13-13 決着
13-13-1 VSギルガメッシュ(3) 王の帰還


■柳洞寺本堂前

「な・・・」
「これ、は・・・」
 声は二つ。どちらも困惑。
 倒れたままのギルガメッシュは、大きく見開いた眼で頭上を見上げた。
 喉めがけて撃ち込まれた『選定の剣』は、少し離れた地面に突き立っている。
 それを為したのは、ギルガメッシュの上に浮かぶ一本の短剣。
 東洋風の形状。金属色むき出しの装丁。刃がついておらず武器にしようとすれば尖った先端で突き刺すしかないであろう、剣としては完全な失敗作。剣の形をした鎧とでも言うべき唯一無二のオリジナルかれからのおくりもの。つまりそれは―――
「衛宮の、剣・・・?」
 真っ白なままだった頭の中が、無意識にこぼれた言葉を核に再構成される。
 普段の言動こそアレだが本来ギルガメッシュの思考能力は高い。理解には秒もかからなかった。
「ふは・・・ははははははははははっ!」
 高笑いと共にギルガメッシュは飛び上がるように軽やかに立ち上がった。
「・・・狂ったか」
 つまらぬと指を鳴らした黒の英雄王の背後に、ぬるりと空間を空間を突き破り現れる100にも及ぶ宝具の戦列。
「見苦しいぞ贋作。鍍金を剥がすのならば、せめて頭を垂れ極刑を受け入れよ」
 無表情に見下ろすその視線を真っ直ぐに受け止め、ギルガメッシュは右の手を黒の英雄へと突きつける。その手にするりと収まった剣と共に。
「一つ問う。貴様の宝物庫に・・・コレはあるか?」
 その言葉に、黒英雄の眉が不快げにしかめられた。
 英雄王の眼力は、こと神秘に関しては全てを瞬時に見通す。
 不遜にもこちらに切っ先を向けるそれが、贋作と呼ぶのすらおこがましい失敗作である事は一目でわかった。
「ふん、何を言い出すかと思えばくだらん事を。そのようなガラクタ、我が財にあるわけが無かろう」
「・・・で、あろうな」
 予想通りの答えに、ギルガメッシュの唇が嘲笑の形に釣りあがる。
「ならば―――貴様の財宝には余裕と深みが無い。それでは足りぬ。足りぬのだ」
 右の手にはよく馴染む柄を握り、左の腕を天へと高々と突き上げ。

「―――『王の財宝ゲートオブバビロン』!」

 ギルガメッシュは、パチン!と音高く指を打ち鳴らす。
 
「所詮は贋作以下の土くれか。それが使えぬことは既に―――」
 そして、黒の英雄王の言葉が止まった。
 見開いた目が向けられているのはギルガメッシュの背後。そこに広がる、無数の歪みである。
「我の・・・我だけの宝物庫に繋いだ」
 言葉と共に、ぞぶりと宙を歪ませて無数の宝具が現れた。静かに時を待つそれらは、黒英雄王の周囲に展開されているものと、数も種類も全くの同一である。
「な・・・なんだ、それは・・・!」
 怒りに満ちた声が、ギルガメッシュに向かって放たれた。目に見えるほどの怒気に、背後の宝具達が僅かに揺れる。
「全て・・・贋作だと!?」
 搾り出された声と、視線そのものを凶器にしようかという怒りの込められた視線。
 それが刺し貫くギルガメッシュの背後の宝具たちは、まさしく士郎の投影した贋作であった。
「ああ、贋作だとも」
 故にギルガメッシュはそれを肯定する。
 間違いなくこれらは贋作。取るに足らないガラクタにすぎないと。
「だが、その贋作の作り手は、我と貴様が見たことの無いものを作ったぞ。そして、それはガラクタだが―――しかし、貴様が使った原典を防いでみせたのだ」
 そう、『原罪メロダック』を回避できぬと悟ったあの瞬間。原典の蔵へはつなげられないと知りつつも思わず開いた空間の歪みから飛び出してそれを防い だのは、士郎の作った出来損ないの短刀。剣としては最悪の出来で、しかし強度だけは極めて高い―――衛宮邸、ギルガメッシュの部屋のクローゼットにしまっ た献上品である。
「・・・錯乱のあまり財の貴賎も理解できなくなったか。やはり天地に英雄王は一人。複写も複製もありえんな」
「ははは、当然だろう道化め。ようやく理解したか」
 そして、つまらなさそうに呟いた黒英雄の言葉に、ギルガメッシュは晴れ晴れと笑う。
 自分たちの戦いは、結局の所それに尽きる。最初から最後まで、その一点だ。
「ギルガメッシュは天地にこの我、ただ一人。泥に飲まれたあげくガ―――とか言ってしまう不出来な輩が英雄王であるわけがなかろう?」
 ピシリ、と。怒気だけで空間が歪む音が耳に届く。
「・・・喜ぶがいい。貴様は今、我が蔵に収められる事が決まったぞ」
 もはや怒りの表情すら浮かべず、黒の英雄王はそう告げた。
「まずはその身体を塵芥も残さず磨り潰し、天地に存る総ての痛みを与えた上で魂を捕らえてくれよう。蔵の中で永劫にその痛みを味わいながら感謝に落涙する がいい。何しろ肉体が残っているうちはこの我が手ずから苦痛を下賜してやるのだからな。王の手をわずらわせた名誉と痛みを供に永劫を過ごすがいい」
 常人ならそれだけで心臓を凍らせるであろう殺意を凝固したような視線を、しかしギルガメッシュは揺るぎもせずに受け止めた。
「ふん、あくまで王を名乗り続けるか。ならば、審査を続行してやろう」
 握った剣と背後に控える刃たちから伝わる気配に包まれ、ギルガメッシュは鷹揚に笑う。
「言った筈だな? 我の財を貸してやるから、使いこなせるかを見せてみろと。遠慮は無用だ。存分に見せるがいい。ああ、手持ちが足りぬか? ならば、この我に無心する事を許す。更なる温情として、追加で財を貸してやろうではないか」
 ギルガメッシュは言葉を区切り、右手に握った鎧剣で己の敵を指し示した。
「この我に翻す前言はない。敢えて聞いてやろう。準備は良いかと」
 そう、こんな場面なら・・・あいつはきっと、こうとでも言う筈だ。














「往くぞ英雄王―――武器の貯蔵は充分か?」

「ッ―――万死に値するぞ贋作ッ!」
 瞬間、二人は同時に指を鳴らした。
 互いに繰り出すのは同一の宝具の雨。だが、ギルガメッシュのそれは投影という工程を踏んでいるが故に、その神秘は原典に一歩劣る。このように正面から激突すれば一方的に粉砕される事は明白な事実だ。逆転は、ありえない。
 神秘を見知る二人は共にそれを知り。故に。

「勝ったな―――」
「勝ったぞ―――」

 二つの唇から、一つの言葉が紡がれた。

 撃ち出された全ての投影宝具を完膚なきまでに砕き、敵が次にどの宝具を出すかを見極めようと腕組みしたまま空間の歪みへと目を向けた黒の英雄王と―――

(ふん、あの雑種どもの言う事も一理あるようだな・・・我は油断しすぎる)

 宝具の雨を打ち出すと同時に駆け出し―――既に黒英雄へと肉薄していたギルガメッシュの口から同時にだ―――!

「接近戦だと!? 貴様、宝具の撃ちあいを―――」
「言ったぞ! 余裕と深みが足らんな・・・!」
 予想だにしない展開に慌てて空間の歪みから接近戦用宝具を取り出そうとする黒英雄に、ギルガメッシュは勢いのまま頭から突っ込む。
 堪えようと踏ん張る黒の英雄王に体格面では遥かに劣る彼女は、しかし重量級の全身鎧フルプレートに身を包んでいる!
「ぐっ・・・体当たりなど、王たる者の―――」
 勢いと重量に踏みとどまれず転倒しながら黒英雄は罵声を放った。
「ふん、それも言った筈だ」
 ギルガメッシュは唇の両端を吊り上げ、倒れた黒英雄の胴に馬乗りになった。
 嘲笑を浮かべた顔を鼻先が触れそうな至近距離にまで近づけ、握ったままの鎧剣を逆手に構え直す。
「世界の全ては我のモノだ。どのような手を使おうと、どれだけ泥に塗れようと、我が良しとすればそれは王の行いであろう? 『王だからこうする』などという制限は、このギルガメッシュには不要だ・・・!」
「ぬ・・・」
 絶句する黒英雄の表情に満足し、ギルガメッシュは鎧剣を振り上げた。
(まあ、我がそれに思い至るには衛宮の言葉というきっかけはあったが・・・我が承認して初めて世界の真理となるのだから、そのあたりは適当にオッケーとしよう)
 うむと頷きギルガメッシュは最後にもう一度口を開く。
「どうだ? 言い残す事があるならば聞かんでもない。つまらなければそこで終わりだ」
 傲慢極まる台詞に、しかし黒の英雄王はとりたてて怒るでもなく気怠るげに眼を細めた。
「無い。これ以上は面倒だ」
 美しい金髪に縁取られた美貌と、その向こうの夜空を眺めて呟く。
「・・・貴様のような愚物が居座るような世界では、我が統治してやる価値が出るほどに熟成させるまで手間がかかりすぎる」
 天地に比類なき自我の強さ。それこそが英雄王の真価である。
 故にギルガメッシュは財を封じられても勝利を疑わず、黒の英雄王もまた、この期に及んでまだ己の敗北など想定に入れていない。
 事実、まだ財は残っており、状況を覆せないとも限らない。故にこれは、互いへの褒美に近い結末である。

「さあ、疾く我が座への道を開け英雄王」
「言われるまでもない。さらばだ英雄王」

 二人は声を合わせ、最後の言葉を互いに告げた。

「この世界に―――王は、二人必要無い」



 そして、数十秒。
 かつて黒の英雄王であった魔力が拡散していくのを見届けてからギルガメッシュはその場に倒れ込んだ。
 鎧が防いでいたとはいえ、宝具での滅多打ちにあったのは事実だ。
 実際のところ最後の突撃が可能だったのも精神力の賜物という状態だったのである。
 今すぐ倒れて休息せよ。早くしろ! 間に合わなくなっても知らんぞ・・・! と騒ぎ立てる自分の肉体を一喝して宥め、ギルガメッシュは右腕を持ち上げる。

「・・・助かったぞ、衛宮」

 そして鎧剣を空間の歪みに収め、こんどこそ地面にその玉体を支える権利を与えた。

 宝物庫。
 それは、けして無くしたくない物を護る場所である。



13-13-2 VSライダー(3) メテオダイバー


■冬木市上空

 骸骨兵と住民達が戦うその上空、誰にも見上げる余裕の無いその空で二条の光がぶつかり合っていた。
 もはやベルレフォーンを解除する余裕もなく二騎の人馬は純白の閃光を散らしてひたすらに魔力と体力を削りあう。
「っ・・・!」
 ライダーは全身の痛みに呻きながら手綱を振るった。
 紙一重などと言っても、幾枚も重なればそれは、明確な差異として現れる。オリジナルが大攻勢を始めてからこちら、負傷は増えるばかりであった。
 ガギィッとぶつかりあった二つの流星はしばし均衡し、やがて片方が上空へと吹き飛ばされた。
 言うまでもなく競り負けたのはライダーで、後を追うのがオリジナルである。
「『急いで』ください・・・!」
 ライダーは鞭を入れてペガサスに加速を望む。いななきと共に強く翼がはばたかれ、僅かだが上昇スピードがあがった。
 背後のオリジナルとの距離が開き、すぐには追いつかれないのを確認してからライダーは顔を覆っていたマスクを―――『自己封印・暗黒神殿ブレイカー・ゴルゴーン』を解除する。遮るものの無くなった視界の端に街並みが映り、頬が僅かにほころんだ。
 思えば、何も通さず裸眼でこの街を見た事はあまりない。
 冬木市。
 遠坂桜のチューニングによりオリジナルの記憶を完全に引き継いでいるライダーにとっては、1ヶ月以上を過ごした記憶のある街だ。
 あの男に仕えさせられた事も、徐々に狂っていくサクラとの生活も、士郎と共に臨んだ決戦とその敗北も―――全て覚えている。そして、この身体で過ごした愛しき日々も。
 魔力供給が断たれたため、街の外のシミュレートは既に行われていない。視線は一定よりも向こうに通らず、空に薄白い壁が立っているようだ。よく見れば、既に外周部は崩壊が始まっている。
 終わりは近い。
 世界の終わり。そして自分と、自分が幸せにしたいと願った桜の終わり。
 一度は破れ、あとは陵辱と発狂の未来しか残されていなかった遠坂凛を救う為だけにつくられた世界とその住人が、願いの成就と引き換えに消えていく。
 納得いかない部分はある。
 桜だけでも救えないかとの思いはある。
 だが、それは今考える事ではない。
 眼下から迫るアレを倒し、桜のもとへたどり着いてから考えればいい。
 一つ頷いてライダーは手綱を引いた。ペガサスはぐるりと宙返りをし、上昇をやめる。
 あと数秒でオリジナルが追いつくのを確認し。
「っ・・・!」
 ライダーは、釘剣で己の首を深く刺し貫いた。
「!?」
 上空から降り注ぐ鮮血に、オリジナルは困惑の息をもらす。
 刺突による流血自体は驚くべきことではない。ペガサスを召喚する際に度々行っている行為だ。彼女の能力は、血を触媒に発動する。
 しかし今、既にペガサスを召喚している状態で何の為に・・・?
「これで勝敗を決します・・・!」
 ライダーは一声発して改めて宝具を発動し、垂直落下でオリジナルの方へと突撃してくる。
「何のつもりですか・・・?」
 白い光の尾を引いて落ちてくる己の写し身を前に、オリジナルはそう呟いた。
 見上げる顔から、ガチリと音をたててマスクが解け、落ちる。
 見開いた眼は、石化の魔眼だ。
 伝説の時代にメデューサは己の魔眼を反射する宝具を携えた英雄に敗れている。自分自身が相手だからこそ、向こうが魔眼を解放しているならば、それに対抗する必要が有る。
「『騎英の手綱ベルレフォーン』!」
「『騎英の手綱ベルレフォーン』!」
 そして、二つの流星が激突した。
 これまでも幾度となく行われた正面衝突。魔眼の補助があったところで、双方が同じものを使っているのなら、結果が変わる事もない。
「『押し潰して』ください・・・!」
「『蹂躙』・・・!」
 乗り手の命に従い、ペガサス達は魔力を振り絞る。ジリジリと競り負けるのは、ライダーの方だ。その事実にオリジナルは愚かなと呟き。


