前の廊下でばったりと顔を合わせた士郎と凛は互いに単音の声を漏らしたきり硬直した。 士郎はいつもの部屋着、凛の方は猫プリントのパジャマと髪を頭上でまとめたバスタオルの湯上りスタイル。 別段初めてのシチュエーションではない。魔術師としての活動時間は夜間に偏るものだし、これまでも何度か無防備な姿で顔を合わせている。 いるが・・・ 「「あの」」 同時に声をあげ、どうぞどうぞと互いにジェスチャーを交わす。 なんだかんだと彼氏彼女いない暦=年齢である。 見つめるだけで、見つめられるだけで熱くなるこの衝動をどうしたらいいのかわからない。やっちまえよもう。 「・・・ふふ、こんな時なのにね」 しばらくして凛は肩をすくめた。苦笑気味の笑顔で今度こそ正面から士郎を見つめる。 「ん。でも・・・緊張はぬけたよ。ありがとう、遠坂」 どういたしまして、と凛は答えて首を傾げた。 「そういえばどうしたのこんなところで」 「ああ、ギルガメッシュさんの部屋に―――遠坂、頼むから宝石を握るのはやめてくれ」 ちっと舌打ちをして腕組みなどする凛に士郎は苦笑気味に肩をすくめる。 「色々とお勧めの宝具を見せてもらってきたよ。だいぶ投影のバリエーションは増えたし、ほんの少しだけどその先も見えてきた気がする。遠坂こそ何してたんだ?」 「わたしはキャスターに仕上げを頼んでた礼装の引き取りにね。急ごしらえだし動作確認とかできないけど、ちょっと凄いわよ?」 ニヤリと笑って凛は自分の腰を叩いた。士郎から見れば本当に内臓が入っているのか疑わしく思える細い腰には、見慣れない皮のベルトが巻かれていた。 胴を5〜6周はしているであろうそれは、解けば3メートルを越える長さになるだろう。「・・・鎧?」 「まあ、皮だし強度の補強もしてあるけど本質的には違うわね」 凛は左腰に手をやり、今はベルト部分と一体化している持ち手を撫でる。 「これはね、武器よ。とっておきの。そもそも、鎧で身を守るくらいなら、やられる前に吹っ飛ばしてやるのがわたし流でしょ?」 「―――ん。遠坂は逃げたりよけたりするのは似合わないもんな」 頷く士郎から伝わる信頼に、凛の心に闘志が燃え上がる。 期待されればされる程、追い込まれれば追い込まれる程熱くなるのが遠坂凛だ。案外、床の上では受け側に回る性質かもしれない。 「こほん・・・ところで、士郎の方はどうなの? ギルガメッシュの貯蔵品をコピーしたって使いこなせるわけじゃないでしょ? 先が見えたって、何かコレっていう切札でも見つかったの?」 完全ではないにしろ複数の宝具を使用できるというだけで現代の魔術師界においては封印指定されてもおかしくない偉業にして異形なのだが、ずいぶんハードルあがっちゃったなあと凛は内心で苦笑する。 「切札ね・・・うーん・・・剣の方、重ね当てが何とか使えるようになってきたけど・・・正直、身体が全然付いていかないんだよな。アーチャーはもちろん、多分向こうの俺とカチあっても負けると思う」 「駄目じゃない・・・っていうか切札になってないじゃない」 まあ、わたしがサポートするわけだから、ある程度ひっくり返す事は出来るかもしれないけどと笑う凛に頷き、士郎はふと思い出したことを口に出した。 「あー、そういえばもう一つ。俺、固有結界使える」 「・・・ふぇ?」 驚きに半開きになった口からちょっと可愛い声を漏らして凛はパチクリと目を開け閉じする。 「こゆう、けっかい?」 「ああ。なんかイリヤから教えて貰ったんだけど、本来俺の魔術って強化でも投影でもなく固有結界なんだってさ。今使ってるのはその一部だとかなんとか」 よくわかっていなさそうな士郎の言葉とこれまで蓄積してきた知識や経験がぐりぐり組み合わさり、凛の頭の中に新たな情報が作成される。 バゼットが言峰綺礼の外付け良心だとすれば、凛もまた士郎の外付け頭脳の役割を担うパートナーなのだ。 「そういうこと、か・・・ん・・・でも内部展開ならともかくきちんと裏返すのは・・・」 あごに手をあててぶつぶつ呟き、凛は士郎に視線を向けた。 「士郎、魔力足りる? わたしの見立てだと、普段の投影はともかく固有結界は無理っぽいんだけど」 「うん。正解。限界まで振り絞れば起動くらいは出来るかもしれないけど、多分1秒と維持は出来ない」 緊張感の無い表情で頷く士郎に、凛は額を押さえる。 「気軽に言うんじゃないわよ。いい? 今の士郎はサーヴァントなの。その身体は魔力で再現されてるものなんだから。魔力切れは即消滅だってことをちゃんと意識しなさい」 顔を覆った指の隙間から、じろりと睨む。 「勝手に死のうとしたら、その顔面ぶちぬくわよ・・・?」 「あ、はい、善処します」 普通こういう場合はもっと甘酸っぱいお願いがくるんじゃないかなーという思いと、でもこういう遠坂が好きなんだよなーというのろけを頭の中でかき混ぜてから士郎は気を取り直す。 「一朝一夕になんとかなるもんでもなし、やっぱり忘れた方がいいのか? 固有結界の事は」 「そうね・・・」 凛は呟き、ニヤリと笑みを浮かべた。 「そうでもないかもしれないわよ・・・!」 言うが早いか全力ダッシュ。頭から外したバスタオルを景気付けに振り回してネコパジャマの背中が遠ざかる。 「って遠坂!?」 士郎は一瞬遅れて後を追った。