13-14 UnlimitedBladeWorks
13-14-1 VSセイバー(3) 約束された勝利の剣

■聖杯洞 第二空洞

「―――立つか」
 腹を斬り裂かれたセイバーが地面に手をつき身を起こすのを、黒のセイバー・・・オルタは剣を構え直して見つめている。
 その目には、敵手に対する賞賛も殺意もない。ただただ平坦に状況の把握と次の一手の検討だけを行っていた。
「あたり―――前、です・・・」
 一方で、セイバーは強い意志を瞳にこめてオルタを睨み返す。
 戦うと決めたのだ。
 王として歩んだ一度目の生に決着を付けるために。
 騎士として挑んだ聖杯戦争を終わらせるために。
 女として愛した初めての人を・・・その危うい生涯を守り抜くために。
 必勝と生還を約したこの身が、己を律する事をやめた相成れぬ自分ごときに敗北してなるものか。
「剣は鞘に戻るものです。私は、このようなところで朽ちたりはしない・・・!」
 だから立ち上がる。
 近くに投げ捨てられた剣を拾い、二本の足で真っ直ぐに立ち、構える。
 もはや傷跡もなく鎧の破損も修復されているオルタの肩とは違い、セイバーの腹はまだ治っていない。微妙に塞がってはいるのだが、白兵戦を始めればまたすぐに破れるだろう。
 魔力を費やしてでも塞ぐべきかと一瞬考え、セイバーはそれを否定する。
 張り合って回復したところで、所詮は付け焼刃だ。オルタのあれは、厳密に言えば治癒ではない。聖杯の泥に拠る補修とでもいうべきもの。
 おそらくは、セイバー、アルトリアとしての純度をすり減らし記憶や人格が失われるのと引き換えの緊急修復であろうが、戦闘能力が下がらないのなら向こうとしては躊躇わないだろう。
「っ・・・」
 セイバーは不可視の剣を右手一本で持ち、左手を腹にあてる。鎧に入った大きな亀裂は鳩尾より少し下。
 まだ消えぬ痛みをこらえ、セイバーは傷が胃に届かなくて良かったななどと益体もない事を考えた。食物は消化し血肉になって初めてその生を全うしたと言える。それまでに失われては食した命に申し訳が立たないではないか。
 ましてや今消化しているのは士郎が全力を尽くした一世一代の超晩餐である。聖餐と言ってもいい。あれが無駄に排出されるなど許せない。罪悪だ。最悪だ。いや、時間からして既に胃は通過してる可能性も高いが―――
「・・・む?」
 そして、セイバーはそこで気がついた。
 相手に無く、自分にあるものに。
 彼女が、限界を越えることが出来る可能性に。
「黒き騎士よ―――」
 セイバーは一度構えを解き、静かに呼びかけてみる。
「――――――」
 警戒しているのかすぐには襲い掛かってこないオルタを正面から見つめてゆっくりと深呼吸をし。


















「―――お腹がすきました」

 セイバーは、真顔で空腹を訴えた。

「・・・は?」

 十分な溜めを経て放たれたその言葉の唐突さに黒い騎士の動きがガクリと止まる。
「そろそろ夜食の一つも欲しいところです。そうですね、素麺・・・いえ、今宵は冷えますから乳麺あたりがよいでしょう。卵焼きにトマト、後はホウレン草のおひたしの一つも付けば言うことはないのですが・・・」
 いや、ここは小松菜か? などと呟く姿を見つめ、オルタは相手の言葉を吟味する。
 どこかに潜む伏兵への合図かなにかだろうか。それとも、何らかの小細工を隠そうと注意を逸らしているのか。
 考え、理解できず。
「・・・・・・」
 数秒かけてオルタはそれを時間稼ぎであると判断した。
 鎧の損傷は、魔力を大量に消費して修復する他は無いが、アルトリアには自分の傷を治癒する能力がある。腹の傷も動かずにいればそのうち治るのだ。
「・・・反応無し、ですか」
 口を閉じたままゆっくりと黒い剣を掲げる写し身を見据え、セイバーは一つ頷いた。
「ならば」
 傷は完治してはいないが、もはや関係ない。
「ならば、私の勝ちです―――封印解除リリーズ!」
 勝利を確信してセイバーは正眼に剣を構えた。吹き荒れる暴風。漏れ出る光。
 オルタは片手で風から目を庇い、吹き飛ばされぬように備える。
 セイバーは、刀身に風王結界を纏わせたままこれまで戦っていた。不可視である、という事は直感に優れたアルトリアには通用しない利点だ。それは互いにわかっている筈。
 故にオルタはそれを風王鉄槌ストライクエア・・・刀身に圧縮された風の一斉解放による風圧放射攻撃用だと想定していたのだが。
「・・・・・・」
 構わぬと思考を停止。オルタは風を切り裂くようにして高々と剣を振り上げた。

「『約束されたエクス』―――」

 撃つ機会がなかったのだろうが、他の意図があるのだろうが構わない。
 オルタにとって重要なのは、あの鞘を外すのには一定の時間がかかるという事と、剣の対軍宝具の扱いにおいて並ぶもののが居ないアルトリアにとって、その時間は一撃を放つのに充分だという事だけだ。
 故に。

「―――『勝利の剣カリバー』!」

 オルタは躊躇なく宝具を振り下ろした。
 魔力炉心が吼え猛る。全身の回路を巡った魔力は腕から刀身へと注ぎ込まれ、黒い極光の刃となって打ち出される。
 黒の奔流は文字通りの光速でセイバーに直撃し。
「!?」
 そして、そこで押し留められてバチリバチリと黒い火花を撒き散らす!
 オルタは自分の腕を確認した。振り下ろした宝具からは、今も黒い光に変換された魔力が迸っている。だが、全てを切り裂き直進する筈の刃が、進まない。
 否、進まないだけではない。セイバーの居る筈の場所を覆い隠す黒い光が、徐々に広がっているではないか。押し寄せる奔流が、徐々に切り裂かれて二分されつつあるのだ。
「―――有り得ない」
 思わずオルタは声を漏らした。
 これまで何度かあったように、エクスカリバー同士がぶつかり合えばそれが相殺し合うことはある。
 だが、アレは、あそこに居るアルトリアは、まだ真名を解放していない。
 エクスカリバーは真名の解放と共に使い手の魔力を光へ変換、加速して一気に撃ち出す宝具だ。つまり、あれはまだエクスカリバーを使っていない。
 そして、仮に令呪の助けなどで強制起動したのだとしても、何故相殺されずにこちらの刃が一方的に断たれつつあるのか。
 セイバーとオルタ。
 どちらも纏っているのは同じ騎士王、星の光を振るう者という幻想だ。
 令呪で支援されようと無限供給を受けていようと、それを形に、力にするアルトリアの回路以上の魔力は出力できない。つまり、注ぎ込んだ魔力の分だけ威力の上がるエクスカリバーといえど、上限は有る。
 手加減などしていない。限界出力で、一撃で決しようと放った一撃だ。なのに何故、それが裂けていく。退けられる。
 黒い騎士王の目に、光が差し込んだ。
 徐々に二つにわかれていく黒の光、その中心に違う光が輝いている。
「これを越える力は私には・・・いえ、私達には作り出せる筈が無い」
 オルタは呻く。エクスカリバー同士のぶつかり合いは均衡し、後はどちらが先に力尽きるかで勝負は決まる。
 決まる筈だというのに。
「なのに・・・何故、私の光が切り裂かれている―――?」
「・・・簡単な事です」
 相対する黒い騎士の平坦な筈の声に滲む戸惑いに、セイバーは静かに答えた。
 左の手で握った剣の放つ光が黒の奔流をゆっくりと押し返していく不条理な光景に、知らず笑みがこぼれる。
 その剣に込められた想いは、彼女が負けるなどという事は微塵も考えていない。
 セイバー本人が知っている『アルトリアの上限』など予想だにせず、彼女ならばどんな敵と遭遇しても当然のように勝利を収め、何事も無かったかのように食事の要求の一つもすると確信している。
「私達にとって何よりも大事で、何よりも平凡な―――当たり前過ぎる要素によって、貴女は敗北します」
 そして、セイバーの声に答えるように光を増したその刃は、澄んだ刃鳴りと鍛ち手の言葉に依って、己が存在を世界へと鳴り響かせた。


我は、 I am 絶対にして the 無比なる bone 勝利で of 鍛たれし my 剣なり sword ―――

 

 剣を構成するアルトリアという幻想に加えられたその一押し。
 とるにたらない、たった一人の人間のちっぽけな想い。
 騎士王という膨大な幻想の海と比べれば僅か一滴に過ぎないそれが―――

「黒き騎士よ・・・貴女には足りないものがある・・・!」

 今、二つの光の優劣を決める!

「貴女の傍には―――シロウが居ない!」

 叫びと共に強くその柄を握り締め、セイバーは真名と共にその剣を振りぬいた。

「『勝利すべき黄金の剣カ リ バ ー ン』ッッッ!」

 黄金の光を纏った刃は抵抗無く黒の極光を真っ二つに断ち切った。両断された刃はセイバーの身体をかすめて背後へと飛び去り、天井と床に大穴を開けて消滅する。
「有り得ない・・・その剣はとうに失われて―――」
 黒いセイバーはうわ言のように呟きながらも剣への魔力充填を続ける。
 聖杯から魔力を引き出せる彼女には、本来宝具を使う際に必要となる溜めが無い。その気になれば何十発でも連発できるだけの力がある。
(失った筈のその剣を持ち出そうと、何かの詐術で出力を引き上げようと、アルトリア自身の魔力だけでは連発は出来ない。今度こそ―――)
 無表情な筈の顔を強張らせて黒いセイバーは手首を返し、振り下ろした剣を切り上げの形へと連携する。
 聖杯の使い手と繋がった魔力経路と魔力炉心、無尽蔵に魔力を出力する二つの供給源デュアルコアを持つが故に可能となる、極大斬撃の二連撃ち。
 必至である筈の流れに、しかし。
「馬鹿な―――」
 脳裏を走った直感の警告に声が洩れた。見張った眼に映ったのはセイバーの姿。
 左腕一本で振り切ったカリバーンとは逆―――右腕で逆手に握った、もう一本の聖剣!
ニ刀流トゥーソード・・・!?」

 
「『約束されたエクス』」

 真名の開放と共に聖剣に刻まれた魔術文字から眩い光芒が迸る。
 柄から刃先へと駆け上る光に照らされ、金の髪を翻したセイバーは―――

「『勝利の剣カリバー』ァッッ!」
 体全体を捻るようにして、彼女の宝具を振りぬいた―――

「っ・・・!」
 勢いに振り回されて地面に叩きつけられながらセイバーは首を必死にあげ、光の刃の行く手を確認する。
 その視線の先で―――






「・・・そうか」

 黒のセイバーは、静かに呟いていた。
 一瞬。
 僅か一瞬の差だが、間に合わない。
 振り下ろした刃を返し、振り上げる。聖剣の担い手としての彼女の宝具発動速度は他者の追随を許さないが、同一の速度を持つ相手では、それも無意味だ。
(・・・最初から、彼女の鞘に納められていたのはあの剣だったのか)
 二度目の死を目前とし、聖杯の泥がもたらす生者への呪詛から解放された今になって、彼女はようやく相手の攻撃の全てを理解した。
 剣を合わせた時に、傷から引き抜き投げ捨てた時に違和感はあったのだ。何かが違うと、確かに感じたのだ。
 当然である。風王結界で不可視になったからといって、形や長さが変わるわけではない。中身が入れ替わっていたのだから、感触も当然に違う。
 つまり、この戦場へ現れたその時から彼女が使っていたのはずっとカリバーンだったのだろう。
 あの派手な登場は士郎達を先に行かす為の盾を持ち込む手段であると同時に、投影物であり消すことのできないカリバーンをバイクにくくりつける事で目立たぬように持ち込む手段でもあったのだ。


「・・・・・・」

 目前に迫った光刃に、黒いセイバーは目を閉じた。
 一瞬を数百にも分割した戦闘用の加速思考ゆえ、消滅までにはまだ刹那だが猶予がある。
(さて、何を考えたものか)
 想うには短く待つには長すぎるそれをどう過ごすかと考え、
(私の―――傍に―――?)
 自らの鏡像が叫んだ台詞に意識を向ける。

 ―――ああ。

 確かに、覚えている。
 何もかもが黒く塗りつぶされた記憶の中で、唯一つ色を保つあの人のことを。

『――――――』

 汚されぬよう、失わぬよう、全てを蝕む泥土から守り続けたひとかけらの記憶に、既に言葉は無い。
 だが、十分だった。
 その温もりだけで、十分だった。
 光の斬撃をその身に受け、最後の吐息と共に言葉が漏れる。

