AM9:30・・・熟睡している大学生、山名春彦の部屋のドアが静かに開いた。
「・・・・・・」
 開いたドアから入ってきた人影は一歩前進してその場に立ち止まる。
 目標・・・つまり春彦の位置を確認、軽い前傾姿勢をとって待機する。そして・・・
「フラッシング・エルボーッッッッッッ!」
 一声叫んで人影は、つまり三上友美は走り出した。助走からベッドの近くでジャンプし、そのまま肘をつきだした姿勢で落下する!
「かはっ・・・」
 鳩尾に鋭く食い込んだ肘撃に春彦は目を見開いて空気を吐き出した。
「おはよー春彦ぉ。今日もいい天気よ」
 のんきに挨拶する友美をよそに春彦は腹を押さえてのたうち回る。
「・・・今日のは、いい入り方をした」
 たっぷり1分苦しんだ後起きあがった春彦が呟くと友美はほっそりとした腕でガッツポーズを取った。
「何せ日々精進してるから!」
「その努力を他の方向性に生かせ」
 春彦は今日も溜息と同時に起床したのであった。

「あ、春彦さん!おはようございます!」
 居間にやってきた春彦に既に食卓に着いていた冬花が赤い瞳を輝かせて微笑んだ。
「ああ、おはよう・・・」
 春彦はぞんざいに挨拶を返して食卓に座る。
「ほい、味噌汁」
 後からやってきた友美から椀を受け取った春彦はふと首を傾げた。
「そういえば、冬花にもああいう起こし方をしてるのか?」
「ああいう?」
 冬花はその言葉を聞いてぽっと顔を赤らめた。
「そ、そんな春彦さん!いくら私達でもそんな朝からは!」
「と、いうか・・・いくら私達でもってのはなんだ?」
「あああああああああああ駄目よ冬花さんっ!べ、別に何でもないのよ?気にしないで春彦っ!あたしは別に冬花さんと何にも・・・!」
 振り回されるオタマをダッキングで回避しながら春彦は焼いた鰯を口に運ぶ。
「何か不審なものは感じるが・・・取り敢えず落ち着け友美」
「落ち着いてるわよっ!」
「どこがだ?」

「どうだ、冬花?ここの生活には慣れたか?」
 朝食も終えてソファーに身を沈めた春彦は洗い物をしている冬花に声をかけた。
「はい。すっかり」
 楽しげに皿を洗う冬花の背を見ながら軽くのびをする。実際冬花はうまくやっている。懸念だった友美とのつきあいもうまくいっているようだししばらくはのんびりと・・・
「何くつろいでるのよ」
 背後の声に頭を巡らすと友美がコートと鞄をこっちに突き出していた。
「・・・ああ、もう時間か」
 ゆっくり立ち上がりコートを羽織る。
「冬花さん、後お願いね」
 友美がそう言うと冬花が手を布巾で拭いながら近づいてきた。
「学校ですか?」
「ああ。昼飯は何か適当にその辺の物を食べてくれ」
 ニットキャップをぐっとかぶって準備完了。
「いってらっしゃいませ〜」
 冬花の声を背中に受けて外に出て大学への道を歩き始める。
「なんかこの生活にもすっかり馴染んじゃったわねー」
「おまえと冬花の相性が意外にもいいようだからな」
「相性って・・・別にそんなたいそうなもんじゃないけど」
「・・・昨日の晩、一生懸命冬花の誕生日を思い出させようとしてたな?」
 友美は軽くのけぞった。
「え、いや・・・祝ってあげようかなとかとか・・・」
「ふむ。おまえらの部屋から冬花がこんな物をもってきたのだが?」
 春彦は鞄の中から本を取りだした。『誕生日別、絶対的恋愛占い』
「ひょえっ!?か、隠しといたのにっ!」
「あいつの掃除は徹底的だ・・・隠したい物があったらあらかじめ言っといた方がいい」
「くぅぅぅぅぅぅっ!」
 講義室に入り講義が始まっても二人の話は延々と続く。
「しかしあいつは料理だけはうまくならないな・・・どうにかならんのか?」
「うーん・・・筋は悪くないんだけど、火加減がどうしても覚えられないみたいなのよね」
「・・・おまえの大火力料理は教えんでいい。普通のを教えてやれ」
「なんでよ。料理は火力、常識じゃない」
 ぷくっと膨れる友美に春彦はやれやれと首を振った。
「確かに友美の料理はうまい。だがあのレベルをだな・・・」
「こらそこっ!うるさいぞ!」
 春彦の声を遮ってヒステリックな叫びが響きわたった。
「あちゃ・・・犬川センセの授業だって忘れてたわ」
 友美はばつが悪そうに首を竦めた。
「犬川?」
「あんた興味ないことはまとめて頭からデリートするのね。犬川センセは授業中の私語も途中退室も一切認めない教授なのよ。そのわりに講義はわかりづらいって悪評高い・・・」
「まだ喋っているのかっ!聞く気がないなら出て行けこの馬鹿学生共がっ!頭の悪そうな赤髪と慎みも恥じらいもなさそうな軽薄女の分際で神聖な授業中にいちゃいちゃしおって!」
 口を尖らせて不満そうな顔をした友美の横で春彦が立ち上がった。
「それは、聞いているなら問題ないということか?」
「ふん・・・一言一句漏らさずに聞いていればな!」
「そうか・・・後悔するなよ?」
 呟いて春彦は教授の方に歩き出した。
「は、春彦!?」
「大丈夫だ」
 春彦は後ずさりする教授を無視して教壇に立ち学生達に向き直る。
「では・・・講義を始める」