自分の部屋に駆け込んだ凛がドアを開けっ放しなのを入ってよしの許可と判断し、後に続く。 「これでもないこれでもないこれでもない・・・!」 遠坂屋敷から持ち込んだ宝箱の中に上半身を突っ込んで凛はどこかの猫型ロボットのように中身をポイポイ投げる。 士郎は揺れる小さな尻から微妙に目をそらし、飛んでくるアイテムの数々を空中でキャッチして机に並べる作業に集中した。尻って、どうしてあんなにまるいんだろうなあ・・・ 刃物や金属柱、フラスコにランプに鉄アレイに竹輪といった無軌道に宙を舞う投擲物を士郎は無心に回収し続け。 「あった!」 数分して、凛の声と共に動きを止めた。 見れば凛はいつぞやの赤い宝石のペンダントを握ってガッツポーズをとっており。 「・・・ってきゃあぁあっ!?」 そのまま勢いあまって宝箱の中に飛び込んだ。ぐるんと一回転した身体が中に納まると同時にパタン、と蓋がしまる。 「と、遠坂!?」 がたがた、がたがた、がたがた。 少女を飲み込んだ箱はしばし揺れ。 がた。 「遠坂ーーーっ!」 そして、静かになった。 「バ・・・バカな・・・か・・・簡単すぎる・・・あっけなさすぎる・・・」 士郎は愕然と呟き。 「って誰もボケないしつっこみもないんだよな・・・」 一人では張り合いがないので、さっさと宝箱の蓋を開けた。 「・・・さっさと開けなさいよ。この箱、中からは絶対開かないから士郎がどっか行ってたらどうしようって物凄く怖くなっちゃったじゃない」 「う、ご、ごめん」 恐縮して士郎が手を差し出すと、それに掴まって立ち上がろうとした凛が、ふと悪戯っぽい表情になって箱の中に沈みなおす。 「遠坂?」 「ペナルティ。抱き起こしなさい。お姫様だっこで」 ワールドイズマインとばかりにサディスティックに目を細めるお姫様は、しかしお顔が真っ赤であり。 「ん。了解」 この男の空気詠み人知らずを甘く見ていた凛は、ひょいっと軽々抱き上げられて言葉を失うのだった。 ちくしょうリア充爆発しろ。 13-10-2 タイムリミット ■衛宮邸 士郎私室前廊下 1時間くらい後にもう一度部屋に来いと言ったきり机に向かって複雑そうな術式を組み始めた凛と別れ、士郎は自室近くまで戻ってきていた。 台所の片付けも終わっているし、取り立ててやる事もない。 数時間後には決戦である事を考えると疲労するような事もさけるべきだし、道場で軽く身体を動かすか、寝て体力を休めるか、いっそ誰かと遊んで暇つぶしでもするかとしばし悩んでいた士郎に。 「ああ、ここに居ましたか」 黒い髪の少女が声をかけた。 「桜・・・じゃない、遠坂桜か・・・大丈夫か? 顔色が悪いぞ」 透けるようなという表現を通り越して蝋燭の如き無機質な白になりつつある頬を笑みの形に動かし、遠坂桜は肩をすくめる。 「無理は承知です。多分、先輩たちが出撃する時には起きてられないと思いますけど、なんとか足手まといにならない位置に引っ込んでおきますよ」 「・・・そうか」 士郎の表情が厳しくなるのを、気負いすぎないでくださいねと受け流して遠坂桜は息をついた。 「喋るのも結構辛くなってきましたし、昼の説明では伏せていた最後の情報を伝えようと思います」 「ん。わかった。遠坂を連れて―――」 「いえ、姉さんは抜きでお願いします」 断ち切るような言葉に、士郎は眉をひそめる。 「なんでさ。あいつに聞かせちゃまずい話なのか?」 「はい。全て終わるまで聞かせるべきではないと思いますし・・・そもそも、姉さんには・・・姉さんにだけは、関係の無い話なんです」 言うだけ言って踵を返した遠坂桜の歩みが、やや左足を引き摺るものであることに気づき、士郎は黙ってその後に続いた。 しばし経って辿り着いたのは桜・・・間桐の桜の部屋である。 「入りますよ」 軽く声をかけて遠坂桜はドアノブを掴み、そのままつるりと手を滑らせた。 「を? あれ?」 呟きながら一度、二度とドアノブを掴んでは離しを繰り返し。 「・・・桜」 「ふふふ、すいません先輩。代わりにドア開けてもらえますか? 握力、なくなったみたいです」 ぺろりと舌を出す少女に大丈夫かと声をかけそうになったのをこらえ、士郎は黙ってドアを開けた。 大丈夫かどうかは、既に聞いている。 大丈夫でないに決まっているし、問い詰めたところで彼女が大人しく治療に専念してくれるとは思えない。 一番いい治療が必要であったとしても、大丈夫だ問題ないと言いはるに決まっている。 昼の話だけでも理解は出来た。遠坂桜はひどくシンプルに物事を進めている。 全てを、凛の身を守るというその目的に必要か不要かだけで物事を処理しているのだと。 故に、今は何を言ったところで聞き入れないだろうと士郎は判断する。凛を救う為にやるべき事がある限り、この少女は自分がどうなろうと動き続ける。戦い続ける。 それを邪魔するのなら、相手が士郎であろうと容赦なく排除にかかるだろう。 「あ、先輩」 開いたドアの中、所在なく立ち尽くしていた桜・・・間桐の桜が顔をあげた。遠坂桜はふらつきながら室内へと足を進め、ベッドに腰を降ろして口を開く。 「さて、二人に集まって貰ったのは、あなた方の身体についての情報を提供し、それをどうするかを考えてもらう為です」 床に敷いた座布団に座り、士郎と桜は顔を見合せる。 「俺達の身体?」 「わたしと先輩ってことは・・・サーヴァントだってあたりですか?」 