「―――『他者封印・鮮血神殿ブラッドフォート・アンドロメダ』」


 ライダーは真名の解放をもって、その言葉を否定する!
「馬鹿な・・・!」
 オリジナルは思わず叫んでいた。
 他者封印・鮮血神殿ブラッドフォート・アンドロメダ。取り込んだものを無差別に溶解し、魔力として吸収する大規模結界宝具。
 それは幻想である英霊にとってあらゆる能力の大元である魔力を急速に補給できる手段であると共に、範囲内に居る限り抵抗はできても回避する手段の無い範囲攻撃としての側面も併せ持つ凶悪な能力である。
 故に、その発動にはいくつもの手順が必要だ。何の準備もなく、即席で発動できるようなものではない。
 もしも、そんな不可能を可能にするのならば―――
「・・・令呪!?」
「ええ、その通りです」
 頷く声と共に、周囲の光景が赤に染まった。上空から見下ろせば、二人を中心に巨大な赤い眼球が浮かんでいるように見えるはずだ。
 令呪はサーヴァントに命令を強要するだけのものではない。
 サーヴァントにとって不可能な行為であっても、マスターとサーヴァント、そして令呪自体の魔力で実現可能なものであれば手段を超越して実現してしまうという、ある意味世界に対して命令を下す大魔術なのだ。
「私の血だけで作った即席のものですが、効果は本来のものと変わりません・・・!」
 ライダーは片手で握っていた鞭を捨てた。
 もはや強制することは無い。両手で手綱をしっかりと掴み、命令を下す。
「我が子よ・・・! 『お願いします』『私と一つになって』『全身全霊で』『この敵に押し勝って』ください!」
 了解、と。
 確かに耳に響くいななきで主であり母である女性に応え、ペガサスは全ての魔力を一気に吐き出した。
 全身の回路を限界以上に振り絞り、力強いはばたきが白の光となって突き進む。
「く・・・『踏み荒らせ』!」
 オリジナルも無限供給にまかせて宝具に魔力を注ぎ込み、ペガサスもそれに応えて限界以上の力を振り絞る。
 同じ座から、同じ魂として召喚されたそれにとっても、己の背に乗る人を想う気持ちで敗けるわけにはいかないのだ。
 耳をつんざく轟音と肌が引き攣れる衝撃。魔力を搾り取られる負荷に耐えてオリジナルは歯をくいしばる。
 こんな無茶がそうそう続くわけが無い。
 生命力には果てがあり、従ってそれを変換した魔力の量にも限界がある。こんな魔力任せの強化を続ければ、直ぐに尽きるのが道理だ。
 そう。彼女のようにマスターと繋いだパスから無限に魔力が送られてきたり―――
「私の魔力を、吸っているのですか・・・!」
 ―――その魔力を吸収する宝具が使用されてでもいなければ、不可能である!
「ぁああああああああああああっ!」
「ぉおおおおおおおおおおおおっ!」
 全力を更に越えて尚、二人は一歩も引かない。否、引けない。
 ここまで強くぶつかりあい、密着してしまった今、少しでも進路をずらせば弾き飛ばされてしまう。
 ペガサス達の翼がミシミシと軋む。ライダー達もまた、腕で足で皮膚が裂け血を撒き散らす。全身を物質化した魔力で押し潰される痛みなど、慣れてしまって感じもしない。
 バチバチと火花に似た光を散らして衝突する二人と二頭の位置が、じりじりと変わり始めた。
 紙一重などと言っても、幾枚も重なればそれは、明確な差異として現れる。
 ゆっくりと。しかし確実にだが、両者は落下を始めているのだ。それはすなわち、ライダーがオリジナルを圧倒しつつあるという意味である。
 サーヴァントであるメデューサにも幻想種であるペガサスにも魔術的な抵抗力があり、吸収結界も二人を溶かして取り込むことは出来ない。
 しかし、全力で放出し、鎧とも推進力ともしている魔力。これは別である。その吸収を防ぐ手段は、ない。
 結果、オリジナルのペガサスの鎧となり武器となる筈の包む魔力は結界に吸われた分だけ磨り減っており、逆にライダーは宝具で吸収したその魔力を自分のペガサスに供給して放出量を上げている。
「無理な筈です・・・!」
 オリジナルは思わず呻いていた。
「これだけの出力に、ペガサスはともかく私達は耐え切れない・・・!」
「・・・ええ」
 搾り出すような声で、ライダーはそれを肯定する。
 古代の城壁に等しい質量のぶつかりあいなのだ。直接触れているのは互いの騎馬だが、それに跨る騎手にも、余波だけで人間など圧縮された肉塊になるだろう圧力がかかっている。
 ましてや、自分の生産できる魔力を限界まで使った上で外部から取り込んだ魔力も放出しているライダーの負荷は、もはや自爆行為と言える状態である筈なのに。
「命と引き換えに勝利する・つもりですか・・・!?」
 オリジナルの問いに、ライダーは僅かに表情を緩めた。
「そのつもりでした。ですが、今はそのつもりはない。絶対に、その結末だけは許容しない・・・!」
 高度が下がる。
 一度崩れた均衡は戻らない。
 その速度は加速の一途を辿り、もはや墜落とよべるだけのものになりつつあった。
「サクラは、令呪を二つ使ってくれました。私は一つしか頼んでいないのに」
 ライダーのペガサスの放つ魔力が、更に強くなった。
 もはや押し合っているのではない。一方的な蹂躙に、オリジナルとそのペガサスがなんとか抵抗しているというだけの状況だ。
「マスターとしては、私の依頼、結界の強制展開を命じてくれました」
 そしてライダーは、自分を包むその力の正体を告げる。
「そして、友人としては―――怪我しないでねと願ってくれました・・・!」
「っ!」
 それは、オリジナルには望めないこと。
 贅沢な望みと、諦めたこと。
「令呪はサーヴァントには不可能な行動であろうと、それがマスターとサーヴァントの魔力で届く範囲内の事であるならば可能にします」
 ライダーの声に、オリジナルはぎりっと奥歯を噛み締め、理解した。
「さて、無限供給されるあなたの魔力を私は横取りしているわけですが・・・私を守るこの令呪は、どの程度の力を発揮するのでしょうね?」
 つまるところ、この差はサクラの為に戦う自分と、桜と共に戦う相手との差であるのだと。
「ぐ、あ・・・あっ・・・!」
 そして、抵抗は完全に崩れた。
「一応聞いておいてあげましょう・・・!」
 悲鳴のようないななきと共に押し流されるペガサスとその背にしがみ付くオリジナルから視線を放さず、ライダーは叫ぶ。
「・・・どこへ墜ちたいですか!?」


■回想・メデューサの記憶

 思い出す。
 地上へと叩き落されながら、メデューサは神話の時代を思い出す。
 数百年にわたる現世での記憶がまたたく間に終わり、引き続きサーヴァントとして召喚されてからの記憶が脳裏を過ぎていく事にメデューサは苦笑した。
 第二の生、仮初の命のサーヴァントも、死の前には走馬灯とやらを見るのかと。
 召喚され。
 使役され。
 最後には自分の意志で主の配下と戦い・・・そして再度、使役される立場へと戻った。
 だが、それは強制されてではない。自ら望んでだ。
 これは、向こうのメデューサが知らない記憶。
 聖杯洞での決戦の、後の記憶。

 覚えている。
 メデューサは覚えている。
 何故この小さな世界が存在しているのか。
 何故聖杯を手に入れ、不可能など無い筈のサクラがこの世界を壊すまでに2週間もの時間をかけたのか。
 結界だのなんだのと言ったところで、それは所詮作られた世界の中の設定だ。世界の外に効果がある筈もなく、ましてや聖杯の中に聖杯の魔力で作られた魔術を、所有者たるサクラに壊せぬ筈も無い。
 それ故の願望器、それ故の万能の器だ。
 特に、破壊と殺戮で事足りる願いが叶わぬはずも無いのに、何故手をこまねいていたのか。

 ―――その理由を、覚えている。

 サクラが、どれだけ羨ましくこの世界を眺めていたのかを。

 サクラが、どれだけ愛おしくこの世界を眺めていたのかを。

 悪心に犯され、怪物へと身を堕とした筈の少女の、その未練を覚えている。

 だから。

「―――て、ない」

 だから。

「見捨て、ない―――」

 かつて、怪物へと堕ちた愚かな蛇に、それでも一緒に居ると言ってくれた人達が居た。

「どんなに・・・堕ちても―――怪物で、あっても・・・」

 だから寄り添うのだ。最後まで、どこまでも。
 だって、覚えている。

「私は―――サクラと共に・・・!」
 
 出来の悪い妹を笑って許してくれた姉のことも。
 初めて出会ったその瞬間に、憧憬の眼で自分を見上げた妹のような少女のことも。

 私は覚えているのだから。



■冬木市上空

「ッ!?」
 もはや押し潰されるだけかと思われたオリジナルの顔が、ぎりっと音を立ててライダーを見上げた。
「べ―――『騎英ベル――――――手綱フォーン』・・・ッ!」
 全身を押し潰す圧力に肉は弾け爪が剥がれ飛びながら伸ばされた手が手綱を掴む。
 再度の命令に満身創痍のペガサスは一声だけ力強くいなないて羽ばたき、魔力を放出し。
「く・・・まだこんな・・・!」
 魔力の放出が相殺された一瞬の隙をついて、ライダーの腕にぐるりと鎖が絡まった。オリジナルの投擲した釘剣のものだ。
 そして苦しげないななきと共に再度均衡が崩れる。令呪の護りをもたないオリジナルのペガサスが順当に限界を越えたのだ。
 翼が折れ、絞り上げられるように胴体をごきりと捻らせて消滅した白い肉体が魔力に還り、魂はメデューサの座へと帰還する。
 オリジナルは口を開く余裕無く心の中でだけ謝罪と感謝を告げ、ライダーを拘束した鎖をよじ登ってその身体にしがみついた。
 ペガサスによる蹂躙攻撃は、当然だがペガサス自体の鞍の上に座るライダーにはダメージを与えない。
 つまり、それに密着したオリジナルにもダメージは無く。
「・・・・・・」
 ライダーは無言でオリジナルを見据え、オリジナルはニヤリと笑って見つめ返す。
 阻むものが無くなったペガサスはまさしく流星の如く地上へと落下し。
「―――それが望みなら、構いません」
 静かな声と共に、ペガサスの姿が消えた。
「え・・・?」
 戸惑いの声を漏らすオリジナルに、こちらからも釘剣の鎖を絡めて縛り、ライダーはお返しとばかりにニヤリと笑い返す。
 騎馬が魔力に戻り消え去っても、それに乗っていた二人が減速するわけではない。
 地上に向けて一直線に落下しつつ、ライダーはオリジナルに告げる。
「先の問いに・・・回答が、無い、ので私が・・・決めさせていただきます」
 視線は自分たちの落下する先。うっそうと木々の生い茂る、円蔵山の中腹である。
共倒れダブルダウンで行きましょう・・・私達のマスターが戦っている地へ・・・!」
 



 木々が圧し折れた。土が抉れた。地中からはじき出された岩が舞う。
 一分間にわたって刻まれた、百メートルにわたる大地の傷跡。
 それこそが、二人のライダーの戦いの結末だった。



13-13-3 VSキャスター(5) 月下流麗


■深山町住宅街

「冗談じゃないわ・・・冗談じゃない・・・こんな、こんな馬鹿げたこと認めない! 認めるものですか・・・!」
 新都中央公園から転移の魔術で移動して来た黒キャスターは、民家の屋根に立って苛立たしげに呟いていた。
 眼下には、近隣からよせ集めた骸骨兵の一団。傍らには転移で一緒に連れてきた護衛役の葛木宗一郎。
「戦争しかできないくせに・・・殺したり壊したりしかしないくせに・・・」
 魔女は血走った眼で周囲に浮かべた幾つもの水鏡を確認する。
 骸骨兵たちは各地でイスカンダルと住民たちに打ち砕かれ、回収と復活のサイクルが間に合わなくなってきていた。
 対抗して黒キャスターも幾度か骸骨兵に指示を出してみたのだが、命じれば命じるほど損害が広がっていくのだ。
 一時は冬木市全域にまで広がっていた支配地域を半分以下まで削られ、魔女はようやく自分が考えた作戦を根こそぎ読まれ、逆用されているのだという事実を認めた。
 認めて、歯噛みし、そして今ここに居る。
 最強の魔女が無限の魔力を手にしているからといって、総て意のままというわけではない。
 だが、何の準備がない状態でも、この距離ならば可能だ。かき集めた骸骨兵、数にして300。これらを全てまとめて、あのいまいましいサーヴァントもどきの守ろうとしている工房のすぐ側へと転移させることができる。
 本当は工房の中に直接送り込みたいところだが、向こうのキャスターもそこまでは馬鹿ではないらしく昼間は無かった転移避けの結界が張られているのを確認済みだ。
「大丈夫。馬鹿だもの。戦争しか知らない馬鹿にはわかるはずない・・・」
 呟き、乾いた唇を舌で湿らせる。
 骸骨兵達は数を減らし、前線は押し返されている。
 それは、向こうの兵隊どもが前進しているということだ。そして、人数が無限でない以上、前に進めば後ろは空くのだ。工房の近くの兵は少なくなっている筈。
 実際、何度か工房へと骸骨兵を進ませてみたが、毎回近づくこともできずに撃破されていた。他の場所へ進むときよりも、明らかに反応が早い。つまりそれは、前線を突破されては困るという事に違いない。
 だから、魔女はここへ来た。軍略などというものが、彼女の魔術に敵う筈がないと証明するために。
「行きなさい・・・」
 礼装の杖を掲げると、微動だにせず立ち尽くす骸骨兵たちの足元に巨大な魔方陣が描かれた。
Τροψαトロイアッ!」
 高速神言の発声と共に骸骨兵の姿が消え、黒の魔女は一息ついて杖を降ろす。
 これで大丈夫。懸念していた敵キャスターの妨害もない。後は骸骨兵どもをここに集結させ、次々に転移させてやればいいのだ。
 今は得意げに動き回っているあのモドキも、所詮は肉の身体を操ることしかできない。人の理を越えた魔術の敵ではないのだ。
 さて状況を見るかと魔女は転移先を映す水鏡に目を向け。

『ボクが誰であるかということを、結局のところわかっていなかったみたいだね。キミは』

 そしてその声が、聞こえた。
 慌てて探すと、水鏡の一つに自転車に乗ってこちらを見上げるあのモドキが映っている。
「な、なにを―――」
『これで詰みだよ魔術師。こちらの戦力は把握しているね? なら、最後に狙うものはわかる筈だよ』
 イスカンダルは、王であった。
 騎士である事、聖剣の担い手である事が先にたつアルトリアや、支配すれど率いる事を知らないギルガメッシュとはまた違う、大軍を指揮する事で幻想に昇華された王である。
 故に、個人の武勇を奪われたところでその本質と強さは変わらない。
 共に戦う者たち全てが、征服王の剣であるのだから。

『この国の文化にのっとり、この言葉を送るよっ。その相手が勝ち誇った時、そいつは既に敗北しているっ!』

 
 骸骨兵の集結から転移での奇襲を読み取ったのはイスカンダルだ。そして、魔女が自身の安全を確保するために転移可能な距離の限界ぎりぎりに陣取ろうとすること、そしてその距離がどの程度であるかを、キャスターが教えてくれた。
 故に、イスカンダルは相手の居場所を固定すべく転移可能ラインの一箇所を敢えて手薄にして待ち、そして狙い通りに魔女はそこに立っている。
 衛宮邸へ兵を転移させられる場所に。
 衛宮邸から兵を転移させられる場所に。

「――――――!」

 ジャキン、と。
 金属質の音と共に黒魔女の身体が横へと吹き飛んだ。視界がぐるりと回り、壊れかけの夜空が目に映る。
「!? な、な・・・!?」
 理解がおいつかず動揺の声を漏らす魔女の形良い乳房のあたりに細いが筋肉の硬さを感じる腕があった。背中にも無駄な肉の一切ない胸板が当たっている。
 葛木宗一郎が、彼女を抱きかかえて地上へと飛び降りたのだ。
「・・・あらあら・・・暗殺失敗。アサシンのクラスが泣きますね」
 そして、涼やかな声と共に、先程までキャスターの居た屋根に影が舞い降りる。
 音もなく道路のアスファルトへ着地した葛木は魔女を降ろし、無表情に頭上を見上げる。
「あ・・・」
 彼の纏ったスーツの二の腕の辺りが斬り裂かれているのに気付き、それが自分を庇って付いたものと悟った魔女は葛木の視線を追って屋根を見上げ。
「っ・・・!」
 そこには、大きな満月を背に微笑む剣士が一人。
 長い黒髪を風になびかせるその姿を、寄り添い立つ二人は確かに知っていた。
 魔女の視線の憤怒を受け止め、彼女は静かに名乗りをあげ。



「―――アサシンのサーヴァント。佐々木小次郎」


 そして悪戯っぽく片目を閉じた。
「兼、衛宮家の家政婦、佐々木子鹿でございます。以後、宜しく」



13-13-4 VSキャスター(6) サムライ・ショーダウン


■深山町 和風家屋街

 名乗りを済ませた佐々木は軽やかな足取りで屋根から地面へと飛び降り、音もたてずに着地した。
「ふふ、私の中に混ざった、かつてあなた方に使役されていた魂が喜んでいます。葛木宗一郎様、あなたと一度手合わせ願いたかったと」
「・・・・・・」
 葛木は僅かに顎を引いてそれに答え、黒キャスターの前に出た。
「宗一郎様・・・?」
「援護は不要だ」
 言葉短にそれだけ告げ、構えを取る。千変万化の暗殺拳、蛇の構えを。
「っ・・・」
 従う必要はない。魔女の中にそんな言葉が生まれる。
 被っている人格が多少違うとはいえ、あのアサシンの事なら手に取るようにわかる。
 魔力への耐性など殆ど無い雑霊ごとき、彼女の魔術なら剣の間合いに入るより早く消しさる事ができる。
 だが、それでいいのか。
 葛木宗一郎が戦いたがっている。自分から、戦いたがっているというのに・・・それを邪魔していいのだろうか。
 いい筈だ。
 論理的に欠落はない。この状況下で万が一にも葛木が負傷するのは避けたい。
 そもそも、自分は葛木宗一郎を魔術で縛って従わせている。今の彼は命令権を持つマスターではないのだ。
 だから、彼の言葉を聞く理由などない。
 だけど、彼の言葉には従いたい。
 動けぬ魔女をよそに、二人のアサシンは向い合う。
「準備は宜しいですか? 葛木様」
「・・・その喋り方には、違和感があるがな」
 ぼそりと言われ、佐々木は笑みを交えて頷いた。
「確かに、貴殿を前には、このような口調の方が似合うというものだな」
 浮かべる笑みも、やや男性的に。そこに居るのは子細が違えど葛木の記憶にあるアサシンであった。
 拳を軽く揺らす。敵の間合いは広い。こちらも素手としては常識を覆すリーチではあるのだが、流石にあの長い刀身を超える事はない。