 校舎から出た春彦はその真っ赤な頭にニットキャップをかぶりぐっとのびをした。
「あんたねー・・・ああいうの、よしたほうがいいわよ?」
「何がだ?」
 やれやれと溜息をつく友美にかまわず春彦は歩き出す。
「教授へこませてどーすんのよ。これであの教授に目を付けられたのは確実ね」
 あの後、身振り手振りに至るまで完全に自分の講義を繰り返された教授は顔を真っ赤にして出ていってしまったのだ。
「・・・あの程度の講義、教科書を読んでいれば出席するまでもない」
「嫌われてると単位貰えないわよ?」
「それは困るな」
 呟く春彦の横を学食に向かうのであろう大学生の群が追い越していく。
「山名ぁ〜おもしろかったぞ〜!」
「山名さん、さいこ〜!」
「次もおねがいね〜」
 軽く手を振り返す春彦を友美は苦笑しながら見つめた。
「ま、人気があるのは結構なんだけどね・・・まあいいや。あたし達も急ごっか。学食に」
「うむ」
 混みそうなのを察知して二人は早足で学食へ向かった。
「あ、春彦さーん!友美ちゃーん!」
 学食の前まで来たとき、そこに立っていた少女がぶんぶんと手を振るのが見えた。近くを通り過ぎようとした学生が慌ててその手を避ける。
「あれ、冬花さん、どーしたの?」
 二人が歩み寄ると冬花はにっこりと笑った。
「お弁当を作ってきました!みんなで食べましょう!」
 春彦と友美は顔を見合わせた。
「冬花の・・・」
「お弁当・・・」