もう少し広い話ですと遠坂桜は前置き、酷くあっさりと、その事実を告げた。 「あなた達を含むこの街の住民の身体は、『サーヴァントを内包する世界』という魔術の一部です。一方で、わたしとセイバーたち英霊の身体は、その前身たる『桜と凛が逆である世界』という魔術の一部です」 理解できず沈黙する二人を見据え、少女は明確に宣言する。 「昼に告げた通り、この街を維持する術はありません。それはつまり、わたしもあなた達も英霊達も、この街と共に肉体を失うという事です。簡単に言うと、死にます」 士郎は表情を変えず、ただ頷いた。 桜は何か言おうと口を開き、しかし言葉が見つからずにまた口を閉じる。 無言の二人を一瞥し、努めて事務的に遠坂桜は最後の言葉を口にした。 「飾らず言います。最初からこの計画は、ただ姉さん一人を生かす為だけのものでした。わたしも、あなた達も使い捨ての礼装。あの黒いドレスのサクラを打倒し、姉さんの安全を確保する為だけに存在していたのです」 そう言って深く、長く息をついた遠坂桜に、間桐の桜はごくり、と唾を飲み込む。 「あ、あの。話ってそれだけ、なんですか? ・・・それを前提に何か対応策があるとかじゃなく・・・?」 「ありません。わたし達が外―――あえてこう表現しますが、『現実世界』に出るという事は、固有結界の一端を持ち出すという事です。抑止力は、それを許し ません。仮に大聖杯を残しておけるなら、今やっているように魂をそこに溜めておいて打開策を模索する事は可能でしょうけど、そういうわけにもいきませんか ら」 凛の安全を確保するには、サクラをアンリ・マユとの契約から解き放つだけでなく、孵化寸前の呪詛の塊であるアンリ・マユ本体と、それを育む大聖杯を消滅させる必要がある。 黒のサクラという胎盤がなくとも不完全なままで聖杯の外へと漏れ出す可能性があるし、これだけの呪詛の塊、存在が知られれば悪用しようとする魔術師も出てくるだろう。 「可能性が無いという事を示す為に言い置きますけど、わたしたちはこの世界の中に居る間は姉さんと変わらない、ちゃんとした魂です。模造であったとしても、オリジナルと全く差異が無いのならそれは本物と言えます」 けほ、と既に血すらでない咳をして遠坂桜は続ける。 「魂に不備はありません。肉体との仲立ちである精神も問題はないでしょう。でも、肉体が消滅してしまえばその二つも現世に留まれません。イリヤさんによれ ばわたし達が居るこの聖杯は『魂を物質化する』っていうまさにこれしかないという魔法の実践を目指し建造されたものだそうですけど、アインツベルンの精髄 たる彼女の回路をもってしても、汚染や時間制限を考慮すると一人に施術できるかどうか、だそうです」 「・・・皆でサポートしても無理なのか? キャスターとかが手伝ったら、なんとかなるんじゃないか?」 士郎の問いに、遠坂桜はゆるゆると首をふる。 「魔法、というものは魔術の延長線上ではないんです。たとえ魔術師としては不出来でも辿り着いてしまえば魔法は使えますし、逆にどれだけ優秀でも、優秀な だけでは手が届きません。キャスターさんは確かに桁外れに優秀な魔術師ですけど、それでもあまり助けにはならないと思います。全くの無駄ではないでしょう けど・・・」 二人、もしくは三人程度なら物質化できる可能性は否定できないと続け、遠坂桜は深々と頭をさげて最後の言葉を告げる。 「ごめんなさい。本当に―――ごめんなさい。わたしは一人を救う為に、この街の住人を全て生贄にしました。あなた達を含め、本来はもう苦しまないですむ筈だった人たちを呼び戻し、再殺したんです。ずっと・・・その事を謝りたかった―――」 言うべきことを。言いたかったことを全て吐き出した遠坂桜は、視線を床に向けて口を閉じた。 もはや、なにもない。後は二人の判断に任せよう、と。 「――――――」 下げられた頭を眺めて桜はまだ情報を消化しきれないまま、なんとなく口を開いた。 「―――昨日まで、あんなに賑やかだったのに」 声は、嘆きより、怒りより、むしろ苦笑に近い響き。 「こんな日がずっと続くと思っていたのに」 ああ、と。 桜は、それを口にしたことで自分の想いを確認した。 「もう、無いんですね・・・明日なんて」 そう、この先は無い。 何をしようと、何をしなかろうとそれは変わらない。 続きは無いけど―――それがどうした。 その程度で止まらない。止まろうという気になどならない。 投げ出したら、残った時間すら無駄になるではないか。それを惜しいと想う程度には―――自分は、間桐桜はこの二週間を愛しているのだから。 「・・・許せません」 だから、そう宣言して拳を握る。 やっぱり処刑かとピクリ震えた遠坂桜の背に、そうではなくと微笑み。 「これだけ楽しかったのに、結末だけバッドエンドとか、許せません。無理を通して道理を貪り食べちゃうノリで、ハッピーエンドに捻じ曲げましょう」 それだけで5点くらい入りそうな力強いガッツポーズをする桜に、士郎も軽く頷いて肯定を示す。 「桜。遠坂・・・君じゃなくて凛の方については、問題ないんだな?」 尋ねられて遠坂桜は顔をあげた。 「・・・はい。姉さんは外の世界に属する肉体を保持してますから、問題なく外に出る事ができます。