 ―――故に、やりやすい。

「・・・ふむ、流石に隙が無いな」
 軽く半身になって構える葛木に、佐々木は笑みを深くした。
 間合いの広さは、戦いにおいて絶対の優位だ。攻撃させず、攻撃する。それが可能であるからこそ、剣は拳より強く槍は剣よりも強い。槍よりも弓、弓よりも銃だ。
 だが、それは武器としての性質の話にすぎない。
 ライフルよりも遠くから矢を届ける弓兵も居れば、槍と肉体を同時に切り裂く剣士も居る。ましてや、剣を捌いて懐に飛び込む拳士など数えきれない。
 その程度の事、たやすく覆してこその達人である。
 故に、比べるのは互いの超越。どちらがどれだけ異能であるかという勝負なのである。
 足遣いの邪魔になる鞘を地に捨て、佐々木はやや重心を前にとった。つま先立ちとなって、息を整える。
 葛木宗一郎の拳はフェイントの極みだ。可能ならば先手を取るべきだろう。
「・・・・・・」 
 一息に間合いを詰めようという佐々木の意図を読み取った葛木は、ふと無表情なまま口を開いた。
「・・・それは、こう言って欲しいのか?」
 地に落ちた鞘を僅かに目の端に捉え、有名な一言を口にする。
「小次郎、敗れたり。勝って帰るつもりならば、何故剣を納めるべき鞘を捨てたのか、と」
「・・・ん?」
 淡々と告げられた台詞に佐々木はくいと首を傾げる。
「・・・何の話だ?」
「・・・気にするな」
 葛木はぼそりと返し。
「・・・・・・あれは、創作だったのか」
 わずか、ほんのわずかだけがっかりした声でそう付け加えた。
 ―――暗殺人形にも、多少の浪漫はあったのかもしれない。
「いいえ、宗一郎様。お見事ですわ・・・英霊は伝承に縛られるもの。『鞘を捨てた佐々木小次郎は敗れる』とこの地で信じられている限り、それはギアスとなって力を封じます。ふふ・・・馬鹿ねぇ」 
 一方で、黒キャスターはニタリと笑みを浮かべてアサシンを嘲る。
「成る程、確かに身体が重い。これは一本取られたようだ」
 佐々木はニヤリと笑い、しかし涼やかな表情を崩さず肩をすくめた。
「とはいえ、これもまた一興。おぬしとて、好んで拘束されているだろう? 『主が戦いたがっている以上手は出せぬ』、か。それと同じく、この重さもまた己を表すものと思えば愉快なものよ」
「く・・・」
 揶揄に魔女の表情が歪み、沸き起こる二つの思考が対立する。

(―――ギアスで縛ってわたしのものにしているというのに。これではどちらが―――)

(―――全ては宗一郎様と二人で未来を迎えるため。これが終わったらあの女の拘束など解除して―――)

 黒のサーヴァントとしてサクラに支配される身ではあるが、受肉して魔力を自ら生み出せるようになった以上そんなものは魔女にとってたいした問題ではない。
 サクラの目が自分から離れている数時間で外・・・この世界を内包する、本物の聖杯から魔力を掠め取る術式は構築済みだ。もはやあの女との契約を切っても自分と葛木を維持する事は可能なのだ。
 誰にも縛られない。自分が自分の主だ。マスターなんて、必要がない。
 そう、いつだって裏切ることができる。信頼を八つ裂きにすることができる。
 裏切りの魔女という、伝承そのままに。

「さて、では始めるとしよう」
「・・・ああ」
 涼やかな声に頷いて返し、葛木は重心を僅かに傾けた。
 やや前に偏ったそれを前進の兆しと見取り、佐々木はタンッと地を蹴って左足を前に出し―――
 しかし一歩目を踏み出したその足は即座に再度地を蹴った。前ではなく後ろへ。大きく跳躍する後退の動きでだ。そのまま着地と共に重心を後ろに、迎撃の構えに変化する。
 先手取りと見せた、カウンター狙い。葛木は狙い通りこちらの先手を更に先手で抑えこむべくこちらへ飛び込んで来ていた。
 通常の打突なら、腕の長さの八割も見れば間合いは十分だが、葛木相手ではそうもいかない。指先が触れる程度であってもこちらに致死打撃を見舞う可能性がある。
 それを踏まえた上で尚、佐々木は引かない。牽制すらしない。
 その場に大きく足を広げて立ち、両手で握った長刀の柄を顔の側まで引き寄せ、迫る葛木に背を向ける程に身体を捻る。

 ―――秘剣、燕返し。

 完全同時の三円斬。体術のみで神秘の域に達した魔技。これは、その構えである。
 太陽神の逆光剣は時間を遡り、相手の攻撃がこちらに届く前に相手を殺す事でその攻撃を無効化するという。
 同じ事だ。引く必要も、守る必要もない。
 必殺である以上、相手よりも早く、相手を逃さずに放てばそれでいい。
「・・・・・・」
 葛木もまた、それを理解しつつこちらも引かない。
 滑るように歩を進めた、そのまま上半身を前に倒す。踏み出した足は斜めに地を踏みしめ、速度はそのままに進路を変えた。
 大きく身を捻っている佐々木の背側、視界の外への潜り込みである。
 佐々木は構わず燕返しを発動した。確かに葛木は見えない位置に居る。だが、それだけだ。見
 えなくともそこに居るのなら、彼女の刃は敵を捉える。線ではなく、面ですらなく、立体の空間を円状に切る不可避の剣獄。立体で相手を切る不条理こそが、燕返しなのだ。
 振り絞った筋肉を開放し、刀を繰り出すその瞬間。
「む・・・?」
 その視界の隅から、何かが飛び出した。高速で飛び出したのは人型のシルエット。しかし佐々木の目はそれが、脱がれた背広だけである事を捉えていた。
 瞬間の判断でそちらを無視し、葛木が居るであろう場所へ燕返しを打ち込み―――かけて佐々木は無理やり腕を止めた。
 そのまま身体の捻りを解き放たずに、横っ飛びにその場を飛び退く。
 同時、不気味なまでに靭やかな動きで拳が空をきった。空の背広を突き破って繰り出された葛木の拳が。
 背広は囮ではなく、視界を遮る幕だったのだ。
 葛木は視界の外に出る動きと共にそれを脱ぎ、投げ、それを周り込む形で移動していたのだろう。
 佐々木が虫の知らせとしかいいようのない不条理な察知を発揮せねば、その拳はあらぬ方向へ打ち込まれた燕返しの外から佐々木の首を抉っていただろう。
 飛び退く動きから着地すらせず、佐々木は横薙ぎに刃を放つ。だが、それは拙速であった。
「・・・・・・」
「なんと・・・!」
 金属音と共に佐々木の手に衝撃が伝わる。
 見れば葛木の左手が伸びきった状態から異様な柔軟性で軌道を変え、蛇の名の通り肘から先が鎌首をもたげるように螺旋を描いて跳ね上がっていた。
 本来は触れる事はおろか視認すら難しい佐々木の剣筋も、飛び退きながらでは僅かに剣筋が鈍くなる。それを逃がさず、葛木は自分の首へと迫る刀身を手の甲で跳ね上げるという絶技を見せたのだ。
 佐々木は跳ね上がった長い刀身をすかさず捻り、唐竹割りへと連携させた。
 衝撃に逆らうのではなく乗りこなして即座に攻撃を続けたその手腕は恐るべきものではあるが、しかし葛木の拳もまた、この程度で終わららないものであった。
 跳ね上がった剣を振り上げから振り下ろしに連携させるその一瞬、その静止こそが真の狙いだ。
 一瞬後に己を両断するであろう一撃を無視して葛木は直線的な動きで佐々木に迫り、酷使して動かぬ左手ではなく、温存した右の拳を繰り出す。
 佐々木にもそれは読めていた。
 それでも斬り下ろしを実行したのは、先の動きから予想される葛木の最高速では自分に拳が届くより早く刃が届くと判断できたが故。
 実際、背広の奇襲を感じ取った危機感が今はなく―――しかし響いたのは、肉を断つ音ではなく金属の折れる音であった。
 ぐるぐると回転しながら吹き飛ぶのは、根元から折れた佐々木の長刀、その刀身。
 元より葛木の狙いはそこだった。
 常識はずれの長さの長刀だ。自重と剛性の兼ね合いは精妙なバランスであり、つまりは脆い。左手で跳ね上げた際に負荷がかかった柄・・・目釘近くを樫板をも撃ち抜くその拳で打たれれば、折れるのも当然だろう。
 攻めと守りの両方を担う刀を奪った右拳を間髪入れずに引き戻し、今度は命を奪うべく喉元へと打ち込み―――
 ゴキリ、と。その手首がへし折れた。それを成したのは、刀身を失った柄だ。
 物干し竿と呼ばれる長大な刀身を支えていたその柄もまた、拳四つ分程もある規格外の長さである。佐々木は刀身が折れると同時に手の中で柄を滑らせて終端ぎりぎりへと握りを替え、脇差の要領でそれを振るったのだ。
「宗一郎様!」
 あがった声は魔女のそれだけ。葛木はあらぬ方向に曲がった右手首を構うことなく見事な歩法で佐々木の横をすり抜けて距離を取り、佐々木もまた舞うような軽やかさで数歩下がる。
 攻撃の要である右拳を折られた葛木と、攻防を為す刀そのものを損じた佐々木。
 だが、己の両腕を使って標的を確実に殺す為だけに研ぎ澄ましされた葛木の蛇には、当然のように右腕が無い場合の技術体系が含まれている。
 無為な生涯を刀を操ることにのみ費やした佐々木には、刀身無しで刀を振ってみた経験もある。
 二人はあたかもそれが万全であるかのように平然と動き出し、交差する。
 間合いを失った佐々木は短杖として柄を軽快に振るい、葛木はそれを小刻みなステップで回避しつつ左腕を閃かせた。
 佐々木は滑るようなすり足で間合いを保ち、葛木が振るう左拳の迎撃に専念する。
 刀身が失われようと、今握っている柄部分すら破壊されようとも佐々木本人には影響が無い。対し、攻撃手段を両腕に特化している葛木は武器の破壊が本人の損傷であり、捨てることも持ち代えることも出来ないのだ。残った左を潰せば、そこで勝負がつく。
 葛木は自在に曲がる蛇の軌道で迎撃を掻い潜ろうと試み、佐々木は視界から消える拳を勘で捉えて打ち据えようと試みる。
 手を出すべき出さぬべきと葛藤に迷いながら見守る魔女の目では捉えられない高速の打ち合いは、数十秒を経て新たな局面に至った。
 葛木の動きが僅かに止まる。ようやくリズムを読み取りかけていた佐々木も急な変調への警戒で動きが一瞬停滞し。
「む・・・!?」
 瞬間、視界の右半分がぼやけた。咄嗟に後退しつつ右目を閉じる。眼球全体を熱さに似た痛みが走るが、すぐに収まった。含み針や礫の類を撃たれたのならば、見失うまではいかない。おそらくは鋭く噴出した呼気による、所謂『見えない目潰し』の類であろうと判断。
 半分になった視界へ音もなく歩を進めて消える葛木に、佐々木は眉をひそめた。
 視界を閉ざし、そこから一撃を加える。合理的な一撃だ。合理的だが・・・しかし、常識的でもある。
 そもそも、彼の蛇はそれそのものが相手の視認を振り切って一撃を加える技術体系だ。このような『不意打ちをしますよ』と知らせるような準備は無意味であろうに。
 警戒しつつも佐々木は右目を閉じたまま、頭部へ迫る気配を見えないままに打ち据えた。
 パキリ、と枯れ木の折れるような音。そして手ごたえ。視界が半分になったことなど全くの無意味。佐々木に生来備わった勘働きは、視界の阻害を完全に無効化する。
(それに気付けぬ葛木殿でもあるまいが・・・)
 視認できない蛇を回避してきた動きでそれは悟られている筈だと佐々木は警戒を解かず、再度間合いを取って葛木の状態を確認しようと試み。
「!?」
 突如の危機感と共に脇腹に衝撃が炸裂した。両の腕を折った筈という予測がわずかに佐々木の反応を鈍くしたのだ。
 ようやく見えるようになった左目が捉えたのは、両の腕を突き出した葛木の姿だ。
 佐々木の脇腹を打ったのは―――無傷の左腕だった。そして、手首と肘、二箇所が折れた右腕がぶらりと揺れている。
「・・・成程、視界を塞いだのは腕の左右を見せぬ為か!」
 佐々木は激痛の中そう叫ぶ。こちらの右側に回り込み、折れた右腕でこれまで使わなかった技を―――肘打ちを入れてきたのだ。いくら鋭くとも勘は勘だ。見えているわけではない。攻撃が来るのはわかっても、それがどちらの腕かまではわからない。
 結果、繰り出された右肘を佐々木の一撃は打ち砕き、同時に振るった左拳が脇腹を打ったというわけである。
「折れた腕で無茶をする・・・!」
 関節を二箇所にわたって砕かれた右腕はもはや使い物にならないだろうが、佐々木もまた肋骨を殴り砕かれた痛みと衝撃で足を止められている。
「折れたからといって・・・別段、斬れ落ちたわけでもない」
「っ・・・!」
 間髪入れずに追撃の左拳が折れた右脇を襲う。
 いや、最初の軌道が負傷箇所に向かっているからといって、必ずしもそれが狙いとは限らない。着弾まで数度にわたり軌道を変える魔弾こそが蛇の正体。
 故に。
「!?」
 葛木の拳が空を切る。佐々木は止めも避けもしなかった。その場に仰向けに倒れこんだのだ。蛇は肘から先を卓越した柔軟性で自在に操る。逆に言えば、肘の位置から極端に離れた位置へは変化しない。
「その身体でよく動く・・・」
「折れたとて・・・別段、突き穿たれたわけでもないのでな―――」
 にい、と笑い佐々木は倒れたまま柄を振るう。実際、地面に倒れた衝撃で折れた骨はズレて肉を傷つけ、もう一度同じ場所を打たれれば肺に突き立って致命傷になりかねない。
 しかし、佐々木にとってそれは構うような事態ではない。
 打たれれば致命傷というのなら打たれねばよい。痛みは・・・既に決闘のもたらす興奮に塗りつぶされて感じてなどいないのだから。
 葛木は繰り出された佐々木の打撃を危なげ無く避けてするりと近づき、倒れたその喉へと踵を踏み降ろす。
 佐々木はごろりと横転してそれを回避して立ち上がろうとし、葛木は足を回避に使えない今を好機と左拳をその喉へと打ち込み。
「!?」
 だが、葛木はその拳を引っ込め、身をそらした。鼻先を掠めて背後へ飛んでいったのは長い柄。佐々木が投擲したそれだ。
 当たれば鼻骨がへこむどころではすまなかったであろう強烈な一撃を避けながらも、葛木の脳には警戒の色が塗りたくられる。
 多少の心得はあるかもしれないが、あくまで佐々木は剣士だ。素手での格闘を暗殺手段とする葛木に勝利できる可能性は無い。互いの技量は偶然を許さぬ領域だ。
 ならば何故武器を捨てる。その疑問への解は、目の前にあった。
 葛木の動きが止まったその一瞬を逃さず立ち上がった佐々木の、ふわりと舞う黒髪。
 ただ立っただけではない。立つと同時に、その身体は大きく捻られていた。後ろで結われたその髪を縛る紐が見える程に。
 その構えは見ている。話にも聞いている。
 次元を歪め、一太刀でありながら三本の刀による剣閃の牢獄を作り出す技。
 そして今、佐々木の手には失われた長刀と遜色ない長さの武器が握られていた。
 地上に倒れ、転がった時に拾い上げた、その鞘が。


「秘剣―――」

 刹那。
 響いた打撃音は一つだけ。
 右肩を、左脇を、右腿を三箇所の骨を同時に叩き折ったそれは、完全なる同時であるが故に三撃で一つの音として鳴り響く。

「―――燕返し」
 
 振り終えた鞘が中途からへし折れて地面に転がるのを見やり、佐々木は静かに告げた。その声を耳に、ゆっくりと葛木はその場に崩れ落ちる。
 
 ―――成程。捨てた所で、拾えば済む話であったか。

 