「確かに、おなかがすいてきましたね。シロウ、夕ごはんは―――」

 運命に翻弄された黒い騎士は、呟きと共に閃光の中へと消えた。




 その最後は、静かな笑みと共に。



13-14-2 VSバーサーカー(4) K.G.E.G

■聖杯洞 第三空洞

 猛獣の如く振り下ろされる黒く巨大な拳を回避し、受け流しながらアーチャーは思案する。
 相手に隙を作りそこを撃つのがアーチャーの流儀スタイルであり、全ての攻撃が切り札足るのがその真髄ではあるが、数多い手札のうちで三強をあげると するならば『鶴翼三連かくよくさんれん』『幻想の崩壊ブロークンファンタズム』『無限の剣製U B W』があげられる。
「だが、今回はどれも使えんな・・・」
 続けざまに振り下ろされる拳の雨を回避しながら一人ごちる。
 干将・莫耶で両断したところで殺せるのは一度分か二度分だろうし、幻想の崩壊では一度殺すのがせいぜいであろう。そしてあの巨人は殺したところで数秒とたたずに復活してしまう。
 凛は5秒と言ったが、実際には凛が接近する時間も稼がねばならない。たとえ頭を粉々にしてやったとしても足りないのは明白だ。
 そういう点で無限の剣製を使用しての宝具一斉掃射は申し分ない性能なのだが・・・
「今の私に展開できるかが、心もとない」
 隕石の滅多打ちの如く振り下ろされては床を穿っていく黒く巨大な拳を一瞥し大きく跳躍。間合いを離す。着地したのは壁際。追い詰められた形になる。
 固有結界を展開する為の呪文は己が心象風景を表すものである。
 当然エミヤの心象風景を表す呪文をアーチャーは知っているが、それが”彼女”の心にも当てはまるかはわからない。
 無限の剣製の一端である投影が使える以上極端に変わっては居ない筈だが、わざわざ大きな隙を作って詠唱を完了したものの出来ませんでしたでは済まされない。
 そもそも、この滅多打ちを掻い潜りながら詠唱し続けることが可能かどうか・・・
「ふむ」
 技術の欠片も無くただ力にまかせ迫る黒い暴風を見据え、アーチャーは頷いた。
 背後には岩壁を背負い、静かに呟き。
「切札は、ないな」
 いつも通りに、やれやれという笑みで。
「では、小細工をしようか―――」
 そう呟いて前に出た。
「■■■■■■■!」
 振り下ろされる拳、それを双剣で叩き、反動で大きくサイドステップをする。
 バーサーカーは、単純に強い。
 一撃で大概の英霊を殺害できる腕力と、並みの宝具では傷一つ与えられない防御、それを掻い潜ったところで必要とされる致命傷は12。物量戦だ。
 だが、この黒い巨人相手なら付け入る隙があるとアーチャーは判断する。
 何故ならこの巨人は、ただバーサーカーでしかない。バーサーカーでありながらヘラクレスでもあったアレとは違う。
 確かにヘラクレスの身につけた体術を使うことができる。力任せに振り回しているように見える剣も、無闇に振り下ろしているように見える拳も、実際のところは鍛え上げられた技だ。身体に染み付いたその動きを、黒の巨人は知性なきままに本能で再生している。
 だが、そこまでだ。
 アーチャーはサイドステップの勢いを載せて地を蹴り、高速で前へと跳ぶ。巨人は真横を駆け抜けようとする背を追って平手を振り回す。
 ―――その流れは、数分前と全く同一だ。
 黒の巨人は思考能力を持たない。ただ目の前の状況に反応し、ヘラクレスの体術から最適な動きを抽出しているだけだ。
 それはつまり―――同じ事をすれば、同じ反応が返ってくるという事でもある。
 ぐるりと踵を返し、こちらに迫る平手を前にアーチャーは双剣を消した。呪文すら無くその手に現れたのは螺旋を描く長剣、カラドボルクである。
「! ドリルッ!」
 背後で歓声をあげる凛の声にうむと頷き、アーチャーは巨人の掌にその切っ先を抉りこんだ。
「■■■■■■■■■■■ッ!?」
 キュィィンと唸りを上げて回転する螺旋の刀身に抉られ巨人が怒りの声をあげる。掌からは火花が散り、切っ先が僅かに沈み込み。
「っ・・・!」
 だが、通らない。
 確かな幻想を秘めた切っ先は確かに巨人の守りを貫いている。だが、平手打ちを振りぬこうとする巨人の腕力に耐え切れずにアーチャーの足が地を滑って後退しているのだ。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!」
 咆哮が響く。カラドボルクの回転音が耳を刺す。火花は散り、少しずつだが皮に、肉に切っ先が埋まっていく。しかし同時に剣を支える腕が、肩が、腰が、足が巨人の圧力に耐えかね、折れようとしている。
(まずい―――本来の体格との差が、予想よりも大きいのか・・・!)
 少女の身体故の非力さにアーチャーは別の手をとるべきかと一瞬迷い。
      
「―――――Anfangセット! 押し返しなさいアーチャー!」

 澄んだ声と共に、その両足が力強く地面を踏みしめた。ガリッと床の岩肌を削り、後退が止まる。
(令呪か―――!)
 サーヴァントに対する三度の強制命令権、令呪。その効果は、単純であればある程強い。
 手にした剣を押し出せなどというものであれば、威力は絶大だ。
「■■■■■■■■■■■ッ!?」
 ギギギギと金属を削るような音と共に螺旋が唸る。ひと回りする事に僅かだが進んでいくそれは、周囲にどす黒い血を撒き散らしてその掌をぶち破った。
 回転が止まった刀身は完全に掌を貫通し、今は柄が巨人の掌に引っかかった形となっている。
「アーチャー!」
 凛の警告の声が届いた。右の掌を貫かれても左の手は自由だ。痛覚があるのかはわからないが、巨人は貫かれた手はそのままに左の拳を弓兵の小柄な身体に振り下ろす。
 アーチャーは逃げない。
 想定通りの結果を逃げる必要など、どこにもない。
 左腕で螺旋の剣の刀身に触れる。一瞬おいて現れたのは弓だった。いつも使っているのとは違う、頑丈で巨大な和弓である。
 アーチャーの全身から放電するように魔力がバチリバチリと弾ける。投影で現れたその弓は、既に矢として螺旋の剣に弦を絡ませており。
「往け・・・!」
 巨人の拳がアーチャーの頭を消し飛ばすより一瞬だけ早く、その刀身を射出した。
「■■■■■■■■!?」
 弦の物理的な力ではなく魔力に拠る斥力で弾き出された螺旋剣カラドボルクは鋼板をも貫通するその推進力で、柄が引っかかっている巨人の右掌を引きずって直進しようとする。
 腕力でそれに抵抗する巨人の身体は大きくよろけ、アーチャーへと振り下ろされた右拳はあらぬ場所を殴り岩肌を抉った。安定を失った巨体が僅かに宙に浮き、後方へ吹き飛ぶ。
「■■■■■■ッ!」
 狂戦士は右腕に引きずられて数メートルを後退したところで怒りの咆哮を発した。
 同時、両の足が地面を抉り、突き刺さる。地を噛んでいるのは、足の指だ。ただの足指にすぎず、しかしそれは強度において10本の鉄杭を地に打ったのと同等である。
「■■■■■■■■ッ!」
 再度の咆哮と共にその身体はギリギリと軋み、背後へと進み続ける右の掌をゆっくりと、だが確実に引き戻す。
 魔力を最大限込めた一矢であっても、巨人の身体能力を越えるには至らない。
 それはアーチャーが弓の英霊としてこの大英雄に劣るという事であり。
投影開始トレースオン
 そして、その程度のことは元よりわかっている事であった。
 憤怒の表情でもがく黒い狂戦士の姿を見据え、弓兵はあえて呪文を発声して慎重にイメージを展開する。
 普段使わない、使う必要の無い、本分から外れる投影だ。元となる武器のイメージを拡大し、変形し、幾つも組み上げる。エミヤの投影はあくまで剣を基調と する。心象風景の丘に蓄えられているものは白兵戦用の武器に限られるが、強化と変化を組み合わせてそれ以外のものを作ることはできる。
 それが普段から使う弓であり。
「っ―――投影トレース完了アウト
 瞬間契約テンカウントが可能な程の時間をかけてようやく具現化された、アーチャーの背を超える巨大な武器―――いや、兵器である。
「おまえの時代にあったのはせいぜいが投擲布スリングだろうが・・・」
 巨大な木製のフレーム。大きくしなった同じく木製の『腕』。そこに乗せられた岩。
 古代、攻城戦において使用された、投石機カタパルトがそこにあった。
「英雄にしか出来ぬ筈の投石による大破壊も、後の時代では当然の技術になっていてな」
 ニヤリと浮かべた笑みと共に、アーチャーは投岩機の発射腕固定杭を蹴り抜いた。
「無論、無理を通して創り上げたこれにはなんの幻想もない。所詮、投石では貴様に傷を負わせることはできない」
 折れる限界まで曲げられていた全長3メートルに届く長大な木製腕は、戒めを解かれその復元力で反り返り、先端に乗った一抱えもある岩を猛然と巨人へ撃ち出す!
「だが、その護りを維持したまま歩けるという事は・・・その身体、傷は負わずとも、衝撃を消すことはできんッ!」
「■■■■ッ!?」
 音は無かった。顔面に直撃した岩石は巨人に一筋たりとも傷を与えること無く砕けて消え、だがその衝撃が巨体を僅かに揺るがす。
「そうでなければ、立つこともできん。全ての干渉を打ち消していては、重力も地面からの反発力を受けることもできず、この星から吹き飛ぶ羽目になるのだからな」
 語る間に投岩機は消滅し、一瞬置いてまた現れる。引き絞られたその先端には、先ほど撃ち出した物と全く同じ岩。そして、投擲―――
「■■■■■■ッ!」
 一発目がもたらしたのが揺らぎであるならば、間髪入れずに叩き込まれたニ発目はよろめきと言ってよいだけの乱れを巨人に与えた。
 常時ならば、それはどうという事の無い衝撃だ。猫科の獣並みの反射神経とバランス感覚を持つ巨人にとってはこの程度の姿勢の乱れ、無いに等しい。このまま強烈な攻撃を加えることも出来る。
 だが。その右掌には、今だ突き穿ち、前進を続ける魔矢があり。
「ついでだ。その足場も頂こう」
 足元には、音もなく投擲され突き立った、白い刃があった。
 閃光と熱が炸裂する。捻れて弾けた刃が幻想を燃料に爆発を起こしたのだ。
 半径数メートルの小規模な爆発は巨人の護りを貫けず、傷を与えない。しかしその足の指が突き立っていた地面はその範疇ではなかった。
「■■■■■■■■■■■ッ!」
 爆発に地面を抉られて宙に浮いた巨人には、もはや魔弾の推進に耐える手段がない。咆哮の尾を引いて吹き飛ばされた巨体は、一直線に壁へと叩きつけられた。
 壁を抉って突き立った螺旋の剣と、それに貼り付けにされた巨人の右手。役目を果たしたカラドボルクは空中に溶け込むように消滅し。
 ストンッ、と。掌の穴に新たな何かが突き立った。
「■■■ッ!」
 巨人は力任せにそれを引き抜こうとするが、その右掌を縫い付けて壁の岩肌に刺さったそれは、びくともせずにその場に留まる。
 その釘の如き長剣は、神話の巨人の豪腕に耐えてその右腕を拘束し続ける。
「貴様の身体は低位の神秘を遮断し、傷を負わない。だが、それ以上でもない」
 それを撃ち出した弓を投げ捨ててアーチャーは走り出す。
 例えば風王結界インビンシブルエアでバーサーカーを斬る。その肉体はダメージを完全に無効化するが、しかしその不可視の魔力を奪い刀身を露にするような事にはならない。
 あくまでも発生するのは肉体の損傷を防ぐ、ただその一点のみ。
 それはつまり―――その釘剣が持つ、『使い手の意が無くば決して抜けることはない』という・・・ただそれだけの能力を回避する手段が、彼には存在しないという事である!
「■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」
 近づいてきたアーチャーに巨人は拘束されていない左腕を叩き付ける。
 右腕を拘束されてなお―――いや拘束された怒りゆえか、ますます暴風のように荒れ狂う拳の嵐に踏み込めず、弓兵は舌打ちと共にその隙を伺い。
「ガンド!」
 瞬間、巨人のこめかみへと拳大の魔弾が撃ち込まれた。遠距離から凛の放ったガンド撃ちの精密狙撃である。
「■■■ッ!」
 巨人は一声吼えると共に左腕を振るい、その魔弾を虫でもいたかのように掌で払いのけた。
 樫板に穴を開ける一撃もその護りの前には何の効果もない。そんな事は、わかっている。必要だったのは、払いのけるその動作そのものだ。
 どこに命中しようが、凛のガンドでは巨人に傷を負わせることはできない。
 無視してしまえばいいのだ。狙い通りこめかみに当たっても、手で払いのけても結果は魔弾の消滅、それだけなのだから。
 だが、狂化のスキルと聖杯の泥で二重に狂わされ、指示を出すマスターすら居ない今の巨人は、ただの反射運動の塊であった。
 動くもの全てに襲い掛かる狂気は、もはや相手が生命であるかないかすら問わない域だ。
「縛り上げろ・・・!」
 そして、欲しかった隙を見逃さず、アーチャーは一瞬で投影を発動した。
 巨人の周囲で何も無い空間がぐにゃりと歪む。そこから飛び出してきたのは幾本もの鎖である。
「本来の貴様ならともかく神性が劣化した状態ではさして効果が無いが・・・腕一本程度ならば、確実に拘束するぞ。それは」
 暴れる巨人の左腕に幾重にも巻きついたのは、ギルガメッシュの愛用する宝具、天の鎖である。武器ではないが故に消耗は大きく、再現度も満足できる域では無いがそれでもこの状況にこれ程適した宝具は他にない。
「■■■■■■ッ!」
「む・・・っ!」
 両の腕を拘束され、大の字に壁へと貼り付けられた巨人は、しかし一層暴れ続ける。
 鋭い蹴りがアーチャーの身体を僅かにかすめ、衝撃で大きくよろめかせた。
「ならば、仕上げだ―――貴様の『十二の試練ゴッドハンド』については思うところがあってな・・・!」
 大木が振り回されるような蹴りの追撃を回避し、アーチャーの両手に白と黒の双剣が握られた。
「十二回の自動蘇生・・・だが、その効果は『蘇生』限定だ。一度死ねばそれ以前の損傷は全て修復されるが、逆に言えば死ぬまでは何の効果も無い・・・!」
 再度撃ち込まれる蹴り足をくぐる。狙うは軸足、この巨人と同じく不死身と謳われた英雄の唯一の弱点。
「つまり・・・貴様を相手取るならば、不用意に殺すべきではないという事だ!」
 叫びと共に振るった二色の双刃は、巨人の踵―――アキレス腱に触れると共に長く、分厚い刃に変形した。
 アーチャーは渾身の力で刃を振りぬく。融合し翼のような大剣となった干将と莫耶はバキリ、という硬質な音と共に巨人の足の腱を踵ごと破壊した。
「■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」
 咆哮が響く。
 右腕は壁に貼り付けられ、左腕は鎖で吊り上げられ、今右足の一部をも失った。地響きを立てて膝をついた巨人は、今こそついに、無防備である・・・!
 凛、とその名を呼ぼうとしたアーチャーは、口を開いたところでその不要を知った。
「さすがね、アーチャー!」
 弾む声、赤い残像。
 振り向こうとした視界を想像を超えた速度で横切り、凛は既にアーチャーに追い抜いて跳躍していたのだ。
 最後に残った片足の魔力放出礼装から砕け散った宝石を撒き散らし、凛の身体が巨人の身長よりなお高く舞い上がる。
「思い知りなさい―――」
 眼下に黒い巨人を見据え、凛は大きく息を吸った。
「マスターの居ないサーヴァントなんて、雑霊にも劣ると・・・!」
 叫びざま自分の腰に手を伸ばす。脇腹に目立たぬように付いていた『持ち手』を掴んで指先で留め金を外し、力任せにそれを引っ張る。
「なんだ・・・あれは・・・?」
 地面からそれを見上げ、アーチャーは思わず呟いた。
 凛が振り上げたのは、その細い腰を幾重にも包んでいた皮製のベルトだ。くるくると解けたそれは長大な鞭となって翻る。
 そして、アーチャーは確かに見た。
 その細いベルトの内側にびっしりと並んだ、数十に渡る宝石の数々を。
「■■■■■!!!」
 咆哮と共に巨人は空を睨む。
 壊せ、殺せ、蹂躙せよ。
 全てを失って尚残るのは、自分は戦う為に居るのだということ。