向こうのサクラと先輩、あと、サクラを拠り代に契約しているあちらのライダーも大丈夫でしょう。」 「わかった。なら問題ない」 士郎はそう言って立ち上がる。 「準備を続けよう。あいつらを倒せなければその後の事を考えても仕方が無い」 「―――やってくれるんですか? 先が無いとしても」 問われ、肩をすくめる。 「わかってるから話したんじゃないのか? 誰かを助けられるなら、俺に立ち止まる理由は無いさ。それが遠坂だってんなら尚の事だ」 遠坂桜は満足げに、しかし少し寂しげに微笑む。 士郎は二人の桜に背を向け、部屋を出る前に少し迷ってからもう一度口を開いた。 「それに、一つ思いついた・・・というか思い出したことがある。ちびセイバーのことだ」 「こ、ここでちびセイバーさんですか? 先輩」 間桐桜の困惑の声に、自信なさげに頭をかく。 「ああ。桜の説明の中に、ちびセイバーのことは入ってなかったよな? あんりちゃん、まゆちゃんの事は使い魔、イスカンダルの事は別の方法で再現、って説明があったのにだ」 「―――ええ」 遠坂桜は軽く顎を引いてそれを肯定した。士郎は凛から受けた講義を思い返しながら話を続けた。 「魔術回路は肉体で発現するけど、存在としては魂に属している。この世界を維持していたのが向こうの俺の回路だっていうなら、その魂を複製して生まれた俺の回路でこの世界を構築する魔術に干渉する事もできるんじゃないのか?」 発想の根幹は数日前の経験。冗談と酔狂で行われた投影実験。 「ちびセイバーが召喚―――いや、投影されたのは、この街を作るという回路の中で俺の回路が似たような魔術を使おうとした事で起きた誤作動。違うか?」 遠坂桜は苦笑を漏らして頷いてみせる。 「正解ですよ。先輩。街とわたしたちを維持する回路が誤作動して、本来は一箇所にだけ出現させる筈のセイバーさんを二箇所に出現させてしまったわけです。ちなみに、わたしが分析した限りでは彼女はああいう形の宝具として成立してるみたいですね」 「ええと・・・つまり先輩は、向こうのわたしや先輩を倒して聖杯を壊した後、この街という固有結界を自分で維持しようっていうんですか?」 間桐桜の声は半信半疑という調子だ。 姉のように魔術理論に精通しているわけではないが、それでもそのプランが無理だという事くらいはわかる。 既に崩壊しつつある術式を修復するのは、むしろ一から構築するより難しい。他人が構築したのならなおさらだ。 仮に士郎特有の解析スキルで奇跡的にそれがクリアできたとしても、魔力の不足はどうしようもないのだし。 「いや、俺もそこまで無謀じゃない。でも、キャスターのサポートを受けられれば、この家一つくらいなら維持できるかもしれないとは思っている」 キャスターは、こと魔術に関しては無敵に近い。 第三魔法を解析するのは無理でも、魔法の域に達すると称されていても魔術である固有結界ならば、しかもサンプルとなる現状の結界と、それを張るのに必要 な士郎の回路が揃っているのなら、崩壊までの数時間でなんとかしてくれるかもしれない。メディアが一晩でやってくれましたという奴である。 「できるのか、できるとしてどの程度の時間維持できるのかわからない。でも、挑む事はできる。何も残らないわけじゃない」 士郎はそう言って部屋の外へと歩き出した。 「聖杯をなんとかしたら、遠坂を外に出す。後は、粘れるだけ粘るさ」 言い置いて去った揺るがない背中を見送り、二人の桜は顔を見合わせ苦笑した。 「それって、時間を稼げば姉さんが外でサルベージしてくれるって踏んでるって事ですよね・・・相変わらず、先輩の姉さんへの信頼度は嫌になるほど高いですね」 間桐桜がやれやれと呟けば、 「そう? わたしには、あなたが絶望しないように励ましてるように見えましたよ?」 遠坂桜が、若干の寂しさを伴い答える。 「ともあれ、わたしは許されちゃった・・・というより、自分の罪悪感は自分で償わないといけない事になったみたいですね」 「あたりまえです。自分の事には、自分でオトシマエをつけないといけません」 間桐桜は、姉を真似して髪をばさっとかきあげて見せた。 これからやろうとしている事が怖くないと言えば嘘になる。 何を失うのか、どうなってしまうのかわからないし、役に立つのか保証も無い。 だが、間桐サクラは運命に痛めつけられてきた。 遠坂桜は己の望みの為、孤独に暗躍してきた。 何も失わずに生きている自分が彼女達に並ぼうとするのならば、それくらいはしないでどうするのか。 「だから―――はじめましょう。ここからはずっと、わたしのターンです」 13-10-3 猛犬の巣にて ■衛宮邸 ランサー私室 ランサーは自室の床にだらしなく寝そべって一人ビールを飲んでいた。 時折ビーフジャーキーをガリガリ齧りながら泡立つ液体を黙々と喉へ流し込み、あっという間に空になった缶を部屋の隅に投げ捨てる。 放物線を描いた缶は既に何本も落ちている空き缶にぶつかってカランコロンと鳴って転った。 「・・・次っと」 新たな一本を求めて伸ばした手は、しかしすかっと空振りする。 「・・・あ、今の最後の一本じゃねえか」 そばに並べてあった筈のビールが一つも無い事に気づいたランサーは、投げたばかりの缶に目を向ける。空き缶はしばし転がり、黒バベルと書かれたラベルをこちらに向けて止まった。 