「あ・・・あ・・・?」
 魔女は呆然とそれを見ていた。
 倒れた葛木と、その傍らに立つ佐々木。
「―――まだ、生きているのだが」
 起き上がれぬまま、無表情にそう問う葛木に、佐々木はしばし沈黙し、やがて表情を緩めた。
「ええ、でも最初に名乗ったでしょう?」
 片目を閉じ、穏やかな笑みを浮かべて佐々木は頷いた。
「わたくしは佐々木小鹿。ちょっとお茶目で子供好きな、衛宮邸の管理人さんですから」
 言葉にすれば、心も決まる。
 殺してしまおうか、斬ってしまいたいという欲求が消えてしまったわけではないが、人斬り以外の目標を欲していたのもまた、嘘ではないのだから。
 倒れた葛木がこれ以上戦う気が無いのを感じ取り、佐々木は黒キャスターの方に目を向ける。
 イスカンダルの読みによれば、この魔女は今夜の戦いにはさほど乗り気ではないとのことだった。佐々木自身の持つ小次郎の記憶でも、キャスターは誰かに使われる事を酷く嫌っている。
 奇襲に失敗したら離脱するか説得するかにしておくように、という指示を思い出しながら佐々木は口を開きかけ。
「・・・もういいわ」
 吐き捨てるような声に、第六感が危機を叫んだ。
「もういい、こんな茶番もう沢山ッ!」
 髪振り乱し魔女は叫ぶ。
 あの人を傷つけた屑を捻り潰せと怒りがこみ上げる。
 無様に這い蹲っている屑の独断を許した自分に苛立ちがこみ上げる。
 こんな無意味な戦いに呼び出し自分は男とじゃれあっているあの屑への憎しみが噴出す。
 予定通りに事を進めない骸骨どもと、その邪魔をする雑霊どもに吐き気を催す。
「消えてしまえ・・・! 全部、全部殺して私が聖杯を手に入れる・・・!」
 そうだ。こんな贋物ばかりの世界は消し去ってしまえ。
 既に外の聖杯とパスを繋ぐ術式は構築している。一言命じるだけでこの世界が魔力を補給していたパスを横取りし、無限の魔力が手に入るのだ。
 何故悠長な計画を立てていたのだろう。欲望を貪るだけで何も考えていないあの女などいつでも出し抜いて力を奪えたのに。
 何故こんなに時間をかけてこの世界を残していたのかと魔女は髪掻きむしる。
 要るのは力だ。
 魔力だけだ。
 だからこの世界を、自分以外の何もかもを壊して魔力に返す。それを啜って自分は誰にも触れられない高みに登る。
 そう、それでいい。それしかない。裏切ってなんか居ない。私は悪くない。
 力が、力が要るのだ。全てを失うのは二度で十分だ。どろどろに溶かして、大事な人を切り刻んで、そうやって力を手に入れれば。

 もう誰も、私を裏切りの魔女だなんて呼べなくなる―――

「・・・こんなくだらない箱庭も ・・・!」
 絶叫と共に魔女はこの小さな世界を丸ごと踏みにじるべく魔術回路を開き。

「―――え?」

 瞬間、かくりと視界が90度ずれる。
 おかしい。
 何故、私はこんなにも首をかしげているのだろう?
 理由。
 理由は明白。
 いつできたのか、首筋にできた穴。折れた脊髄。
 首をかしげているのも当然の話。
 タイヘンだ。
 脊髄が無くては頭を支えられないではないか。

「・・・なん、で?」

 わかっている。
 本当は、わかっている。
 指を突き入れて折ったのだとわかっている。
 でも、おかしいではないか。
 敵である佐々木は動いていない。
 ぶらぶらと横倒しになった視界の中、驚きの表情のまま立ち尽くしているというのに。
 疑問しかない思考の中、立っていられずふらりと倒れたその身体を力強い腕が抱きとめられた。
 ずれた視界に入ったのは。
「宗一郎・・・さま?」
「ああ」
 短く応える、葛木宗一郎であった。
 そう。
 黒の魔女は知っている。
 気配すら感じさせないままに素手で脊髄を折って殺すなどというのは、彼の他に出来る者が居るはずも無いことを。
 つまり、それは。
「・・・精神拘束が、解けている・・・?」
「少し違うな」
 腕の中で愕然と呟く伴侶に、葛木はいつものように平坦な声で間違いを正す。
 教壇に立った時のように。閨で問われた時のように。
「元より、私は私だ」
「・・・明鏡止水の境地に立てば。精神面への干渉は全て断ち切ることが可能です。わたくしに出来るように・・・葛木さまもそうであるようですね」
 短い言葉に、佐々木が言葉を添えた。
 その意味を掴んだ黒の魔女は、急速に感覚の失われていくその体が動くうちにと急ぎ言葉を紡ぐ。
「そん、な・・・では・・・では、何故私の命令を・・・?」
「・・・?」
 混乱の極みにあるその問いに、しかし葛木は眉をしかめるだけであった。
 質問の意味がわからぬと、出来の悪い生徒に諭すように当然過ぎる答えを返す。

「私がおまえを助けることに理由などない」

 葛木宗一郎は、キャスターのサーヴァントのマスターであると。
 メディアという女の傍にある者であると。
 彼は静かにそう告げた。
「故に、おまえの願いを叶えるのは私であると判断した」
「わたしの、ねがい・・・?」
 膨大な知識が、知恵が、記憶が、何もかもが急速に失われていくさなかでも、それがなんであるかはわかった。
「あ―――」
 願いが、あった。
 確かに叶っていた筈の願いが、彼女にもあったのだ。
「ぅ―――あ―――」
 ならば、彼の行動は確かにその願いに沿うものだろう。
 彼女を蝕む黒い泥が曝け出した雑多な欲望の中に紛れてしまったそれは、偽りであっても大事なものだったはずなのだから。

 あの、短くも輝かしき日々を望む心は、決して嘘ではないのだから。


「もはや戻れぬと言うのなら、おまえを殺すのは私の役割であるべきだろう」
(・・・そうですね)
 言ったはずの言葉は既に声にはならない。
 だが、彼がそれを読み取っていることを彼女は疑ってはいなかった。
 最後の一片が泥へと落ちる前に。
 この想いすら失い、呪詛を残して消える前に。

(私を、殺してください)

「ああ」
 心臓を握りつぶすその一撃は痛みより早く黒い魔女の命を止め―――

 愛しています、と。

 最後の言葉を朽ち果てた男の中へとそっと残し、メディアは世界から消えた。
 二度目の生で出会った夢を裏切る事無く、愛だけを座に持ち帰った。



13-13-5 VSランサー(3) 英雄

■深山町住宅街

 転機は、野太い叫び声だった。
「姉御ぉっ!」
 唐突な大声にバーサーカーと黒ランサーは斧剣と魔槍を振るう手は止めないまま、視線だけをそちらに向ける。
「・・・エ?」
 どたどた走りながら叫んでいるのは、バーサーカーの顔見知りである藤村組の構成員であった。白いスーツに金のチェーンのネックレスがお洒落な土地販売業者さんだ。
「な、なんで普通のおっさんがここに居るんだ?」
 数十分前にイスカンダルが発動した宝具を知らない二人はぎょっとした顔をしながらも手だけは止めず斧剣と槍を振るい続ける。
 戦況は相変わらずの黒ランサー優位だ。バーサーカーはなんとか相手の跳躍を―――宝具の発動を押さえ込んでいるものの、徐々に攻撃パターンを把握されつつある。
「こっちだ! 早く!」
「うむ・・・!」
 駆け寄ってくる藤村組の男は背後に声をかけ、別の男の声がそれに応えた。
 興味をなくして戦いに集中する黒ランサーのようにはいかず、バーサーカーはこちらに来てはならないと警告の声をあげるべく口を開き。
「ソレ・・・!」
「あ・・・」
 しかし思わず驚きの声をあげ、背後のイリヤも思わず声をあげる。
 そして、その一瞬を黒の槍兵は見逃さなかった。
「余所見してんじゃねぇっ!」
 声と共に突き込まれた鋭い一撃を一瞬反応が遅れたバーサーカーの斧剣が受け止める。
 受け止めたように見えたが、違う。元より、その槍は斧剣だけを狙っていたのだから。
「ぉおりゃああっ!」
 ランサーはそのまま身体ごとぶつけるように斧剣の刀身に突き立った穂先を抉り込む。固い岩でできた刀身からビシリと硬質の音が響く。
 意図に気付いたバーサーカーは斧剣ごと飛び退こうとしたが叶わない。一瞬おいて刀身全体にヒビが入った。
 バーサーカー本人の身体は、これまでの戦闘で得た耐性により槍を通さないが、斧剣はバーサーカーを召喚した触媒となった現世の物質であり、その効果の範疇にない。
 巨大な建造物を長く支えた頑丈な岩ではあるのだが、槍兵の豪腕を何度も受けて耐え切れるようなものではないのだ。
「モタナイ・・・!」
 バーサーカーの声と共に、斧剣は砕け散った。貫通して迫る穂先は身を捻って回避するが、手には柄しか残っていない。
 視線が交差する。
 バーサーカーは柄を投げ捨て、五指を広げた右手を突き出した。黒ランサーはその手にかすりもせずに大きく飛びのき。

「英雄よ! 届け物だ!」

 そして突き出されたバーサーカーの手に、銀色の光が掴まれた。
「何ぃ!?」
 黒ランサーは驚きの声と共にもう一度飛びのいて”それ”を回避する。間髪入れずに打ち込まれた穂先を槍で払いのけ、連携して叩き込まれるのは肉厚の斧を身をそらして避け、身体を二つ折りにしてかがんで金属杭の一撃から逃れる。
「なんでいきなりハルバートが出てきやがる・・・!」
 槍兵の悪態に構わずバーサーカーはそれを構え直した。
 2メートルに届く長大な金属棒に鋭い穂先と肉厚の斧の刀身、突き刺し用のピックが取り付けられた複合近接兵装。それがハルバートである。
「そこの人! これ、リズのじゃない! どうして・・・!」
 イリヤの問いに、藤村組の若い衆は走りづめで乱れた息を整えてがくがく頷く。
「おう、必要だろうから衛宮の屋敷からここまで届けて欲しいってイスカちゃんに頼まれてな! 重くて持ち上がんなかったんだが、こっちのガイジンの兄さんが手伝ってくれたんだ」
 手で示され、ハルバートを投げ渡した男はうむっと胸を張る。
 何故か皮鎧をまとい、腰に剣をさげた大男だ。髪はくすんだ黄色であり、あきらかに日本人ではない。
「間に合ったようでなによりだ。ではワカイシュー! 邪魔にならぬよう我らは戦線に戻ろうではないか!」
「いや、だからそれは名前じゃねぇって」
 騒がしく去っていく二人にもはや構う余裕はない、黒ランサーは絶え間なく繰り出される刃と穂先を紙一重で避けるのに忙殺されていた。
「っ、この・・・!」
 反撃として突きこんだ一撃はハルバートの柄で受けられ、その衝撃を利用してぐるりと回った斧刃がこちらの脳天へと振り下ろされる。
 下がろうとすれば穂先が弾幕を張るかのように素早く何度も打ち込まれ、下手に手を止めれば容赦なくピックで足元を払われる。
 黒ランサーは、言うまでもなく槍の英霊である。互いに長物を使っての戦いは得意中の得意であり、現在も嵐のような猛攻を受けながら、その身体には一筋の傷も無い。
 だが、逆に言えば槍を専門とする大英雄でありながら、傷を負っていないというだけなのである。大跳躍して宝具を使うなどというのはもちろん、間合いを取る事も、逆に一撃入れて隙を作ることもできていない。
「■■■■■■■■ッッ!」
 咆哮と共に打ち込まれるハルバートの一撃は斧剣のものよりも速く、ぐるり、ぐるりと時に身体ごと回転して打ち込まれる一撃は斧剣と変わらず受けようがない重さだ。
「おい、おかしいだろう!」
 幾重にもフェイントを入れて繰り出した槍がハルバートのピック・・・突き刺し杭部分に絡まれそうになる。逆にそれを絡め取ってやろうと穂先を螺旋に回して対抗するが、読まれていたのかあっさり回避された。
 自在に操っていると思えたあの斧剣は、これを見れば力みがあったと判断せざるをえない。この武器と使い手は、あまりにも噛み合っている。
 用途の違いか、と黒ランサーは乾いてきた唇を舐める。
 斧剣はその名に反し剣と呼べるようなものではない。性質的には棍棒の方が近いだろう。怪力にまかせて地面だろうが岩壁だろうが大木だろうが気にせず振り下ろし、打ち付ける雑な戦い方にこそ向いている。
 一方で、目の前の女はバーサーカーでありながら卓越した剣技でこちらに対抗してきた。
 オリジナルである巨人の体格にならば見合うが彼女には大きすぎる斧剣を、技術で補って振るってきたのだ。
 だが、今手にしているハルバートは長大ながらも彼女に似合っている。現世の技術で作られてるその出自は知る由もないが、長身と豪腕の女性戦士が使うに適した造りだと黒の槍兵は判断した。
 体格に見合う武器を得て、ようやくバーサーカー・・・否、ヘラクレスがハンデなくその技を振るい始めた。それはいい。それはわかるのだが。
「おまえ、剣士じゃないのか!? なんで長物にそんな馴染んでんだよ!」
 こちらの槍に一歩も引かず火花を散らすその技術は、片手間に学べるような域ではない。自分よりは劣るが、明らかに槍兵のそれだ。
「・・・ン」
 バーサーカーは、無造作に頷きハルバートを振るう。くるりくるりと回転する様は、舞っているようですらあった。
「武器ニ、コダワリハ無イ」
 言葉短かに告げると共に、バーサーカーはぐっと上半身を沈み込ませて地面スレスレから跳ね上がるような軌道で穂先を突き上げた。
「当たるかよ・・・!」
 視界の外へ飛び出してからの一撃を、しかし黒ランサーは軽く身をそらすだけで危なげなく回避し、反撃の突きまで一流れにこなす。
 バーサーカーは喉元へ迫る穂先に目をやり。
「■■■■■■ッ!」
 振り上げたハルバートから手を放し、身一つで飛びのいた。
「む・・・!」
 手放されたハルバートは勢いのまま上空へ吹き飛び、そして重力に引かれて落ちてくる。重い穂先に重心がずれ、ぐるりぐるりと回転しながら、眼下の黒ランサーへと。
 重量級武器が降って来るという目を引く状況に、しかし槍兵は動じない。
 手を離れて飛んでいるなら、それは飛び道具だ。神秘すら籠っていない投擲など見る必要すら無く軌道を把握できる。あれは、自分に当たらない。
(惜しかったな。オレのスキルを把握してねぇのが悪ぃ)
 武器を失ったバーサーカーに黒ランサーは容赦なく槍を打ち込み。
「ハアク、シテル」
 バーサーカーは、右足を大きく蹴り上げてそれに答えた。
「!?」
 180度に開脚してワンピースの裾を大きく開くその蹴りは、しかし槍兵に届く間合いではない。
 はためく布地の奥に遮るもの無く垣間見えた楽園に黒ランサーは大きく目を見開き、そして違うものをも、視界に納めた。
 飛び道具ならばあらゆるものを見切るその目は、バーサーカーの足が、靴を履いていない素足が、落ちていた瓦礫を足で掴んで蹴り上げていたのを捉えていたのだ。
 ガキンと金属音が頭上で響き、危機感が背筋を撫で上げる。
 突き込もうとしていた槍を引き戻し首を捻って見上げた背後。落ちてきていたハルバートは、柄に瓦礫が命中して軌道を変えている!
「器用な事を・・・!」
 足で槍を投げる自分を棚に上げ、後頭部を両断する軌道で振ってくる肉厚の斧刃を黒ランサーは飛び退いて回避。槍でハルバートを薙ぎ払い、バーサーカーとは逆の方へと吹き飛ばす。
 奇襲に冷や汗はかいたが、これで相手の武器は奪った。今度こそ自分が跳ぶのを阻む事はできない。そう槍兵は思い。
「■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」
 同時、バーサーカーは武器もないままに黒ランサーへ飛びかかっていた。
「!?」
 ハルバートの落下と同時に槍の間合いの内側まで肉薄していたバーサーカーに、ランサーは舌打ちと共に柄を叩きつける。
 長物武器を密着して使えないようにするというのは常套手段だ。故に、槍の技術は当然にそれを想定しており―――だが、それは相手の攻撃が一つである想定の技だ。
 手首を砕こうと打ち込まれた柄を、円を描いたバーサーカーの左腕が回し受ける。そのまま右肩がランサーの脇から肋骨にかけてに激突し身体そのものを吹き 飛ばす。足が浮いた瞬間、両手を組んでのハンマーナックルが鎖骨あたりへ炸裂する。落下しかけたところで背骨へと膝蹴りが叩き込まれ、こめかみに肘が打ち 込まれ、鳩尾に掌が埋まり、逆の手で後ろから首を掴まれ、持ち上げられ、地面へ叩きつけられる。顔面から胸、腹と地面に打ち付けられた痛みと共に背骨を踏 みしだかれ、間髪入れず飛び上がったバーサーカーが落下の勢いでもって膝を槍兵の首へと叩き込んだ。
 ―――ここまで、僅か一秒。
 一閃九撃。そのどれもが並の英霊を絶命させ得る打撃で構成された一瞬の遅滞もない無手連打。つまり、これこそが。
「・・・拳技『射殺す百頭ナインライブス』」
 静かに告げてバーサーカーは立ち上がる。
 それナインライブスは、ヘラクレスの使用する闘技の総称である。
 剣なら剣の、槍なら槍の、拳なら拳の射殺す百頭があり、そのどれにも優劣は無い。
 武器を選ばず相手を選ばず戦場を選ばず、あらゆる試練を打ち倒すべく振るわれる力。それこそが、『射殺す百頭』の本質である。

