「・・・おはよう、由紀香」
「ひゃぇ!?」
 瞬間、由紀香はびくっとのけぞった。反射運動は場所柄をわきまえない。たとえば、自分が門の木柱を背に立っていたとかそういうことも。当然―――
 ごちん。
「ぴゃぅっ!」
 後頭部を痛打した由紀香は小動物じみた悲鳴と共に今度は前のめりになる。
「だ、大丈夫か由紀香!?」
 突然の自虐行為に士郎は慌てて駆け寄った。したたかに打ち付けた後頭部が腫れていないか慎重に撫でながらきゃしゃな肩を支える。
「は、はい! 運動神経ないのでこれくらいならいつものことです!」
「いや、そんな自信満々に言われても」
 ガッツですとぶんぶん頷いた三枝は、目の前の顔と髪を撫でる指にピキリと硬直した。
 三枝由紀香、基本小市民。男女交際経験無し。従って接触経験おとうさんと中学のときのフォークダンスのみ。
「っと、痛かったか? ごめん」
 目を丸くして固まってしまった少女に士郎は強く撫ですぎたかと手を引っ込める。
「あ・・・」
「ん・・・?」
 思わず漏れた声に反応されて由紀香はあわてて首を振ってなんでもないと示し、深呼吸した。
 気付かれないように、しかしバレバレで何度かすぅはぁと息を繰り返し、ようやく落ち着いたところで由紀香はぐっと勇気を振り絞った。
 おそるおそる目の前の少年に向き直り。
「あの、昨日の目標が一個だけ残ってるんですけど、その・・・」
 おずおずと言い出した由紀香に士郎はしばし昨日の記憶を探った。
 目標。何度か試みて失敗したあれ。
「・・・・・・」
「・・・あ」
 そして士郎は少女を驚かせないよう気をつけながらその小さな手を握った。
「じゃあ、行こうか。遅刻したら関係各所から袋叩きにあいそうだし」
「はい。じゃあ、その、よろしくおねがいしますね」
 やや固くなってカクカク頷く由紀香に頷いて見せ、軽く手を引いて士郎は歩き出す。
 手の中には小さな重み。振り返れば、暖かな微笑み。
 その笑顔をいつまでも見ていたいと、士郎は思う。後ろめたさを振り払ってそう思う。

 死者は蘇らない。起きた事は戻せない。それは彼女の前で、奴の前で告げた事だ。
 だから、置き去りにしてきた物の為にも、自分を曲げる事は出来ない。
 ―――置き去りにされたからといって、自分を変える事はしてはいけない。

 セイバーの事を、言い訳にすることだけは許せない。

「・・・士郎くん?」
 知らず、握る手に力が入っていたようだ。どうしましたかと問う声になんでもないと答えると、少女は少し考えてから。
「はい」
 少し強めに手を握り返し、足を早めた。士郎の隣に追いつき、微笑む。
「・・・・・・」
 士郎は由紀香の歩幅で歩きながら繋いでない方の手を胸に当てた。
 衛宮士郎を形作る胸の中のこの歪み。その中心には、あの日から一本の剣が刺さっている。
 その剣は彼女にしか抜けないから、今も傍らを歩いてくれるこの少女を愛するようになるのかは、士郎自身にもわからない。
 でも。
 それでも、守りたいと思ったことだけは、本当だと言い切れる。
 おそらくは切嗣が幼い自分に見た、人間の世界との接点がこの手の中にある。

 
 空には白く大きな雲。季節は確実に歩みを進めている。
 胸の中の剣と手の中の温もりと共に、衛宮士郎は大きく一歩を踏み出した。

 

 

 

 

「と、わっ、ごめんなさい、ちょっとほは、歩幅が・・・!」
「あ・・・ごめん」
 

                S×S 〜Good End 「てのひらをたいように」

 

Final.+ 「After]