「ちっ、残ったのはあんま美味くねぇやつだし、しゃあねぇか。これでお開きだ」 舌打ちして立ち上がる。隠すものない裸体が、蛍光灯の明かりの下に惜しげもなくさらされる。 風呂上り 全裸で飲酒の 野獣かな 身体の前、後ろとランサーは眺めていき、左胸で視線を止める。 「結局、穴は塞がってねぇか・・・」 昼間に穿たれた槍の貫通痕は、言峰やキャスターによる治療で表面上消えたように見えるが、実際には穴の上に新しい肉を貼り付けたような状態である。 魔槍ゲイボルク。 必中を特徴とするその槍には、副次機能として回復阻害効果がある。 必殺の槍を受けて死んでいない、という状態は概念として矛盾であり、槍の魔力は矛盾の拡大を・・・「必殺の槍を受けて無傷」という状態を阻もうと働くのだ。 「・・・上等だ。あの馬鹿相手なら丁度いい」 強がりでも侮りでもなくこの負傷を勝利の材料とランサーは捉えて笑い、空間からにじみ出るようにして現れた青い皮鎧がその体を覆う。 「・・・待ってろよ。アーチャー」 動けば裂けるであろう傷も万全とはいえない魔力量も関係なくその瞳は力強い。 不倒を謳われた大英雄は、長い髪を後ろで縛りこの場に居ない好敵手へ宣戦を布告した。 「てめぇの性根を叩きなおしてやる。馬鹿家出娘が・・・!」 13-10-4 リアルブート ■衛宮邸 縁側 自室に戻ろうとしていた士郎は縁側に腰掛けた佐々木を見てふと足を止めた。 元より気配に乏しいその姿が、今は本当に消え去りそうな程儚げに見えたのだ。 「佐々木さん・・・?」 声をかけると、ふらり、と音も無く振り返った佐々木が微笑みと共に頭をさげる。 「あら、ご苦労様です。旦那様」 「あ、うん」 いつも通りのようでいて、しかしその声はどこか力無い。 「・・・座ってもいいかな」 だから士郎はそう尋ねてみた。 佐々木の頷きを確認し、傍らに胡坐で腰を降ろす。 「・・・・・・」 「・・・・・・」 佐々木は視線をしばし庭でさ迷わせてから士郎へ向ける。 「お昼の戦いで・・・わたくしは敵方の衛宮士郎に倒されました」 「・・・ああ、聞いている」 バゼットが取りまとめた前回の交戦結果は全員が目を通している。 地力で劣るのがわかった以上、それを覆す為には少しでも多く情報を手に入れるべきだ。 「正直なところ、勝てる相手でした。わたくしと旦那様・・・いえ、衛宮士郎との相性を考えれば、負ける要素はまずありません」 事実である。 衛宮士郎にとって、アサシン・佐々木小次郎は最悪と言って良い対戦相手である。 アーチャーやセイバーすら凌駕する魔的な剣技は重ね当てを含む士郎の近接戦闘技術を容易く完封し得るし、物干し竿を投影してその剣腕を複製した所で、肉体が士郎のままである以上はどうやっても競り負ける。燕返しに至っては真似事すらできまい。 ならば遠距離から狙撃すればと思った所で心眼持ちに不意打ちは効かず、敏捷A+の俊足は初撃を回避するが早いか容易く距離を埋めてしまうだろう。 透化の心構えで精神攻撃すら無効化し、霊という属性も持つ為極度に死にづらいというおまけまでついてくるこの相手に士郎が勝てる可能性は極めて低いと言わざるを得ない。 「ですが、わたくしはこうして敗れています。それは別に、旦那様の映し身は斬れないとかそういうわけではなく―――」 「あ、違うんだ・・・」 その程度バッサリですと頷き、佐々木は再度庭へと目を移す。 「ただ、自分が保てなかっただけなのです」 「自分?」 頷き、視線は庭の池に映った円輪から空へ。 外周部では既に崩壊が始まっている筈のこの世界だが、まだ月は見えるようだ。 「少し、話は逸れますが・・・わたくし・・・というよりも、アサシンのサーヴァントである佐々木小次郎が酷く曖昧な存在であるという事を、お話したことがありましたね」 「ああ。佐々木小次郎という剣士は実在していなくて、その殻を被るにふさわしいけど英霊ではない存在が召喚されたとかなんとか」 燕返し。 舞い降りる燕を宙で裂く事すら可能と言われる絶技。暇だったのでやった。別に燕でなくてもよかった。今は多重次元屈折している。 「はい。わたくし・・・佐々木小次郎だけが、他と違うんです。わたくし・・・というより、わたくし達は英霊ではありません。単に儀式が行われた柳洞寺でさ迷っていた霊だったりするのです」 クーフーリン、メディア、ヘラクレス、メデューサ、ハサン、ギルガメッシュ、そしてエミヤ。国内・国外、過去・未来。 全く接点の無い英霊達を同じ儀式で呼び出せるのは、彼らが一様に『座』という時間空間共に現世から切り離された場所に居るからである。 しかし、佐々木小次郎という形に押し込まれたのは、英霊などとは呼べぬただの霊だという。 雑霊に過ぎない彼女達には、当然に座などというものはない。 つまり、召喚はその場・・・柳洞寺という一大霊場にたまたま存在した霊たちを相手に行われたのだ。 「遠坂桜さまの説明でありましたね? セイバーさま達は、人間より高位の『英霊』という魂であった為、極限まで強化されながらも人間の位階でしかなかった桜さまの魂と器を侵食して今の状態になったと」 そこまで示唆されて、士郎は佐々木の言わんとする事を理解した。 「つまり、佐々木さんだけは逆だった、と?」 「正確に言えば、私とハサンちゃんの二人、ですね。