 そして、強いねと。そう言った筈の、誰かの言葉。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッッ!」

 巨人は動かぬ身体に怒りの咆哮をあげ、釘剣で壁に縫い付けられた腕に噛み付いた。
 自身の神秘を上回る筋力に支えられた顎と歯が肉を裂き、骨に食い込む。何本もの歯と共に顎関節と腕が同時に砕け、血の代わりにどす黒い泥を噴き出して右の手首が食いちぎられる。
 凛は巨人が拘束を脱したのに構わず皮鞭を振り下ろした。頭部を直撃したそれは、凛の腰に巻きついていたのと同じようにぐるぐると包帯の如くそこを覆っていく。
「■■■■■■■■■■!!」
 元より本能と衝動で戦っている巨人は視界の剥奪に全く動じず、拳を失った腕を棍棒のように空中の気配へと叩き付け。
「しかし、一瞬遅い」
 アーチャーはそれを防ごうとせず、そう呟いた。
「どれだけ僅かであっても、間に合わぬのなら永劫と変わらん」

 そして、凛は迫る巨人の腕には目を向けず呪文を口にした。


     チェーンマイン           全基同時起爆
「KettenaufnahmeGrube, Es explodiert gleichzeitig・・・!」



 閃光が、そこに存在した全てを支配する。
 色も熱も持たない爆発は目を焼かれぬよう固く閉じた瞼の上からでも世界を白く染め上げ、視界を失った凛はそのままなす術も無く地へ落ちる。
「きゃっ・・・!」
 どさり、と音を立てて地面に落下した凛は体中がバラバラになりそうな苦痛に呻きながらも必死で顔をあげた。
「48個の宝石による48種の大魔術の連鎖共鳴よ」
 まだ、世界が白い。
 視力を魔術で強化して回復を図りながら、己の内心の不安をかき消さんと歯を食いしばって言葉を紡ぐ。
「12回という回数制限のある蘇生レイズだけでは、耐え切れる筈が無いわ」
              
 何重にも巻きつけた宝石を外から内へと連鎖発動させ、外側の魔術で内側の魔術を押し出すようにして内向きの指向性を持たせる事で中心点に一点集中で炸裂させる。
 一つの魔術ごとに自分の最大出力を込めた上で加圧されたその破壊力は、計算上では耐性を付けさせず巨人に一度で十数回分の死亡ダメージを与える筈だ。
 理論上可能かもしれないという妄想でしかなかったそれを、神代の喪失魔術ロストテク最新の魔術理論ハ イ テ クを組み合わせて現実にした規格外の魔術エクステク ・・・キャスターの助けなく再現するには数十年の修練と膨大な貯蓄が必要であろうそれに、凛は必殺の自信を持っていた。

 だが。

 今、彼女の眼前に居るのは不条理と規格外の化身。どんな異常もあり得る―――
「っ、この、さっさと治りなさい・・・!」
 ぼんやりと視力が戻って来た眼に叱咤を飛ばしながら、凛は受身すら取れずに落下した3メートル分のダメージに痺れて力の入らない手足を無理矢理突っ張った。
 全身を襲う痛みに士郎には見せられないような顔のしかめ方をし、ようやく地面から視線をあげた、そこに。

「え・・・」

 黒く、そして太い脚が、あった。
 視界の半分以上を埋め尽くす、至近距離にそびえる巨人の足と、ふくらはぎ。
「――――――」
 先ほどまでと変わらず聳え立つそれを呆然と見つめ、ゆっくりと凛は視線を上へあげた。
 膝、もも、腰と視線を辿り。

「あ―――」

 その先には、何も無い。

 かつて狂戦士と呼ばれていた存在は、その上半身全てを失って立ち尽くしていた。
 いまだ耳に残る咆哮と共に地を蹴っていたその足も、時間が停止したかのように微動だにしない。
「・・・ふむ、本当にやりとげたようだな」
 大して驚いた様子も無いアーチャーの声に呆然と振り返り、赤衣の弓兵が頷いてみせるのを確認して凛は再び正面へと向き直った。
 理解がじわりと頭から全身へ広がっていき。
「――――――」
 パラパラ、と。黒い巨体から砂のようなものが落ちた。
 一度崩れ始めればもはや止まらない。存在の根源を失った肉体は、最後まで倒れることなく、数秒とたたずにその全てを粉と化した。
 残滓すら地面に解けるように消え、後には静寂と二人の魔術師だけが残される。

 その中で。

『―――イリヤ』

 静かに響く声を、凛は聴いたような気がした。

「・・・そうね」
 だから、少女は静かに肯定の言葉を呟く。
 震える身体で立ち上がり、勝者として。

「貴方がマスターと共に戦っていたら、もう少し苦戦していたかもしれないわ」
 


13-14-3 Unlimited Blade Works(Alternative)


■聖杯洞 第四空洞

 士郎は仰向けに倒れてもがいていた。
 腹を切り裂かれた傷は深く、痛いのか熱いのかもよくわからない刺激が全身へ広がっている。
 倒れて逆さになった視界には、数メートル先に立つシロウの姿。
 早く立たねばと力を入れようとしても、手足はびくりびくりとデタラメに捻れるだけで動いてはくれない。
「・・・衛宮士郎が生きた事に、意味は無かった。全て、無駄だ」
 決着を前にしてこれまでになく言葉を発するシロウの表情に、士郎は見覚えがあった。
 出会ったころアーチャーがよく浮かべていた、諦めと苛立ちの滲む顔。
 それが、かつての自分が為したことへの、為せなかったことへの後悔と怒りによるものだということを、今は士郎も知っている。
 だとすれば、目の前のシロウは何を後悔し、何に怒りを覚えているのか。
 捨てた筈の理想が立ち向かってきて、しかも倒れた事に?
 あるいは、その理想を捨てて得たはずの答えに裏切られた事に?


(―――違う)

 士郎は即座にその考えを捨てた。
 元より、衛宮士郎はそんな複雑に出来ちゃいない。許せないのは、何時だって自分自身だ。己の外に原因を求められるのならば、こんなにまで歪んだりはしなかっただろう。
 それに、『理想』は失ったのではない。捨てたのだ。どれだけの痛みを伴おうとも、自ら捨てたものを衛宮士郎は後悔しない。
 ならば失ったものは願いか、と士郎は悟る。
 理想ではなく、願い。そして、どんなに無様でも、己を張り続けるという誓い。
 全てを捨ててまで得た、何と引換にしても守ろうとしたもの。魂の歪みを埋める、たった一つの大切な物を、あいつは塗りつぶされてしまった。

 ―――今、あいつの心には守るべき少女ではなく黒い泥が詰まっている。

 先程までの、サクラを守るという機能に特化していた時にはなかったあの表情は、失われたものの大きさ故に精神制御から溢れ出したもの。
 ならば、と士郎は己の心を呼び起こす。
 この自分の中にもあるのか。それに抗する事ができるような何かが、存在するのか。

 そして。

「無駄・・・じゃ、無い」

 それは容易に見つかった。

「意味など無くとも、構わない―――」

 だから、士郎は足掻く。
 魔術師を動かすのは肉体ではない。意志だ。ならば動ける筈だ。

「―――俺の、生きた事に、意味、が、無くとも」

 叩きのめされ、二度にわたってられたとしても、きっと動ける。
 動けない道理は無い。なぜなら。

「俺の、存在は、贋作で、偽物だが・・・」

 魔術回路を起動させると全身を魔力が巡る異物感と共に激痛もまた全身を駆け巡った。
 問題無い。痛むなら、俺はまだ生きているのだろう。

「―――それでも」

 もう一度身をよじる。さっきは痙攣するばかりだった体が、今度は動いた。
 腕をつっぱり、半身を起こす。そこまでいけば後はその動きを全身に伝えるだけだ。

「それでも―――」

 確かに、士郎の中に士郎自身の望みなど無い。
 人として歪で、不完全だ。
 それでも。
 それでも。


「それでも―――セイバーは、俺の料理をおいしいと言ってくれたんだ」

「・・・何?」

 唐突な台詞に、止めを刺すべく近づいてきたシロウの足が止まった。

「ランサーと、息抜きをしに行った・・・佐々木さんと、食器を洗った・・・ギルガメッシュの倉庫を片付けた・・・バーサーカーと買い物に行った・・・あん りちゃんとまゆちゃんは絵本を読んでくれって部屋に突撃してくるし、メディアちゃんの実験につきあったり、アーチャーから中華料理習ったり、それに はい つものように笑っていて・・・!」
「――――――」

 答えル必要が無い/答えラレナイ/答エてはならない

「そして・・・遠坂は・・・遠坂が、好きだって・・・言ってくれたんだ・・・!」

 思考を禁止する/違う/無価値/約束/意味/磨耗/思考を再度禁止/攻撃行動再開/見に行くんだ/敵の再生行動を止め/回路を再接続/流入を停止/誓った―――護るって―――

「俺が居なくなることで失われる物があるのなら、無価値だなどというのは俺の勝手な思い込みだ! だから、無駄じゃない! 何もかも無駄なんかじゃない! 今この瞬間も! この願いも! やってきた事も! 失った物も、おまえが失敗した事でさえも無駄じゃない!」
 衛宮士郎は何かを成し遂げるために戦う者ではなく、何かを成し遂げる誰かの為に剣を鍛つ者である。
 故に、己が偽りかどうかなど意味が無い。生涯の果てに何が待っていようと関係が無い。
 どれだけ何が虚ろだとしても、この2週間の記憶だけは間違いようが無いほどに本物だろう。そして、そこから生まれたこの思いも、それを表す為の鋼もまた。
 キリツグに憧れて魔術使いとなり、彼の死で再度失いかけた人間らしさを藤ねえから貰い、美綴や三枝さんや後藤・・・みんなが居るあの学校で人として過ごす術を得た。
 多くのものを踏みつけて生き残り、もっと多くを見捨て、失い。
 その末に生まれた衛宮士郎が、今ここで戦っている。
 あの時憧れた、あの時縋ったその光は、僅かたりとも失われてはいない。
 そして、これから先も共に居てくれる人達も―――居る。
 その過去が、その未来が、その繋がりの一つ一つがこの胸に眠る剣の心鉄しんがねだ。
「だから―――無意味じゃない! その是非を決めていいのは俺達じゃないんだ・・・!」
 士郎は、地面を殴りつけるようにして勢いをつけて立ち上がり、走り出す。
 傷は既に大半が塞がっている。血と体力は失われたままだし、急激な治癒に伴う激痛はしばらくは抜けないだろうが、動けるのならそれだけでいい。
投影トレース完了アウトッ!」
 両手に現れたのは二色の双刀、干将と莫耶。
 シロウはギリッと音を立てて牙の如き異形の双剣、右歯噛絞ザリチェ左歯噛咬タルウィを握り締めそれを迎え撃つ。
 先手を取って斬りかかる士郎の一撃は、何の奇策も無い正攻法。それは、サーヴァント混じりの身体能力の前には通用しないと証明済みの一撃だ。
 シロウは右歯噛絞ザリチェで無造作に双刀の片方を弾き、もう片方を左歯噛咬タルウィの背で・・・相手の刃を噛み砕く為の牙で絡めとってしまう。
 同型異色の干将莫耶と違い、左右の歯噛絞は形状も長さもそれぞれ異なる。刃砕きの牙を備えた左歯噛咬タルウィで相手の武器を破壊し、出来た隙に大きく分厚い右歯噛絞ザリチェの刃を叩き込むのがこの双剣の使い方で。
 ―――そしてそれを、士郎は既に解析(み)ているのだ。
投影重層トレースフラクタル!」
 左歯噛咬タルウィが噛んだ莫耶の刀身が、ガキンという撃鉄の落ちる音と共に厚みを増した。刀身に幾重にも刃が重なり、長く厚く、鋭く研ぎあがる。その姿は、鶴翼のようでもある。
 強化双剣オーバーエッジ
 英霊エミヤが使用する、威力重視の形態へ変形させた双剣だ。
 ギッ、と音を立てて長剣と化した莫耶に左歯噛咬タルウィの牙が食い込む。
 折れる筈だ、とシロウは判断する。
 確かにこの形態は物理的な強度が上がっている。だが、アーチャーの腕に蓄えられた知識に拠れば、その強化は士郎とシロウの身体能力の差を覆す程ではないのだ。
 故に、シロウは左歯噛咬タルウィを捻って莫耶の刃を砕きにかかる。
 砕く。
 砕ける。
 砕けなければおかしい。
 砕けなければならない。
 ―――なのに。
 耳障りな金属音を立てて両断されたのは、左歯噛咬タルウィの刀身であった。
「!?」
 何故という問いに、エミヤの腕は自動的に答えを返す。

 折れるかもしれない。そう思ってしまえば幻想は容易く折れる、と。

 同時に打ち込まれた干将を右歯噛絞ザリチェでなんとか防ぎ、シロウは飛びのいて距離を取る。
「一度折れたおまえが―――何故―――」
 呻くような問いへの答えは、既に士郎の中にあった。

「この、身体は―――」

 誰かを助けたいという願いに過ちは無い。
 真贋など他の誰かが決めること。衛宮士郎は造る者だ。これまで受け取ってきた剣と、これから先作り出せる剣がある限り、きっと生きていける。