 ヘラクレスは、剣士ではない。もちろん、ただ狂戦士であるわけもない。
 槍兵でもなければ、弓兵でもない。暗殺者でも、騎兵でもない。
 その全てであり、その全てでない。


 ―――故に其の名は、ただ英雄ヘラクレスとのみ呼ばれる。


「ぐ・・・は、はは・・・すげぇな・・・」
 黒ランサーは、生きていた。
 明らかに彼の耐久力を超える打撃を受けて尚、まだ満足していないと叫ぶ魂は身体にとどまっている。
 だから。
「ソレホドデモナイ」
 倒れた男を観察していたバーサーカーは容赦なくその頭に足を踏み降ろした。
 油断も慢心もない。この男が生きている限り何度でも立ち上がり戦い続けることを、彼女は知っていた。
「まだだ・・・ッ!」
 故に、声と共にその身体が地を転げ、うつぶせから仰向けになって踏み抜きを回避した事にも驚かない。
 黒ランサーの身体には、肌の露出した部分全てにびっしりと複雑な模様が光の文字となって浮き出ていた。それらの一つ一つが守護と賦活のルーン。背骨を含 む重要な骨をいくつも砕かれ、肺を含む重要な臓器を幾つも破裂させながらも彼を生き延びさせたクー・フーリン最後の護りだ。
 内臓の軋みも脳を揺さぶる衝撃も、どこがどう傷ついたのかもわからない痛みも、もはやどうでもよかった。
「ハハハハハハハハハハハハッ!」
 黒ランサーはこみあげる笑いを隠しもせず膝立ちになり、大笑いと共に左の拳を振り上げ。
「■■■ッ!」
 バーサーカーは躊躇なくその腕を蹴り折る。
 肘を内側から刈り取る一撃に関節が砕け、在らぬ方向に腕が曲がり。
「そっちはくれてやるよ・・・!」
 瞬間、黒ランサーは躊躇なく手刀を折れた肘に突き入れる。魔術で硬化させた指先はぶちりぶちりと肉を腱を切り裂き、骨が折れ砕けた左手を切断した。
 理解できないのか警戒の目で下がろうとするバーサーカーにニヤリと笑い、切り離した左手の肘から先を右手で掴み、躊躇なくそれを投げつける。
 バーサーカーは黒ランサーから視線を外さずにそれを片手で打ち払おうとし―――
「駄目っ! 防御!」
 焦りを含んだ声を受け、咄嗟に両腕で頭を庇った。
 瞬間、カッ! と閃光が周囲に広がる。続き熱が、衝撃がバーサーカーの身体を打ち据える。
「■■■■■■■■■■■■!?」
 皮膚を焼かれる感覚にバーサーカーは戸惑いの声をあげた。
 自分の身体を傷つけているという事は、この爆発はAランク相当であり、しかも初見という事になる。
 まだ見ていないルーン、隠し持っていたスキル、他のサーヴァントの援護。色々考えられるが、この爆発には覚えがあった。それは、衛宮士郎とアーチャーが行使する宝具とその魔力を燃料に爆発を起こす技術である。
 つまり―――あの槍兵は自分の腕を、魔力と幻想で編まれたサーヴァントの肉体をルーンで起爆したのだ・・・!
 バーサーカーだ、と。心の中で感嘆の声をあげる。
 こうなると、どちらがバーサーカーかわかったものではないと。
 爆発は周囲の地面と塀をごっそりと焼き溶かして収まった。小規模なクレーターと化した爆心地でバーサーカーは背後に目をやる。戦闘開始してから充分に離れていたイリヤは、無事だ。
 続いて敵を、黒ランサーが倒れていたあたりに目をやったバーサーカーは、思わず唸り声をあげた。
 いない。爆発の破壊痕の内側であるそこに、槍兵の姿が無い。
 自爆で消し飛んだのか。バーサーカーはその考えを一瞬で捨てる。ランサー、クー・フーリンがその程度で済ますものか。
 予感に誘われ視線をあげる。
 爆発痕の向こう、数十メートルの先に槍兵は居た。両足と右手で地に這い、口には魔槍を咥えて。
 ぐっと沈み込んだ槍兵は、くわえていた槍を逆手に掴み、大きく跳躍する。
 魔力が槍に集まっていくのがわかる。これは宝具発動の前兆だ。
突き穿つ死翔の槍ゲイボルク』。  因果の逆転こそないが、50本に分裂した槍が誘導弾着する殲滅力特化の魔力爆撃である。
 

 ざまあみろ、と黒ランサーは呟いた。
 腕からは血を噴出し、全力で使い続けた回路は焼きつきかけている。
 ざまあみろともう一度。
 言葉を向ける相手は、バーサーカーではない。もちろんそのマスターでもない。
 敵側についている女ランサーと、泥に食われる前のランサー、そしてそれ以外のあらゆるクー・フーリンにだ。

 戦っているぞ。
 今、オレは全力で戦っているぞ。

 何の制約もなく、何の制限もなく、目的すらなく、ただただ、戦いたいから戦っている。
 相手は英雄中の英雄、ヘラクレス。個の力において、間違いなく最強である勇者だ。
 槍の奥義を尽くした。
 ルーンも惜しみなく刻んだ。
 足遣いを解禁し、身体を一部犠牲にしての裏技も駆使し、仕切り直して、・・・その結果として今、宝具で最後の一撃を入れようとしている。
 もはや残るものなど何も無い。
 使えるものは全て吐き出した。
 見下ろした地上にはこちらを見上げるバーサーカーと、走り寄るそのマスターが見える。
 そうだな、と彼は頷いた。
 あえていうならば、令呪は使っていない。あいつにも、見せてやりたかったという思いはまだ残っている。






 どうだ? おまえが呼んだサーヴァントは、強いだろう?



「『突き穿つゲイ』―――」
 軽く笑い、槍兵は真名を解放した。魔力は存分に集まった。
 バチバチと魔力光を放つ槍を残った右手一本で振りかぶり―――


「バーサーカー!」 
 大きく跳躍した黒ランサーが槍を振りかぶる中、バーサーカーは背中に抱きつくイリヤの感触に目を見開いた。
 イリヤは賢い子だ。戦いの場において自分に求められるのが近づかないことだけである事を、よくわかっている。
 ならば何故か理由がある筈とバーサーカーは振り向くのをやめ、空を、敵を見据える。
「―――『死翔の槍ボルク』ッ!」
 黒ランサーは、猛々しい叫びと共にその槍を投げ下ろした。
 放たれた槍は一瞬ぼやけ、空間を軋ませながら全く同型の槍を49本生み出した。最初の一本をあわせ50に別れて広がる50の軌道は、空中に赤い花が咲くようである。
 美しいその光は、しかし一つ一つがサーヴァントをも弾け散らせる豪槍だ。バーサーカーの肉体をもってしても残る命では耐え切れぬ必殺の攻撃を前に。
「■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」
 しかしバーサーカーは逃げない。引かない。背後には、大切な少女が居る。
 それは守られるべき者であり、
「バーサーカー! アインツベルンの名のもとに命じるわ! 『あなたの弓を取り戻しなさい!』」
 額にだけ僅かに残った赤い光の模様と共に叫ぶ彼女は、ただ守られるだけでなく共に戦う者マスターである・・・!
 声と共に、バーサーカーの背に触れた小さな身体からパスが繋がった。
 今のイリヤは自分の存在を維持するだけで限界だ。だが、こうやって触れて、相手を自分の一部としてつなげれば―――!
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」
 バーサーカーが吼える。イリヤの繋いだパスは内面世界に入り込み、記憶を、由来を、伝承を呼び起こす。
 かの英雄のもつ、最大にして最強の幻想を。
 槍が迫る。
 実際には3秒とかからぬその着弾は、精神を直結した二人にとっては遥か先の現象だ。
 左腕を空に、敵に向ける。右腕は曲げて引き、何かを掴む仕草。

 バーサーカー・・・いや、ヘラクレスの口からその言葉が放たれると共に、左腕から木の枝が伸びた。ぐるりぐるりと絡まりあって出来上がったのは、流麗なフォルムをもつ木製の弓である。
 同時、右腕からは甲高い叫び声を上げる蛇が這い出てきた。一見して9匹に見えるそれは、尻尾において一つに繋がっている。九頭の蛇だ。蛇はキィキィと叫びながらこちらも絡まりあい、一本の矢となって弓につがえられる。
 これこそが、ヘラクレスの宝具。
 剣技、槍技、拳技、弓技、全てにおいて応用されるその技のオリジナル。かつて無限に再生するそれを滅ぼした事に由来する、滅びの毒持つ最強の弓。

「―――『射殺す百頭ナインライブス』」

 バーサーカーとして顕現したが故に持ち得なかった―――ヘラクレスの最も頼りとする宝具である!
 降り注ぐ50の赤光。それを見上げるヘラクレスの視界にも50の紋章。迫る槍の一本一本にそれが重なると同時に、光の弦が弓と矢を繋ぎ、バーサーカーは指を離した。
 ギィィィィッ! という叫びと共に解き放たれた矢は白い光の大蛇と化して天へと駆け上がる。
「これが・・・!」
 伝説に聞くヒドラの矢。眼下から迫るそれに黒ランサーは思わず目を輝かせた。
 九匹の大蛇は降り注ぐ槍に襲い掛かり、それを容易く噛み砕いた。そして速度を落とすことなく進路を曲げ、次の槍へと噛り付く。ゲイボルクが一つの目標へ対する必中であるように、この矢もまた、補足した全ての敵へと喰らいつく誘導光矢である。
「おおおおおおおおおおっっっ!」
 次々砕かれていく必殺と誇った槍たちに、槍兵は残った魔力を残らず注ぎ込む。もはや何かを思うことすら不要だ。必中の誇りを、必殺の誇りを貫き通し、ただ戦い、勝利する為に―――
 その為ならば、己の命すら、どうなろうとも構わない―――
 ギギッ! と短い音が鳴る。赤の魔槍と白の蛇矢。そのぶつかり合いが終わったのだ。
 魔槍はその全てを大蛇の顎門に捕らえられ―――49を失いながら、ただ1本がその迎撃を貫いていた! 
 光の矢のひとつが砕け千切れて宙に消え、残る八本が天へ、最後の標的たる黒の槍兵へ向かう。
 しかして、赤の魔槍は落雷の如き轟音を引き連れて地へと迸り。
「バーサーカー!」
 弓を射ち終えた姿勢のままのバーサーカー、その心臓を、突き穿った。
 高出力型の宝具であればあるほど、使用後の反動も大きい。いかな大英雄といえど・・・いや、大英雄の宝具であるからこそ、この瞬間、ヘラクレスは動けなかったのだ。
「やったか!」
 黒ランサーはその光景に叫び、しかし気付く。
 一本だ。届いたのは一本だけ。魔槍は霊核に直結している心臓を破壊し、必中、必殺の名の通りバーサーカーの命を貫いた。
 ―――残り二つある命の、その片方のみを。
 ヘラクレスは。今だ健在だ。
「っおおおおおらああああああっ!」
 瞬間、光の大蛇が槍兵の身体に喰らいついた。幾度となく槍を投じた右腕が噛み砕かれた。最速と讃えられた右足の膝から下が食いちぎられ、次いで腿ごと腰の半分が消し飛ぶ。左胸、心臓の収まるそこも巨大な顎門が噛み抉り、頭すら半ばまで削がれて砕けた。
 そして、その傷、その断面が『死んでいる』のを槍兵は自覚する。
 自分の槍にも再生阻害の呪いはあるが、これはもっと酷い。注ぎ込まれたその毒が再生を妨げるどころか見る見るうちに魔術回路を辿って全身へと崩壊を引き起こしているではないか。
 即死であった。
 助かりようの無い、即死と呼べる筈のダメージだった。
 そして―――それでも尚、槍兵は屈してなどいなかった。
 ヘラクレスが不死身であるように、ホリンの猛犬クー・フーリンもまた、不死身と謳われる英雄が一人。その魂は、最後の瞬間、一滴でも命が残っていれば、戦い続ける!
「『突き穿つゲイ』―――」
 クー・フーリンは半損した頭蓋を動かし、真名を解放した。
 落下する槍兵の傍に現れたのは、心臓破りの真紅の魔槍。必殺必中、唯一にして随一の彼の相棒。
 全ての感覚が失われていく中、黒の槍兵は確信した。
 魔力は枯渇しかけているが、元々燃費のいいゲイボルクを撃つだけの魔力は残っている。投げる為の腕は左右共に失われたが―――
 知っているな? と眼下に告げる。
 心臓に空いた穴と上半身を焼かれた傷を再生させ、あと数秒で生き返る最高の敵手に。
 このオレが、足で槍を投げる事は知っているな?
 壊れた身体がぐるりと回る。落下しつつ、唯一残った左足が槍を掴む。
 ヘラクレスの耐性とやらがどの程度のものかはわからない。だが、根本的には同じ槍である死棘の槍と死翔の槍でそれぞれ一度ずつ殺せたのだ。また別の投法であるこれもまた、通じる可能性はある。いや、通じさせる。貫いてみせる。
 槍兵は秒刻みですり減る命に構わず槍を振りかぶり―――
「駄目! バーサーカー!」
 だが、投擲の瞬間、槍兵は見た。
 射線上、動けぬヘラクレスの心臓を庇って立ちふさがる銀の髪の少女を。
 実際の所その小さな身体は長身のヘラクレスを庇うには到底たりるものではないし、そもそも彼の槍はその程度で防げるものではない。一度投擲すれば、あの少女ごと、その穂先は心臓を突き穿つだろう。
 その結果は、既に確定したのだ。

死翔の槍ボルク―――!」

 故に、ランサーは構わずその足を振り下ろした。
 勢いでぐるりと回ったその身体は、もはや体勢を整える事もできず着地というよりも墜落といった方がよい有様で地面に叩きつけられる。
「ぐ・・・っ、ぉっ・・・」
 それでも、黒の槍兵は一応繋がっているだけという背骨を無理矢理動かし、身を起こした。
 身体を支える力など残っていない左足だけでずるずると這い、幾度か転びながらも折れずに残っていた街路樹に背を預ける形で立ち上がる。
 視界の大半を赤と黒が塗りつぶしつつある中、黒ランサーは顔をあげ、己の成し遂げた結果を確認した。
 そしてそのまま、ニヤリと笑ってみせる。
「ったく・・・運がいいな。おまえらは」
 ―――今度こそ闇に落ちる視界の中に、呆然とこちらを眺める一組の主従。
 共に、健在である。

 それを見届け、男はそのまま目を閉じた。
 もう二度と、開く事は無い。



「・・・勝った、の?」
 呆然と問うイリヤの頭にバーサーカーは再生され無傷となった掌を置いた。
 ゆっくりと首を横に振り、動かぬ敵手を見つめる。
「見逃シテ、モラエタ」
 一瞬の死から回復したあの時、上空の槍兵は既に投擲姿勢に入っていた槍を自分の意思で消していた。
 既に魔力を込め、後は投げるだけで自分を殺せる筈の槍をだ。
 それを投げなかったのは、つまりはあの男がイリヤの意思を突き穿つのを良しとしなかったからであろう。自分は、ヘラクレスはそこに何もしていない。
「―――私ノ負ケダ。クー・フーリン」
 だから、口に出してそれを讃える。
 クー・フーリンは、ヘラクレスに勝利したと。
 あるいはあの槍に耐えて生き残ることは可能だったかもしれない。しかし、それでイリヤを失ったのなら結局自分は負けなのだ。
 故に、この状況は槍兵の勝ち。
「モシクハ、イリヤノ、勝チ?」
「?」
 ぽふぽふと頭を撫でる手にきょとんとした顔をするイリヤを抱えあげ、バーサーカーは最後にもう一度だけ男の方へと視線を向ける。

 二人の視線の先、槍兵は樹にもたれかかったまま死んでいた。
 倒れることなく、誇り高く。最後まで彼らしい笑みを唇に浮かべて。

 全力を尽くした闘争の果てに男は己が座へと帰還する。
 それは、まごうこと無き英雄の死であった。




13-13-6 VS??? サドンストライク

■衛宮邸中庭

「・・・終わったみたいね」
 衛宮邸の中庭で大人の姿に戻り立ち尽くしていたキャスターは、あちこちから聞こえる勝鬨に息をついた。
 意識を集中してみても、周囲に満ちていた骸骨兵の魔力は残さず消えている。よく探せば具現化の媒介になっていた遺骨の破片が町中に転がっている筈だ。
 こうなってくると問題はあちこちで盛り上がっている住民たちだ。
 これ、消えるのだろうか。消えたとしてもう一度呼び出したら今回の記憶とかあったりするのか。外の世界に出したらどうなるのだろう。
 どうせ自分が対策を考えさせられるんだろうなあとキャスターは息をついた。
 バーサーカーは、さきほどイリヤをともなって帰ってきた。回復には時間がかかるだろうが無事だ。言峰とバゼットの姿は見えないが、家から出ていない以上無事ではあるだろう。
 空でガッツンガッツンしていたライダーたちも既に見えなくなっているし、これだけ距離があっても感じていたギルガメッシュのプレッシャーも消えた。
 とりあえず、襲撃は終わりかとキャスターは肩の力を抜き―――