まあ、ハサンちゃんについては機会があれば本人から聞けるでしょうから、今は私の事を話させてくださいな」 言葉を区切り、佐々木と士郎は同時に背後、廊下の天井を見上げた。 気配は無いが、あるいはその辺にハサン的な何かが潜んでいないだろうか? 「・・・こほん。そういうわけで、雑霊に過ぎないわたくし達は遠坂桜さまの魂を含めてシャッフルが行われ、そして新たな佐々木小次郎・・・今のわたくしが人格として身体を操る事になったのでしょう」 遠坂桜でなく、名無しの農民でもない、それぞれの特徴をブレンドした何か。 その現佐々木は、士郎にすいっと顔を近づけ。 「唐突ですが、旦那様。わたくし、人を斬ると欲情する性質です」 「えっ」 そんな事を、言ってきた。 「多分、剣を振るのが好きだとか人を斬ってみたかったとか魔術回路のスイッチが性的興奮だとか部屋とかYシャツとか私とかそういう一切合財が入り混じった結果だと思うのですが、お昼に敵方のランサーさまと戦った際、下穿きは絞れるくらいのびっしょり具合だったのです」 「・・・ああ、うん。あー、そう、なんだ・・・」 真顔でカミングアウトされて士郎は困り顔で相槌をうつ。 その表情にくすりと微笑み、佐々木は顔を離した。再度月を見上げて息をつく。 「ランサーさま相手なら、どうせ向こうも存在自体がエロネタみたいなものですしと気にならなかったのですが・・・」 「さりげなくひどいな・・・いや、あからさまにひどいぞ」 「気にならなかったのですが」 佐々木は目を閉じ、囁くように続ける。 「旦那様と同じ顔の少年と向かい合った時・・・そのまま斬って快感を得てしまったら、二度と今のわたくしに―――家事をして、子供達の面倒を見て、旦那様と睦んで過ごす自分になれないような気がしてしまったのです」 それは、他の誰にもありえない不安。 一つの座に無数の暗殺者が蠢くハサンですら及ばぬ、己の完全なる欠如から来る迷走。 何でもない、ということは、何にでもなる、という事である。 「旦那様より頂いた子鹿という名は、この家を管理する女としての私を定着させてくれました。故に、どのような状況でもわたくしは怯えず、迷わず、この家を守り続けられます」 しかし。 「先程、旦那様はわたくしの告白に困った顔をなさりましたね? それは、このわたくしがあなたの名付けた女と違うイメージの言動をしたからです。貴方の求 める女ではなかったからです。名すらない―――己の在り様が固定されていないわたくしにとって、それは致命的なのですよ」 目を開き、真っ直ぐに士郎を見つめる。 「旦那様。今宵の決戦、わたくしもこの家の直衛として参戦するつもりでは在りますが、あるいはその後・・・もうこの自分ではいられないかもしれません。無差別に人を斬る悪霊の類に―――」 「ならない。大丈夫だよ、佐々木さん」 そして士郎は、あっさりと言い切った。 それなりに決意を込めた台詞を右から左へ受け流すとばかりに否定されて、佐々木は目をパチパチとまたたかせて首をかしげる。 「・・・何故、と聞いてもよろしいですか?」 「だって、佐々木さんはそういうものになりたくないんでしょう?」 「それは、なりたいわけではありませんが・・・でも、人を斬りたいのも、人を斬ると興奮・・・それも性的な意味で興奮する性質であるのは本当なのですが」 今も旦那様の事を斬ってみたくて、どこがとは言いませんが立っていますと真顔で申告する佐々木に、士郎はそうですかとこちらも真顔で受け流す。右から来たものを、左へそのまま受け流す。 「人を斬りたいのも、それで発情するのも、結局は単なる個性でしょう? 甘いものが食べたいとか、毎朝ジョギングしないと気がすまないとかそういうのと何も変わらない」 淡々と告げる士郎に、佐々木は久しぶりに彼の形質を見る。 そも、衛宮士郎は壊れたまま動き続ける傷物だ。 生まれ持った価値観と常識は10年前に全て失っており、今は周囲の模倣で―――彼流の言い方をすれば、借り物の剣でなんとか人間のように生きているだけである。 言峰綺礼は異常者だが、それは価値観が逆転しているというレベルに留まる。 だが、衛宮士郎は、そもそも価値観の幾つかが欠落してしまっているのだ。 その為、何かに対して常人が嫌悪を、言峰が好感をもっている時に、士郎だけが好悪も何も感じないという事が発生しうる。 だからこそ、自分の命を賭けた行動に躊躇が無い。 殺し合いと日常生活を容易に両立させる。一度殺された相手の手も握れる。 「斬りたいから無差別に襲い掛かるとかならともかく、必要に応じて戦って、その結果で満足するのなら、別に否定するようなことでもないでしょう?」 「―――ふふ、後はそれで我慢できるか、そうでないか・・・先程の旦那様のたとえで言うならば、お八つ時にお饅頭を頂いたあと、太るからと自重するか食べたいからと食べ続けるかという事になる、と」 佐々木は微笑んだ。 口元に手をあて、ひとしきり笑ってから、ことんと士郎の肩に頭を乗せる。 「さ、佐々木さん?」 頬をくすぐる黒髪の湯上りでしっとりな感触に士郎はどぎまぎする。 ちなみに、こういう感性は幼い頃からはっちゃけていた虎の人と、それを見るたびに色々と大人の扉を開けてくれた切嗣の教育の賜物である。 