 そう―――

この身体は、My Whole life was 無限の剣でUnlimited 出来ているBlade Works――― たかだか一本エミヤシロウ が折られた程度で止まっている暇なんて無い!」
「出来る―――ものか―――」
 士郎の叫びに、掠れた叫びが否定を返した。
「そんなことが―――できるものか―――」
 正面から向き合ったその顔。終始虚ろであったそこに、今は確かに表情がある。
「おまえには有るというのか・・・!? ただ一人さえも救えなかった俺とは違う、誰かを救う力がおまえだけには有ると言うのか!? 俺がただ、間違えただけだと言うのか・・・!」
 呪詛のような叫びに、士郎は怯まない。
「そんな力はない! そしておまえの正否は、おまえだけの物だ! 俺にわかるのは一つだけ。こんな俺を・・・衛宮士郎を頼りにしてくれた人が居るという事 だけだ! 俺がここに踏みとどまることで救えるかもしれない人が居て、俺が護りたいと想う人も、俺を護ってくれるって言った人も居る! そして、おまえに ―――おまえだけにそれが居ないなんて、言わせはしないッ!」












 ―――先輩のことは、わたしが護ります―――



 シロウの、動きが止まった。
 記憶が、泥土の如く濁った記憶の中に潜む何かが、突き刺さるように心を抉る。
「俺に救えるのは一握りでも・・・俺の救った誰かが次の正義の味方になってくれるかもしれない! 俺が切嗣に憧れたように、俺達の見た夢を継げる誰かが居るかも知れない! そして・・・いつか、誰かが辿りつく!」
 辿り付けぬどこかを目指し、代を変えようが意思を伝え不可能を目指す。
 それが魔術師と、誰かが言った。
「おまえにだってあった筈だ! 俺とは違う望みものがあった筈だ! それを見失った今のおまえになど、負けはしない!」
「ち―――が―――」
 シロウの口から音がこぼれる。思考は混濁し精神は汚濁し泥土が心臓から全身へ全身へ全身へ全身へ全身へ全心へひたひたとひたひたとひたひたとひたひたと―――

「あああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!」

 罰せねばならぬ罰せねばならぬ罰せねばならぬ罰せねばならぬ罰せねばならぬ
 償え償え償え償え償え償え償え償え償え償え償え償え償え償え償え償え償え償え
 この罪をこの咎をこの過去をこの身体をこの魂をこの名をこの想念をこの迷いをこの記憶をこの敗北をこの全てをこの愚かな衛宮士郎であるという罪を

「死ンデ―――償エ―――ッ!」
 
 絶叫と共に詠唱し、シロウは右腕から剣を引き摺り出す。
 両手に一対、そして意識の中にもう二対。形、機能、使い手の経験、歴史。深く、深く読み込み、己が身体にそれを再現する。
 英霊の身体と繋がる負荷が人間の部分を侵食し、肉を、神経をぶちぶちと崩壊させていくが欠損部はすぐにアンリマユが再生。痛みを感じぬその身体を幾度となく壊し、そして。
「届イタ―――!」
 シロウが歪な顔で呟く。干将莫耶の、その使い手たる英霊の編み出した必至の流れ。それを、読み出した。
 相手が何者であろうと避けることも受けることも出来ない。
 この三手ならば、たとえ相手が最優を冠するセイバーであろうと避けること叶うまい。
 今この瞬間のみ、シロウは英霊エミヤと同一である。
 敗北は無いと、シロウは判断し。


「・・・ッ!」
 同時、脳をチリチリと焼く危機感に士郎は頬や首筋を伝う汗を平手で払った。
 十メートルを隔てて立つシロウが、両手に携えた一対だけでなく他に二組の干将莫耶を凍結保持しているのは士郎にしてみれば容易に解析できる。
 そして、それが何を意味するかも。
 投影の技術で負けるつもりは無いし、同じことをするのも可能だろう。
 だが、体術の部分でぶつけ合えば、負けるのは士郎の方であると証明済みだ。引き出されるものが同じ技術であるならば勝負を決めるのはそれを使う肉体の精度。
 そして向こうはアーチャーの腕の侵食とアンリ・マユの寄生により肉体が強化されているが、こちらはあくまでも人間のそれ。勝負になる筈も無い。
 ならば、どうするか。

 ―――簡単なことだ。
 するべき事など一つきりの筈。
 元より、衛宮士郎に出来る事などただ一つなのだから。
「間に合うか・・・?」
 真っ直ぐ向けた視線の先、シロウが双剣を振り上げるのが見える。
 あれが放たれれば、もはや避けきることは出来ない。止めきることも出来ない。
 それ故の必至だ。

 だから―――

「間に合わせる・・・!」
 だから、士郎は前に出た。

「――― 鶴翼、しんぎ 欠落ヲむけつにして 不ラズばんじゃく

 瞬間、二色の閃光がシロウの手から放たれる。
 魔力で強化した眼を持ってしても完全に捉えきれぬそれは共に円弧を描き左右から同時に士郎の首を刎ね飛ばすべく迫り。

 ―――コンマ5。

 残像を曳くそれは、まさに広げられた鶴翼に等しい。

 ―――コンマ3。

 瞬きすら許さぬ刹那に迫る至近の死を前に、物理的にすら感じるプレッシャーを受け止め。

 ―――コンマ1。

 刃は風斬り音すら追い越し無音で士郎の首へと襲い掛かり。





 ィン・・・!

 瞬間、コンマゼロ。響き渡ったのは肉を穿つ音ではなく甲高い金属の悲鳴であった。
 それは閃光のような投刃を更に追い抜く速度で具現化された鋼が、同型の鋼に噛み付き迎え撃った音。士郎の握る双剣が放つ咆哮。
 呪文は無く、イメージの展開も存在の憑依も無い。魔力に拠って剣を鍛つのではなく、既に其処に在る剣をただ現す術。
 それは、何者にも真似の出来ぬ究極の模倣。
 それは、最速を誇るゼロセコンドの魔術。
 それは、心の中に鋼を持つ錬鉄の魔術使いにしか為せぬ象徴。

 シロウの繰り出す必至の一手が戦士としてのエミヤの到達点ならば―――
 この瞬間投影こそが、魔術師としてエミヤへ到達した証・・・!

          体は  剣で 出来ている
「―――I am the bone of my sword.」

 士郎が力ある言葉と共に振りぬいた双剣は飛来した刃と一瞬だけ噛み合ってから砕け散った。対して、シロウの投擲した一対は刀身にヒビを入れながらも刃の形を保ったままで背後へと吹き飛んで行く。
 それは、技を再現する肉体の明確な優劣だ。だが、それは元より承知の事。衛宮士郎の剣はあのシロウの剣には勝てない。
 ならば。

「―――凍結解除フリーズアウト

 呪文と共にシロウの手へと再装填される二色の刃を見据え、ただただ士郎は走り距離を詰める。
 そう。決定的な優劣が前提としてあるというのなら―――

         血潮は鉄で      心は硝子
「―――Steel is my body, and fire is my blood」
 ならば、まずはその前提を覆す世界を鍛造する!

 ガチリ、と。心の中で戟鉄が上げ、士郎は詠唱を続ける。
 シロウは両手の双剣を振りかぶり、一投目の干将莫耶を引き戻すと同時にそれを投ずる。双剣は大きく弧を描き、走る士郎を左右から挟み込むように迫った。
 士郎は飛来する刃を見据え、直進を続ける。
 背後からもまっすぐ双剣が追ってきているのはわかっていた。
 鶴翼三連。二度の投擲で足を止め、引き戻しを利用して四つの刃を同時に対象へ打ち込み、同時に自分自身の手に握った双剣で攻撃する。
 全てが致命傷になりうる威力の斬撃を三組六刃同時に打ち込むこの一手は、かの燕返しにも似た刃の牢獄だ。相手の反応次第で最終的な形に持ち込むまでの構成が変わるあたり、射殺す百頭と同じく技より闘法と言えるかもしれない。
 故に、突撃だ。
 足を止めて防御してしまえば、完全な形での六刃同時弾着を受けることになる。それならば、こちらから突っ込んででもタイミングをずらした方が、まだしも回避の可能性があるというものだ。

「―――凍結解除フリーズアウト

 左右から迫る干将と莫耶、後方からも一直線にこちらの背を追う双剣。正面に両手に再装填された刃を構えて待ち構えるシロウ。

          幾たびの戦場を越えて不敗
「―――I have created over a thousand blades.」


 士郎は進路を変えて斜め前、弧を描く白の刃を正面に捉えた。同時に手の中に巨大な剣が現れる。バーサーカーの斧剣だ。
 刀身の半ばを掴んで盾のように両腕で支え、飛来した莫耶をそれで受ける。白い切っ先はガキリと音を立てて強固な岩の刀身を貫通したが、中途まで刺さったところで止まった。
 想定よりも深く刺さって切っ先が身体ギリギリで揺れている事に士郎は冷たい汗を背筋にはりつけ、斧剣ごとそこに刺さった莫耶を投げ捨てる。
 破壊できてないが、これでこの刃を引き戻すには重い斧剣を引きずる必要ができた。
 士郎は投げ捨てた姿勢から地面で前回り受身のように転がり、伸ばした手の中に出現した釘剣を地面に突き立てる。一度刺されば抜けないそれを掴んで勢いを制動。180度のターンを行う。
 目の前には黒の刃。斧剣で防いだ莫耶と共に投擲された干将。
 片膝をついた姿勢で士郎の手に投影されたのは、牙のような異形の刃。悪神の名を抱く剣砕きの短剣・・・左歯噛咬タルウィだ。
 飛来した刃を逆手に握った左歯噛咬タルウィの背で受ける。ゴギリと鳴ったのは、剣を握った腕の肘と膝の関節。シロウの―――否、英霊エミヤの投擲は、岩を穿ち鉄を断つ威力を誇る。正面からそれを受け止めた衝撃は計り知れない。
 実際には一秒に満たないだろうが、押し切られそうなギリギリで堪える士郎には数十秒にも感じられる均衡の果て、干将は中途から折れた。同時、左歯噛咬タルウィも粉々に砕け散る。

   ただ一度の敗走もなく、ただ一度の勝利もなし
「―――Un aware of loss.Nor aware of gain」
「――― 心技つるぎ  黄河ヲみずを 渡ルわかつ

 同時、シロウが地を蹴った。低い姿勢でこちらへ迫る。背後からは再度迫る刃の気配。どう引き戻したのか、片方は真っ直ぐ背後から、もう片方は頭上からの落下軌道だ。
「―――ッ!」
 立ち上がろうとした膝が砕けた。
 比喩ではなく、斬鉄の威力を誇る投擲を数度に渡って受け止めた衝撃に耐え切れず、膝関節が粉砕したのだ。
 一対を砕いたとはいえこのままでは、四つの刃を同時に受ける事になる。そうなれば防ぐ手段は無い。膝は急速に再生していくが、再生に要するこの数秒は致命に余りある。

              担い手は ここに独り
「―――With stood pain to create weapons.」

 故に、迷わず士郎は切り札を切った。
 手の中に生まれたのは歪な刃を持つ、人を傷つけるには適せぬ異形の短剣。それは、その機能を冠してこう呼ばれる。

 ―――鍵剣、と。

 見上げた頭上で空間が歪んだ。『王の財宝ゲートオブバビロン』・・・ギルガメッシュの宝具であるそれは、己の財を呼び出す門だ。自分に帰る望みを、所有するということを知らない士郎には、そこから出せるものなど無い。
 だが、それでいい。士郎は何も呼び出す必要は無いのだ。
 ォン、と。空を裂いて落ちてきた黒い刃がその歪みへと飛び込み―――そして消えた。
 宝物庫は、財を収める場所だ。無限の深さと無限の広さを持つ歪みは、物を出すだけのものではない。当然に、物をしまう事にも使いうる。
「ぐ・・・かはッ!」
 だが、優位は一瞬だった。士郎は胸に生まれた熱い塊に思わずむせる。口から飛び出した飛沫は赤黒い。肉片すら混じっている。
 宝具の投影は、人類普遍の幻想を個人の脳髄で再現する行為。よりにもよって英雄王の宝具が、詠唱の片手間に鍛てるような代物であるものか。
「ぐ・・・」
 イメージの想定が乱れ、鍵剣が消える。
 無理を重ねた反動は内臓の多くに深刻な傷を与えた。おそらく、次にこのクラスの投影を行えばもう、立ち上がることは叶うまい
 シロウの持つ黒き心臓とは違い、士郎の再生はセイバーとのつながりあってこそのものだ。彼女が居ないこの場においてはその再生力は大きく低下しているのだ。
 残るは背後、僅か数メートルに迫った刃と、正面同じ距離のシロウ。
 まだヒビだらけの膝で、士郎は背後へと無様に飛ぶ。稼げた距離は数十センチ。時間にして0.2秒ほど。そしてシロウから遠ざかった分飛来した刃へは自分から近づいた形になる。その間合いは、既に剣を振るう余地がない程に近い。
 だが、支障ない。
 剣ならば、ここにある。
 衛宮士郎の魔術は剣を造るものではない。あらゆる剣を内包する世界を造るものだ。
 故に、士郎はこう称する。

 身体は、剣でできている。

 心象世界、魂の領域が既にして剣なのだ。
 魂は、精神を媒介として肉体に影響を与えるのなら、可能な筈だ。
 そこに見出すことさえ出来れば―――衛宮士郎の肉体は、その全てが剣となる!
 ギギギギギギギギギギギギと耳障りな音をたてて、振り回した左腕が飛来した白い刃を受け止めた。
 痛みは閃光のように脳を焼くが士郎はそれを無視して腕を―――否、肘から手首までを形成する、何十本もの刃の塊を振りぬいた。火花と刃の破片を撒き散らして莫耶は真上へと跳ね上がり、折られ断たれて地面に落ちた腕の刃は肉に、骨に戻る。

 そして。

「――― 唯名せいめい 別天ニりきゅうに 納メとどき
        剣の丘で 鉄を鍛つ
「―――waiting for one's arrival」

 目の前にシロウが居た。その両腕に握られた双剣は、翼のような意匠の長剣と化している。オーバーエッジだ。

「―――両雄われら

 頭上から、刃が空を切る音。
 士郎は失策を悟った。重ね当てを避ける為に背後の刃を弾こうとすること。それ自体が鶴翼三連の一形態であったのだ。
 刃は上へと跳ね上がるよう回転がかかっていた。無理な防御で両足を損傷し姿勢も崩れた士郎に王手をかける為に。
 直接斬りかかるシロウの刃に引き戻され、回避できないタイミングで重ね当てを実現する為に。

「――― 共ニともに 命ヲてんを 別ツいだかず ・・・・・・!」

 最後の詩句と共に、背後を振り向いた状態の士郎の両脇へ挟み込むような斬撃が打ち込まれる。
 左右には避けられない。引くよりも追う足の方が早い。しゃがむ、跳ぶなどの回避は頭上から迫る刃が封じている。そもそも大きく動けるような状態ですらない。
 両脇から胴体を両断すべく迫る二つの刃に対して士郎が出来ることは、それを掴み止めようとする事だけだった。
 刃と化した掌と指を二色の剣閃に割り込ませ―――だが、その勢いは止まらない。士郎の手を構成する鋼は軽々と断ち切られていく。
 
 確かに、この連撃は必殺であった。
 三つの双斬の重ね当て。一撃で英霊の首をも斬り落とす攻撃が多重で構成され、しかもその全てが囮で本命。知らずに防げば六刃重ねを喰らい、士郎のやったように無理に数を減らそうとしても、その無理をするという行為自体が最後の一撃の回避を困難にする。
 故にこれは、防げる筈の無い連撃。
 正しく必殺たる完全なる剣閃。
 だがそれは、ただ一つの例外を持つ・・・!