 すとん、と。

 音もなく落下してきた仮面の暗殺者の刃は、キャスターの首筋に何の抵抗もなく突き刺さった。




13-13-7 VSアーチャー(3) 可能性を穿つもの

■聖杯洞 第一空洞

 火花が散った。
 片や真紅の魔槍。必中必殺を謳われたゲイボルク。
 片や白と黒の双剣。鶴翼にも喩えられる夫婦剣、干将と莫耶。
 今戦い始めたかのように疲労も負傷も感じられない突きの連撃をアーチャーは受け流し、押し戻し、そして三撃目を受け損ねて左手の刃が背後へ吹き飛ぶ。
 無論、わざとだ。
「ぉおりゃぁあっ!」
 ここぞとばかりに突きこんでくる一撃をバックステップで避け様に右手の刃を投擲。斬撃のモーションと寸分かわらぬ動きで投げられたそれを、しかし目に映る飛び道具の全てを見切るランサーは最小限の身のこなしだけで回避し、そのまま間合いを詰めて槍を突き出す。
 アーチャーは両手を広げて双剣を投影―――しない。
「来い・・・!」
 代わりに叫んだのは引き寄せの宣言だ。二本の刃は片やランサーの背後、もう片方はアーチャーの背後である。いかにランサーといえど、見えない刃は見切れない。
 筈なのに。
「甘ぇってんだよ!」
 ランサーはぐるりと大きく振り上げた槍を背後に回して地面に突き立てた。
 背後から飛来した干将はそれに弾かれて地面に落ち、そのまま槍を支点に棒高跳びの要領でランサーの身体が逆さまに跳ね上がった。強烈な蹴り上げをアーチャーは舌打ちと共に回避し、今度こそ双剣を装填する。
(何故だ・・・)
 アーチャーは音もなく着地したランサーが再度突きの連打を放ってくるのを受け流しつつ心中で疑問を呟く。
 一度ではない。既に十度にわたりアーチャーはランサーに仕掛け、ランサーはそのことごとくを回避した。
 元より接近戦の実力で劣るのはわかっている。故にこちらは隙をわざと作り、あえて踏み込んでくるランサーをいなして仕留めるという戦いになる筈なのだが・・・
(不自然なまでに、仕掛けが不発に終わる)
 豊富な戦闘経験とすぐれた勘をもつランサーだ。そう簡単に引っかかるはずも無いのだが、それにしてもこうも連続して避けられれば何かの仕掛けを疑いたくもなる。
「教えてやるよ・・・!」
 叫びと共に打ち込まれた一撃は、戦い始めた時と比べて明らかに軽い。さしもの生き汚さでも補えないほどに、その肉体が死に掛けているのだ。
「はっきり言っちまえばおまえの動きは読みきれてねぇ・・・! だがな、オレは少年の鍛錬につきあってんだよ! おまえの動きの原型、まだ意図を読ませない為の偽装が組み込まれてない素直な動きの奴をな! そっからの予想だ!」
 ガキンっ、と仕込みでもなんでもなく剣を弾かれ、アーチャーは即座に同じ剣を投影し直す。
「あの馬鹿が原因か!」
「いやおまえってその馬鹿の成長したもんじゃねぇのか?」
 悪態に冷静にツッコミを入れたランサーは、一歩踏み出そうとして激痛に身を震わせた。
「っ、がっ・・・!」
 こみ上げた血を飲み下す。ランサーは粘り強く、不屈であることを謳われた英雄だ。
 誓約を破らされ半身が動かぬ状態ですら戦い続け、死して尚倒れることを拒否したその魂はいかなる傷を受けようとも力尽きるまで全力を発揮することが出来る。
 だからこそ、わかった。
「あー、これは、死んだかな・・・」
 ランサーのサーヴァント、クーフーリンの肉体が今、限界を越えたことを。
「・・・もう、終わりか?」
「はっ! この程度で倒れるわけねぇだろうが!」
 それでも、ランサーは勢い良く槍を構えて笑みを浮かべた。
「どうだ? アーチャー。賭けをしねぇか?」
「・・・賭けだと?」
 唐突な言葉に眉を潜めるアーチャーに大きく頷く。
「俺が勝って、しかもおまえが生きてたら・・・少年を、いや、嬢ちゃんを助けに行け」
「・・・不可能事に賭けても仕方あるまい」
 アーチャーは不快気に吐き捨てる。
 あと数分も長引けば、確実にランサーは死ぬ。それを覆すには宝具を使うしかなく、ランサーの宝具は手加減がきかぬものだ。生け捕りなど可能な筈も無い。
「だからだっての。リスクがでかいんだ、それくらいリターンがねぇと釣り合わねえだろ?」
 ランサーとて、無理は承知のことであった。
 だが、今の状態で戦い仮にアーチャーを殺したところで、そのまま次の戦いに参加するのは無理だと言うこともまた、わかっている。
 故に勝利条件は殺すことではない。腹の立つことに、またも全力での殺し合いを禁じられる羽目になったわけだ。ここまでくると、呪われてるんじゃないかと思えてくる。主にランサーのクラスそのものが。
 益体も無いことを頭の隅に押し込んで、ランサーは改めて槍を構え直した。
「まあ見てろ。完膚なきまでに勝ってやるからよ、おまえに」
「・・・私には、勝って得るものなど、何も無い」
 アーチャーはつまらなさげに呟き、再度双剣を投影する。
 くだらない話に乗る必要は無い。とにかく、この槍兵を殺せばいいのだ。
「いいじゃねぇか。たまにはおまえも理不尽に付き合え・・・よ!」
 ニヤリと笑い、ランサーは地を蹴った。
 鎧の下で尽きることなく流れる血を無視して一気に最高速へと加速する。
「おまえの理不尽につき合わされているのはいつものことだろうが!」
 同時にアーチャーを前へ出た。前傾して加速し、突き出された穂先に両の刃で打ち払う。
「いつオレが理不尽に付き合わせたってんだよ!」
 キンッ! と響く澄んだ金属音を追い抜いて引き戻された槍を再度突く。
「近いところで言えばッ! 昨日のチョコレートの件だ!」
 それを左の刃で受け流し、同時に右の切っ先を叩き込む。
「おまえだってノリノリだっただろうが! それは無効だ! っていうか人が誘惑してんのに邪魔しやがって! あんなもん撃ち込んでくるってのはどんな恥辱プレイだ!」
「知るか元よりライト痴女のくせに! 新たな属性への目覚めを手伝っていただき有り難うとでも言えんのか!」
 際限なく加速する槍と双剣を打ち合わせながら二人は叫び続ける。
「新たな属性への目覚めを―――って言えるか! 誰が痴女だコピー馬鹿! こないだ飯奢ってやった恩人に失礼なこと言うんじゃねぇ!」
「毎晩夜食を作っているのは誰か言ってみるがいい!」
「ぐっ! ・・・酒代を出してやってんのはオレじゃねぇか!」
「殆ど一人で飲みつくしているではないか!」
「じゃあ、こないだニヤニヤしながら見てた少年のアルバムをかっぱらってきてやったのは誰だと思ってんだよ!」
「に、ニヤニヤなどしていないッ!」
「照れりこ照れりこか?」
「そんなものはもっとしてないッ! というよりあれは無許可で持ってきてたのか貴様!」
 もはや怒鳴り合うのが目的か武器を振るうのが目的かわからないままに二人はそれぞれの意思を相手に叩きつける。
「だいたいてめぇ、何やってんだよ! こんなとこでグダグダやってないでビール買ってこい! 黒バベルな!」
「パシリか! 買った分は黒い方のおまえが飲み尽くしたからもう無い!」
「あの野郎・・・!」
 吼えながら槍を打ち込み、振り払われてまた毒づく。
「そもそも動機がうさんくせぇ! なんだっけ? ガイアにもっと輝けって囁かれたんだっけ?」
「そんな少年期特有の病ではない! オリジナルの私の血液が体内に入った事で、そこに蓄えられていた情報が伝播したんだ!」
「やっぱ電波か」
「伝播だ! 口で言ってるだけではわからんかもしれんが!」
 大きく飛びのき、アーチャーは干将の切っ先で地面に『伝播』と書いてもう一度飛びのく。そこへ飛び込んできたランサーはちらりとその文字を見て容赦なく踏み潰す。
「漢字は苦手だ!」
「知るか阿呆がっ!」
 低レベルな怒鳴りあいと高レベルの剣戟を繰り広げて二人は幾度となくぶつかりあう。
「だから! その影響で少年を殺したいっていう怨念が強まった。意識せず斬りつけてしまった。それはわかる! だが・・・!」
 ランサーは熱い叫びとは裏腹に冷静に時間を数える。ありとあらゆる意味で、『犬死』だけはNo thank youである。
「てめぇ、さっき少年が横を通り抜けた時、殺しきれない可能性を考慮して見逃しただろう!」
「それがなんだと言うのだ! 確実に奴を殺す為に―――」
「衝動的じゃねぇだろうそれは! おいアーチャー! ほんの一握りしか入ってない血が、そんなにいつまでもてめぇの心を操るもんなのか!?」
 言葉に、ガクンとアーチャーの動きが止まる。
 あわせ、ランサーも足を止め、口の中に溜まった血を吐き出した。
「・・・・・・」
「やっぱりそうかよ。面倒くせえ奴だな・・・」
 ぶっきらぼうな言葉に、アーチャーは静かに息を吐く。
「・・・それでも、やめるわけにはいかない。私は、知っているのだ。あいつが・・・私と同じ道を歩み始めているあいつが、どのようなものを味あわなくてはならいのかを」
 理想を追い続け、それが叶わぬと知りながら走り続けざるをえなかったエミヤという男を、アーチャーは知りすぎる程、知っている。
「後悔してんのか? てめぇは」
「・・・それが最も救いがたいところだ。私は―――いや、英霊エミヤはそれを後悔していると口にはしつつ―――結局のところ、後悔などしていない。目の前に救える奴が居るのなら、救わずにはいられないだろうよ」
 今は黒のシロウに繋がっているあの左腕を残したアーチャーが、結局は人を救って消えたように。
「ここで死ぬべきなのだ。さもなくば、正義の味方の末路を見ておくべきなのだ。そうでもなければ―――いずれ、あいつは破滅へと歩き出す」
 その言葉に、ランサーはニヤリと笑った。
「なんだ、おまえ結局少年のこと心配しているだけかよ。重てぇ愛だな・・・これがヤンデレというもんか」
「―――気持ちの悪い事を言うな。その手のナルシズムと私は無縁だ」
 むっとした表情のアーチャーに肩をすくめる。
「ふん、結局のところ、てめぇの問題はそこじゃねぇか。エミヤとしての自分とアーチャーとしての自分が両立できてねぇ。少年を救ってる暇があんなら自分を救いやがれ」
「それが出来ないから、私はエミヤなのだ。自分に返る望みなどない。故に、ここに立っている。あいつと英霊エミヤ、そのどちらかを救う為に」
 士郎を殺せば、エミヤの望みが叶う。因果の是正によるエミヤの座の消去という結果がなくとも、もはや逃れる術は無いという諦めと、八つ当たりの成功という結果だけは座に返るだろう。
 一方で自分が死ねば、士郎の命を狙う裏切り者はいなくなる。英霊エミヤの末路がこんなものであるという事実も、士郎が未来の自分をどうするかという判断の役に立つだろう。
 どちらでもいいのだ。どちらであっても士郎は死に、士郎が救われる。過去か未来、どちらかの士郎が。
 そしてランサーは笑った。凶暴な、野獣の笑みだ。
「成程な。長々と時間をかけちまったが―――ようやく見えたぜ。ブチ抜くべきもんが。結局の所オレはエミヤって英霊とは相成れねぇみたいだ」
「今更か。最初からそれはわかっているだろう。私と―――」
 苦笑とも嘲笑とも言える表情のアーチャーを、違ぇよとそっけなく遮る。
「方針は最初から変わらねえ。オレはアーチャーを連れ戻す。二週間に生まれたばっかで家出しやがった馬鹿をな」
 まあ生後二週間はオレもだがと呟き、ゆっくりと真紅の魔槍を構える。
「それを、いけすかねぇどっかの英霊が邪魔をするんなら―――」
 アーチャーはその構えを知っていた。この、空気が凍りつくような魔力を覚えている。


「―――ならば、その心臓さだめ―――オレが貰い受ける」

 宝具、『刺し穿つ死棘の槍ゲイボルク
 一度発動すれば、命中する可能性があるなら因果を逆転させて必中となる魔槍。
 手加減が出来るようなものではない。その伝承の通り、槍は心臓を貫き、数十の棘でそれを内側から引き裂く。バーサーカーのような例外でもなければ生き延びる事はできない。
「―――試してみるがいい。」
 そして、アーチャーもまた構えをとる。
投影トレース・・・完了アウト
 対峙するランサーと、鏡に映したかのように同じ構え。手の中に投影されたのは双剣ではない。真紅の魔槍だ。
「ゲイボルクを同時に放てば結果は一つしかない。互いの心臓が、同時に穿たれる」
「ついに心中かよ。ほんと重てぇなおまえ・・・」
 軽口を叩きながらもランサーは引かない。実際の所、もはや引く時間もない。待てば死ぬ。引けば死ぬ。それでは意味が無い。
 アーチャーはゲイボルクを起動し、内心で戸惑う。
 ランサーは誇りに生きる英雄だ。最後まで戦って死ぬのは本望だろうし、全力を尽くしての結果ならば必ずしも勝ちにはこだわらないだろうとは思う。だが、このような相打ちを良しとする信条だっただろうか?
 同時にゲイボルクを発動して、それでも尚一人勝ちするだけの秘策があるのか? そもそもそれで勝ったとして―――
(賭けとやらは、どうするのだ?)
 迷っていたのは、実際には一秒に満たない。
 ランサーはゆらり、と動き出し、アーチャーもまた同時に動き出す。

「『刺し穿つゲイ』―――」

 二人は同時に真名を解放する。ランサーは引かない。いっそ無造作といえる動きで、宝具を発動する。

「―――『死棘の槍ボルク』・・・ッ!」

 発動。放たれずして定められた結果を現実のものとすべく、二本の魔槍は同時に突き出され。

 ―――ぞぶり、と。
 胸に穂先が突き立った。

「――――――」
「――――――」
 二人は動かない。互いに己の槍の穂先を見つめ続ける。

「・・・馬鹿な」

 そして、数表して呻くような声をもらしたのは・・・アーチャーの方であった。
 アーチャーの槍は、ランサーの胸に突き立っていた。
 しかし、ランサーの槍は、アーチャーの脇を抜け、背後へと逸れている。その穂先は、一筋たりともアーチャーに傷をつけていない!
「何故だ! 槍は確かに発動していた! 心臓を穿つという結果が先にある以上、外れる事も、外す事もできない筈だろう!」
 あたかも己の術を破られたかのように叫ぶアーチャーにランサーは苦笑し、こみ上げた血を吐き出した。
「ははは・・・おうよ、因果の逆転がこいつの能力だ。命中する可能性が僅かでもあるンなら、何をしようが心臓を抉るぜ」
 そしてランサーはニヤリと笑い、己の秘策を口にした。
「だが、『命中する』という可能性がゼロならば、その限りじゃあないんだよな」
「間合いには入っていた! 回避できるほどの幸運度も私には無い!」
 くく、と喉で笑う。
「オレはな、アーチャー。どれだけ気に入った相手でも敵に回れば容赦なく殺すが―――」
 そう、愛するものばかり貫いたこの槍に今こそ誓おう。
「―――味方は、絶対に殺さない。今のおまえは、敵じゃねえよ」
 ランサーは片眼を閉じて笑った。戦いの場には不似合いに、いつも通りの陽気な笑顔で。
「この槍は狙ったものに必ず当たる。つまり、狙ってないものに当たる可能性は、ゼロだ。ははっ、ざまあみろコピー馬鹿。てめぇにはできねぇからって、こいつの主であるオレにできねぇってことはねぇんだよ―――」
 カラン、と乾いた音をたてて槍が地に落ち、それを追うように長身が膝を折る。
「ランサー!?」
 反射的に手放した投影槍が消え去るのと同時に、ランサーは地に伏した。
 伏せたその身体から、ごぼりと血が流れ出す。
 だが量が少ない。もはや、血の絶対量が全身を巡るには足りていないのだ。
「ハハ・・・どうだ、アーチャー。この展開は予想しなかっただろ」
「当たり前だ! 予想どころか今も意味がわからん!」
 自分を抱き起こしたアーチャーに、ランサーは勝ち誇った笑みを浮かべる。
「なら、認めろよ。さっきの賭けはオレの、勝ちだ」
「ッ・・・」
 負けを認めさせ、かつ殺さない。それが、ランサーの口にした条件だ。
「―――この・・・馬鹿が・・・」
 アーチャーは呻き、しかし確かに頷いた。
 自分は無傷であり、一方でランサーはもはや動けない。結果だけ見れば明らかにアーチャーの勝ちだ。
 だが、この結果は全てランサーの手によるものなのだ。思い通りに事を進めたという意味で、その勝利を認めざるを得ないだろう。
「・・・いいだろう。凛の救助、確かに請け負った。おそらくバーサーカーあたりと戦っているだろうからな」
 アーチャーが頷くの霞む目で確認し、ランサーはよしと呟いた。
「あー、これでオレの役目は果たしたな・・・」
 満足げな声にアーチャーはゾクリと背筋をふるわせる。
「貴様ッ! 思い残すことはないみたいな定型の死に様など私は認めんぞ!」
「いや、認められなくてもなあ・・・」
 どこかのんびりした声に、焦りがつのる。
「不敗の名誉は何処へ行った! 最後の最後まで倒れたことが無いのが誇りなのだろうが! さっさと立ってみせろ馬鹿犬め・・・!」
「おいおい、らしくねぇな。誇りとか名誉なんてもんは穢れても結果で洗い流せるって主義じゃねぇのか? オレは、しっかり結果はだしたと思うぜ?」
 軽口にアーチャーは息を詰まらせ、搾り出すように呟く。
「・・・ああ、その通りだ」
 アーチャーという敵を無効化し、逆に戦力として取り込んだ。充分な戦果だ。元から負傷していたランサー自身の死と引き換えにして余りある結果だ。
 それでいい筈だ。一人を殺して二人を救えるならそれでよいと歩んできた英霊エミヤの主義にも、それは合致する。
 だが、もうそれに頷けない。何を無責任な事を言っているのだ。
 その主義は―――