 学食内は込んでいたので近くの芝生に冬花が持ってきたシートを広げみんなでそこに座り込む。
「さて・・・その弁当はどこだ?」
「はい!これです!」
 冬花は傍らに置いてあったバッグから二段重ねの大きな重箱を取りだした。陽気がよく一月末とはいえ暖かい日差しの下でその重箱は白い煙を全体から出している。明らかにその煙は湯気ではない・・・
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 沈黙の中、春彦はゆっくりと手袋をはめて重箱の蓋を持った。手袋越しに伝わってくる冷気を我慢しながら慎重にそれを開ける。
「こ・・・氷ね」
 重箱の中は、真っ白だった。
「かき氷・・・か?」
「はいっ!」
 半ば硬直している二人に対し冬花の答えはあくまで元気がよい。
「・・・こっちの重箱は?」
 友美が下の段を開けると小瓶に入った色とりどりの液体が出てきた。
「そっちは特製シロップです!あ、今回は全部ノンアルコールですので安心して下さいね」
 蓋を持ったままそれを見つめる二人に冬花はニコニコと氷を山盛りに盛った発泡スチロールのカップを手渡す。
「さ!食べましょう!」
「あ、ああ・・・」
「そうね・・・せっかく持ってきてくれたんだし」
 二人は曖昧に頷き自分のカップに何から作られたのかもわからない鮮やかな色のシロップをかける。
「い、いただきます・・・」
 ゆっくりとスプーンを口に運ぶ。
 鮮烈な味覚が口の中を駆け抜けた。冬花の作ったというそのシロップは既製品にはない素晴らしいクオリティを誇っている。誇っていたが・・・
「さ、寒い・・・」
 だからといって冬本番なのがどうにかなるわけでもない。
 ニコニコと凄いペースでスプーンを動かす冬花を見ながらのろのろと二人は食べ続けた。これでおいしくなかったら二人ともとうにどこかへ旅立っていただろう。
「ん?」
 何とか二杯目に取りかかった春彦は視線を感じて振り返った。
「なに怖いことをやってるんだ?」
「浅野か・・・」
 背後には相変わらず全身黒レザーの浅野と気の弱そうな長身の男が立っている。
「あれ、バカも居たんだ。ひさしぶり」
「・・・佐野孝明、通称は『タカ』ですよ・・・『バカ』じゃなくて・・・」
 友美がしゅたっと手を上げると男は悲しそうに呟く。
「しょうがないだろ?バカなんだから」
 言って浅野はシートにどっかと座った。
「ん?そーいえばこの娘は誰だ?」
「え?」
 友美は浅野の視線が冬花に向けられてるのを見て慌てて手を振り回した。
「あ、いや、違うんですよ!?えっと、友達の、冬花さんです!」
「どうも〜冬花ともうします〜」
「おう。浅野景子だ」
 のんびり頭を下げる冬花に浅野は軽く頷いて答えた。そのままじーっと冬花を見つめる。
「・・・?」
 強い視線に気付いてか気付かずにか冬花はにっこり笑って首を傾げる。
「物怖じしない娘だな。山名」
「おもしろいだろ?」
 まあなと答えた浅野の前にすっと発泡スチロールカップが差し出された。もちろん山盛りのかき氷がそこには盛られている。
「う・・・」
「どうぞ景子さん。自分で言うのもなんですけど自信作ですよ!」
「かき氷の自信作?」
 恐る恐るそれを受け取って浅野は呟いた。
「気にせずに食え。まあ、挨拶代わりだ」
 春彦に言われて、佐野にもカップが差し出されてるのを見ながらゆっくりとスプーンを口に運ぶ。
「ほう・・・確かにこれはうまい。シロップの味はもちろんすり下ろされた氷の一つ一つが立っている。これを大学まで携帯するとは・・・やるな」
「わかってくれますか!」
「ふっ、わからいでか」
 不敵にに笑う浅野をみて冬花はにっこりと微笑む。
 浅野はゆっくりながらも着実にかき氷を口に入れながら春彦を見た。
「で・・・フタマタか?」
 途端に友美がびくっとした。背後では佐野が寒さにがたがたと震えている。
「別に・・・そういうわけじゃない」
 春彦は肩をすくめてそう答えた。
「とか言ってるけどどうなんだ?友美ぃ」
「あ、相変わらずゴシップ好きですね・・・でも!私達はそういうのじゃありません!」
 口をへの字にして言い切った友美を浅野はスプーンをくわえたままニヤニヤと見つめる。
「そぅかぁ〜だって友美は・・・ねぇ?」
「意味ありげな含み笑いをしないで下さい!何が言いたいんですか!」
「言ってもいいの?」
「う・・・」
 言葉に詰まった友美を冬花が不思議そうに見つめる。
「どうしました?」
「ど、どうもしない・・・」
 俯いた友美を放って置いて浅野は冬花に向き直る。
「で?冬花はこの男をどう思ってるんだ?」
「はい、ご主人様です」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 冬花以外の面子が動きを止める。
「・・・山名」
「なんだ?」
 しばらくして浅野が口を開いた。
「やはりオレと対等に戦えるのはおまえだけだ」
「そうか」
 二人は固い握手を交わした。
「な、なんなんだか・・・」