        ならば、我が生涯に 意味は不要ず
「―――I have no regrets.This is the only path」
 

 ただ一つ、本来はありえない条件―――向かい合う敵が、同じ衛宮士郎であるという例外を!

――――理念を改竄し
 全身の回路が一つの魔術を組み上げていくその片隅で、まだ使っていない回路が小さな魔術を行使した。
――――骨子を歪め
 掌を断ち割り腕を斬り抜けようとしているこの鋼は、しかし投影により結実した幻想だ。
――――材質を置換し
 ならば。
――――経験を模造し
 ならば、それを衛宮士郎が操れぬ道理など存在する筈が無い・・・!
――――年月を無限に積み上げる


「・・・!?」
 シロウの目に、わずかな驚愕が浮かんだ。
 視線の先には、今まさに士郎を断ち切らんとしていた一対の剣。
 否。剣であった筈の残骸もの
 その在り様を徹底的に狂わされたそれは、いまやただの赤錆の浮いた鉄の屍骸と化している!
「―――ッ!」
 一瞬の均衡を経て双剣であったものは押し合う力に負けてべきり、とへし折れた。
 全身の力で刃を押し戻さんとしていた士郎は前のめりに姿勢を崩し。
「たっ・・・!」
 そのまま前転し、回転蹴りの形で踵をシロウの肩口へ叩きつける。その背を掠めて落下してきた刃が通過し、地面へと突き立った。
「ぐ・・・」
 体術とも呼べない稚拙な蹴りに、しかしシロウはよろめき、思わず肩に手を当てる。
 そこには、柄まで深々と突き立てったダークが一本。それは、瞬間投影され先程の踵落としで叩き込まれたものだ。
 心が凍った身に痛みは無縁だが、腱の断裂に動きが一瞬停止した。完治していない膝で無理矢理大きく跳躍して離脱する士郎を眼で追う事しか出来ない。

「――――――」

 そう。シロウは、動けない。
 この数秒が致命的な間であることを理解していながら、動けない。
 必至の連撃を、必殺であるべき一撃を撃ち終えてしまったこの瞬間のみ・・・組み上げるべき『先』が存在しない。
 編み出したのではなく、ただ用意されたものを使用している身ゆえに、その技の先をアドリブで作ることが出来ないのだ。
 アーチャーの腕は何も語らず、シロウはただ静止し数メートルを隔てて立つ己が分身を凝視し続ける。
 体中を灼かれ、刻まれ、血を吐きながらも真っ直ぐに立つ、その姿を。


    この 身体は
「My whole life was―――」

 士郎は指を数本失い掌も半ば裂けた右手で腰に刺してあったアゾット剣を引き抜き、最後の一節を呟く。
 満身創痍。酷使された肉体はもう一歩たりとも動けまい。
 だが、問題は無い。撃鉄は既にあがっている。彼女の気配を感じるその剣は既に士郎の回路とパスで繋がり、大量の魔力が供給しているのだ。

 ――― 全魔術回路サーキット 全開稼動フルオープン
 ――― 起動術式スタートスペル 解凍完了フリーズアウト
 ――― 魔力供給炉フュエルタンク 接続完了コネクテッドオール

 そう。後は、引鉄を引くのみ。
 士郎は一瞬でも気を抜けば崩れ落ちそうな身体をしゃんと立たせて。

 世界に、己の心につけた真名を告げた。



「―――"Unlimited Blade Works"」



■聖杯洞 第四空洞付近通路

「む・・・止まれ! 凛!」
 その千里眼でもって進行方向から押し寄せてきた焔の壁に気がついたアーチャーの制止に、凛は慌てて脚を止めた。反動でつんのめりそうになりながらもバランスを取り直す。
 奥で戦っている筈の士郎と桜を助けるべく急いでいた凛は文句を言おうと口を開き。
「何よ、あれ・・・」
 思わずそんな声を漏らしていた。
 自分たちが走って来た通路。次の空洞まで十数メートルはある筈のそれが、中途で無くなっている。
 正確に言えば、無くなっているのは壁だ。数メートル先までは存在する岩肌が、ある部分からぼやけ、何があるか見えない。そしてその先は空洞になっており、広い空間が見えている。
 世界だ、と凛は呟く。
 ぼやけたそこから先は、違う世界なのだと。
 土の色が違う。視線をあげれば、地底にはありえない『空』がある。そして、どこまで続くのかわからないその大地に突き立った無数の剣。
 現実を塗りつぶし展開されたそれを、凛は既に知っている。
「固有・・・結界。士郎がこれを・・・?」
「間違い無い。衛宮士郎の行使する唯一の魔術だ。しかし・・・私のものとは、多少違うな」
 アーチャーは呟いて唇の端に僅かな笑みを浮かべた。
 視線の先にあるのは剣の突きたてられた赤い丘。錬鉄たるエミヤの世界。
 だが、その空は―――
「歯車の無い、朝焼けか。おまえは・・・始まりであると言いたいのか?」
 英霊エミヤの持つ、剣が辿り着く終焉の世界ではなく、剣の旅立つ世界を。
 絶望を受け継ぐのではなく、希望を引き継がせる為の戦いを行うという意志をアーチャーはそこから読み取った。
 青臭い、理想論だ。だがその大人になれない未熟さこそが、衛宮士郎という存在を強くしているのだと、今はそう思う。
「これ・・・外から侵入できるの?」
「問題は無い、と思うが・・・奴の心象世界がどのようなものであるかによるな。最悪の場合術者になんらかの影響が出る可能性も否定はできない」
 その魔術の行使者であるアーチャーにとっても、万能を冠する天才である凛にとっても固有結界という魔術は甘く見る事の許されない禁呪だ。
 何しろ、特性が『何でもあり』である。ぱっと見でわかる事がなにもない。
 自分にとっての危険は無視できても、それが士郎の危険となるとどうしても躊躇してしまう。
「く・・・士郎は? 士郎はどこよ!」
「発動されたばかりならばその居場所は決っている。結界の中心点だ」
 アーチャーが指差した先。
 無限の剣に囲まれたそこに・・・二人の士郎が、居た。


■固有結界『Unlimited Blade Works』

 シロウは周囲に広がる剣の丘を見渡し、それを無意味と断定した。
 英霊エミヤのシンボルであるこの魔術は、当然にシロウの右腕にも情報がある。
 全ての武器を内包した世界。その利点は具現化するというプロセスすら必要でなくなる為、瞬間投影よりも更に早く蓄積した武器を手にする事が出来る事と、連続投影では不可能な数と速度で宝具を投射できるという点にある。
 だが、この世界に蓄えられたどの武器も、衛宮士郎にとっての『一』ではない。
 複製として使いこなせたとしても、この身体、この魔術にとって最良の武器である干将と莫耶よりは劣るのだ。
 大量の宝具を同時に投射できるのは確かに強力な能力ではあるが、その数にも制限は有る。意識的に行う操作である以上、対象は術者が認識しているものに限られる。今の士郎が同時に認識できる本数はどの程度のものか。多くても五十には至るまい。
 その程度干将莫耶とエミヤの技は回避しうるというのに、だ。
投影完了トレースアウト
 故に、無意味。そう断じて走り来るシロウが両腕に双剣を握るのを見据え、士郎は左腕を天に突き上げた。
 言葉は無い。
 この世界は、その一片に至るまで彼の作り出したもの。彼の意が発せられた瞬間、走るシロウの周囲に刺さっていた剣が、一斉に地から抜けた。
「ッ!?」
 シロウは走り続けながら迎撃体勢をとるが、剣の群は警戒する彼を残して飛び去った。
 見送る視線の先に、士郎が立っている。そして、地面から次々に武器たちが抜け、そこへ集った。
 士郎の掲げた、その左腕へと。
 何よりも疾く参じた黄金の剣を握った腕を包むように、双剣が、槍が、釘剣が、鍵剣が、直剣が、斧剣が、護符剣が、長刀が、短刀が。ありとあらゆる想いで鍛たれた、ありとあらゆる剣が。
 組み合わさり、積み重なり。刃渡りにして10メートルを越す長大なる千刃の剣となって天を衝く・・・!
「な・・・」
 呆然と見上げるのも一瞬、シロウの脳裏に状況への警告が走り、足が止まる。
 英霊の腕が告げていた。
 士郎が一度に操れる数は数十かもしれない。だが、こうして一つとなっていればどうか。
 それを構成する刃がいくつあろうが、組みあがってできた剣は一つきり。そしてこの世界を形作る剣は、その全てが衛宮士郎という存在の一部だ。
 形を持ち、重みを持ち、魔力を秘めた鋼でありながら、彼の存在の延長線上に存在している。
 つまり、この世界に居る限り衛宮士郎は全ての剣を己の一部として振るうことが出来る。
 どれだけの数、どれだけの重み、どれだけの大きさであろうとそれを振るうのは腕を振るうと同じように容易だ。

 そして衛宮士郎の視線は、既にこちらを―――!

「ッ―――投影開始トレースオン
 英霊アーチャーの腕へと回路を接続。
 呼び出すのは楯、そして思いつく限りの強固なる護り・・・!
投影完了トレースアウト全投影ソードバレル連続層写フルオープンッ!」
 シロウの姿を覆い隠すように次々と現れる鋼の群れを前に、士郎は静かに息を吸った。
 固く長く組み上げられた左腕は、その隅々まで意思が通っている。
 全ての鋼を統べ、この世界を維持する為の力を彼女の貴石(いし)から吸い込んで。
 士郎は、全力で左腕を振り下ろした。

 ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガとシロウの鼓膜を突き破りそうな大音量で鋼の轟音が響く。
 外周部に配置した頑丈な剣が振り下ろされた宝具塊の幾つかと相殺しあって砕け散った。鎧や盾が歪み、捻れ、砕けていく。
 シロウの口から呻き声が漏れた。痛みは感じない。だが、英霊の腕の侵食と投影物が崩壊したフィードバック、周囲に吹き荒れる魔力の残滓に身体が反射行動として悲鳴をあげているのだ。
 だが、勝算は有る。士郎が纏め上げた武器の数に対してシロウが展開した防具は圧倒的に少ない。そもそも時間が足りず、全ての防具を展開できたわけではない。
 しかしそれらの防具はどれもエミヤが厳選し、必要であるとして蓄えたものだ。自動的に蓄積される武器類とは違い、その全てが切り札と呼べるものである。
 鋼と鋼が喰らい合う轟音は数十秒にわたって響き渡り―――
「――――――」
 そして、静寂。
 士郎は左腕を振り下ろし、シロウは左腕を振り上げたまま、微動だにしない。
 接近戦になれば、どのような武器を持ち出そうともエミヤの肉体にとって"絶対の一"である双剣を凌駕することは出来ない。それ故の固有結界内全ての武器を固めての質量攻撃だったのであろうが。
「・・・形はどうあれ、これも投擲された物だ」
 無数の宝具を集めた剣は構成する武器の半数を砕かれ静止し、それを受け止めた幾重もの楯や護符は、ほぼ全てが砕け散っていた。
 しかしそれを見上げるシロウの頭上、最後の護りたるあの盾は、花弁を残り1つにしながらも絶対防御の幻想を保っている。

 つまり、シロウは無傷だ。

 視線が交差する。
 勝敗は、どちらの目にも明らかであった。
 一度決した事象は、幾度繰り返したところで覆る筈も無い。
 失われた宝具は再度結界を展開し直さなければ戻らない。このまま幾度宝具を振り下ろしたところで、それを行う者が士郎であり、それを受ける者がシロウである限り同じ結果だ。矛は盾を貫かない―――




           我が骨子  は 捻 じれ 狂う。
「――――I am the bone of my sword.」


 ―――だから、その前提を捻じって砕く!