「悪堕ちしたら、躊躇無く殺してくれと頼むつもりだったのですが・・・まだまだお暇を頂くわけにはいきませんね。旦那様のその危うさは放っておけません」 「危ないかな、俺・・・?」 人斬りに危険人物呼ばわりされて苦笑する士郎に、佐々木はくすくすと笑ってみせる。 「ええ、私などよりよっぽど上手く殺してくださいます。一般に旦那様のようなのを、女殺しと言うのですよ? もしくはそれなんてエロゲ」 13-10-5 超↑必殺技伝↓授↑ ■衛宮邸 凛私室 佐々木と別れた士郎は、そろそろいいかと凛の部屋へと戻ってきていた。 「遠坂、入ってもいいか?」 ノックすると、いいわよと上機嫌な声が返ってくる。 入るぞと声をかけながらドアを開けると、凛は作業机の椅子に座ってペンダントを弄っていた。 「さっきは聞けなかったんだけど・・・何作ってたんだ? 遠坂」 「時間もなかったし、たいしたもんじゃないわよ。即席のわりにはいい仕事したって自負してるけど」 さっすがわたしとニマニマして凛は椅子を回転さして士郎に向き直る。勢いあまって半周し、気に入ったのかそのままくるくる回転し始めた。 「・・・ご機嫌だな、遠坂」 「多少は状況が好転したんだもの。機嫌良くもなるわよ」 最後にもう一度ぐるんと回転してから凛は椅子を止めた。士郎にベッドへ座るよう促して表情を改める。 「さて、と。まずは確認しておくわね。士郎、魔術師の戦闘能力はサーヴァントよりもずっと弱いわ。世界最強クラスの魔術師だって平均的なサーヴァントを相手取れる保証もない。これは、「 」に挑んだ魔術師達が悉く抑止力に屈している事からも証明されてるわね」 それはセイバーにも散々言われた事であり、士郎自身も実感している。 少なくとも、数値化できる性能で自分達がサーヴァントに勝る部分はない。 「そして、向こうのシロウとサクラは、それぞれ限定的にだけどサーヴァント級の能力を手に入れてる。サクラは不死身である事と魔力の無限供給。シロウはあんたにもある超回復に加えて卓越した身体能力と投影魔術、剣術・・・まあ、ぶっちゃけ劣化アーチャーよね」 黒のシロウは身体能力においてアーチャーより劣り、士郎より優れている。 剣術についても、アーチャー自身の腕から経験を直結で引き出している分、経験憑依で自分というフィルター越しに再現している士郎よりも純度が高い。 「ようするに、わたし達は弱いわ。聖杯洞制圧戦に参加する敵味方の中で断トツに弱いのは桜で、わたしと士郎はその次。サクラ、シロウと続いてその上にサーヴァント達っていうランキングね。誰と当たっても勝ち目が薄いわ」 ふうヤレヤレとわざとらしく肩をすくめる姿に、士郎は苦笑した。 「でも、負ける気は無いんだろ?」 「勝つ気しかないわ」 ぐっと拳を握って凛は不敵に笑う。 「わたし自身の切札は準備できた。桜もライダーたちと何かやってる。そして士郎、あなたには―――」 凛は立ち上がり、ベッドに腰掛けた士郎に歩み寄る。 「遠坂?」 「これ、かけてなさい」 そして、士郎の首に手を回した。抱きつくような姿勢で首の裏へ手をやり、握っていたペンダントの留め金をカチリと固定する。 「本当はね、わたしの切り札だったのよ。対聖杯戦争用の」 耳元で囁かれて顔を赤くしている士郎から離れ、その目を覗き込む。凛自身も、頬が火照って仕方が無い。 「覚えて・・・いえ、知っているでしょ? あなたがランサーの長くて硬いもので貫かれた時のこと―――」 「遠坂。俺は遠坂だけはそういう方向には走らないって信じているよ」 士郎の真剣な表情に飲み込んで僕のゲイボルクというネタは封印して凛は説明に戻る。 「その時に治療に使ったのがこれよ。わたし換算で十年分の魔力が詰まってるわ。本当はあそこで使い切って捨てちゃった筈なんだけど・・・」 「この世界の俺はランサーに殺されていない・・・いや、殺されていないという設定で始まっている。だから、治療もされていない。その宝石も魔力が溜め込まれたまま、と」 正解、と凛は微笑む。 「士郎。呪文は用意できてるの?」 何の、とは聞かない。聞くまでも無い。 「出来てる。アーチャーの呪文をイリヤから教えてもらった時に、それに呼応するように似ているが違う呪文が俺の中から浮かび上がった。今すぐでも使える」 よろしい、と頷き、凛はぴっと士郎の胸元、赤い宝石を指差す。 「士郎の弱点は回路が鍛えられてないから魔力の生産が下手だってことよ。ダム並みの放出力をビニールプールでまかなおうとしてるって感じかしらね」 「ビニール…」 的確な比喩に涙が出る。 「あ、こら意識飛ばさない! だからそれを渡したんでしょうが。足りないなら―――」 「よそから持ってくる、か。でもどうやったらいいんだ? これ」 呪文か何かだろうかと首をかしげる士郎に、凛は気軽な声で答えた。 「パスを通して吸い上げるだけよ? 基本でしょ?」 「・・・・・・」 士郎は一瞬顔を引きつらせ、遠い眼をし、空に向かってブツブツと呟いてから頷いた。 「・・・やってみるよ」 「そんな悲壮な顔しないでも・・・まあ、そうだろうと思ったから、もうひとつプレゼントを用意したわ」 苦笑交じりに取り出したのは布に巻かれた30センチほどの細長い物体。 「これは…?」 差し出されたそれを受け取り、士郎は布をはずしてみた。そこには――― 「ナイフ…いや、短剣か?」 