「その主義は、犬にでも食われてしまったようでな・・・」

 ランサーはきょとんとした顔で目をしばたかせ、しばらくしてから苦笑した。
「っ・・・は、はは、そっか」
「・・・そうだ」
 口をへの字にして頷くアーチャーに、ランサーの中の生き汚さがまた燃え盛り始める。
 そう、そもそもエミヤ本来の主義なら、この策は成り立たない。ランサーが倒れても、労せず敵を排除できたと言い捨ててさっさと士郎を殺しに向かうだろう。
 目の前のアーチャーが自分の覚悟や、予想を覆された事への賞賛で動いてくれると踏んだからこそ―――「エミヤ」とは別に「アーチャー」としての判断で動くだろうと思ったからこそ、自分だけ槍を受けるという手を使ったのだ。
 これで死に逃げなどしたら、後で何を言われるかわかったものではない。せっかく一勝したのだ。これからもこいつをへこましたりへこまされたりしたいではないか。
「・・・よし、アーチャー。オレの鎧、脱がせ」
「・・・いや、すまんがその、肉食系で快楽主義なのは知っているが、さすがにそういう場合ではないだろう」
 甘引きしてるアーチャーにいやいやいやとツッコミ、ランサーは顎で自分の胸の辺りを指す。
「じゃなくてだ、ポーチに色々入ってるからそいつで応急処置してくれ。全部終わるまで根性で耐える」
「根性で何とかなる領域なのかこれは・・・」
 言いながらアーチャーはランサーの鎧に手をかけ、見たことの無い構造に手間取りながらそれを引き剥がした。豊かな胸を露出させ、その中心近くに開いている穴を確認する。
「そういや、棘が発動してねぇな。オレの槍、使いこなせてねぇのか?」
「いや、同士討ちはブラフだろうと思ったのでな。そこまで再現しなかった。いざとなったら起爆しようと思っていたし、余力を残したかったのだ」
 ランサーの指示に従い腰のポーチの中身を床にぶちまけ、その中からエーテル霊塊スプレーを手にする。
「おいおい乱暴に扱うなよ。バゼットからの借りもんで中身よくわかってねぇんだ。衝撃与えたら即発動のもんとかあるかもしれねぇぞ?」
「知らん。いいから歯を食いしばれ」
 アーチャーはスプレーをシャカシャカ振り、貫通痕に先端を当ててトリガーを引く。噴射されたエーテルが粘り気のある疑似肉となって穴を埋め、上から疑似皮膜を張って漏れ出すのを塞ぐ。どこかの犬が痛みで凄い顔をしているのは無視だ。
「・・・おいドS、ショック死しそうなんだが」
「大丈夫だ。問題ない」
「いや、問題ないか決めるのおまえじゃねぇよな?」
 アーチャーはてきぱきと包帯を巻き、魔術回路活性とラベルにかかれたアンプルを一番いい治療を頼むとかぶちぶち呟いている口の中に叩き込んだ。
「・・・さっきも言ったが、私は通常の魔術は使えない。できる事はここまでだ」
「オレは使えるが、心臓に穴開いてる状態じゃあちょっと使えそうにねぇなあ。ま、バーサーカーの奴程じゃねぇがオレだって不死身だ。おまえらがあっちのサクラ嬢ちゃんを倒すまで寝て待ってるさ。出来るだけ短時間での攻略を祈ってるぜ」
 こくりと頷き、アーチャーはランサーの身体を地面に横たえて立ち上がる。
「・・・死ぬなよ。墓碑銘をポリンの猛犬とか微妙に間違えられたくなければな」
「・・・絶妙な嫌がらせだなおい。終わったら朝まで飲むからな。覚悟しとけよ」
 苦笑いするランサーに背を向け、アーチャーは聖杯洞の奥へと走り出した。
「さっさと終わらせろよ? オレ、この戦争が終わったら故郷で結婚するんだこんな殺人者と一緒の部屋に居られるかねんがんのアイスソードをてにいれたぞ!  とっておーきのパインサラダ作って待ってるぞおっと禁煙してるんだっけトシサッカーは好きかシューズの紐がやったか!?」
「なんだその死亡フラグプラクティスは! 死ぬ気満々かおまえはっ!」
 もはや見えないその背に声をかけると、いつも通りのツッコミが返ってくる。
 律儀な奴めと一人笑い、足音が聞こえなくなってから深く息を吐く。
「あー・・・」
 ぼんやりとした黒しか見えない目に続き、耳も音を捉えなくなっていた。背中に感じていた岩の感触も、もうない。
「暇だな、おい。ちょっと眠るか・・・」
 周りに散らばった石のぼんやりとした魔力光に照らされ、ランサーは掠れる声でそんな事を呟き。

 その残響が消える頃、そこにはもうぼんやりとした光しか残っていなかった。


 ランサーの身体は、もうどこにもなかった。



13-13-8 VSバーサーカー(2) 現実

■聖杯洞 第三空洞

 だんっ・・・と叩きつけられる音を響かせて、柔らかな身体が地に跳ねる。
「っ・・・た・・・」
 悲鳴未満の声を噛み潰した凛は素早く跳ね起き、服のあちこちに仕込んでおいた防御用の宝石の数をちらりと確認して横っ飛びにその場を離れた。
「■■■■■■■■ッ!」
 瞬間、咆哮と共に振るわれた岩塊が一瞬前まで凛がいた場所を抉り飛ばす。
「あと5個・・・随分減ったわね・・・」
 否応無くにじむ冷や汗を拭って再度跳躍。両足から噴出する魔力の助けで二度、三度と瞬間移動じみた速度で距離を取ろうと試みるが、黒い狂戦士はその巨体ににあわぬ速度で追随し凛を逃がさない。
「■■■ッ!」
「まずっ―――」
 四歩目で追いつかれた。飛び退こうとする足先をかすめた斧剣から全身をバラバラにするような衝撃が伝わり、満足に距離を稼げぬまま凛は再度地面に叩きつけられる。
(あと4個・・・!)
 靴に仕込んでいた宝石が魔力を使い果たして砕け散るのを感じて凛は歯を食いしばり、倒れたまま袖から引き抜いた宝石を背後へ投擲した。
Ein Haltとまれ!」
 低い位置で発動した宝石は冷気の雲となって黒い巨人の足元を襲う。
 いかなサーヴァントとはいえ凍結を免れず、自重でその身を崩壊させる筈のその一撃を。
「■■■■■■■■■ッ!」
 狂戦士は、大きく跳躍することであっさりと回避した。
「また・・・!」
 凛は一声呻いて飛び起き、再度走り出した。
 落下してきた巨体が背後の地面を陥没させるのに構わず、出来うる限りの速度で走りつづける。まさしく人間離れした速度だが、両足から魔力を噴出できていても振り切れなかったものが、片足になって振りきれるわけもない。
「■■■■■■■■■ッ!」
 追う足は速く、こちらの攻撃はどれもかわされ、当ったとしても満足なダメージを与えられない。
「わかっては・・・いたけど・・・なんて、化物ッ!」
 凛は食いしばった歯の隙間から叫ぶ。
 防御用の宝石は既にほぼ尽き、攻撃用の宝石も残り少ない。もとより少ない勝率はここに来て加速度的に0へと近づいていた。
「こんの・・・ッ!」
 牽制として放った散弾状の魔力弾が狂戦士の表皮で弾け、何も為さぬまま消える。勝利への道筋と同じように。

 ・・・遠坂凛は、間違いなく天才と呼ばれるべき才を秘めている。
 その身に帯びた装備の数々もギルガメッシュの財宝とメディアの提供した膨大なマナや知識に手助けされた、アトラス院の蔵を漁ってもそうは望めぬ超一級品。
 だが、対城レベルにも達しているであろうその守りをもってしても・・・
「きゃぁッ・・・!」
 横薙ぎに振るわれた斧剣を跳んでかわした凛は、間髪入れずに叩き込まれた巨大な拳をその身に受けた。
 胸元で防御石が粉々に砕け、勢い良く吹き飛んだ身体は壁に叩きつけられて地に落ちる。
 即死しなかったのは一番効果の高い宝石がまだ残っていたというのが一つと―――
「倒そうっていう攻撃じゃ・・・無かったからか・・・」
 内臓が傷ついたらしく喉を逆流してくる血の塊を吐き捨てて凛は呟いた。
 あの巨人は、己の敵が脆弱なものであることがわかっている。必要なのは威力ではなく、いかに早く攻撃を当てるかのみであるということを知能ではなく本能で理解しているのだ。
「魔術師であっても人間ではサーヴァントを出し抜けない。それは最初からわかっていたけど・・・」
 それこそ黒いシロウのように半サーヴァント化した肉体でも持つか、葛木のような超越した戦闘技術者を徹底的に魔術で強化すれば話は別だが、優秀であってもそこまでの異能では無い彼女では反撃にまで至らない。
 凛は全力を尽くして致命傷を避け、細かいダメージを体に刻み装備を失っていく。
 結局のところ、これはそういう戦いに過ぎなかった。
「ちょっと・・・うん、ほんのちょっとだけ、まずいかもね」
 呟く凛の顔は青白く、言葉よりも明確に彼女の苦境を伝える。
 せめて。せめて前衛が居れば。
 銀の鎧の少女騎士。
 赤い外套の弓兵。
 ―――そして愛する、頑固者の魔術使い。

「■■■■■■■■■■■■■ッ!」

 咆哮と共に斧剣が迫る。無様に、危うく、四つんばいで凛はそれを避けて転がる。
 飛び起きて走り、二度三度と打ち込まれる追撃から逃れる。
 だれも居ない。
 巨人に追われ、味方はなく。
 装備も半壊、攻撃は通じず。
 ぎしり、と軋んだのは、過剰行使を続けている魔力放出の礼装。それと、凛のこころ。
 駄目なんじゃないかな。
 粘っていればセイバーかランサーが追いついてくれるかもとか、士郎と桜が戦いそのものを終了させてくれるかもとか、甘かったんじゃなかろうか。
 頭の中で囁かれる弱い自分。
 弱くとも、情けなくとも、それは自分だ。だから逃げられない。全力全開で尚足りないというのに、足が萎え、動きが鈍り。


 ―――勝ったらちゃんと、ご褒美貰うからね

 ああ、期待してていいぞ―――

「って負けるかこんちくしょー!」
 一つの記憶の再生と共に、凛は力強い跳躍で黒巨人の一撃から飛びのいた。
 瞳孔が開いている。完全に興奮状態だ。ぶっちゃけ、キレてる。
「つきあって一日なのよ!? まだちゃんといちゃついてもいないのよ!? あんだけ悩んだのにそんだけで終了なんてもったいないことできるもんですか!」
 背後でドカンドカンと地面を掘り返す斧剣から逃げ続け、ぐっと拳を握る。
「ああもう決めた! さっさとこんなもの終わらせて士郎とデートする! これでもかってくらいバカップルしてやるわよ! 手ぇつないだり 電話に向かって キスしてみたりおはようとおやすみのキスは基本! テレビ見るときはいつも膝の上に乗ってやるから覚悟しときなさいよ士郎! 頭おかしいかっていうくらい いちゃついてやるわ! もう、やるなら徹底殲滅! 電撃戦で!」
 大きく跳躍し、空中で身を捻る。振り返れば案の定、浮いている自分を叩き潰すべく縦一文字に斧剣が振り下ろされていた。
Fixierung,EileSalve照準、緊急一斉射撃・・・!」
 凛は節約精神を振り払う呪文と共に残った攻撃用宝石を全て投げつける。
 七色の光剣と化した宝石が食い込んだのは黒の巨人ではない。振り回された斧剣、その刀身ど真ん中だ。
「■■■■■!?」
 ベキン、と重い音と共に斧剣は圧し折れ、中途から吹き飛んだ剣先が天井へと吹き飛ぶ。
 巨人の手に残った残り半分は皮一枚の差で凛をかすめ、護りの尽きたその服をも切り裂いて地面を抉った。
 凛は着地ざま一歩を大きく踏み出す。床にではなく、地面を抉った斧剣の背へと。
「脳漿を・・・ぶちまけなさいって奴よ!」
 そのまま刀身を、腕を、肩を駆け上り、凛は巨人の背後へと跳躍した。目の前には無防備な脊髄。凛は自分の腰に右手を伸ばし―――

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」

 裏拳の要領で振り回されたバーサーカーの拳に吹き飛ばされ、ボールのように壁へと叩きつけられた。
(しくじった・・・!)
 脳震盪と吐き気に耐え、凛は胸の中で悪態をつく。
 当然の話―――巨大な斧剣を持って回転するよりも、素手で回転する方が軽い分速い。
 そして、斧剣でも素手でも、巨人は容易に自分を殺せる。
「く、この・・・まだ・・・」
 凛は壁に手をつき立ち上がろうとした。しかし膝が落ち、その場から動けない。
 魔力放出の礼装はまだ片足分だけ使えるが、そもそも四肢が動かなければ跳躍を制御できない。
 ぐにゃぐにゃとゆがむ視界の中、黒の巨人は折れた斧剣を捨てて素手のままこちらに突進してきた。
(あ、まずい)
 巨大な拳が振り上げられ。
 振り下ろされ。
 凛は歯を食いしばって膝立ちになり。
 それを見上げて。


 そして、その視界は赤で染まった。


13-13-9 VSバーサーカー(3) レッド・ホット・ストライクバック

■聖杯洞第三空洞


「あ・・・」
 凛の口から呟きが漏れた。
 目の前には赤の色。
 見慣れた色の、外套の背中。
 振り下ろされた拳を二色の短刀で受け止め―――

「ふむ。危ない所だったようだな」

 いつもと変わらぬ悠然とした佇まいで、弓の英霊がそこに居た。

「アー・・・チャー?」
 呆然と呟いた凛の声にアーチャーは首だけ振り返り、一瞬だけばつの悪そうな顔をしてからいつもの人の悪そうな笑みを作る。
「ところで凛、ずいぶんとのんびりしているようだが一つ確認してもいいだろうか」
「いいけど・・・何よ?」
 好きでのんびりしてるわけじゃないぞゴラァと睨みながら応えると、アーチャーはうむと頷いて正面で静止する怪物へと向き直り。

「色々あって、少々見せ場が足りんのだ―――君にやる気が無いのなら、私一人でアレを倒してしまっても構わないな?」

 そんなコトを、言い放った。
「な・・・」
 凛は目を見開いて絶句する。
 しかし、それも一瞬のこと。空白の脳に言葉と共に意思が満ち。
「・・・駄目に、決ってるでしょうが!」
 即座にパンッと自分の両頬を張って飛び起きた。
 魔力で強化された脚力でもって背後へと跳躍して間合いを離すと、アーチャーも黒巨人の拳を振り払って隣にまで退避してくる。
「■■■■■■■■■■ッ!」
 敵が二人に増えた事に構わず突っ込んでくる巨人を見据え、凛は大きく息を吸った。
 敵はバーサーカー、ヘラクレス。
 その一撃はあらゆる敵を一撃のもとに葬り、その護りは鉄壁の堅牢さを誇る。
 十二の命を持ち、しかも数分に一つのペースで命のストックは回復する。
 まさに要塞。
 まさに規格外。
 だが、それでも。
「あれはわたしの獲物よ。わたしが仕留めて士郎に自慢するんだから、こんな時までフラフラしてたお仕置き込みであんたはその手伝いに徹しなさい。あんたなら、ああいう化け物でも食べやすく下ごしらえしてくれるって期待するけど、いいわね?」
 当然のように凛は命じ。
「手厳しいが・・・さすがに、拒めんな。了解した。ならば、期待に応えるとしよう―――」
 当然のように、アーチャーはその命を受けて走り出した。
 駆けてゆく背中を見つめ、凛は一つ頷いて手を伸ばす。広げた五指をアーチャーの背に重ね。魔術回路を起動。