「ッ!?」
 宙に静止した剣の群。盾に食い込んで動けない、膨大な魔力をその内に秘められた貴い幻想達がみしり、と一斉に身を捩る。

「く・・・」
 シロウは再度英霊の腕を起動しながらそれを連想した。
 視線の先の男の姿は。
 左の手をこちらへ掲げ、右の手にあの短剣を握り。
 己の血で服を鮮烈な赤に染めたあの姿は。

 ―――まるで、彼女のようではないか。

「・・・そうだ」
 シロウの眼を見据え、士郎は告げた。
「おまえはエミヤとしては俺より上だ」
 胸で輝く護符の赤光に照らされ。思い浮かべる姿は双方が同じ。
「だから俺は、俺と共にあるあいつの流儀で―――魔術師としておまえを凌駕する・・・!」
 




Welt, ブロークンEndeファンタズム―――!」




■聖杯洞 第四空洞

 閃光と熱。そして轟音。
 数百本に達する貴い幻想の一斉崩壊はもはや爆発というよりも蒸発というべき大破壊をそこに炸裂させた。
 一瞬で固有結界が消し飛ぶ。シロウが再展開した護りが溶け消える。元に戻った岩肌すら秒と経たずに融解し、即座に蒸発―――




 そして、ようやく光が消え去り。
 かつて洞窟であったその場所は、球状の空間となっていた。
 床も天井も溶解してガラス化した土がつるりとした弧を描いており、そこで炸裂した熱量の膨大さを物語る。
 まだ皮膚を焼くような高温の残るその空間に、衛宮士郎は、今だその脚で立っていた。
 ゆっくりと士郎は目を開ける。閃光の影響は無い。轟音が鼓膜に与えた影響も無い。
 なにしろ、眼球も鼓膜も皮膚も全て一度焼け潰れ、たった今再生したばかりなのだから。
「―――やはり、俺一人では大したことは出来ないな。皆に助けられて、なんとか生き延びる程度だ」
 士郎は呟き、握っていたアゾット剣を眼前にかざす。
 そこから伸びた幾本もの糸が、彼の身体のあちこちに潜り込んでいた。それは、肝心なところで自分の身体を省みない彼を守るべく凛が施したトリック。
 英霊の髪という強大な魔術回路を士郎の回路に接続し、宝石の魔力と飾り布に施された魔術式で、その肉体に発現している復元呪詛を強制発動する安全装置。
 ひょっとしたら、で備わっていた機能は、案の定となって彼を救ったのであった。

「――――――」

 士郎は復元したばかりでやや外界を眩しく感じる眼球で、正面を見る。
 数十メートルを隔てたそこ、先の爆発の爆心地にあたる場所に。
 酷く焼け爛れたモノが―――シロウの身体が、落ちていた。
 脚は左右とも膝から先が無く、反射的に頭をかばったらしい腕も生身の右腕は跡形も無く消し飛んでいた。アーチャーの左腕はなんとか原型を留めているが、魔力が通っているかもあやしい。
 それでも、シロウは生きていた。
 正確に言えば、生命としては死んでいる。だが肉体が死して尚、聖杯の泥はその魂を肉体に留めているのだ。
 それはアンリ・マユが端末となる生物を手放すまいとしているのか。
 衛宮士郎が現世にしがみ付いているのか。
 はたまた、彼が留まる事を願う誰かが居るとでも言うのか。
 願望器は、その理由を明かさない。
 残骸としか表現できないそれにゆっくりと歩み寄り、士郎は契約破りの宝具を心象風景の丘から拾い上げ。
「―――違うな。今、おまえを殺したところで、意味は無い」
 それを具現化せず、背を向けた。
「衛宮士郎。聞こえるかどうかわからないけど、一つだけ聞いておく」
 アゾット剣を腰のホルスターに戻し、息をつき。
「おまえは、桜を護りたい―――誰を捨ててでも桜だけは護りたいんだろう?」
 遠くからの声に目を向ける。指をピンと伸ばした全力疾走で近づいてくるのは凛だ。その後ろに、呆れ顔のアーチャーの姿もある。
 そちらに手を振り。
「なら・・・おまえは何故こんなところに居るんだ?」
 最後にその一言だけ残し、士郎は凛たちの方へ向かった。



13-14-4 幕間。闇に眠る

■聖杯洞 第四空洞跡

 結晶化したクレーターの中心に横たわり、それは天井を見上げていた。
 ぶちぶち、ぐちぐちと身体からは湿った音がする。おそらく、あの泥が破損箇所の修復にかかっているのだろう。
 だが、破損どころか欠損した部分も多く、そもそも泥では肉体を補う事は出来ても魂の欠落は治せない。
 意志も感情もないガラス玉のような目を開いたまま倒れているそれに、ふと影が差した。
 思考を放棄したそれの目に映ったのは、銀の鎧と金の髪。こちらを見下ろす、気高くも暖かい、青い瞳。
 彼が失った    が、在りし日の姿のままそこに立っていた。
     はしばし逡巡してから、彼と同じ顔のそれに宣告した。
「・・・あなたの    は、私が殺しました」
 起き上がることなくそれはその宣告を受け止める。
 泥を受け入れた時。そして数分前。二回の喪失でもう全てを失ったつもりだったが、まだ失うものがあったのだと僅かに思考した。
 失い続けた彼の世界から、また一つ守りたかったものが消えたのだと。
「それによってこの世界に存在している     は私一人となり、記憶は完全なものとして私に引き継がれました。今の私にとっては、あまり意味を成さないことではありますが」
 正確に言えばもう一人     であった存在は居るのだが、足元に横たわる少年には関係の無いことだ。
     は淡々と言葉を続ける。
「故に、これから述べることはあなたの    からの遺言として聞いてください。あなたの剣たらんとし、あなたに叛くことになり、あなたが殺せなかった従者の・・・記憶です」
「・・・・・・」
 それは答えない。答える必要をみつけられない、
 構わず、    は軽く息を吸って彼女の主と等しく・・・そして決定的に異なるその存在を見据えた。
「あなたが躊躇った為に私は  とあなたを手にかけてしまった。あの時も告げましたが、あなたを憎んでしまうほどに・・・その事が口惜しい」
 言葉を耳に、それは動かない。
「ですが、それはあなたを護れなかった私にも言える事。今はもう、取り返せない過ちです」
     は、それから目を離し、洞窟の奥へと目をやる。彼女の守るべきものが居る筈の場所へ。
「ですが、あなたは違う。あなたのサ  は、まだ生きています」
 答えぬそれに構わず、    は強い眼差しで見下ろし。

「立ち上がりなさい。シロウ。まだ貴方の望みはかなえられていない」

 それの名を、懐かしい響きと共に告げた。
「・・・では、失礼します」
 一礼してセイバーはシロウに背を向け、最後にもう一度だけ振り返る。
「・・・私の知っているシロウは―――もっと諦めが悪い。少なくとも、まだ出来ることがあるのに寝ているような人ではありません」
 そして脚甲を鳴らして共に在るべき人のもとへと走り去る。
 金属音が遠ざかれば、後に残るのは無音で横たわるシロウだけだ。
「・・・・・・」
 動かない。
 自分を護れと言葉で言われた。近くにいないでと、目で告げられた。
 だから動けない。護れという願いを果たせなかった自分に、もう一つの願いを破ることなど許されないだろうと。
 ドン・・・と、地面が振動した。どこか遠くで大規模な破壊が行われたのだろう。
  が使役する影は基本的に物理衝撃を生まない。願望機ではなく という回路を通している以上、その発現は架空元素と吸収の効果以外を発揮することは無い。
 だとすれば、これは が攻撃を受けているということだ。自分を倒した  か、一緒に奥へ向かった や     、最後に後を追った    によって。
「・・・・・・」
 また、揺れた。天井にひびが入り、雨水が染み込んでいたのかポタリポタリと落ちてくる。
「・・・・・・」
 シロウは、動かない。そのほほに水滴をつたわせて、その意識は静かに闇へ沈んで行く。
 喪失感。敗北感。倦怠感。ひとくくりに絶望と呼べる停滞の中。

「・・・・・・?」

 瞼を閉じるだけの力が無くてぼんやりと開けられていただけのその視界に、赤があった。
 左腕だ。血に塗れ、ボロボロになった赤い布がこびりついた左腕。
 指一本たりとも動かす力の残っていない筈の肉体に逆らい―――その左腕だけが、何かを掴まんと焼け爛れた指を開いて天へと突き上げられていたのだ。
 あの男の。磨耗しきった人生の果て、それでも尚、人を護って消えたその男の腕は。

 今だ、諦めてなどいなかった。

「ヵ・・・」
 
 焼け焦げた喉が、かすれた音を発する。
 まだ、出来る事がある。彼女の声が蘇った。
 おまえは何故こんなところに居るんだ? 自分の、あいつの声が耳から離れない。
 ああ。そうだ。
 それだけが、望みだ。
 シロウの目が、焦点を結ぶ。突き上げられた左手が、拳を作る。
 意識の覚醒と共に、心臓代わりの泥からの呪詛も蘇った。ありとあらゆる悪意が押し寄せ、死ねと、償えと叫びたてる。 
 関係ない。こんなものはとっくに通過した。シロウは決めたのだ。この悪意と戦うと。
 世界の全てを敵に回してでも、ただ一人だけを―――桜だけを守ろうと。
 桜自身の悪意からでさえ、守ろうと決めたのだ。
 シロウの身体が芋虫のように蠢く。
 足が無い。腕も片方が無い。
 力が要る。もう一度立ち上がる為の力だ。この身体をもう一度動かす為の力が、要る。
 まだ終わっていない。まだ始まっていない。

 生きている。
 桜は、まだ、生きている。
 だからこんな所で寝ているわけにはいかない。

 ―――立ち上がれ。

 ―――立ち上がれ。

 ―――立ち上がれ。

 絶望の中から、ただ一つ輝く星を掴む為の力を振り絞れ。

 どくり、と左胸が脈打つ。
 既に無い筈の心臓が、その空洞に注がれた泥が意思に応じる。
 そうだ。

 その為ならば。
 俺は―――



13-14-5 VS間桐サクラ(3) 集結 

■聖杯洞 大聖杯

 円蔵山地下最深部魔術構造体。通称『大聖杯』。
 その前で行われていた戦いは、いつしか一方的なものになっていた。
「きゃ・・・あぶなっ! かすりましたっ!」
 聖杯の泥―――アンリ・マユによる暴食攻撃が通じないと理解したサクラが、汲み上げた魔力を直接刃にして撃ち出し始めたのだ。
 桜の礼装となっているあんりとまゆ―――アンリ・マユの一部を使った使い魔が防いでくれるのはあくまでも同一存在である聖杯の泥だけだ。物質化している魔力を防ぐ能力は無い。その結果。
「と・・・うわっ、きゃっ!?」
 桜が次々に地面を滑り来る刃を必死になってあっちこっちへ飛びまわって逃げるというゲームウォッチのような状態になっていたのだった。
 もしもこの状況を誰かがゲームにしたら、おそらくここはミニゲームパートだろう。
「口ほどでもないですね。少しくらい反撃とかしたらどうですか?」
 失笑交じりにサクラはそう言いながらも魔力の刃を撃ち続ける。
「すぐ、ぶん殴って・・・やり、ます!」
 桜は言い返す事は言い返すが、まったく近づくことすらできそうになかった。
 サクラの魔術は単純なものであり、凛であれば、あるいは遠坂桜であればいくらでも付け入る隙はあるのだが、あいにくと今の桜にはその手の魔術戦闘は手に余る。
「く、この! よいしょ―――!」
 跳んだり跳ねたりを繰り返す桜をサクラは笑って眺めていたが、しばらくして飽きたのか溜息をついた。
「―――もう、いいです。面倒ですから、死んでください」
 サクラの言葉と共に、桜の影がゆらりと揺れた。
「!?」
 反射的に飛びのくと、影は立体化してその場にそそり立つ。形状は人のようなくらげのような不気味なフォルム。桜の使い魔である。大きさは三メートル程か。
「アンリマユはわたしには―――」
「違うよますたぁ! アレ、中身が変!」
 効かないと言おうとした桜の声を、あんりの声が遮った。続き、まゆの声が補足する。
「吸収でなく、内側にさきほどまで飛んできてたのと同じ刃がついてますねー」
 その言葉に反応するように、そそり立つくらげ人間がスカートのような、触手のようなパーツをべろりと開く。その中には、確かにびっしりと鋭利な刃がついていて。
「普通に拷問・・・っていうか処刑器具です!」
 桜は慌てて魔術回路を開き、しかし何も詠唱せずにしまったという顔で逃げようとした。
「きゃっ・・・!」
 しかし、これまでのオーバーワークに乳酸の溜まっていた足は持ち主の意志を裏切ってもつれあった。くらげ人間は意外なほどの機敏さで倒れた桜に近づき、ドレスの下に並ぶ魔力の刃で熱烈な抱擁を仕掛け―――

 そしてヒュン、と。
 風を切る音と共に、その頭部に銀の光が突き立った。
 聞きなれた音に思わず目を見開いた桜に。その耳に。

   I  am  a  bone  of  my  sword
『我が骨子は 捻れ 狂う』

 その声が、確かに届く―――
「っ!」
 疲れていた筈の足が、嘘のように軽くなる。桜はバネ仕掛けのように勢いよく立ち上がり、ひと飛びでくらげ人間の元から飛び退き。
 瞬間、ドゴン! という腹に響くと共にくらげ人間の頭が爆発した。上半身丸ごと消し飛んだそれはぐしゃり、とその場に崩れ落ち、魔力となって消え去る。
 桜は期待を込めて振り返り、そしてそこに。

「先輩・・・!」

 大聖杯を抱く広大な空洞、その入り口。
 神技じみた長距離狙撃を成し遂げた弓をまだ降ろしもせずに。

 衛宮士郎は、そこに居た。

「――――――」
「――――――」
「――――――」
 傍らの凛やセイバー、アーチャーと交わしている言葉はここまで届かないがこれだけはわかる。
「・・・時間切れですね。わたし達の、勝ちです」
「ッ!」
 堂々と言い放った言葉に、サクラが顔を歪めた。
「サーヴァントが何体か増えたところで―――」
 言葉と共に、今までのものとは比較するのが馬鹿らしい影が立ち上がる。
 ビルの如き巨人の影は、サクラの行使できる限界の魔力をつぎ込んだものだろう。
「あの邪魔な剣が無いこの世界で・・・無尽蔵の魔力に勝つ術なんて無い―――!」
「それはどうでしょうね?」
 叫ぶ声に桜は静かに笑みを浮かべた。
 そう、確かに聖杯から汲み上げる魔力は無限だ。対して、士郎達の側は自前の魔力だけが頼りであり、呼吸するように魔力を生み出すセイバーでさえもサクラの補充速度にはついていくことは出来ないだろう。
 だが。
「供給量で勝っていても―――放出量では、明らかに負けてるじゃないですか」
 少し勿体をつけて、桜は巨人を指差した。
 凛を真似たその仕草に、喋り方にサクラが顔を歪め叫びを放とうとした瞬間。