「た、食べ終わった・・・わね」
 友美はスプーンを置いて呻いた。
「お粗末様でした」
 冬花がいそいそとスプーンやカップを回収する。
「人間って・・・頑張ればいろんな事ができるのね・・・」
 手をこすり合わせて体温を上げながら呟く友美を見て春彦は肩を竦めた。
「・・・もうすぐ3限が始まるな」
「おっとそうか。じゃあオレはもう帰るとするよ」
 浅野が立ち上がるとそれに続いて佐野も立ち上がった。
「センパイ、講義はどうするんですか?」
「代返よろしく」
「そ、そんな・・・!」
 浅野と佐野が去ってから春彦もすっと立った。
「じゃ、あたし達も行きましょうか」
 友美も言いながら立ち上がる。
「あの・・・」
 歩きだそうとした友美の袖を冬花が引っ張った。
「授業を見学できませんか?」
「授業を?」
 春彦が問うと冬花は大きく頷いた。
「はい。私・・・学校の記憶って言う物が全然ないんです。一度見てみたいんですけど」
 友美は頭の中で時間割と講師の性格を思い出しながら首を捻った。
「どうかしらねー。次の授業って小教室だしばれたら追い出されるかも知れないわよ?」
「・・・その件に関しては俺が何とかしよう。来い」
 
 定員20人の狭い教室の中に三人は居た。彼らの他に生徒は8人、全部で11人の学生が講義が始まるのを待っている。
「ホントに大丈夫なの?」
 友美が心配そうに春彦に耳打ちした。
「多分」
 曖昧な答えに友美がつっこみを入れようとした瞬間講義室のドアが開いた。
「では始めます」
 まだ若い講師は教壇に立って講義室を見回した。
「ん・・・?そこの君、見ない顔だな」
(速攻でばれてんじゃないの!)
 友美が小声で春彦に詰め寄る。
「えっと、私・・・留学生なんです」
 冬花は笑顔でそう答えた。
「留学生?僕は聞いてないぞ?」
「聞いてないのか?」
 不審そうな講師に春彦は静かな声で呼びかけた。
「や、山名春彦・・・」
 講師はびくっとして春彦を見つめる。
「聞いていないのか?俺は聞いていたぞ」
 春彦は静かにもう一度繰り返した。
「聞いてないのか〜!」
「俺は知ってたぞ〜!」
 外野から無責任なヤジが飛ぶ。応援のつもりかも知れない。
「・・・・・・」
 講師は困った顔で春彦と冬花を見比べた。
「・・・まあ、おまえがそう言うのなら」
 そして溜息と共にそう言って頭を掻いた。
「感謝する」
「・・・じゃあ改めて講義を始めるぞ!」
 
 その日の講義を全て終了して三人は家路についていた。
「学校って楽しいんですね!私も行ってたんでしょうか?」
「・・・どうだろうな」
 ニコニコしている冬花に友美は恐る恐る声をかけた。
「楽しいって・・・また来たいって事?」
「それはやめておきます。また春彦さんに迷惑かけると悪いですから」
 春彦はちらっと冬花を見てすぐに視線をはずした。
「別に・・・迷惑ではない」
「本当は、ああいう風に人を脅したりするのは好きじゃないんでしょう?」
「・・・春彦はよくああいう事してるけどね」
「それは、きっと友美ちゃんを守ってるんですよ。今日私を守ってくれたみたいに」
「え・・・」
 友美は上目遣いに春彦を見た。春彦は無表情に歩き続けている。
「私は守ってもらう資格がないから、もうああいうのはやめます」
「べ、別にあたしだってそんな・・・」
「でも」
 冬花はにっこりと微笑んだ。
「お弁当は、またいつかもっていきますね」
 春彦と友美は思わず顔を見合わせた。
「もっと修行してからな・・・」
「ちゃんと教えてあげるからそれからね」
「???」
 疑問符をいっぱい浮かべる冬花に詳しい説明はせずに、春彦達は帰路に就いたのだった。