「儀礼用のね。アゾット剣っていうんだけど、この際名前はどうでもいいわ。もともとは私が鍛錬の片手間に魔力を溜め込んできたやつね」 胸で揺れる赤い宝玉とは違い武器なせいか、はたまた蓄えられた魔力が常識的なレベルなせいか、こちらは士郎にも容易に解析できた。 「でもこれ、なんか物凄く複雑な魔術式が書き込まれてるぞ?」 「そうよ。士郎なら解析出来ると思うけど、さっき即席で改造したの」 凛は士郎の眼を正面から覗き込みんでニヤリと笑い、ツンツンと指先で宝石の護符をつつく。 「強化の魔術を使うときは対象物にパスを通して魔力を注ぎ込んでいるでしょ? その要領で剣にパスをつなぎなさい。後は剣が勝手にやってくれるから」 「ああ、それなら多分できる」 士郎はどこかから鞘を調達しないとなと思いながらアゾット剣を眺め、ふと柄に目を留めた。 柄の先端、宝石があしらわれたそこに、飾り布として赤と黒のリボン、そして何色かの糸の束を結い合わせたのであろう飾り紐が結わえられている。 「ん?」 既視感に士郎は視線をあげた。 凛の風呂あがりのまま結っていない髪には、当然いつものリボンは無い。 「そう、片方はわたしの、もう片方は桜のリボン。それだけじゃないわよ? 飾り紐の方はセイバー達の毛をひと房ずつ切ってより合わせた代物なんだから。英霊の魔術回路を装飾に使った護符なんて、多分世界で一つだけでしょうね」 売ったらいくらになるか・・・などと呟く声に苦笑してアゾット剣を握り、解析を試みる。 感じるのは馴染み深いいくつもの魔力。彼女達の一部が、確かにそこに息づいている。 「一応言っておくけど、セイバーの回路の一部だから擬似エクスカリバーが使える! みたいなご都合主義はないわよ。当然」 「さすがにそんな事は考えないぞ・・・そもそもそんな事可能なら、俺の投影とか用無しだろう」 苦笑する士郎に凛は頷き、真剣な表情で士郎を見つめる。 「いい? わたしもセイバーも桜も、みんながそれぞれの形で士郎を必要としているわ。あなたが死ぬって事は、わたし達から士郎を奪うって事よ」 士郎は口を噤み、凛の言葉に耳を傾ける。 「自分の命と引き換えに誰かを助けられるって考えに至ったらソレを見て思い出しなさい。少なくともわたしは・・・あんたが死んだら本気で魔女になるわよ。あんたに惹かれた自分を根こそぎ捨てて遠坂の魔術を研鑽するだけの回路になってやるわ」 「それは、嫌だな」 士郎は呟く。 あと10時間と経たずに消滅が運命付けられているだけに、凛の要求は中々に厳しい。 だが、士郎としても諦めたわけではない。 元より複雑な事を考えるのにむいた頭ではないのだ。一つ一つ、確実に事を成せばいい。 まずは凛を助ける。その後に余裕があれば他の皆を助けて、可能ならば自分も助けよう。 「なんか不埒な事考えてるっぽい気配がするけど・・・ほんと気をつけなさいよ? 後でアーチャーになって会いに来るからセーフとかないわよ?」 「その発想はなかった」 苦笑する士郎からなんとなく漂う覚悟完了の気配に凛はむーと唸り、ふと思いついて士郎の胸に輝く宝玉を指差す。 「いい? それは遠坂家の家宝なんだからね?」 瞬間、士郎はぎょっとした顔で立ち上がった。 「!? お、俺、婿養子!?」 「っ! 飛躍しすぎよ馬鹿っ!」 ガッと叫んだ凛は、こほんと咳払いなどして士郎を横目で睨む。 「この戦いが終わったらちゃんとわたしに返却すること。直接手渡し以外認めないからそのつもりでいなさい」 「ああ、俺、この戦いが終わったらペンダントを返すんだ・・・」 「折るわよ。フラグと首」 いっそこの手で始末してくれようかと口を尖らす凛に、士郎はひとしきり笑ってから頷いた。 「わかってる。大丈夫だよ、遠坂」 さっきまでの考えを一部訂正。 真っ先に凛の安全を確保するのは変わらないが、次に狙うのは自分を含めた全員の生還だ。それ以外の結末は最初から目指さない。 「む…」 頼もしげな笑顔に、凛は更に赤くなって口ごもった。 「ちょ、ちょっとだけ…」 「?」 思わず口走り、俯く。 士郎から見ると前髪に隠れてその表情はよくわからない。まあ、空気と顔色は普段からあまり読み取れてない男ではあるが。 「ちょっとだけ、今、かっこよかったかもしれない…」 「っ…!」 だから、その思いがけない台詞に士郎は脳髄を甘噛みされたような衝撃を受けた。 「あ、いや、なんだ・・・そういう遠坂も、可愛い? と思う・・・」 切れ切れになんとか答えると、今度は凛がぐらりとよろめく。 「な、なんで疑問形なのよ・・・わたしはいつでも可愛いわよ。し、士郎の前では・・・」 ぐふっと士郎が心理的にのけぞる。心象風景の中で大の字に倒れ、鳩が一斉に飛び立つ。 「そ、そうだな。うん。遠坂は可愛い」 「そ、その通りよ。その通りだけどあんまり正面から言われるとね、その・・・」 精神的なクロスカウンターを喰らって凛もまた心の中のベッドに倒れこむ。 士郎と違い他人との距離を調節するのに長けている凛は、それ故に心に踏み込まれるのに慣れていない。招き入れる事に関しては素人なのだ。 故に二人はセイバーが呼びにくるまでぎこちなく言葉を交わすのみで、その先に進む事は無かった。 天井裏から早くやっちまうですよと声なきエールを送る怪人たちに失望させながら。 <次のページへ> |