「―――Anfangセット。汝の身は我の下に、我が命運は汝の弓に。聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら―――」

 アーチャーは背後から聞こえる呪文にピクリと眉を動かした。
 聞いた事の無い呪文だ。だが、知っている。
 裏切ったという事実は消えない。
 士郎に対する対抗心や苛立ちが消えないように。
 だが、それでも。そんな自分を必要としてくれるというのなら。
「―――我に従え。ならばこの命運、汝が一矢に預けよう・・・!」
 声を背に、両手に具現化するのは二色の双剣。
 眼前に迫った黒き狂戦士が岩塊の如き両拳を振り上げるのを正面から見据え、宣誓する。
「アーチャーの名に於いてその誓い、確かに受けた・・・!  我が主として再び認めよう、凛―――!」
 振り下ろされた拳を鋭いステップで回避し、斬り付ける。
 Aランクに至らない刃はダメージを与える事無く弾かれるが、それでいい。弾かれた反動に乗ってアーチャーは大きくサイドステップ。そのまま巨人の横をすりぬける。
「ところで凛・・・! この巨人、どの程度拘束すればいい!?」
 ちょこまかとまとわりつく弓兵を追って巨体がぐるりと向きを変え、平手でその身体を叩き落そうとする。
「2メートル以内に5秒居られるようにしなさい!」
 こちらに背を向ける形になったバーサーカーだが、無論このままでは、攻撃の意思を見せたらこちらを向いてしまうだろう。
 だから凛は指示だけして手は出さず、いつでも飛び出せるように身構える。
 あの赤い弓兵は言ったのだ。
 全てが始まったあの夜に・・・今ならばわかる、あの、再会の時に。

『私は君が呼び出したサーヴァントだ。それが最強でない筈がない』と。
 
 どれだけ世界が変わったとしても。どれだけ変質したとしても。衛宮士郎であった存在が、遠坂凛に嘘などつかぬと確信している。
 故に―――

「誰が本当の最強なのか、あいつに教育してやりなさいッ!」
「了解した、我が主マイマスターッ!」

 凛は二人でそれを証明すると決めた。



13-13-10 VSハサン(1) 生き延びるもの、死に向かうもの


■衛宮邸中庭

「――――――」
 無防備に立っていたキャスターの首筋に屋根から飛び降りた勢いのままダークを根元まで突き刺したハサンは、刃を伝わる手ごたえの軽さに失敗を悟った。
 案の定、一瞬置いてキャスターの着ていたローブが中身を失って地面に落ちる。
 念の為ローブを踏みつけてみるが、足からは布の感触しか返らない。髑髏の仮面の下で、ハサンは次の手に思考を巡らせ。

突き穿つげい―――」

 響いた声にハサンは慌てて飛びのいた。その真名は知っている。聖杯洞へ入ったと聞いていたが、まさかこちらに戻っていたとは・・・!
死翔の槍ぼるく
「っ!」
 何かが飛んでくる気配に、ハサンはバッタのように跳躍して屋根へ飛び乗る。そこに小さな引き戸がついているのは、前回の襲撃で確認済みだ。
 槍兵との一騎打ちであれば昼の続きということで望むところであるが、どこかに潜んでいるであろう魔女もあわせてまとめて相手となると、少々荷が重い。
 都合よく鍵のかかっていなかったそこを開き、黒い布に包まれた身体がするりとその中に消える。
 そして。

「・・・っぽい物干し竿〜」

 庭にぼすっと突き立った物干し竿を眺め、ランサーはニヤッと笑みを浮かべた。
「おいキャスター、もういいぞ」
「・・・まだ、さっきの奴が中に居るもん」
 呼びかけにごそりとローブが揺れる。空だったそれに急速に中身が溢れ、元通りの姿となった。彼女のレベルに達すれば、肉の体などは仮初のものに過ぎない。
「っていうか、もう起きれるの? ほぼ死んでたのに」
「おう、まだ殆ど死んでるけどな。完全に死んでなけりゃ戦えるんだよ。オレはな」
 言って笑うランサーの顔は蒼白だ。血は足りず、魔術回路も殆ど動作していない。当然、さっきのも真名の解放などではない。ただ言ってみただけである。
 死にかけ―――というよりほとんど死んだまま動いているような状態なのは、本人の言う通り戦闘という状況を感知して起動したスキルの助け合ってのこと。さっきまでは指一本動かせずに昏睡状態だったのだ。
「ああもう、また無茶を・・・早く寝てください!」
 だいじょぶだいじょぶなどと言いながら胸を叩いて吐血してるランサーに、屋敷から飛び出してきたバゼットが駆け寄った。
「ふむ。死に際の恍惚が長く味わえると思えばアレはアレで幸福と呼べるかもしれんな。成る程、私も普段幸福と共にある」
 その後からのっそりと現れた綺礼はそんな事を呟きながら自分の二の腕をさする。
 10年前の戦いで父から委譲を受けた令呪は、既に無い。
 ランサーが装備していたバゼット謹製サバイバルキットに入っていた緊急連絡ルーンを通じて憧れの英雄の危機を知った妻の懇願に応え、極めて特殊なプレイ3回と引き換えに全て治療に使用してしまったのだ。
 おかげで槍兵は聖杯洞から転送され、魔力任せに魂が抜けるのを防がれ、身体を復元されてここに立っている。
 昼に心臓に穴を開けた槍の使い手であるところの黒ランサーは死んだ。先程食らった槍はアーチャーが投影を崩して消えた。
 つまり、槍ある限り傷が治らないという呪詛の効果はもう残っていない。治療を行えば、治るのだ。
 ここで一発殴れば死ぬかもしれないが、言峰はその誘惑を振り払って静かに微笑んだ。
 
 ―――その嫌がらせは楽しいが一回きりだ。
 しかし、生かしておけばこれからも何度となく嫌がらせできるのである―――

「主よ―――」
「なんかすげぇ嫌な気配がするぜ・・・よし、酒だバゼット。これは消毒しかないだろ」
「駄目です! 内臓の穴から漏れますよ!?」
 レッツゴー台所しようとするランサーとそれを必死に止めるバゼットをやれやれと眺めて、キャスターはふと首をかしげた。
「そういえば、さっきの奴放っておいていいのかしら?」
 その問いに、ランサーはおうと頷いて答える。
「さすがにこの状態じゃアイツ程度でも面倒なことになりそうだし、邪魔はしない方がいいだろうよ」
「ええ。あそこには、彼女が居ますから」
 バゼットの呟きにキャスターは暗殺者が消えた方を見やる。
 衛宮邸の屋根裏。

 そこは確かに、彼女の場所だ。


13-13-11 VSハサン(2) ハサン・サッバーハ

■衛宮邸屋根裏 

 室内に侵入した黒い暗殺者は、その場所に澱む殺意に仮面の下で目を細めた。気配遮断をしていないそれは、すぐ近くにもう一人のハサンが居ることを示している。
「・・・やっぱり、ここへ来たですね」
 見れば、探すまでも無い。
 梁や柱に隠れるでもなく少女が一人、立っている。
 昼とは違い大きな黒い布を身体にまきつけ、縁日のお面であるかのように即頭部に白い髑髏の仮面がひっかかっていた。
「では、勝負です」
 淡々と少女は言い、だらりと垂れていた両手が黒い布の中に引っ込む。投擲体勢だ。
「ふん・・・一度負けたのを忘れたか?」
 暗殺者は数メートルを隔ててハサンの前に立ち、こちらも両手を布の中に引っ込めた。
 布地の裏に吊るしている無数のダークを指でなぞり、仮面越しに敵を観察する。
(昼のようにスカアトの中に吊るしてあるよりはマシであろうが、その程度でこの身体は凌駕できん)
 暗殺者は心の中で呟きながらも警戒は緩めない。
 優位であろうと全力であたり、そして完膚なきまでに押し潰す。
 それでこそ、悲願に届く。自分が唯一無比のハサン・サッバーハであるという証になろうというものだ。
 二人の暗殺者は向かい合い、機を伺い。
「!」
「!」
 瞬間、二人の手が同時に閃いた。
 キンッ!と澄んだ音を立てて互いが投擲したダークが宙でぶつかり合い、弾ける。同時、連続して投擲された二撃目、三撃目がぶつかりあい、狙いを外して屋根や床に刺さった。
 互いにスキルは同等だ。銃弾のような精度と速度でダークが撃ち込まれ、同等の精度のダークがそれを撃ち落す。
 だが、技術は同等でも身体能力はそうではない。
「っ・・・!」
「・・・・・・」
 人間離れした投擲動作の連射で披露が蓄積したハサンの腕は徐々に投擲精度が落ちていき、一方で黒の暗殺者の腕はますます力強くダークを投擲する。
 当初互角だった投げ合いは、次第に暗殺者の投擲をハサンがギリギリで凌ぐだけの展開になっていた。
 それは、昼の展開の再現でもある。先の対決の通りに進めば、数秒の後ハサンは暗殺者の投擲を撃ち落し損ねてその身にダークの一撃を受ける。
(全て同じではないが、な)
 暗殺者は仮面の下でひとりごちる。違うでのは、被弾箇所だ。
 昼にハサンが負傷したのは左腕であったが、暗殺者は今、攻撃を彼女の首へと集中しているのだ。今度落とし損ねたダークは、直接命に突き刺さるだろう。
 そして、その時がきた。
「しまっ・・・!」
 ついに、一本のダークがハサンの撃ち落しをすり抜けたのだ。次弾の投擲体勢に入っているハサンに回避する余裕は無く、真っ直ぐその喉元へと刃が迫り―――

「たぁああッ!」

 清冽な声と共に、青い閃光がそのダークを弾き飛ばした。
「!?」
 唐突な横槍に黒の暗殺者が息を呑む。
 視線の先に居るのは、掌ほどの小さな人型。彼も見知るセイバーをそのまま縮めたような『何か』であった。
 状況から見て、その小さなものが手に握った見えない何かでダークを斬り飛ばしたのであろうが・・・理解出来ない。
「―――決闘に、他者の手を借りるだと!?」
「暗殺者が言う事じゃないです」
 思わず叫んだ暗殺者に、ハサンはいっそあっさりと言い返してダークを投擲した。
「く・・・」
 暗殺者は苛立つ心を押し殺してそのダークを撃ち落そうとし。
「解放ッ!」
 瞬間、屋根裏に吹き荒れた豪風がハサンの刃を背後から叩き、加速させた。想定を超える速度で飛来した刃にずぶり、と肉と筋が裂ける音が左腕から響き、握っていたダークが放てず手からこぼれる。 
 狭い屋根裏に吹き荒れた防風は苦痛と怒りを噛み潰して無理矢理平静を取り戻した暗殺者をも巻き込んで吹き荒れる。人間一人を軽々と巻き上げる暴風に、しかし暗殺者は慌てない。

「■■■は■■なり」

 風になびくは纏った黒衣のみ。肉体そのものは微動だにしない。風よけの加護。単純で応用性がないが、それだけに特定状況ではこの上なく強力なものだ。
 強靭なサーヴァントの肉体ですら耐え切れない威力を持つ暴風は、しかし物理法則を無視して暗殺者を文字通り除けて往く。
 荒れ狂う風の向こうに自爆同然に吹き飛ぶ小英霊と激しくはためきながらもその場に留まっている黒衣を見た暗殺者は、瞬時に右腕の封印を解いた。
 風除けの効果は自分の身体にしか及ばない。あの小さいのが飛ばされていたように、この暴風が収まらない間は手から離れる類の道具は使えないのだ。つまるところ、ハサンの主武器であるダークの投擲ができないということである、
 ならば選択肢は限られる。ダークを投擲ではなく斬撃に使うか―――

「『妄想心音ザパーニーヤ』・・・!」

 動かずともこの距離を埋められる、シャイターンの腕を繰り出すか、だ。
 暴風の向こうの黒衣が動くより早く繰り出しのは、常人の拳の位置にある肘関節を伸ばした数メートルにわたる長大な腕。風よけの加護により荒れ狂う風を突き抜けたその手のひらが相手の左胸を捉え、多重存在作成の呪詛が―――
「なに・・・?」
 発動しない。
 触れた部位を、この場合ならば心臓を複製する筈のシャイターンの呪いの手は、虚しく宙をかき回すだけであった。
 一瞬置いて烈風に吹き飛ばされたのは、一本のダークで床に縫い付けられていたぼろ布一枚。

 ―――中身は、無い。

「囮か・・・!」
「囮です・・・!」

 そして声は、直上より来る。

 頭上に張られた頑丈な梁、そこに滑らかな裸体が上下さかしまに着地していた。
 暴風が吹き荒れると共にハサンは気配遮断を起動して跳躍し、封印を解いた長大な右腕を振りかぶっていたのだ。
「貴様・・・!」
 暗殺者に許されたのは、僅かに一声の恨み言のみ。
「『妄想心音ザパーニーヤ』ッ!」
 真名と共に鞭のように繰り出されたその右腕は、背後から黒き暗殺者の左背を襲った。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 そして、ハサンは音もなく着地する。
 折りたたまれ、元の長さへと戻った右腕には静かに脈打つ心臓が握られていた。
「・・・何故だ」
 言葉を紡いだのは、黒の暗殺者。右腕は既に元の長さへと戻っている。
「私の肉体の方が優れているのは明確だ。何故、私が敗れた?」
「―――あなたの・・・いえ、ハサンたちの望みゆえ、です」
 問うというより言わずには居られなかったというような呟きに、ハサンは囁くように答える。
「なってみたかったのでしょう? あの人のような―――英雄に。だから、暗殺者らしくない正面からの激突を挑んでしまったのです」
「・・・・・・そう、か」
 苦笑じみた声をもらし、暗殺者は仮面を外し振り返った。
 露になったその顔は、外で戦っていた黒のランサーと同じ容貌をしている。
「得た肉体に、私は負けた。最後の瞬間・・・私は暗殺者ではなかった。いかに求め、真似て、模したところで他人にはなれぬのにな・・・」
 その自嘲に、しかしハサンは首を横に振った。
「時間が無かっただけかもしれないです。ハサンは―――ワタシは―――わたしになれたです」
 振り返り、暗殺者と向き合うのは少女の顔。その表情を見つめ、暗殺者は苦笑を浮かべた。
 取り込んだ他者の面を被りその身体能力や魂を自らに融合できるこの身でも、その存在に成り代わる、なりきることは出来ない。それは他ならぬ自分自身が証明した事だ。
 だが、得たものを元に、新たな自分を創り上げることは、可能だったという事か。
 惜しいことをした、ともう一度苦笑し、暗殺者は静かに頷いた。
「―――汝、ハサン・サッバーハ。我ら、今や名を持たぬ暗殺者の群が認める。貴様こそがこの現世においてその名を持つ唯一の者だ。私を消し去り、証をここに立てるがいい」
 視線は、彼女の右手に握られた己が心臓の鏡像へ。
 ハサンは静かに息を吸い、頷いた。
「・・・わかりました。証を、立てます」
 正面から名無しの男を見据え、宣言する。
「ですが、それはワタシがハサンで在ることではないです」
「?」
 言葉と共に、ハサンは右手を静かに握り締めた。
「・・・ワタシで無いあなたが、ここに存在していた証に・・・殺します」
 くしゃりと感触無く心臓は潰れ、同時に黒の暗殺者の胸が中身を失いべこりとへこむ。
「だから・・・英霊の座に帰っても忘れないでほしいです」
「・・・何をだ?」
 指先から徐々に黒い灰となり、その存在を薄れさせながらも黒の暗殺者は聞き返した。
 ハサンはぺこりと頭を下げて言葉を結ぶ。
「貴方に名はありません。でも、ワタシに・・・ハサンに殺されたアサシンのサーヴァントは、全並行世界にあなた一人です」
 自らの分身の言葉に、似合わぬきょとんとした表情で眼を見開き。
 黒の暗殺者は静かに微笑んだ。

「―――我が望み、ここに叶えり」

 最後の言葉と共にその長身は完全に消滅し、それを追うように床に転がっていたダークが、そして髑髏を模した仮面が黒い灰となって宙に消える。
 暗殺者らしい、あっさりとした死。
 だが、この光景をけして忘れぬとハサンは誓った。

 忘れぬ限り、彼が存在した事実は消えたりはしない。


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