 轟ッ、と。

 駆け抜けた光の巨刃が、影を両断して天井を穿って砕く。
「え?」
 全力で作り上げた最大規模の魔術を秒と持たずにかき消されたサクラは呆然と天井を見上げる。
 ぼう、と。
 光の刃が斬り裂いた天井の割れ目からは、真白い月が光を落としていた。
「そんな、ここがどれだけ深いところにあると・・・」
「さあ。でも、本当の大物ってのはああいうのを指すんじゃないですか?」
 静かな嘲笑に、サクラの顔が憤怒に染まった。
「ば、馬鹿にして―――! あんな攻撃、すぐに魔力切れになるわ!  Es erzahlt―――Mein Sc hatten nimmt Sie・・・・・・!」
 呪文と共に立ち上がったのは十と数体もの影の巨人。触れるだけで根こそぎ魔力と生命力を奪いサーヴァントを飲み込むその闇を。
(―――でも、セイバーさんには・・・先輩がついている)
 桜の確信に満ちた視線の先、半円状に薙ぎ払われた光の刃はただの一息で打ち払った。
 天井へ更に一つ刻まれた夜空の道に、サクラの顔色が変わる。
「嘘・・・なんで連発を・・・くっ、Es befiehlt―――Mein Atem schliest a lles・・・・・・!」
 震える声で叫んだ呪文に答えて立ち上がるは先程と同数の影の巨人。今度は時間差をつけ、足元のちっぽけな騎士達へと襲い掛かり。
 結末は、語る必要も無い。
 連続して振るわれた二条の閃光が影を打ち消し洞窟を抉るだけのことだ。
「ッ! なら獣で・・・!」
 巨大な使い魔では意味が無いと知り、ならば数でとサクラは肉食獣の形に凝り固めた影を無数に作り出し、それを放つ。
 だが、桜はもはやその結果を見ていない。見る必要が無い。
(・・・姉さんも、居てくれる)
 桜は息を整え、軽く腰のあたりに触れた。そこに付けた「それ」の固い感触を確認し、頷きを一つ。
(後は、わたしが―――)
 視線をあげればそこに、怒りと恐怖に震える自分の似姿。サクラは狂ったように魔力を引き出して回路に注ぎ、巨人を生み出し、獣状の影を放ち、影帽子に襲わせる。
 だが、結果はどれも同じ。
 光の剣が、炸裂する宝石が、捻れた矢が、全てを撃ち伏せ、消し去る結果が延々と繰り返されてあらゆる闇が無に還る。
 津波のように押し寄せる悪意の波はあまりに膨大だ。しかし言葉を交わし、剣を振るい、魔術を行使する4人の顔には一片たりとも絶望も無い。
「何故・・・なんで、あんな・・・なんであの人たちはここへ・・・」
 戦力というのなら、サクラの方が遥かに上だったはずだ。聖杯から漏れ出すこの悪意の泥土に飲み込まれ、全てが平伏す筈なのに。
 サクラは理解できぬと後ずさる。
「なに? あれは・・・何なの・・・?」
 うわごとのように呟かれる言葉に、桜は知ってるはずですよと心の中で呟く。
 呼吸は既に整った。ダメージも軽微、纏った黒衣からもまだいけると意思が伝わる。
 ならば、後は伏せたカードをめくるだけだ。

 教えてやらなくてはいけない。
 間桐桜は、衛宮士郎と一緒なら世界すべての悪だってぶん殴れるのだってことを。
 


13-14-6 VSサクラ(4) 間桐桜

「この・・・! この・・・! なんで!? なんで! なんで! なんで・・・ッ!」
 泣き叫ぶような声で魔術を行使し続けるサクラを眺め、桜は一つ大きく深呼吸した。
 サクラはもはやこちらを見ていない。どれだけの影を産み出しても押しつぶせない四人に、半狂乱になっている。
 最終チェック。しばしの休憩で乱れていた息は収まった。逃げまわり続けた手足の疲労もだいたい抜けた。魔力は万全、目立った傷もない。纏ったあんりとまゆのドレスもばっちこいと言っている。
 オールグリーン。
 何も問題無し。
 故に。
「すぐ終わる! もう終わる! こんな、こんなの終われッ! 終われ終われ終われ終われぇっ!」
 ええ、もう終わりですと呟いて桜はゆっくりと膝を曲げ、伸ばし。
 そして。
「行きます!」
 強く地を蹴り、全力で走りだした。
 サクラは拳を握って迫る桜に一瞬だけ目を向けたが、身の丈ほどの魔力刃を二つ撃ち出してすぐに凛達の方へと向き直る。

(ええ、そうでしょう。今のあなたにとって怖れるべきはあっちです)

 桜は心で呟く。あの4人が来るまで、桜は纏っているあんり・まゆのドレスでは無効化できないこの魔術相手に逃げることを繰り返していた。それしか出来なかった。
 それをサクラは時間稼ぎだと思っだろうし、実際時間稼ぎではあった。
 桜は、待っていたのだ。
 誰かがここへたどり着き―――これを、この突撃を支援してくれることをだ!
「あんりちゃん! まゆちゃん!」
「おっけー!」
「はいですねえ、ますたー」
 桜の声と共に、彼女を守る黒いコートがはじけ飛んだ。
 液状になったそれは走る桜の前方へと迸り、二人の少女の形へと姿を変える。

「「い゛だだぎまず」」

 どこぞの死霊の真似をしながら影の刃へ噛り付く、魔力喰らいサーヴァントイーターの破片で作られた使い魔の姿にだ。
「!?」
 ぱりん、とそれこそ菓子でも割れたかのような呆気無い音と共に魔力のギロチンは砕け散った。その音で振り返ったサクラは破片も残さずムシャムシャと咀嚼する幼子たちに目を大きく見開き。

「ここッ! ですッッッ!」
「ひっ・・・!?」

 その隙に接近してきた桜の振るった拳を見て、慌てて飛び退いた。かわし切れず顎の先を僅かにかすめる感触に憎々しげに顔をしかめて着地し。
「素手でぶとうだなんて―――ッ!?」
 瞬間。
 唐突に競りあがった土の壁に顔面を強打され、サクラは言葉を失った。
(な、なに!?)
 巨大な壁だ。視界の全てを埋め尽くし、どこまでも広がる岩の壁。
(物質の変形なんてわたし―――桜にはできない筈! 礼装? 姉さんの魔術があんな遠くから!? それとも使い魔が―――)
「違います」
 心を読んだかのような答えは、背後から。
「ぐっ!?」
 腰に勢い良くぶつかった柔らかな重み。それが声の主・・・桜の尻である事に気づき、ようやくサクラは状況を理解した。
 壁ではない。顔に押し付けられたこれは地面だ。せりあがったのではなく・・・単に自分が倒れただけだったのだ。
「どん、な、魔術を・・・!?」
 立ち上がろうとするも何故か腕に力が入らず仰向けに倒れているサクラにまたがり、桜は首を振った。
「魔術じゃありません・・・! ただの・・・ステゴロです!」
 そう。何も特別なことはしていない。単に顎を殴っただけ、直撃せずにかすっただけ。ただ、それだけだ。
 ただそれだけで、人は脳震盪で倒れるのである。
 

■回想:バゼットの推測

「彼女・・・あの黒いサクラは、ペガサスから落下した際に苦痛の表情を浮かべていました」
 桜から接近戦でのアドバイスを求められたバゼットは、しばしの思案の後そう言った。
「無論、人間であった頃の名残というか、癖のようなものである可能性もありますが、かなりの確率で、あのサクラの身体は痛覚が残っています」
「うむ。あの不死性は契約の効果としてアンリ・マユと生命を共有しているが故だ。それは胎盤を失う事を避けるためのものであり、言ってしまえば死ななければそれでいいというシロモノだ。痛みや苦しみを消そうなどという効果はないだろう」
 言峰の補足に頷き、バゼットは説明を続ける。
「つまり、アンリ・マユを倒すか契約を解除しない限りサクラはどれだけ傷ついても回復しますが、サクラの肉体そのものは貴女と同じであると見てよいでしょう。ならば」
 そしてバゼットは指を伸ばし、桜の顎を軽く弾いた。
「ふぇ!?」
 途端、かくりと桜の膝が折れた。倒れかけた身体を抱きとめ、バゼットが微笑む。
「傷を与えるような攻撃でなく意識を混濁させるだけならば、通用するという事です」


■大聖杯前

 桜は知っていた。
 自分の格闘術が実戦レベルではないことを。
 魔術が付け焼刃である事を。
 身体能力が鍛えきれてない事を。
 戦闘経験に欠ける事を。
 判断力が足りない事を。
 そして、その全てを自分が望んで育てている途中であるという事を。
 足りないならばよそからもってくれば良いと、姉は言った。
 自分自身に負けるわけにはいかないと、あの人は言った。
 だから、かき集めたのだ。自分に出来る事を。
 出来ないことをかき分けて、皆の教えを寄せ集めて。
 眼下にはサクラの背中。
 またがった体勢を崩されないうちにと桜は素早くスカートに挟んであった物を引き抜き、逆手にもって振り上げる。
 それは刃のない剣。小さく柔らかい桜の手には似合わぬ無骨な柄。
 
 魔術礼装、黒鍵―――!

告げるセット―――!」

 そして桜は呪文と共に現れた魔力で編まれた刃を力いっぱい振り下ろす!
「ぎぃっ、ああああああああああああああああッッ!」
「っ!」
 ぞぶりと手に響く肉の感触と甲高い悲鳴に桜は反射的に縮こまろうとし、歯を食いしばって弱気を噛み潰す。
「心臓の位置は・・・ちゃんと覚えてます・・・!」
 バゼットと言峰に確認した位置へ正確に押し込む事だけを何度も念じ、桜は柄を両手で握って全体重をかけた。
「あああああああああああああああああっっっ!」
 悲鳴と共に、刃はずぶずぶと肉を切り裂いていき、肋骨の間を通って心臓に突き立った。退魔の刃はそこで止まらず突き進み、貫通した剣先が地面をガッと抉る。
 長く大きな悲鳴が聖杯洞に響き、やがて途絶える。
 訪れた静寂の中・・・

「―――なんて、嘘です」

 サクラは、ニタリと笑みを浮かべてそう言った。
「ふふふ、殺したとでもおもいました?」
 ゴキリと骨を鳴らして無理やり首を背後へと回し、冷たい金属を自分の体に突きこんでいる同じ顔の敵に嘲笑を向ける。
 肉を、臓器を刃で裂かれる痛みは今もサクラを苛んでいる。
 しかし、痛みは彼女の日常であった。どれだけ鮮烈な痛みであっても、それだけでサクラは止まらない。
「たかだか心臓を刺したくらいで何を勝ち誇ってるんです? 霊核へ届けば再生できないとでも思いましたか?」
 笑みの奥に怒りを潜ませて黒いサクラは目を細めた。
「知ってますか? わたし、本当の世界ではこんなのが遊びに思えるくらい切り刻まれてるんですよ? 今度はあなたが―――」
「―――最初から」
 しかし、眼下で哂うサクラを見下ろす桜は冷静な声でその言葉を遮った。
 肉を貫いた感触に手が震え、今にも握った剣を取り落としそうになりながらも表情だけは変えずに。
 苦しい時こそ涼しい顔をしていろと道場で語ったのは、アーチャーだっただろうか、ランサーだっただろうか。
「最初から、殺すとか倒すとか、そういう事は考えてません」
 思い出せないので、士郎が言っていたということにして桜は黒鍵の柄を強く強く握る。
「・・・え?」
「心臓に触れる方法が他に思いつかなかっただけですから」
 その言葉と同時に黒鍵の刃が黒に染まり、ぞわりとサクラが違和感に身を震わせる。
 刀身の黒は注射器の薬品が押し出されるように根元から銀に戻っていき。

「術式名―――蟲葬式典」

 囁くような声と共に黒鍵が引きぬかれ、サクラの体内でドクンと何かが脈打った。
「え―――」
 その感触を、サクラは知っている。
 切り裂かれた心臓の傷口へと潜り込む感触を覚えている。アンリ・マユの泥ではない、実体を備えたそれが同化するおぞましさを、知っている。
(違う! 知らないッ! こんなの知らないッ! わた、し、は、こんな・・・こんな蟲知らないッ!)
 どれだけ記憶を覆い隠そうと、己の恐怖を消すことは出来ない。
 痛み、苦しみ、恐れ。
 それこそが、彼女を飾る黒きドレスの本質なのだから。
 立ち上がった桜は、倒れたままガタガタと震えているサクラを見下ろし、呟いた。
「間桐臓硯のものより、よく馴染むでしょう?」
「やっぱり・・・刻印・・・蟲・・・!」
 かつての自分を縛っていた忌まわしき呪いにギリギリと歯ぎしりする。
「こんなもの、すぐに抉り出して―――」
 一度やった事だ。サクラは自分の胸を突き破って心臓を抉り出そうと飛び起き―――

『はぁい、ひさしぶりぃ』

 声と共に両足から力が抜け、再度地面へと倒れた。
『ふふふ、だから言ったでしょ?』
 声が聞こえる。
 声。桜の声だ。しかしサクラを見下ろす少女の口は、動いていない。
 それは耳からではなく、サクラ自身の体内から―――
『あんたが一人で頑張ったつもりになったって・・・あんまり、意味無いって』
「まさか! 遠坂ッ! 桜ッッ!」
「わたしの血肉を材料に、彼女の魂を移植した刻印蟲・・・自分自身を拒めると思わないでください・・・!」
 そして桜の声と共に心臓がドクリと激しく鼓動を刻んだ。慣れた、慣れてしまっていた異物の重みと共に。
「なんでッ!? あなたはそんなものに関わらないですんだわたしの筈なのに! そう作られてた筈なのに! 」
 今や悲鳴そのものとなった声を聞きながら桜は聖杯を、そしてその中に息づく黒い泥土に目を向ける。
「確かに、この世界は間桐臓硯も間桐慎二も居ない世界です。わたしが、そしてあなたが不快にならない世界。でも、マキリの魔術は存在してます」
『この世界の原型を思い出したらどう? ここは、間桐凛を作る世界だったのよ?』
 内側から響く声に思い出す。そう、この世界の中心地は、姉を放り込んだ間桐の蟲倉―――マキリの魔術の工房なのだ。
「この世界は間桐の魔術師が居なければなりたたないのに、その魔術を刻んだ者が誰もいないという矛盾、わたしがその位置に入ることで簡単に抑止されました。今、わたしの設定は『間桐の家に生まれ、その全ての魔術を身に刻んだ後継者』です」
 そう言って向けられた目の、髪の色はは遠坂のものでもかつての間桐桜のものでもない。
 それはこの世界に再生されなかったとある一族の遺伝形質を表す色をしていた。
「あなたが間桐桜で、彼女が遠坂桜だと言うのなら・・・わたしは、マキリ・サクラ。遠坂凛の義妹いもうとにしてマキリの名を持つ最後の魔術使い」
 歌うように名乗り、桜はくすりと笑った。
「この状況、さしずめ蟲をもって蟲を制すってところですか?」
「そんな、あなただってわたしなのに―――そんな、それに、手を出すなんて・・・」
 サクラの声は恐怖で震えている。
 幼い頃から彼女に痛みを、恐怖を、屈辱を与え縛り付けてきた忌まわしき魔術。可能だからといってそれを身につけるなどという事は、サクラには思いも及ばない。
「この蟲を使えるなら知っているでしょう!? それがどんなものか! それにどんな目にあわされたのか・・・! なんであなたは平気で―――!」
 悲壮な叫びに、桜はにっこりと笑みを浮かべてみせた。
「ごめんなさい。細かいことは、知らないんです」
「え・・・?」
 目を見開くサクラに、笑顔のまま続ける。
「わたしが知っているのは蟲遣いとしての魔術知識一揃えと、あなたの身体が調整されたってこと、その過程で間桐臓硯とかいう魔術師が心臓に巣食って回路を制御したってことくらいです」
 ほら、そんなふうにと続けた声と同時に、サクラの身体を包んでいた黒いドレスが消え去った。
 霊核に直結している心臓に巣食った刻印蟲さくらが魔術回路を支配し、魔力の供給を停止したのである。
「この中途半端がわたしの武器です。あなたの屈辱だとか恐怖だとか、この魔術への嫌悪だとか。そういうのを知らないってことそのものが」
 知れば躊躇う。知らねば蟲の使い方がわからない。それが故に、全てを知る遠坂桜と共謀しての限定された知識習得だ。
「なんて―――卑怯な」
 呆然と呟くサクラに、桜はええと頷く。
 力だけ手に入れて、それに伴なう歴史や悲劇を無視する行為は、確かに卑怯と、覚悟がないと非難される類であろう。だが。
「わたしは所詮小物で、今抱えているこの小さな幸せを手放すのが怖くてたまらないんです。だから・・・それを護る為に役に立つのなら。その為の手段としてなら、いくらでも卑怯にもなりますし、誰から貰った力でも、遠慮無く使います」
 一度言葉を区切り、桜は背後へ―――大聖杯と呼ばれる巨大な魔術礼装構造物に向き直った。
 この世界の外―――”本物の”大聖杯と繋がるそこからは、不気味な叫びと濃厚な呪詛が滲み出している
『さて問題です』
 サクラの体内で、遠坂桜の声が哂う。
『わたしは今、あなたの回路を支配して聖杯との接続を絶っています。それはつまり、そこに潜むアンリ・マユからも”見えない”状態です。せっかくの胎盤を見失ったアレはどうするでしょう?』
「っ!」
 決まっている。明確な知性を持たず、ただ産まれ落ちる為にだけ行動する今のアンリ・マユは自分を・・・いや、『間桐桜』を求めてここに押し寄せる・・・!
「そう、だからこれが最後の一手です」
                                           
Alternative
『全てはこの時の為に用意したもの。世界、アンリ・マユ、間桐桜、全てに代理を作り、あなたから奪いとる為にわたしは―――!』

 遠坂桜の言葉を合図にしたように、大聖杯から黒い泥が吹き出した。大蛇のような曖昧な形をとってアンリ・マユが産道を―――『桜』を求めて押し寄せる。
『さあ、我が使い魔、アンリ・マユ! あなたたちの真価、見せてあげなさい・・・!』

「「 Yes,Master 」」 

 異口同音に答えた幼な子の姿をした使い魔が身を捩り、その身体が形を変える。あんりの身体は黒い矢に、まゆの身体は同じく黒い和弓へと。
「行きますよ、あんりちゃん、まゆちゃん・・・!」
 桜は二人の転じた弓矢を握り、迫る悪意の泥に向けてそれを構えた。
「何を―――!?」
 サクラの声に答えず、一息に矢を放つ。迫るアンリ・マユの中央に狙い過たず突き立った黒い矢はズブリと音を立てて飲み込まれた。
『今のわたしと同じよ、サクラ? アイデアはあっちが先だけどね。なんの為にアンリ・マユの一部に意志を与えた使い魔なんて危険なものを作ったと思ってるの?』
 間桐桜を支配する為に、間桐桜の肉体に別の魂を宿らせた使い魔を埋め込む。
 ならば、アンリ・マユの一部に別の魂を宿らせた使い魔を同化させる意図は―――
「くすくす・・・繋がりましたねえ」
 幼い声と共に桜の握った弓が形を失い、手のひらから吸い込まれるように身体の中へと消える。
「・・・ええ、感じます。あの泥を―――世界すべての悪アンリ・マユを」
 瞬間、桜の全身に赤く禍々しい彩りが生まれた。血を塗りたくったようなそれは、アンリ・マユの令呪だ。先程まで、サクラの身に刻まれていたものである。
 桜は少し苦しげに呟き目を閉じる。しかし数秒して開いた瞳には苦痛も嫌悪もない。
「そんな・・・アレに耐えられるっていうの・・・?」
 自分が屈した呪いに、こんなにもあっさりと適応するのか。
 呆然と呟かれた言葉に、桜はバツが悪そうに舌を出す。
「さすがに、そんなのは無理ですよ」
『あの子とアンリ・マユを繋ぐ霊的経路パスは、わたしの使い魔が管理しているのよ? 雑音はそこで排除しているわ』
 遠坂桜はサクラの視覚を通して桜を見上げる。
 迫り来るこの世全ての悪を、あらゆる物を飲み込む悪意の泥を見据え、一歩も引かない姿を。
『さあ、桜。全てのわたしたちの代理人Alternativeとして―――』
「はい・・・! 決着をつけます!」
 叫び掲げた右腕で、アンリ・マユの令呪が光を放つ。

 セット       令呪に告げる  聖杯の規律に従い
「Anfang―――Vertrag・・・Ein neuer Nagel」

 迫る黒の奔流。口にするは契約の呪文。その背を見ることしかできないサクラの目から、ぼろぼろと涙がこぼれた。
「やめなさい! やめて! わた、わたしの力を取らないで! やっと誰からも苛められないようになったのに! わたし―――」

      この者、我がサーヴァントに 意思を伝えよ
「Ein neues Gesetzl Ubermitteln Sie die Absicht」

 悲鳴と嗚咽を無視して桜は意思を令呪に装填。
 そして手を伸ばせば触れられる距離まで迫ったそれに。
 聖杯に渦巻く罪の象徴、堕落を持ちかける楽園の林檎、間桐桜である全ての存在が等しく内包するその闇へ―――

    契   約   解   除
「Annullierung des Vertrages!」

 桜は強烈なビンタと共に離縁の言葉を付きつけた。



13-14-7 Unlimited Blade Works(True)


■大聖杯前

「ああ・・・あ、あ・・・」
 サクラは・・・かつてマキリの聖杯であった桜は、呆然と呟いた。
 見上げた先には、平手打ちを受けた部分から解れ、消滅していく黒い泥の奔流。
 アンリ・マユは規格外のものであるとはいえ冬木の聖杯によって制御されるサーヴァントであった。契約を破棄され、依代が無くなってしまえばこの世には留まれない。
 ガタガタと身体が震える。
 心臓に巣食った彼女が怖い。自分から『力』が失われたのが怖い。それを成し遂げた蟲使いも、あの四人も怖い。
 でも何よりも。
 他の何よりも自分のした事が、してしまった全てが怖くてたまらなかった。
 覚えているのだ。
 アンリ・マユと繋がっていた間にしてしまった事を。
 大事な人を片っ端から傷つけ、兄を殺し祖父を殺し、街の全ての人を喰らい尽くしたことを、全て。
 言い訳は可能だ。
 自分の意志ではなかったと言いはることも、まだ自分の中に残っているアンリ・マユとの契約の痕跡を誇示することも。
 だが、できない。
 誰よりも、自分自身が、この無様な女を許せない。
 嗚呼と呻く。涙は出ない。
 先輩を遠ざけておいてよかったと、今更ながらに思う。
 マキリ・サクラはすぐそこに居る。足音に振り返れば、凛を先頭にもう一人の先輩が、サーヴァント二人がこちらに近づいてきていた。
 もうすぐ終わる。
 先輩が今どこに居るか、どうなっているのかはわからないけど、彼が居ない間に、自分は終わるだろう。
 
 殺されて、終わるのだ。

「・・・ぁ」

 そう、死ぬ。殺される。
 当然だ。それだけの事をした。自分でも死んでしまえばいいと思っているのだから、きっと姉さんは私を。

「ゃ・・・ぁ・・・」

 そう、望んでいる。望んでいるんだ。死んだほうがいいって、こんな事をして生き延びちゃいけないって思っている。死ななくちゃ。死ね。死んでしまえ。さっきまで聞こえていた、あの泥の声の通りにできるだけ無様に死んでしまうべきだ。
 わかっている。
 そんなことわかっている。
 わかっているのに。
 これまでだって、今だって、ずっとそう思っているのに。

「ゃだ・・・!」

 なのに。
 なのになんで、なんで―――

「死にたくない・・・!」

 なんでこんな無様な事を自分は口走っているのだろう。

「助けて―――」

 答えは一つしかなかった。
 いつ死んでもいいと思っていた、早く死ななくてはと思っていた自分に、人間を、命を、願いをくれた人のせい(おかげ)だ。
 自分で遠ざけたくせに、図々しく縋りたくなってしまっているのだ。あの人に。
 あの人―――

「―――先輩!」




「ああ。今助ける―――桜!」

 え? と呟いたサクラの視界を、パリンというガラスの砕けるような音と共にその背中が遮った。
 見覚えのある服は殆どが破れ、むき出しになった背中には焼け爛れた痕と未だ肉が覗く切り傷で覆われ、無事なところなどひとつもない。
 右腕が無い。腿から下が破れたズボンから覗く両足はぎこちなくしか動かず、傷こそ無いが、びっしりと幾何学的な文様が浮かんでいる。
 白い髪にも血がこびりつき色がくすみ、額でも切ったのか、以前は左腕を包んでいた赤い布がバンダナのように巻かれていた。
「せん・・・ぱい・・・?」
 信じられないと、サクラは無意識につぶやいていた。
 傷だらけで、変わり果てて。
 それでも背筋を伸ばし、真直ぐに前を見据えるその人の名を。
「桜、遅れてごめん」
 シロウは静かに呟いた。一度咳き込んで喉の血を吐き出し、そっと言葉を落とす。
「俺が護るって言ったのにな。桜の、桜の為だけの味方になるって、そう約束したのに、大事な時に傍にいてやれなくて、ごめん」
 体重を支えきれず身体が揺れた。全身の力を足に込めてなんとか踏みとどまる。
 背後にサクラを庇い、数メートルを隔てて立ち止まった凛と士郎と向かい合う。
「先輩・・・酷い、怪我・・・わたしが・・・戦えって言ったから・・・」
「―――俺の怪我なんてどうでもいい」
 思わず漏れた言葉を、シロウは一言の元に切り捨てた。
「桜だって先の無い身体で、俺のことを・・・こんな俺のことを護ってくれるって言ってくれたんだから」
 シロウは全身の軋みを無視して凛に目をやる。視線を受け、凛は厳しい表情で口を開いた。
「あなたは、その桜がやったことをわかっていて、なおもそこに立つって言うの?」
 シロウは、そして士郎は知っていた。
 潔癖で完全なものを好む彼女が、桜のした事を許すことは無いという事を。
 ―――そして、それでいて身内に甘い彼女が桜を本気で憎むことは出来ないという事をも、衛宮士郎は、知っている。
 だから、と。シロウは頷く。
 戦う相手はあの3人ではない。戦う相手は背後に居る。
 向き合うべきは、サクラの中の諦めの心だ。投げ出して死に逃げようとする心だ。

「桜の罪は―――重い。許されるものではないし、許されていいものでもない。いつまでも桜を苛み、責め続けるだろう」

 あの日、言いたかった事。
 迷い、膝をつき、告げる事の出来なかった・・・からっぽだった彼の中心に宿った言葉。

「だから、俺が護る。桜が俺の前でしか笑えないというのなら、俺がずっと一緒に居る。いつか、いつの日か・・・その罪を償って、笑えるようになるまで―――」
 
 その想いこそが彼の剣。
 借り物だった剣を全て失った場所に、ただ一本だけ突き立てられた願いの剣。
 それは悲劇と敗北で錆びつき、罅割れ、欠け―――
 それでも、その心鉄ねがいだけは失われていない。それさえあれば、剣はどれだけ傷ついても焔にくべれば蘇る。

 ・・・だから、立ち上がった。戦うと決めた。
 彼女の手を取る為に。共に歩いていく為に。この身体は、その為にだけある。
 何十何百何千折られても蘇るこの身体は―――

         My whole life was "unlimited blade works"
 ―――この身体は、無限の剣で出来ているのだから。

 だから、やっていける筈だ。
 命が尽きるまで、あの日誓ったように。

「それが誰であろうと・・・たとえ、桜自身であろうと―――桜を責めるものと、俺は戦う」
「・・・独り占めはずるいですよ、士郎」
 その誓いに、もう一つの声が続いた。
 視線だけを横にそらせば、全く同じ容姿をした二人の女性が、互いの身体を支えあいながらこちらに歩いて来るのが見える。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 二人は仮面を外さぬまま頷きあい、脚を引き摺りながらそれぞれ己の主の傍に立つ。
 共にその身はライダーのサーヴァント。
 ならば、主とは桜以外の誰である筈も無い。
 生きる世界の違う、二人の桜だ。
「・・・あなたはサクラの恋人で・・・彼女の愛を独り占めしているのですから。護ることくらい、私にもわけて貰いますよ」
 シロウの隣に立ったライダーは口元に小さな笑みを浮かべて囁き、釘剣一つも具現化できないその体で、背後の主人―――否、年若い友人を護るべく立ちはだかる。

「ぁ・・・」
 サクラの喉から、言葉になりきれぬ音が洩れた。



 何を、見ていたのだろうか。

 何を、求めていたのだろうか。


 思い出せることは、苦しみや痛み、屈辱、妬み、憎しみ、そして何よりも恐怖。
 およそ人間には耐え切れぬほど詰め込まれた闇の記憶。
 だが。
 その中に、光はなかったのだろうか?
 本当に、闇だけが自分の人生だったのだろうか?

「先輩・・・」

 愛する人も。

「ライダー・・・」

 信頼できる友も。

「もう、いいです・・・」
 暖かな想いで包んでくれる家族でさえも。
「もう、十分です―――」
 欲しかったなにもかもは、既に手に入れていたというのに。

「わたしは・・・もう、おなかいっぱいです」
 
 この瞬間、冬木の街で行われた、第五の戦争が終わった。
 五度目で、最後の戦いが。今度こそ本当に。


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